2019年11月12日火曜日

『マンハッタンビーチ』(ジェニファー・イーガン)読みました。


どっかの偉人さんの薫陶か、
仕事の参考文献で使った
自己啓発本の中にあった教示の言葉か、
どっから仕入れたかは
定かではないんですが、

物事を選択するとき、
その「どっかの誰かの教え」を
思い浮かべたりします。

教えはこうです。
「簡単にできるものではなく、
 より難しいほうを選びなさい」。

簡単なほうは、
今まで何かしら同じような経験を
していたからスムーズに
こなせるものなんでしょう。

そんで難しいほうは、
これまでとは違う慣れていないものに
挑戦する場面だと思います。

つまりは、
以前にやったのと似たような事柄じゃなく、
新しい経験を積んだほうが、
人生は面白く過ごせるよ
ってお導きなんでしょうね。

先日、この教えを忘れて、
ついつい楽なほうを
選んでしまうことがありました。

楽なほうを選ぶと、
すいすいと事が運び、
気持ちいいもんです。

でも、難しいほうを選ぶと
そうはいかない。
ふーふー息を切らしながら、
やっとできたと思っても、
1ミリほどしか進まない。

「どっかの誰かさん、
 人生を面白く過ごすには、
 楽なほうを選んだほうが、
 いいかもしれませんよ」
なんてつぶやいていました。

で、この『マンハッタン・ビーチ』。

あれ?
またまた本の内容にかすりもしない
関係ない話を書いてしまいました。

今回は関係ないこと書くほうが、
簡単にできる選択だったようです。





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2019年11月8日金曜日

『ねじまき少女(上)』(パオロ・バチガルビ)読みました。


書いたモノを準備していたのに、
そのことをすっかり忘れ、
上巻の前に、下巻の分を
アップしちゃいました。
順番違いですが、ごめんなさい。
ってことで、以下(↓)上巻の分。

***********

ちょっと前に読んだ木皿泉さんの
『ぱくりぱくられし』の中に、
SFについての分析が書かれていました。

これまでジュール・ヴェルヌ以来、
いや聖書や日本書紀以来、
もっといえば、
伝承される昔話や民話が
つくられるようになって以来、

SFのジャンルにくくられるお話は、
そのほとんどが、
力を持ちすぎた人間を嘆く筋立てに
なっているっていうんです。

(記憶で書いているので、
 木皿さんの意見そそままじゃないかもです。
 すみません。
 ちゃんと確認すればいいんですよね。
 でも、その本、家に置いてきちゃったので、
 手元にないんです。なので、ご勘弁)

力を持ちすぎたっていうのは
比喩的な言い方で、
具体的には技術が進歩して
何でもかんでも便利になっちゃうってこと。

ドラえもんのいる
あらゆる道具が揃っている
未来みたいなトコです。

〈どこでもドア〉があったら、
瞬間移動ができて便利だけど、
苦労してたどり着く喜びが
なくなっちゃうとか。

〈タイムマシーン〉で過去を変えたら、
時空に歪みができちゃうとか。

やっぱり、不便なままがいいのかも。
そんなに力を持たずに暮らす方が幸せかも。
っていうお話が、
SF分野の大半を占めているらしいです。

で、この『ねじまき少女(上)』。

SFです。
舞台はやはり、便利を追求した先の未来でした。





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2019年11月6日水曜日

『ねじまき少女(下)』(パオロ・バチガルビ)読みました。


ランニング通勤を始めてから
もうすぐ丸9年になります。

今、使っている靴はたぶん3代目。
(もしかしたら、忘れているのが
 あるのかもしれないので4か5かも。
 でも公称の数字は3にしときます)

最初の靴は、
ランニングを始める前から
ずーっと履いていて
(おそらく5年とか6年とか)
走らなかった頃は
まったく壊れなかったんだけど、
やっぱ負荷がかかるんでしょうね。

ラン通勤開始から、
1年もたたないで
底が剥がれてきちゃいました。

それで仕方ないので、
プロ仕様みたいな軽くて
(足の甲を覆う部分というか、
 底以外の全体がメッシュなんです。
 だから軽いんだけど、
 冬の走らないときに履いていると、
 風がビュービュー吹き抜けて、極寒です)
底が薄く、素足に地面の感じが
直接伝わってくるようなヤツに替えました。

