2018年6月19日火曜日

『縮みゆく男』(リチャード・マシスン)読み見ました。


今、仕事の関係で
小さな虫に関する本を読んでいます。

虫なんてのは、そもそも
指でつまめるほどの大きさなんだから、
わざわざ〈小さい〉なんて形容詞を
つけなくてもいいようなもんです。

でもつけた。

だって、小さいんです、
その本に出てくる虫。

虫って言われたとき、最初に浮かぶ
イメージはゴキブリですが(ぼくだけ?)
あれは、体長数センチありますよね。

一般的な消しゴムくらいかな。
ちょい雅び方面にいって「蝶」なんかだと、
もう少し大きい感じがするので、
十数センチってとこですか。
餃子が2個くっついた程の大きさ。

でも、そこに出てくるのは、
センチじゃなく、ほとんどがミリ単位。

米粒だとかビーズだとか、
もっと小さい鼻くそや爪あかレベル。

その本を読んでいるとき、ぼくは
定規で測りながら消しゴムのカスを丸めて、
1、3、5ミリ大のタマをつくり、
その小さな3つタマをそばに置いておきました。

それを横目でチラチラ見ながら読むと、
すっごく理解が進んだんです。

で、この『縮みゆく男』。

消しゴムカス玉の立体スケールは、
この本でも役立ちました。

そばに置いて読むと、臨場感アップしまっせ。





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2018年6月14日木曜日

『柳家小三治の落語(3)』(柳家小三治)読みました。


昔は〈My name is Noriyoshi〉だった
英語の教科書が、
今は〈I am Noriyoshi〉に
なっているそうです。

ま、それはただの前振りで、
言いたかったのはぼくの名前。

「のりよし」です。

漢字だと「規悦」で、
振り仮名をつけないと、
ほとんどの人が読めません。

子どもの頃は、
「もっと格好いい名前がよかった」
なんて思ってました。

「のり」が、ふりかけとか、
おにぎりに巻き付けるものとか、
そんなイメージになって、
子どもの耳には弱そうな響きだった。

ヒデキだとかユウヤだとかジョウだとか
って名前の友だちは、
その響きの格好良さに負けず劣らず活発で、
頭も良くて、

「ぼくもそんな名前だったら、
 ゲジゲジ虫だって平気で触れるくらいの
 強い男子になっていたのになぁ」

とヒザを抱えてたんです。

で、
もう数年間に亡くなった
ぼくの親父の名前は「三治郎」でした。

さんじろう。

ぼくはその響き、
格好いいなって思ってて、今も思ってます。

ところが、生前に親父に聞いたところ、
やはり子どもの頃は、
その名前が嫌いだったそうなんです。
三治郎さん。大人になって気にならなくなり、
逆に愛嬌があると思えてきたようで。
ということで、
馴染んでいくもんなんですね、名前って。

で、この『柳家小三治の落語3』。

おこがましいけど、
ぼくの亡き父の名前と2文字同じ。
小三治さん。親近感あります。





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2018年6月12日火曜日

『宇宙に命はあるのか』(小野雅裕)読みました。


今まで、
「この本は面白かったから、
 ぜひ読んでみて」
みたいなことは
ほとんど書いていないと思うし、

本の内容も
まともに紹介してはいないと思うので、

ぼくのこの〈感想文もどき〉を読んで、
書籍購入のヒントにする人は
いないだろうと推測しています。
(だから無責任なこと書いているんです…)

ほかの人がイイって言った本が、
自分にとってイイものであるとは限らない。

そんなことは、
人それぞれだってことは、
みんな知っているはずだから、

イイと思ったら、イイと薦めて
「読んでみなよ」くらい言っても
罪にはならないと思いはします。
(だから、ごくまれに
 「オススメ!」と言ったりもする…)

まあ、うだうだ書いたけど、
結局は自分に自信がなく
他人に押しつけるような意見は言えない
ってのが、ぼくだと、
ここで改めて表明したわけでありました。
いわゆるビビリです。

