2018年8月16日木曜日

『柳家小三治の落語(8)』(柳家小三治)読みました。


なんでそんなことやっているのか、
自分でもわからなくなっている
毎朝約6キロのランニング通勤。

もう7年以上続けているのに
ちっとも楽にならないから、
少しは走りに楽しさを付け加えたいと
思うようになりました。

すぐに思いついたのが、
音楽聴きながらのランニング。

で、それをちょっとヒネって
落語聞きながらがいいなと。

いつもランニングアプリを使っているので、
そのスマホに音源入れればOKだし、
あとはイヤホンをつなげば
出来上がりのはずです。

でもね。
イヤホンがダメなんですわ、ぼく。

なぜか知らんけど、
耳の中にあの丸っこいのを
突っ込んだ状態にしておくのがイヤで。

それに、耳塞いじゃうと、
クルマの音とか聞こえなくなって危ないし。

そう思っていたらなんと、
サングラスをかけるだけで
イヤホン代わりになるグッズが
あるそうじゃないですか。

耳に入れなくても
骨伝導って仕組みを使うらしく、
それいいなって思ってるんです。
今、売ってるとこ探し中。

で、この『柳家小三治の落語(8)』。

イヤホンサングラスを入手したら、
まず、小三治さんの落語を
聴きたいと思います。
走りが楽になりますように。





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2018年8月14日火曜日

『ベストセラー小説の書き方』(ディーン・R・クーンツ)読みました。


昔、雑誌の特集で、
とある会社の紹介記事を
書いたことがあります。

日本に来ている
アメリカ人の社長にインタビューして、
その会社がどんなビジネスを
しているのかまとめる仕事でした。

そこが何をやっているかというと、
いわゆるマルチ商法って
いうんでしょうかね。

商品を買わせて、
それをまた別の人に売らせて、
その別の人から買った人は、
また違う別の人に売ってって
という感じのやり方。

大もとの親から、子、孫……
と階層的につながっていく。

その間に入っている人は、
自分の下の階層で商品が売れていけば、
マージンをもらえて、
お金儲けできる仕組み、みたいです。

そんで、そのアメリカ人の社長が、
若くてハンサムなんだけど、
とにかく押しが強いんです。

ぼくは、仕事で取材しているだけなのに、
「あんたもやれ」的に、入会を勧めてくる。

そもそも、
そういうビジネスでお金儲けするのに
抵抗があるぼくは、
「いやいや、ぼくは記者ですから、
 あくまで第三者的な立場にいないとダメです」
みたいなありきたりの断り文句を必死に並べ、
なんとかインタビューを切り上げてきました。

で、この『ベストセラー小説の書き方』。

押しが強いなぁ、この本。
読んでいる最中、何度も、
あのアメリカ人社長の顔が目に浮かびました。





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2018年8月10日金曜日

『柳家小三治の落語(7)』(柳家小三治)読みました。


今でも高校時代の友だちは、
ぼくのことを
「ラクダ」ってあだ名で呼びます。

他にも「おやじ」とか「いのき」
なんて呼ぶヤツもいるけど、
一番多いのがラクダです。

体育の授業で
長距離走(といっても1,500m走)を
やったとき、みんなヘロヘロになっている中、
ぼくはわりと涼しい顔して
飄々と走っていたらしいんです。

毎日の部活で、
体育の授業より数十倍きついしごきを
受けていたから、1500なんて
チョロかったんだと思います。

その飄々走りに驚いた友だちが、
「お前は身体のどこかに栄養分を蓄えて、
 それを小出しに使えるんだな。
 あ、そのアントニオ猪木みたいに
 でっかいアゴだ。
 養分、そこにあるんだろう。
 まるでラクダじゃん。らくだ、ラクダ!」

と叫んだのが、このあだ名の始まりです。

で、話は変わって、ちょっと前に、
さだまさしさんの本を読んだときのこと。

彼はその昔、
落語家を目指したこともあるらしく、
得意は「らくだ」という演目だったようです。

で、やっとこの『柳家小三治の落語7』。

「らくだ」の演目入ってました。
実はその噺の内容、
この本を読んで初めて知ったんです。
さださんの本で、らくだ噺があることを知り、
自分のあだ名でもあるから、
一度は触れておかなきゃって思ってたんです。
それがやっと、できました。

