2018年11月1日木曜日

『半七捕物帳(6)』(岡本綺堂)読みました。


本を読み終わったら、
エクセルでつくっている読了本リストに
タイトルと著者名を入力して、
一覧にしています。

で、最近のエクセルは
最初の何文字かを入力すると、
以前のテキストと同じなら
チップ表示して変換の候補を
あげてくれますよね。

この本もリストに入れておこうと思い
「半七捕物帳」まで入力してみたんです。

したら「半七捕物帳(1)」から
「半七捕物帳(4)」までは表示された。
……おや?

今回読み終わったのは『半七捕物帳(6)』です。

順番に読んでいるから、
当然(5)までは読み終わっている。

だからエクセルのチップ表示も
(1)から(5)までは
出なくちゃいけないハズ。

なぜに
(4)までしか出ないで(5)がないのか。

エクセルちゃん、また不具合?

なんて疑ったけど、
やっぱマイクロソフトは間違っちゃいませんでした。

(5)を読んだのに、ぼくが入力するのを忘れてた。

んでもって、
この感想文もどきも書くのを忘れてた。
そういうの他にもまだあるのかな。

今年読んだ本はリストによれば76冊だけど、
もうちょい多そうです。





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2018年10月30日火曜日

『春はまだか くらまし屋稼業』(今村翔吾)読みました。


モノをつくった人の思いと、
そのつくられたモノを
使うなり鑑賞するなりした人の気持ちは、
食い違うのが当然です。

原稿を書くとか紙面を構成するとかいう
ぼくらの仕事でいえば、
「素晴らしい原稿です」なんて感想を
多くもらうときに限って、
「ああ、やっつけで仕事しちゃったな」
などと思っていたりする。

もちろん、その逆もあって
「今回は少し、時間がなかったですかね。
 仕方ないですよね」なんて慰め混じりに
原稿の不出来を指摘されたりするときには、
往々にして
「何日も徹夜して、うんうん唸りながら、
 目一杯の力を出し切った」と
いつになく満足な仕上がりだったと
思っていたり。

つくる人と読む人は同じじゃないんだから、
食い違うのは当たり前。

どちらが正しいのか間違っているのか
という問題じゃないんだけれども、
どっちかといえば、
できたモノを受け取った側が
(書籍で言えば読者側)
正しいと思うんですよ、
読者様は神様だと思うんですよ、
ぼくなんかは。

で、この『春はまだか くらまし屋稼業』。

えいやー!とー!
みたいな掛け声を出しながら、
超速でつくり上げた作品なんじゃないかな
って感じました。
間違っているかもしれないけど、
ぼくは一応、今回は読者の側ですから。





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2018年10月25日木曜日

『ある世捨て人の物語』(マイケル・フィンケル)読みました。


「宇宙人に会ったら
 どんな質問をしますか」
だったか、
「神様に聞きたいことを
 3つあげてください」
だったか、もしくは
「数千万年後の未来人に
 聞きたいことは何?」
だったか、
はっきりとは覚えていないのですが、
そんな感じの問いかけに対し、

「あなたは孤独なんですか?」か
「孤独に耐えられる方法を教えてください」か
「孤独は排除できますか?」とかいう答えを
した人がいました。

有名人に「こんな質問をしました」みたいな
雑誌の企画だったのかなあ。

とにかくはっきりとは覚えていないので、
こんなにだらだらと書いちゃいました。

ま、言いたかったのは、
その答えが、
ぼくにはとても変に思えたってことです。

「なんで、そんなに孤独を嫌がるんだろう」
と思ったんです。

よくよく考えるとこれまでの人生で、
本当にたった1人だけになり、
長い間その状態が続いていたことはない。

だからなんでしょうか。
孤独って、憧れのようなものでこそあれ、
排除したいとか、耐えきれないとか、
そんな否定的なものじゃない気がしてて。

で、この『ある世捨て人の物語』。

面白かったです。
ぼくが思う孤独って、
まったく次元の低いものだったようです。





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2018年10月23日火曜日

『嫌いになれない害虫図鑑』(有吉立)読みました。


自宅のマンションは、
新築から住み始めてもう十数年たちます。

それでも、
今までGくんが出現したのは2回ほど。
とはいえつい最近の2回目は、
ベランダのサッシを開けたとき、
窓枠の隅にいたのを見つけたカミさんが
大声を出したら、
とっさに外に飛び出していったので、
室内の滞在時間はほんの数秒でした。

運がいいのか、
新築だったからかわかりませんが、
頻繁に出て来ないので、
とてもありがたく思っています。

それでも、1回目のときは、
どれくらいの期間、
同居していたのかはわかりません。

テレビの上の白い壁の端っこに、
すでにもう、いたんです。
娘2人とカミさん、ぼくの
4人家族が勢揃いしているときでした。

発見したのは娘。
「うわっ、うわっ、うわっ」と
おびえ声を上げたと思ったら、
もう一人の娘とカミさんは、
すぐ彼の存在に気づき、
3人同時にリビングから飛び出していきました。

廊下につながるドアを閉め、その向こうから、

「パパー!なんとかして」

と叫んでいるんです。
ぼくがドアを開けようとしても、
向こうから押さえている模様。

ぼくとGくんは2人きりになりました。

うわーこわいよー。
でもこういうのを処理するのは父親の役目。
恐る恐る新聞紙を十数枚重ねた即席の武器で
ぼくは勇敢に戦い、5センチほどの敵を倒しました。

で、この『嫌いになれない害虫図鑑』。

「嫌いになれない」という悟りを開けるかなあ
と思い読んでみました。
うーん、まだまだ。
そんな心境に至るには、
この本1冊では足りないようです。
面白かったですけどね。






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2018年10月18日木曜日

『活版印刷三日月堂 雲の日記帳』(ほしおさなえ)読みました。


不治の病にかかったうら若き乙女との
病床でのお別れの場面だとか、

愛し合う恋人同士が対立する親に
引き離されてしまうシーンだとか、

友を助けるために満身創痍になりながらも
約束の地に走って向かうメロス君だとか、

そういうお話だったら、
泣いてもいいと思います。

物語の作者は、
読者を泣かせようと考えて
ストーリーを組み立てているんだろうから。

だけど、
へそ曲がりのぼくは、
そういう予定調和のように組まれている
泣かせどころには、どうも反応が鈍いようです。

お話をつくった人の思い通りに、
泣いたり笑ったりしていけば、
小説なり映画なりは、もっと楽しめるだろうに、
やっぱりおへその曲がり方が普通じゃなくて、
変形カーブを通るときに、
曲がりきれずに泣きの感情が
どこかに飛んでいってしまうのでしょう。

なんですが。
たぶん作者もほかの読者も視聴者も、
「え?なんでソコ」ってときに、
ぼくの涙腺はゆるみます。

字数が多くなちゃったので、
ひとつだけ、今思いついた例を挙げると、

子どもたちが1日中くたくたになるまで
鬼ごっことかで遊び回り、
日が暮れかけてそれぞれの家に帰るとき
「またねー」と言う。
そのセリフに泣いたりします。

で、この『活版印刷三日月堂 雲の日記帳』。

こことか、あそことか、
あちこちの場面で泣いちゃいました。
たぶんみんなが泣かないとこ。





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2018年10月16日火曜日

『宝島』(真藤順丈)読みました。


同じ作家さんの作品を
他にも読もうかなと思って、
ネットで探したところ、
「この本は面白くない」的なことが
書かれているページを見つけました。
(この『宝島』のことじゃないですよ。
 他の本についてのレビューです)

その感想ページは、冒頭に、
「ボクロソなことを記していくので
 覚悟して読んでください」
みたいな宣言があって、
突っ込みどころをいくつもあげて、
その本がいかに面白くないかを
とうとうと語っているようです。

本にしろ他のどんなものにしろ、
否定的な内容の文章を読むと、
脳みその表面にじんましんが
出てくるような気がするぼくは、
きちんと目は通さず、
速めのスクロールで、
そのページの下部までグリグリと移動させ、
締めの文章だけ読んでおくことにしました。

そこにはやはり、けなし文句があり、
同じ著者の作品も2つほど読んだけど
どれも同じようにつまらなかったと
書かれていました。

だけども、その最後の最後に、
このつまらなさをぶっ飛ばしてくれるような、
新たな作品を期待すると、
フォローの一文も入っていたんです。

で、この『宝島』。

これ読んだらきっと、
あのネットレビュアーは
「やった! ぶっ飛ばしてくれた」
って、喜ぶんじゃないかな。





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2018年10月10日水曜日

『動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話』(ジュールズ・ハワード)読みました。


水の分子の一つひとつは、
てんでバラバラの方向に
動き回っているけどれど、
それがたくさん集まった例えば川なら、
個々はバラバラでも、
集団としては、
高い所から低い所へと動く。

バラバラなんだから、
高→低じゃなく、その逆に動く
パンクな分子もいるだろうし、
みんなを引っ張るように川下へ急速度で動く
オピニオンリーダー分子もい、
さらには横やら斜めやら、
上やら下やらのふうてん野郎もいる。

なんだけれど、
全体で見ると1つの動きになっている。

てなことを、
書名は忘れたけど、
何かの本で読んだ覚えがあります。
うーん、なんか意味深だなって思いました。

で、この『動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話』。

水分子と同じようなことが
アリの世界にもあると、この本で知りました。
1匹1匹の働きアリは、
てんでバラバラの動きをしているんだけど、
全体としては、エサを巣に運んでいるんだとか。

