2019年5月21日火曜日

『ウイルスの意味論』(山内一也)読みました。


星新一さんのショートショートに
こんな話がありました。

(と、ぼくのしょぼい脳みそに
 インプットされているのですが、
 もしかしたら星新一さんの
 作品じゃなかったかもしれません。
 題名も覚えていないし、
 ひょっとしたら
 ショートショートでもなくて、
 長編の物語とか、
 テレビで観たマンガとか、
 そんな可能性もあります。
 間違っていたら、ごめんなさい。
 それにカッコ書きの中に
 こんなに長い文章を入れ込んで
 ごめんなさい)

世紀の大天才といわれる博士が、
人類のためにどうしても必要な機械を
つくると言い出しました。

どんな機械なのかは、
きっと誰も理解できないから、
内容は明かさない。

とはいえそれまでの功績から、
生活が一新するほど
役に立つ機械であると
みんな信じている。

つくるには、
とんでもなく膨大な費用が
かかるけど、その予算は、
なんと、国が用意してくれる
までになった。

……ほんで、人類が滅亡して数千年後。

今は砂漠になってしまった場所で、
地下からカプセルが出現してきた。

地上に出ると、
上部がパカッと割れて、
拡声器状の機械がにょきっと顔を出し、
悲しげなメロディを1曲流した。

大天才の博士がつくった機械は、
人類がいなくなったあと、
人類に贈る音楽を奏でるものだった。

で、この『ウイルスの意味論』。

ウイルスって、
大天才の博士がつくったのかもしれない。
なんて思っちゃいました。





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2019年5月16日木曜日

『カッコーの歌』(フランシス・ハーディング)読みました。


集中力がついていきたのか、
脳の機能がおとろえて
マルチな処理ができなくなり
1つのことだけしかできないように
なっているのか、

原因はよくわかりませんが、
ここ数年、周りで雑音がしていても、
読んでいる本の内容が
すすっと頭に入ってくるように
なった気がします。

昔は、喫茶店に入って
本を読もうと思っても、
そこにかかっているBGMが気になって、
目で追っている文章の内容が
すこんすこんと
耳穴から抜けていくようで、
ページをめくる手は
ほとんど停滞していました。

人が話しているラジオなんかが
流れていたら、もっとダメで、
本の文字は文字じゃなく
意味をなさい模様に
見えてきちゃいます。

隣の席で話している会話の声が
大きかったりしたら、読書は諦めます。

ところが最近は
そうしたジャマーたちの威力が
貧弱になっている気がして、
読書がスムーズに
できるようになっている。

あ、歳をとって耳が遠くなったとか。
いや、そういうわけでも
なさそうですけどね、
自己健康診断の結果からすると。

で、この『カッコーの歌』。

雑音減退で読書集中の流れの中、
それって単に勘違いなかって
思わせたのが、この本でした。
少しの雑音でも、内容が
まったく頭に入ってきませんでした。
なんでだろ。





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2019年5月14日火曜日

『ザ・スタンド(4)』(スティーヴン・キング)読みました。


カップ麺とか缶詰とか
何日かストックできる飲食品が
残っていたとき、
賞味期限の切れそうな古いモノから
食べていきますよね、普通。

まあ、ぼくもそうです。

賞味期限がない消耗品、
例えばティッシュとか
トイレットペーパーなんかも、
そんなに厳密じゃないけど、
最近のものはあと、
昔に仕入れたものを先って感じに、
買った順で使用しています。

それに習って、実は
本も同じようにしているんです。

未読本スペースを
勝手に想定して本棚の一角を決め、
新しく買ったものは一番左側に差し込み、
押し出されるようになる
右側の本から読んでいく。

でも、その順番が
時々イレギラーすることがあります。
それは同じ著者の作品を
続けたくないと思うから。

連続じゃなく1冊でもいいから
他の作品を挟んで、
なんとなく新鮮な気持ちで次にいきたい。

で、この『ザ・スタンド(4)』。

長編で分冊されているのは、
もちろん続けて読みます。
でも、ずっと前からストックしている
キングさんの新刊は、もうちょい後にしたい。
スタンド全5巻、やっと残り1冊になりました。





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2019年5月10日金曜日

『交流のしくみ』(森本雅之)読みました。


今はもうやらなくなったけど、
昔はよくやってました
ロールプレイングゲーム。

ゼルダの冒険とかマザーとか、
ファイナルファンタジーはやらなかったけど、
ミスト(RPGの分類なのかわからないけど)は
ハマりました。

このゲームっていうメディアは、
小説や映画を越えるエンタメだなんて思った。

けど、やっぱ時間がかかるから、
いつのまにか離れちゃいました。
生活に余裕ができたら、
いつか再開したいです。

RPGがすごいなって思ったのは、
そこに行ってもただ無駄なだけの
ルートがあったこと。

弱い怪獣とか倒しながら力をつけて、
武器や謎解きのアイテムなんかを
揃えなきゃたどり着けない場所があって、
その扉を開いてみると、まったく何もなし。
次の道にいくヒントさえない。

そんな意地悪コースがたくさんありました。

「うわっ、これって人生そのものじゃん」
なんて、目に涙を浮かべながら、
感心していたもんです。

で、この『交流のしくみ』。

電気には直流と交流があって、
交流ってのは便利だけど、
なんだか、神様がつくった
意地悪コースのように思えてきました。




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2019年5月8日水曜日

『ロビンソン・クルーソー』(デフォー)読みました。


何回か前に、
『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』
って本のところで、
なんだか人類滅亡がマイブームに
なっているような気がしますって書きました。

その本と並行して
スティーヴン・キングさんの
滅亡設定本(『ザ・スタンド』)を読んでいて
偶然にテーマが被っていたからです。
(ちなみに、キング本はまだ読み終えてません。
 5巻もある長編なので。今は4巻の中程)

