2023年2月28日火曜日

『虚数』(スタニスワフ・レム)読みました。


去年(2022年)の11月に読んだ
『べらぼうくん』は、
小説家としてデビューするまでの
苦労話や自虐話がつづられた
万城目学さんのエッセイです。

「デビューするまで」なので、
文学賞に受賞する直前までのあれこれです。

そのまま勤めていれば、
平凡だけどきっと幸せな生活が送れただろうに、
大企業の安定職を投げ打って、
小説を書いては賞に応募して、
かすりもせずに落選して、
それでもめげずにまた書いて、
みたいなことやっていたようです。

そのエッセイに、
修行時代に読んだいくつかの本が
紹介されていました。

確か全部で十数冊あったと思うんですが、
タイトルは1冊を除いて忘れちゃいました
……すみません。

その十数冊グループが
どんなくくりで出ていたかというと
「小説ってものは、
 どんな書き方をしてもいいんだと
 教えてくれた本たち」
だったんです。

『鴨川ホルモー』とか
『プリンセストヨトミ』とか
万城目さんのあの破茶滅茶おもろいストーリーは、
そうした十数冊グループなんかを
踏み台にしてるんだなと思ったのでありました。

で、この『虚数』。

十数冊グループのうちで唯一
タイトルを覚えていた本でした。
確かに「小説ってどんな書き方もありだ」と思えます。




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2023年2月24日金曜日

『十二月の辞書』(早瀬耕)読みました。


例えば、小説の中に
「150人の戦闘隊員を、
 人数が均等になるよう
 10個のグループに分けて班をつくった」
と、書かれていたら、
ぼくのように脳内CPUの回転速度が
のろのろな人でも「なら1つの班は15人か」
と、それほど悩まずに計算結果を導いて、
頭の片隅に入れ、先を読み進めていけると思います。

でもその数字が、
全部で156人、分けるのは13班なんていわれたら、
頭の中央処理装置は熱暴走してふらふらになっちゃうか、
そんなのは見ないふりして次の行の読解を始めるか、
それとも本を閉じて
ベンチプレスで自分の体重より重いバーベルの
持ち上げに挑戦するか、になるでしょう。

(ちなみに156の13であれば
 1班は12人になります。電卓で計算しました)

まあ、その数字を出さなきゃ
どうにも話が進まない物語であるなら、
そこでは1班=12人という答えも、
次の行かもしくはその1文の中で
書かれるのが大半でしょう。

でも、そういうわかりきったことは書かずに、
(熱暴走しようがじっと立ち止まって暗算するか、
 筆算するか、電卓叩けばいいんだから)
ぼくをおいてけぼりにして先に進んでいく作品もあります。

で、この『十二月の辞書』。

物語の大筋にはそれほど関わらないけど、
「読者に任せよう」みたいなことが書かれていました。
えーっと、まぁそれとは別に、
映画とかにするといい作品になるだろうなと思いました。




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2023年2月21日火曜日

『風神雷神 Juppiter,Aeolus(下)』(原田マハ)読みました。


それまでテンポよく
セリフの掛け合いで
話が進んでいたのに、唐突に

そこで太郎は、ある計画を打ち明けた。
花子はあまりにも面妖なそのくわだてに
返す言葉が見つからなかった。

みたいな
「ある計画」などと思わせぶりな
「気になるでしょ。でもまだ教えないよー」的な
説明文が入って、

読んでいる人をじらせる小説って
数えきれないほどたくさんあります。

そういうのを読むたびに、
やめてほしいなって思っちゃうんです。

「このあと驚きの展開が!」みたいな
ナレーションが聞こえてきて
CMに入るテレビ番組じゃないんだから、
いいじゃん教えれば。

そのじらしの前振りはやめて、
いきなり、その驚きの展開とか
その面妖なくだわての場面に
入ってほしいな。

じらすのはたぶん一種の小説作法で、
読者を引き込むための定石なんだろうけど、
へそ曲がりのぼくには、
どうもむず痒く感じちゃう。

自分が物語をつくるとき、
その定石をうまく使えず、
試してみてもどうも
ポンコツな展開になってしまい、
上手に活用できる人はうらやましいな、
とも思うけど。

で、この『風神雷神 Juppiter,Aeolus(下)』。

作者の原田マハさんは、
じらさないから好きです。




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2023年2月16日木曜日

『風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)』(原田マハ)読みました。


これを書いているのは
2023年1月4日です。

さっき、
この前の『変!!』(中島らも)の
感想文もどきの文字を埋め、
その勢いのまま、続けています。

実は2022年を締めくくったのが、
らもさんの本で、
新年は原田マハさんからになりました。

前から何度も言っているように、
3冊の並行読みをしている関係で、
分冊になっている長編小説でも
間に別の作品が入るのが普通なんですが

(例えば、会社の昼休みに『徳川家康(15)』を
 読み終えたら、そのまま第16巻に進みますが
 昼時間が終わったら
 その本は仕事場の袖机の棚に置いたままで、
 次の読書場には移動しません。
 その次の読書場である帰宅時バス車中では
 通勤リュックに入っている
 『竜馬がゆく(3)』を読み出す。
 そしてそれもバス内だけでページを閉じて、
 うちに帰って寝床に入ったら、
 枕元の棚に置いてある『真田太平記(12)』を
 やっつける。
 この場合、ここに感想文もどきが載る順は、
 徳川家康の「15」→「16」じゃなく、
 家康→竜馬→真田になります。
 なので、頭の中はごちゃごちゃで
 幕末も戦国も一緒くたになることがあります。
 あ、またカッコ内にこんなに長く書いちゃった。
 なお家康と真田は未読です)