えっ?面白くない?
大丈夫、まだたくさん面白いこと載ってます。この本。





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2018年10月4日木曜日

『ツナグ』(辻村深月)読みました。


メインで使っているものの他に、
1カ月に1度だけ違うパソコンを
操作しなければいけない仕事があります。

本当なら1台だけで済ませたいのに、
そのマシンを使わないとダメな
事務作業があるんです。

マックとウィンドウズの違い
ってことなので、仕方ないんです。

何でもただの1個に統一されちゃうと、
多様性がなくなって世の中いろいろと
ぎくしゃくしてくるようなので、
我慢しなきゃと思います。

でもね。
1カ月に1度しか使わないから、
その度に「システムの更新があります」とか
「アプリの自動バージョンアップをします」とかで、
その事務作業が始まらないんです。

いつも同じパソコンを使っていれば、
ちょこちょこ更新するんだろうけど、
月1回だと、それがたまっちゃって、
目一杯時間がかかる。
同じことをもう3年ほどやってます。

でもでも、それでは精神衛生上
良くないことに前回から気づき、

事務作業をする1日前に、
まずは更新だけするために
電源を入れることにしたんです。

あ、やば、本に関係無いこと、
こんなに書いちゃった。

で、この『ツナグ』。

もう8時間近くなると思います。
更新のためにそのパソコン立ち上げてから。
今、81%まで終わったという表示が出ています。
いつまでかかるんだろう。

やばやば、
この本のこと何も書いてない。
いや、一行だけ書いているか。
「で、この」とタイトル。

ま、いいか。





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2018年10月2日火曜日

『鷲は舞い降りた』(ジャック・ヒギンズ)読みました。


寝転がって本を読むとき、
最初の1行に目を通す前に、
「今読んでも3ページで寝るな」とか
「お、なんか目も頭もさえている感じがする。
 残りはだいぶあるけど、
 最後まで読み終えちゃうかも」とかを、
考えることがあります。

いわば、読書前のコンディション確認。

とはいえ、
そんなにたびたびじゃないんですけどね。
たいていは何も考えずにページを開き、
ちょっとうとうとして、ハッと気づいて、
また読み進め、またうとうと……
を繰り返しながらのパターンが多いです実は。

そんでも、
最初にコンディション確認みたいなことを
したときには、その予想はほぼ当たるんです。

「3ページで寝るな」と思ったら2ページで寝るし、
「最後まで読み終えちゃうかも」と思ったら、
その本どころか次の本まで手を出しているとか。

そのときの自分の体調がどうなのかを
みているんだから、
当たり前といえば、当たり前ですが。

で、この『鷲は舞い降りた』。

「今日は3ページで寝るな」と
思ってこの本を開き、
100ページくらい読み進めていたことが数回。

そんな感じで、
ごくごく飲み干すように読み終えちゃいました。
あー面白かった。また読も。





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2018年9月27日木曜日

『ノンデザイナーズ・デザインブック』(ロビン・ウィリアムズ)読みました。


林業の現場を取材したことがあります。

そっち方面の知識がまるでないぼくは、
それぞれの樹木の名前さえわからず、

そこで働く人たちに、
小学生レベルの知識を
ゼロから教わるような
取材になってしまいました。

名前さえわからないってのは、
土から幹が生えてて、枝があって、
その先に葉っぱが生えているモノは、
全部「木」であって、
その中の分類は
何もできないってこと。

葉っぱが細くて尖ったヤツも、
(それが松だとか杉だとかってことは、
 そのとき教えてもらった)
大きな葉っぱで秋には葉が落ちるようなヤツも、

ぼくには全部「木」でしかありませんでした。

でも、その取材で、
そうした細い葉っぱのヤツは
針葉樹という種類であるとか、
その反対は広葉樹であるとか、
一般に広葉樹は寒い時期に葉を落として
冬眠状態に入るとか、
針葉樹はずっと落葉はしないから
常緑樹って呼ぶとか、教わったんです。

加えて、人が手を入れている人工林と、
昔からあるがままの自然林って区分もあり、
ほとんどの人工林は針葉樹が多いので、
山肌の木々の形を見たとき
ギザギザつんつんととんがっているのは人工林で、
もこもこと雲みたいな形になるのが
自然林だということも知りました。

で、この『ノンデザイナーズ・デザインブック』。

区分でもその木の固有名でも、
名前を知るってことは大事なんだと
書いてありました。

それが物事の善し悪しの判断をつけるための
最初のステップだと。

とりあえず今のぼくは、
ツンツンとモコモコの違いは
わかるようになりました。





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2018年9月25日火曜日

『半七捕物帳(4)』(岡本綺堂)読みました。


レイ・ブラッドベリさんの
短編にあったような気がしますが、
ハッキリ覚えてないので、まあいいでしょ。

いきなり宇宙船が来てそのまま空の上に
ぽっかり浮いてたらって話です。

あ、『星を継ぐもの』の人
(著者名忘れました。すみません)
でしたっけ。

ま、いいや。
とにかく、地球人と仲良くしたいのか、
侵略して支配したいのか、
やってきた異星人の意図はわからないけど、
コインパーキングに車を駐車するみたいに、
空に宇宙船をとめておいて、

国連とか政府とかの偉い人たちと
話し合いをするってことが、
あったとしましょう。

話し合いはすぐには終わらないだろうから、
数カ月とか1年とか宇宙船は浮いてる。

ほんで、そのあと
エイリアンさんたちと仲良くなるか、
戦争になるか、どっちでもいいんだけど、
そういうてんやわんやの事態があって、

どういう形かわらんけど、騒ぎも収まり、
落ち着いた平和な日がやってくる。

ふー、やっと言いたかったトコまできた。
ここからです、本題は。

その宇宙船来航から数十年、数百年たっても、
それを題材にした小説やらは
出版され続けると思う……ってことなんです。

んで、その出版物の中で、
宇宙船とはまったく関係無い
その時代を生きた普通の人たちの
日常生活をリアルに描く作品って
少ないだろうな……ってことなんです。

宇宙船は大事件で、
普通の生活は普通ですから。

で、この『半七捕物帳(4)』。

江戸時代の黒船来航のときの
普通の人の生活がよくわかりました。





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2018年9月20日木曜日

『すごい葬式』(小向敦子)読みました。


小説を読んでいると、
たまにボキャブラリーの少ない
キャラクターが出てきて、
「すごい!すごい!」
を連発することがあります。

そんなときはたいてい、
キャラ登場の前後で、
〈タカシは表現力が米粒サイズだから、
 何を見ても「すごい」しか言わない〉
などと地の文で説明していたり、
〈「すごい」という言葉しか
 知らないのではないかと思える
 サッちゃんの語彙力のなさに、
 なぜか私は憧れる〉
などと別キャラに語らせたりしてます。
ようするに言い訳ですね。

「すごい」という
オールマイティな言葉は、
安易に使ってはいけない
という不文律みたいなしばりがあって、
それをあえて使うんだから、
説明しておくよ。
というか、
作者の自分が使っているんじゃなく、
あくまで登場人物が使っているんだからね、
そこんとこ誤解しないでね。
ってことでしょう。

で、この『すごい葬式』。

とはいえ、
タイトルに使うのはOKでしょう。
そういう書名は結構流行りだと思うし、
「葬式」と組み合わせたときの
インパクトもなかなかある。
んで、さらにサブタイトルで
「笑いで死を乗り越える」。

そんな表題にひかれただけの理由で
買っちゃっう人は結構いるんだろうな、
ぼくみたいに。





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2018年9月18日火曜日

『はだかの起源』(島泰三)読みました。


思いつきの例文を先に書きますね。
(例にしただけの事実無根の内容なので、
 あらかじめご了承ください)

探査機が持ち帰った土壌の分析により、
6500万年前の火星で
知的生命体の生存した証拠が見つかった。

詳しく調べると、
火星の地上から宇宙に飛び立てるほどの
エネルギーを人工的に噴出した形跡も発見された。
地球を訪れ侵略するには十分な科学技術である。
6500万年前は、
それまで地球を我が物顔でのし歩いていた恐竜が
絶滅した時期だ。

なんか面白くなってきたので、
もう一つ例文。

山ちゃんは、きっと生まれた時から
大福が大好きだったはずです。
中に甘いあんこが入ったふわふわの大福。

誰かのお土産だとかで、目の前に出すと、
あっという間に平らげちゃう。
仏壇にお供えしおいても、
我慢できずに手を付けちゃう。

でも供え物がなくなるのはまずいと思うのか、
食べ終えたあと、その菓子皿の上に
なぜかティッシュを丸めて置いておく。

この前、山ちゃんちに遊びにいったとき、
隣の家の窓があいていて、
そこから仏壇が見えた。そこの菓子皿の上には、
ティッシュが丸めておいてあった。
おい、おい、山ちゃん。

で、この『はだかの起源』。

2つの例文について。
前者は火星人が恐竜を滅ぼし、
後者は山ちゃんが隣の家の大福を食べたと、
直接はいわずに、
そう思ってもらえるように書いてみました。
名づけて
「言わないけど勝手に想像させるの術」。

