2012年10月31日水曜日

『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス)読みました。


何かが引っかかって、
物事が上手く流れないことがあります。
例えば、
仕事で納品するデータをメールで送ろうとして、
急にメールソフトの調子が悪くなったり、
やたらタイプミスを連発したり。

いつもはそんなことないのに……
と、不思議に思いながら、ふと納品データを眺めると、
そこに、あってはいけない間違いを発見したりする。

んで、その間違いを訂正して、
もう一回送ろうとすると、
今度は何のトラブルもなくすすーっと送れちゃう。

守護霊さんみたいな見えない人に、
「直してから送らないとダメだぞ」って
言われているみたいな感じ。
結構あるんです、そんなこと。

で、この『トムは真夜中の庭で』。

ぼくには、ちと合いませんでした。
違和感っていえばいいのかな。
なぜかわからないけど、誰かが邪魔して、
物事が上手く流れない感じに似てました。

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2012年10月26日金曜日

『パリの蜂起 小説フランス革命2』(佐藤賢一)読みました。


ぼくの書いた原稿を見せる度に
「もっとディテールを書けよ」
とアドバイスしてくれる先輩がいました。
駆け出しの頃です。

その先輩、
口を開けばそればっかって感じでした。

そこでぼくは、
お店を紹介する取材原稿をつくるとき、
取材時に、メジャーとか、
色の名前が書いてある色見本帳なんかを持参して、
お店の入口でタテ何センチ、ヨコ何センチと
サイズをはかり、店に入れば、
店内の広さはもちろん、
客席のテーブル、イス、厨房の広さ、
それから、それぞれの色を色見本帳と見比べて、
何色なのかをメモしまくり、
そうした細かーい情報を
ふんだんに入れ込んだ原稿をつくったんです。

んで、できあがった原稿を
ディテール先輩にチェックしてもらいました。
どや顔で原稿を読み終えるのを待っていたぼくに、
先輩は一声、
「ダメだコレ!細かすぎる!!」
 
何事もバランスが大切なんだ
ということがよくわかりました。

で、この『パリの蜂起 小説フランス革命2』。

バランスいいです。
細かな登場人物の行動と、大まかな世の中の動き。
『フランス革命1』のときも書いたけど、
ホント楽しめます。

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2012年10月23日火曜日

『武士道シックスティーン』(誉田哲也)読みました。


高校の文化祭。30年ほど前にやりました。

記憶は定かではないのですが、
ぼくらのクラスでやったのは、確か喫茶店。
飾り付けも何もなく、
机を3つ4つくっつけてテーブルにするだけの設営。

客引きも呼び込みもしないので、
お客はほとんど入らない。
たまに間違って入ってきたお客には、
紙コップにお茶とかコーヒーとか
入れて出すけど、それだけ。
居心地が悪くなりすぐ出て行ってしまう。

ぼくの行った高校は共学なのに女子の数が少なく、
8クラス中、2クラスが男子だけのクラスで、
ぼくはその2クラスのうちの1つ、5組でした。
通称、男クラ(だんくら)。
男だけなので、
「そんなかったるいこと、やってらんねーよ」と、
文化祭などの学校行事には、
誰も真剣に参加しなかったんです。
熱き青春の血潮などとはまったく正反対の、
だめだめ高校生です。

それがついこの前、
学校全体の同窓会があって、
ひょんなことから、
その運営のお手伝いをすることになりました。

だめだめ高校生も30年生きれば、
分別はついてくるもので、
高校時代のなあなあな態度はどこへやら、
いつの間にか仕事をほっぽらかしてまで、
準備にかけずりまわっていました。
高校生のときより、高校生でした。

で、この『武士道シックスティーン』。

高校生しているお話です。
あっ、続編の『武士道セブンティーン』
まだ買ってない。早く読みたーい!