そのとき時間とスペースの関係で
書けなかったことがあるんです。

それは、
この地球にただ一人生き残ったら、
ぼくならどうするか。

いやいや、
どうするもこうするもなくて、
人類の皆さんが残していってくれた
コンビニやらスーパーやらデパートやらで、
欲しいものを欲しいだけ消費して、

話し相手はいなけど、
のんべんだらりと暮らしていくだけです。

でもね。
そんな生活を思い浮かべたら、
一つだけ心配になったんです。

……お風呂のこと。

たぶん、そんときには
電気もガスも通じなくなってるだろうから、
ちゃぷちゃぷできない。

なので、
滅亡時には温泉の湧き出ている場所にいき、
やっぱりのんべんだりすることに決めました。

で、この『ロビンソン・クルーソー』。

なぜこの本を読もうと思ったのか
もう忘れたけど、やはり孤独に暮らすネタ。
滅亡ブームなのかな。滅亡はやだけど。





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2019年4月25日木曜日

『小説 映画ドラえもん のび太の月面探査記』 (辻村深月)読みました。


前回もそうだったんですが、
誰が誰に向けて言ったことなのか
忘れているけれど、
内容は覚えているセリフ。
それ、引用したいと思います。

覚えている内容から察するに、
ベテランのライターさんの説いた、
ぺーぺーのライターさんに向けた
言葉のようです。

もしかしたら、
学校で先生に言われたこと、
もしくは、
講演会とかで壇上でしゃべっていた
どっかの先生の言葉かもしれません。

前置きはそれくらいにして
そのセリフがこれ(↓)

「物書きの仕事を続けていくなら、
 キャリアの中のどこかの時点で、
 量だけをこなす時期がないとダメ。
 それまでやっていた仕事量の
 2倍や3倍くらい原稿を書く。
 1、2年はそうした期間を持つべきだ。
 その間はクオリティも気にせず、
 ただ量を増やすことだけを考える。
 つまりは書きなぐる」

ぼくは、この教えみたいなものを、
自分から意識してやったことは
ありません。

ビビリなぼくは、
クオリティを落とすことは
すなわち
仕事がもらえなくなってしまうこと
だと考えているので、
そんな恐ろしいことはできず、

「これ以上請けたら、
 どれもこれもやっつけ仕事になっちゃう」
と思ったときには、

「申し訳ありませんが、今は手一杯で…」
と依頼をお断りしちゃうんです。

よくよく考えると、断るほうが
仕事のもらえなくなる可能性は高いのかな…。
だから、
そのベテランだか、先生だかは、
ありがたい教えを説いていたのか。

で、この『小説 映画ドラえもん のび太の月面探索記』。

そういう時期にできた作品なのかな
と感じました。





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2019年4月23日火曜日

『東京の子』(藤井太洋)読みました。


今回は「人物はおらんなぁ」という
嘆きの言葉から書き始めようと
思ったんですが、

そのセリフが出ていたもとの本が、
誰の書いた何という書籍だったか、
まるっきり忘れちゃいました。

セリフを発した人物は
幕末に名を馳せた山岡鉄舟って
人だってのは覚えていて、
当時幕臣で活躍した勝海舟と
高橋泥舟の2人と合わせ
「幕末の三舟」と呼ばれ、
周りから一目置かれていたことも
覚えているんです。

でも、書籍名は忘れた。
ごめんなさい。

ということで、
「人物はおらん」について。

辞書によると、「人物」は、
〈1〉人間。ひと
〈2〉性格、人柄
〈3〉人柄・能力などのすぐれた人

となっていて、
ここで山岡さんが「おらん」と嘆いたのは
当然〈3〉を意味します。

「どいつもこいつも大したことない」
「本当に尊敬できる真から凄いと思える奴など
 どこにもいない」
と山岡鉄舟はぼやいていたようです。
(書名も忘れたぼくの記憶によれば)

さっきも出た勝やら、
竜馬やら西郷やらと渡り合った人物の嘆きとは
思えないような気がします。
ホントはみんな大したことなかったのかも
しれないですね。

で、この『東京の子』。

現実にはいなくても、
フィクションでならばつくっちゃえる。
物語の中には「人物」って呼べる人が
たくさん登場してました。





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2019年4月18日木曜日

『ザ・スタンド(3)』(スティーヴン・キング)読みました。


もう何度も言っていますが、
ぼくは、朝会社に行くときに
ランニングで通っています。

距離は約6キロなので、
マラソン選手並みに1キロ3分で走れれば、
さぶろく18分で到着することになります。

ゴールは会社ではなく、
シャワーが使えるジムで、
その開館時間は朝7時。

7時に合わせるには、
6時42分に家をスタートすればいい。

でも、ぼくはマラソン選手ではないので、
1キロ3分は無理です。

ランニングアプリで測った
スピードは平均7分30秒。
信号や踏み切りにひっかかると8分になる。

……えーっと、
ぼくは走ることにだけに意義がある
と思っています。

スピードを速くすることには
何の魅力も感じてない。
(ないんですよ、ホントに。
 いや、ちょっとは速いほうがいいかなって
 思うこともたまにある。うん、ある)

なので、ぼくが密かに目指しているのは、
ジムの開館時間ぴったりに
その門前に到着することです。

1キロ8分であれば、
ろくは48分かかることになり、
すると家を6時12分に出ればいい。

それでね。
最近、その7時どんぴしゃゴールが
続いてるんですわ。
ペース配分ができるほど、
走りに慣れてきたってことだと、
自分では解釈しています。

で、この『ザ・スタンド(3)』。

なぜか読む速度が遅いんです。
濃いんです内容が。
スティーヴン・キングさんには
まだ慣れていないってことでしょうか。





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2019年4月16日火曜日

『てらこや青正義 師匠、走る』(今村翔吾)読みました。


ノートとかメモとかは見ないで
パッと出てくるのは、
京極夏彦さん、
村上春樹さん、
森見登美彦さん
の3人でしょうかね。

デビューした時分から面白いなと思い、
ほとんど途切れなく
新しい作品が出るたびに読んでるのは。

一番最初の作品から、
微妙に変わっていく
(もしくは変わらない)作風を
感じながら2作目、3作目……最新作と
読み継いでます。

同じ時代の流れに生きて、
リアルタイムにその人の
仕事の積み重ねを
感じさせてもらえるのって、
なんかいいですよね。

山田風太郎さんや
スティーブン・キングさんとかの
作品もかなり読んでるけど、
生まれた年代が違うので、
リアルタイムに追うのは
物理的に無理だし。
(山田風太郎さんは故人だし)