でも、この本(はだかの起源)みたいには、
上手く出来ませんでした。





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2018年9月13日木曜日

『降霊会の夜』(浅田次郎)読みました。


ふー。
ようやっと文字が出せた……。

今、この文章を
パソコン画面に打ち込んでいるんですが、
こうやってちゃんと文字が
表示されるようになるまで、
小一時間ほど格闘していたんです。

キーボードはバシバシと叩いている。
その回数分というか文字数分だけ
カーソルは右方向に動くんです。

漢字に変換するからそのときには、
文字数は減るからカーソルもそのぶん
左方向に戻ります。

でも、画面上に文字が何にも見えないんです。

今まで、ソフトがいきなりシャットダウンしたり、
マウスポインタが固まって動かなくなったり、
ポインタは動くけど渦巻きレインボーが
ぐるぐる回って何も受け付けなくなったり
っていうトラブルはあったけど、

正常に文字入力されているように見せかけて、
その文字が見えないなんて現象は
一度もなかった。

おいおいそれってどういうことよと、
いろいろいじくっていたら、
なぜそんな所を設定し直したのか
わからないんですが、

文字の色が黒ではなく
「紙色」つまり「白」になっていたんです。
背景色に溶け込んで表示されなかっただけだと。
おそまつ。

で、この『降霊会の夜』。

タイトルからもわかるとおり、
霊が出てくるお話です。

ホントに幽霊っているのかな。
それが見えないぼくは、
背景色に溶け込んで表示されない状態なのかな。





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2018年9月11日火曜日

『声のサイエンス』(山崎広子)読みました。


前回の『まんがでわかる 理科系の作文技術』で
「ノンフィクションだろうが、
 評論だろうが、ビジネス書だろうが、
 節操なく読んでいるつもりなのに」
って書いたんですが、

今ごろになって、
「あ、なんとなく避けているジャンルもある」
ってことに気づきました。

いわゆる自己啓発本と呼ばれているものです。

ひょっとするとビジネス書の中に
含まれる分野なのかもしれません。

例えば、
(以下、今、思いついたベタなタイトル。
 もし実在の本があっても関係ありません)
『幸せな人生を送りたいあなたへ』
『〝イヤだ〟と口に出せる本』
『寝転んでいても成功する5つの法則』
みたいなヤツ。

ぼくは小心者だと自覚していて、
それなら周りに迎合すればいいものを、
なぜか人と同じことをやるのが苦手で、
「みんながそうするなら、ぼくはこう」
みたいな、
へそ曲がりのあまのじゃくなんです。

だから、
本で正しい道や方法を教えられても、
その通りやったら、
それは「ぼくじゃない」って思っちゃう。

ということで、
自己啓発本は避けているんです。

で、この『声のサイエンス』。

タイトルからイメージしたのは
「声を科学的に分析して学問的に解明する」
って感じ。
でも、読んでみたら、
ぼく的には自己啓発本の範疇に含まれていました。





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2018年9月7日金曜日

『まんがでわかる 理科系の作文技術』(久間月慧太郎/木下是雄)読みました。


何度も読み返す本があります。

今ぱっと思い出してみと、
京極夏彦さんの
『虚言少年』とか『覘き小平次』
恩田陸さんの『夜のピクニック』
森見登美彦さんの
『夜は短し歩けよ乙女』や『ペンギン・ハイウェイ』

まだ1回しか読んでいないけど、
この先たぶん再読すると思われるのは、
約7割の伊坂幸太郎さん作品、

『鬼平犯科帳』に山田風太郎さん作品の約半数、
それから今年のはじめに読んだ『我が名はカモン』
ちょっと前の『かがみの孤城』なんかも。

そうやって振り返ってみると、
おやおや、なんと全部小説でした。

ノンフィクションだろうが、
評論だろうが、ビジネス書だろうが、
節操なく読んでいるつもりなのに、
もう一度読みたいってのは、
やっぱり物語になっちゃってました。

で、この『まんがでわかる 理科系の作文技術』。

あ、あった!
小説以外で毎年のように再読している本。
まんがになる元の『理科系の作文技術』がそうでした。





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2018年9月4日火曜日

『柳家小三治の落語(9)』(柳家小三治)読みました。


最初の1巻に手をつけると、
たいていは、そのシリーズの
最終巻まで読み通します。

そうしないと本のお化けに
取り憑かれるような気がして、
なんだかムズムズしてきちゃうのです。

だから、面白いのはもちろん、
面白くなくても、とりあえず最終巻の
最後のページまで目を通す。

それやって良かったなと思うのは、
二十数巻あった鬼平犯科帳でしょ、
確か三十巻以上あった
山田風太郎ベストコレクションでしょ、
シャーロックホームズでしょ、
とまあ、いろいろあります。

それらは、
有意義な時間を過ごせたと思える例。

ほんで逆に、キツいなと思いつつも、
取り憑かれちゃいかんと思って、
最終巻までこなしたのは、
題名は忘れたけど、
受験勉強のための英文法解説本たしか10巻くらい、
それからやっぱり題名はうろ覚えの、
俺の妹がなんたらかんたらって作品、
それも10巻以上ありました。

で、この『柳家小三治の落語(9)』。

この9巻が最終巻のようです。
このシリーズは、有意義バーションでした。
この倍の冊数があってもまだ大丈夫な感じです。





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2018年8月30日木曜日

『半七捕物帳(3)』(岡本綺堂)読みました。


気づいたらその習慣が
なくなっていたのですが、
数年前までは、
本を買うときのジンクスがありました。

上下巻の分冊とか、シリーズ物とか、
ひとつながりの本を仕入れる場合に、
「一度に複数冊買ったらダメ」ってこと。

面白くてもつまらなくても、
一度手を付けたら最後まで読まないと
気が済まないぼくなので、
最初の巻を仕入れたら、
いずれにしても最終巻まで
買うことになるんです。

だから複数冊を
いっぺんに手に入れるほうが、
本屋さんに行く手間も省けるし、
最初の巻が面白かったときの
「すぐ次読みたい」需要にも応えられます。

でも、その数年前の頃は、
一度に複数巻仕入れたものが、
ことごとくハズレだったんです。

で、複数巻のラインナップがあっても、
それを1冊づつ買っていくと、
「これ面白い!」「わーすごい!」
って感じの当たり、当たりになる。

まあ、そんなのは、たまたまの偶然ですよね。

そう、それが偶然だってことに気づいたからか、
ジンクスの魔力が薄れていったか、
今では複数巻同時購入も気にならなくなり、
それに伴う作品の善し悪しも
なくなっているようです。

で、この『半七捕物帳(3)』。

全部で6巻あります。それ最終巻まで、
複数冊のまとめ買いしちゃいました。
1巻目を読んだときには
「もしやジンクス復活か?」と、
びくびくたんですが、3巻目まできて
「おや? いいかも」って思えてきました。
次巻が楽しみになってきてよかった。





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2018年8月28日火曜日

『溺れる月』(新野剛志)読みました。


読み終えたのは8月12日、
これを書いているのは8月25日。

いつの間にやら、
2週間ほど過ぎてしまいました。

ぼくの脳内記憶システムは、
常に新しい情報を入手できるように、
半日前のあれやこれやの出来事を
覚えておくことはせず、
すぐに消去して記録スペースを
空けておくようにできています。

なので、
それ以前に読んだ本の内容は、
ほとんど覚えていないのが通常です。
(つまり1日たつと忘れる)

それでも、システムのバグなのか、
入手した情報の特殊性なのか、
詳細までは思い出せないにしても、
かなり長く印象に残る作品もあります。

そんな耐久性のよいものは、
大まかに分けて2種類。

一つは、五つ星をつけるような、
「わーホントによかった」と思える作品。

そしてもう一つは、
どうしても興味がわかず、
「もっとこうすれば、
 ぼくの趣味に合うのにな」とか
「その設定はちょっと無理があるでしょ」とか、
読んでる途中に
いらぬツッコミを入れちゃう作品。

そうした両極端な作品ほど、
頭に残る期間が長いんです。

で、この『溺れる月』。

読み終えたのは8月12日。
これを書いているのは8月25日。
この期間って長いです。





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2018年8月21日火曜日

『かがみの孤城』(辻村深月)読みました。


もう1年ぐらい前になると思うんですが、
有名人が鼎談するテレビ番組で、
作家の森見登美彦さんと万城目学さんが
出演していました。
(もう一人はどこかの劇団の
演出家だったかな……忘れました。すみません)

