2014年5月30日金曜日

『エクソシスト』(ウィリアム・ピーター・ブラッティ)読みました。

今はすっかり
地中に埋められてしまったのですが、
ぼくが小学生の頃は、
実家近くに小さな川がありました。

といっても東京なので、
蝶が舞うような自然豊かな小川じゃなく
コンクリートで固められた用水路的なモンです。
川幅は5メートルもないくらい。

その水路の上には1メートル間隔くらいで、
コンクリ製の幅15センチほどの角材がわたしてあり、
水路の上にハシゴをかぶせた感じになってました。
(これ、調べたら「はしご式開渠」って言うらしく)

これはもう、
あほな小学生のぼくらにとって格好の遊び場です。

体操の平均台のようにハシゴの一本を渡り、
向こう岸に行って次の一本を渡って戻ってくる。
なにが楽しいのか、
そうやってジグザグに水路の上を歩きながら、
「ちょっとだけよ」とか言っておしりを見せたりする。

今、思い出すと
川底までは2メートルくらいあっただろうから、
足をすべらせて落ちたら大変です。
でも、その「落ちちゃうかもしれない」って怖さは、
一番最初、やる前に感じただけで、
実際やってみると、それほど危ないとも思えず、
楽しんじゃってたんです。
(本当は危険なんだろうけど、アホガキだったから)

で、この『エクソシスト』。

怖いのかなと思って読んだら、怖くなかった。
怖いんじゃなく、面白かったんです。

水路の上を思い切って歩いたときみたいに
怖いって先入観は、
実際に読んでみたらどっかに飛んでいっちゃった。
(なお、危険な水路遊び、いい子は真似しないでね)


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2014年5月28日水曜日

『アンダー・ザ・ドーム (1)』(スティーヴン・キング)読みました。

この前読んだ
『平山夢明と京極夏彦の
 バッカみたい、読んでランナイ!』
の中に、平山夢明さんの失敗談が語られていました。
(この本は平山さんと京極さんの二人の
 人気作家がやっているラジオ番組を書籍にしたものです)

その失敗談とは、
平山さんが出版社に提出した小説の原稿で、
主人公の名前が、最初と最後で違っていたってこと。

京極さんが出版社の人から
「平山さんの原稿に、こんな間違いがあったんですよ」
と聞いたらしく、
それを面白可笑しく話していたんです。

当人の平山さんは
「いやーそうなんですよ、
 ぼくは記憶力が悪くて……ポリポリ」みたいな反応。
やっぱ、ただ者じゃないなって思っちゃいました。

でもでも!
平山夢明作の『ダイナー』には、
たしか三十人くらいの登場人物があって、
みんなキャラがしっかり立っていて、
すごく完成度は高かったんです。

ぼくも記憶力はいいほうじゃなく、
物語をつくっていても、
「あれ? この恋人役なんて名前だったっけ?」
なんてことはよくあります。
そんな貧弱脳みそでも、
もしかしたら平山さんのように
とんでもなく面白い作品ができるのかもしれないと、
淡い期待を抱いちゃいました。

で、この『アンダー・ザ・ドーム1』。

巻頭に主な登場人物の一覧がついています。
数えてみたら、六十人くらい。
いやいや、それでも、きちんと面白い。
ぼくが抱いた淡い期待は、
また遠くの方に行っちゃいました。


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2014年5月26日月曜日

『私訳 歎異抄』(五木寛之)読みました。

高校時代のバドミントン部で、
年に一度OB会をやっています。
ぼくがバドミントンをするのは、
ここ10年以上この会ときの年に一回だけ。

そうなると、
バドの技術的なことなんか、すっかり忘れてます。
身体では覚えていて、ぎくしゃくしながらも
自分ではなんとなく動けるんですが、
それを人に説明するのは到底できない。

足の運びはどうすればいいか、
手首を効かすタイミングはいつか、
相手がこう動いたらどこに打ち返せばいいか
……なんてことは、昔はすらすら話せたような気がするのに、
今の頭の中にはチリほども残っていないんです。

それで困るのが、
OB会でお遊びのゲームをやったあと、現役の高校生から
「先輩、アドバイスお願いします」
と頭を下げられたとき。

「うん、そうだなーまぁ、そのぉーガンバレ」
なんて、ワケのわからないこと口走るしかないんです。

ところが、
同期でも定期的にバドミントンを続けているヤツは、
しっかりと助言できる。
内容をちゃんと聞たわけではありませんが、
ラケットのにぎり方とか振り方とか
フットワークのやり方なんかを自分で示しながら、
ときには10分以上説明している。

そんな姿をぼんやり見ながら、
「昔はぼくも、ああしろ、こうしろと、言ってたな」
なんて思ったりしました。

そしたら急に、
ひょっとして昔もアドバイスはしないほうが
よかったんじゃないかって思ったんです。
今と同じように「まぁ、そのぉーガンバレ」くらいが
ちょうどいいんじゃないかって。

