2016年10月31日月曜日

『天切り松読本 完全版』(浅田次郎)読みました。


前回、
長距離の電車移動のとき、
読みかけの本を忘れて、
急遽同じ本をもう1冊買った
といいました。

そのときの移動時間は、約3時間。

読みかけ本は、
残りわずか数十ページだったので、
その1冊だけでは、
時間を持て余してしまいます。

なので、
忘れてしまった読みかけの
『天切り松4』と一緒に
ほかの本も購入しました。

『天切り松』シリーズは今、
5巻まで刊行されているので、
普通なら「4」の次の「5」を
買うところです。

でも、その「5」はすでに入手済み。

家の本棚の
積ん読スペースに置かれているんです。

「4」をダブって買ったので、
ついでに「5」も「2冊にしちゃえば」と
左肩に乗っている
黒い妖精にささやかれました。

と、
即座に右肩の白い妖精が
「もったいないコトしちゃダメ。
 お金が無駄でしょ。
 あなたはそんなにお金持ちじゃないハズよ。
 同じ本を2冊買うなんて!」
とお叱りの言葉をかけてきたんです。

少し迷った末、
ぼくが聞き入れたのは
右肩の白い妖精のお言葉でした。

続きの5巻は
家に帰ってからのお楽しみとして
そのときは我慢したんです。

ってことで、
別の本を買わなくてはいけません。

で、買ったのがこの『天切り松読本 完全版』。

シリーズ全体の解説本
という位置づけでしょうか。
結局「天切り」系。
だって、電車の時間のもあったし、
ほかの本を選んでるヒマがなかったんですもの。





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2016年10月28日金曜日

『天切り松闇がたり4 昭和侠盗伝』(浅田次郎)読みました。


長時間、電車に乗らなくては
いけない用事ができて、
座席に固定され縛られるのは
イヤだけれど、
それにまさる楽しみもあります。

「やったー! どっぷりと本が読める!」です。

そんな期待を持ちつつ電車に乗り込み、
「さー、続き続き!
 確か東郷平八郎元帥のとこに
 盗みに入るんだったよな……」
とカバンをたぐり寄せると、

「えっ!? そうか!
 いつもカバンじゃないんだ」

本を入れたのは、いつものカバン。
今日は長距離移動で、
違うカバンを持ってきたから、
本が入ってない……。

「げーどうしよう!」

そこで目に飛び込んできたのが
本屋さんの看板でした。

「そうか、買えばいいんだ」と、
そのわりと大きな書店に入り、
違うカバンに入れてしまったのと
同じ本を買いました。

「ふーっ、よかった」
電車の座席に身を沈め、
続きの作品世界に浸り
……あー面白かった。

そして、その読み終えた本は、
前の背もたれについている
座席ポケットの中に置いてきました。

次に乗った人へのプレゼント。
面白いから読んでみてください。

その本がこれ
『天切り松 闇がたり4 昭和任盗伝』。

ぼくには、
違うカバンに入っている同じ本があるから、
ほかの人にプレゼントしても大丈夫。

どうか、ゴミと一緒に捨てられませんように。





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2016年10月26日水曜日

『天切り松 闇がたり3 初湯千両』(浅田次郎)読みました。


確かぼくが20代後半の頃だったと思います。
『一杯のかけそば』ってお話(小説?)が
ブームになりました。

でも、その頃のぼくは(今もそうですが)、
テレビをあまり観ず、世間の流行にもとんと疎くて、
ブームの最盛期でもその話題を
耳にしてはいませんでした。

そんなとき、友だちから
「あの『一杯のかけそば』の人、
 なんか悪い事してたんだって?」
と話を振られたんです。

「えっ? かけそば? 何それ?」

ぼくが逆に聞き返して、
世の中が〈かけそばブーム〉だったことや、
作者に何らかの疑惑が掛けられて