それを数年履いて、
今度はメッシュが破れてきたので、
今のヤツ。

これは、選ぶのが面倒になったので、
ごく普通の運動靴です。

その3代目がそろそろ危なそうなんです。
小さく穴とか開いてきて。
次はどんなのにしようかな。

で、この『ねじまき少女(下)

ぎゃ、また関係無いことだけで埋めちゃった。
感想は別の機会に。





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2019年10月31日木曜日

『今昔続百鬼 雲』(京極夏彦)読みました。


通勤には
リュックサックを使っています。

本を入れる場所は、
上部のチャックがついた
フタみたいな場所。
小物を放り込んでおけるトコです。

このリュックを使い始めた頃は、
そこに本を入れておくと、
ランニング通勤していることもあり、
揺れが激しいのか、
すぐボロボロになっちゃいました。

なので、しばらく使ううち、
入れ方を変えてみたんです。

それまではチャックを開けたとき、
背表紙が見えるように、
開く方(小口)を下にしてた。
それを逆さまにした。

つまり背表紙を奥に突っ込む形です。

したら、あらまあ。
ボロボロ率が
驚くほど減ったじゃありませんか。

以降、ずっとその方法で携帯してます。

ただし、
読み終えるのに何日もかかるような
分厚い本はダメです。
何日も揺れの中で
過ごさせるものじゃないんですよね、
本って。

で、この『今昔続百鬼 雲』。

ぶ厚い本でした。たしか700ページ超。
でもなぜか、
ほかの本よりはボロボロ率は少なかった。
面白かったからでしょうか。





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2019年10月29日火曜日

『深泥丘奇談・続々』(綾辻行人)読みました。


世の中は、
なんとなくいいつくりというか、
穏やかな雰囲気というか、
そんな方向に、
ゆるやかだけど変化している、
と感じているのは、ぼくだけでしょうか。

たしか子どもの頃は、
休み時間に校庭とかで遊んでいると、
光化学スモッグ警報が出たので、
すぐに校舎へ入りなさい
なんていわれて、
空気を汚さないようにしてほしいな
と漠然と思っていた。

でも今は、
晴れた日なら東京北端の
6階の自宅から
富士山がきれいに見えて、

公害って言葉も、
とんと聞かなくなった。

少し大きくなって、
中学生か高校生くらいのときには、
新しくつくられる道路なんかを見て、
そんなゴツゴツの外観じゃなく、
もっとなごむような形にしてほしいな、
なんて思ってた。

その頃できる幅広道路の中央分離帯は
金網の柵があるだけの
のっぺりコンクリートだったけど、

今はきちんと植栽されて、
中には遊歩道みたいのもある。

ぼくは何もやってはいないのだけれど、
昔そうなったらいいなと思っていた形に
近づいていってくれている。

もちろん、
それはそれでいいことなんだと思います。

なんだけど、なんだけど…。

へそ曲がりのぼくは、
人間ってもっとドロドロが
似合うんじゃないのなんて
つぶやいたりすることも
あったり、なかったり。

昔、そんなのがいいなと
思っていた自分は
何だったんだ、と思いつつ。

で、この『深泥丘奇談・続々』。

シリーズ3巻目。1巻目からすると、
いいつくりというか、
穏やかな雰囲気というか、
そんな方向に、
ゆるやかだけど変化してる、
ように感じました。ぼくだけかな。





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2019年10月24日木曜日

『恋文の技術』(森見登美彦)読みました。


まず、確認しておきます。
本を読むことと勉強することは
重なる部分が結構あるかもしれないけれど、
決してイコールではありません。
とりあえず、それを頭に入れておいて、と。

勉強している姿を見れば、
その人に対し、少なからず
「偉いなぁ」という気持ちが
わいてきます。

そして勉強している姿の代表が
本に向かう様子でしょう。

だから、
電車の中でも
家族がうろちょろしている居間でも、
本を読んでれば、
きっと周囲の人は、
少なからず「偉いなぁ」と
思ってくれるはず。

これがスマホを眺めている姿だったら、
そうはいきません。

勉強アプリ(そんな分野あるのかな?)で、
目標をクリアして、
「やった!」とニヤニヤしていたとしても、

周りの人は、
「桃色動画を観て、いやらしいわ」
と勘違いしてしまう。

でも本は違う。
読んでいる本の中に、
下品な言葉がたくさん登場して、
それを面白がるためだけに
文字を追っているとしても
「偉いなぁ、勉強してはる」になるんです。

