2017年6月29日木曜日

『黄砂の籠城(上)』(松岡圭祐)読みました。


ぼくが
本づくりの仕事を始めた頃、
先輩から
「一文の長さは、
 短ければ短いほどいい」
と教わりました。

その教えからすると、
今書いた文章でも長すぎる感じです。

その教えを守り、当初は
プロの料理人がきざむ
キャベツの千切りくらいに
細かく細かく「。」を
打っていました。

それをやっているとき、ふと、
「やっぱこれじゃ、なんかイヤ」
と気づいたんです。

昔のことです。
お爺さんがいました。
お婆さんも一緒に住んでいます。
お爺さんは山に行きました。
芝を刈るためです。
川に行ったのはお婆さん。
洗濯のためです。

そんな短、短、短……は、
きちんと読めるし、
一つの文が簡潔だから
誤解せずに内容を伝えられる。

でも、
ある程度の間隔で〈長〉を入れて、
メリハリというかリズムというか、
波みたいなつくりにしたほうが、
読んでいる人の頭が
気持ちイイんじゃないか
と思ったんです。

そんなことを考えながら、
文章づくりの仕事を
やってきたんですが、
この文を読み直しても、
ちっともリズミカルじゃないですね。
修業が足りません。

で、この『黄砂の籠城(上)』。

短い一文の多用でも、
面白い作品はできていました。




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2017年6月27日火曜日

『きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)』(宮藤官九郎)読みました。



ここにも
感想文もどきを書きましたが、
少し前『14の夜』という小説を
読みました。

ぼくと同じ映画学校の卒業生で、
今では監督さんに
なっている人の作品。

あれは面白かったな。

題名の〈14〉は歳のことで、
時代は今より少し前の
中学生のお話。

あの年頃特有の
朝から晩までエッチなこと
頭がいっぱい状態の主人公が
そっち系のドタバタに振り回される、
ギャハハな青春が描かれていました。

それはそれは面白かったんですが、
ただ、
少しだけ引っかかった部分があるんです。

特定の一部分ってわけじゃく
全体からじわじわ感じられる
切なさというか、寂しさというか、
罪悪感というか、人生って何なんだ感というか。
そんなトコです。

それらはきっと、
高尚な文学作品には欠かせない要素で、
この『14の夜』も
だから面白いんだと
いえるのかもしれません。

それでもぼくは、
こに引っかかり、
ギャハハだけだったら、
もっといいのにな、
なんて思ったりしたんです。

で、この『君は白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)』。

これ、ギャハハだけでした。
ぼく的には、ごっつはまりました。




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2017年6月21日水曜日

『首折り男のための協奏曲』(伊坂幸太郎)読みました。


複雑なのがいいのか、
シンプルなのがいいのか。
ときどき悩みます。
(眠れなくなっちゃう
 ほどじゃないけど)

そのいい例が法律。
みんなが幸せになるために、
「いい事をした人にはご褒美に
 2000円を進呈しましょう」
という法律をつくるとして、

まずは、
何が〈いい事〉なのかを
一つひとつ細かく定義しないといけない。
そうなると、
あれもこれもと意見が出てきて、
全部取り入れたら、そんなもん、
ただ生きてるだけで
常に2000円もらえるようになっちゃう。

だから、
それぞれの〈いい事〉について、
程度なり条件なりをつける。

そうなると
膨大な条文になっちゃって、
誰も覚えきれない。

ならばもっとシンプルにして、
自分から「こんなは〈いい事〉をした」と
申告さえすれば
自動的に褒美を受けられる仕組みにする、
のがいいかといえば、
それも何だかなぁと思っちゃう。

