2021年10月28日木曜日

『海馬を求めて潜水を』(ヒルデ&イルヴァ・オストビー)読みました。


さっき、ネット経由で使う外部のデータ保存サービス
(何と呼ぶのかよくわからず、ググったら
 「オンラインストレージ」っていうらしいです)
にアクセスしたら、どこかに不具合があるらしく、
うまくつながらないので、チトあせりました。

それは無料で使えるやつだから、
絶対になくしたくない大切なデータなんかは
保存しないんですが、ちょっとした資料とか、
もう使わないだろう昔つくった作品なんかは
置いておくんです。

だから例によって、使わないと思うものに限って、
たびたび必要になる。

必要頻度が下がり、もういいかと思って、
そのオンラインなんちゃらにコピーして
自分のパソコンから削除すると
「やっぱ要るわ」ってことになる。

ほんでもって、
「要るわ」ってときに、つながらない。

メールの送受信とか
ブラウザでのエッチサイトの閲覧なんかは
問題なくできるから、
ネットワークに支障があるわけじゃない
と思うんだけど、素人のぼくにはさっぱりわからず、

オンラインなんちゃらの会社サイトにも
不具合報告とかは出ていない。

あきらめて、そのデータなしで何とか用事をこなして、
「あ、そういえば」となにげに思い出し、
アクセスすると問題なくつながるんですわ。
例によって。

で、この『海馬を求めて潜水を』。

ドラマとかに出てくる記憶喪失の話に
「全部忘れてるのに、なぜ言葉は覚えてて話せるんだ?」
と昔から疑問でした。その謎がこの本読んでとけました。
たとえていえば、忘れた記憶は
つながらないオンラインなんちゃらに保存してあって、
「つながらない=記憶喪失」で、
忘れてない話し言葉は
自分のパソコンなりのつながる場所に保管してるから
すぐ使えるってことですね。ということだろう、たぶん。




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2021年10月21日木曜日

『砕かれた街(上)』(ローレンス・ブロック)読みました。


ハードカバーの単行本なんかにはないのに、
ほとんどの文庫本には、
あとがきとか解説とか本文以外の付属が
あるんですよね。なんでだろう。

まあ、大きな本より小さいやつのほうが
重くなくて持っている手が疲れないから好きだし、
それに付属のおまけがついているって
お得感も加わるのだから
決して文句があるわけじゃないけども。
大きな本に付属部分が追加されたら、
余計に重たくなっちゃうし。

そのおまけの文章、確か前にも言いましたが、
本文に入る前に、はじめに読んじゃうんです。

本文の最後のページを閉じたら、
「はい、終わり」にしたいから。
おまけといっても、
目を通さないまま本棚にしまったり、
ブックオフに持っていったりしたら、
かわいそうな気がするので。

好きなモノは最後に食べる、
みたいな感じでしょうか。違うか。

で、この『砕かれた街(上)』。

上巻の読了。解説やらなんやらは、
下巻の後ろについていたので、
ここにはありませんでした。




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2021年10月19日火曜日

『盲目の予言者』(ローレンス・ブロック)読みました。


アマゾンとかの
読者レビューについている★の評価って、
人の心理状態を分析するような人に言わせると、
満点になることも最低になることもないんだと、
どっかで聞きました。
(ここでいうのは、それなりに売れている本で、
 たくさんの人がレビューを書き
 評価している場合です。
 1人が5つ星つけて、他の評価はなく
 それだけだったら、満点は当たり前なので)

評価欄に5つ星ばかり並んでいると、
必ずへそ曲がりな人が出てきて、
「自分はそうじゃない」と主張し、
本心とは違う1つ星をつける。
そこまで極端じゃなくても
1つか2つ評価を下げちゃう。

その逆も同じで、
1つ星ばっかりの酷評だと
「みんなわかってねーな」みたいな
あまのじゃくの人がたくさん星をつけたりする。

ぼくはそういうトコで評価した経験はないけど、
へそ曲がりな性格は自覚しているので、
やっぱりみんなと違う点数を
(自分の本音と少し食い違っていても)
つけるだろうなと思ったり、思わなかったり。

で、この『盲目の予言者』。

うん、これは3つ星だなと思いきや、
アマゾンにあった1つ星を見たら、
「そんなはずない4つ星だ」となりました。




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2021年10月14日木曜日

『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ)読みました。


数人の仲間で寄稿し合って
雑誌みたいに1つにまとめて
これまた仲間うちで回し読みする
いわゆる、まあ同人誌みたいなものに
もう30年ほど参加させてもらっています。

ぼくという人間らしき生き物が
57年続いているのも驚きですが、
仲間うちの媒体がそんなにも長期間、
継続発行されてるのは、
単なる驚きだけじゃなく、畏敬すら感じます。

でもね。
ぼくには、あのことわざ「継続は力なり」を、
はっきり感じられるときがないんです。

ぼくにとって30年ほどは
「継続」にならないんでしょうか。
そんなこといったら57年もの期間、
人間らしき生き物を続けている「継続」は、
いったいどんな「力なり」に
なってくれているのか皆目わかりません。

