2012年1月26日木曜日

『ビブリア古書堂の事件手帖』(三上 延)読みました。

ぼくが文章を書くときの状態には
2種類のバージョンがあります。

それは仕事の文章でも、簡単なメール文でも、
そして今書いているブログでも同じです。

1つは、
サクサクと素早く書けちゃうとき。
もう1つは、
いつまでたってもキーボード上の指が動かないドン詰まりのとき。

その2つの両極バージョンがあって、
どういうわけか、ぼくの場合、
サクサクとドン詰まりの中間っていうのはあまりなく、
速いか遅いかのどっちかにかたよります。
ここまでの文章は、どちらかというと速いほうで、
2〜3分で書けちゃいました。

んで、入力の時間が速くても遅くても、
どちらも同じくらい時間をかけて見直しします。
この見直しのとき、ほとんど修正が入らないのは、
実は速く書いた文章なんです。

悩みに悩んでつむぎ出した文章は、
見直しのときも悩ましい。
でも、サクッと書けたときは、
なぜかちゃんとした文章になっている。
好き嫌いという感情的な面からいっても、
速く書いた文章のほうが好きですね。
ぼくの執筆作業は、
どうやら時間と質が反比例してるみたいです。

で、この『ビブリア古書堂の事件手帖』。

おこがましいことを承知で……。
速く書いたときのぼくの文章を読んでいるような
錯覚をおぼえちゃいました。
はい、おこがましいです。
なんだけど……
なんだか自分が書いたみたいな気がしてしまいました。

シリーズで出版されているみたいなので、続編買ってきます。

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2012年1月19日木曜日

『菊池寛』(ちくま日本文学027)読みました。

高校時代の友だちで、
ぼくと同姓の「きくち」って女の子がいました。
そんなに親しいわけじゃなかったので、
卒業以来、彼女が何しているのかも知りませんでした。
んで、この前、二十年以上ぶりの同窓会で、
そのきくちさんに会ったんです。

でも、そのとき彼女は、
きくちさんではありませんでした。
結婚して名字が代わり、
たかはしさんになっていたんです。

なんと、たかはしさんです。
実はその名字、ぼくのかみさんの旧姓です。
んで、かみさんも高校は同じ。
なので、
高校時代に「きくち」だった人が、
今は「たかはし」になり、
同じく「たかはし」だった人が、
「きくち」になっていたんです。

名字の入れ替わり──。
旧きくちさんと、かみさんと、ぼくは3人で
「へーなんか不思議だね」って話をしました。
えーっと。それだけです。何も落ちはありません。

で、この『菊池寛』(ちくま日本文学027)。

ぼくと同じ名字の、
とっても有名な作家なのに、
今まで一冊も読んだことありませんでした。

ぼくはもう
生まれてから半世紀にもなっちゃうんだから(まだだけど)、
やっぱ一冊はおさえておかないと
ダメだろうってことで、読みました。
感想は「うん、こんなもんか」でした。
何も落ちはありません。

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2012年1月17日火曜日

『巨象も踊る』(ルイス・ガースナー)読みました。

ぼくがよくやる日常の一コマです。

新聞を取りに行こうと思って席を立ち、
2〜3歩あるいたトコで
床にガムの包み紙みたいな小さなゴミが
落ちているのを見つけて、
「誰だよこれ」とかぼやきながら、それを拾い、
新聞置き場とは反対側にあるゴミ箱まで行って、
ゴミを捨てようと思ったら、
ゴミ箱から広告チラシみたいな紙ゴミが
ちょっとだけはみ出していて、
「ちゃんと捨てろよな、まったく」とか言って、
ゴミ箱を正して「ふーっ」とか言いながら、
自分の席に戻る。

その2分後、
「あっ、新聞、新聞」と言ってまた席を立つ。

人間は一つのことに集中しないとダメなんです。
何をすべきなのか、
しっかりと自分に言い聞かせて、
脇目も振らずに目標に突き進まないと、
いつまでたっても新聞は読めません。