ブームがあっと言う間に
終わったことなどを知りました。

涙なしには読めない
〈かけそば〉のお話を書いた人に、
よくない噂が立ち、
バッシングで晴れ舞台から引き下ろされる。

売れっ子アイドルの話みたいだなって思いました。

実はぼく、
この引き下ろされた作者さんを、
最近まで別の作家さんと勘違いしていたんです。

そう、浅田次郎さんだと思ってたんです。

それでなんとなく
その作品を読むのを避けていたような
感じだったんです。
まったく失礼なことですよね。ごめんなさい。

で、この『初湯千両 天切り松闇がたり3』。

勘違いだとわかって、
浅田作品を読むようになってよかった!
だって、ホントに面白いんですもの。






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2016年10月24日月曜日

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(2)』(伏見つかさ)読みました。


上中下の三分冊くらいまでの
シリーズだったら、最初の巻で

「あーあ、退屈だなあ」と感じても、

我慢して(というか、
どこが退屈なのか探そうとして)、

残りの中下巻を読みます。

でも、
それが5巻以上の続きモノだったら、
たいていは途中で切り上げちゃう。

最初の1巻を
どきどきワクワクで読み進めたとしても、
次巻がダメだと、

シリーズの残りの巻数を考慮しながら、
続けて読むかどうか考える。

それで「よし、続きも読むぞ」と
決めたときに限って、

ほかの好きな作家の新刊が
いくつも出ていて、
買うかどうかのボーダーライン付近に
ある作品をことごとく振り落としていく
時期に重なる。

本代に充てられる予算との兼ね合いで、
続刊の購入は却下されてしまい。
そのまま忘れていくんですね。

で、この『俺の妹がこんなに可愛いわけがない2』。

シリーズ2巻目。
少し前に書いた最初の巻のエセ感想文で、
シリーズ全12巻が、今うちの本棚に
並んでいることを紹介しました。

だから、
いくら続きを読まないと決めても、
そこにある。

あるんだから、読む。

続刊購入で悩まなくてもいいのだから、
読む。

最初の巻より、失速しているな……
と思っても読む。

きっと3巻目は巻き返してくれるでしょ。
12巻も続いているんだから。





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2016年10月21日金曜日

『チルドレン』(伊坂幸太郎)読みました。


一度行ってみたいと思いながら、
仕事が立て込んでいたり、
予定が合わなかったりで、
まだ体験できないイベントがあります。

真っ暗闇の施設の中を、
目の見えない視覚障害者に
介助されながら探検していく
「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」
という催し。

(ウィキペディアによると
 「エンターテインメント形式の
  ワークショップ」)

今年のはじめくらいに
ここで紹介した
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
って本で知って、

それを主催している人が書いた
『暗闇から世界が変わる
 ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』
を読んで詳しい内容がわかったら、

「こりゃ一度、自分で体験しなきゃいかん!」
と思ったんです。

当たり前だけどぼくは、
目で見て得られた情報から、
いろんな判断をして、
どうにかこうにか生きています。

でも、本当はこの見えてる情報って、
かなり限定的で、
自分をとりまくぐるりの全部のうち、
ほんの爪のカスぐらいしか
認識できていないんじゃないかななんて、
勘ぐっているんです。

