2020年8月27日木曜日

『3652 伊坂幸太郎エッセイ集』(伊坂幸太郎)読みました。


たぶんスティーヴン・キングさんの
小説のつくり方を知ってから
だと思うんですが、
ストーリー作法には
大きく2つのやり方があるようだと
意識するようになってきました。

もちろん本は
面白ければそれでよくて、
読んでいる最中に、
「これ、どうやって
 つくっていったのかな」とか
「これが作者の
 一番伝えたかったテーマだな」
なんてことを
考えちゃうのはとっても野暮で、
そんな邪念は一切なしに
ガガーっとページを
めくっていけるのが理想だけれども、

そんなふうにできるのは、
やっぱりとんでもなく面白い作品で、
たいがいの本は、
頭の中であっちに寄り道、
こっちで居眠りしながらになっちゃう。

ほんで、もとに戻って2つのやり方。
1つは、
構成をみっちり練ってから
書き始める方法。
もう1つは、
構成なしに思いつくまま
物語っていく進め方。

キングさんは後者だそうです。
読者のぼくも、
これは練りすぎだと感じるものより、
思いつくまま系のほうが好きです。

で、この『3652 伊坂幸太郎エッセイ集』。

伊坂さんの作品は、
構成練り練りでつくっていると思ったけど、
どうやらそうではないようでした。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2020年8月25日火曜日

『胎児のはなし』(最相葉月/増崎英明)読みました。


読み終えた本のストックは
会社と家の2カ所に分散しています。

会社と通勤バス、
それに家の3つの場所で、
それぞれ違う本を楽しんで、
読み終えた場所に
置いておくってことです。
(通勤バスは
 帰りだけ使っているので、
 読了時は家になります)

そのうち会社は、
この感想文もどきの文章を
書くところなので、
読了本のうち、
まだ文章をつくっていないものと、
もう済んじゃったものがわかるように、
ちょっとだけ
保管エリアを変えています。

未文章モノは
机の横に置いているソデ机的低層棚、
済文章モノは
ちゃんとした本棚。
(このちゃんと本棚は、
 仕事の資料とかも置いてあるので、
 ここで紹介した本なんかを置く
 スペースには1マス分しか
 充てていません。
 そうしないとどんどん増殖して
 仕事ができなくなっちゃうので。
 んで、約1年ほどで、
 その1マス分はラッシュアワーの
 満員電車状態になるので、
 そうなるたび、
 ブックオフさんに持っていきます)

ソデ机的低層棚は本来、
本を置く場所ではなく、
事務用品なんかを
備えておくところですが、
文章を書くまでの
一時保存スペースなので、
通常は問題ありません。
書いちゃえば、
1マス本棚に移動できるのですから。

で、この『胎児のはなし』。

前回同様、
書くまでに20日以上の
期間がありました。
ホチキスをとるのに邪魔でした。
これでやっと1マス本棚に移せる。

あっ、また本の内容書くの忘れた。
ま、いいか。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2020年8月20日木曜日

『三体2 黒暗森林(上)』(劉慈欣)読みました。


前に言ったかもしれませんが、
ここに感想文もどきを書く前に、
とりあえず、
読了した本の書名や著者なんかの
情報だけはエクセル表に
メモっておきます。一緒に日付もね。

その日付、7月28日でした。

でも、
この文章を書いているのは、
今日、8月20日。

その20日超の期間は、
ずっと、読んんだままの
ほっぽらかし状態だったんです。

でも、
新しい本を読まなかったわけではなく、
ここに文章を書かなかっただけ。

だから、今、
同じような感想文なし読了本が、
8冊分もたまっているんです。

藤井太洋さんって作家さんは、
初期の作品をスマホで書いたと、
どっかで聞きましたが、
そんな技を持っていないぼくは、
仕事の合間を縫いながら、
パソコンで
ペコペコ書くほかありません。

なので、
仕事がドタバタするとどうしても、
後回しになっちゃうんです。

で、この『三体Ⅱ 黒暗森林(上)』。

さっき言った感想文なし読了本の中に、
この本の下巻も含まれています。
続きは、そっちの文章で。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2020年8月18日火曜日

『梅安蟻地獄 仕掛人・藤枝梅安(2)』(池波正太郎)読みました。


フェイスブックの思い出通知機能が
知らせてくれた2年前の
今日のつぶやきには、

「仕事がバタバタ状態で
 本が読めない、なんとかしてー」

って内容が表示されてました。
(というか、
 2年前のぼくが書きました)

ここ十数年、年間を通して
ほぼ同じような緩急のリズムで
仕事をさせてもらっているので、

カレンダー上では同じ日付になる
「過去の今日」は、
「現在の今日」と
ほぼ同レベルの負荷状況に
なっているのがほとんどです。

つまりバタバタ状態に
関連する過去のつぶやきは、
今つぶやきたいことをそのまま表している。

ところがぎっちょんちょん。

現在、バタバタ的には
去年とも2年前の8月とも
変わらないのですが、
読み終える本の数だけは、
それなりに積み上がってる。

本業を
いい加減にチャチャッと
終わらせてるわけじゃないですよ。
もちろん。

で、この『梅安蟻地獄 仕掛人・藤枝梅安(2)』。

冊数を読めちゃうときって、
どこかに池波正太郎さんの作品が
入っているようです。
面白いし、文字数も少ないから、
スラスラ読めちゃうんだな、これが。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2020年8月14日金曜日