そこで、小説の作り方についての話題になり、
ぼくが時々ここで触れる、

「思いつくままに書き進める方法」と

「プロットをきちっと組んだ
 設計図のようなものをまず用意し
 それに沿って書き進める方法」

のどちらがいいのか議論になっていました。

森見さんは前者。
登場人物に自由に動いてもらい
作者はそれを写し取っていくような
感じがいいみたいに言っていました。

対して万城目さんは後者。
結末までの道筋が
わからない状態で書くなんて、
とんでもないって感じ。

どっちの方法でつくっても、
読む側としては、
面白ければそれでいいんですけどね。

で、この『かがみの孤城』。

久々に五つ星。面白かったぁ。
これもし、
森見さん的「思いつくまま作法」で
書いたのだとしたら、
それは神様的な才能をお持ちなんだと思います。





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2018年8月16日木曜日

『柳家小三治の落語(8)』(柳家小三治)読みました。


なんでそんなことやっているのか、
自分でもわからなくなっている
毎朝約6キロのランニング通勤。

もう7年以上続けているのに
ちっとも楽にならないから、
少しは走りに楽しさを付け加えたいと
思うようになりました。

すぐに思いついたのが、
音楽聴きながらのランニング。

で、それをちょっとヒネって
落語聞きながらがいいなと。

いつもランニングアプリを使っているので、
そのスマホに音源入れればOKだし、
あとはイヤホンをつなげば
出来上がりのはずです。

でもね。
イヤホンがダメなんですわ、ぼく。

なぜか知らんけど、
耳の中にあの丸っこいのを
突っ込んだ状態にしておくのがイヤで。

それに、耳塞いじゃうと、
クルマの音とか聞こえなくなって危ないし。

そう思っていたらなんと、
サングラスをかけるだけで
イヤホン代わりになるグッズが
あるそうじゃないですか。

耳に入れなくても
骨伝導って仕組みを使うらしく、
それいいなって思ってるんです。
今、売ってるとこ探し中。

で、この『柳家小三治の落語(8)』。

イヤホンサングラスを入手したら、
まず、小三治さんの落語を
聴きたいと思います。
走りが楽になりますように。





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2018年8月14日火曜日

『ベストセラー小説の書き方』(ディーン・R・クーンツ)読みました。


昔、雑誌の特集で、
とある会社の紹介記事を
書いたことがあります。

日本に来ている
アメリカ人の社長にインタビューして、
その会社がどんなビジネスを
しているのかまとめる仕事でした。

そこが何をやっているかというと、
いわゆるマルチ商法って
いうんでしょうかね。

商品を買わせて、
それをまた別の人に売らせて、
その別の人から買った人は、
また違う別の人に売ってって
という感じのやり方。

大もとの親から、子、孫……
と階層的につながっていく。

その間に入っている人は、
自分の下の階層で商品が売れていけば、
マージンをもらえて、
お金儲けできる仕組み、みたいです。

そんで、そのアメリカ人の社長が、
若くてハンサムなんだけど、
とにかく押しが強いんです。

ぼくは、仕事で取材しているだけなのに、
「あんたもやれ」的に、入会を勧めてくる。

そもそも、
そういうビジネスでお金儲けするのに
抵抗があるぼくは、
「いやいや、ぼくは記者ですから、
 あくまで第三者的な立場にいないとダメです」
みたいなありきたりの断り文句を必死に並べ、
なんとかインタビューを切り上げてきました。

で、この『ベストセラー小説の書き方』。

押しが強いなぁ、この本。
読んでいる最中、何度も、
あのアメリカ人社長の顔が目に浮かびました。





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2018年8月10日金曜日

『柳家小三治の落語(7)』(柳家小三治)読みました。


今でも高校時代の友だちは、
ぼくのことを
「ラクダ」ってあだ名で呼びます。

他にも「おやじ」とか「いのき」
なんて呼ぶヤツもいるけど、
一番多いのがラクダです。

体育の授業で
長距離走(といっても1,500m走)を
やったとき、みんなヘロヘロになっている中、
ぼくはわりと涼しい顔して
飄々と走っていたらしいんです。

毎日の部活で、
体育の授業より数十倍きついしごきを
受けていたから、1500なんて
チョロかったんだと思います。

その飄々走りに驚いた友だちが、
「お前は身体のどこかに栄養分を蓄えて、
 それを小出しに使えるんだな。
 あ、そのアントニオ猪木みたいに
 でっかいアゴだ。
 養分、そこにあるんだろう。
 まるでラクダじゃん。らくだ、ラクダ!」

と叫んだのが、このあだ名の始まりです。

で、話は変わって、ちょっと前に、
さだまさしさんの本を読んだときのこと。

彼はその昔、
落語家を目指したこともあるらしく、
得意は「らくだ」という演目だったようです。

で、やっとこの『柳家小三治の落語7』。

「らくだ」の演目入ってました。
実はその噺の内容、
この本を読んで初めて知ったんです。
さださんの本で、らくだ噺があることを知り、
自分のあだ名でもあるから、
一度は触れておかなきゃって思ってたんです。
それがやっと、できました。

このシリーズ全9巻なので、残りはあと2つ。





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2018年8月8日水曜日

『半七捕物帳(2)』(岡本綺堂)読みました。


作画・和田誠のイラストカバーを
思い出すカート・ヴォネガットさんが、
エッセイか何かで、

「小説の書き方はこうあるべきだ」的な
文章を記し、それに続けて、
他の作家が自分にはとても真似できないほど
素晴らしい小説を出しているけれど、
その作品は
「今挙げた〈こうあるべき〉項目に、
 ことごとく反している」
みたいなことを書いていました。

物語をつくりたい人は、
こんなふうにやればいいんだよ。
でも、そんなふうにやらなくても、
面白いものはできるよ。

という、なんだか禅問答のような、
アイロニーのような物言いです。

クーンツさんって人も
『ベストセラー小説の書き方』って
本を出しています。
(今、読んでいる最中で、
 もう少ししたらここで紹介します)

そこでも、
こういうふうに書けば、物語は面白くなるし、
本はたくさん売れる
ということを言っているんです。
そっちは、アイロニー禅問答じゃなく、
「俺の言うことに間違いはない。
 この通りやれ」的な感じですけど。

で、この『半七捕物帳(2)』。

前者のヴォネガットさんじゃなく
後者のクーンツさんのいう〈こうあるべき〉項目に
ことどとく反している気がしました。

それでも
長年売れ続けている本なんですよね、これ。

「俺の言うことに間違いはない」と
自信を持って発表するのは大切なんだろうけど、
受け取る側は「いや、例外もある」と
わかってたほうがよろしいようです。





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2018年8月2日木曜日

『Ank:a mirroring ape』(佐藤究)読みました。


米や麦などの穀物は、
とてもひ弱な植物で、
人間が小まめに面倒をみてやらないと、
すぐ枯れてダメになってしまう。

ほっぽらかしのまま、ダーウィン仕様の
自然淘汰的世界に置いておいたら、
あっと言う間に絶滅しちゃう。

でも、見方を変えると、そうした穀物は、
人間を使って、めちゃめちゃ自分の子孫を
後世に残している。

つーことは、
それも一種の生き残り戦略に
なっているんじゃないか。

みたいな話をどこかの本で読んだとき、
ふと思い出したのが、
競走馬のサラブレッドについてやった
友だちとの議論でした。

サラブレッドってのは、
競馬をやるためだけに生まれてくる。
選ばれた幸せなヤツらなんだ。

と友だちが言ったので、
そんなのは人間のエゴエゴで
おかしいじゃんって、ぼくは反論したんです。

結局その議論は平行線で
決着はつきませんでした。

んで思い出す、穀物の生き残り戦略。
馬にしても穀物にしても、
人間をうまく使っているだけなのかも。

で、この『Ank:a mirroring ape』。

すみません。
また関係のないことを
うだうだ書き連ねちゃいました。
この本が、
人間が育ててるチンパンジーの話だったから。
ただそれだけのつながりでした。





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2018年7月31日火曜日

『柳家小三治の落語(6)』(柳家小三治)読みました。


元気な出版社の幻冬舎をつくた見城徹さんが、
面白い本に欠かせない要素として
「極端さ」をあげていました。

もしかしたら、
単に面白い本の要素というのじゃなく、
ベストセラーにするための条件
だったかもしれません。

(ごめんなさい、曖昧な記憶で。
 たぶん検索すれば確認できると思うけど、
 ぼんやりした感じのまま書いたほうが、
 なんとなく性に合うのでそのまま続けます)

「ちょっと変わってるな」とか
「普通じゃない」くらいじゃダメで、
そのレベルを何段も突き抜けて、

「そりゃ、ありえない」
ってくらいの極端さがないと、
売れる本にはならない。

酒飲みを登場させるなら、
一升瓶を5本空にするくらいじゃなく、
タンクローリー1杯分とか、
東京ドーム大のジョッキを飲み干すとか
……そんな感じにするのよいと。

まあ、そうですね。
そんな極端が、キチンとした実在感をもって
表現されていれば、それは面白いし、
読者もたくさん引き寄せられると思います。

で、この『柳家小三治の落語(6)』。

逆なんです。
極端を普通にしてる感じなんです。
小三治さんの落語って。

それでも、いやそれだから、
「ああ、なんか知らんけど、いいなぁ」
って胸の中にほこほこした感じがわいてくる。





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2018年7月26日木曜日

『半七捕物帳(1)』(岡本綺堂)読みました。


「ああ、おいしいな」
と、毎回毎回思うのなら
仕方ないかもしれません。

でも、大抵は
「そんなに旨いわけじゃないよな」
と感じながら、吸ってるんです、タバコ。

そもそも、
一番最初に吸ったときからそうでした。

「激マズーっ!
 こんなものよく常用できんな」

と、あの煙の出る先っぽを
しげしげと眺めたもんです。

たぶんはじめの10本目くらいは、
旨さなんてまったくわからず、
内心は「げー、やっぱ、マズーっ」
と思いながら格好つけて火をつけ、

数十本の経験を積んだ頃から、
「なるほど、こんな感じのことを
 旨いっていうのかな」
とわかり始めたような。

あ、そうそうビールも同じですかね。
子どものころ、
大人が「くいーっ」なんて言いながら
おいしそうに飲んでるのを
うらやましく思って、
ちょっとだけコップに口をつけたら、