で、この『恋文の技術』。

再読、いや三読か、もしかしたら四読。
だって「おっぱい」って言葉が
たくさん出てきて、面白いんですもの。





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2019年10月16日水曜日

『冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業』(今村翔吾)読みました。


本は月に1度まとめて買います。
読んでいた本の中で
紹介されていた別の作品とか、
新聞に出ていた新刊の広告とか、
ネットの書評とか、
どこからか送られてくる
宣伝メールなんかで、
「あ、これは」と思ったモノを
メモしておき、
その紙切れを持ってひと月に一度、
本屋さんに行くんです。

自分でも読めないような
ミミズのたくり文字を解読しながら、
いつも行くでっかい本屋さんの
書棚を探します。

メモには少ないときで5、6冊、
多いときで十数冊の作品名が
書かれています。

その中には、
最低でも1冊は、
お気に入りの作家さんの新刊があり、
その名前を見ると
「うん、今月も1冊は安パイだ」
なんてほくそ笑んだりしてます。

そんなニヤケ顔のおじさんが、
くしゃくしゃの汚いメモ用紙を
手にしながら、
池袋のジュンク堂をうろついていたら、
それがぼくです。

で、この『冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業』。

安パイでした。
でも、何を勘違いしたのか、
シリーズの4巻目を抜かしていた。
メモしたはずなのに……。





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2019年10月10日木曜日

『お騒がせロボット営業部!』(辻堂ゆめ)読みました。


伊坂幸太郎さんが、
(この前『クジラアタマの王様』読了)
インタビューだか対談だかで、
絶対やりたくないことを
語っていました(たぶん)。

そのダメな行為とは、
「自分が納得できない
 物語の流れであっても、
 締切に追われ、
 そのまま書き上げてしまうこと」
だそうです。
(たぶん。
 違う人だったらごめんなさい)

でもでも、
ぼくは今まで読んだ小説の中で、
伊坂さんの言うような
投げやりな作品に
出会ったことがないんです。

文章のヘンテコさだとか、
言葉の選び方や並べ方が
しっくりこないとか、
セリフの唐突さだとか、
そういった細かい部分には、
違和感を覚えることはあっても、

物語の流れを見て
「あ、これは、こねくり回して
 深みを出す時間がなかったんだな」
などと感じることはありませんでした。

もしかすると、
そこまで真剣に読み込まずに、
うわべだけさらっと流しているだけな
怠惰な読者ってことかもしれないけど。

なので、
伊坂さんの言う〈作者が納得不足〉の本に
触れてみたいなと思っていたところです。

で、この『お騒がせロボット営業部!』。

もしかして、
そんな本に出会っちゃったかな……
って思える部分が見えた気がしました。

いや、でも違いました。
ベタだけど涙流しながら読んだ箇所もあったし。





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2019年10月8日火曜日

『ぱくりぱくられし』(木皿泉)読みました。


何かの打ち合わせの帰り、
コピーライターをしている友だちと
駅まで歩いていました。

もう少しで最寄り駅に着くころ、
彼の携帯が鳴りました。

液晶に出てる発信者の名前を見て、
心なしか背筋を伸ばしながら、
ぼくと話すときとよりだいぶ高めの声で
「はい、どうもお世話になります」。

電話の相手は、
歩きながらの会話では対処できるような
人じゃないらしく、

彼は50メートルくらい先に
駅が見える歩道に立ち止まって、
スマホを耳に押し当てています。

なにかクレームなのかな。
しきりに恐縮しているふうです。

ちょっぴりいたたまれなくなって、
ぼくは少し離れて、
ここなら聞こえないよと
わかってもらえるような場所で待ちました。

時間はほんの2、3分。

飲み屋の看板の文字を
見るともなしに読んでいると、
彼が電話を終えて戻って来て

「フレキシブルってっさ、
 ほかの言葉に置き換えたら何になる?」
と投げかけてきました。

で、この『ぱくりぱくられし』。

彼の投げに「〈居てよしッ!〉はどう?」
とぼくは答えました。

それは、この『ぱくりぱくられし』からの
パクリ(13頁)なのでした。





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2019年10月3日木曜日

『グリフォンズ・ガーデン』(早瀬耕)読みました。


毎朝のランニング通勤で
ゴールにしているジムに到着したとき
「あれ? 昨日まで滝行直後の
 修行僧みたいに全身汗でびしょ濡れ
 だったのに、今日は顔しか汗かいてない」
と気づいたとき。
(夏から秋へ季節の変わり目を
 文学的に表現しようと思ったんです)

