2015年1月26日月曜日

『三四郎』(夏目漱石)読みました。

人間は、ある程度成長して
脳みその構造とかがしっかりしてこないと、
理解しようと思っても
できない事柄が結構あるそうです。

例えば、幼い子どもには、
こんな話(↓)のキモがわからない。

数年前、太郎は花子から、
旅行のお土産といって
カエルの置物をもらっていた。

今それは部屋に飾ってあるけれど、
かなり前のことだったので、
誰からもらったのか太郎は忘れている。

そんなある日、
太郎の家に花子が遊びにきた。

そのとき、
花子が誤ってカエルの置物を
落として壊してしまう。

「ごめんなさい!」と花子はしょぼくれた。

そこで太郎は、花子を慰めようと
「いいよ、いいよ。どっちにしろ、
 それ邪魔だから捨てようとしていたんだ」
と言った。

聞いた花子は怒って帰ってしまった。

もちろん、このとき花子が怒ったのは
自分があげたカエルの置物を
邪魔扱いされたからです。

でも、これを理解するには、
脳みその成長がかなり必要なんだとか。

他人が考えていることの中身を
自分の頭で想像できるようになるのって、
そんなに単純なことじゃないんだよと、
今読んでいる別の本に書いてありました。

(上の太郎と花子の話も、
 その本に書いてあった内容を
 ぼくなりに改変したものです)

で、この『三四郎』。

ぼくは、もう少し脳みそを成長させないと、
文豪の作品の良さが理解できないようです。


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2015年1月23日金曜日

『不眠症(下)』(スティーヴン・キング)読みました。

今まで知らなかった作家さんの本を読んで、
「これいいじゃん!」って好きになって、
すぐにその人の書いた他の本も試して
「やっぱ好き!」ってなり、
三冊目に触れて
「うん、これもなかなかだ」となっても、

次に読んだ本が、
どうにもこうにも合わなかったら、
たいていはそこで、そのプチ追っかけは
終わっちゃいます。

(ときどき書評とかで
 新刊が評判いいという内容を見かけ、
 思い出して復活することもあるけど)

その「好き」感情が
もう少し長く5冊くらい連続していくと、
次の6冊目がダメであっても、
追っかけは継続されるんですけどね。

今までのぼくの読書傾向を分析すると、
そんな統計になるようです。

プチ追っかけが途切れちゃった作家さんというと
……あ、やっぱコレは例に出すのはやめておこう。

その逆に
「新刊出るたび買い」のような追っかけが
多少なりも継続しているのは、

京極夏彦さん、森見登美彦さん、村上春樹さん、
和田竜さん、万城目学さんあたりかな。

それと、怖くない話で限定した
小野不由美さんと平山夢明さん。

あ、藤井太洋さんも忘れてた。

思い出せばもっと出てくるだろけど、
羅列しても退屈なのでこの辺で。

で、この『不眠症(下)』。

ときには、こんな作品もあるさ。
めげないで、
スティーブン・キングさん追っかけます。
ちょっと冷却期間を置くけど。
なにしろ、長かったので。


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2015年1月21日水曜日

『バランスシートで読みとく世界経済史』(ジェーン・グリーソン・ホワイト)読みました。

だからどうなの? って言われると、
返事に困ってしまうけれど、
それでもそれを知ったとき、
「ほーオモロイじゃん」
って思うことあります。

あるけれど、
そうちょくちょくあるわけじゃない。

例えば1。
その方面にはとんとうといぼくでも
名前くらいは聞いたことがある
イギリスのウェッジウッド。
えらく高価なティーカップとかの
ブランドですよね。

その創業者・ウェッジウッドさんは、
あの進化論を書いた
チャールズ・ダーウィンさんの
お爺さんだった。

例えば2。
世界初の加算機を発明して、
コンピュータとかやってる
今のユニシス社のもとをつくった人が、
あのビート・ジェネレーションの
代表的な作家ウィリアム・バロウズの
お爺さんだった。