このシリーズ全9巻なので、残りはあと2つ。





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2018年8月8日水曜日

『半七捕物帳(2)』(岡本綺堂)読みました。


作画・和田誠のイラストカバーを
思い出すカート・ヴォネガットさんが、
エッセイか何かで、

「小説の書き方はこうあるべきだ」的な
文章を記し、それに続けて、
他の作家が自分にはとても真似できないほど
素晴らしい小説を出しているけれど、
その作品は
「今挙げた〈こうあるべき〉項目に、
 ことごとく反している」
みたいなことを書いていました。

物語をつくりたい人は、
こんなふうにやればいいんだよ。
でも、そんなふうにやらなくても、
面白いものはできるよ。

という、なんだか禅問答のような、
アイロニーのような物言いです。

クーンツさんって人も
『ベストセラー小説の書き方』って
本を出しています。
(今、読んでいる最中で、
 もう少ししたらここで紹介します)

そこでも、
こういうふうに書けば、物語は面白くなるし、
本はたくさん売れる
ということを言っているんです。
そっちは、アイロニー禅問答じゃなく、
「俺の言うことに間違いはない。
 この通りやれ」的な感じですけど。

で、この『半七捕物帳(2)』。

前者のヴォネガットさんじゃなく
後者のクーンツさんのいう〈こうあるべき〉項目に
ことどとく反している気がしました。

それでも
長年売れ続けている本なんですよね、これ。

「俺の言うことに間違いはない」と
自信を持って発表するのは大切なんだろうけど、
受け取る側は「いや、例外もある」と
わかってたほうがよろしいようです。





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2018年8月2日木曜日

『Ank:a mirroring ape』(佐藤究)読みました。


米や麦などの穀物は、
とてもひ弱な植物で、
人間が小まめに面倒をみてやらないと、
すぐ枯れてダメになってしまう。

ほっぽらかしのまま、ダーウィン仕様の
自然淘汰的世界に置いておいたら、
あっと言う間に絶滅しちゃう。

でも、見方を変えると、そうした穀物は、
人間を使って、めちゃめちゃ自分の子孫を
後世に残している。

つーことは、
それも一種の生き残り戦略に
なっているんじゃないか。

みたいな話をどこかの本で読んだとき、
ふと思い出したのが、
競走馬のサラブレッドについてやった
友だちとの議論でした。

サラブレッドってのは、
競馬をやるためだけに生まれてくる。
選ばれた幸せなヤツらなんだ。

と友だちが言ったので、
そんなのは人間のエゴエゴで
おかしいじゃんって、ぼくは反論したんです。

結局その議論は平行線で
決着はつきませんでした。

んで思い出す、穀物の生き残り戦略。
馬にしても穀物にしても、
人間をうまく使っているだけなのかも。

で、この『Ank:a mirroring ape』。

すみません。
また関係のないことを
うだうだ書き連ねちゃいました。
この本が、
人間が育ててるチンパンジーの話だったから。
ただそれだけのつながりでした。





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2018年7月31日火曜日

『柳家小三治の落語(6)』(柳家小三治)読みました。


元気な出版社の幻冬舎をつくた見城徹さんが、
面白い本に欠かせない要素として
「極端さ」をあげていました。

もしかしたら、
単に面白い本の要素というのじゃなく、
ベストセラーにするための条件
だったかもしれません。

(ごめんなさい、曖昧な記憶で。
 たぶん検索すれば確認できると思うけど、
 ぼんやりした感じのまま書いたほうが、
 なんとなく性に合うのでそのまま続けます)

