2017年5月29日月曜日

『ゾウの時間 ネズミの時間』(本川達雄)読みました。


最近はまっている
伊坂幸太郎さんの小説の中に、
ニュートンと同じ発見をする人の
話が出てきました。

物語の時代設定は現代。
でも、無学で、引力の法則を知らない人が、

「リンゴが木から落ちるのは、
 地面とリンゴが
 引っ張り合ってるからだと思う」
みたいな発言をするんです。

もともと物理の法則を知らなくて、
そこに気づくのは、
ニュートン級の発想力を
持つキャラってことでしょう。

そのキャラの描き方、
面白いなと思いました。

そんで、ぼくの話。

車輪は速く走るために
とても都合がよく見えるのに、
なぜ生き物の中に
車輪の形に進化したヤツが
いないんだろうか、

と疑問に思ったことがありました。

その疑問が浮かんだとき、
「これって、ひょとするとニュートン級の
 発想力(疑問力?)かも」
って震えたんです。

で、この『ゾウの時間 ネズミの時間』。

生物が車輪型に進化しない理由が
書いてありました。
ぼくの頭に浮かんだ疑問って、
ニュートン級じゃなくても、
誰でも普通に考えるものらしいです。
……やっぱりな。




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2017年5月24日水曜日

『恋文の技術』(森見登美彦)読みました。


縦書きの手紙が送られてきて、
開けてみたら、1行目にいきなり
自分の名前プラス「様」の宛名が
書かれていて、
びっくりというか情けなくなってきた
……というエッセイを
どっかで読んだことあります。

そうそう、
メール主体の今の世の中じゃ、
手紙の書き方もIT化されちゃて、
宛名や差出人を最後に記すなんてルールも、
いつの間にか
廃れちゃってるのかもしれません。

かくいうぼくも、
半世紀以上生きてきたこれまでを思い起こし、
縦書きのきちんとした手紙に、
拝啓〜敬具、日付に署名、宛名
なんて順番でしたためたものを
送った覚えは、一度もありません。

執筆とか監修とか取材の依頼で、
偉い先生に送る文書は、
ちょくちょく書きますが、

それも、ビジネス文書に
よくあるフォーマットで、
頭に「○○のお願い」なんて
タイトルをつけて
自分の社名なんかを
上部の右端に寄せて書くような
スタイルでした。

昔から使われていた
手紙の書き方とはまるで違う。

で、この『恋文の技術』。

書簡体小説っていうんですね、
こういうの。 面白いです。
でもって、
正式な手紙の書き方も勉強できちゃいます。




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2017年5月22日月曜日

『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)読みました。


たしか新聞のコラムで読んだんですが、
誰のことだかは忘れてしまいました。
なので、
適当な仮名で、そうだなぁ……
〈ヘソマ〉さんとでもしときましょうか。

最初、偏屈さんってつけたんですが、
漢字が難しくて、
パッと見で読めないかもしれないと思い
「へんくつ」と同じような意味の
「へそ曲がり」からとった
〈ヘソマ〉にしました。

と、そんなどうでもいいことで、
こんなに文字を書き連ねちゃいました。
数えてみたら217文字。
ペラ(200字)1枚ちょっとに
なっていました。

なので、
もうこの辺で締めにしちゃおうかなと、
悪魔のささやきが聞こえてきたけど、
それでは、尻切れとんぼ過ぎるので、
とりあえず、ヘソマさんのこと。

新聞のコラムでは、
ヘソマさんは、大変な毒舌家で、
社会の仕組み、政治のやり方、
経済の動向など、あらゆることに
「そうじゃねー!反対だー!!」
と唱えていたそうです。

んで、ある日、
ヘソマさんがコラム記者の
インタビューに答えて
こんなことを言ったそうです。

「おいらは今、
 なんでもかんでも反対しているけど、
 その反対が受け入れられて、
 おいらの意見通りの社会になったとしたら、
 おいらはその社会にも
 〈そうじゃねー!反対だー!!〉って言うね」

