例えば、小説の中に
「150人の戦闘隊員を、
人数が均等になるよう
10個のグループに分けて班をつくった」
と、書かれていたら、
ぼくのように脳内CPUの回転速度が
のろのろな人でも「なら1つの班は15人か」
と、それほど悩まずに計算結果を導いて、
頭の片隅に入れ、先を読み進めていけると思います。
でもその数字が、
全部で156人、分けるのは13班なんていわれたら、
頭の中央処理装置は熱暴走してふらふらになっちゃうか、
そんなのは見ないふりして次の行の読解を始めるか、
それとも本を閉じて
ベンチプレスで自分の体重より重いバーベルの
持ち上げに挑戦するか、になるでしょう。
(ちなみに156の13であれば
1班は12人になります。電卓で計算しました)
まあ、その数字を出さなきゃ
どうにも話が進まない物語であるなら、
そこでは1班=12人という答えも、
次の行かもしくはその1文の中で
書かれるのが大半でしょう。
でも、そういうわかりきったことは書かずに、
(熱暴走しようがじっと立ち止まって暗算するか、
筆算するか、電卓叩けばいいんだから)
ぼくをおいてけぼりにして先に進んでいく作品もあります。
で、この『十二月の辞書』。
物語の大筋にはそれほど関わらないけど、
「読者に任せよう」みたいなことが書かれていました。
えーっと、まぁそれとは別に、
映画とかにするといい作品になるだろうなと思いました。
**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら。
**********************