以上、お爺さんつながりの
「だからどうしただけど、ちょっとへぇ〜」
な2例でした。

で、この『バランスシートで読みとく世界経済史』。

題名はこの通り堅いけど、
そんなに小難しいことは書いてありません。

上記の2例はこの本で知ったこと。
ねっ、専門知識なんていらなくても読めるでしょ。

といっても、
トリビアを集めた本ってわけでもありません。
知識欲っていうのかな、
そんなトコを刺激してくれる本でした。


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2015年1月19日月曜日

『不眠症(上)』(スティーヴン・キング)読みました。

物語の長さについては、
池澤夏樹さん訳の『古事記』
(2つ前の投稿)のときに触れました。

でも、もう一回触れます。
どんなものでも、
触れるのって好きなもんですから。

その古事記のときには、
「家臣のうその報告で、
 王に忠誠を誓った男が死刑になる」
って話を例にしました。

こんなふうに縮めちゃうと、
たった25文字で文庫本の1行にもなりません。

でもこの1行の内容は、
加工する作家によって、いくらでも長くできちゃう。

まず、男がどんなに勇ましい人物かを紹介するのに、
鬼ヶ島に行って鬼退治するエピソードを
つくっちゃえば100ページくらいは書けるでしょ。

次に王宮の場面で、
軟弱な家来に囲まれた王様が
自国の防衛に頭を悩ます場面で
その国の背景やらなにやら織り交ぜて150ページ。

そこに「鬼退治男がいます」
なんて助言する若者が登場して(50ページ)、
その若さをねたむ老齢の家臣が
「では私が男の本心を探って参りましょう」
とか言って(30ページ)、
……そんなこんなでページを費やしていくと、
あっという間に大長編の出来上がり。

が、しかし!
一番大切なのは、その長さが、
読む人にとって心地良いかどうかですよね。

で、この『不眠症(上)』。

まだ下巻が未読ですが、
ここまではちと長すぎに感じました。
たしか700ページ近く…。


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2015年1月15日木曜日

『櫛挽道守』(木内昇)読みました。

言葉を並べてつくる本制作の
仕事をしていながら、

「言葉なんてないほうが、
 みんな幸せなんじゃない?」

などと、ときどき思ったりしちゃいます。

言葉こそが、世の中をへんな方向に
引っ張っていく大もとの
出来損ない野郎なんじゃないかって。

だって、
いくら言葉を費やしたって、
丸ごと丸まんまは伝わらないじゃないですか。

理解してもらおうと、
頭をネジ繰り返して、
わかりやすい文章をつくっても、
読む人ごとに違うとらえ方をする。

話を聞いて納得した気でいても、
話し手の思惑と
ぴったり同じなんてことはあり得ない。

それでも
コミュニケーションがとれたように錯覚して、
社会が回っていっちゃうから、
すぐにガタがくる。

もし、言葉じゃなくて、気持ちや考え方が
丸まんま伝わるツールを身につけて
人間がサルから進化してきたんだったら、
今ある嫌なことや悲しいことは、
ほとんどなかったんじゃないかな。

