2018年4月26日木曜日

『金曜日の本』(吉田篤弘)読みました。


子どもの頃から
東京の板橋に住んでいます。

半世紀近く前には、
あちこちに土が見えていたけど、
今は道路脇の植え込み下くらいしか、
あの焦げ茶色を見つけられませんね。

それと、なんだかわからない建物も
たくさんあった。

崖のようになっている急坂の上には、
学校みたいな病院みたいな木造の建物。
廊下に面した窓の奥に、
ごくまれに白衣を着た医者らしき姿が
見えたりする。

でも、人の気配するのはホントにまれで、
ふだんはまったく物音もしないで、
しーんとしている。

ぼくたちは、そこをお化け病院と呼んで、
探検しに行ったりしたもんです。

鍵もかかってなくて、
子どもでも入れちゃったんです。

ほかにもヘンな場所はたくさんあった。

野球場くらいの広さの
空き地にある草ボウボウを
かき分けてたどり着く、お化け煙突。

(「お化け」は、よくわからない物につく
 接頭語のようなモンでした。
 ほかには、お化けほら穴、お化け工場、
 お化け公園などなど)

煙突といっても高さはなく、
2メートルほどのレンガ塀で
四角く囲んであるだけ。

よじ登って、てっぺんから中に入ると、
ゴミやら何やらがうじゃうじゃある。
あれは何だったんだろう。

で、この『金曜日の本』。

そんなこんなのお化け建物群を
思い出させてくれました。
奥付を見ると著者さんは同年代。
そうでしたね、昔は。





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2018年4月24日火曜日

『ヒトごろし』(京極夏彦)読みました。


何かのきっかけで、時々思い出すのが
「完璧な人間なんていないよ」
ってセリフです。

ビリー・ワイルダー監督の映画
『お熱いのがお好き』に出てくる言葉。

正確には違うかもしれないけど
ぼくの中ではこんなシーンとして
記憶されてます。

お金持ちの紳士から求婚されて、
結婚はできないと断ったオネエが、
ぱっとカツラをとって
「だって私、男だから」
ってカミングアウトする。

それに答えて紳士が、
「完璧な人間なんていないよ」と言い、
そんなのは問題にならないと
笑ってくれる。

あれが確かラストシーンでしたよね。
ちゃうかな。

まあ、でも、
そうなんですよね、完璧な人間はいない。

同じように完璧な小説もないだろうし。
あ、完璧な文章もないって
村上春樹さんも何かの作品の冒頭で
言ってたような気がするし。

で、この『ヒトごろし』。

面白いんですよ。
京極さんがイメージしたんだろう
土方歳三キャラにはめ込むため、
ちょっと強引に持っていくトコもあったけど、
それはそれで潔さを感じたし。

とはいえ、
「やっぱ完璧な本ってのはないな」
と思ったのは、この厚さと重さ。
(だって1000ページ超えてます)

持って読んでいたら、
手が疲れちゃってすぐ挫折。
その度に『お熱いのがお好き』のセリフが
頭に浮かんできました。





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2018年4月17日火曜日

『柳家小三治の落語1』(柳家小三治)読みました。


近々読み返してみようかな、
と思っているのが
星新一さんのショートショート群です。

1000作品はあるって
聞いた覚えがあるけど、
たぶんそのほとんどを中学生の頃、
かじりついて読んでました。

それから40年ほどたった今、
もはや中学生の気持ちに
戻ることはないと思いますが、
何を感じるのか、もしくは感じないのか、
試してみたいと密かに企んでいるんです。

企みを達成できた暁には、
この場でまた紹介するってことにして、と。

えーと、
そのショートショート群の中で、
今でも印象に残っているお気に入りの話が
「おーいでてこーい」です。

ネタバレで恐縮ですが、
ストーリーを言っちゃいますね。

何を投げ入れても、
吸い込んで出てこない穴が見つかって、

それりゃいいってんで、
不要なモノを何から何まで
そこに放り込んじゃった。

やがては核のゴミなんて
とんでもないモノまで。

そうして地球がきれいになったある日、
一番最初に穴に投げ入れた小石が、
空から落ちてきた。

で、この『柳家小三治の落語1』。

収録されている演目の中に
「堪忍袋」って噺がありました。

我慢ならないことがあると、
その袋の中に不満をぶちまけ、
すっきりして笑う、ストレス解消袋。
長屋の皆がそこに怒鳴り声を放り込むんです。
やがて袋はパンパンに膨れあがり
ついには破裂してしまう。

「おーいでてこーい」の元ネタ、みーつけた。





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2018年4月12日木曜日

『人生ごっこを楽しみなヨ』(毒蝮三太夫)読みました。


だいぶ前、
NHKの『真剣10代しゃべり場』って番組に
立川談志さんが出演していました。

題名の通り若者たちが討論する内容なんだけど、
談志さんがゲスト的に招かれていたんです。

しばらくは、おじさん一人と若者十人くらいで、
それぞれ意見を述べ合っていたんですが、

そのうち談志さんが、
若いヤツらの理路整然とした論調に
かなわなくなってきて、とうとう

「俺を誰だと思ってるんだ。
 立川談志だぞ」

とか言って、
スタジオから出ていちゃったんです。

びっくりした若者たちは、
控え室に戻った談志さんの所まで行き、
すみませんでしたと頭を下げ、
何とかなだめて収録の場所まで
戻ってもらった。

ぼくはそれを見て
「若者のほうがよっぽど大人じゃん」
とテレビに向かってつぶやいてました。

で、この『人生ごっこを楽しみなヨ』。

もう亡くなった立川談志さんと友だちだった
という毒蝮三太夫さんの本。
あちこちに談志さんの話が出てきて、
そのたび、
しゃべり場の退場シーンを思い出していました。





