2018年3月29日木曜日

『アルテミス(上)』(アンディ・ウィアー)読みました。


昔々通っていた映画学校で
200枚だか300枚だかの
長編シナリオを書かなきゃいけない
宿題がありました。

宿題というか、
進級するための必須項目というか。

今となっては、自分が何を書いたかも、
おぼろげにしか浮かんでこないのですが、
なぜか、覚えていることがあります。

やっとこさ書き上げて、それを学校に出したあと、
やはり同じ日に提出にきた友だちとの会話です。

その兄さんが、

(誰だか忘れちゃったのですが、
 たしかぼくより年上だった気がするので、
 とりあえず「兄さん」に)

「お前のには死人が出てくる?」
と聞いてきたんです。

「えっ、ああ、まあ……出しちゃってます」
「そうだよな、やっぱ殺人がないと
 ストーリーにならないもんな」

それ聞いて、
ぼくはなぜだか「次は、殺人なしの話にしよ」
って思ったんです。次の長編シナリオなんて
書いてないですけどね……。
と、これがなぜか覚えているエピソード。

で、この『アルテミス(上)』。

今のとこ、上巻を読み終わっただけ。
同じ著者の前作『火星の人』には
殺人は出て来なかったですよね。
……うーん、今回はそうきたか。
下巻を読まずにはいられない展開でした。





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2018年3月27日火曜日

『何かが道をやってくる』(レイ・ブラッドベリ)読みました。


前回、スティーブン・キングさんの
オマージュ作品について書きました。

それ知ったのは、
ちょっと前に読んだキングさんの
『死の舞踏』で著者自身が
明かしていたからです。

『死の舞踏』は、
自分の作品についての
裏話的なネタを織り交ぜながら、
たくさんのホラー作品を紹介する本でした。

そこに出ていた本の中で
「まず読まなきゃ」と思ったのが、

『フランケンシュタイン』
『吸血鬼ドラキュラ』
『ジキル博士とハイド氏』の3冊。

前に、書きましたね『ジキル〜』のとき。
そんで、フランケンとドラキュラも
続けて読みますって宣言したような……。

この3冊は、
キングさんがホラーの基本三本柱みたいな
位置づけにしてたんです。
もちろん、3冊とも買ってはいます。
まだ、2冊目に手をつけていないけど。

で、この『何かが道をやってくる』。

実はこれも、
キングさんオススメ本の1冊なのでした。

なぜかタイミング的に
基本三本柱より先に読み終わっちゃった。

三本柱のうちどの系統に該当するのか、
今考え中です。
つーか、先にその3冊の残り2つを
読まないと、わかないか。






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2018年3月22日木曜日

『ギャグ・マンガのヒミツなのだ!』(赤塚不二夫)読みました。


スティーブン・キングさんの『呪われた町』は、
19世紀末に書かれた小説『吸血鬼ドラキュラ』の
オマージュだったと、つい最近知りました。

つい最近じゃなくて
もうちょっと前から知ってたのは、
小野不由美さんの『屍鬼』が、
キングさんの『呪われた町』を
下敷きにしたってこと。

つまりは、
『吸血鬼ドラキュラ』
→『呪われた町』
→『屍鬼』
というふうにつながっている。

面白い話をつくれる人って、
みんな独創的な想像力を持っていて、
誰も思いつかないような発想をもとに
ストーリーを組み立てていくもんだと、
長いこと思っていたのですが、
一概にはそうとも言えないんですね。