でも、ぼんやりしながら進むと、
ゴミ箱がキレイになったり、
ほかのことが片付くってことはあるんですけどね。

で、この『巨象も踊る』。

大きな会社でも、
何をすべきなのかをしっかり絞り込んで
突き進むのが大切だと言ってます。
そうですね、
いけいけどんどんで脇目も振らずに行けば、
目標にはすぐたどり着けるでしょうね。
ほかの余計なことは片付かないかもしれないけど……。


巨象も踊る
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2012年1月12日木曜日

『さよなら!僕らのソニー』(立石泰則)読みました。

前にも言いましたが、
ぼくは違う本を並行して読み進めています。
んで仕事でも同じように
ぜんぜんジャンルの違うものを
並行して進めることがあります。

午前中は、
何人もの画家の生涯にスポットを当てて
美術の歴史を解説していく本の原稿を書き、
午後からは、
子ども向けにインターネットを
安全に使うノウハウ本をつくる……
頭の中がごちゃごちゃになりそうな気もするんですが、
実はこれが、そうでもないんです。
まったく違う分野をやっているほうが、
切り替えがうまくいくような気がします。

でも、そんなことやってると、
ときどき、違う分野と思っていたのに
それぞれに重なる内容が浮かんできたりします。

美術の歴史と子ども向けインターネット解説本なら、
例えば著作権。
18世紀にホガースって画家が
自分の絵の海賊版が出ていることに怒り、
それがもとで著作権法ができたとを
午前中に書いたと思ったら、
その午後に、
インターネット解説本の編集の人から
「ブログとかで著作権に気をつけましょう」という項目を
加えてくださいって連絡が入る。
そんなときって、
なんだか妙に同じような重なりが続くんです。

で、この『さよなら! 僕らのソニー』。

昔のようにユーザーがわくわくするような製品を
出せなくなり、業績も低迷ぎみのソニーが、
なぜそんな状況になったかを解説した本。

んで実は今、
『巨象も踊る』という本を並行して読んでいて、
これがIBMって会社が苦境から脱して回復した経緯を
説明している本なんです。
ここで出てくるIBMの苦境の原因と、
ソニーのそれが重なるんです。
意識して並行読みしたわけではないんですけどね。
それに根本的なトコが重なるってだけで、
細かいトコは、ぜんぜん違うんですけどね。
まっそれでも、
ぼくとしては「どっちか一冊でもよかったかな」でした。

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2012年1月11日水曜日

『恋する原発』(高橋源一郎)読みました。

子どもの頃、
わざと怒られることをやった覚えって、ないですか。

親のすね毛をいきなりひっこ抜いてみたり、
みんなが楽しんで観ているテレビのチャンネルを
いきなり替えちゃったり(子どもの頃はリモコンが
なかったので、丸いダイヤルをごりごり回して、
へへへとかいう)などなど。

いわゆるイタズラなんだけど、
イタズラ対象者の困っている顔を見るのが
面白くてやっているのではなくて、
怒られたくてやっているというか、
かまってもらいたくてやっているというか、
ぼくはここに居るんだよってことを
知ってもらいたくてやっているというか、
そんな感じのイタズラです。

ぼくは子どもの頃から小心者だったので、
世に言う悪ガキのような
大それたイタズラはできませんでした。

でも、今いったようなちょこっとしたおふざけは、
年に数回やっていた気がします。
さびしがり屋で、
日頃がまんしているさびしさが
段々たまってきて、いっぱいになったとき、
ちょことのおふざけをして怒られ、
自分のことを気にしてもらい、安心する。
そんなサイクルを繰り返していたようです。

イタズラとか悪ふざけって、
人を困らせて喜ぶって心理もあるだろうけど、
自分のほうを見て欲しいって気持ちも
結構大きいんじゃないかなって思います。特にぼく。

で、この『恋する原発』。

ぼくには怖くてとうてい書けないような表現が
いっぱいありました。
そこまで言ったら絶対怒る人いるだよ、
やめておこうよって言い回しがあちこちに。
(どんな危ない表現なのかはタイトルからもわかります)