そうすりゃ、後輩は自分で何とかする。
自分で何とかしたほうがいいのかもって。

で、この『私訳 歎異抄』。

脇目も振らずに念仏を唱えなさい、されば救われる。
それは、よくわかりました。
でもぼくは、自分で何とかしたほうが、いいかな。


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2014年5月21日水曜日

『校閲ガール』(宮木あや子)読みました。

マイクは都営三田線の志村坂上駅で降りた。
教えられたとおり
A2出入口の階段をのぼり、地上に出る。
出がけに降っていた雨は
すっかりやんでいて、日差しも眩しい。
「その出口は中山道という
 大きな通りの交差点に面している。
 信号には志村一里塚と書いてある」
と電話で告げた男の名は知らない。
そのあと電話の男は、中山道を右へ進み、
ガソリンスタンドを二つ過ぎた最初の角を曲がって
そのまま進むようマイクに指示した。

……小説の中でこんな文章が出てきたら、
ぼくはそれだけで「これ面白い!」って思っちゃいます。
いや、文章そのものは今ぼくが即興でつくったので、
ぜんぜんへなちょこです。

そうじゃなくて、
ぼくの今住んでいる場所が舞台になっているってトコ。
(最寄り駅が志村坂上なんです)

自分のよく知っていることが、
そのまま描かれている物語は、親近感わきますよね。
ひょっとしたら、その親近感だけで、
ホントはつまらない物語も、
面白く感じられちゃうかもしれない。

で、この『校閲ガール』。

面白かった!
だって、ぼくがよく知っている作業
(本をつくるときのチェック作業)が
たくさん出てくるんですもの。

でも、その面白さは
親近感だけからきたのかなぁ、と思えてきたり…。


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2014年5月19日月曜日

『半自叙伝』(古井由吉)読みました。

昔、俳優の田中邦衛さんが、
何かのテレビ番組で、演技のことを話してました。

内容はよく覚えていないんですが、
なぜかその番組中に実演することになったんです。
たしか相手役のアナウンサーか誰かが、
往来で電柱に足をぶつけて痛がっている芝居をやり、
次に田中さんが見本を示すという段取り。

アナウンサーは、
架空の電柱にぶつかり、
ひざを抱えて「いてぇー!」と叫ぶ演技を披露。

それを見ていた田中さんは、
「そうじゃないだろう」という表情で
首を横に振り、交代します。

まずは、普通に数歩あるく。
そこで架空の電柱に、ひざが当たった素振り。
その瞬間、顔をゆがめるんですが、
言葉は何も発しません。
黙って顔をゆがめたまま、
ちょっと足を引きずり、横道に入るような動きで歩き、
そこで立ち止まって、
きょろきょろと周囲に人がいないのを確かめてから、
急にかがみ込み、ひざにふーふーと息を吹きかけながら、
さすりまくったんです。

アナウンサーは
「いてぇー!」ってセリフで全部を説明しちゃった。

それに対して、田中さんは、
何も言わず仕草だけで、
痛いことはもちろん、恥ずかしさや、
その人の性格なんかも表現した。

これ見たとき、
田中さんのやり方は、
読書でいう「行間を読む」になるんだなって思いました。

仕草だけ、行動だけ、情景だけを示して、
その限定した情報から、
観ている人、読んでる人に、
もっと大きなものを受け取ってもらう感じ。

で、この『半自叙伝』。

大きな声で、
「ほらっ! 行間読んでみろ!」
って言われたような気がしました。


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2014年5月16日金曜日

『平山夢明と京極夏彦のバッカみたい、読んでランナイ!』(平山夢明/京極夏彦)読みました。

江戸の町はリサイクルのシステムが
びしーっと確立されていて、
究極のエコタウンだったと、
なんかの本で読んだことがあります。

不要なモノを集めて
必要な場所に持っていく回収業者は、
いろんな分野に細分化されて、
今なら「えっ、そんなのも?」
って驚くようなモノまで集めて
回っていたんだそうです。

今もある古紙や古着の回収はもちろん、
壊れた傘とか、道に落ちていたような古クギとか。
火をつけて使ったロウソクの溶けちゃったヤツの
その残骸を回収する業者もいたとか。

農家の肥料になる人間の排せつ物は貴重な資源で、
火を燃やしたあとに残る灰も
肥料として買い集める商人がいたんだとか。

そんなふうに考えると、
世の中に役に立たないモノって
ないのかもしれないなって思えてきます。
どんなに無駄なモノ、不要なモノでも、
どこかしらで活躍できる場所があるはず。きっと。

