2024年4月25日木曜日

『結晶世界』(J・G・バラード)読みました。


この感想文もどきの記録とは別に、
読んだ本のタイトルや作者名だけを
エクセルに入力して一覧のリストにしてます。
年ごと読了順に並べているので、
過去を振り返るのに便利なので。

ちょっと前、
そのエクセルリストに書名を追加しているとき、
ふと前の行にあるタイトルが目に入り、
そういや2、3日前にその本読み終えたな、
と思ったはいいけれど、
内容がまったく頭に浮かんでこない。

そりゃまあ、記憶力がポンコツなのは
生まれつきだとわかっているので、
思い出せないからといって、
落ち込むとか、年とったと嘆くとか、
なんて気持ちは起きないんだけど、

もう少しストーリーのかけらでもいいから
胸中に残っていれば、
自分が文章つくるときの参考になるかもしれないし、

ネタがないと常々ぼやいている状況も、
その物語からイメージされる発想がわいて
改善されるかもしれないじゃないか、と気づきました。

とはいえ生来の能力を
いきなりアップできるはずはなく、
まあ、とりあえず、一旦本を閉じたら、
そのまま次に手を伸ばすのではなく、
最初からプロットに従ってあらすじを追い、
頭の中でエンディングまで振り返るってこと
やってみたんです。

で、この『結晶世界』。

実は読み終えてから4、5日たってます。
上記「振り返り作業」の効果なのか、
内容は結構覚えてます。
それを何かに役立てられるような気がしてこないのが、
想定外ですが。


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2024年4月23日火曜日

『剣客商売七 隠れ蓑』(池波正太郎)読みました。


自主映画をつくっていた頃だったか、
学校で脚本の書き方を習っていた頃だったか、
互いのつくってきた作品を評価し合う場がありました。

そのとき、がぼくの書いてきたストーリーに対して
誰かが「これは御都合主義だよ」と言いました。

事件の真相がつかめずムシャクシャして
思わず道端の小石を蹴ったら、
通りすがりのおじいさんに当たってしまい、
どうもすみませんと介抱しているうち、
その老人が事件を目撃していたことがわかり、
めでたく解決につながる、

みたいな話だから
その誰かの指摘はど真ん中の正論なんですが、
当時のぼくは(というか少し前までのぼくも)
彼の言った「御都合主義」の意味がよくわからず、

なんか難しい言葉使って
ケムに巻こうとしているだけだろう

くらに思い、それほど気に留めなかったようです。
そんなことをなぜか今、思い出して、
そのなんちゃら主義とやらを辞書で引いてみると

「一定の方針や定見を持たず、
 その場その場の状況に合わせて行動する
 無節操なやり方をさげすんでいう語」

とあって、わかったようなわらんような
当時と同じ気持ちになり、

ま、ついでにとウィキペディアに行ったら、
もう1つ意味が載ってて

「(こそから転じて)ストーリーの進行に
 都合のよいように作られた強引もしくは安直な
 設定・展開のこと」

とありました。あ、なるほどね。

で、この『剣客商売七 隠れ蓑』。

その主義がチラつく箇所もあるように思えましたが、
それでも面白んだから、逆にすんごい。


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2024年4月16日火曜日

『文系のためのめっちゃやさしい対数』(山本昌宏 監修)読みました。


たぶんアメリカのコメディ映画の
1シーンだったと思います。

ニセモノの先生が、授業時間に教室で、
生徒たちと一緒になってバカ騒ぎしてて、

そこに突然、校長先生が見回りにくる。

慌てたニセ先生は、
すかさずチョークをつかんで、
黒板にすばやく数式を書き込み、
真面目な授業のふりをする。

そこに記したのが「E=mc2」
(2は上付きの小さい字で二乗のこと)
だったんです。

ごっつセンスいいなと感心したのを覚えています。
(なんの映画だったかは忘れてるけど)

