2018年8月30日木曜日

『半七捕物帳(3)』(岡本綺堂)読みました。


気づいたらその習慣が
なくなっていたのですが、
数年前までは、
本を買うときのジンクスがありました。

上下巻の分冊とか、シリーズ物とか、
ひとつながりの本を仕入れる場合に、
「一度に複数冊買ったらダメ」ってこと。

面白くてもつまらなくても、
一度手を付けたら最後まで読まないと
気が済まないぼくなので、
最初の巻を仕入れたら、
いずれにしても最終巻まで
買うことになるんです。

だから複数冊を
いっぺんに手に入れるほうが、
本屋さんに行く手間も省けるし、
最初の巻が面白かったときの
「すぐ次読みたい」需要にも応えられます。

でも、その数年前の頃は、
一度に複数巻仕入れたものが、
ことごとくハズレだったんです。

で、複数巻のラインナップがあっても、
それを1冊づつ買っていくと、
「これ面白い!」「わーすごい!」
って感じの当たり、当たりになる。

まあ、そんなのは、たまたまの偶然ですよね。

そう、それが偶然だってことに気づいたからか、
ジンクスの魔力が薄れていったか、
今では複数巻同時購入も気にならなくなり、
それに伴う作品の善し悪しも
なくなっているようです。

で、この『半七捕物帳(3)』。

全部で6巻あります。それ最終巻まで、
複数冊のまとめ買いしちゃいました。
1巻目を読んだときには
「もしやジンクス復活か?」と、
びくびくたんですが、3巻目まできて
「おや? いいかも」って思えてきました。
次巻が楽しみになってきてよかった。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月28日火曜日

『溺れる月』(新野剛志)読みました。


読み終えたのは8月12日、
これを書いているのは8月25日。

いつの間にやら、
2週間ほど過ぎてしまいました。

ぼくの脳内記憶システムは、
常に新しい情報を入手できるように、
半日前のあれやこれやの出来事を
覚えておくことはせず、
すぐに消去して記録スペースを
空けておくようにできています。

なので、
それ以前に読んだ本の内容は、
ほとんど覚えていないのが通常です。
(つまり1日たつと忘れる)

それでも、システムのバグなのか、
入手した情報の特殊性なのか、
詳細までは思い出せないにしても、
かなり長く印象に残る作品もあります。

そんな耐久性のよいものは、
大まかに分けて2種類。

一つは、五つ星をつけるような、
「わーホントによかった」と思える作品。

そしてもう一つは、
どうしても興味がわかず、
「もっとこうすれば、
 ぼくの趣味に合うのにな」とか
「その設定はちょっと無理があるでしょ」とか、
読んでる途中に
いらぬツッコミを入れちゃう作品。

そうした両極端な作品ほど、
頭に残る期間が長いんです。

で、この『溺れる月』。

読み終えたのは8月12日。
これを書いているのは8月25日。
この期間って長いです。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月21日火曜日

『かがみの孤城』(辻村深月)読みました。


もう1年ぐらい前になると思うんですが、
有名人が鼎談するテレビ番組で、
作家の森見登美彦さんと万城目学さんが
出演していました。
(もう一人はどこかの劇団の
演出家だったかな……忘れました。すみません)

そこで、小説の作り方についての話題になり、
ぼくが時々ここで触れる、

「思いつくままに書き進める方法」と

「プロットをきちっと組んだ
 設計図のようなものをまず用意し
 それに沿って書き進める方法」

のどちらがいいのか議論になっていました。

森見さんは前者。
登場人物に自由に動いてもらい
作者はそれを写し取っていくような
感じがいいみたいに言っていました。

対して万城目さんは後者。
結末までの道筋が
わからない状態で書くなんて、
とんでもないって感じ。

どっちの方法でつくっても、
読む側としては、
面白ければそれでいいんですけどね。

で、この『かがみの孤城』。

久々に五つ星。面白かったぁ。
これもし、
森見さん的「思いつくまま作法」で
書いたのだとしたら、
それは神様的な才能をお持ちなんだと思います。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月16日木曜日

『柳家小三治の落語(8)』(柳家小三治)読みました。


なんでそんなことやっているのか、
自分でもわからなくなっている
毎朝約6キロのランニング通勤。

もう7年以上続けているのに
ちっとも楽にならないから、
少しは走りに楽しさを付け加えたいと
思うようになりました。

すぐに思いついたのが、
音楽聴きながらのランニング。

で、それをちょっとヒネって
落語聞きながらがいいなと。

いつもランニングアプリを使っているので、
そのスマホに音源入れればOKだし、
あとはイヤホンをつなげば
出来上がりのはずです。

でもね。
イヤホンがダメなんですわ、ぼく。

なぜか知らんけど、
耳の中にあの丸っこいのを
突っ込んだ状態にしておくのがイヤで。

それに、耳塞いじゃうと、
クルマの音とか聞こえなくなって危ないし。

そう思っていたらなんと、
サングラスをかけるだけで
イヤホン代わりになるグッズが
あるそうじゃないですか。

耳に入れなくても
骨伝導って仕組みを使うらしく、
それいいなって思ってるんです。
今、売ってるとこ探し中。

で、この『柳家小三治の落語(8)』。

イヤホンサングラスを入手したら、
まず、小三治さんの落語を
聴きたいと思います。
走りが楽になりますように。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月14日火曜日