デビュー作じゃなく
何作も刊行されてから、
やっと気づいて読み始め、
途中からだけど
新作が待ち遠しくなった
伊坂幸太郎さんなんかもいるし。

そういうのとは逆に
最初の3作目くらいまでは
「おっ、これはいけるかも」
って思えた人でも、
その後に続いた作品で、
だんだん離れちゃった人は結構いるし。

で、この『てらこや青義堂 師匠、走る』。

著者の今村翔吾さんの作品、
デビュー作から読んでます。
森見さんとか京極さんとかみたいに
なるかもって期待してます。
面白かったです。





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2019年4月11日木曜日

『美女と竹林のアンソロジー』(森見登美彦ほか)読みました。


就職情報誌だったと思うんですが、
その編集担当の人から聞いた話を
ときおり思い出します。

編集さんが過去に仕事を依頼した
ライターさんの話です。

最初にそのライターさんに
発注したときは、
予算が潤沢に使える企画だったそうです。

だから、ギャラは、
相場よりも少し高く支払うことができた。

納品されてきた原稿は、
のぞみ通りの仕上がりで、
依頼するときは初めてのライターさん
だからと少し不安があったけれど、
思い切って頼んでよかったと
思ったそうです。

なので、それほど間を置かず、
次の仕事も依頼した。

でも、その企画は前とは違い、
ギチギチの予算で、
ギャラもかなり少額だったとか。

それでも何とか
やってもらったんだけれど、
上がってきた原稿は、
前回とは月とすっぽん。

とんでもなく
クオリティが低かったといいます。

1行に1つの誤字脱字。
文法も滅茶苦茶で、文意が通らない。
直してもらう時間的余裕もなく、
泣く泣く編集さんが修正したと
ぼやいてました。

あとでそのライターさんのことを
同業の仲間に聞くと、
「そうそう、あのライターさん、
 ギャラによってクオリティ、変わるんだよ」
と言われたんだとか。

で、この『美女と竹林のアンソロジー』。

あ、また読んだ本とは関係ない話で、
文字埋めちゃいました。すんません。

いずれにしてもそのライターさん、
クオリティを器用に上げ下げできるのは、
それはそれで、すごい才能だと思います。





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2019年4月9日火曜日

『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(ルイス・ダートネル)読みました。


ぼくは、昼休み、移動中、就寝前に
3つの違う本を並行読みしてる節操なしで、

今、そのうちの1冊に
スティーヴン・キングさんの
『ザ・スタンド』って作品が入っています。
(分厚い全5巻シリーズで
 なかなか読み終わらない……現在3巻目)

本はたいてい
新刊の本屋さんで仕入れるんですが、
このキング本は、
ブックオフで格安5巻セットを見つけ
衝動買いしたものです。

ウイスルがパンデミックしちゃった
世界の話だとは聞いていて、
ぼくは病原菌と闘う人の物語なんだと
勝手に思ってました。

でも読んでみると、
それはあくまで〈設定〉で、
本筋は、
病気で人類のほとんどが滅亡したあとに、
生き残った1パーセントくらいの人たちの
あれやこれやの話なのでした。

人がほとんどいなくなっちゃったら、
電気もこなくなるし、
病気したら病院にもいけないよなって感じ。

で、この『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』。
 
どういうわけかキング本と
〈設定〉がシンクロしてて、
人類がほとんどいなくなったら、
どうするかって本でした。
狙ったからそうなったんじゃなく、
偶然の設定シンクロ。
人類に滅亡してほしくはないんですけど。




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2019年4月4日木曜日

『私が殺した少女』(原尞)読みました。


去年、
十何年ぶりにシリーズ新作が出て、
すぐ読んで、
「わー、やっぱ面白い」って思い、
過去の作品を読み返そうと
デビュー作に目を通したのが、
ひと月ほど前でした。

そして2つ目の読み返し本が、
この『私が殺した少女』です。

ネットによると、
刊行されたのはもう30年前になる。

だって作中の世の中では、
携帯電話が登場しないのもちろん、
公衆電話も主流は
10円玉専用なんですから。

主人公の探偵・沢崎が、
テレフォンカードで利用する
公衆電話を見て、
「そんなもん使えるか」みたいな感じで
新しい社会の流れに嫌悪感を抱いてる。

ハードボイルドというか、
頑固というか、キャラが
「ボギー、あんたの時代は良かった」
なんです。

で、その部分読んだとき
「あ、そういえば、新作でも同じだ」
と思い出しました。

30年たった今、
主人公の探偵は携帯電話を持っていない。
物語の中で、ホームレスの人が
携帯を使っているのを見て、
「私は、彼らより社会に適合していない」
みたいに自嘲してました。

あと30年たって、
もし新作が出たら(無理かな…)、
探偵は何を持たないでいるのか、
知りたいな。




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2019年4月2日火曜日

『ザ・スタンド(Ⅱ)』(スティーヴン・キング)読みました。


文章を書いていて、
違う言葉で言い換えたいと思ったとき、
よく使うのが、
「日本語シソーラス 連想類語辞典」
ってサイトです。

単語などを入力して
検索ボタンをポチッとすると、
類語や関連語、連想される言葉が
ずらーっと表示される。

今回、検索したのは「孤独」でした。

表示されたのは、
「一人ぼっち/腑抜けのよう/抜け殻のように/
 茫然自失/意欲がわかない/疲労/
 うつろな気持ち/寄る辺のなさ/打ちひしがれる/
 穴があいたような/やりきれなさ…」
などなどネガティブワードのオンパレード。

それ見てぼくは
「何か違うんじゃないの?」
って思ったんです。

だから「孤独」を辞書で引いてみた。

そこには
「頼りになる人や心の通じあう人がなく、
 ひとりぼっちで、さびしい・こと(さま)」
って書いてありました。

そうか、〈さびしい〉の意味があるから、
ネガティブになるのは当たり前なんですね。

そこでもう一度、連想類語サイトに戻り、
「ひとり」で検索してみました。

すると
「拘束されない/一匹狼/一国一城のあるじ/
 群れがきらい/アンチヒーロー/なびかない/
 枠に収まらない/自尊心…」。

ほーほー、それです。
ぼくがイメージしてたのは。

ひょっとして、
孤独になること、じゃなかった、
ひとりになることを、
それほどさびしいと思わないのは、
ぼくだけなのでしょうか。

で、この『ザ・スタンド(Ⅱ)』。

登場人物たちを突き動かすのは
「一人ぼっち」はイヤだという心のようです。
その状況に置かれたら、ぼくもそうなるのかな。





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2019年3月28日木曜日

『理科系の作文技術』(木下是雄)読みました。


「牛丼は松屋よりも
 吉野家のほうがおいしいと思う」
と高校時代から意見が一致している
友だちがおりまして、

そのコンセンサス具合は
五十歳を過ぎた今でも
変わらないのですが、

数年前、
やはり牛丼に関する意見交換の席で、
その友だちと
少しばかり主張の食い違ったことが
ありました。

そのころぼくは、
吉野家の牛丼の味が
落ちたと感じていたんです。
(今はそんなふうに
 感じなくなったところをみると、
 たぶん自分の体調的なものとか
 精神的なものとか、つまりは
 個人的一時的、味覚の変調が
 原因だったんだと思います)