気の合う仲間たちとの飲み会で、
我を忘れてはしゃぎまくり、
馬鹿笑いしまくった次の朝、
たまたま家族はみんな出掛けていて
一人ベッドから起き上がり
寝ぼけた目をこすりながらトイレで用を足し、
水洗の水が流れ行くのを眺めているとき。
(喧噪の後にやってくる
 孤独感みたいなものを
 文学的に表現しようと思ったんです)

立体交差で環状7号線が上に被さり
アーケードみたいになっている
旧中山道のくぼみの所で、
高校に自転車で通うのに
いつも待合せしている友だちが、
その日はなぜか現れず、
「もうダメだ遅刻しちゃうから先に行こう」
とペダルに足をかけたとき。
(いつも元気な友だちに対する
 何かあったんじゃないかという心配と、
 あのヤローに、なんて文句を
 言ってやろうかという苛立ちを
 文学的に表現しようと思ったんです)

そんなこんなのとき、
胃がシクシクするような
物悲しい気分になります。

で、この『グリフォンズ・ガーデン』。

もういい大人になってしまったからなのか、
最近あまり感じなくなった
シクシクの物悲しさを思い出させてくれました。





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2019年10月1日火曜日

『八本目の槍』(今村翔吾)読みました。


仕事で雑誌や新聞などの原稿を
書いているせいなんでしょうか。

ひとまとまりの文章の中では、
まず結論を言って、そのあとで、
結論に至る背景とか、
そこから広がる影響とかに
つなげていくって感じの構成に
いつの間にかなっています。

(今書いている感想文もどきの文章は、
 その反動みたいなモンで、
 なんでもいいから普段とは違う
 書き方をしたいと、なるべく素の自分を
 出しておちゃらけてる。
 だから、結論が先に出てくるどころか、
 どこにも見当たらなくなります)

時間のない読者に向けて、
ススッと情報を伝えるためには、
そんな書き方がよいのであると、
誰かに教えられたような気がします。
誰だか忘れたけど。

いや、そもそも教えられたんじゃなく、
文章読本とか記事作成ノウハウとかの本に
載っていたことかもしれない。

ほんで、
そんなふうな書き方に慣れてしまうと、
〈続きは次週のお楽しみ〉みたいな
やり方をされると、
「うわーやだー、早くおせーて」
と頭を掻きむしりたくなっちゃうんです。

で、この『八本目の槍』。

確か去年『童の神』が直木賞候補になり
受賞には至らなかったけど、
これならいけるんじゃないと思いました。
何度も頭掻きむしりたくなったのが、
悔しいけど。





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2019年9月27日金曜日

『雲霧仁左衛門(後編)』(池波正太郎)読みました。


「サスペンス」を辞書で引いたら、
類語として「スリル」って言葉も載っていて、
そういやその2つってどう違うんだろうと、
辞書のその先を読んでみました。

特段面白いワケじゃないけど、
紙面も埋まるので引用します。

2つの言葉をくくっている説明文は
「楽しみとして味わえる、恐怖感や緊張感、不安感」。

そのあとに
「使い分け」ってのがあって、そこには

【1】いずれも、通常は不快なものとして認識される、
  恐怖感、緊張感、不安感などの感情を、
  娯楽や読書の際に楽しみとして意図的に味わうもの。
【2】「スリル」は、自分の安全が脅かされるような
  気がする場合に抱く恐怖感や不安感をいう。
【3】「サスペンス」は、特に、小説やドラマなどで、
  話の展開が読者や観客に与える不安感や緊張感をいう。