ぼくは、それらの文章を読んで、
子どものころやった「怒られたいためのイタズラ」を
思い出してしまいました。
そして、子どもの頃のぼくに
「大丈夫だよ、そんなにさびしがらなくても。
ちゃんと気にしてくれる人はいるよ」
ってなぐさめの言葉を送っちゃいました。


恋する原発
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2012年1月10日火曜日

『吉田キグルマレナイト』(日野俊太郎)読みました。

ぼくが映画学校に通っているとき、
短編のシナリオを書いて、
先生に批評してもらうような授業がありました。

今ではもう、先生が誰で、
自分がどんな作品を書いたのかは、
まったく覚えてないんですけど、
その授業の中で先生から言われたことは、
なぜか今でも頭に残っています。

「君の作品は、
ストーリーの枠組みとか設定とか、
脇役のキャラクターなんかは、よくできています。
上手いって言ってもいいでしょう。
でも、主人公のキャラがまったく面白くない。
これで主人公が面白かったら、
すごい作品なんですけどね」

これってつまり、
見栄えのいいように着飾っているけど、
中身の人間はそれほどでもない、
お前自身はつまらいんだよ!
そんな意味合いにとれますよね。
というか、ぼくはまるまるその意味にとっちゃいました。
だから、先生のこのセリフを忘れないんでしょうね。

よし! そういうことなら、
もっともっとごてごてに飾り立てて、
中身の人間なんて見えないようにして
……そうだ! 着ぐるみを着ちゃえばいいんだ。
そうすれば、中身なんて判断されずに、
着ぐるみのかわいさだけで勝負できるから!

で、この『吉田キグルマレナイト☆』。

着ぐるみでお芝居する役者さんたちのお話です。
ストーリーの枠組みとか設定とか、
脇役のキャラクターなんかが
とっても面白かったです。

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2012年1月6日金曜日

『シャンタラム(上)』(グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ)読みました。

上半身を折り曲げる前屈と同じように、
身体が柔らかいかどうかを試すのによくやるのが、
両手を背中でくっつけられるかどうかのストレッチです。

左右の腕のどちらかを上側から、残りを下側から、
いずれも斜めに背中に回し、
左右の手がたすき掛けのように握手できれば
とっても柔らかくて、
左右の指先が触れあうぐらいでも、まぁ柔らかい。

そんで実はぼく、
つい数年前までは、この柔らか度検証ストレッチで、
左右の手がくっつつどころか、30センチくらい離れて、
それ以上近づくことはなかったんです。
身体こちこちなので……。

しかも、
こんなストレッチを知ったのは高校生になってからで、
高校時代の初体験でも指先はくっつかず、
それ以来おじさんになるまで、
背中の肩甲骨あたりで右手と左手の指先が
出会う感覚を知らなかったんです。

でもね。
きっかけは何だったのか忘れましたが、
2〜3年前から、この背中たすき掛けストレッチを
毎日やるようになったんです。
指先はくっつかないなりにも、
少しでも近づくように「痛っ!イタタタッ!」などと、
うなりながら左右の腕を上下方向にゴリゴリ押していったんです。

そんな、つい先日のこと。
左右の中指同士が背中でちょっとだけ触れ合えたんです。
人生初のくっつき体験です。
「うわっ! ついた! すげーッおれ!」って
思わず叫んじゃいました。

で、この『シャンタラム』。
読んでいると自覚のないまま「痛っ! イタタタッ!」って
口に出してしまうような本でした。
たすき掛けストレッチで出したうなり声と同じ声です。

なので、もうしばらくしたら、
身体が柔らかくなるなり、頭が柔らかくなるなり、
人としての器が大きくなるなり、
なんらかの変化がこの本の読書効果として出てくると思います。
すごいっすよ、この本。
読んだのは上巻、早く中巻、買いに行こっと。


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