『秋の花』(北村薫)読みました。


今、通勤バス車中で読んでいる
伊坂幸太郎さんのエッセイに、
自分の書く小説の中で
扱いたくないテーマ(というかネタ)が
あるといっていました。

だいぶ前に出た随筆なので
今は考え方が
変わっているかもしれませんが、

そこにあった避けたい題材は、
「恋愛」でした。

理由は、
恋愛は面白いに決まっているから。

その文章では小説を料理にたとえて、
恋愛は「肉」のようなモンだとしています。

「肉」を使えば
料理がおいしくなるのは当たり前で、
それを使わないメニューで
お客を唸らせるのが、
腕のいい料理人ではないか、と。

だとすれば、
おいしくなって当然の
恋愛ストーリーに頼らず、
あえてその素材を使わず、
小説をつくりあげていきたい、
らしいです。

ストイックですね……と、
少しちゃかしましたが、
ぼくも同じように
考えているネタがあります。

それは「人が死んじゃうこと」。
悲しい物語は、
大昔から人気があるようで
「泣かせる=いい話」みたいなトコ
あるじゃないですか。

その等式に当てはめる
一番簡単な方法は、
「人の死を話に盛り込む」
だと思うんです。

だから、
人死にが入っている小説なんかを読むと、
「ちょっと安易じゃない」
とか思っちゃったりします。

で、この『秋の花』。

お話の中で、人が死にます。
だけど「安易じゃない?」とは
カケラも思いませんでした。
ほんと、いいですわ、この本。
何をネタにしても、
すごい本はすごい。

修行不足を痛感しました。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2020年8月12日水曜日

『人はなぜ治るのか』(アンドリュー・ワイス)読みました。


よく考えたら
もうすぐ10年になるんですね。

あの大きな地震のとき、
ぼくのつくる文章の中では、
なるべくその天災関連の事柄には
触れないようにしていました。

余震が続いてびくついていることも、
電気が足りなくなるとかで
街灯が消され暗い大通りを
歩かなきゃならないことも、
「放射線大丈夫かよ」みたいな
話題だけで飲み会が
終わってしまうことも。

それ系のネタを書けば、
指定の文字数は楽々埋まるのに、
なんかその話題を書くのが
嫌だったんです。

へそ曲がりな性格だから、
世の中のみんなが
今だけ乗っているホットな土俵の
同じ場所に上がるのが嫌いなんですね。

あの頃の自分の
頭の中を思い出してみると、
そのネタに意識的に
触れないようにしていた感じです。

それほど確たる信念が
あるわけじゃないから、
気を抜いているとつい
「大地震はすごかった」
みたいに書いちゃう。

そんで後から気づいて
削除キーを連打するってことが
よくありました。

で、この『人はなぜ治るのか』。

あっ、また本とは関係ない内容で
文字を埋めちゃいました。
ま、いいか。2020年夏現在の
ホットな土俵には乗らなかったから。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2020年8月7日金曜日

『殺しの四人 仕掛人・藤枝梅安(1)』(池波正太郎)読みました。


小説やら映画やらのストーリーが
面白いと感じるのは、
どんなときなのか。

誰もが絶対に面白いと感じてしまう
ファクターXを突き止めて、
「ファクターXぜいたく盛り」
みたいな物語をつくって発表すれば、
大ヒット間違いなしで、
ぼくも一夜にして
超セレブに変身できると企みながら、
本の中にあるファクターX探しを
日夜続けているのですが、
残念ながら探究の旅に終わりは見えず、
ぼんやりとしたXさんの姿に
エッジの効いた輪郭は出てきません。

それでも、ひょっとしたら
兄弟のYさんか、
もしくは親戚のZさんかな、
と思えるようなファクターもどきは、
見つけています。

その一つが《勘違い》。

「誤解」といった方が言葉的には
正しいかもしれません。
何かを間違って解釈しちゃうこと。

登場人物が
《勘違い》によって行動するという
「ファクター」はストーリーを
面白くするんですね。

例えばシェイクスピアはそればっか。
リア王は末娘の行動を勘違いして冷遇するし、
ロミオに至っては
ジュリエットが死んだと勘違いして
後追い自殺しちゃう。

映画でいえば、
登場人物だけでなく
観客に《勘違い》させるという
アクロバティック技で
痺れさせてくれた『スティング』があるし、
それ系のどんでん返しはあちこちにある。

で、この『殺しの四人 仕掛人・藤枝梅安(1)』。

面白いって思える《勘違い》を
どこにも見つけられないんです。
なのに面白い。
どこのどういうファクターが
関連しているのか、現在調査中。
まあそんなのどうでもいいから早く2巻を読も!





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2020年8月4日火曜日

『じんかん』(今村翔吾)読みました。


ご時勢ということもあって、

(自動変換されるまま《時勢》と
 書きましたが、ゲシュタルト崩壊的に
 「あれっ、これでいいんだっけ?」
 と思ってしまい、
 パソコン辞書を引いてみたら
 《時世》って言葉も載ってて、
 その解説に
 〔同音語の「時世」は移り変わる世の中の
  ことであるが,それに対して「時勢」は
  時代とともに変わる世の中の傾向をいう〕
 とあり、結局どっちが適切なのか
 わからなくなったので、
 そのままにします)

ついこの前、パソコンの
分割画面の中にいる相手としゃべる
リモート会議をしました。

スマホも十分に使いこなせない
ぼくにとっては、
やっぱりなんとなくぎこちないというか、
味気ないというか、消化不良というか、
な感じでした。

設備のスペックが十分じゃなく、
音声が画像がクリアじゃないってことも
影響してたんだろうけど。

話し合いは、
それなりに落ち着くところに落ち着いて、
会議としての用には十分足りたんですが、

あとで思い返すと、
もしリアルの対面だったら、
もうちょっと違う結論になっていたかも
なんて思ったりしました。
……でも、変わらないんだろうけどね。

で、この『じんかん』。

戦国時代にリモート会議ができてたら、
戦国時代にはならなかったかも
なんて思ったりしました。
……でも、変わらないかな。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************