「ぎゃーなんじゃこりゃー」
って思ったもんです。

それが今では、
何時間もあの泡立つ液体を飲んでいられる。

で、この『半七捕物帳(1)』。

著名な作家さんたちがあちらこちらで
オススメの本にしていたのは知ってて、
それにあやかり、
ぼくもようやく手を出してみました。

短編集なんですが、十数話を読み終えて、
頭に浮かんだのがタバコやビールのこと。

だんだん慣れてくるに従って、
深みにはまっていくような予感がしてます。





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2018年7月24日火曜日

『これなら読める! くずし字・古文書入門』(小林正博)読みました。


会社でのお昼ご飯(たいていお弁当)は、
いつも本を読みながらの食事です。

でも、休みの日など家での昼食時には、
食卓の近くに本が置いていないこともあり、
読書メシではありません。
(会社では、仕事机の上での食事なので、
 すぐ横の書類棚に昼食時用の本が
 置いてあるんです)

それで、
家でのときにはどうなるかっていうと、
テレビランチです。

ラーメンとか、チャーハンとか、
スパゲティとか、
まさに昼メシって感じの料理を前にして、
箸と同時くらいにテレビのリモコンをとって、
電源を入れます。

目当ての番組が特にあるわけじゃないので、
番組表を見て何がいいかと考えるのですが、
そのときかなりの確率でチャネルを合わせるのが
「なんでも鑑定団」です。
再放送なんでしょうね。
休みの日の昼ぐらいにいつもやってる。

出演者が持ってきたお宝の真贋を、
専門家が鑑定して評価額をつけ、
そのとき鑑定士が
お宝にまつわるうんちくを述べる。
(あーやっと本題に近づいた…)

お宝には掛け軸がよく出品され、
そこにはミミズののたくったような
昔の文字が書かれている。
それを鑑定士がこともなげに読んじゃうんです。

で、この『これなら読める! くずし字・古文書入門』。

ぼくも鑑定士みたいに読んでみたいと
思って挑戦した本。
わかったのは、
あと50回くらい繰り返し読まないとダメってこと。





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2018年7月18日水曜日

『ある日どこかで』(リチャード・マシスン)読みました。


だいぶ前に、
スティーブン・キングさんの
『11/22/63』を読んで
「こりゃあ相当おもろい」と感じ、

その解説だか、あとがきだかに
書いてあった参考図書
(というかオマージュ図書というか)
も読んでみようと挑戦したのが、
ジャック・フィニイの
『ふりだしに戻る』でした。

ところがしかし、
キングさんは『ふりだし〜』に刺激を受けて、
自分もそんな作品を書きたいなと思って、
(ぼく的には相当面白かった)『11/22/63』を
仕上げたはずなのに、そのネタ本(『ふりだし〜』)は、
それほどではなかった(あくまでぼく的に)。

そういうのって結構あるんですよね。
まあ、よくあることですわ。
今ではもう『ふりだし〜』は
あらすじさえも忘れちゃってるし。

で、この『ある日どこかで』。

また出てきたんです。
この本の訳者のあとがきで。
『ふりだしに戻る』が。

まあ同じタイムトラベルものですからね。
(ちなみに『11/22/63』もそう)

そんなに言うんだったら、
もう1回『ふりだし〜』読んでみようかな。
あ、もうブックオフにドナドナしちゃったか。
家に帰ったら本棚確認してみよっと。





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2018年7月12日木曜日

『フランケンシュタイン』(メアリ・シェリー)読みました。


昔『食人族』という映画がありました。
公開されたのは、
ぼくが映画学校に通っていた時期でした。

なんで覚えているかっていうと、
映画を観た感想を学校のみんなに言ったら、
とたんに大笑いされたので。
軽傷のトラウマとして残っているんでしょうね。

映画は正直いって面白くないと思い、
その理由を、
「だって感情移入できないんだもん」
と言ったんです。……それが失笑を買った。

恋愛物とかサスペンスだとかの
一般的な映画なら、
この理由は別に笑われないでしょう。

でも、人食い民族を描いた作品で、
〈感情移入〉ってボケが過ぎるだろ、
みたいな感じです。

でもね。
人を食べる種族にしても、
それをフィルムにおさめる側にしても、
映画に出てくる人の中に、
誰かしら共感できる拠り所が欲しかった。

この映画の中に、その拠り所が
一人もいないんですもの。
それが、狙いなんだろうけれど…。

で、この『フランケンシュタイン』。

『食人族』ほどではないけど、
ぼくの拠り所になってくれる
「これだ!」って人は登場しませんでした。
また、笑われるな。





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2018年7月10日火曜日

『隣のずこずこ』(柿村将彦)読みました。


今、ウィキペディアを確認してみたら、
iPhoneが最初に発売されたのは
2007年になってました。

それからまだ10年ほどしか
たってないんですね。

猫も杓子もスマホ時代になるまで、
発売後5年くらいかかったとして2012年。
そのとき生まれた子は今6歳。

みんながあの薄っぺらい板の上を
指でスリスリする様子を見て
育ったことになりますね。

その2012年の頃、
小学校の高学年から中高学生くらいだった子
(歳でいうと10〜18歳くらい)は、
もう当たり前で生活の一部に溶け込んでる。

2012年から今は6年たってるわけだから、
その頃の子たちも20歳前後の
いい若者になっている計算です。

とすると、
そうした世代がもし小説なんかを書くと、
何らかの形で物語の中にスマホが
登場するのが当然じゃないかと、
使いこなせぬオヤジのぼくは思うのであります。

で、この『隣のずこずこ』。

ネットによると、著者さんは24歳。
でもでも、お話の中に
スマホは出てきませんでした(たぶん)。

だからなのかもしれませんが、
こういう話、かなり好きです。





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2018年7月5日木曜日

『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


何年か前に
高田郁さんの「みをつくし料理帖」の
最初の巻を読んだとき、
(たぶん今は10巻以上シリーズで出ていて、
 そのときはまだ2、3巻しか
 刊行されていない時期でした)
涙が止まらなくなって、
しゃくりあげるほどになりながら
ページをめくっていたことがあります。

(……やっぱ、正確なタイトル調べますね。
 あ、そうそう『八朔の雪』でした。
 あれ? ウキペディアには全10巻って書いてある
 ……そうか、なら、もうちょいだったんだ)

そのあと、2巻、3巻も調子よく、
涙と鼻水をすすりながら読み進め、
6巻か7巻くらい来たところで、なぜか突然、
「もういいか」って思っちゃったんです。

なんででしょ。
面白くないわけじゃないんですよ。
泣けもするんですよ。
飽きちゃったということでしょうか。

自分でも意識してないのに、
飽きちゃうことあるんですかね。

でも今、ネットで調べて全10巻と知り、
それならもう少しで全話読破なんだから、
また手をつけてみようか
みたいな誘惑がわいてきました。

とはいえ最初の話はもう忘れてるので、
やるとしても1巻から再読しないとな。
そしたら、また途中で飽きちゃうかな。

で、この『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』。

シリーズ5巻目くらい……かな。
面白かったは面白かった。
でもなぜか次に向かう触手の動きが
鈍くなってきたようです。





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2018年7月3日火曜日

『柳家小三治の落語(5)』(柳家小三治)読みました。


高校生のときに
テストをするから暗記しろと言われて、
部活のトレーニングで
ランニングしているときも、
掛け声代わりにみんなで声を揃えて
口にしていたのが平家物語の冒頭部分です。

試験が終われば
頭の中からすっかり消え失せると
思っていたら、
なぜかそのあとも、
白いシャツにつけちゃった
ケチャップのシミみたいに、
脳みそのひだにこびりついて取れない。

何も見ないでちょっと打ち込んでみますね。
(変換はパソコン任せ。
 漢字の表記までは覚えていないので…)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
奢れる者も久しからずただ春の夜の夢のごとし。

で、ネットで検索して
答え合わせしてみると……。

あら、なんとまあ
100点といってもいいほどドンピシャ。

WikiBooksというサイトに載っていた
テキストと比べたら、

「理をあらわす」が「理をあらはす」で、
あとは読み点が一つ足りないだけ。
(「久しからず」の後に「、」)