過去から読み継がれてきた作品を
自分の中でかみ砕いてお手本にしてる。

森見登美彦さんの『四畳半神話体系』も、
最初は『リア王』をもとに書き始めたって
聞いた覚えがあるし。

で、この『ギャグ・マンガのヒミツなのだ!』。

「赤塚不二夫さん、お前もか!」でした。
一時代を築くような人は、やっぱみんな
勉強、研究してるんですね。





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2018年3月20日火曜日

『ミレニアム5 復讐の炎吐く女(下)』(ダヴィド・ラーゲルクランツ)読みました。


平日はほぼ毎朝、
スポーツジムでシャワーを浴びます。

同じジムに、いつの間にやらもう7年。

その時間帯に利用してる人の顔ぶれも
だいたい同じで、そのうち何人かとは
挨拶程度の言葉を
交わすようになっています。

でもね。
誰一人として本名を知らないんです。
ぼくの社交性のなさは筋金入りですから。

つっても、自分の頭の中では、
失礼ながら、それぞれの人に
呼び名をつけています。

パッと思い出した順にあげてみると、
サリーちゃん、よし子ちゃん、すみれちゃん
(すみれちゃんだけ女性。あとは、おじさん)
ねずみ男、ぬらりひょん、子泣き爺、
猫娘、メルモちゃん
──ここまでは、マンガのキャラクターだけど、
そうじゃない人もいます。

カマキリの動きを想像させるカマちゃん、
和装したら似合う(見たことないけど)アネゴ、
小学校の時に運動神経抜群で男子顔負けの
元気ハツラツお嬢ちゃんだった山崎咲子。
仮面ライダーに出てきた死神博士もいる。

で、この『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女(下)』。

主人公のリスベット・サランデルは、
背中に龍のタトゥーを入れた怖い女の子。
ジムで、ぼくがそう呼んでいた彼女は、
もう2、3年ほど前から、
姿を見せなくなりました。引っ越したのかな。

あ、物語は面白かったですよ。





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2018年3月15日木曜日

『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女(上)』(ダヴィド・ラーゲルクランツ)読みました。


読む本を選ぶ基準は、
特にありません。

新聞の広告で良さげな内容だと
思ったものとか、
ネットその他の媒体に載っていた
書籍紹介の引きのあった言葉とか、
読んだ本の中に書いてあった参考文献とか、
人からのオススメ本なんてものあります。

あ、あとは定番で読んでる作家の
新刊本もありますね。

そうして選んだ本のうち、
一冊たりとも、読む前から
「つまらないだろうな」と
わかっている作品はありません。

過剰な期待は持たないまでも、
どこかしら面白そうだと思って
買うんだし、読むんだし。

それなのに、ああ、それなのに。

なぜに、いくらページをめくっても
興味が湧いてこない本、
一生懸命文字を目で追っているのに
頭の中にすんなり入ってこない本、
1ページごと、いや、
3行ごとにアクビが出てきてしまう本、
なんかが登場するんでしょうか。

いや、登場するのはいい。
いいんだけど、
重ならないでほしいんです。
なぜ重なるの。

「菊池にとって面白くない同盟」は
結成しないで、
3カ月に1度程度の単発登場にしてくらさい。

で、この『ミレニアム5 復讐の炎を吐く女(上)』。

「菊池にとって面白くない同盟」を
蹴散らしてくれた本。
続けて下巻を読めば、
蹴散らされたヤツらは、
当分戻ってこないだろうと思います。





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2018年3月13日火曜日

『モノに心はあるのか』(森山徹)読みました。


黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』では、
スクリーンの中にいる女優が、
映画を観ている観客に向かって
「拍手をしてほしい」と、
呼びかけるシーンがありましたよね、たしか。
(と、ぼくも、この文章を読まれている方に
 呼びかけてみました)

そんとき、ぼくは、
「おいおい、ぼくに言ってるのかよ、
 ちょっとやめてよ、照れるじゃん」

ってどきまぎして、拍手はおろか、
ただモジモジしていただけでした。

苦手なんですよね、ああいうの。

あの映画は極端な例かもしれませんが、
映画じゃなく、文章だと、
わりと普通に呼びかけ手法は使われるようです。
(さっき、ぼくも使ったし)