「昔より、まずくなった気がする」
というぼくの発言に、彼は、

「そんなことない、
 牛丼一筋八十年の味は、
 昔も今も変わらない。
 豚丼をやったり、
 定食を加えたりといった
 メニューが一筋じゃなくなっただけだ」
と反論しました。

さらに、
「そう感じるのは、
 お前の生活が飽食になって、
 その舌も身体も
 ぶよぶよになっているからに相違ない」と。

その時代がかった物言いに、
ぼくはなぜか
素直に納得してしまったのでした。

で、この『理科系の作文技術』。

5回か6回目の再読。
これまで「美味しい」と思っていたのに、
今回はなぜか味が落ちたように思えてきて、
……たぶん自分のせい。





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2019年3月26日火曜日

『ザ・スタンド(Ⅰ)』(スティーヴン・キング)読みました。


毎朝6キロの道のりを
ラニング通勤しています。
始めたのはあの震災の年だったので、
もうかれこれ8年以上。

スタートから2、3年たった頃に、
スマホのランニングアプリを使い始め、
走った距離を積算したりしてます。
(もうすぐなんと4000キロ)

スマホはリュックの肩ベルトに
専用ポーチみたいなのをくくりつけ、
その中に押し込んでる。

それをね。
腕時計型の端末に変えようかな、
なんて思ってるんです。

スマホだと、
走っている途中に操作が必要になると
肩ベルトのとこから
引っ張り出さなきゃいけないし、

操作するには危ないから
止まって画面を見なきゃいけないし。
腕時計型なら、
もっと簡単なのかなって思って。

んで、そうなると、
スマホ操作が面倒だからと
敬遠していたイヤホンもつけたくなる。

でも、耳を塞いだら
自動車の来る音が聞こえなくなるので、
周囲の音も聞こえるような
骨伝導のヤツがいいなって。

そうやってだんだんと
いろんなゴテゴテグッズが増えてきて、
本当はパンツいっちょくらいの
軽装備で走りたいのに、
重量級の武器を抱えた軍人みたいに
なっていくような気がします。

身軽がいいのか、
ゴテゴテに囲まれて
あれこれ他の楽しみも一杯がいいのか、
悩んでいるところなんです。

で、この『ザ・スタンド(Ⅰ)』。

とてもパンツいっちょの軽装じゃありません。
本筋ストーリーに、
あれもこれものゴテゴテてんこ盛り。
やっぱ、時計端末からはじめて
あれもこれもに囲まれて走ろうかな。





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2019年3月19日火曜日

『伯爵夫人』(蓮実重彦)読みました。


何回か前に、
ドラえもんに登場するキャラクターを使った
たとえ話を書いた気がするんですが、
えーっと……
自分で書いたのに忘れちゃってるので、
前の分をひっくり返してみます。 

──ひっくり返しの間──

あ、ありました、ありました。
『ゲームの王国(下)』のとき。

「じらす」は、相手を意図的に
イライラさせるという意味の言葉で、
ならば、
わざとじゃない行為で
人を苛立たせたときは、
なんていうんだろうって疑問。

「じらす」行為や、わざとじゃない行為を、
のび太やスネ夫を使って例示したんでした。

なぜ、それを言い出したかというと、
その例示を読んだ人が、
もしドラえもんを知らなかったら
…って考えたんです。

どんなキャラなのか知っているから、
それなりに内容を把握でき、面白がれもする。

でも、ドラえもんが何者であるのか、
マンガであることさえ知らない人だったら、
頭の中はクエスチョンマークで
山積みされちゃうだろうな、と。

で、この『伯爵夫人』。

面白かったです。
ただ、ぼくがドラえもんだけじゃなく、
文学や映画などの古典的名作を
もっと知っていれば、
数倍面白がれたんだろうなって思うんです。
勉強不足。でもエロさは好きです。





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2019年3月12日火曜日

『人体はこうしてつくられる』(ジェイミー・A・デイヴィス)読みました。


前回の小説『ひゃっか』のところで、
本を読む速度について書きました。

そんとき、
「そうだ『数学ガール』のことを
 例に挙げよう」
と途中までは思っていたのですが、
なんやかんや文字を並べているうち、
その話題の入るスペースが
なくなっちゃいました。

なので、
ここに無理矢理押し込んじゃいます。

『数学ガール』は、
だいぶ前に読んだ小説です。
結城浩さんって人のベストセラー。

その本を、
読むのに時間がかかる
「ぼく的代表例」にしようと思ったんです。

細かい内容はすっかり忘れちゃったけど、
面白かったのは覚えてる。
もひとつ、時間がかかったのも覚えている。

だって、数式が出てきたんです。
高校時代、
数学の授業=睡眠時間だったぼくには、
まるで宇宙人の書いた文字列でした。

Σ(シグマ)の上に5が乗ってて、
下にはk=1、右にはakとかって書いてある。

すると、
前のほうに出てきたその数式の意味を
もう一度読み直し、
「そうかそうか、
 kに1から5までを入れ込んで、
 それを合計すると」
とかつぶやきながら、
計算機なぞを叩いたりする。
そりゃ、時間かかるわ。
でも、面白かったんですね。その本。

で、この『人体はこうしてつくられる』。

時間かかりました。
専門用語的な言葉がてんこ盛りで、
行きつ戻りつしながらでしたので。
でも、面白かったんですね。この本。





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2019年3月7日木曜日

『ひゃっか!』(今村翔吾)読みました。


ページ数も同じで
文字の詰まり具合もだいたい一緒の本でも、
読み終えるまでにかかる時間は、
それぞれ違うんですよね。

内容が違うから当たり前なのかなあ、
でも、目で追う文字の数には
変わりはないから、
同じ速度で目線を動かしていれば、
読了時間も同じになるはずで。

ってことは、
本によって目線移動速度が違うのか。

いや、まあそれもあるけど、
目線が進むのは頭で理解できたからで、
文字を追っても何を言っているか
わからん状態だと、前の文章に戻ったり、
難しい言葉で立ち止まったりしながら
脳みそ内の整理をするんで、
つまりは理解速度の違いかな、だろうな。

