2017年9月28日木曜日

『同時代ゲーム』(大江健三郎)読みました。


ネットの検索によると、
日本の法律で一番長い名前は、

「日本国とアメリカ合衆国との間の
 相互協力及び安全保障条約第六条
 に基づく施設及び区域並びに日本
 国における合衆国軍隊の地位に関
 する協定及び日本国における国際
 連合の軍隊の地位に関する協定の
 実施に伴う道路運送法等の特例に
 関する法律」 だそうです。

これまたネットから引っ張った
落語の「じゅげむ」で、
たぶん一度は聞いたことがあるだろう
あの長い名前は、

「寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ
 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末
 食う寝る処に住む処 藪ら柑子の藪柑子
 パイポ パイポ パイポのシューリンガン
 シューリンガンのグーリンダイ
 グーリンダイのポンポコピーの
 ポンポコナーの長久命の長助」のようです。

ネットからのコピペだけで文字を埋め
手を抜こうと考えたのですが、
それだけではまだ足りなそうなので、
自前の文章を少し加えます。

文章が長いか短いかだけで判断するのは
早計なんだろうけど、
やっぱ長いと読みにくいですよね。
(寿限無はちょっと意味が違うけど…)

どれが主語で何が述語で、
これはどれを修飾しているのか、
などなどを頭の中で整理しながら
読まなきゃいけない。

そんな文章を本気で理解しようと思ったら、
深い読書が必要になる。
深い読書ができれば、
描かれた物語もずずんと身体に染みこむ。

で、この『同時代ゲーム』。

再読のハズなのに
1ミリも覚えていませんでした。
前に読んだときは、
たぶん染みこむ読み方を
していなかったんだろうな。 




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2017年9月26日火曜日

『中原の虹(4)』(浅田次郎)読みました。


社会人になってからの大半の時間を、
パソコン前にして
ペコペコ原稿打つことに
費やしてきたぼくなので、

波瀾万丈の人生を
歩んできた人に比べれば、
人物を判断する能力とか経験は
ごく貧弱だと思います。

そんな薄っぺらな対人交流歴の中で、
なんとなく感じていることがあります。

それは
〈話に聞く人物はデカい〉ってこと。

噂話で聞く人物像は、
とてつもなく器の大きな人になる。
でも、実際にその人に会ってみると、
そんなに大したことはない。

話す人は、
自分のしゃべる内容に
興味を持たせたいと思って、
盛っちゃう部分があるんでしょうね。

「あいつ、すげーんだよ。
 いいヤツなんだ、ホントすげーんだから。
 話してみりゃわかるって」
みたいに「すげー」ばかりを連発します。

そうするとぼくの頭の中でも
「すげー」がかけ合わさって、
指数関数的に膨れあがっていく。

人格面でほめていれば
「ガンジーよりすげーかも」

頭の良さなら
「アインシュタインよりスゲー?」

ビジネスセンスなら
「すげー度はジョブズ越え?」

さて、もしそうだとすると、
小説で人物を描写するときも、
本人の行動を直接示すより、
ほかの登場人物に語らせるほうが
「すごさ」は増すのかな…。

で、この『中原の虹(4)』。

すげーです。
ほかの登場人物での語らせ方。
しびれます。




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2017年9月22日金曜日

『ゼロからわかる虚数』(深川和久)読みました。


テーブルみたいな形で
端っこは滝になっていて
海の水が流れ落ちている地球とか、

大きな皿状の大地を
ゾウが何頭も支え持ち上げている図とか、

横たわっている
巨大な人間の表面に
海やら地面やらが描かれ
それが世界全体を表している絵とか、

そんなふうな、昔の人が考えた、
この世の姿を見た覚えがあります。

そうした想像をしていた人たちは、
自分が住んでいるこの場所が
丸い球のようになっているなんて、
思いもしなかったんでしょうね。

ぼくだって、誰かに教えられなきゃ、
ボールに乗っているような状態で
生きてるなんて考えつかない。

とはいえ、
昔の人でも、丸い場所にいるというヒントは、
ちらほらと見え隠れしていたんでしょう。

地平線や水平線を眺めると
なんとなく両端は
丸くなっているように見えるし、

どこまでも海が真っ直ぐだったら
水平線はクッキリと線にならなくて
グラデーションで
だんだんぼやけていくはずだし、

船が近づいてくれば
帆の先端から徐々に見えてくるし。

そんな、ちょこっとしたヒントを
「なんでやろ?」とあれこれ考え、
「そうか、地球って丸いんだ!」
という答えになった。

で、この『ゼロからわかる虚数』。

ひょっとして虚数って、思いもしなかった
「この世界の本当の形を知る
 ヒントなんじゃない?」
なんて思ったり思わなかったり。




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2017年9月20日水曜日

『へこたれない UNBOWED ワンガリ・マータイ自伝』(ワンガリ・マータイ)読みました。


そのスジの人たちは、
トラブルがあったり、もめ事があったり、
という人が争っている状況を
「稼ぎどき」と考えて、
積極的にごたごたの場面に
乗り込んでいくのだと、
聞いたことがあります。