で、この『宇宙に命はあるか』。

どこかの書評で
「寝食を忘れるほど夢中で読んだ」
ってことが記してあり、
つられて読みました。

ぼくは、読んでる途中食事もしたし、
いつのまにか睡眠もとってた。
人それぞれだってこと、
再認識できました。





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2018年6月7日木曜日

『鳩の撃退法(上)』(佐藤正午)読みました。


見よう見まねで物語などを
書き連ねていると、
当初の自分の目論見とは
まるで違う方向に、話が進んでいって
しまうことがあります。

登場人物に「お前なんか嫌いだ」と
言わせてケンカ別れさせようと
思っていたのに、

キーボードを叩いている指が勝手に
「大好きです」と打ち込んでいる。

「嫌い」と言われて
走って逃げていくハズの相手が、
「大好き」と言われ舞い上がって
抱きついていたりする。

おいおい、次の場面は、
海に向かって「バカヤロー」って
叫んでるシーンにしようと思ったのに、
それじゃつながらないじゃないかって、

キーボードやパソコン画面や
自分の指に向かって言ってたりする。

ありゃ、登場人物たちが
勝手に動き出しているぞ、
って思えたりするんです。

で、この『鳩の撃退法(上)』。

「小説書き始めたヤツが
 〈登場人物が勝手に動き出す〉
 なんてことをよく言ったりする」

的なこと書いてありました。
確かにこの本に出てくるキャラは、
著者が計算し尽くした上で
動き回っている感がありました。

だから、面白いんだろうな。
計算しないとね。やっぱ。





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2018年6月5日火曜日

『柳家小三治の落語(2)』(柳家小三治)読みました。


〈スマホが壊れて
「やったー!ツイッターに書くネタができた」
 と言ってる夢をみました〉

という話を、
ちょっと前、ツイッターでつぶやきました。

そして、アホな夢の内容紹介のあと、

〈無意識のうちにツイッターの更新が
 プレッシャーになっているようです〉

と付け加えました。

ぼく的には、
この付け加え部分がサゲだと思うんです。

それがないと
「だからどうした」になっちゃう。

で、この『柳家小三治の落語2』。

当たり前だけど、
落語ってサゲがあるんですね。

話が中途半端なところでも、
サゲさえあれば、終わったことにできる。

さっきの夢の話なら、
「スマホが壊れました。こりゃスマッタ」
で締められる(締まってないけど…)。

お後がよろしくないようで。





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2018年5月15日火曜日

『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー)読みました。


実は親子だったのだ!
とか、
ラストのラストになって
衝撃の事実が判明するような
物語ありますよね。

そんな物語をつくる側は、
最後に見せるべき衝撃の事実を、
ストーリーの中に隠して隠して、
それでも
(ばれないように)チラつかせながら、
ときには
(矛盾しないように)誤解させながら、
話を組み立てていくんだと思います。

ところが、
組み立ての手口がいかにもあざとくて、
最後の衝撃を受けるビックリ度よりも、
「そんな設定なんだったら、
 じらさないで早よー言ってよ」
って思っちゃうガックシ度のほうが
高い作品もある。
そういのって、
途中のじらし方が
スマートじゃないからだと思うんです。

で、この『吸血鬼ドラキュラ』

うーん、スマート。
普通の小説は、セリフ以外の地の文は
「作者が説明している」
という暗黙の了解があるけど、

「ここにある文章は、全部引用です」
ってことにすれば、
その暗黙の存在を考えさせないで済む。

ってことは
「誰かが組み立てたんだろう」
なんて邪推をしないで済む。
うまいですね。

全ページ、
ハラハラドキドキしながら読めました。





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2018年5月10日木曜日

『それまでの明日』(原りょう)読みました。


もう10年ほど前になりますが、
会社が水道橋にあった頃、
東京ドームシティにあるスポーツジムを
使っていました。

今はランニングですが、
そのときは自転車通勤。

板橋の自宅から約10キロなので、
汗だくになる。
なのでシャワーを浴びて出勤するため、
ジムを利用してました。

さて、そのジム。
来てる人たちが、
半端なくストイックなんです。

ぼくと同じように
十数キロの道のりを自転車で来て、
いったんジムのロッカーに荷物を置いたら、
そのまま外に出ていき、
ランニングで皇居を一周して帰ってくる。
(皇居まではたぶん2キロくらい。
 だからその往復と皇居一周5キロで
 合計9キロ!)
ジムに戻るとプールでちょいと泳いで、
サウナ風呂入って、
スーツに着替えて会社に行く。