「本を読むのが好きです」とか言うと、
「じゃあ、分厚くて、ちっちゃな活字が
 ぎっちり詰まった感じの本が好きでしょ」
といわれることがよくあります。

いや、ぼくはそうじゃなく、
スッスすっすとページをめくれるような、
文字スカスカのほうが好きなんです。

目線移動速度、理解速度が
速いほうがいい。

普段も落ち着きがなく、
ふらふら動き回っているので、
じっくり動かず、
黙考って感じになるのが苦手なようです。

で、この『ひゃっか!』。

すらすらスススーって読めました。
著者の今村さんは
時代物をたくさん書いているけど、
こういう現代青春モノも結構いけます。
こっち方面、もっと読んでみたいな。





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2019年3月5日火曜日

『公正的戦闘規範』(藤井太洋)読みました。


今『理科系の作文技術』という本を
読んでいます。

再読です。というか何度目か
わからないくらいの読み返しです。

そんなに読んでるのに、
ぼくの頭に入っている事柄は
ホントに少なくて、
毎回初体験みたいに、
勉強させられてます。

今回、「ああそうだよな」と
思ったのは以下の部分。

引用すると、
「書くことに慣れていない人は、
 誰が読むのかを考えずに
 書きはじめるきらいがある。
 (中略)
 読者が誰であり、
 その読者はどれだけの予備知識を
 もっているか、またその文書に
 何を期待し、要求するだろうかを、
 十分に考慮しなければならない」

仕事で、他の人の書いた文章に
手を入れるとき、よく感じていたことを
ズバッと示してくれました。

でも、小説の場合、
どの層を読者対象にするかって、
難しいとこですよね。

で、この『公正的戦闘規範』。

流し読み的にやっつけちゃうと、
ついて行けないところが約6割。
注意深く読解しても3割はこぼれる。
どうやらぼくは、
この本の想定読者対象には
未熟すぎるようです。





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2019年2月28日木曜日

『ミスター・メルセデス(下)』(スティーヴン・キング)読みました。


「この小間使いの話はいつまで続くんやろ」
というメールが
万城目学さんから送られ来たと、
森見登美彦さんのブログに書いてありました。

人気作家同士が昔の名作を読んで
感想を述べ合う雑誌か何かの
対談企画があったようで、
題材になったのが
ブロンテの『嵐が丘』。

題材の古典を読んでいる途中で、
万城目さんがぼやき、メールを送った。

ぼくも『嵐が丘』は読んでいないのですが、
たぶん、その小間使いは、
ストーリーの本筋にはそれほど深くは
関係していなくて、それなのに、
その人の過去の人生とかの描写が
延々と続いていたんでしょう。

ありますよね、そういうの。
特に名作っていわれる古典に
多いような気がします。
昔の読者は、
そういう寄り道が好きだったんでしょうか。

で、この『ミスター・メルセデス(下)』。

あります、あります。あちこちに寄り道。
キングさんはほとんどの作品で、
本筋からそれた寄り道があるようで、
そのうろうろ加減がぼくは結構好きです。
少なくとも誰かに
「いつまで続くんやろ」と書いたメールは
送らないと思います。





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2019年2月26日火曜日

『夏の戻り船 くらまし屋稼業』(今村翔吾)読みました。


ぼくは昔、映画学校に通っていて
その1年のとき短編映画の
製作実習がありました。

進め方は、
→ 学生が一人ずつ脚本を書いてくる
→ その中から良い作品を選ぶ
→ 選ばれた作品をプロの監督のもとで撮る、
という流れでした。

脚本は指定された3本ほどの小説の中から
好きなモノを原作にして、
それぞれ仕上げるてくるようにとの指示でした。

ぼくは確か赤川次郎さんの小説を
ベースとして選んだように記憶しています。

でも、そのままやるのではつまらないから、
もう一つ別の作品とミックスしちゃえば、
いいんではないかと考えたんです。

そこに、ぱっと浮かんだのが、
映画『スティング』でした。

ロバート・レッドフォードと
ポール・ニューマンの
あの格好良い姿が忘れられなかった。

赤川さんのベースの物語は、
(実はよく覚えてないけど)
自殺するとか、殺されちゃうとかが、
クライマックスになっていた。

その盛り上がりはまま使って、
「あーあ、死んじゃった」ってあとに、
いやいや「実は生きてます」としたんです。
『スティング』のオチ通りに。

これ、自分では、なかなかの出来だと
思ったんですけど、みんなには不評でした。
「なんだよお前、パクリじゃん」って。

で、この『夏の戻り船 くらまし屋稼業』。

いろんな名作のいろんな名場面が
てんこ盛りされている感じでした。
そうだよな、
組み合わせるのは1つだけじゃなく、
もっとたくさんにすれば良かったんだ。




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2019年2月21日木曜日

『ナバロンの要塞』(アリステア・マクリーン)読みました。


本は読み終わりエクセルでつけている
読了本リストには、書名と作者名を
入力したけれど、このブログは
まだ書いていない。

そんな本が何冊かたまって、
「早くやっとかないと、
 ストーリーも忘れちゃう」
と焦っているときは、
仕事がドタバタしているとか、
それなりに理由があるもので、
頭の中もかなり
ぐちゃぐちゃ状態なのです。

だから、この文章を書き始めようと
ソフトを起動する前、
血迷った脳内では、
1つ前に仕上げた
『ゲームの王国(下)』についての
文章をまとめていたんです。
頭の中でね。

「よし、あの本を読むきっかけは、
 山本周五郎賞の受賞作だったからって
 出だしにしよう。
 そんでもって、周五郎賞は
 今までほとんどアタリで、
 森見登美彦さんも伊坂幸太郎さんも、
 船戸与一さんだって、この賞で知って
 ほかの作品も読むようになったんだ。
 
 でもでも、ハズレがないこともない。
 それは読んだときの体調とか、好みとか、
 いろいろ理由があるから仕方ない、

 って構成にしよう」と。

でも、ソフトを立ち上げてみると、
『ゲームの王国(下)』のところは、
もう文字が埋まっていたのでした。
自分で書いたのになぜ忘れる!