『ベストセラー小説の書き方』(ディーン・R・クーンツ)読みました。


昔、雑誌の特集で、
とある会社の紹介記事を
書いたことがあります。

日本に来ている
アメリカ人の社長にインタビューして、
その会社がどんなビジネスを
しているのかまとめる仕事でした。

そこが何をやっているかというと、
いわゆるマルチ商法って
いうんでしょうかね。

商品を買わせて、
それをまた別の人に売らせて、
その別の人から買った人は、
また違う別の人に売ってって
という感じのやり方。

大もとの親から、子、孫……
と階層的につながっていく。

その間に入っている人は、
自分の下の階層で商品が売れていけば、
マージンをもらえて、
お金儲けできる仕組み、みたいです。

そんで、そのアメリカ人の社長が、
若くてハンサムなんだけど、
とにかく押しが強いんです。

ぼくは、仕事で取材しているだけなのに、
「あんたもやれ」的に、入会を勧めてくる。

そもそも、
そういうビジネスでお金儲けするのに
抵抗があるぼくは、
「いやいや、ぼくは記者ですから、
 あくまで第三者的な立場にいないとダメです」
みたいなありきたりの断り文句を必死に並べ、
なんとかインタビューを切り上げてきました。

で、この『ベストセラー小説の書き方』。

押しが強いなぁ、この本。
読んでいる最中、何度も、
あのアメリカ人社長の顔が目に浮かびました。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月10日金曜日

『柳家小三治の落語(7)』(柳家小三治)読みました。


今でも高校時代の友だちは、
ぼくのことを
「ラクダ」ってあだ名で呼びます。

他にも「おやじ」とか「いのき」
なんて呼ぶヤツもいるけど、
一番多いのがラクダです。

体育の授業で
長距離走(といっても1,500m走)を
やったとき、みんなヘロヘロになっている中、
ぼくはわりと涼しい顔して
飄々と走っていたらしいんです。

毎日の部活で、
体育の授業より数十倍きついしごきを
受けていたから、1500なんて
チョロかったんだと思います。

その飄々走りに驚いた友だちが、
「お前は身体のどこかに栄養分を蓄えて、
 それを小出しに使えるんだな。
 あ、そのアントニオ猪木みたいに
 でっかいアゴだ。
 養分、そこにあるんだろう。
 まるでラクダじゃん。らくだ、ラクダ!」

と叫んだのが、このあだ名の始まりです。

で、話は変わって、ちょっと前に、
さだまさしさんの本を読んだときのこと。

彼はその昔、
落語家を目指したこともあるらしく、
得意は「らくだ」という演目だったようです。

で、やっとこの『柳家小三治の落語7』。

「らくだ」の演目入ってました。
実はその噺の内容、
この本を読んで初めて知ったんです。
さださんの本で、らくだ噺があることを知り、
自分のあだ名でもあるから、
一度は触れておかなきゃって思ってたんです。
それがやっと、できました。

このシリーズ全9巻なので、残りはあと2つ。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月8日水曜日

『半七捕物帳(2)』(岡本綺堂)読みました。


作画・和田誠のイラストカバーを
思い出すカート・ヴォネガットさんが、
エッセイか何かで、

「小説の書き方はこうあるべきだ」的な
文章を記し、それに続けて、
他の作家が自分にはとても真似できないほど
素晴らしい小説を出しているけれど、
その作品は
「今挙げた〈こうあるべき〉項目に、
 ことごとく反している」
みたいなことを書いていました。

物語をつくりたい人は、
こんなふうにやればいいんだよ。
でも、そんなふうにやらなくても、
面白いものはできるよ。

という、なんだか禅問答のような、
アイロニーのような物言いです。

クーンツさんって人も
『ベストセラー小説の書き方』って
本を出しています。
(今、読んでいる最中で、
 もう少ししたらここで紹介します)

そこでも、
こういうふうに書けば、物語は面白くなるし、
本はたくさん売れる
ということを言っているんです。
そっちは、アイロニー禅問答じゃなく、
「俺の言うことに間違いはない。
 この通りやれ」的な感じですけど。

で、この『半七捕物帳(2)』。

前者のヴォネガットさんじゃなく
後者のクーンツさんのいう〈こうあるべき〉項目に
ことどとく反している気がしました。

それでも
長年売れ続けている本なんですよね、これ。

「俺の言うことに間違いはない」と
自信を持って発表するのは大切なんだろうけど、
受け取る側は「いや、例外もある」と
わかってたほうがよろしいようです。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年8月2日木曜日

『Ank:a mirroring ape』(佐藤究)読みました。


米や麦などの穀物は、
とてもひ弱な植物で、
人間が小まめに面倒をみてやらないと、
すぐ枯れてダメになってしまう。

ほっぽらかしのまま、ダーウィン仕様の
自然淘汰的世界に置いておいたら、
あっと言う間に絶滅しちゃう。

でも、見方を変えると、そうした穀物は、
人間を使って、めちゃめちゃ自分の子孫を
後世に残している。

つーことは、
それも一種の生き残り戦略に
なっているんじゃないか。

みたいな話をどこかの本で読んだとき、
ふと思い出したのが、
競走馬のサラブレッドについてやった
友だちとの議論でした。

サラブレッドってのは、
競馬をやるためだけに生まれてくる。
選ばれた幸せなヤツらなんだ。

と友だちが言ったので、
そんなのは人間のエゴエゴで
おかしいじゃんって、ぼくは反論したんです。

結局その議論は平行線で
決着はつきませんでした。

んで思い出す、穀物の生き残り戦略。
馬にしても穀物にしても、
人間をうまく使っているだけなのかも。

で、この『Ank:a mirroring ape』。

すみません。
また関係のないことを
うだうだ書き連ねちゃいました。
この本が、
人間が育ててるチンパンジーの話だったから。
ただそれだけのつながりでした。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************