「ちょっと変わってるな」とか
「普通じゃない」くらいじゃダメで、
そのレベルを何段も突き抜けて、

「そりゃ、ありえない」
ってくらいの極端さがないと、
売れる本にはならない。

酒飲みを登場させるなら、
一升瓶を5本空にするくらいじゃなく、
タンクローリー1杯分とか、
東京ドーム大のジョッキを飲み干すとか
……そんな感じにするのよいと。

まあ、そうですね。
そんな極端が、キチンとした実在感をもって
表現されていれば、それは面白いし、
読者もたくさん引き寄せられると思います。

で、この『柳家小三治の落語(6)』。

逆なんです。
極端を普通にしてる感じなんです。
小三治さんの落語って。

それでも、いやそれだから、
「ああ、なんか知らんけど、いいなぁ」
って胸の中にほこほこした感じがわいてくる。





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2018年7月26日木曜日

『半七捕物帳(1)』(岡本綺堂)読みました。


「ああ、おいしいな」
と、毎回毎回思うのなら
仕方ないかもしれません。

でも、大抵は
「そんなに旨いわけじゃないよな」
と感じながら、吸ってるんです、タバコ。

そもそも、
一番最初に吸ったときからそうでした。

「激マズーっ!
 こんなものよく常用できんな」

と、あの煙の出る先っぽを
しげしげと眺めたもんです。

たぶんはじめの10本目くらいは、
旨さなんてまったくわからず、
内心は「げー、やっぱ、マズーっ」
と思いながら格好つけて火をつけ、

数十本の経験を積んだ頃から、
「なるほど、こんな感じのことを
 旨いっていうのかな」
とわかり始めたような。

あ、そうそうビールも同じですかね。
子どものころ、
大人が「くいーっ」なんて言いながら
おいしそうに飲んでるのを
うらやましく思って、
ちょっとだけコップに口をつけたら、

「ぎゃーなんじゃこりゃー」
って思ったもんです。

それが今では、
何時間もあの泡立つ液体を飲んでいられる。

で、この『半七捕物帳(1)』。

著名な作家さんたちがあちらこちらで
オススメの本にしていたのは知ってて、
それにあやかり、
ぼくもようやく手を出してみました。

短編集なんですが、十数話を読み終えて、
頭に浮かんだのがタバコやビールのこと。

だんだん慣れてくるに従って、
深みにはまっていくような予感がしてます。





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2018年7月24日火曜日

『これなら読める! くずし字・古文書入門』(小林正博)読みました。


会社でのお昼ご飯(たいていお弁当)は、
いつも本を読みながらの食事です。

でも、休みの日など家での昼食時には、
食卓の近くに本が置いていないこともあり、
読書メシではありません。
(会社では、仕事机の上での食事なので、
 すぐ横の書類棚に昼食時用の本が
 置いてあるんです)

それで、
家でのときにはどうなるかっていうと、
テレビランチです。

ラーメンとか、チャーハンとか、
スパゲティとか、
まさに昼メシって感じの料理を前にして、
箸と同時くらいにテレビのリモコンをとって、
電源を入れます。

目当ての番組が特にあるわけじゃないので、
番組表を見て何がいいかと考えるのですが、
そのときかなりの確率でチャネルを合わせるのが
「なんでも鑑定団」です。
再放送なんでしょうね。
休みの日の昼ぐらいにいつもやってる。

出演者が持ってきたお宝の真贋を、
専門家が鑑定して評価額をつけ、
そのとき鑑定士が
お宝にまつわるうんちくを述べる。
(あーやっと本題に近づいた…)

お宝には掛け軸がよく出品され、
そこにはミミズののたくったような
昔の文字が書かれている。
それを鑑定士がこともなげに読んじゃうんです。

で、この『これなら読める! くずし字・古文書入門』。

ぼくも鑑定士みたいに読んでみたいと
思って挑戦した本。
わかったのは、
あと50回くらい繰り返し読まないとダメってこと。





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2018年7月18日水曜日

『ある日どこかで』(リチャード・マシスン)読みました。


だいぶ前に、
スティーブン・キングさんの
『11/22/63』を読んで
「こりゃあ相当おもろい」と感じ、

その解説だか、あとがきだかに
書いてあった参考図書
(というかオマージュ図書というか)
も読んでみようと挑戦したのが、
ジャック・フィニイの
『ふりだしに戻る』でした。

ところがしかし、
キングさんは『ふりだし〜』に刺激を受けて、
自分もそんな作品を書きたいなと思って、
(ぼく的には相当面白かった)『11/22/63』を
仕上げたはずなのに、そのネタ本(『ふりだし〜』)は、
それほどではなかった(あくまでぼく的に)。

そういうのって結構あるんですよね。
まあ、よくあることですわ。
今ではもう『ふりだし〜』は
あらすじさえも忘れちゃってるし。

で、この『ある日どこかで』。

また出てきたんです。
この本の訳者のあとがきで。
『ふりだしに戻る』が。

まあ同じタイムトラベルものですからね。
(ちなみに『11/22/63』もそう)