何らかの方法でその争いに勝敗つけて、
勝者からはお礼をもらい、
敗者からはふんだくる、
とかってことなんでしょうか。

どんな仕組みで「稼ぐ」のかは
知らないんですけどね……。

でも、それとは逆にぼくは、
争い事にはなるべく近寄りたくない人です。
(ほとんどの人がそうだと思うけど)

話を聞くだけだといわれても敬遠します。

……なんですが、
まったく一人で、
世知辛い世の中を生きているわけではないので、
ちょっとした衝突とか、不仲とか、
いがみ合いとかをしている人なんかが、
近くに現れることもある。

本心では避けたいのに、
相談に乗って欲しいといわれたり。

そんなとき、仕方なしに話を聞いてみると、
どう判断しても「相手が悪い」と思えちゃう。

そりゃそうです。
相談者は、その〈相手〉を悪いと考えて、
いざこざして相談しているんですから。

そのスジじゃなく、
公平に争いを収めたいと思ったら、
その〈相手〉の話も聞かなきゃダメですよね。
聞きたくないけど。

で、この『へこたれない〜』。

判断するには〈相手〉が書いた本も
読まなきゃと思いました。




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2017年9月14日木曜日

『ロボット・イン・ザ・ガーデン』(デボラ・インストール)読みました。


少し前に読んだ
『書く人はここで躓く』(宮原昭夫)の中に、
こんな作者のミスが例示されていました。

小説講座みたいなところの受講生の作品で、
普段は我が子の言うことなど
何も聞かない傲慢ママが登場するお話です。

ストーリーの途中で何か危険なことが起きて、
傲慢ママは子どもを連れてその場を離れ、
助けを呼びに行こうとする。

でもそのとき、
子どもが「疲れたからここに残る」と
わがままを言い出します。

傲慢ママは、仕方なく
子を残して一人で助けを呼びに行く。

したらそのあと、
残された子どもが、さらわれるか何かして、
物語はハラハラドキドキの
展開になるという筋──。

さて、この中のミスの指摘は、
傲慢ママが子どものわがままを聞き
一人残して行った部分でした。

だって、この場面になるまで、
ママのキャラをさんざん「傲慢」として
描いてきたんだから。

ここで急に、
素直ママになるのはあり得ないと。

ストーリーを面白くすることだけに
引っ張られて、他が見えなくなり、
作者の都合のいいように、
自分で決めた設定をねじ曲げちゃってる。
それじゃあ、読者はついていけない、と。

で、この『ロボット・イン・ザ・ガーデン』。

これがもし、小説講座みたいなところの
受講生の作品だったら、
いろんな指摘をされちゃうんだろうな。




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2017年9月12日火曜日

『中原の虹(3)』(浅田次郎)読みました。



中学高校の頃って、
見るもの聞くもの読むもの
周りのもろもろに、
どんどん影響されて、
人生観とか人との接し方とか
考え方とか言葉遣いとか、
くるくる変わっていきますよね。

それって一般的に
誰でもそうだと思うんですが、
もし違うんであれば、
少なくともぼくの場合だけは、
くるくるヘンゲに翻弄されてました。

洗濯機の中のシャツみたいに、
ぐちゃぐちゃにもみくちゃにされながら、
ひ弱な人格みたいなものが形になっていく、
みたいな。

そんなぼくの人格形成に、
影響を与えてくれたものは、
ラジオの深夜放送、
どん底を感じさせてくれる暗ぁーい映画、
歌詞の意味もわからないのに
なぜか元気の出てくる洋楽、
もちろん
家族とか友だちとかの周囲にいる人たち、
そんで、
半分(というか9割がた)忘れかけている
司馬遼太郎さんの描く坂本竜馬…。

で、この『中原の虹(3)』。

あの頃、この本の中に出てくる
張作霖のこと知っていたら、
竜馬以上に影響受けてたと思います。
あくまでも、
浅田さんが描いたこの本のキャラですけどね。




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2017年9月8日金曜日

『パーマネント神喜劇』(万城目学)読みました。


お寺や神社にお詣りに行って、
お賽銭を出してお祈りするとき、
ぼくは大抵
5秒くらい手を合わせるだけで
済んでしまうんです。

心の中で何かお願い事を唱えれば、
そんな一瞬では終わらないんだろうけど、

その願掛けすることが、
おこがましいというか、厚かましいというか、
何だか神様や仏様に対して
失礼なんじゃないかって思っちゃう。

特に激混みの初詣のときなんかは、
「こんなにたくさんの人が、
 一度に願い事を言ったら、
 いくら神様だったパンクするだろ」
などといらぬ心配をしてしまう。

だからぼくは、
手を合わせたとき「こんにちは」とか
「あけましておめでとうございます」とか
の挨拶だけ胸中でつぶやいて
賽銭箱の前から下りてきちゃうんです。

でも
それはそれで逆に失礼なのかもなって、
最近は考えるようになって
……まあ、
自分の中でどうするのが正解か、
結論は出ていないので、
当分は挨拶だけで済ませるでしょうが。

で、この『パーマネント神喜劇』。

お願い事をされる神様のお話。
ぼくも一度このテーマで
物語をつくってみようかな。
そうすれば、結論が出るかも。




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