2020年7月30日木曜日

『折りたたみ北京』(ケン・リュウ 編)読みました。


半世紀以上生きているから、
その間に世の中は技術革新が進み
ものすごく変わっているはずなんだけど、

ぼくの感受性が鈍いからなのか、
その中にいると変化には
気づかないものなのか、

目を白黒させるような
「うわー、これって未来じゃん!」
みたいな驚きに
出会ったという覚えがないんです。

まだ幼かったからかもしれないけど、
テレビがカラーになっていくのも
それほどワクワクした覚えはないし、
ワープロが出てきても
最初は誤変換ばっかりで手書きの方が早く、
パソコンに変わって
徐々に使えるようになっていくけれど、
使いながら少しずつの
バージョンアップだったから、
これって驚きみたいのはなかったし。
インターネットも、
図書館や本屋さんを梯子しながら
ネタを集めていた頃を思い出せば、
すごいなとは思うけど、
最初の頃のピーガー・ピョンピョンピョン
なんて音を聞きながら、
通信費を気にしながらの使用感から
だんだん今みたいな
使い勝手に移ってきたので、ココだという
転換点の仰天ポイントはなかった。

あ、
そういえばカーナビだけは
「げっ、こりゃSFだ!」って、
たまげたかな。
動く地図の中に自分がいるんかい、って。

で、この『折りたたみ北京』。

ディストピアのお話がてんこ盛りでした。
そんな重苦しい未来に向かっているとしても、
その最中は気づかないんだろうな。





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2020年7月28日火曜日

『夜の蝉』(北村薫)読みました。


ここに記録をつけるのと同時に、
一覧にしておくと見やすいからと、
エクセルにも、
読んだ本のリストを並べています。

どんだけの数を読んだのか
気になって過去を振り返ってみると、
2016年は144冊、2017年が116冊、
2018年は89冊、そんで去年は93冊。

去年はちょっぴり上むいたけど、
全体的に見れば漸減傾向って
いうんでしょうか。

(この漸減《ぜんげん》って、
 これまで「漸」じゃなく「斬」だと
 ばっかり思ってました。
 だから読みも「ざんげん」と覚えてて、
 その読みだと一発変換されなくて、
 あれれと思い、辞書を調べて知りました。
 それによると正しい
 「漸《ぜん》」なら「だんだん。次第に」
 って意味で、
 サンズイがつかない「斬《ざん》」は
 「きる。刀できる」もしくは「打ち首」。
 生きているうちに気がついてよかったです。
 「頭をきれられて背丈が減る」の
 意味になっちゃいます。
 あ、いかん、また寄り道に文字数を使いすぎだ)。

で、この『夜の蝉』。

今年の約半分がすぎる時期ですが、
この本が57冊目。
単純に倍にすると2020年は114冊になる。
ひょっとして漸増傾向に入るのかな。
あ、本は面白かったです。




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2020年7月21日火曜日

『仙台ぐらし』(伊坂幸太郎)読みました。


アスリートが出演する
バラエティ番組で、
その選手本来の競技種目じゃない
違うスポーツに、初めて挑戦する
という企画をやってました。

ぼくが中学高校と続け、
今も1年に1度くらいなら
やっているバドミントンも、
その中に入っていて、

水泳、陸上、体操、それから野球、
サッカーの選手なんかが
チャレンジしてました。

それぞれその分野では
一流といわれる人たちだから、
みんなそつなくこなし、

司会者とか一緒に出ている
芸能人なんかが
「やっぱり普段から鍛えている
 アスリートだけありますね」
などとコメントして、

選手たちが
「いやーそれほどでもぉ」
とかいって照れる、
なんて絵を想像していたのですが、

あにはからんや、彼らのプレーは
やっぱり初心者のそれで、
一般のビギナーと
ほとんど変わりませんでした。

それでも、
野球やサッカーの選手は、
割と覚えが早く、
しばらくやっていると
それなりに見られるフォームになり、

球を振られても
追いつけるようになっていき、
空振りの回数も減っていきました。

でも、水泳や陸上の人は、
ぎこちなさが最後まで消えずに、
ドタバタ打ちを繰り返していました。
同じスポーツといっても、
違うもんなんですね。

で、この『仙台ぐらし』。

小説家の伊坂幸太郎さんが
書いたエッセイでした。
(中に1本、フィクションもありましたが)

同じ文章といっても、
創作の物語と随筆では違うもんなんですね。





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2020年7月16日木曜日

『お金の減らし方』(森博嗣)読みました。


新聞、雑誌、書籍などを
つくる仕事では、原稿を
何度もチェックする工程があります。

間違いはないかとか、
変な文章になっていないかとか、
神経すり減らしながら、
少なくとも4、5回は見直します。

(こんなこと言っておきながら
 申し訳ないのですが、
 このブログの文章は、
 書き上げてから、
 せいぜい1回くらいしか
 読み直していません。
 だから誤字だらけなのか、
 とのお叱りはごもっともです。
 でも、それくらいのゆるさが、
 この場のいいところだと
 感じているので、
 どうかご容赦ください)

その確認作業は、ぼくだけじゃなく、
編集者、校正者、クライアント、
取材先など、いろんな人がやる。

いろんな目で見て、
多量の修正指示が
赤ペンで入れられてくる。

根はへそ曲がりだけど、
それを上回る小心者のぼくは、
そうした指示にはなるべく逆らわず、
「はい、おっしゃる通りでございます」的に、
要望通りの変更をしていくのが常です。