ありゃりゃ、
アインシュタインの数式をネタにしようと思ったら、
映画のこと思い出して
こんなに文字埋めちゃいました。

まあとにかく、この式は、
エネルギーってのは、
質量╳光の速さ╳光の速さと
同じになるってことらしい。

でも、
エネルギーと質量(ちなみにぼくの体重は約73キロ)と
光の速さって、どうやったら結びつくんでしょうか。

月とスッポンが結びついて、
なんで比較を示す比喩表現になったのかわからないくらい、
わからないんです。

で、この『文系のためのめちゃめちゃやさしい対数』。

ここにも「なぜそんな結びつき?」が
たくさん出てきました。


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2024年4月11日木曜日

『シャーロック・ホームズの凱旋』(森見登美彦)読みました。


社交性には乏しいと自覚しているので、
そもそも飲み会などにはそれほど誘われず、
あっても年に2、3回くらいなのですが、

コロナの3年を経て、さらにその間隔が伸びていき、
ようやくそんな宴席に参加すると、

そうした顔ぶれとは
もうだいぶ会ってなかったと懐かしく、
たがいの老け顔をおちょくり合う場面ばかりに
なってるような気がします。

会わずにいる時間があくと、
容姿ばかりでなく、性格というか、
中身というか、考え方というか、
そんな部分も変わってくる仲間は結構いる。

そういう席には我れ先に駆けつけ、
誰よりも大量にアルコールを摂取し、
店に入ったときには
「えっ、あの騒がしい若者グループの隣の席かよ」
としぶしぶ席についた15分後には、
その若者グループからのクレームできたと思われる
責任者らしき店の人から
「すみません、周りのお客様もいらっしゃるので、
 もう少し声のボリュームを下げてもらえませんか」
と常に名指しされ、
電車のある時間に姿を消したことはなく、
いつも日が出て街が動き出した中を
よれよれの足取りで帰って行った、あのヤンチャくんも
「ごめん、明日仕事なんだよ」
と二次会の誘いを断って、
終電までまだ何時間もある宵の口に
去っていったりしてます。
変わっていくもんです人は。

で、この『シャーロック・ホームズの凱旋』。

著者の森見さんの本は
デビュー作からずっと読んできました。
やっぱ、変わっていくもんだなと思いました。

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2024年4月9日火曜日

『寺田寅彦随筆集 第三巻』(寺田寅彦)読みました。


通っていた映画学校では、
併設されていた立派な劇場で
古今の名作を観る洋画鑑賞という授業がありました。
講師は同年代の人なら誰もが知っているだろう
映画評論家の淀川長治さん。

その授業のあれこれ
(フィルムの手配から映写技師の仕事、
 さらには淀川さん送迎車の運転まで)
を全部担当してくれていた教務課の先生は

「俺なんか『ベニスに死す』を
 何度観たかわからんよ」

と言ってました。
淀川さんはあの映画お気に入りだったんです。

その授業(講演?)の中で、
来日したチャップリンの話を聞いた覚えがあります。

今風にいえばアポ無しの突撃訪問をし、
あなたの映画が死ぬほど好きで、
大ファンで、超尊敬してるみたいなことを
つなたい英語でまくし立てて頼み込んだ結果、

そんな無礼なやつでも笑顔で受け入れてくれて、
滞在先のスイートルームで長時間話をしてくれたとか。

で、この『寺田寅彦随筆集 第三巻』。

以前の第二巻のとき
100年以上前に書かれた文もあるといって
古典のように紹介したけど、
この第三巻にはチャプリン来日の話題も入っていました。
それって淀川さんを通じた地続きの体験であり
「うわー、古典とぼく、つながってるじゃん」
とびっくり。

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2024年4月4日木曜日

『第五の季節』(N・K・ジェミシン)読みました。


なぜかわからないけどニヤニヤしてきたり、
カズオ・イシグロさんの作品みたいに
ノーベル賞もらえるほどの一流文学なのに、
ふふふってほほが緩むエピソードが
あちこちに置かれていたり、
とにかく笑いに近いものが入っている
物語が好きです。

前にもいったけど、
一冊の本を読み始めるとき、
まず目を通すのは目次、まえがき、
あとがき、解説などのいわゆる付き物で、
本文はそれらが済んでから取りかかります。

そうじゃないと、
せっかく中身を読み終えたのに、
いやいやまだ残っているじゃん状態になるから。

毎朝やっているランニング通勤で、
ゴールにしているジム(シャワーを浴びるため)が
休館日であること忘れてて、
へろへろになりながらそこまでたどり着いて
「あっ休みだ!」と気がつき、
仕方なしにゴールを変更して
走って会社へ向かうような、
終わったつもりなのに
終わりじゃないじゃん状態を避けたいから。

おっと、
それはどうでもいいんだけど、
言いたかったのは、
最初に解説とかあとがきとか読むと、
「おっこれは笑える要素が期待できる」
などと先入観を持っちゃうこと。

そこにネタバレなんかがあるぶんには、
読んでいるうちに忘れちゃうからいいんですが、
先入観ってのは、
どういうわけか頭の中から離れない。

だから、
第1章が過ぎてニヤニヤがなくても、
いやこれからだと諦められず、
2章3章と進み、あれもしかして?
と思っているうちに最終ページに至るってこと
よくあります。

で、この『第五の季節』。

そのパターンでした。

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2024年4月2日火曜日

『剣客商売六 新妻』(池波正太郎)読みました。


作家を長くやって歳をとってくると
短編を書く気力がなくなってきて、
つくるものが長編にかたよってくるんだ
と言ってたのは誰だったかな…。

年齢とともに体力が衰えてきて、
それが創作活動に影響するんだったら、
長い作品こそ執筆していくのは大変で、
かかる時間だけ考えたら
すぐに終わらせられるだろう短編のほうが
すんなりこなせると思いきや、
そうじゃないらしい。

まあ人によって違うんでしょうけれど。

書き上げた原稿の枚数が同じだとすれば、
短編には1つ1つ違うアイデアを
盛り込んで仕上げないとだめだけど、
長編なら1つのアイデアから派生したものを
つなげて形にしていくのだろうから、
ひらめきの数からいえば
長いもののほうが少なくて済むってことでしょうか。

で、この『剣客商売六 新妻』。

じゃあこんな面白い連作短編は
どんな位置付けになるのかしら。

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