いやいや、ちょっと待って…。
そういえば、仕事とかブログとか、
何らかの文章をつくっているときに、
「この言い回し、初めて使った」
と思えるときがあるな。
それって、もしかしたら、
30年の寄稿修業のお陰かなのかも。

で、この『時間は存在しない』。

あと10回くらい読み返さないと、
ぼくには理解できないことが1回読んでわかりました。
これもどっかで「力なり」に
なってくれることを願っています。




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2021年10月12日火曜日

『快盗タナーは眠らない』(ローレンス・ブロック)読みました。


本や雑誌、新聞なんかの記事を
仕事でつくるとき、参考にするのは、
それなりに信用がおけるトコが
出している情報です。

国の機関が出している報道発表とか白書とか。

特に数字や固有名詞なんかの
正しいものと間違いとが
はっきり区別できるものは、
決して個人のブログなんかから
引用したりはしません。

だってこのブログを情報源に、
一般向けの記事つくったら
間違いだらけは目に見えてるし、
自分が信用できないんだから、
ほかの人が個人でやっていることも
信じちゃいけない。

だから
ウィキペディアに載っている内容も使いません。

個人的な疑問を解消するため
ちょこっとのぞいたりはしますけどね。

まずは官公庁のサイトで探して、
並行して辞書のサイトも検索する。

よくお世話になっているのが
「コトバンク」ってサイトです。
それなりに権威ある出版社の辞書を引けるから。

とはいえ、そこにも
間違い見つけちゃったんですよね、今回。

で、この『快盗タナーは眠らない』。

「コトバンク」内「デジタル大辞泉プラス」では、
『怪盗タナーは眠らない』となってました。
「怪盗」じゃなく「快盗」なんですけど……。
すべてを丸飲みで信用してはダメってことかな。




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2021年10月7日木曜日

『聖なる酒場の挽歌』(ローレンス・ブロック)読みました。


人と人とのコミュニケーションについて
誰かがこんなこと言ってました。
(例によって誰の発言かは覚えてません)

「人間に社会性は必須なので、
 他人と触れ合う機会がなくなると、
 死んじゃうんです」

コロナでいろんなこと自粛しなさいと
要請されてるけど、それが行き過ぎると、
別のところでひどい問題が出てくるよ
という意見の中の一部だったと思います。

それはまあわかることはわかるんですけど、
どこかに「本当かなあ?」と
疑問がわいてくる脳みその1区画が、
ぼくの頭の中にあるんです。

誰一人いなくなった、
まったくぼく一人だけの世界で
暮らしてみたいと考えたりするときがあるから。

寂しいでしょうね、そんなとこ。
もしそんな世界に本当に放り込まれたら、
誰だが覚えてない人が言ったように、
頭がおかしくなって
すぐに死んじゃうかもしれない。

でも、しぶとく生き残って
のほほんと過ごしているかもしれない。

一人で山にこもって修業するお坊さんは、
幽霊でもいいから出てきて
話し相手になってほしいって
気持ちになると聞いたけど、
幽霊は怖いし。
それならのほほんってしてるほうが
いいかもしれないし。

で、この『聖なる酒場の挽歌』。

一人暮らしの探偵は、
友だちと散々飲んだあと、家に帰るけど、
やっぱり帰るのがいやで、
行きつけの店に足を向ける。
寂しいんですよね。
それもわかるから、困っちゃうんです。




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2021年10月5日火曜日

『ヒトコブラクダ層ぜっと(下)』(万城目学)読みました。


マラソンをしている友だちは、
走っている途中で
常にペースを考えていると言ってました。

でも毎朝6キロの道のりを
走って会社に行くぼくは、
ペースのことなど考える余裕はありません。

へろへろの足どりで、
「よし4分の1まで来た」
「あ、あと半分」
「もうちょい、3分の2は過ぎた」
「あと1キロもない」
「ゴール見えた、もうちょい」と、
走り終えることしか頭にありません。

始めはのろのろペースで体力を温存し、
徐々にスピードを上げて
走り切るのがいいんでしょうが、
もう十年もランニング通勤しているのに、
のろのろとアップペースの
区別ができないんです。

のろのろ走っているつもりでも、きつくて、
速度上げれば、さらにきつい。

ひょっとしてある程度継続すれば、
友だちのいうように
ペース管理もできるようになるかと
思っていたんですが、
十年でもまだ足りないようです。
とはいえ、最後の10メートルだけは、
力を振り絞ってダッシュしてるんですけどね。

で、この『ヒトコブラクダ層ぜっと(下)』。

上巻は猛ダッシュの疾走感で5つ星をつけました。
その分、スタミナが続かなくなった
ような気がする下巻は星1つ減っちゃいました。
もしペース配分が逆に感じていたら、
たぶん上下巻ともに星5つだったと思います。




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