で、この『お金の減らし方』。

編集者からの最初の依頼は
「お金の増やし方」だったと
《まえがき》に書いてありました。
著者さんは小心者ではないみたいです。





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2020年7月14日火曜日

『日本語オノマトペ辞典』(小野正弘 編)読みました。


読書する
シチュエーションは3つあり
(会社の昼休み、
 帰宅時のバス車中、
 就寝時の寝床)
それぞれで別の本を
読んでいることは、
ここで何度も披露しました。

でも実はもう一つ
密かにページをめくってる
場面があるんです。

もちろんそれも
いつもの3冊とは別の本を
読み進めてる。

説明が難しいんですが、
ざっくりいえばスキマ時間です。

仕事中に、
なぜかぽっかり空いてしまうタイミング。

「あと10分ぐらいで資料を送るから、
 受け取ったらすぐ作業してほしい」
なんて言われたときの10分、

パソコンのシステムを
アップデートしたときに
「作業終了まで約20分」
なんて表示が出たときの20分、

準備は出来たけど出かけるまでに
あと15分あるってときの15分など。

そんな細切れ時間では
続き物の作品を読んでも、
それまでの内容を忘れているでしょう。

で、この『日本語オノマトペ辞典』。

辞典なので内容は続いておらず、
項目ごとに別々だから大丈夫。
でも、読み終えるのに
たぶん3年以上はかかっています。





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2020年7月9日木曜日

『空飛ぶ馬』(北村薫)読みました。


3月ほど前に読み終わった
《ミレニアム》シリーズの第6部は、
《ドラゴン・タトゥーの女》から
始まる3部までの作者が急逝したため、
別の人が引き継いで、
話を完結させた小説でした。

最初の3部も含め1〜5までは、
本当にのめり込んで、
名前も知らないジムで顔を
合わせるだけの人たちに、
かたっぱしから
その作品の登場人物名を当てはめ、
密かに
「あれ?今日は
 リスベット・サランデルが来てないな」
なんて頭の中でつぶやいてました。

でも、完結篇の6は、
それほどでもなかった。

もし、この6を
一番最初に読んでいたとしたら、
残りの5つは、
手をつけなかったと思います。

逆に1〜5のどれでも、
例えば第4部から読んだとしても、
「こりゃたまらん」とか言って
本屋さんに走り、
第1部を入手し、
続け様に最後まで目を通した
と思います。

もっと最近でいうと、
相沢沙呼さんの作品もそんな感じ。
『medium』って作品が最初だったから、
《小説の神様》シリーズにいき、
ちょっと前に読了した
『マツリカ・マトリョシカ』になった。
それが最初だったら、
つながらなかったろうな、
と思ってます。

で、この『空飛ぶ馬』。

シリーズ1冊目。最初に読んだのは
4冊目の『六の宮の姫君』でした。
つながってよかったです。





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2020年7月7日火曜日

『文章読本』(三島由紀夫)読みました。


何冊か前に北村薫さんの
『六の宮の姫君』を読んだと
書きました。

その本を読んだのは、
ネットの記事かなにかで、
「衝撃的に面白くて、
 その後の創作活動に
 大きく影響を受けています」
とかいうどこかの作家さん
(すみません、誰だかは忘れました)
の言葉が頭に残っていたからです。

北村さんといえば、
かなりのベテランで、
作品もたくさん出ているのに、
ぼくは一冊も読んでいませんでした。

前に書いたときには、
相変わらずのおちゃらけ感想で、
ぼくと同じ名前の菊池寛さんなぞを
引き合いに出し、
面白かったとは伝えたけど、
「本当に心から面白かたんだぞ」
とはいいませんでした。

そう、心から面白かったんです。

で、そのままにしてはいかんと思い、
『六の宮の姫君』に至るまでの前作を
(『六の宮〜』はシリーズ4作目)
3冊まとめ買いしちゃったんです。

今、その1冊目、デビュー作でもある
『空飛ぶ馬』を読んでます。

これもなかなかおいしい本でして、
そこにね。
気になる1文があったんですわ。

主人公2人が
喫茶店に入って注文を終え、
しばらく他の描写があったあと、
「お茶が来た。」
と句点を含めわずか6文字で
その節が締め括られていたトコ。

で、この『文章読本』。

三島さんは森鴎外さんの
小説の中の1文である
「水が来た」
を引用して、
その簡潔さを絶賛していました。

当然のことながら、北村さんも
これ読んでいるんだろうなって
思った次第。





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2020年7月2日木曜日

『マツリカ・マトリョシカ』(相沢沙呼)読みました。


今は梅雨時でジメジメしているから、
ちゃんと干したはずの洗濯物も
どことなしにしっとりしています。

ランニングをした後なんかは、
水分含有量0%のパリパリに
乾いたタオルで汗を拭きたいな、
などと思ったりします。

でもでも、
それが乾燥した冬場だと、
シャツなんかはパリパリというより
カチカチになってしまい、
そのまま顔を拭いたら、
マジックテープのギザギザの
きついほうの面で擦ったように
なることもあります。

指先とかもカサカサになって、
しょっちゅうひび割れです。

そんなときには、
ふんわりしっとりの
適度な湿り気がほしくなる。

こんもりした湿度の中にいるときは、
湿気は嫌われ、
乾燥状態の中にいるときには、
乾いたのは嫌われる。

ああ、人間って
なんて身勝手なわがまま野郎なんでしょう。

で、この『マツリカ・マトリョシカ』。

主人公の心理描写なんかを読んでいて、
ぼく的には
「湿度90%くらいあるな」と感じました。
ということは
冬場の指先カサカサ状態で
ページをめくるのがよかったんでしょうね。






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