読む人が限定されない
新聞や雑誌、書籍なんかのパブリックな文章でも、
「読者の皆さんは、こう思うでしょう」とか
「ご存じですか」なんかはよく見かけます。

さっき、自分も冒頭でやってはみたんですが、

実はぼく、
ほかの人が書いたパブリックな文章で、
あれ、やられるのが、やっぱ苦手なんです。

『素晴らしき日曜日』みたいに、
どぎまぎむずむずしてきちゃう。

「読者の皆さん」って、
三人称的な言い方でもモジモジするし、
ましては「君は」とか「あなたは」
なんて言われたときは、
顔真っ赤にして読んでると思います。

そんな状態で本を読むのは、
なるべく避けたいです。

で、この『モノに心はあるのか』。

呼びかけ手法、多用してました。





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2018年3月8日木曜日

『日本語 笑いの技法辞典』(中村明)読みました。


ニュース番組のスポーツコーナーで、
何かの競技で活躍した
(何の競技だか忘れましたが)
注目の人気選手が
(誰だか忘れましたが)
インタビューに答えていました。

受け答えの中に出てきた
その人気選手の座右の銘は、
監督かコーチに言われた
「練習は裏切らない」
なんですって。

ほいで、それ聞いたとき、
バドミントンをやっていた高校時代を
思い出たんです。

中学からずっと部活を続けて、
高校2年のはじめくらいとき。

それまでは、
テレビに出てた人気選手みたいに、
練習をすればするだけ、
上手くなっていく感じがありました。

シャトルを打たなくても、
素振りだけ、走り込みだけ、筋トレだけ、
そんな練習でも、昨日より今日のほうが、
ちゃんと球に追いつけたり、
狙ったコースに打ち返せたりできた。

でも、その高2のときは、
どんだけ練習しても、
何かが身についた感覚がなく、
逆に何日かサボったあとのほうが、
前よりも成長しているように思えました。

あのときは、
練習に裏切られたように思えて
仕方なかったんです。
生意気なようですが、いわゆるスランプって
ヤツだったんでしょうかね。

それでも、後から考えて、長い目で見れば、
そのときのトレーニングも役に立っていたと、
今さらながら感じてはいるんですけどね。

で、この『日本語 笑いの技法辞典』。

今じゃなく、長い目で見て、
何年か経ってから振り返って、
感想を書くのがいいみたいです。





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2018年3月6日火曜日

『日本語のへそ』(金田一秀穂)読みました。

最近はみんな、
本を読まなくなって嘆かわしい。
読んでいるとしても
必要に迫られて仕方なくの実用書か、
さもなくば自己啓発本だからなあ
……ってことが、
どこに書いてあったのか、
もくしは、どこの人が言ったのか、
確かな記憶はないんですが、
とにかくそんなフレーズが
ぼくの頭の中に残っています。

もしかしたら、
ぼく自身がそう考えていて、
他の人から聞いたように覚えている可能性も、
なくはないんですが、
……いや、やっぱり、ない。

だって、
別に無理して本を読むこともないし、
自己啓発本を読んで
「成功をつかみ取るぞ」って
考える人がいてもいい、
なんて普段から思ってますから。

で、この『日本語のへそ』。

とはいえ、
やっぱ自己啓発本は必要ないな。
少なくともぼくには。
ってなことを思ってしまった本でした。
もっと日本語の成り立ち紹介に
よった内容だと勘違いしてたから。

そうはいっても、
「すいません」
「ありがとう」
ごめんなさい」
の使い分けは面白かったです。
というか、知らなかったです。




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2018年3月1日木曜日

『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


文芸評論家の池上冬樹さんは、
数ある〈小説のつくり方〉的な本の中で、
ディーン・R・クーンツって人の
『ベストセラー小説の書き方』が
いいといっています。

(ぼくはまだ読んでいません。
 だから面白い物語がつくれないんだな……。
 なので、今、次期購入本リストの中に
 書き加えました)

読者ぐいぐい引き込みのアクションを
最初の数ページから、
盛り込まないとダメだとか、

主人公を徹底的にイジメ倒すとか、

そのイジメを、御都合主義じゃなく
納得させる形で乗り越えさせるとか、

そんなことが、
そのクーンツさんの本に書いてあるそうです。

(クーンツさんにはその他にも
 たくさん売れている小説があるみたいですが、
 そんなのもぼくは1冊も読んでません。
 だからか…)

で、この『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』。

その池上冬樹さんが解説を書いてました。
解説に、クーンツさんの
『ベストセラー小説の書き方』で
言っていることを、
そのまま実践できているのが
この『九紋龍』だみたいなことを書いてました。

確かに面白いモンな。
売れるだろうなこの本。売れてるのか。





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