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2012年10月22日月曜日

『百年前の日本語──書きことばが揺れた時代』(今野真二)読みました。


……祝賀会が行われた。主催者の菊池さんは
「大勢の方々の協力で準備を行なってきましたが、
かくも盛大な集いになり……

ってな原稿を書いて、
校正の人にチェックしてもらうと、
最初の行にある「行われた」と、
次の行の「行なってきた」のトコに赤ペンが入り、
「統一しましょう」みたいなコメントをもらいます。

「おこなう」の漢字の「行」に、
送りがなの「な」を付けるか付けないか、
どっちか一つに決めなさいってことです。

これ用語統一っていいます。
統一されてない文章を
「揺れている」とかっていいます。

表記の揺れがないかどうかを
チェックしてくれるのが校正者さんです。
昔、その校正者さんに、アホなぼくは聞きました。
「なんで統一しなきゃダメなんですか?」

校正者さんは、
何でそんなこと、わからないのって顔をして
「読む人が混乱するからです。
一つの記事の中に『行い』と『行ない』があったら、
意味が違うと考えてしまうでしょ」

そっか、そうなんですね。
うん、うん。

で、この『百年前の日本語──書きことばが揺れた時代』

昔って、揺れてたらしいんです、文章。
それが最近、揺れなくなっていったそうです
……そんなの初めて知りました。

知らなかったことを知るってわくわくです。
だから、この本、面白かったです。

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2012年10月16日火曜日

『フラミンゴの村』(澤西祐典)読みました。


風に舞いながら転がっていく新聞紙が、
ベンチに座っている女の人の前で集まり、
人間の形になっていく。

驚く女性に襲いかかる新聞人間。
あわやと思ったそのとき、
突風が吹き、新聞は吹き飛ばされ、
もとの新聞紙に戻っていく
──そんなお話を、昔、映画学校の課題に出た
ショートシナリオで書きました。

自分でいうのもなんですが、
なんか比喩がありそうですよね、このお話。
でも、実は何の比喩も隠していない、
単なる思いつきのストーリー。
あの頃は、若かった……。

で、この『フラミンゴの村』

ぼくのお話と比べるのは、大変失礼なんですが、
新聞人間のように、不思議なことが起こる物語です。

そこには、きっと何かの隠喩が
込められているはずなんですが、
ぼくにはそれがわからなかった。
でも、不思議な世界だけで、十分楽しめた。

ぼくは、隠された作者の思いとかテーマとか、
そんなものを必要としない本読みなのかもしれません。

フラミンゴの村
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2012年10月15日月曜日

『お気楽 道楽 ていたらくのススメ』(高橋文子)読みました。


「○○について書いてください」と
専門家の先生に原稿を依頼して、
出来てきた原稿を見たとき、
「えっ、○○のこと言ってないじゃん」
ってことは結構あります。

そんなときは、
ぼくが修正案をつくり
「テーマが○○なので、今回は修正案のように
したいと思うのですがいかがでしょう」
とお伺いをたてます。

たいていの先生方はそれに納得し、
その修正案が記事になっていきます。

でも、そうじゃないこともあります。
修正案を受け入れず、第2稿を書いてくる先生もいる。

A先生もそうでした。
そのときは、
「アホについて」書いてもらいたかったんですが
(そんな原稿を仕事で依頼するはずはなく、
 もちろん脚色してます。フィクション、フィクション)
送られてきた原稿は、
アホとはまったく関係ない
自然の美しさについて述べてありました。

仕方ないので、
それを無理矢理に修正して「いかがでしょう」とお伺い。
するとA先生は、
ぼくのつくった修正案には手も触れず、
もとの原稿に手を入れて、
いわゆる第2稿を送ってきたんです。

その第2稿を見てびっくり。
なんと、第1稿の冒頭と末尾に
1文ずつ加えただけのものでした。

冒頭は「私はアホである。よって次のように考える」。
末尾には「以上はアホである私の考えた戯れ言である」。

ぼくがびっくりしたのは、
この先生の手抜きが凄かったからじゃありません。
その逆、修正が素晴らしかったからなんです。

冒頭と末尾に同じ意味合いの文章を入れただけなのに、
原稿全体がすっきりまとまり、テーマにも沿ってる。
不思議です。
まったくタネのわからない手品を見たような感覚でした
──まあ、文章なんてそんなモンなんでしょうね。

で、この『お気楽 道楽 ていたらくのススメ』。

A先生の第1稿のような感じでした。
何かをちょっと足したり引いたりすると、
すっきりまとまった凄い本になるんだろうな。

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2012年10月12日金曜日

『東の海神 西の滄海 十二国記』(小野不由美)読みました。


正義の味方が悪者を倒す勧善懲悪の物語は、
それなりに安心できて楽しめます。
(もちろん作者の技量によりますが)