複雑すぎるのも、
シンプル過ぎるのも、
どっちも「何だかなぁ」なんですね。

で、この『首折り男のための協奏曲』。

複雑すぎるわけじゃないけど、
がんばって凝ってつくったなと
感じました。
ぼくはもうちょいシンプルが好きですが。




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2017年6月19日月曜日

『珍妃の井戸』(浅田次郎)読みました。


伊坂幸太郎さんの作品の中に、
(文庫で刊行されている本は
 もうすぐ全部読み終わります)
心憎い仕掛けで、
読んでいる人を騙してくれる物語が
いくつかあります。

どの作品だったか
しっかり覚えていないのと、
言っちゃったらネタバレになるので、
タイトルは伏せておきますが、

仕掛けの方法だけ紹介します。

時間の流れが飛んでいるのに、
つながっているように
勘違いさせるやりかたです。

例えば、小見出しで
〈1月〉〈2月〉〈3月〉……
と話が続いているように
見せかけておいて、

実は最初の〈1月〉の次は
10年後の〈2月〉で、
その次の〈3月〉は3年前の
初春の出来事になっているとか。

1、2、3……と
続けて書かれていれば、普通は
同じ年の連続する月と思っちゃう。

そんな勘違いをさせておいて、
ストーリーのどんでん返しと絡めて、
びっくりさせてくれる。

「おお! 遊んでる、遊んでる」
「いやいや、遊ばれた、遊ばれた」
となるわけです。

でも、
そんな作品を続けざまに読んでいると、
仕掛けなど何もないものでも、

「ひょっとして何か面白い騙しネタが
 隠れてるンんじゃない」
なんて勘ぐったりしちゃう。
素直な心で読むのが一番いいのにね。

で、この『珍妃の井戸』。

「何か騙しがあるんじゃないの?」
なんて考えながら読んでしまいました。
そんなふうに読まなければ、
もっと楽しめただろうにな。
伊坂作品の副作用は怖いです。




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2017年6月16日金曜日

『火花』(又吉直樹)読みました。


本当は部茶田くんが好きな花子さんが、
池面くんにも求婚され、
どちらかを選ばなければならないとき。

その瞬間だけ花子さんに、
未来の見える魔法が
使えるようになったとしましょう。
……しましょうね。

魔法で知った、
部茶田くんと結婚した場合の未来は、
極貧にあえぐ悲惨な生活でした。
そのときの池面くんも、
悪女につかまり奴隷のような
日々を送っています。

しかし、
それほど好きではないけど
嫌いなワケではない池面くんを
結婚相手に選んだ場合の未来は、

花子&池面の生活は順風満帆で幸せ一杯。

部茶田くんも可愛い奥さんをもらい
ニコニコ笑顔の楽しい家庭を築いています。

この未来が見える魔法に
決して間違いはありません。
だとすると、
花子さんは当然、
池面くんをパートナーに選ぶんでしょうね。

で、この『火花』。

選ばれれば、世間の注目度が違うので、
他よりもヒットするのは間違いなし。
そうなれば出版業界全体が活気づき、
選ばれなかった作品にも、
まわり回って恩恵がいく。
選択は正解でしょう。




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2017年6月14日水曜日

『サイコパス』(中野信子)読みました。


昔よく一緒に仕事をしていた
編集者さんが

「真面目に心を込めてつくった本と、
 やっつけ仕事みたいにして
 仕上げたものでは、
 読者の〈反応〉がまったく違うんですよ。
 どちらも
 文章のわかりやすさなんかは同じで、
 サラッと読んだら、
 優劣の判断なんかできないと思うものもです。
 どうやら、一般の読者たちって、
 がんばってつくった本の香り、
 とか、だらけて打ち込んだ文字の臭い、
 みたいなものを
 嗅ぎ分けられるみたいなんです」

てなことを言っていました。

この話に「なるほどなあ」と納得しすぎて、
その編集者さんが言った〈反応〉が
何を指すのか確認し忘れたんですが、

たぶん、読者アンケートの回答だとか、
問い合わせの内容だとか、
もしくはこの感想文もどきのような
勝手に発表された書評だとかを
ひっくるめたものが
〈反応〉なんだと思います。

でも、
その指標の中には売上は入らない
ってことだけは言ってました。

たくさん売れた本でも
〈反応〉はイマイチだったり、

今までにないほど
素晴らしい〈反応〉なのに
まったく売れなかったり。

その編集者さんの経験によると、
「良い本=売れる」
わけではないようです。
かといって、
ヒットするのは「つまらない本」
ではないですよ、もちろん。

売れるか売れないか
それはつくってる側には
わからんのですわ、いつも。

で、この『サイコパス』。

この本、
売れ行きのランキングなんかをみると、
結構いい線いっているらしいです。
あの編集者さんがいう〈反応〉が気になります。




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2017年6月12日月曜日

『ジャイロスコープ』(伊坂幸太郎)読みました。


ついこの前、
村上春樹さんの何年ぶりかの
新作長編が発売されました。
『騎士団長殺し』。

発売前は、
物語の内容はもちろん、
表紙の絵柄も発表されず、
ファンのやきもき感をあおる
プロモーション方法が
話題になりました。

あちこちの
ニュース番組でも取り上げられて、
ぼくもちらっと目にしています。

ぼくの見た番組では、
ちょっとした特集を組んでいて、
発売前夜に
ファンがどこかのお店に集まって、
どんなストーリーなのか
予想し合う人たちの様子を
映していました。

その中で、
唯一発表されている
題名だけをたよりに、
自分なりの表紙デザインをつくって
印刷してきた強者もいました。

あとから考えると、
そのツワモノがこさえてきた絵柄は、
今、実際に発売されているモノと
かなり似ていて、
「やっぱ、そうなるんだな…」
と感心したもんです。

内容を表すというよりは、
作品のイメージを
表現しているような感じですかね。

で、この『ジャイロスコープ』。

伊坂さんの作品は
文庫で読むのがほとんどで、
これも文庫。

もしかしたら単行本は
違うかもしれないけど、
ぼくの手にしてる表紙の絵柄は
どこかしら寂しげな雰囲気がある。

ぼくが感じてるは、
もっと楽しげなあったかい笑いが
こぼれる感じなんだけど。
ちゃうのかな……。





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2017年6月9日金曜日

『俺はその夜多くのことを学んだ』(三谷幸喜)読みました。


ぼくが、
この感想文もどきを書くのに
かけている時間は、
1つの本につき20分前後
といったところです。

仕事の合間とか、
休み時間を使ってやっているので、
申し訳ないのですが、
そんなにじっくり取りかかれない。

(とはいえ、
 ときにはウンウンうなりながら、
 いつまでもだらだらと
 書きつ戻りつしてることもあります。
 ……が、あまりそんなこと言うと、
 もしこれを関係者が読んだら、
 差し障りがあるかもしれないので
「そんなんやってんと、早よう仕事せぇ!」)