そんな人がごろごろいるんです。

毎日そんなことやってて、
よくもまあ、
仕事ができるもんだと思いきや、

ある日、
新聞の「優良企業の社長インタビュー」
みたいな記事に、
その超ストイックさんの一人が
写真付きで取材に応えてた。

その人は、
ぼくのことなどまったく知らないだろうけど、
ぼくは一方的に、
ひぇ〜な彼の生き方を知り、
ただ、たじたじしてました。

で、この『それまでの明日』。

昔の知り合いが
テレビの街角インタビューみたいなのに、
たまたま出ていて消息を知るという話が、
本筋とはあまり関係ない場面で
出ていました。

主人公の沢崎さんが、
ぼくや、その街角インタビューでの
消息判明のように、ひょんなことで、
依頼人を見つけなければいいなと思いました。

と、
何のことだかわからない話をしましたが、
何はともあれ、この本いいです。
今年2冊目の五つ星つけました。





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2018年5月8日火曜日

『天才』(石原慎太郎)読みました。


この場でも何度かいいましたが、
ぼくは3冊を同時並行で読むという、
その書籍をつくった人に対して
なんとも失礼な、
本とのかかわり方をしています。

そうなると、
ここに感想文もどきを書いている今も、
読みかけの本が最低2冊はある。
(書くのを後回しにたときには3冊ある。
 もっとほっとくと10冊にもなる。
 そうなると、もうその本については書かなくなる)

現在読みかけの2冊を言っちゃうと、
(言わずに、あとの楽しみに
 とっておきたい気もするけど、言っちゃうと)

1コは、
スティーヴン・キングさんが絶賛していた
ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』。

もう1コは、
待ちに待った(前作から14年ぶりだって)
原りょう さんの『それまでの明日』。
(漢字が文字化けすることもある
 というので名前は平仮名にしました)

もちろん、どちらもまだ途中ですが、
双方ともに頭を掻きむしりたくなるほど
面白いんです。
読んでる最中、何度感嘆のため息をついたことか。
こんなとこに書いている暇あったら、
早く続き読みたい。

で、この『天才』。

解説とあとがきにあった執筆動機の話は
面白かったです。





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2018年5月2日水曜日

『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


ちょい前、何の番組かは忘れたけれど
テレビを見ていたら、
画面全体に大きなテロップで
「芸術は盗作であるか、
 革命であるか、いずれかだ」
って言葉が出てきました。
(記憶をもとにしてるので
 文言は正確じゃないかも)

画家のゴーギャンさんが
言ったか書いたかした名言だという
触れ込みでした。

ふむふむ、なるほどなるほど。

偉い芸術家っていわれる人だって、
盗作ってまではいかないだろうけど、
それ以前に世に出ていた何からの作品から
刺激を受けてつくっていくのが
ほとんどだろうし、
(ゴーギャンさんはたぶんそんなのも含めて
 「盗作」って呼んでいるんだと解釈)
もし、まったく何のお手本もないままに
仕上げた創作物だったら、
それはやっぱ「革命」ってことになるようで。

で、この『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』。

ゴーギャンさんのいう盗作か革命か、
どちからに当てはめるなら、
革命には入らないですね。
世の中にあるほとんどの作品と同じように。

だからそういう意味でいえば盗作。
でも、単に特定の何かを
そのまま模倣したんじゃないってことは
よくわかります。
勉強して、こねて、かためて、削って、磨いて
……よく出来てます。

面白かったです。





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2018年4月26日木曜日

『金曜日の本』(吉田篤弘)読みました。


子どもの頃から
東京の板橋に住んでいます。

半世紀近く前には、
あちこちに土が見えていたけど、
今は道路脇の植え込み下くらいしか、
あの焦げ茶色を見つけられませんね。

それと、なんだかわからない建物も
たくさんあった。

崖のようになっている急坂の上には、
学校みたいな病院みたいな木造の建物。
廊下に面した窓の奥に、
ごくまれに白衣を着た医者らしき姿が
見えたりする。

でも、人の気配するのはホントにまれで、
ふだんはまったく物音もしないで、
しーんとしている。

ぼくたちは、そこをお化け病院と呼んで、
探検しに行ったりしたもんです。

鍵もかかってなくて、
子どもでも入れちゃったんです。

ほかにもヘンな場所はたくさんあった。

野球場くらいの広さの
空き地にある草ボウボウを
かき分けてたどり着く、お化け煙突。

(「お化け」は、よくわからない物につく
 接頭語のようなモンでした。
 ほかには、お化けほら穴、お化け工場、
 お化け公園などなど)

