2021年5月27日木曜日

『ボクはやっと認知症のことがわかった』(長谷川和夫)読みました。


平日限定で1日1つぶやきと決めて
ツイッターをやってます。
もう10年以上続けてて、
その中から夢ネタだけ検索して
4つ拾ってみました。

〈うとうとのふとんの中で
  「今の夢、違う人物になってた」
 と思いました。でも自分じゃないにしては、
 その人の子ども時代からの記憶も、
 周りの細かな人間関係もちゃんとわかってる。
 どんな夢のどんな人物かは忘れちゃったけど、
 ぼくじゃないという不思議感だけ残ってます。
 あれ誰?〉

〈きのう見た夢では、なぜかぼくが刑事さん。
 殺人事件の被害者の遺体の一部だといって
 なぜかコンビーフを小皿に乗せて、
 これまたなぜか霊視ができるって少女の前に置きます。
 すると少女は
 「あなたが捕まえた人は犯人じゃない」と告げる〉

〈本を読んでる夢を見ました。
 なんと2次元の平面夢。
 開いた本が、画面一杯というか目の前一杯というか、
 とにかく映像はそれだけで音もなし。
 不思議だなと思いつつ、文字を目で追ってる〉

〈妙なモテ夢を見ました。
 道ではご婦人方のうっとり視線が数百本も突き刺さり、
 電車では隣の乙女が手を握ってきて、
 会議でお局上司に抱きつかれ
 ……ようやく帰宅し鏡を見ると
 目が一つのぼくが映ってる。
 まるで一つ目小僧か唐傘お化け。
 それ見て「だからモテたんだ」と納得するって夢〉

で、この『ボクはやっと認知症のことがわかった』。

たぶん違うだろうけど、
認知症になるって夢の中を生きているような
感覚なのかなと、思ったり。




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2021年5月25日火曜日

『「文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた』(藤吉豊/小川真理子)読みました。


前回は
「今でこそ」に続く文章を考えていたのに、
その4文字を打ち込んだら突然
ゲシュタルト崩壊が起き、
〈日本語の文法と衰弱した精神についての考察〉
になってしまったので、

すっ飛んでいってしまった思考くんを呼び戻して、
続きをば。

今でこそ、
読んだ本の内容にまったく触れずに、
それをあたかも
感想文のように見せているぼくですが、

もう十年以上も前になる、
この駄文連載を始めた頃は、
どこに感動したとか、
キャラクターの造形がめちゃくちゃで、
そんな人物いるわけないだろう
ってところがとんでもなく面白いとか、
話のつじつまが合っていないから大好きだとか、
そこで紹介している書籍に沿ったこと
書いていたような気がするんです。

で、この
『「文章術のベストセラー100冊」の
  ポイントを1冊にまとめてみた。』。

この本では、1文(「。」で区切る文言)は短く、
目安は60字にしましょうといってました。
なのに上の文は、1つは110字、次は193字の
2文で書いちゃいました。
ちゃんと参考にしなさい、ぼく。




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2021年5月20日木曜日

『「色のふしぎ」と不思議な社会』(川端裕人)読みました。


今でこそ…
って書いたところで、
ゲシュタルト崩壊的なぐちゃぐちゃ感が
頭をよぎりました。

「なんじゃこの言葉」と思えてきたんです。
だって、「今でこそ」ですよ。

「今」はわかります。ナウです。
「で」もなんとなく。
助詞っていうんでしたっけ。
「お店〈で〉買い物する」とか
「小指〈で〉鼻くそほじる」とかですね。

それから「こそ」も、
感覚的にはわかる気がしますが、
学校の国語の授業(だけじゃなく全教科だけど)を
寝て過ごしていたぼくには、
すんなり書き表すのが難しかったんで、
パソコン辞書に「こそ」と打ち込んでみたら
「文中、種々の語に付いて、それを取りたてて、
 強く指示する意を表す」と、
わかったような煙に巻かれたような説明が出てきました。
この辞書書いた人も若かりし日の睡眠不足を
授業で補っていたのでしょうか。
いや、そんなことはない。
辞書の文章書いてるほど、偉い人なんですから。

あ!そうか。
「今でこそ」の4文字全部を
辞書の検索窓に入れてみりゃいいんだ。
うほほほ出てきた。
「現在と過去の状態に差があるさま」だそうです。

で、この『「色のふしぎ」と不思議な社会』。

またやっちゃいました。
本の内容とは1ミリも関係ないことで
スペース埋めちゃいました。
本はそれなりに勉強になりました。




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2021年5月18日火曜日

『おかしなことを聞くね』(ローレンス・ブロック)読みました。


去年の暮れごろだったと思います。
ここにも書いたんですが、島田荘司さんの
『占星術殺人事件』を読んだときのこと。

初めてページをめくる本だと思っていたのに、
真ん中くらいでなんとなく既視感を覚え、

でも謎解きの結末なんかはぜんぜん覚えてなくて、
読み終えて「やっぱり初見の本だ」と
自分に言い聞かせつつ、
読書記録を検索してみると、
約10年前に読んでいた。

そうそう、
この前に書いた『夏、19歳の肖像』も
同じ島田荘司さんの本ですが、そのあとがきにも、
それと似たようなことが載ってました。

ぼくの読んだ『夏、19歳〜』は改訂版。
何十年もたってから書き直したもので、
修整作業の前に島田さんがまず読み直したときには
内容をすっかり忘れていて、作者でありながら、
ほかの人の作品を「読書」しているような感じだったと。

