2018年6月28日木曜日

『教養としてのテクノロジー』(伊藤穰一)読みました。


仕事場には、
湯の温度が表示される電気ポットが
置いてあります。

水を注いでスイッチを入れ、
沸騰して100度になると、
メロディが鳴って、
お湯が沸いたことを知らせてくれます。

これで、お茶やコーヒーを入れたり、
カップラーメンをつくったりするんです。

このポットを使っていて、
最近気づいたのが、
お湯の温度とお茶の濃さの関係です。

食べ物・飲み物の味には
頓着のないぼくですが、何かの拍子に

「あれ? 茶葉の量は
 いつもと同じなのに今日のは濃いな」
と感じ、
つくったときのことを思い出してみると、
いつもと温度が違ってた。

いつもは、
ポットのメロディが鳴ってすぐ、
つまり100度で茶を入れる。

でも、そのときは、
待ちきれなくて70度とか80度の
沸かし途中に入れちゃったんです。

ぼくの飲んでる茶葉だけかもしれませんが、
100度の熱々湯のほうが、
薄くなることあるんですね。

で、この『教養としてのテクノロジー』。

入れる温度の違いでしょうか。
ちと薄く感じちゃいました。





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2018年6月26日火曜日

『鳩の撃退法(下)』(佐藤正午)読みました。


事務所にある押し入れみたいな場所には、
昔使っていたパソコンが数台眠っています。

何かしらの不具合が出て、
新しいマシンに入れ替えて、
そのままになっている。

パソコンって普通のゴミじゃ出せないから、
なんやかやの手続きをしないといけないでしょ。

それが面倒で、
ほっぽらかしになってる。

同じ場所には、古いバージョンの
アプリケーションソフトなんかの空き箱が
ずらーっと並んでいる。

今はパッケージが小さくなってたり、
カードの銀箔を削って番号だけ入手する
ダウンロード版とかになったから、
保管場所もいらなくなったけど、

ちょっと前までは、
どれもアマゾンの本の配送箱くらいのかさがあり、
それをとっておくと世界大百科事典が
揃っているくらい場所をとっちゃう。

だから、中身のCD-ROMや説明書なんかを
抜いて整理すればいいんだけど、
それもパソコンと同じに、
面倒になって、ほっぽらかしている。

でもね。
面倒でやらずにいるのは本当なんだけど、
最初は何とかしようと計画を立てたんです。

パソコンなら、万が一のため、
古い機種もしばらくはとっておき、
半年たったら業者に電話してとか。

アプリの箱なら、
段ボール紙の古紙回収の日を待って、
翌週にやろうとか。
(それを忘れて、また翌週、また翌週……)

そうやって、
ずるずるとなっているわけなんです。

で、この『鳩の撃退法(下)』。

TMIって略語が出てきました。
Too Much Informationだそうで
「書き過ぎ」を意味するらしく、
余計なことは削られているようです。

そのため、書かれなかったものが、
放って置かれているイメージがどんどん膨らんで、

事務所の押し入れの中を思い出しちゃいました。
そろそろなんとかしようかな。





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2018年6月21日木曜日

『柳家小三治の落語(4)』(柳家小三治)読みました。


誰だったか忘れたんですが、
(たしか結構有名な作家さん。
 丸山健二さんだっかな、違うな…)

著作権の守られる期間が長くなるとか
短くなるとかで、議論になっていたとき
(今もああでもないこうでもないと
 やっているみたいですが…)

そんなもの「作者が死んだら、
すぐにでも消滅していい」みたいな
発言をしていた人がいました。

死後50年でしたっけ、75年でしたっけ、
著作権は保護されて、関係ない人は、
許可なくコピーとかしちゃいけないって
ことになってるけど、
「そんなのいらない」と。

一緒に苦労してきたいわば
共同執筆者みたいな奥さんには、
自分が死んでも印税なんかが
入ってくるようにしたいけど、

子どもや孫などに、
余計な財産を回したいとは思わない。

だったら、誰でも自由に
自分の作品を使えるようにして、
ちょっとでも世の中の役に立てるほうがいい、と。

そんな意見を聞いて、
ぼくなどは「うん、潔いな」と
感心したものです。

だいたい、著作権を主張して、
「それは侵害だ」みたいに
言っている人たちって、なんか怖いし。

例えば、ジャスラックさんなんかには、
あまりお世話になりたくないって思うし。

で、この『柳家小三治の落語(4)』。

落語の著作権って、どうなんでしょうね。
気軽に真似しちゃいけないって決まりだと、
代々引き継がれていかないような
気もするんですが……。
そんな簡単なことじゃないのかな。





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2018年6月19日火曜日

『縮みゆく男』(リチャード・マシスン)読み見ました。


今、仕事の関係で
小さな虫に関する本を読んでいます。

虫なんてのは、そもそも
指でつまめるほどの大きさなんだから、
わざわざ〈小さい〉なんて形容詞を
つけなくてもいいようなもんです。

でもつけた。

だって、小さいんです、
その本に出てくる虫。

虫って言われたとき、最初に浮かぶ
イメージはゴキブリですが(ぼくだけ?)
あれは、体長数センチありますよね。

一般的な消しゴムくらいかな。
ちょい雅び方面にいって「蝶」なんかだと、
もう少し大きい感じがするので、
十数センチってとこですか。
餃子が2個くっついた程の大きさ。