煙突といっても高さはなく、
2メートルほどのレンガ塀で
四角く囲んであるだけ。

よじ登って、てっぺんから中に入ると、
ゴミやら何やらがうじゃうじゃある。
あれは何だったんだろう。

で、この『金曜日の本』。

そんなこんなのお化け建物群を
思い出させてくれました。
奥付を見ると著者さんは同年代。
そうでしたね、昔は。





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2018年4月24日火曜日

『ヒトごろし』(京極夏彦)読みました。


何かのきっかけで、時々思い出すのが
「完璧な人間なんていないよ」
ってセリフです。

ビリー・ワイルダー監督の映画
『お熱いのがお好き』に出てくる言葉。

正確には違うかもしれないけど
ぼくの中ではこんなシーンとして
記憶されてます。

お金持ちの紳士から求婚されて、
結婚はできないと断ったオネエが、
ぱっとカツラをとって
「だって私、男だから」
ってカミングアウトする。

それに答えて紳士が、
「完璧な人間なんていないよ」と言い、
そんなのは問題にならないと
笑ってくれる。

あれが確かラストシーンでしたよね。
ちゃうかな。

まあ、でも、
そうなんですよね、完璧な人間はいない。

同じように完璧な小説もないだろうし。
あ、完璧な文章もないって
村上春樹さんも何かの作品の冒頭で
言ってたような気がするし。

で、この『ヒトごろし』。

面白いんですよ。
京極さんがイメージしたんだろう
土方歳三キャラにはめ込むため、
ちょっと強引に持っていくトコもあったけど、
それはそれで潔さを感じたし。

とはいえ、
「やっぱ完璧な本ってのはないな」
と思ったのは、この厚さと重さ。
(だって1000ページ超えてます)

持って読んでいたら、
手が疲れちゃってすぐ挫折。
その度に『お熱いのがお好き』のセリフが
頭に浮かんできました。





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2018年4月17日火曜日

『柳家小三治の落語1』(柳家小三治)読みました。


近々読み返してみようかな、
と思っているのが
星新一さんのショートショート群です。

1000作品はあるって
聞いた覚えがあるけど、
たぶんそのほとんどを中学生の頃、
かじりついて読んでました。

それから40年ほどたった今、
もはや中学生の気持ちに
戻ることはないと思いますが、
何を感じるのか、もしくは感じないのか、
試してみたいと密かに企んでいるんです。

企みを達成できた暁には、
この場でまた紹介するってことにして、と。

えーと、
そのショートショート群の中で、
今でも印象に残っているお気に入りの話が
「おーいでてこーい」です。

ネタバレで恐縮ですが、
ストーリーを言っちゃいますね。

何を投げ入れても、
吸い込んで出てこない穴が見つかって、

それりゃいいってんで、
不要なモノを何から何まで
そこに放り込んじゃった。

やがては核のゴミなんて
とんでもないモノまで。

そうして地球がきれいになったある日、
一番最初に穴に投げ入れた小石が、
空から落ちてきた。

で、この『柳家小三治の落語1』。

収録されている演目の中に
「堪忍袋」って噺がありました。

我慢ならないことがあると、
その袋の中に不満をぶちまけ、
すっきりして笑う、ストレス解消袋。
長屋の皆がそこに怒鳴り声を放り込むんです。
やがて袋はパンパンに膨れあがり
ついには破裂してしまう。

「おーいでてこーい」の元ネタ、みーつけた。





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2018年4月12日木曜日

『人生ごっこを楽しみなヨ』(毒蝮三太夫)読みました。


だいぶ前、
NHKの『真剣10代しゃべり場』って番組に
立川談志さんが出演していました。

題名の通り若者たちが討論する内容なんだけど、
談志さんがゲスト的に招かれていたんです。

しばらくは、おじさん一人と若者十人くらいで、
それぞれ意見を述べ合っていたんですが、

そのうち談志さんが、
若いヤツらの理路整然とした論調に
かなわなくなってきて、とうとう

「俺を誰だと思ってるんだ。
 立川談志だぞ」

とか言って、
スタジオから出ていちゃったんです。

びっくりした若者たちは、
控え室に戻った談志さんの所まで行き、
すみませんでしたと頭を下げ、
何とかなだめて収録の場所まで
戻ってもらった。

ぼくはそれを見て
「若者のほうがよっぽど大人じゃん」
とテレビに向かってつぶやいてました。

で、この『人生ごっこを楽しみなヨ』。

もう亡くなった立川談志さんと友だちだった
という毒蝮三太夫さんの本。
あちこちに談志さんの話が出てきて、
そのたび、
しゃべり場の退場シーンを思い出していました。