で、この『ナバロンの要塞』。

なので、何も考えてませんでした。
まあまあだったってことで。




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2019年2月19日火曜日

『ゲームの王国(下)』(小川哲)読みました。


辞書で「じらす」を引くと
〈相手がいらいらするようにさせる。
 いらだたせる。〉
とありました。

ということは、
スネ夫とのび太がいたとして、
スネ夫が意図的に
のび太へ意地悪するのと同じような
意味ですよね。

のび太に
「タケコプター返してよ」と言われて、
「うるせーな、ほらっ」と目の前に出し、
渡すと見せかけて、引っ込める。

それだけで、
のび太が泣きそうな顔すると
「あ、ごめんごめん」と、
も一度差し出し、
おずおずとのび太が受け取ろうとすると、
また引っ込める。

まさしく「じらす」です。

それなら、
スネ夫が意図的じゃない場合は
何て言うんでしょう。

ちゃんと渡そうとしたときに、
突風が吹いてきて落としちゃう、
のび太が受け取る寸前に
ジャイアンが来て奪い取っちゃう。

このときにのび太は「じれる」けど、
スネ夫は「じらす」わけじゃない。
そのスネ夫の行為を表す言葉って
ありますかね。

で、この『ゲームの王国(下)』。

たぶん著者さんは、
読者をじらす意図はないんだと思います。
でもぼくは、結構じれちゃいました。






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2019年2月15日金曜日

『ミスター・メルセデス(上)』(スティーヴン・キング)読みました。


自動車の助手席の前に
小物入れがあるでしょ。

クルマのマニュアルとか車検証とかを
よく入れておく場所です。

あの小物入れの名前って、
みんな知っているんでしょうか。

ぼくは自動車の板金屋さんの
家に生まれ、親父の仕事を
少し手伝っていたこともあるんですが、
それでもその名称を知りませんでした。

もったいぶるのも何なので、
いっちゃうと「グラブコンパートメント」
もしくは「グラブボックス」だそうです。

ネットによると
語源は「手袋入れ」だそうで、
グラブ(グローブ)を入れる箱って
感じでしょうか。

それが語源といわれても「なんでや」と
首をかしげたくなる気もしますが、
パソコンの画面に文句を言っても
何も答えてくれなかったので、
よしとしましょう。

で、この『ミスター・メルセデス(上)』。

出てきたんですグラブコンパートメント。
前回読んだときには(あ、再読なんです)
前後の文脈から、
ぼんやり自分を納得させちゃったんですが、
今回はちゃんと調べました。

ふーん、
知らない言葉ってたくさんあるんだな。
下巻でもそんな言葉見つけます。





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2019年2月13日水曜日

『ゲームの王国(上)』(小川哲)読みました。


高校時代の仲間が集まった会
(メンバーは五十代が大半)で、

当時の恩師(ぼくは直接教わったことは
ないのですが)も来てくれました。
その先生がこんなこと言ってたんです。

「生徒たちと接していると、
 日本語が変わっていくのを
 ライブで実感できるんだよ。
 例えば、きくち君たちの世代は、
 〈大丈夫です〉って言葉を
 〈不要です〉の意味で使わないでしょ。
 
 それが十数年くらい前からかな、
 普通に〈要らない〉を示す単語として
 使うようになった。
 ぐれたヤツとか、内気なヤツとか関係なく、
 みんな同じようにね。
 それが当たり前の日本語になってるんだ。
 面白なって思うよね」

ふむふむ。

確かに、ファミレスとかで
ウェイトレスさんが
コーヒーサーバーを持ちながら客席に来て
「お替わりいかがですか?」とか言ったとき、
少し前までは若者の答えに
違和感を覚えてたわ。

おいおい「大丈夫です」
って違うだろって。

でも、今はコンビニで
レジ袋が不要なおねーちゃんが
「袋、大丈夫でーす」とか言っても、
そのイケイケボディにニヤニヤはしても、
言葉に引っかかることはなくなったわ。

変わっていくんですね。ことば。

で、この『ゲームの王国(上)』。

ありました、ありました。
「大丈夫」。
ウィキペデアによると
著者さんは1986年生まれ。
三十代の前半ですね。
変わっていくんですね。ことば。





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2019年2月7日木曜日

『土 地球最後のナゾ』(藤井一至)読みました。


自分が過去につくった作品を
見返したとき「幼いなあ」と
感じて恥ずかしくなるのは
いいことだと思います。

昔つくったものが
稚拙とわかるほど成長した証拠なので。

ぼくも、過去作に対して、
そんなふうに感じることは
イヤになるほどあります。

でも、それより凹むのが、
変わっていない自分を
目の当たりにすること。

文章でも紙面のデザインでも、
出来上がったときに

「おっ、これはいいんじゃない。
 なんだか新しい境地に
 達した感じがするぞ。
 やるじゃん、ぼく」

なんて思って
鼻がピノキオになりそうなとき、

なぜか本棚にヒジをぶつけて、
転がり落ちた雑誌の
パラリと開いたページに、
昔つくった記事が載っていたりして、

そこに付けられたキャッチコピーや
飾り罫の使い方、写真のレイアウトなどが、
その「やるじゃん、ぼく」作品と
寸分違わず同じだったりする。

もちろん、中身の内容は違うのに…。
いつまでたっても、嗜好は同じで
変えられないってことなんでしょか。

で、この『土 地球最後のナゾ』。

内容も読まずアマゾンの紹介文だけで、
これはオモロイ本のハズだと、
人に推薦しようとした本。

と思ったら、以前、
同じ著者の違う本をすでに薦めてた。
成長のないぼくです。





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2019年2月5日火曜日

『そして夜は甦る』(原尞)読みました。


いつもいっているように、
家は生活する場所だけで手一杯なので、
読んだ本の大半はブックオフに
ドナドナしています。

さらにいつもいっているように、
ホントに気に入った本は、
やむなく本棚に残し、
もう一回読みたくなるときに
備えています。

その〈やむなく残し本〉についても、
気合いの入ったコレクターのように
大切に丁寧に扱うわけじゃなく、
ポンポンポンと放り込んでおくだけなんです。

(とはいえ、実は最近、
 カミさんや娘の本も収納するための
 家族全員兼用の本棚を購入したので、
 ちょっとばかり整理はしたんです
 …著者名ごとに揃えるとかね。
 でも、すぐバラバラすると思います)