この冒頭文のあとは一切覚えてないけど、
正確さはすごいんでないの。
自分でもびっくりしてます。

で、この『柳家小三治の落語(5)』。

噺家さんは、
どんなに長い落語も最初から最後まで
全部覚えてなきゃ仕事にならないんですよね。
平家物語の最初の2、3行を
空で言えるくらいじゃダメか。





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2018年6月28日木曜日

『教養としてのテクノロジー』(伊藤穰一)読みました。


仕事場には、
湯の温度が表示される電気ポットが
置いてあります。

水を注いでスイッチを入れ、
沸騰して100度になると、
メロディが鳴って、
お湯が沸いたことを知らせてくれます。

これで、お茶やコーヒーを入れたり、
カップラーメンをつくったりするんです。

このポットを使っていて、
最近気づいたのが、
お湯の温度とお茶の濃さの関係です。

食べ物・飲み物の味には
頓着のないぼくですが、何かの拍子に

「あれ? 茶葉の量は
 いつもと同じなのに今日のは濃いな」
と感じ、
つくったときのことを思い出してみると、
いつもと温度が違ってた。

いつもは、
ポットのメロディが鳴ってすぐ、
つまり100度で茶を入れる。

でも、そのときは、
待ちきれなくて70度とか80度の
沸かし途中に入れちゃったんです。

ぼくの飲んでる茶葉だけかもしれませんが、
100度の熱々湯のほうが、
薄くなることあるんですね。

で、この『教養としてのテクノロジー』。

入れる温度の違いでしょうか。
ちと薄く感じちゃいました。





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2018年6月26日火曜日

『鳩の撃退法(下)』(佐藤正午)読みました。


事務所にある押し入れみたいな場所には、
昔使っていたパソコンが数台眠っています。

何かしらの不具合が出て、
新しいマシンに入れ替えて、
そのままになっている。

パソコンって普通のゴミじゃ出せないから、
なんやかやの手続きをしないといけないでしょ。

それが面倒で、
ほっぽらかしになってる。

同じ場所には、古いバージョンの
アプリケーションソフトなんかの空き箱が
ずらーっと並んでいる。

今はパッケージが小さくなってたり、
カードの銀箔を削って番号だけ入手する
ダウンロード版とかになったから、
保管場所もいらなくなったけど、

ちょっと前までは、
どれもアマゾンの本の配送箱くらいのかさがあり、
それをとっておくと世界大百科事典が
揃っているくらい場所をとっちゃう。

だから、中身のCD-ROMや説明書なんかを
抜いて整理すればいいんだけど、
それもパソコンと同じに、
面倒になって、ほっぽらかしている。

でもね。
面倒でやらずにいるのは本当なんだけど、
最初は何とかしようと計画を立てたんです。

パソコンなら、万が一のため、
古い機種もしばらくはとっておき、
半年たったら業者に電話してとか。

アプリの箱なら、
段ボール紙の古紙回収の日を待って、
翌週にやろうとか。
(それを忘れて、また翌週、また翌週……)

そうやって、
ずるずるとなっているわけなんです。

で、この『鳩の撃退法(下)』。

TMIって略語が出てきました。
Too Much Informationだそうで
「書き過ぎ」を意味するらしく、
余計なことは削られているようです。

そのため、書かれなかったものが、
放って置かれているイメージがどんどん膨らんで、

事務所の押し入れの中を思い出しちゃいました。
そろそろなんとかしようかな。





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2018年6月21日木曜日

『柳家小三治の落語(4)』(柳家小三治)読みました。


誰だったか忘れたんですが、
(たしか結構有名な作家さん。
 丸山健二さんだっかな、違うな…)

著作権の守られる期間が長くなるとか
短くなるとかで、議論になっていたとき
(今もああでもないこうでもないと
 やっているみたいですが…)

そんなもの「作者が死んだら、
すぐにでも消滅していい」みたいな
発言をしていた人がいました。

死後50年でしたっけ、75年でしたっけ、
著作権は保護されて、関係ない人は、
許可なくコピーとかしちゃいけないって
ことになってるけど、
「そんなのいらない」と。

一緒に苦労してきたいわば
共同執筆者みたいな奥さんには、
自分が死んでも印税なんかが
入ってくるようにしたいけど、

子どもや孫などに、
余計な財産を回したいとは思わない。

だったら、誰でも自由に
自分の作品を使えるようにして、
ちょっとでも世の中の役に立てるほうがいい、と。

そんな意見を聞いて、
ぼくなどは「うん、潔いな」と
感心したものです。

だいたい、著作権を主張して、
「それは侵害だ」みたいに
言っている人たちって、なんか怖いし。

例えば、ジャスラックさんなんかには、
あまりお世話になりたくないって思うし。

で、この『柳家小三治の落語(4)』。

落語の著作権って、どうなんでしょうね。
気軽に真似しちゃいけないって決まりだと、
代々引き継がれていかないような
気もするんですが……。
そんな簡単なことじゃないのかな。





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2018年6月19日火曜日

『縮みゆく男』(リチャード・マシスン)読み見ました。


今、仕事の関係で
小さな虫に関する本を読んでいます。

虫なんてのは、そもそも
指でつまめるほどの大きさなんだから、
わざわざ〈小さい〉なんて形容詞を
つけなくてもいいようなもんです。

でもつけた。

だって、小さいんです、
その本に出てくる虫。

虫って言われたとき、最初に浮かぶ
イメージはゴキブリですが(ぼくだけ?)
あれは、体長数センチありますよね。

一般的な消しゴムくらいかな。
ちょい雅び方面にいって「蝶」なんかだと、
もう少し大きい感じがするので、
十数センチってとこですか。
餃子が2個くっついた程の大きさ。

でも、そこに出てくるのは、
センチじゃなく、ほとんどがミリ単位。

米粒だとかビーズだとか、
もっと小さい鼻くそや爪あかレベル。

その本を読んでいるとき、ぼくは
定規で測りながら消しゴムのカスを丸めて、
1、3、5ミリ大のタマをつくり、
その小さな3つタマをそばに置いておきました。

それを横目でチラチラ見ながら読むと、
すっごく理解が進んだんです。

で、この『縮みゆく男』。

消しゴムカス玉の立体スケールは、
この本でも役立ちました。

そばに置いて読むと、臨場感アップしまっせ。





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2018年6月14日木曜日

『柳家小三治の落語(3)』(柳家小三治)読みました。


昔は〈My name is Noriyoshi〉だった
英語の教科書が、
今は〈I am Noriyoshi〉に
なっているそうです。

ま、それはただの前振りで、
言いたかったのはぼくの名前。

「のりよし」です。

漢字だと「規悦」で、
振り仮名をつけないと、
ほとんどの人が読めません。

子どもの頃は、
「もっと格好いい名前がよかった」
なんて思ってました。

「のり」が、ふりかけとか、
おにぎりに巻き付けるものとか、
そんなイメージになって、
子どもの耳には弱そうな響きだった。

ヒデキだとかユウヤだとかジョウだとか
って名前の友だちは、
その響きの格好良さに負けず劣らず活発で、
頭も良くて、

「ぼくもそんな名前だったら、
 ゲジゲジ虫だって平気で触れるくらいの
 強い男子になっていたのになぁ」

とヒザを抱えてたんです。

で、
もう数年間に亡くなった
ぼくの親父の名前は「三治郎」でした。

さんじろう。

ぼくはその響き、
格好いいなって思ってて、今も思ってます。

ところが、生前に親父に聞いたところ、
やはり子どもの頃は、
その名前が嫌いだったそうなんです。
三治郎さん。大人になって気にならなくなり、
逆に愛嬌があると思えてきたようで。
ということで、
馴染んでいくもんなんですね、名前って。

で、この『柳家小三治の落語3』。

おこがましいけど、
ぼくの亡き父の名前と2文字同じ。
小三治さん。親近感あります。





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2018年6月12日火曜日

『宇宙に命はあるのか』(小野雅裕)読みました。


今まで、
「この本は面白かったから、
 ぜひ読んでみて」
みたいなことは
ほとんど書いていないと思うし、

本の内容も
まともに紹介してはいないと思うので、

ぼくのこの〈感想文もどき〉を読んで、
書籍購入のヒントにする人は
いないだろうと推測しています。
(だから無責任なこと書いているんです…)

ほかの人がイイって言った本が、
自分にとってイイものであるとは限らない。

そんなことは、
人それぞれだってことは、
みんな知っているはずだから、

イイと思ったら、イイと薦めて
「読んでみなよ」くらい言っても
罪にはならないと思いはします。
(だから、ごくまれに
 「オススメ!」と言ったりもする…)

まあ、うだうだ書いたけど、
結局は自分に自信がなく
他人に押しつけるような意見は言えない
ってのが、ぼくだと、
ここで改めて表明したわけでありました。
いわゆるビビリです。

で、この『宇宙に命はあるか』。

どこかの書評で
「寝食を忘れるほど夢中で読んだ」
ってことが記してあり、
つられて読みました。

ぼくは、読んでる途中食事もしたし、
いつのまにか睡眠もとってた。
人それぞれだってこと、
再認識できました。





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2018年6月7日木曜日

『鳩の撃退法(上)』(佐藤正午)読みました。


見よう見まねで物語などを
書き連ねていると、
当初の自分の目論見とは
まるで違う方向に、話が進んでいって
しまうことがあります。

登場人物に「お前なんか嫌いだ」と
言わせてケンカ別れさせようと
思っていたのに、

キーボードを叩いている指が勝手に
「大好きです」と打ち込んでいる。

「嫌い」と言われて
走って逃げていくハズの相手が、
「大好き」と言われ舞い上がって
抱きついていたりする。

おいおい、次の場面は、
海に向かって「バカヤロー」って
叫んでるシーンにしようと思ったのに、
それじゃつながらないじゃないかって、

キーボードやパソコン画面や
自分の指に向かって言ってたりする。

ありゃ、登場人物たちが
勝手に動き出しているぞ、
って思えたりするんです。

で、この『鳩の撃退法(上)』。

「小説書き始めたヤツが
 〈登場人物が勝手に動き出す〉
 なんてことをよく言ったりする」

的なこと書いてありました。
確かにこの本に出てくるキャラは、
著者が計算し尽くした上で
動き回っている感がありました。

だから、面白いんだろうな。
計算しないとね。やっぱ。





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2018年6月5日火曜日

『柳家小三治の落語(2)』(柳家小三治)読みました。


〈スマホが壊れて
「やったー!ツイッターに書くネタができた」
 と言ってる夢をみました〉

という話を、
ちょっと前、ツイッターでつぶやきました。

そして、アホな夢の内容紹介のあと、

〈無意識のうちにツイッターの更新が
 プレッシャーになっているようです〉

と付け加えました。

ぼく的には、
この付け加え部分がサゲだと思うんです。

それがないと
「だからどうした」になっちゃう。

で、この『柳家小三治の落語2』。

当たり前だけど、
落語ってサゲがあるんですね。

話が中途半端なところでも、
サゲさえあれば、終わったことにできる。

さっきの夢の話なら、
「スマホが壊れました。こりゃスマッタ」
で締められる(締まってないけど…)。

お後がよろしくないようで。





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2018年5月15日火曜日

『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー)読みました。


実は親子だったのだ!
とか、
ラストのラストになって
衝撃の事実が判明するような
物語ありますよね。

そんな物語をつくる側は、
最後に見せるべき衝撃の事実を、
ストーリーの中に隠して隠して、
それでも
(ばれないように)チラつかせながら、
ときには
(矛盾しないように)誤解させながら、
話を組み立てていくんだと思います。