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2018年4月10日火曜日

『アルテミス(下)」(アンディ・ウィアー)読みました。


前にも書いた覚えがあるけど、
気にせずネタを使い回しします。

と、前置きして……

えーと、たしか永六輔さんが
ラジオか何かで言っていたこと。

過去に経験した悲惨な境遇を語り継ぐため、
あちこちに講演して回っている人の話です。

その人は、元来、口下手だったから、
講演を依頼された一番最初のときは
出来ないと言って断ったんだそうです。

でも、若い世代に伝えるべきだと説得され、
やっと重い腰を上げ、
大勢の前で話す決心をつけた。
(ごめんなさい。
 肝心の話の内容は、「戦争体験」だったのか
 自然災害の「被災体験」だったのか、
 もしくは全然別物か、
 そこら辺は忘れちゃったんです)

んでやっとこさ登壇すると、
もともと弁は立たない上に、緊張も加わって、
あっちつっかえ、こっちつっかえの、
しどろもどろの超訥弁になっちゃった。

が、しかし、ところが。
聞いていた人はみんな感動して
スタンディングオベーション100%的な
反響が返ってくる。

その人は、それを期に
何度も講演をこなすようになり、
場数を踏んで度胸もつき、
話も流暢にできるようになっていき、
著名人の永六輔さんとも
話しをする機会ができた。

そこで、その人が永六輔さんに言ったのが、
「何十何百と講演をした中で、
 一番共感を得られ、理解されたと思えるのは、
 最初の1回目でした。
 話がうまくなるに従って、
 聴く人の気持ちはどんどん離れていくように
 感じるんです」

慣れてない素人状態のほうが、
人を感動させられる……。
なんとなく、わかる気がします。

で、この『アルテミス(下)』。

前作がデビュー作で、これが2作目とのこと。
……面白かったです。
面白かったけど、
「うまくなるに従い、受ける側はダレていく法則」を
思い出してしまいました。





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2018年4月5日木曜日

『石上三登志スクラップブック:日本映画ミステリ劇場』(石上三登志 著/原正弘 編)読みました。


このところ
(と言っても前2回についてですが)
十年以上前に取材した人格者の話とか、
映画学校時代の小ネタなど、
過去のことばかり取り上げている気がします。
なので、今回もそうしようかと…。

まあ、年齢が年齢だけに、
ノスタルジックな気持ちに流れやすい
ということでご勘弁ください。

ですので、
もう30年以上前の映画学校時代のこと。

1年次のクラスの終わり頃、
学級文集みたいなのがつくられました。

(とはいえ、どういうわけか、ぼくは、
 その出来上がりを見た覚えがないんです)

文集制作の中心になって動いていたのが、
原さんという人でした。

出来上がりを見てもいないに、
なぜ原さんが世話役だと覚えているかというと、
ぼくの書いた文集用の原稿を、
原さんに渡した記憶があるからです。

最初に渡した原稿は、
「この1年間、楽しかったです。
 どうもありがとう」
みたいなたった2〜3行でした。

でも、それを受け取って読んだ原さんが、

「お前は、2年で演出ゼミに行くんやろ。
 こんなんだけで済ますんかい」

と、それを突き返してきたんです。

ぼくは「わっ怖っ!」って思いつつ、
「格好いい人やわぁ…」と、
密かに憧れの気持ちを抱いてしまった。

なので、それからうちに帰って、
もうちょい長い文章をゴリゴリ書いたんです。

で、この『石上三登志スクラップブック:日本映画ミステリ劇場』。

企画・編集されたのが、
なんと、その原さんなのでした。

やっぱさすが。やる人はやりますわ。
本のつくりも緻密だし。
あとがきなんかの文章もうまいし。
何より、中身(石上さんの評論)が面白い。

今さらですが原さん、
文集にやる気のない原稿を提出してしまい、
すみませんでした。





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