で、この『すばらしい新世界』。

念のために言いますが、ヘソマさんは、
立川談志さんじゃありません。
この本を読んで、そんなコラムを思い出しました。




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2017年5月17日水曜日

『PK』(伊坂幸太郎)読みました。


職人と芸術家って、
字が違うんだから、
当然、
それぞれ別の種類の人を
さすんでしょうね。

重なる部分もあるんだろうけど、
厳密な意味は違うはずです。

辞書を見ると〈職人〉は
「身につけた技術によって
 物を作り出したりする職業の人。
 転じてその道の専門家」

〈芸術家〉は、
「画家、音楽家、作家など芸術活動を行う人」

となってます。

あれれ?
この辞書の説明をコピペするまでは、
実用的なモノをつくるのが職人、
実用というよりキレイで
感動的なモノをつくるのが芸術家、
だと思ってました。

でも、辞書通りに考えると、
芸術家は職人の部分集合みたいな
感じに思えてきました。

職人って大きなくくりの中には、
大工さんだったり、
寿司職人だったり、
植木屋さんだったりがあって、
その一つが芸術家……みたいな。
ふーん、そうなのか。

で、この『PK』。

作者の伊坂さんって、
職人だなって思いました。
上の辞書的な解釈からすれば、
当たり前なんですけどね。




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2017年5月15日月曜日

『蒼穹の昴(3)』(浅田次郎)読みました。


自動車がどういう仕組みで走るのか。
ガソリンを燃やすエンジンから、
どうやって、あのスイスイ走る動きが
伝わっていくのか。
それは、なんとなくイメージできます。

ガソリンをぎゅうぎゅうに圧縮
→火花をつけて爆発させる
→その勢いでピストンを動かす
→ピストンの動きを
 タイヤの軸に連動させる
→タイヤが回って車がスイスイ
…って感じですよね。大雑把には。

それは頭の中に図を描けるんです。
たぶん、仕組みが単純だから。

でも!
すすっとイメージを
結んでくれない仕組みがあります。

人間(というか動物全部)が
どんな流れでもって動いているかです。

自動車と同じに
走る動作を考えたとしたら、
人間なんかは、
足裏で地面を蹴って進むんですよね。

その足を動かすとき、
ガソリンみたいな燃料は
どうやって使われて、
その力はどうやって伝わっていくのか。

筋肉が伸びたり
縮んだりするんだろうなってのは、
なんとなくわかるんですが、
エンジンの動きみたいな
イメージ図(フロー図)が、
すんなり頭に浮かばない。

それはたぶん、
ぼくの知識不足が一番の原因なんでしょうが、
その頭の悪さを除いたとして、
イメージをつくらせない一番大きな障害は、
生き物が動くときの複雑さなんだと思います。

複雑なものは、
全体をまるっと理解しようとするとダメで、
ほんの一部分だけを抜き出して
まずチョットだけ理解し、
また次の一部分をわかっていく……
って感じの「断片かじり囓り戦法」で
読み解いていかないと、頭がおっつかない。

で、この『蒼穹の昴(3)』。

中国の清王朝の歴史なんて、
複雑すぎて、
普通ならぼくの頭では
すんなり理解できるはずはないんです。
でも、
一部分を上手に抜き出して
エンタメまぶして説かれるので、
ぼくにもわかっちゃいました。
ドキドキハラハラ、面白おかしく。




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2017年5月12日金曜日

『笑いのカイブツ』(ツチヤタカユキ)読みました。



今から30年程前、
ぼくが高校生のころ、
部活(運動部)での練習中は、
水分をとっちゃいけませんでした。

水筒を近くに置いておいて、
小まめに水分補給するなんてことは、
思いつきもしなかった。

いくらノドが渇いても
水飲みが許される小休止の時間まで
がまんがまん。

その時間がくると、
ダーッと水飲み場に向かって
全員が走って行って、
お腹ちゃぽちゃぽになるまで
がぶ飲みしてました。

今だと逆に、
水分をとらないほうが怒られる。

「我慢しろ! 水飲むな!」
じゃなくて
「あほ! 早う水分とれ!」かな。

それと同じように、
あの頃は、
何でもかんでもがむしゃらにやって、
痛くて、つらくて、
がまんする度合いが
大きければ大きいほど、
結果もついてくる、
とみんな思ってました。

いわゆる根性論みたいな。

ほんで、
それも今では逆な感じになってる。

「楽しんで練習をしろ!
 試合を楽しめ!」
とか言われて、
そうした精神状態でいたほうが、
持ってる力を十分に発揮できる
とアドバイスされる。

まあ、楽しくしてれば強くなれる
ってほうが、いいに決まっている。
つらいのは、やっぱつらいですから。

で、この『笑いのカイブツ』。

楽しくして強くなる人もいるけど、
みんながみんなそうじゃない。
つらいことやらないと、
強くなれない人もいるんだよな…。
がんばれ!