ほんで、
自分でもよくわからないのが、
「もう一回読みたくなる」タイミングです。

最後のページをとじた直後に、
最初のページを
めくりたくなっちゃうこともあるし、

読み終えてから何年も忘れていたのに、
ふと思い出すこともある。

同じ著者の最新作が久々に出て、
「そういえば、あの感動をも一度」
とかいって手にすることもある。

で、この『そして夜は甦る』。

半年ほど前、
十何年ぶりの新作を読んだ原尞さんの作品。
新作読んで、「あの感動をもう一度」
ってなもんで、デビュー作を再読しようと
本棚を探ってみると、

……ないんです。

絶対に〈ドナドナ〉じゃなく
〈やむなく残し〉のはずなのに……。
仕方ないので、文庫本をも一度買いました。
もうドナドナはしません。





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2019年1月31日木曜日

『RANK』(真藤順丈)読みました。


この感想文もどきを
読んでる人はたぶん

「あることないこと、
 ちょちょちょいと書いて、
 ただ流してるだけじゃん」

と感じていると思います。

まあ、たしかに大半はその通りで
「ちょちょちょい」って書いてます。

なぜか知らねど、
いつの時期からか(最初からかな)
本の内容を詳しく紹介することは
やめようと思い立ち、

そうなると、
読んだ本にちょっぴりでも関連するネタを
引っ張り込んでこないといけなくなり、

でも、きちんと一冊にまとまって
出版されている書籍の内容よりも
面白いネタなど、のんべんだらり凡々と
人生を送ってきたぼくが
自前で持っているわけはなく、

なので、
トゲもなくスベスベでもない無色透明の
どうでもいい話題を
つらつらと綴ることになり、

つまりは、
「ちょちょちょい」って
流しているんだよな、これが。

でもまあしかし、
そんな流し書きをポリシーにしていても、
たまにはネタにつまることもあるんですわ。

そういうときには、
ネットに載っている他の人の
正当な読書感想文を読んで、
参考にしようかなあと考えます。

そんなネットの海の中に
「その作家が好みかどうか判断するには
 1冊だけじゃなく、せめて2冊は読もう」
って書いてありました。

で、この『RANK』。

好みっていうのとは違うけど
前に読んだ同じ著者の『宝島』が
すごく面白かったので、
ネットのアドバイスに従い、
もう1冊読んでみました。

うーん、やっぱ好みとは違いました。





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2019年1月29日火曜日

『童の神』(今村翔吾)読みました。


恩田陸さんの『蜂蜜と遠雷』のことを
書こうと思って、さっき、
既読本リストでいつ読んだのか
探してみたら、2016年12月でした。

あらら丸2年も過ぎてる。

つい数週間前に読み終わったと
思っていたのに……。
って、
「光陰矢のごとし」について触れようと
思ったわけじゃなく、その本のこと。

というか、その本のとった賞のこと。

『蜂蜜と遠雷』は、
そのときの直木賞を受けた作品でした。

受賞作が発表になる前、
候補の5作品のうち、
ぼくはこの恩田さんの作品と、
森見登美彦さんの『夜行』の2つを
読んでいました。

森見さんの小説は好きで
全部読んでいるから、
その流れでこなしていたんです。

「全部読み」ってことは
世間的にいえばファンといえるでしょう。
でも、その身内びいきみたいな
ハンディを加えたとしても、
『蜂蜜と遠雷』のほうに1票でした。
(もちろん、ぼくが選考委員ではありませんが…。
 そんな冗談を口にするだけでもおこがましいです)
そう、結果は予想通りの順当でしたね。

で、この『童の神』。

今この文章を書いている時点では
発表されていませんが、
この作品も直木賞候補みたいです。
そしてこの前読んだ
森見さんの新作も同じく候補。
蜂蜜のときほど差はないけど、
童に1票かな。





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2019年1月24日木曜日

『熊と踊れ(下)』(アンデシュ・ルースルンド/ステファン・トゥンベリ)読みました。


会話が噛み合わないことって、
ときどきありますよね。

ぼくは自分に都合が悪い話題になると、
勘違いした振りをして、
わざとそうすることがよくあります。

あ、そうだ。
噛み合わないといえば、歯。

上と下の歯がきちんと合わさらないで、
モノがかみ砕けないイメージから、
そんな慣用句が出てきたんだと思うんですが、
今、ぼくの右の奥歯、噛み合ってないんです。

右下の親知らずがなくなっちゃったから。

なので、右の上あごについてる親知らずは、
今まで合わさっていた相手がいない。

少し前まで、
口の中の最奥にある大きな臼歯は
4本とも揃っていました。

でも問題の右下くんは、
虫歯で被せモノをしていたんです。

それが、ピーナッツを食べていたとき
取れちゃいまして、歯医者さんに行くと、
「あ、こりゃもう、抜いちゃいましょう」
ってなり、スッポンと。

だから、現在ぼくの口の中では
右奥が常に噛み合っていない。

もしかしたら、
奥のスペースが空いたからと
前の歯が徐々に移動して
多少は噛み合うようになってるのな。

で、この『熊と踊れ(下)』。

噛み合わない会話が、実におしゃれ。
とはいえ、体言止めの使い方が
ぼくにはちょっと噛み合わなかったけど。





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2019年1月22日火曜日

『四人組がいた。』(高村薫)読みました。


誰だったか忘れたけれど、
「しばらく他の人の作品を
 読まないようにしていた時期があった」
という作家さんがいました。

まだ経験が浅く、自分の文体が
固まっていない時期だったので、
他の作品を読んでしまうと、
その文章に影響されて、
語りの調子が
あっち行ったりこっち行ったりで
ブレブレになっちゃうからだと。

でも、いつくも作品を仕上げて、
もう大丈夫と思えるようになってからは、
ほかの作品を浴びるように
読むようになったとか。

ぼくも、
気持ちいいと思える文章を読むと、
いつの間にやらその文体に感化されて、
そこに出てきた言葉を連発していたり、
一文の長さが今までと違ってきたり、
「えっ、そこじゃなかったでしょ」
って部分に読点を打ってみたりと、
意識的にも無意識にも、
自分の文章を変えちゃったりしています。