ほら、こんなに文字がたくさん埋まっちゃいました。

つまりは、
読書の文脈でいうなら、
どちらかというと「サスペンス」のほうが
適切みたいです。

ほんで、
多く作品で描かれるサスペンスは、
正義の味方側がとんでもない危機を
乗り越えるときのドキドキのようです。

そして中にはワル者が経験するハラハラを
楽しませてくれる作品もあります。

で、この『雲霧仁左衛門』。

この本、正義も悪漢も、
両側からのサスペンスを味合わせてくれます。
一粒で二度美味しというか、なんともお得。





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2019年9月25日水曜日

『神獣の都』(小林泰三)読みました。


ネコ(だけじゃなく動物は
みんなそうかもしれないけど)は、
一度危険を感じた場所には
二度と近づかないと聞きました。

人間は、もっと賢くて、
自分自身で危ない経験をしなくても、
そこが危険な場所であると想像したり、
そんな情報を仕入れただけで、
そばには行かなくなります。

君子危うきに近寄らずですね。

もっとも、
虎穴に入らずんば虎子を得ず
とか言いながら、
勇猛果敢にあえて物騒なところに
行っちゃう猛者もいますけど。

そしてぼくの場合、
行動だけを取り出せば、
その勇敢な挑戦者みたいに
見えるかもしれません。

でも、頭の中はたぶん全然違う。

ぼくは「あえて」近づくワケじゃないんです。

知らないで、というか、何も考えないで、
気がついたら近づいていたって感じ。

一度自分で危険を察知した場所であっても、
ネコならばそれを一生忘れないのに、
脳みその中を森羅万象の出来事が
右から左に何も残さず駆け抜けていくぼくは、
前に嫌な思いをしたことも
やはり駆け抜け(つまり忘れて)、
また同じことを繰り返し
「わっ、あぶねっ」なんて
言ったりするんです。

我ながら、
よく半世紀以上も
生きていられるもんだと感心します。

で、この『神獣の都』。

前にも同じ作家さんの作品を読んでました。
そんなん、すっかり忘れてました。





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2019年9月19日木曜日

『クジラアタマの王様』(伊坂幸太郎)読みました。


一般的に風邪は嫌なもので、
流行る時期には、
手洗いやうがいを入念にして、
マスクなんかで「来るな」と防御して、
びくびく過ごします。

ちょっと前までは、ぼくもそうでした。

それがいつぐらいからか、
「実は風邪って、
 そんなに大したモンじゃないのかも」
って思うようになり、

そんな時期に
『風邪の効用』ってな題名の本を見つけ、
読んでみると、
嫌なモノどころか、
健康にいいみたいなことも
書いてあったりして、

「いやいや、風邪をひくのは
 健康じゃないだろう」

と思ったりもするものの、

それでも、きゃーきゃー言うほど
忌み嫌うほどではないとの考えは
深まっていき、今に至っています。

だって、長くても1週間くらい、
ノドがヒリヒリしたり、
鼻がぐずぐずしたり、
コンコンうるさかったりするのを我慢すれば、
もとの調子に戻っていくんだから。
やたら騒ぎになるインフルエンザも
同じかなって。

で、この『クジラアタマの王様』。

とっても面白かったです。
でも一つだけ。
インフルエンザが大したことないと
思うようになる前に読んだら、
もっと面白かったと思います。





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2019年9月12日木曜日

『談志狂時代』(立川談幸)読みました。


出身高校の同窓会で、会報誌をつくったり、
ホームページを更新したりする仕事を
手伝っています。

(「広報委員」というそうです。
 ぼくとしては、手伝うというよりも
 邪魔しているような気もしてるんですが…)

その仕事の中の会報誌づくりで、
インタビュー記事の制作があるんです。

同じ高校を出た卒業生で、
いろんな分野で活躍している人に
インタビューして原稿を書く。

実際には、
ぼくより偉い広報委員長の友だちが
メインで質問をして、文章に起こしたり、
記事を組んだりしてるんですけどね。

ぼくは、その取材現場に
賑やかしのために同席して、
にわかカメラマンとして
パシャパシャ写真を撮りながら、
場が和やかに進むように、
おちゃらけ役をします。

メンインのインタビュアーじゃない
とはいえ、
取材に応じてくれた先輩のことを、
事前に何かしらリサーチして、
ぼんやりとでも
頭に入れておくほうが安心です。

そうでないと、
本当に邪魔しているだけになってしまい、
そのうちお役御免になってしまう。
(そのほうがいいような気もするけど…)

ということで、この『談志狂時代』。

わが都立北園高校の大先輩、立川談幸さんの本。
会報誌の取材でお会いした落語の師匠です。
とってもためになりました。





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