2018年6月14日木曜日

『柳家小三治の落語(3)』(柳家小三治)読みました。


昔は〈My name is Noriyoshi〉だった
英語の教科書が、
今は〈I am Noriyoshi〉に
なっているそうです。

ま、それはただの前振りで、
言いたかったのはぼくの名前。

「のりよし」です。

漢字だと「規悦」で、
振り仮名をつけないと、
ほとんどの人が読めません。

子どもの頃は、
「もっと格好いい名前がよかった」
なんて思ってました。

「のり」が、ふりかけとか、
おにぎりに巻き付けるものとか、
そんなイメージになって、
子どもの耳には弱そうな響きだった。

ヒデキだとかユウヤだとかジョウだとか
って名前の友だちは、
その響きの格好良さに負けず劣らず活発で、
頭も良くて、

「ぼくもそんな名前だったら、
 ゲジゲジ虫だって平気で触れるくらいの
 強い男子になっていたのになぁ」

とヒザを抱えてたんです。

で、
もう数年間に亡くなった
ぼくの親父の名前は「三治郎」でした。

さんじろう。

ぼくはその響き、
格好いいなって思ってて、今も思ってます。

ところが、生前に親父に聞いたところ、
やはり子どもの頃は、
その名前が嫌いだったそうなんです。
三治郎さん。大人になって気にならなくなり、
逆に愛嬌があると思えてきたようで。
ということで、
馴染んでいくもんなんですね、名前って。

で、この『柳家小三治の落語3』。

おこがましいけど、
ぼくの亡き父の名前と2文字同じ。
小三治さん。親近感あります。





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