だからダメなんだよな、
と思ってはいるんですけどね。
ちゃんと自分の文体を確立しなさいと。

納得できる作文のノウハウ本なんかを
読んだ後は、特にそうなります。

で、この『四人組がいた。』。

さすが高村さん。文体にはブレがないですね。
新しいゆるいジャンルに挑んでも、
文章はいままで通りのかたさのままでした。

で。で、
どうでもいいけど、
タイトルの中に句点「。」がつくと、
やりにくいですね。
入力ミスで余計なキーを押したか、
絵文字を使ったのかって感じになっちゃう。




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2019年1月18日金曜日

『フーガはユーガ』(伊坂幸太郎)読みました。


少し前、ホッジス三部作っていわれる
シリーズの完結編を読んで、
(ちなみにホッジスは主人公の名前。
 書名は『任務の終わり』。
 作者はスティーヴン・キング)

ほとんど忘れかけている
第1部(『ミスター・メルセデス』)を
再読したくなりました。

でも、このシリーズは全部、
単行本で出たとき、すぐに買ったヤツ。

できれば小さいサイズの文庫本で
手軽にひょひょいと持ち歩けるほうがいい。

と思っていたら、
タイミング良くその第1部が文庫化されて、
ありゃりゃ渡りに船だわいと
光速で入手しました。

今、本棚の未読本積ん読スペースに
保管されています。

ほかの読みかけの本が終わってからと、
ウズウズしてはいるのですが、
よくよく考えてみると、
サイズが違うとはいえ
同じ内容の本を2冊も買ってもったいない。

多少重くても我慢して、
最初に買った単行本を再読すれば、
出費は抑えられるでしょと、
自分に言い聞かせたりしています。

それでも、
反対側の肩に乗った悪魔くんは
「数百円で手軽さを得られるんだぞ、
 安いじゃないか」とささやいたり。

で、この『ユーガはフーガ』。

伊坂さんの新刊本。
なので文庫じゃなく、
持ち運びには適さない単行本です。

この本を再読したくなったら、
文庫化されるのを待たないで読むことにします。





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2019年1月16日水曜日

『熱帯』(森見登美彦)読みました。


連作の短編を何本か
文芸雑誌などに掲載して、
それがある程度たまったら、
一冊の単行本にまとめて出版
という形は結構ありますよね。

そのときよく、
単行本用に書き下ろしたものを
最後の1編に加えたりしている。

その1編で物語を締めくくる
という意味があるかもしれないし、

雑誌を読んでいて
「内容は知っているからもういいや」
という読者にも、
新規分があれば買ってもらえるぞ
みたいな商魂があるかもしれない。

いやいや、
そんな目論見はどうでもいいんだけど、
今までぼくが読んできた
そうしたつくりの本では、
その書き下ろしの最後のストーリーに、
つまらないものは、あまりなかったんです。

最終話にいくまでのほとんどの短編が
「そんなもんでいいの?」って感じでも、
最後の話でなんとかしてくれてた。

連載していたとき、
手応えを感じなかったから、
せめて締めくらいは
目一杯力を注ごうとしてるのかもですね。

で、この『熱帯』。

短編集ってわけではなく、
お話は全部つながっているけど、
たしか最初の2章が
雑誌か何かに連載したもののようです。
それが正しいのなら(すみませんあやふやで)
今までの経験から
後半部分が面白くなるハズなんだけど、
ぼく的にはトーンダウンって感じでした。
でも前半は、とてもグッドでした。
今までと逆のパターン。





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2019年1月10日木曜日

『狐花火 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


中学生の頃、
星新一さんのショートショートが
とても好きで貪り読んでいました。

でも小遣いの額には限度がある中学生。
安価な文庫本しか買えません。

モノをため込むことに
あまり興味がなくなった今と違い、
読んだら手元に置いておきたかった
子どもぽっい気持ちがてんこ盛りの中坊です。

最初にその面白さと出会ったときは、
すでに十数冊は出版されていて(たしか新潮文庫)
発行の古い順から月2〜3冊買っていました。

そうすると、
1年足らずで既刊書は全部入手できちゃう。

その後は、
本棚に揃っているヤツを再読しながら、
新しい文庫が出るのを
今か今かと待ち望んでいたんです。

書くより読む方が早いのは当たり前なので、
仕方がないのはわかっていても、
「早く〜」とジリジリしてたのを覚えています。

で、この『狐花火 羽州ぼろ鳶組』。

作者の今村さん、早いです。
どの作品も面白いので、
新刊がでるたび追っかけて
入手しようとしてるんですが、
読むのが追っつかない。
中坊のときとは逆の意味でジリジリしてます。





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2019年1月8日火曜日

『ハロー・ワールド』(藤井太洋)読みました。


送られてくるPDFやWordのファイルを
複数ページがつながった1個のPDFにして
デジタル小冊子のような体裁で配布する
仕事のような趣味のようなことやってます。

それをまとめる手順は次の通り。
〈1〉Wordで送られてくるデータを
   まずPDFにし保存しておく
〈2〉Macの標準ソフト「プレビュー」で、
   表紙から裏表紙までついたおおもとのPDFを開き、
   サムネール表示させておく
〈3〉揃ったPDFをやはりサムネール表示で開き
   おおもとPDFの該当箇所に、サムネール表示内の
   アイコンをドラッグ&ドロップして挿入
〈4〉末尾に自分の書いたPDFを挿入して保存
〈5〉つながったPDFをAcrobatというソフトで開き、
   [ファイル]→[その他形式で保存]→
   [サイズが縮小されたPDF]と選択して
   ファイル名をつけ保存。

書くと長いけど、
やってみればほんの数分で終わる作業。
毎月やっているので、もう慣れたもんです。

なんですが……。
前回は、同じ作業をしたあとで検証してみると
PDF内に貼り込んでいた画像がどうしても表示されない。
もう、あたふたアタフタするだけで
半日もその処理をして、結局原因もわからぬまま
画像表示なしということで目をつぶり、
時間もなかったので、発行してしまいました。ぐすんっ。

で、この『ハロー・ワールド』。

デジタル技術者たちのお話。
その登場人物くらいのスキルがあれば、
あんな不具合、ちょちょいのちょいで直るだろうにな。




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