そんなに言うんだったら、
もう1回『ふりだし〜』読んでみようかな。
あ、もうブックオフにドナドナしちゃったか。
家に帰ったら本棚確認してみよっと。





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2018年7月12日木曜日

『フランケンシュタイン』(メアリ・シェリー)読みました。


昔『食人族』という映画がありました。
公開されたのは、
ぼくが映画学校に通っていた時期でした。

なんで覚えているかっていうと、
映画を観た感想を学校のみんなに言ったら、
とたんに大笑いされたので。
軽傷のトラウマとして残っているんでしょうね。

映画は正直いって面白くないと思い、
その理由を、
「だって感情移入できないんだもん」
と言ったんです。……それが失笑を買った。

恋愛物とかサスペンスだとかの
一般的な映画なら、
この理由は別に笑われないでしょう。

でも、人食い民族を描いた作品で、
〈感情移入〉ってボケが過ぎるだろ、
みたいな感じです。

でもね。
人を食べる種族にしても、
それをフィルムにおさめる側にしても、
映画に出てくる人の中に、
誰かしら共感できる拠り所が欲しかった。

この映画の中に、その拠り所が
一人もいないんですもの。
それが、狙いなんだろうけれど…。

で、この『フランケンシュタイン』。

『食人族』ほどではないけど、
ぼくの拠り所になってくれる
「これだ!」って人は登場しませんでした。
また、笑われるな。





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2018年7月10日火曜日

『隣のずこずこ』(柿村将彦)読みました。


今、ウィキペディアを確認してみたら、
iPhoneが最初に発売されたのは
2007年になってました。

それからまだ10年ほどしか
たってないんですね。

猫も杓子もスマホ時代になるまで、
発売後5年くらいかかったとして2012年。
そのとき生まれた子は今6歳。

みんながあの薄っぺらい板の上を
指でスリスリする様子を見て
育ったことになりますね。

その2012年の頃、
小学校の高学年から中高学生くらいだった子
(歳でいうと10〜18歳くらい)は、
もう当たり前で生活の一部に溶け込んでる。

2012年から今は6年たってるわけだから、
その頃の子たちも20歳前後の
いい若者になっている計算です。

とすると、
そうした世代がもし小説なんかを書くと、
何らかの形で物語の中にスマホが
登場するのが当然じゃないかと、
使いこなせぬオヤジのぼくは思うのであります。

で、この『隣のずこずこ』。

ネットによると、著者さんは24歳。
でもでも、お話の中に
スマホは出てきませんでした(たぶん)。

だからなのかもしれませんが、
こういう話、かなり好きです。





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2018年7月5日木曜日

『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


何年か前に
高田郁さんの「みをつくし料理帖」の
最初の巻を読んだとき、
(たぶん今は10巻以上シリーズで出ていて、
 そのときはまだ2、3巻しか
 刊行されていない時期でした)
涙が止まらなくなって、
しゃくりあげるほどになりながら
ページをめくっていたことがあります。

(……やっぱ、正確なタイトル調べますね。
 あ、そうそう『八朔の雪』でした。
 あれ? ウキペディアには全10巻って書いてある
 ……そうか、なら、もうちょいだったんだ)

そのあと、2巻、3巻も調子よく、
涙と鼻水をすすりながら読み進め、
6巻か7巻くらい来たところで、なぜか突然、
「もういいか」って思っちゃったんです。

なんででしょ。
面白くないわけじゃないんですよ。
泣けもするんですよ。
飽きちゃったということでしょうか。

自分でも意識してないのに、
飽きちゃうことあるんですかね。

でも今、ネットで調べて全10巻と知り、
それならもう少しで全話読破なんだから、
また手をつけてみようか
みたいな誘惑がわいてきました。

とはいえ最初の話はもう忘れてるので、
やるとしても1巻から再読しないとな。
そしたら、また途中で飽きちゃうかな。

で、この『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』。

シリーズ5巻目くらい……かな。
面白かったは面白かった。
でもなぜか次に向かう触手の動きが
鈍くなってきたようです。





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2018年7月3日火曜日

『柳家小三治の落語(5)』(柳家小三治)読みました。


高校生のときに
テストをするから暗記しろと言われて、
部活のトレーニングで
ランニングしているときも、
掛け声代わりにみんなで声を揃えて
口にしていたのが平家物語の冒頭部分です。