ところが、
組み立ての手口がいかにもあざとくて、
最後の衝撃を受けるビックリ度よりも、
「そんな設定なんだったら、
 じらさないで早よー言ってよ」
って思っちゃうガックシ度のほうが
高い作品もある。
そういのって、
途中のじらし方が
スマートじゃないからだと思うんです。

で、この『吸血鬼ドラキュラ』

うーん、スマート。
普通の小説は、セリフ以外の地の文は
「作者が説明している」
という暗黙の了解があるけど、

「ここにある文章は、全部引用です」
ってことにすれば、
その暗黙の存在を考えさせないで済む。

ってことは
「誰かが組み立てたんだろう」
なんて邪推をしないで済む。
うまいですね。

全ページ、
ハラハラドキドキしながら読めました。





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2018年5月10日木曜日

『それまでの明日』(原りょう)読みました。


もう10年ほど前になりますが、
会社が水道橋にあった頃、
東京ドームシティにあるスポーツジムを
使っていました。

今はランニングですが、
そのときは自転車通勤。

板橋の自宅から約10キロなので、
汗だくになる。
なのでシャワーを浴びて出勤するため、
ジムを利用してました。

さて、そのジム。
来てる人たちが、
半端なくストイックなんです。

ぼくと同じように
十数キロの道のりを自転車で来て、
いったんジムのロッカーに荷物を置いたら、
そのまま外に出ていき、
ランニングで皇居を一周して帰ってくる。
(皇居まではたぶん2キロくらい。
 だからその往復と皇居一周5キロで
 合計9キロ!)
ジムに戻るとプールでちょいと泳いで、
サウナ風呂入って、
スーツに着替えて会社に行く。

そんな人がごろごろいるんです。

毎日そんなことやってて、
よくもまあ、
仕事ができるもんだと思いきや、

ある日、
新聞の「優良企業の社長インタビュー」
みたいな記事に、
その超ストイックさんの一人が
写真付きで取材に応えてた。

その人は、
ぼくのことなどまったく知らないだろうけど、
ぼくは一方的に、
ひぇ〜な彼の生き方を知り、
ただ、たじたじしてました。

で、この『それまでの明日』。

昔の知り合いが
テレビの街角インタビューみたいなのに、
たまたま出ていて消息を知るという話が、
本筋とはあまり関係ない場面で
出ていました。

主人公の沢崎さんが、
ぼくや、その街角インタビューでの
消息判明のように、ひょんなことで、
依頼人を見つけなければいいなと思いました。

と、
何のことだかわからない話をしましたが、
何はともあれ、この本いいです。
今年2冊目の五つ星つけました。





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2018年5月8日火曜日

『天才』(石原慎太郎)読みました。


この場でも何度かいいましたが、
ぼくは3冊を同時並行で読むという、
その書籍をつくった人に対して
なんとも失礼な、
本とのかかわり方をしています。

そうなると、
ここに感想文もどきを書いている今も、
読みかけの本が最低2冊はある。
(書くのを後回しにたときには3冊ある。
 もっとほっとくと10冊にもなる。
 そうなると、もうその本については書かなくなる)

現在読みかけの2冊を言っちゃうと、
(言わずに、あとの楽しみに
 とっておきたい気もするけど、言っちゃうと)

1コは、
スティーヴン・キングさんが絶賛していた
ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』。

もう1コは、
待ちに待った(前作から14年ぶりだって)
原りょう さんの『それまでの明日』。
(漢字が文字化けすることもある
 というので名前は平仮名にしました)

もちろん、どちらもまだ途中ですが、
双方ともに頭を掻きむしりたくなるほど
面白いんです。
読んでる最中、何度感嘆のため息をついたことか。
こんなとこに書いている暇あったら、
早く続き読みたい。

で、この『天才』。

解説とあとがきにあった執筆動機の話は
面白かったです。





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2018年5月2日水曜日

『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


ちょい前、何の番組かは忘れたけれど
テレビを見ていたら、
画面全体に大きなテロップで
「芸術は盗作であるか、
 革命であるか、いずれかだ」
って言葉が出てきました。
(記憶をもとにしてるので
 文言は正確じゃないかも)

画家のゴーギャンさんが
言ったか書いたかした名言だという
触れ込みでした。

ふむふむ、なるほどなるほど。

偉い芸術家っていわれる人だって、
盗作ってまではいかないだろうけど、
それ以前に世に出ていた何からの作品から
刺激を受けてつくっていくのが
ほとんどだろうし、
(ゴーギャンさんはたぶんそんなのも含めて
 「盗作」って呼んでいるんだと解釈)
もし、まったく何のお手本もないままに
仕上げた創作物だったら、
それはやっぱ「革命」ってことになるようで。

で、この『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』。

ゴーギャンさんのいう盗作か革命か、
どちからに当てはめるなら、
革命には入らないですね。
世の中にあるほとんどの作品と同じように。

だからそういう意味でいえば盗作。
でも、単に特定の何かを
そのまま模倣したんじゃないってことは
よくわかります。
勉強して、こねて、かためて、削って、磨いて
……よく出来てます。

面白かったです。





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2018年4月26日木曜日

『金曜日の本』(吉田篤弘)読みました。


子どもの頃から
東京の板橋に住んでいます。

半世紀近く前には、
あちこちに土が見えていたけど、
今は道路脇の植え込み下くらいしか、
あの焦げ茶色を見つけられませんね。

それと、なんだかわからない建物も
たくさんあった。

崖のようになっている急坂の上には、
学校みたいな病院みたいな木造の建物。
廊下に面した窓の奥に、
ごくまれに白衣を着た医者らしき姿が
見えたりする。

でも、人の気配するのはホントにまれで、
ふだんはまったく物音もしないで、
しーんとしている。

ぼくたちは、そこをお化け病院と呼んで、
探検しに行ったりしたもんです。

鍵もかかってなくて、
子どもでも入れちゃったんです。

ほかにもヘンな場所はたくさんあった。

野球場くらいの広さの
空き地にある草ボウボウを
かき分けてたどり着く、お化け煙突。

(「お化け」は、よくわからない物につく
 接頭語のようなモンでした。
 ほかには、お化けほら穴、お化け工場、
 お化け公園などなど)

煙突といっても高さはなく、
2メートルほどのレンガ塀で
四角く囲んであるだけ。

よじ登って、てっぺんから中に入ると、
ゴミやら何やらがうじゃうじゃある。
あれは何だったんだろう。

で、この『金曜日の本』。

そんなこんなのお化け建物群を
思い出させてくれました。
奥付を見ると著者さんは同年代。
そうでしたね、昔は。





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2018年4月24日火曜日

『ヒトごろし』(京極夏彦)読みました。


何かのきっかけで、時々思い出すのが
「完璧な人間なんていないよ」
ってセリフです。

ビリー・ワイルダー監督の映画
『お熱いのがお好き』に出てくる言葉。

正確には違うかもしれないけど
ぼくの中ではこんなシーンとして
記憶されてます。

お金持ちの紳士から求婚されて、
結婚はできないと断ったオネエが、
ぱっとカツラをとって
「だって私、男だから」
ってカミングアウトする。

それに答えて紳士が、
「完璧な人間なんていないよ」と言い、
そんなのは問題にならないと
笑ってくれる。

あれが確かラストシーンでしたよね。
ちゃうかな。

まあ、でも、
そうなんですよね、完璧な人間はいない。

同じように完璧な小説もないだろうし。
あ、完璧な文章もないって
村上春樹さんも何かの作品の冒頭で
言ってたような気がするし。

で、この『ヒトごろし』。

面白いんですよ。
京極さんがイメージしたんだろう
土方歳三キャラにはめ込むため、
ちょっと強引に持っていくトコもあったけど、
それはそれで潔さを感じたし。

とはいえ、
「やっぱ完璧な本ってのはないな」
と思ったのは、この厚さと重さ。
(だって1000ページ超えてます)