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2017年5月10日水曜日

『マリアビートル』(伊坂幸太郎)読みました。


約千年前に書かれた源氏物語は、
作者とされる紫式部が記した
オリジナルは残っていない
(見つかっていない)そうです。

それが
どうやって伝えられきたかというと、
まったくの人海戦術。

印刷機がなかった昔なので、
手書きで写し取って、
それをまた別の人が書き写して、
って感じで、
ずっと引き継がれてきたとか。

そうなるとコンピュータで
コピペするわけじゃないから、
誤字脱字なんかは出てくるだろうし、

ひょっとすると、
善意のクリエイティブな人が、
書き写している間に
「いやいや、この流れじゃなく、
 こうしたほうが面白いだろう」
なんて話を盛ったり、
変えちゃったりってことも
ないとはいえないでしょう。

ぼくは、あれを読んだとき、
「この話、伏線があちこちに張られてるな」
って思ったんです。

継ぎ足しみたいに伏線つけると、
あちこちに齟齬が出てくるもんですが、
そんなほころびもなく、
きちんと物語を組み立ててるなって。

もしかしたらそれって、
善意のクリエイティブな
写本職人さんが
やったことなのかな、なんて思ったりして。

で、この『マリアビートル』。

源氏物語とはジャンルも何も
ぜんぜん違うけど、
よくできてるって所は同じです。





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2017年5月8日月曜日

『蒼穹の昴(2)』読みました。



今日はほとんど晴れの一日ですが、
一時的ににわか雨が降ることがあります。
しかも、雷を伴った
激しい雨になるので注意が必要です

……朝ご飯を食べているとき、
そんな天気予報の解説が
テレビから聞こえてきて、

ふーんと思って、
いつものようにランニング通勤で
会社に行った日。

汗でぐちゃぐちゃになった
シャツとかを洗って
会社のベランダに干します。

雲はちらほらとあるものの、
お日様かんかんの洗濯日和なので、
朝の天気予報なんかは、
ひとかけらも頭にはありません。

いつも、走り用の服を取り込むのは、
本を読みながらお昼を食べて、
弁当箱を洗って、
15分間の午睡をしてからです。

洗濯物を取り込むと、
午後からの仕事スイッチが
入るみたいなんです。

当然、その日も普段と同じ流れで、
ベランダから洗濯物を取り入れました。

お日様かんかんだったから、
乾きもバッチリです。

よし、OK!
とベランダのガラス戸を閉めた瞬間、
雷がゴロゴロ。忘れてたけど、
予報通りのゲキ雨が降ってきたんです。
なんか、運がいい!

で、この『蒼穹の昴(2)』。

面白いな、この本。
……なんか、運がいい!




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2017年5月1日月曜日

『ウニはすごい バッタもすごい』(本川達雄)読みました。


普通の感覚では
とても想像できないものを、
身の回りにある
イメージしやすい形に
置き換えて説明されると
「そうか!わかった!」
とうれしくなります。

太陽や地球の、
大きさや距離なんかを
実感するのは難しいけど、

「手に持っているボールを
 地球だとしたら、
 向こうに見える建物が
 太陽の大きさです。
 距離もそれくらい離れています」

なんて小学校の授業のように
教えてもらうと、
本当にはわかっちゃいないんだけど、
わかった気になれる。

逆に小さすぎの例でいえば、
このまえ読んだ本にあったたとえ。

原子の中心にある核の部分を、
ボールペンの先にたとえてました。

先っぽくらいだとした原子核を、
おっきな体育館の真ん中に置いたとしたら、
核の周りにいる電子は、
体育館の外側くらいの位置を回っている。
んで、大きさは見えないほど。

ふーん、そうなんだ。

身近なものに置き換えてくれるのは、
頭の回転がのろいぼくにとっては
本当にありがたいことです。

次に望むのは、
極端なモノを極端なモノにたとえて
説明してもらうこと。

例えば、
見えなくらいの電子が
地球の大きさになった世界の、
太陽の大きさとか。
それって宇宙の中に入りきれるのか、とか。

で、この『ウニはすごいバッタもすごい』。

たとえがたくさん出てくるワケじゃないのに、
わかる。
知らななかったことなのに、
わかる。

そうか、生物のこと書いてる本だから、
そもそも身近で、置き換え不要なんですね。




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