試験が終われば
頭の中からすっかり消え失せると
思っていたら、
なぜかそのあとも、
白いシャツにつけちゃった
ケチャップのシミみたいに、
脳みそのひだにこびりついて取れない。

何も見ないでちょっと打ち込んでみますね。
(変換はパソコン任せ。
 漢字の表記までは覚えていないので…)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
奢れる者も久しからずただ春の夜の夢のごとし。

で、ネットで検索して
答え合わせしてみると……。

あら、なんとまあ
100点といってもいいほどドンピシャ。

WikiBooksというサイトに載っていた
テキストと比べたら、

「理をあらわす」が「理をあらはす」で、
あとは読み点が一つ足りないだけ。
(「久しからず」の後に「、」)

この冒頭文のあとは一切覚えてないけど、
正確さはすごいんでないの。
自分でもびっくりしてます。

で、この『柳家小三治の落語(5)』。

噺家さんは、
どんなに長い落語も最初から最後まで
全部覚えてなきゃ仕事にならないんですよね。
平家物語の最初の2、3行を
空で言えるくらいじゃダメか。





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2018年6月28日木曜日

『教養としてのテクノロジー』(伊藤穰一)読みました。


仕事場には、
湯の温度が表示される電気ポットが
置いてあります。

水を注いでスイッチを入れ、
沸騰して100度になると、
メロディが鳴って、
お湯が沸いたことを知らせてくれます。

これで、お茶やコーヒーを入れたり、
カップラーメンをつくったりするんです。

このポットを使っていて、
最近気づいたのが、
お湯の温度とお茶の濃さの関係です。

食べ物・飲み物の味には
頓着のないぼくですが、何かの拍子に

「あれ? 茶葉の量は
 いつもと同じなのに今日のは濃いな」
と感じ、
つくったときのことを思い出してみると、
いつもと温度が違ってた。

いつもは、
ポットのメロディが鳴ってすぐ、
つまり100度で茶を入れる。

でも、そのときは、
待ちきれなくて70度とか80度の
沸かし途中に入れちゃったんです。

ぼくの飲んでる茶葉だけかもしれませんが、
100度の熱々湯のほうが、
薄くなることあるんですね。

で、この『教養としてのテクノロジー』。

入れる温度の違いでしょうか。
ちと薄く感じちゃいました。





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2018年6月26日火曜日

『鳩の撃退法(下)』(佐藤正午)読みました。


事務所にある押し入れみたいな場所には、
昔使っていたパソコンが数台眠っています。

何かしらの不具合が出て、
新しいマシンに入れ替えて、
そのままになっている。

パソコンって普通のゴミじゃ出せないから、
なんやかやの手続きをしないといけないでしょ。

それが面倒で、
ほっぽらかしになってる。

同じ場所には、古いバージョンの
アプリケーションソフトなんかの空き箱が
ずらーっと並んでいる。

今はパッケージが小さくなってたり、
カードの銀箔を削って番号だけ入手する
ダウンロード版とかになったから、
保管場所もいらなくなったけど、

ちょっと前までは、
どれもアマゾンの本の配送箱くらいのかさがあり、
それをとっておくと世界大百科事典が
揃っているくらい場所をとっちゃう。

だから、中身のCD-ROMや説明書なんかを
抜いて整理すればいいんだけど、
それもパソコンと同じに、
面倒になって、ほっぽらかしている。

でもね。
面倒でやらずにいるのは本当なんだけど、
最初は何とかしようと計画を立てたんです。

パソコンなら、万が一のため、
古い機種もしばらくはとっておき、
半年たったら業者に電話してとか。

アプリの箱なら、
段ボール紙の古紙回収の日を待って、
翌週にやろうとか。
(それを忘れて、また翌週、また翌週……)

そうやって、
ずるずるとなっているわけなんです。

で、この『鳩の撃退法(下)』。

TMIって略語が出てきました。
Too Much Informationだそうで
「書き過ぎ」を意味するらしく、
余計なことは削られているようです。

そのため、書かれなかったものが、
放って置かれているイメージがどんどん膨らんで、

事務所の押し入れの中を思い出しちゃいました。
そろそろなんとかしようかな。





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