持って読んでいたら、
手が疲れちゃってすぐ挫折。
その度に『お熱いのがお好き』のセリフが
頭に浮かんできました。





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2018年4月17日火曜日

『柳家小三治の落語1』(柳家小三治)読みました。


近々読み返してみようかな、
と思っているのが
星新一さんのショートショート群です。

1000作品はあるって
聞いた覚えがあるけど、
たぶんそのほとんどを中学生の頃、
かじりついて読んでました。

それから40年ほどたった今、
もはや中学生の気持ちに
戻ることはないと思いますが、
何を感じるのか、もしくは感じないのか、
試してみたいと密かに企んでいるんです。

企みを達成できた暁には、
この場でまた紹介するってことにして、と。

えーと、
そのショートショート群の中で、
今でも印象に残っているお気に入りの話が
「おーいでてこーい」です。

ネタバレで恐縮ですが、
ストーリーを言っちゃいますね。

何を投げ入れても、
吸い込んで出てこない穴が見つかって、

それりゃいいってんで、
不要なモノを何から何まで
そこに放り込んじゃった。

やがては核のゴミなんて
とんでもないモノまで。

そうして地球がきれいになったある日、
一番最初に穴に投げ入れた小石が、
空から落ちてきた。

で、この『柳家小三治の落語1』。

収録されている演目の中に
「堪忍袋」って噺がありました。

我慢ならないことがあると、
その袋の中に不満をぶちまけ、
すっきりして笑う、ストレス解消袋。
長屋の皆がそこに怒鳴り声を放り込むんです。
やがて袋はパンパンに膨れあがり
ついには破裂してしまう。

「おーいでてこーい」の元ネタ、みーつけた。





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2018年4月12日木曜日

『人生ごっこを楽しみなヨ』(毒蝮三太夫)読みました。


だいぶ前、
NHKの『真剣10代しゃべり場』って番組に
立川談志さんが出演していました。

題名の通り若者たちが討論する内容なんだけど、
談志さんがゲスト的に招かれていたんです。

しばらくは、おじさん一人と若者十人くらいで、
それぞれ意見を述べ合っていたんですが、

そのうち談志さんが、
若いヤツらの理路整然とした論調に
かなわなくなってきて、とうとう

「俺を誰だと思ってるんだ。
 立川談志だぞ」

とか言って、
スタジオから出ていちゃったんです。

びっくりした若者たちは、
控え室に戻った談志さんの所まで行き、
すみませんでしたと頭を下げ、
何とかなだめて収録の場所まで
戻ってもらった。

ぼくはそれを見て
「若者のほうがよっぽど大人じゃん」
とテレビに向かってつぶやいてました。

で、この『人生ごっこを楽しみなヨ』。

もう亡くなった立川談志さんと友だちだった
という毒蝮三太夫さんの本。
あちこちに談志さんの話が出てきて、
そのたび、
しゃべり場の退場シーンを思い出していました。





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2018年4月10日火曜日

『アルテミス(下)」(アンディ・ウィアー)読みました。


前にも書いた覚えがあるけど、
気にせずネタを使い回しします。

と、前置きして……

えーと、たしか永六輔さんが
ラジオか何かで言っていたこと。

過去に経験した悲惨な境遇を語り継ぐため、
あちこちに講演して回っている人の話です。

その人は、元来、口下手だったから、
講演を依頼された一番最初のときは
出来ないと言って断ったんだそうです。

でも、若い世代に伝えるべきだと説得され、
やっと重い腰を上げ、
大勢の前で話す決心をつけた。
(ごめんなさい。
 肝心の話の内容は、「戦争体験」だったのか
 自然災害の「被災体験」だったのか、
 もしくは全然別物か、
 そこら辺は忘れちゃったんです)

んでやっとこさ登壇すると、
もともと弁は立たない上に、緊張も加わって、
あっちつっかえ、こっちつっかえの、
しどろもどろの超訥弁になっちゃった。

が、しかし、ところが。
聞いていた人はみんな感動して
スタンディングオベーション100%的な
反響が返ってくる。

その人は、それを期に
何度も講演をこなすようになり、
場数を踏んで度胸もつき、
話も流暢にできるようになっていき、
著名人の永六輔さんとも
話しをする機会ができた。

そこで、その人が永六輔さんに言ったのが、
「何十何百と講演をした中で、
 一番共感を得られ、理解されたと思えるのは、
 最初の1回目でした。
 話がうまくなるに従って、
 聴く人の気持ちはどんどん離れていくように
 感じるんです」

慣れてない素人状態のほうが、
人を感動させられる……。
なんとなく、わかる気がします。

で、この『アルテミス(下)』。

前作がデビュー作で、これが2作目とのこと。
……面白かったです。
面白かったけど、
「うまくなるに従い、受ける側はダレていく法則」を
思い出してしまいました。





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2018年4月5日木曜日

『石上三登志スクラップブック:日本映画ミステリ劇場』(石上三登志 著/原正弘 編)読みました。


このところ
(と言っても前2回についてですが)
十年以上前に取材した人格者の話とか、
映画学校時代の小ネタなど、
過去のことばかり取り上げている気がします。
なので、今回もそうしようかと…。

まあ、年齢が年齢だけに、
ノスタルジックな気持ちに流れやすい
ということでご勘弁ください。

ですので、
もう30年以上前の映画学校時代のこと。

1年次のクラスの終わり頃、
学級文集みたいなのがつくられました。

(とはいえ、どういうわけか、ぼくは、
 その出来上がりを見た覚えがないんです)

文集制作の中心になって動いていたのが、
原さんという人でした。

出来上がりを見てもいないに、
なぜ原さんが世話役だと覚えているかというと、
ぼくの書いた文集用の原稿を、
原さんに渡した記憶があるからです。

最初に渡した原稿は、
「この1年間、楽しかったです。
 どうもありがとう」
みたいなたった2〜3行でした。

でも、それを受け取って読んだ原さんが、

「お前は、2年で演出ゼミに行くんやろ。
 こんなんだけで済ますんかい」

と、それを突き返してきたんです。

ぼくは「わっ怖っ!」って思いつつ、
「格好いい人やわぁ…」と、
密かに憧れの気持ちを抱いてしまった。

なので、それからうちに帰って、
もうちょい長い文章をゴリゴリ書いたんです。

で、この『石上三登志スクラップブック:日本映画ミステリ劇場』。

企画・編集されたのが、
なんと、その原さんなのでした。

やっぱさすが。やる人はやりますわ。
本のつくりも緻密だし。
あとがきなんかの文章もうまいし。
何より、中身(石上さんの評論)が面白い。

今さらですが原さん、
文集にやる気のない原稿を提出してしまい、
すみませんでした。





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2018年4月3日火曜日

『小説 映画ドラえもん のび太の宝島』(涌井学)読みました。


かなり昔、あの大林宣彦監督に
インタビューしたことがありました。

(何の取材だったのかは忘れてしまい、
 でもそれは確か、きちんと形にはならずに、
 企画自体がお蔵入りしてしまったような
 気がするんです。モノができていたら、
 忘れないと思うから…)

何をテーマに話したのか、
全体の流れも記憶はおぼろげなんですが、
大林さんが言ってくれた一言だけは、
今もクッキリ頭の中に残ってます。

それは、
「ぼくは基本的に口を出さないからね」
ってこと。

取材して書いてくれた文章には、
固有名詞に誤字があるとか数字が違うとかの
事実関係が明らかに間違っている場合を除き、
ダメ出しはしない。

だから安心して書いてほしいって。

大林さんの言ったことをもとにして
書くんだけれど、出来たモノは

「自分の作品じゃなく、あくまでも
 書いた人の作品だからね。
 ぼくが口を出すのは、おかしいから」

それ聞いたときはもう、
全身鳥肌ものでした。
人間の出来が違うなって。

で、この『小説 映画ドラえもん のび太の宝島』。

本のクレジットには
脚本(川村元気)と著者(涌井学)の名前が
並んでいました。

そこで、大林監督のことをふと思い出し、
原案をつくっただろう脚本家は、
文章を仕上げた著者に対し、
基本的なダメ出しはしてないだろうなと
勝手に想像しちゃいました。

まあ、それが成功するときもあれば、
失敗のときもある、と。





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2018年3月29日木曜日

『アルテミス(上)』(アンディ・ウィアー)読みました。


昔々通っていた映画学校で
200枚だか300枚だかの
長編シナリオを書かなきゃいけない
宿題がありました。

宿題というか、
進級するための必須項目というか。

今となっては、自分が何を書いたかも、
おぼろげにしか浮かんでこないのですが、
なぜか、覚えていることがあります。

やっとこさ書き上げて、それを学校に出したあと、
やはり同じ日に提出にきた友だちとの会話です。

その兄さんが、

(誰だか忘れちゃったのですが、
 たしかぼくより年上だった気がするので、
 とりあえず「兄さん」に)

「お前のには死人が出てくる?」
と聞いてきたんです。

「えっ、ああ、まあ……出しちゃってます」
「そうだよな、やっぱ殺人がないと
 ストーリーにならないもんな」

それ聞いて、
ぼくはなぜだか「次は、殺人なしの話にしよ」
って思ったんです。次の長編シナリオなんて
書いてないですけどね……。
と、これがなぜか覚えているエピソード。

で、この『アルテミス(上)』。

今のとこ、上巻を読み終わっただけ。
同じ著者の前作『火星の人』には
殺人は出て来なかったですよね。
……うーん、今回はそうきたか。
下巻を読まずにはいられない展開でした。





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