島田さんのような大作家で、
しかも自分の作品なのに忘れるんだから、
ぼくのようなポンコツ記憶力の人が、
一度目を通しただけの作品を覚えてないのは
当たり前ですよね。

で、この『おかしなこと聞くね』。

ところがどっこい、覚えていたんです。
この本、短編集で、
最後に少し長めのお話が収録されてて、
その最初のページの数行過ぎただけで
「あ、これ読んだ」ってわかりました。
他の短編集に載ってたんです。

何度読んでもおもろかったです。




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2021年5月13日木曜日

『夏、19歳の肖像』(島田荘司)読みました。


20代の頃だったから、
もう30年近くも前になりますが、
「石を投げればファミリアに当たる」
と誰かが言ってたくらい、
あの少し小さな乗用車が
流行った時期がありました。
色はみんな赤。

今はクルマ自体、
若者の興味の対象にはならないけど、
あの頃は、ネットもないし、スマホもないし、
ドライブがかっちょいいって
みんなが思っていたんですよね。

ぼくは自動車板金屋の息子で、
いつもクルマが周りにあったからなのか
(といっても壊れて修理するヤツばかりだけど)
車種なんかはどうでもよくて、
家の軽トラで満足してました。

でも、友だちのあの君、この君、その君は、
バイトで稼いだお金を根こそぎつぎ込んだり、
親のすねを削ってきたりして、
赤のファミリアを手に入れてたんです。

へんてこなデザインのクルマじゃないし、
流行に乗るのもそれなりにいいんじゃない、
なんて思っていたんですが、中には
「あのクルマの良さがまったくわからん」
と、その石を投げれば当たるクルマを見るたび
ぷんぷんしているヤツもいました。

人の好みって、今あちこちでいわれてる
多様性そのものだなって、思うんです。

で、この『夏、19歳の肖像』。

多くの人がいい本だと言ってます。
そうじゃない人がいても、
多様性を認めることにしてくださいね。




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2021年5月11日火曜日

『東海道中膝栗毛(下)』(十返舎一九)読みました。


困ったときのランニング通勤ネタ。
もううんざりという声も聞かれますが、
またやっちゃいます。

ぼくは走って会社に通っているんですが、
ゴールは会社じゃなくジムです。

一つ隣のターミナル駅近くにある
プール付きの大きな施設。

そこで走行後のシャワーを浴びてから、
バスに乗って会社へ向かう。

んでそのジム、今年の4月から、
休館日が増えちゃったんです。
(緊急事態とは別の定期休館日)

今までは10日と26日の月2回だったのが、
毎週火曜日お休みのシステムに変更されました。

今まで休館日は、走りもお休みにしてて、それは
「決して怠けているわけじゃないよ、
 だってシャワー出来ないから仕方ないじゃん」
と自分に言い訳できるレベルでした。
月2回なら。

でも、週1となると、
その言い訳も効力が薄くなります。

だって、ジム会員にはオプションがついてて、
会社のすぐ隣りにある
24時間営業の簡易ジム(簡易シャワーあり)が
使えるからです。
「簡易だってシャワー使えるんだから、
 それ利用しなさいよ、週1なんだから」
と、ぼくの中にいるストイックくんが、
どなるんですもの。

で、この『東海道中膝栗毛(下)』。

なので、今日は簡易シャワーで済ませました。
あ、感想書くの忘れた。





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2021年5月7日金曜日

『獣たちの墓』(ローレンス・ブロック)読みました。


少し前、何人かの作家で
ブロンテの『嵐が丘』を読み、
作品について語り合うという企画を、
どっかの雑誌かなんかでやっていました。

その語り合い本番の記事は読んでないのですが、
SNS(じゃなく予告記事とかかもしれません)で、
メンバーのひとりの森見登美彦さんが、
こんなことつぶやいていたんです。

同じく参加者の万城目学さんから、
「(今必死に『嵐が丘』を読み進めている途中だけど)
 この小間使いの話、いつまで続くんや」
って連絡が来て、苦笑したと。

ぼくも『嵐が丘』は確か読んだような気がしますが、
内容は砂粒ほども覚えていないので、
未読といっていいでしょう。

でも、万城目さんのコメントの意味するところは、
なんだかよくわかります。

思えば、ドストエフスキーとかバルザックとか、
そうそう『風と共に去りぬ』なんかも、読んでいて
「おいおい、この背景説明って、
 このセリフの掛け合いって、
 このエピソードって、
 あと何ページ目を通せば終わって、
 次の展開になるんだ」
と思ったことか。

あ、そういえば、
スティーヴン・キングさんの作品にも
そんなのたくさんありますね。

で、この『獣たちの墓』。

話が進まない会話のやりとりでも、
もうそのままでいいからずっと続けちゃって、
と思わず口走っていました。





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