2012年1月11日水曜日

『恋する原発』(高橋源一郎)読みました。

子どもの頃、
わざと怒られることをやった覚えって、ないですか。

親のすね毛をいきなりひっこ抜いてみたり、
みんなが楽しんで観ているテレビのチャンネルを
いきなり替えちゃったり(子どもの頃はリモコンが
なかったので、丸いダイヤルをごりごり回して、
へへへとかいう)などなど。

いわゆるイタズラなんだけど、
イタズラ対象者の困っている顔を見るのが
面白くてやっているのではなくて、
怒られたくてやっているというか、
かまってもらいたくてやっているというか、
ぼくはここに居るんだよってことを
知ってもらいたくてやっているというか、
そんな感じのイタズラです。

ぼくは子どもの頃から小心者だったので、
世に言う悪ガキのような
大それたイタズラはできませんでした。

でも、今いったようなちょこっとしたおふざけは、
年に数回やっていた気がします。
さびしがり屋で、
日頃がまんしているさびしさが
段々たまってきて、いっぱいになったとき、
ちょことのおふざけをして怒られ、
自分のことを気にしてもらい、安心する。
そんなサイクルを繰り返していたようです。

イタズラとか悪ふざけって、
人を困らせて喜ぶって心理もあるだろうけど、
自分のほうを見て欲しいって気持ちも
結構大きいんじゃないかなって思います。特にぼく。

で、この『恋する原発』。

ぼくには怖くてとうてい書けないような表現が
いっぱいありました。
そこまで言ったら絶対怒る人いるだよ、
やめておこうよって言い回しがあちこちに。
(どんな危ない表現なのかはタイトルからもわかります)

ぼくは、それらの文章を読んで、
子どものころやった「怒られたいためのイタズラ」を
思い出してしまいました。
そして、子どもの頃のぼくに
「大丈夫だよ、そんなにさびしがらなくても。
ちゃんと気にしてくれる人はいるよ」
ってなぐさめの言葉を送っちゃいました。


恋する原発
恋する原発
posted with amazlet at 12.01.11
高橋 源一郎
講談社
売り上げランキング: 6911