でも、現実の世の中では、
完全な正義も、絶対の悪も、
はっきり決めつけるのは難しい。

そんな現実を物語に反映させるとどうなるでしょう。
対立する2者が、どっちも正義の味方とか。
読んでいる人は、どちらにも感情移入できちゃう。
そんな物語だと、それはそれで、
良い悪いがはっきりしている勧善懲悪のお話より、
ぐんと深く、面白くなるんじゃないかなって思います。

で、この『東の海神 西の滄海 十二国記』。
さすがです。
今、十二国記シリーズにはまってますが、
ホントに、はまって良かったと思います。
だって、おもろいモン。

なんですが、ちょっと気になった点(以下ネタバレ注意)。
物語は、上に書いたように2者の対立で、
正義の味方と悪者的な構図になってます。
でも、前半は悪者が正義の味方みたいに描かれてます。
悪者が悪であることは徐々にわかってくる。
ぼくはコレ、最後まで正義の味方であってほしかった。
正義と正義の戦いのぐちゃぐちゃ感が
あったらなぁ……高望みしすぎかな。

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2012年10月9日火曜日

『光圀伝』(冲方丁)読みました。


今回も映像制作の裏方の話題から。
監督は、フィルムを切ったり貼ったりする
編集のパートを、自分でやらないほうが
いいって話は、よく聞きます。

なんでかっていうと、
不要と思われるカットを、
ためらわずに、ばさばさと切れないから。
撮影時の現場の苦労を知っているので、
苦しんで撮ったカットはどうしても残したい。
監督は、編集作業のときにそう思っちゃうって話。

その気持ちは、わからないでもないけど、
黒沢明さんなんかは、
そんなハードルを乗り越えて自分で編集して、
傑作をじゃんじゃんつくってる。
傑作ってのは、普通の人ができないことでも、
平気でやっちゃえる人が生み出せるモンなんでしょうね。

で、この『光圀伝』。

もっと切って欲しかった。
映画監督が現場で苦労するのと同じように、
この著者も、資料集めやなんやかで、
苦労に苦労を重ねて、
頭の中に詰め込んだカットは
たくさんあったことでしょう。

だからそうして用意したカットは全部使いたい
──ってのは、わかる。
でも、そっから取捨選択して、
ばさばさと切って、
いい感じに仕上げてもらいたかった。

前に読んだ同じ著者の『天地明察』は、
その取捨選択の編集作業がいい感じだったのに、
ちょい残念です。

この本、たくさん売れているみたいだから、
ぼくが少しぼやき的な感想をいっても
大勢に影響はないでしょ。次回作に期待です。

光圀伝
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2012年10月3日水曜日

『小太郎の左腕』(和田竜)読みました。


シナリオライターは小説も書けるけど、
小説家にシナリオは書けない──
そんな話をどっかで聞いたことがあります。

なぜかっていうと、
シナリオには制約があり小説にはないから。

制約の中でものをつくっている人は、
制約が外れても、ものはつくれる。
でも最初から制約がない人が
縛られた環境の中に入ったら、
ものづくりはできなくなっちゃうんだとか。

シナリオは最終的に画面に映ったものでしか
観客に伝えられないってことが制約なんだそうです。
それに対して、
小説は何から何まで全部文字にして読者に伝えられる。
文字では、画面には映らない人の気持ちも
「楽しく思った」みたいに、ひと言で説明できる。
でも、
シナリオでは、それを映像でどう表せば、
観る人に伝わるかを考え、
その映像を文章にしなきゃいけない。

この「シナリオライター>小説家」理論、
まぁ、多少の反論はあるけど、納得はできます。

で、この『小太郎の左腕』。

この作者の第一作(のぼうの城)は、
最初にシナリオが書かれて、
それを自分で小説にした本でした。
その本を読んで、確かに、
シナリオが書ければ、小説も書けるって
よくわかりました。

んで、それに加え、
本の面白さに震えてしまい
「わーッ、コレ凄っ!!」って
叫んだこと(心の中でね)覚えてます。

そして、この『小太郎の左腕』は、
最初から最後まで小説でした。
第一作は、
シナリオ臭さみたいな感じが残っていたんですが、
今回はまるまる小説。

んで、それに加え、
本の面白さに震えてしまい
「わーッ、コレ凄っ!!」って
一作目のときよりも大きく
叫んでしまいました(心の中でね)。

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