とはいっても、
1つの感想文もどきを書くためには
1冊の本を読み終えないといけない。

1ページ1分として
300ページなら300分。5時間です。

20分の裏側には、その十倍以上の
タイム・イズ・マネーが隠れているんです。

(何やってんだろ、ぼくは。
 その時間をもっと違うことに使えば、
 マネーだらけの
 大金持ちになるかもしれないのに)

しかし、何事にも例外はあり、
20分の裏側に、その半分くらいの
消費時間しか費やしていないものもあります。

で、この『俺はその夜多くのことを学んだ』。

文字は1ページに数行で
イラストとのコラボ。
絵本といってもいかもしれません。

10分で読めちゃいました。




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2017年6月7日水曜日

『夜の国のクーパー』(伊坂幸太郎)読みました。


比較的重要な情報を、
物語の後半まで読者や観客に伝えず、
クライマクスの盛り上がったシーンで
ドカンと披露する。

いわゆるどんでん返し的な
ストーリーのことです。

ぼくの好きな映画
『スティング』(古くてすみません)
なんかがその代表例ってとこでしょうか。

騙す作戦の幹になる仕掛けを、
騙される側の
ロバート・ショウにはもちろん、
観客にも伝えず、
全部が終わった後で知らせて、
「あら?そうだったの?」となる。

そりゃまあ、
ビックリ仰天するわけですわ。

ただそうなると、
初回ではなく2度目に、
そうした「どんでん作品」に触れたときは、
既に仕掛けは知ってるのだから、
びっくりはしません。

さて、そこからが
作品の善し悪しというか、
真価というかが、
表れる部分だと思います。

その2回目を楽しめるかどうか。

ぼくは、
この例に出した『スティング』を
少なくとも3回は観ています。
どんでんの仕掛けを知っていても、
楽しめちゃう作品でした。

で、この『夜の国のクーパー』。

もうちょい時間がたってから、
たぶん再読すると思います。
楽しめちゃうと思います。






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2017年6月5日月曜日

『蒼穹の昴(3)』(浅田次郎)読みました。



このブログ、
新しい記事をにアップすると、
ツイッターに「更新しました」的な
お知らせをあげるようにしています。

そのツイッターは、
自動的にフェイスブックに連動させ、
「更新しました」の同じ記事が
アップされるよう設定しています。

で、そのフェイスブックに最近、
「過去の投稿」って欄が追加され、
1年前の同じ日、
自分がどんな記事を投稿したのか、
知らせてくるようになりました。

この「過去の投稿」が、
結構驚かせてくれるんです。

「えっ、それって、つい先週に
 アップしたヤツじゃなかったけ」
とか、逆に、
「それは、1年どころか、
 数年たってるヤツだと思ってた」
とか。

この前も、
「1年前の今日、あなたは
〈『オモロイぞ!』を読んで
 ブログ更新しました!〉と投稿しました」
なんてのが出てきました。
(『オモロイぞ!』は仮名)

その『オモロイぞ!』。
少し前に、雑誌の書評で読んで、
「これは面白そうだけから、買わなきゃ」
と購入予定リストに入れた本だったんです。

1年前に読んだことまったく忘れてた……。
ホントに面白ければ、
1年たっても、忘れることはないと思うんですけどね。

で、この『蒼穹の昴(3)』。

忘れないと思います。きっと。




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2017年6月2日金曜日

『書く人はここで躓く!」(宮原昭夫)読みました。

スポーツ観戦で
熱狂している人を見ると、
うらやましいなと思います。

ぼくは、
そんなに夢中になれないんです。

自分がやるのはいいけど、
他の人がやっていることに、
それほど入り込めない。

ほんで、
「自分でやるのはいい、
 他人がやることは楽しめない」
という性格が徹底しているとしたら、
違うとこにも弊害が出る気がします。

他の人が書いた小説とかも、
楽しめないんじゃないかって。

したら、
こんな感想文もどきの遊びも
できなくなるんじゃないかって。

ところがぎっちょんちょん。

なぜか知らねど、
そうはならないんですね。

逆に自分が小説とかをつくってみようと、
つれづれに試したりすると、
他の人の作品が、
自分でやろうなんて思わなかったときに比べ、
がぜん面白く感じる。

「やーさすがだな」なんてため息が、
十倍も出てきたりする。
なんででしょうね。

で、この『書く人はここで躓く』。

小説を読むだけの人
(自分では書かない人)でも、
この本を読むと、
〈疑似書く体験〉ができるような
気がします。
なので、普段の読書が
もっと面白くなるような気がします。




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