今回はお正月休みがあったので、
枕元本だけ続けて読むことができました。

で、この『風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)』。

続けて読めたので、間に他の本を入れずに、
下巻の感想文もどきに入れます。
もう下巻も読み終えているんですが、
とりあえず上巻だけの感想。
面白かったです。




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2023年2月14日火曜日

『変!!』(中島らも)読みました。


2冊ほど前の
『ユーモアは最強の武器である』のとき、
落語の「らくだ」の話を書きました。

実はそのときに思い出したのは、
落語のネタがとっかかりになった
実際の噺家さんの話だったんです。

その噺家さんが亡くなったときの
お葬式のエピソードです。

誰だったか名前は忘れちゃったんですが、
故人は、みんなからとても親しまれていた人。

葬儀に出席した落語家の仲間は、
悲しいのは当たり前だけど、
こういうときにこそ、
いつもみんなを笑顔してくれた人に
ふさわしい場にしないといけないと
誰かが言い出したらしく

「ならば〝らくだ〟だ」
となったんだそうです。

遺体にカンカン踊りをさせる
ドタバタの古典落語。

目の前の棺桶に横たわっているご遺体を
みんなでひっぱりし出して
本当にやっちゃったって話でした。

で、この『変!!』。

その落語家さんたちの話は、
昔読んだこの本に書いてあるはず
と思って何十年ぶりかで再読しました。

でも、その話は見当たらなかったんです。
中島らもさんの他の本だったのかな。
それとも
頭の中で勝手につくり上げた妄想だったのかな。




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2023年2月9日木曜日

『流浪地球』(劉慈欣)読みました。


高速道路の工事現場に案内板があり、
そこに書かれていた完成予定日が
10年くらい未来の年月で、

「そんな先かよ、それじゃあ
 ノストラダムスに間に合わない」

と思ったことがありました。
だから完成はしないだろと
勝手に想像していたのは、
1999年より前、前世紀の話です。

今、その場所にある高架がうねうねと続く
立派な空中の道路は、
地面にしっかり根をおろしています。

人のやる仕事ってすごいっすね。

それみたいに何年もかかって仕上げる作業に、
期間の限界ってあるんでしょうか。
実際に目にしたので
10年間はあるのだと理解できました。

では30年も大丈夫かな、
もう一声で50年も。

3桁になって100年だと、
とうてい1世代じゃあ済まないだろうから、
何をつくるかによるかな。
あ、桜田さんの家族みたいな名前の
スペインの教会は、もっと長いんでしたっけ。

で、この『流浪地球』。

同じ著者さんの長編『三体』でもありましたが、
400年とか500年とか続けなきゃダメな
プロジェクトの話が出てきます。
そんな事態に直面したら、
やっぱやるんでしょうね、人間は。




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2023年2月7日火曜日

『ユーモアは最強の武器である』(ジェニファー・アーカー/ナオミ・バグドナス)読みました。


少し前、お葬式に出ました。
お坊さんの読経とかみんなのお焼香とかで
しんみりと式は進み、
葬儀場から火葬場への出棺になりました。

会葬者が、ふたを開けられた棺を囲み、
遺体のまわりに花を添えていきました。

棺の中には、
故人が生前親しんでいたものも入れられ、
その中に、よくかぶっていたという
毛糸の帽子がありました。

気を使った葬儀屋さんが、
着けてあげるのも供養になるといいました。

だから、みんなで首を支え、
頭を持ち上げてかぶらせようとしたんです。

でも、これがなんともうまくいかず、
ぐらんぐらんさせながら、
やっとの思いで着けられました。

と思ったら、
なんだか似合わないので、
やっぱりやめようってことになりました。

ぼくは、その一連のあれやこれやを見ていて、
遺体にカンカン踊りをさせる
落語の「らくだ」を思い出しました。

で、この『ユーモアは最強の武器である』。

確かに、どんなときにもユーモアは大切です。




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2023年2月2日木曜日

『風待ちの四傑 くらまし屋稼業』(今村翔吾)読みました。


ここには読み終えた順に
感想文もどきを書いています。
画面をスクロールして
直前のいくつかの本をみてみると、
……やっぱりそうでした。

3冊も続けて、
小説じゃなかったんです。
往復書簡とかエッセイとか
ノンフィクションとか。

どうりで、なんだか気持ちが
モヤモヤしてきたわけだ。

そいういえば、
長いこと映画を観ないとイライラしてきて
居ても立っても居られなくなり、
ヤク切れのような禁断症状が現れる
と言ってた友だちがいたな。

ま、そこまでひどいわけじゃないけれど、
ぼくも小説を読んでいないと
微弱な渇望状態に陥ってしまうのかもしれません。

小説じゃないけれども、とりあえずは本なので
並んでいる文字の〈目で追い作業〉はしていて
それに身体がごまかされ
物語渇望に気づかなかったようです。

作り話だから何が起きても大丈夫って
安心感が欲しいのかもしれません。

で、この『風待ちの四傑 くらまし屋稼業』。

やっと待ちに待った小説でした。
タイトルにも「待ち」って入っているし。
「空腹は最高のスパイス」ってなこといわれるけど、
それに似た感じです。面白かった。




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