とはいえ……
嫌なことや悲しいことがあるから面白い、
とも言えるから困っちゃうんですけどね。

それがあるから、小説も成り立っていて、
面白いと感じたくて字を追ってるのが
ぼくなわけで…。

で、この『櫛挽道守』。

はぁ〜。言葉があって良かった。泣きました。



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2015年1月13日火曜日

『古事記 』(池澤夏樹訳)読みました。

小説の中に書き込まれる要素で、
バランスが大切だと、ときどき感じるのは、
説明しておくべきことと、
言わずに済ませることの比率です。

くどくどと説明をしちゃうと
物語のスピード感が削がれちゃう気がするし、
かといって説明不足だと
何の話をしているのかも伝わらない。

そしてそのバランスは、
その本が発表される時代によっても
変わるような気がします。

人の好みが変わるっていうのかな。

説明されたい人が多い時代と、
うざいうんちくなんか聞きたくない
って人が多い時代、って感じで。

で、この池澤夏樹さん訳の『古事記』。

明らかに
「説明なんか、いらねーぜ」時代の本でした。

例えば、こんな感じ。

王様が家臣に
「A男に家来になるよう伝えてこい」
と命令したので、家臣がそれをA男に伝えると、
A男は「はい、わかりました」と素直に応じた。

次に家臣は王のもとに行き
「A男は、イヤだと申しております」と報告。
それを聞いた王はA男を殺した。


えーっとつまり
「説明なんていらねーぜ」の時代です。
今なら、このエピソードだけで一冊本が書けそうだけどね。

読みやすかったです。



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2015年1月9日金曜日

『ハガキ職人タカギ!』(風カオル)読みました。

前の『剣豪将軍〜』の感想文(もどき)は、
歴史の授業ネタだったから、
今度は国語の授業ネタにします。

担当の先生の顔も名前も、
どの学校の授業だったかも忘れちゃったんですが、
内容は小説についての講義でした。

もしかしたら学校の授業じゃなく、
なんかの講演会だったかも、です。
(忘れちゃったので、
 細かい部分はつくり入れます)。

講義は、小説の始まりの一文についての話でした。
「メロスは激怒した」とか
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」とか
「吾輩は猫である。名はまだ無い」とか。
名作をいろいろと出して、
冒頭の文章は素晴らしいと力説してたんです。

んで、
そういう感じののっけから
読者をうならせるような作家を、
俗に「デダシスト」と呼ぶんだと教えてくれました。
(そんな言葉を聞いたのは、
 後にも先にもこのときだけのような気がします)

続けて先生は、
「それとは逆に、
 小説の最後の一文が光る作家のことを
 キリストと呼ぶ」
と言ったんです。

言ってから、
静かに講義を聴いている生徒を見回し、
ふっと微笑んでちょっとうつむきました。

みんなは、
何のことかわからずシーンと傾聴モード。

先生も、微笑みの意味に触れることなく、
次の話題を進めていきました。

今思えば、あれはひょっとして
「イエス・キリスト」にかけた
親父ギャグだったのかな……。
それスルーしちゃったのかな。

で、この『ハガキ職人タカギ!』。

小説の最後のシーンがとても良かった!
キリストでした。



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2015年1月7日水曜日

『剣豪将軍義輝(下)流星ノ太刀』(宮本昌孝)読みました。

ぼくは中学校の歴史の授業で、
年号の丸暗記をした覚えがないんです。

それは確か、教科の先生の方針
だったように記憶しています。

歴史なので、
一応年代順に勉強は進めていきます。

でも、その先生がいつも言っていったのは、
「学ぶべきは《なぜか?》」

あの人はなぜ暗殺されたのか、
その人物はなぜ頭角を現したのか、
そもそも各地の大名はなぜ争いを始めたのか…。

例えば、
教科書に「1853年 黒船来航」って載っていたら、
その先生は「いやでござんすペリーの来航」
なんてゴロ覚えにはピクリとも触れず、
《なぜか?》をとうとうと説明するんです。

ヨーロッパの植民地獲得競争が盛んになって、
アメリカも負けていられないと、
やっきになって日本をぶんどろうとしていた
……みたいなこと。

その説明は、
小説とかドラマとかをみているような感じでした。
ごっつ、おもろかった。

歴史の教科書は、
年表を無理矢理ひとつの文章にした
みたいな出来事羅列なのに、
その先生のドラマ仕立ての授業があったので、
ぼくは今でも歴史物に
興味を持ててるんだろうなって思います。

で、この『剣豪将軍義輝(下)流星の太刀』。


出来事羅列3、ドラマ仕立て7。
3がなければいいのにな。



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2015年1月5日月曜日

『2312 太陽系動乱(下)』(キム・スタンリー・ロビンスン)読みました。

確か京極夏彦さんの本の中に、
人生を表す言葉として
「どきときどき天国、たいてい地獄」
という表現がありました。
(ように記憶しています)

もう一つ、
確か井上ひさしさんが、
何かのインタビューに答えて
「これまで生きてきたけれど、
 ほとんどがつらいことだばかりだった」
と言っていました。
(ように記憶しています)

どちらの先生も、
素晴らしい作品をたくさん残して、
世に広く認められてる人なのに…。

さて、ひるがえってぼくも、
「やっぱ、人生って、
 きつい状態がデフォルトだよな」と、
思ったりしてます。

この読書感想文もどきの文章でも、
友だちと会ったときでも、
おちゃらけばかり言っているぼくですが、
実はそんなこと思ったりしてるんです。

たいていはキツくて、
ときどき楽しいってのが
ノーマルな人生なんでしょうかね。

で、この『2312 太陽系動乱(下)』。

ノーマルな人生みたいな本だなぁ。


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