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2018年4月10日火曜日

『アルテミス(下)」(アンディ・ウィアー)読みました。


前にも書いた覚えがあるけど、
気にせずネタを使い回しします。

と、前置きして……

えーと、たしか永六輔さんが
ラジオか何かで言っていたこと。

過去に経験した悲惨な境遇を語り継ぐため、
あちこちに講演して回っている人の話です。

その人は、元来、口下手だったから、
講演を依頼された一番最初のときは
出来ないと言って断ったんだそうです。

でも、若い世代に伝えるべきだと説得され、
やっと重い腰を上げ、
大勢の前で話す決心をつけた。
(ごめんなさい。
 肝心の話の内容は、「戦争体験」だったのか
 自然災害の「被災体験」だったのか、
 もしくは全然別物か、
 そこら辺は忘れちゃったんです)

んでやっとこさ登壇すると、
もともと弁は立たない上に、緊張も加わって、
あっちつっかえ、こっちつっかえの、
しどろもどろの超訥弁になっちゃった。

が、しかし、ところが。
聞いていた人はみんな感動して
スタンディングオベーション100%的な
反響が返ってくる。

その人は、それを期に
何度も講演をこなすようになり、
場数を踏んで度胸もつき、
話も流暢にできるようになっていき、
著名人の永六輔さんとも
話しをする機会ができた。

そこで、その人が永六輔さんに言ったのが、
「何十何百と講演をした中で、
 一番共感を得られ、理解されたと思えるのは、
 最初の1回目でした。
 話がうまくなるに従って、
 聴く人の気持ちはどんどん離れていくように
 感じるんです」

慣れてない素人状態のほうが、
人を感動させられる……。
なんとなく、わかる気がします。

で、この『アルテミス(下)』。

前作がデビュー作で、これが2作目とのこと。
……面白かったです。
面白かったけど、
「うまくなるに従い、受ける側はダレていく法則」を
思い出してしまいました。





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2018年4月5日木曜日

『石上三登志スクラップブック:日本映画ミステリ劇場』(石上三登志 著/原正弘 編)読みました。


このところ
(と言っても前2回についてですが)
十年以上前に取材した人格者の話とか、
映画学校時代の小ネタなど、
過去のことばかり取り上げている気がします。
なので、今回もそうしようかと…。

まあ、年齢が年齢だけに、
ノスタルジックな気持ちに流れやすい
ということでご勘弁ください。

ですので、
もう30年以上前の映画学校時代のこと。

1年次のクラスの終わり頃、
学級文集みたいなのがつくられました。

(とはいえ、どういうわけか、ぼくは、
 その出来上がりを見た覚えがないんです)

文集制作の中心になって動いていたのが、
原さんという人でした。

出来上がりを見てもいないに、
なぜ原さんが世話役だと覚えているかというと、
ぼくの書いた文集用の原稿を、
原さんに渡した記憶があるからです。

最初に渡した原稿は、
「この1年間、楽しかったです。
 どうもありがとう」
みたいなたった2〜3行でした。

でも、それを受け取って読んだ原さんが、

「お前は、2年で演出ゼミに行くんやろ。
 こんなんだけで済ますんかい」

と、それを突き返してきたんです。

ぼくは「わっ怖っ!」って思いつつ、
「格好いい人やわぁ…」と、
密かに憧れの気持ちを抱いてしまった。

なので、それからうちに帰って、
もうちょい長い文章をゴリゴリ書いたんです。

で、この『石上三登志スクラップブック:日本映画ミステリ劇場』。

企画・編集されたのが、
なんと、その原さんなのでした。

やっぱさすが。やる人はやりますわ。
本のつくりも緻密だし。
あとがきなんかの文章もうまいし。
何より、中身(石上さんの評論)が面白い。

今さらですが原さん、
文集にやる気のない原稿を提出してしまい、
すみませんでした。





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2018年4月3日火曜日

『小説 映画ドラえもん のび太の宝島』(涌井学)読みました。


かなり昔、あの大林宣彦監督に
インタビューしたことがありました。

(何の取材だったのかは忘れてしまい、
 でもそれは確か、きちんと形にはならずに、
 企画自体がお蔵入りしてしまったような
 気がするんです。モノができていたら、
 忘れないと思うから…)

何をテーマに話したのか、
全体の流れも記憶はおぼろげなんですが、
大林さんが言ってくれた一言だけは、
今もクッキリ頭の中に残ってます。

それは、
「ぼくは基本的に口を出さないからね」
ってこと。

取材して書いてくれた文章には、
固有名詞に誤字があるとか数字が違うとかの
事実関係が明らかに間違っている場合を除き、
ダメ出しはしない。

だから安心して書いてほしいって。

大林さんの言ったことをもとにして
書くんだけれど、出来たモノは

「自分の作品じゃなく、あくまでも
 書いた人の作品だからね。
 ぼくが口を出すのは、おかしいから」

それ聞いたときはもう、
全身鳥肌ものでした。
人間の出来が違うなって。

で、この『小説 映画ドラえもん のび太の宝島』。

本のクレジットには
脚本(川村元気)と著者(涌井学)の名前が
並んでいました。

そこで、大林監督のことをふと思い出し、
原案をつくっただろう脚本家は、
文章を仕上げた著者に対し、
基本的なダメ出しはしてないだろうなと
勝手に想像しちゃいました。

まあ、それが成功するときもあれば、
失敗のときもある、と。





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