でも、そこに出てくるのは、
センチじゃなく、ほとんどがミリ単位。

米粒だとかビーズだとか、
もっと小さい鼻くそや爪あかレベル。

その本を読んでいるとき、ぼくは
定規で測りながら消しゴムのカスを丸めて、
1、3、5ミリ大のタマをつくり、
その小さな3つタマをそばに置いておきました。

それを横目でチラチラ見ながら読むと、
すっごく理解が進んだんです。

で、この『縮みゆく男』。

消しゴムカス玉の立体スケールは、
この本でも役立ちました。

そばに置いて読むと、臨場感アップしまっせ。





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2018年6月14日木曜日

『柳家小三治の落語(3)』(柳家小三治)読みました。


昔は〈My name is Noriyoshi〉だった
英語の教科書が、
今は〈I am Noriyoshi〉に
なっているそうです。

ま、それはただの前振りで、
言いたかったのはぼくの名前。

「のりよし」です。

漢字だと「規悦」で、
振り仮名をつけないと、
ほとんどの人が読めません。

子どもの頃は、
「もっと格好いい名前がよかった」
なんて思ってました。

「のり」が、ふりかけとか、
おにぎりに巻き付けるものとか、
そんなイメージになって、
子どもの耳には弱そうな響きだった。

ヒデキだとかユウヤだとかジョウだとか
って名前の友だちは、
その響きの格好良さに負けず劣らず活発で、
頭も良くて、

「ぼくもそんな名前だったら、
 ゲジゲジ虫だって平気で触れるくらいの
 強い男子になっていたのになぁ」

とヒザを抱えてたんです。

で、
もう数年間に亡くなった
ぼくの親父の名前は「三治郎」でした。

さんじろう。

ぼくはその響き、
格好いいなって思ってて、今も思ってます。

ところが、生前に親父に聞いたところ、
やはり子どもの頃は、
その名前が嫌いだったそうなんです。
三治郎さん。大人になって気にならなくなり、
逆に愛嬌があると思えてきたようで。
ということで、
馴染んでいくもんなんですね、名前って。

で、この『柳家小三治の落語3』。

おこがましいけど、
ぼくの亡き父の名前と2文字同じ。
小三治さん。親近感あります。





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2018年6月12日火曜日

『宇宙に命はあるのか』(小野雅裕)読みました。


今まで、
「この本は面白かったから、
 ぜひ読んでみて」
みたいなことは
ほとんど書いていないと思うし、

本の内容も
まともに紹介してはいないと思うので、

ぼくのこの〈感想文もどき〉を読んで、
書籍購入のヒントにする人は
いないだろうと推測しています。
(だから無責任なこと書いているんです…)

ほかの人がイイって言った本が、
自分にとってイイものであるとは限らない。

そんなことは、
人それぞれだってことは、
みんな知っているはずだから、

イイと思ったら、イイと薦めて
「読んでみなよ」くらい言っても
罪にはならないと思いはします。
(だから、ごくまれに
 「オススメ!」と言ったりもする…)

まあ、うだうだ書いたけど、
結局は自分に自信がなく
他人に押しつけるような意見は言えない
ってのが、ぼくだと、
ここで改めて表明したわけでありました。
いわゆるビビリです。

で、この『宇宙に命はあるか』。

どこかの書評で
「寝食を忘れるほど夢中で読んだ」
ってことが記してあり、
つられて読みました。

ぼくは、読んでる途中食事もしたし、
いつのまにか睡眠もとってた。
人それぞれだってこと、
再認識できました。





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2018年6月7日木曜日

『鳩の撃退法(上)』(佐藤正午)読みました。


見よう見まねで物語などを
書き連ねていると、
当初の自分の目論見とは
まるで違う方向に、話が進んでいって
しまうことがあります。

登場人物に「お前なんか嫌いだ」と
言わせてケンカ別れさせようと
思っていたのに、

キーボードを叩いている指が勝手に
「大好きです」と打ち込んでいる。

「嫌い」と言われて
走って逃げていくハズの相手が、
「大好き」と言われ舞い上がって
抱きついていたりする。

おいおい、次の場面は、
海に向かって「バカヤロー」って
叫んでるシーンにしようと思ったのに、
それじゃつながらないじゃないかって、

キーボードやパソコン画面や
自分の指に向かって言ってたりする。

ありゃ、登場人物たちが
勝手に動き出しているぞ、
って思えたりするんです。

で、この『鳩の撃退法(上)』。

「小説書き始めたヤツが
 〈登場人物が勝手に動き出す〉
 なんてことをよく言ったりする」

的なこと書いてありました。
確かにこの本に出てくるキャラは、
著者が計算し尽くした上で
動き回っている感がありました。

だから、面白いんだろうな。
計算しないとね。やっぱ。





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2018年6月5日火曜日

『柳家小三治の落語(2)』(柳家小三治)読みました。


〈スマホが壊れて
「やったー!ツイッターに書くネタができた」
 と言ってる夢をみました〉

という話を、
ちょっと前、ツイッターでつぶやきました。

そして、アホな夢の内容紹介のあと、

〈無意識のうちにツイッターの更新が
 プレッシャーになっているようです〉

と付け加えました。

ぼく的には、
この付け加え部分がサゲだと思うんです。

それがないと
「だからどうした」になっちゃう。

で、この『柳家小三治の落語2』。

当たり前だけど、
落語ってサゲがあるんですね。

話が中途半端なところでも、
サゲさえあれば、終わったことにできる。

さっきの夢の話なら、
「スマホが壊れました。こりゃスマッタ」
で締められる(締まってないけど…)。

お後がよろしくないようで。





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