んで、逆に
目からの情報が入ってこない人のほうが、
もっと本質的な情報を
入手できているんじゃないかなって
思ったりするんです。

で、この『チルドレン』。

ダイアローグ・イン・ザ・ダークには
まだ行ったことないけど、
そこで体験してきたような感じがしました。





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2016年10月19日水曜日

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(伏見つかさ)読みました。


この
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』
は再読です。

最初に読んだのは4年程前。
そのときすでにシリーズ化されていて、

「これは面白いから、続編も全部読もう!」
と勢い込んだを覚えています。

そんときはそう思って、
いそいそと自宅の本棚に差し込むと、

その頃大学生だった娘が

「あ、それ持ってるよ。
 続きも全部揃っているから
 勝手に読んでいいよ」と。

「お、そんじゃ買う手間省けたわ!
 読む読む!」

なんて会話したのが、
何度も言いますが4年程前です。

娘が自分の部屋の本棚に
ラインアップしている……

それを知っただけで
安心しちゃったんでしょう、
ぼくのひ弱な脳みそは。

それから、この本のことを
すっかり忘れてしまったんです。

そんなこんなで月日は流れ、
つい先日。

居間にある本棚が
ぱんぱんになってきたので、
そろそろブックオフへ持って行く
ドナドナ対象の本を
整理しなきゃってことで、

あの本この本を紙袋に詰めているとき、
またまた娘が、
「じゃーこれも一緒に持って行って」
とどっさり置いたのが、

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の
全12巻でした。

あちゃー。そうでした。

ということで、もう一回。
最初の1巻目から読み直し。

ドナドナの荷馬車に載せるのは、
12巻を全部読み終えてからにします。

おもろいんだなぁ、これが。




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2016年10月17日月曜日

『残侠 天切り松 闇がたり2』(浅田次郎)読みました。


自宅の居間で
つけっぱなしになっていたテレビを、
見るとはなしに見ていたら、

ユニークなパンを自作する
素人ママさんが出演していました。

なんでも、
まだ幼い自分の子どもが描いた絵
(ゆがんだ丸とよれよれの線だけで
 構成された人のような
 幼稚園に貼られているのを
 よく見かけるようなシュールな作品)
を、そのままパンの模様に
再現するらしいんです。

オーブンから焼き上がったパンを取り出し、
それを切ってみると、
切り口にシュール絵画が出現します。

細長いヤツをとんとんとんと切っていくと、
どの切り口からも、
笑顔の坊やが現れる金太郎飴
みたいな感じです。

レポーターが
「自分の絵がパンから出てくるなんて、
 お子さん、喜んだでしょうね?」
と質問すると、

パンづくりママさんは
「はい。
 最初は飛び回って嬉しがってくれました。
 でも人間って慣れるとダメですね。
 何度もやっているうちに、
 反応が薄くなっちゃって」

うーん、そうなんですよね、
いいものでも、慣れちゃうとね。

で、この『残侠 天切り松闇がたり(2)』。

天切り松という主人公が、
自分の過去の経験を語っていく形式の
連作短編集の2巻目。
いいお話で面白いんです。

ただ、1巻から勢い込んで
読み続けちゃったもんだから
…これも「慣れ」っていうんでしょうかね。

3巻目は少し間を空けて読も。





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2016年10月13日木曜日

『闇の花道 天切り松 闇がたり1』(浅田次郎)読みました。


以前にもいいましたが、
ぼくはたいてい3冊の本を
同時並行で読んでいます。

(本に対して失礼だと
 内心では思っています)

んで、

「これって、
 前の章で出てきた内容を、
 表現変えて繰り返してるだけじゃん」

というビジネス書を昼休みに読んで、

帰りのバスの中で
「まさか次の展開で
 恋人と出会うなんて
 ありふれた筋書きにはしないよな
 ……えっ、するの!?」

という物語に触れ、

寝床に置いた本で
「視点がバラバラで、
 頭の中がごちゃ混ぜだあ〜」

という小説に目を通すような、

「わーしょーもないな本」が
押し寄せる、類は友を呼ぶ現象に
出くわすことがあります。

んで、

それとは逆に
「ホントに脱帽!」って本ばかりが
集中する時期もあります。

で、この『闇の花道 天切り松 闇がたり(1)』。

前回書いた『ミスター・メルセデス』と
同時並行で読んでいた本です。

これは、いいですわ。

どうやら「ホントに脱帽!」が
集中する時期に入ったようです。

シリーズの2作目、早く読もっと。





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2016年10月11日火曜日

『ミスター・メルセデス(下)』(スティーヴン・キング)読みました。


家族が集まる
にぎやかな居間で勉強する子と、

誰にも邪魔されない
自分の部屋でやる子とでは、

どちらのほうが成績がいいか。

ぼくだけを対象とするなら、
間違いなく、
静かな環境の自分の部屋です。

でも、
そうじゃないらしいってことを、
どっかで聞きました。

頭がいいって評判の子どもは、
家族の話し声や
テレビからの笑い声なんかがあっても、

ソファーの前に置かれた
背の低いテーブルや
コタツなんかの前に腰を下ろし、

一人カリカリと勉学にいそしみ、
むしろ
自分の部屋なんかでやるよりも
集中できるんだとか。

原稿を書いているときに、
音楽が流れてきたら、
いつの間にかその歌詞を
打ち込んでいるようなぼくには、
到底真似できない芸当です。

本を読んでいるときだって、
テレビの音や誰かの会話が耳に入ると、
活字の文章が頭に入ってくるスピードは、
高速道路の
帰省ラッシュ大渋滞より遅くなる。
1ページ読むのに30分もかかったりする。

で、この『ミスター・メルセデス(下)』。

テレビの音がガンガンで、
家族がわいわいしている中でも、
すいすいページがめくれてました。

もしかしたらぼくは
「頭がいい」って評判の
子どもになれたのか、と思いました。

はい。それはとんだ勘違い。

周囲の雑音を寄せ付けないほど、
面白かったんですわ、この本。







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2016年10月5日水曜日

『ゲノム編集とは何か』(小林雅一)読みました。

「お、これだこれだ」
と店に並ぶ商品の中から、
目当てのモノを引っ張り出し、

いそいそとレジに持って行って、
店員さんがピッとやって、
値段を告げられる。

そのとき、
「ぎくっ!」
となることがよくあります。

値札を見ないで
会計所まで持って行っちゃうんです。

内心では「ぎくっ!」
としているのですが、
それを顔に出しては男がすたるので、

ひくひくしそうな頬を
何気なく膨らましたりして、

普段通りの顔をつくろい、
お金を払います。

残り少ないサイフの中身が
チラッと見えたときに、
ノドの奥から出てきそうになる

「こりゃ痛てーぇ!」

って言葉を飲み込んで、
おつりをもらいます。

今まで何度同じことを
繰り返してきたでしょうか。

でも、わかっちゃいるけど、
つい、忘れちゃうんです。

だって、欲しかった品物が
目の前に現れるんですから。

お金を払わなくちゃ
いけないことなんて、
頭からすっとんじゃいます。

値段も内容も、
よく確認してから、
購入するようにしましょうね、自分。

で、この『ゲノム編集とは何か』。

ゲノム編集ってものの
やり方とか仕組みとか理論とかを
読みたいなと思って買ったら、
そこら辺は全体の約1割ほど。

残りは、そっから派生するビジネスとか
特許とか沿革とか。

内容をよく確かめてから、
購入するようにしましょうね、自分。




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2016年10月3日月曜日

『ミスター・メルセデス(上)』(スティーヴン・キング)詠みました。



最近では「大丈夫」って言葉も、
拒否の意味を表わせるように
なってるのが日本語です。

「お替わりはいかがですか?」
「大丈夫です」
みたいな使われ方がそれ。

同じように
「いいです」とか「結構です」
なんかもそうで、

肯定も否定も、
同じ言葉で済ませられる。

そんな曖昧さは、
過去形と現在形でもいえます。

普通は、
「いた」といったら過去形で、
「いる」といったら現在形ですよね。

(文法のことを
 よく知っているワケじゃないけど普通は)

でも、
「目を覚ましたら、
 隣に全裸の美女が寝ていた」
と言ってもいい。

美女は今すぐ隣に「いる」のだけれど
「いた」と書いても間違いじゃない。

というかこの場合は
「いる」じゃダメな気がする。
(なぜかは説明できないけど、感覚的に)

時系列によって表現が
キチンと変わる英語なんかに比べると、

大雑把というか、おおらかというか、
柔軟性があるというか、ないというか。

で、この『ミスター・メルセデス(上)』。

英語の時系列表現を
厳密に訳してるからだと思います。
語尾の「る」や「た」のリズムが、
ぼくには合わず、
読んでいてカクンカクンしてました。

それでも、面白い!
すごいっす。キングさん。






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