で、この『バッカみたい、読んでランナイ!』。

少し本文から引用します。
「これだけ、なんの薬にもならない、
 毒にさえなるのかどうか危ういような
 くだらないトークの数々が文字に起こされ、
 あまつさえ書籍として読者に供されというのは、
 これは由々しき事態ですよ」
こんな本があってもいいのか、何の役にも立たないじゃないか、
と、作者本人が言っているわけです。
……それでもこの本は何かの役に立つはず。
何かわからないけど。


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2014年5月14日水曜日

『女のいない男たち』(村上春樹)読みました。

少し前まで、記憶が抜けることがよくありました。
意識が抜けるといってもいいかもしれません。

それは、
片道10キロを爆走チャリ通勤しはじめた頃と、
会社が引越し片道5キロになり、
ランニング通勤をしはじめた頃。

どちらも途中で、やたら身体がきつくなるポイント
(スタート後10分ほどの地点から約5分間)があって、
やり始めの2週間くらいは、
そのポイントが来るのをびくびくしながら待ち構え、
苦しくなると、
「もうちょい! もうちょい我慢すれば、ちっと楽になる」
と自分に言い聞かせながら、足を動かしてました。

それがなんと!
3週目くらいから、ときどきその苦境ポイントが
頭から抜けちゃうようになったんです。

スタート地点から5分くらいまでの記憶は
ちゃんとあるのに、気がつくと、もうゴール間近。
「あれ? 今ぼく、苦境ポイント通ったんだっけ?」
って感じです。

今もランニング通勤は続けていますが、
最近は手の抜き方を覚え、
苦しくなったらスローダウンできるようになったので、
苦境ポイントそのものを感じなくなり
(そのぶん、中レベルのきつさを走行中ずっと維持)
記憶の欠落はなくなっています。

今考えると、あの欠落状態って、
なぜかものすごく気持ちよかったように思えるんです。

で、この『女のいない男たち』。

読み終わって思ったのは、
「あれ? 今ぼく、本読んでたんだっけ?」。
読むのが苦しかったわけじゃありません。
むしろ逆。
きっと楽しか過ぎたから、
以前ような記憶(意識)の欠落状態を感じたんだと思います。

ぼくの身体は、
苦しすぎることも楽しすぎることも、
拒絶しちゃう体質なのかもしれません。


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2014年5月12日月曜日

『私と月につきあって』(野尻抱介)読みました。

本をつくるときには、たいてい2カ月くらいの
制作スケジュールを組んで、1日にどれくらい
書き進めなきゃいけないかを決めます。

その期間、
毎日毎日ちまちまと、
文章や図版、イラストなんかを
1ページずつ埋める作業を続けます。

それやってると、
ものすごい長距離のマラソンを
走っているような気になります。
早くゴールにつきたいな……。

もちろん売り物ですから、
どのページも真剣につくります。
つくるんですけど、何週間も作業を続けるので、
やっぱ疲れちゃうときもあるみたいなんです。

自分では、いつもと変わらずクオリティを
保っていると思っても、あとから見直すと、
「まったくなってない!」ってトコが見つかったりする。

そんなときは過去の自分を叱りながら、速攻修正。
気力、体力、クオリティ……
そういったものをずっと持続させるのは
結構難しいんですね。

で、この『私と月につきあって』。

ロケットガールシリーズの3作目。
この野尻さんという著者の持っている
基礎体力というか資質というか、
そんな土台になっているベースが
ぼくはとても好きなので、
「つまらない」と「面白い」の
どちらかを選べっていえば、
間違いなく「面白い」を選びます。

ただ……。
3作目ってのは、つくり続けてきて、
疲れが出てくるところなのかなって感じちゃいました。
──と同時に、
おこがましいようですが、
親近感みたいな気持ちも生まれてきた
(もし疲れてきちゃったのなら、
 ぼくと同じじゃん!)。
ともあれ、まだまだ続編があるようなので、
ずんずん読み進めたいと思います。


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2014年5月9日金曜日

『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?』(ポール・シーブライト)読みました。

ちょっと前まではテレビで放映される映画には
最初と最後に解説者の説明が入ってました。

で、もしかしたら記憶違いかもしれないけれど、
映画が始まる前のコーナーで
「この映画は面白くない」
って言い切った解説者がいたんです。

じゃあ、どんだけ面白くないのか
観てやろうって気になった。
子ども時分の記憶で、解説者が誰だか、
何の映画だか、それが本当につまらなかったのかも、
覚えてないんですけどね。

ハードカバーの小説以外は
本にもたいてい解説がついています。
でもそこでは、ぼくの記憶のように
「この本はつまらない」って書く人はいません。
少なくともぼくは一度も目にしたことがありません。
本をつくっている人は、
その本を何とかして売りたいと思っているのに、
わざわざ売れなくなるような文章を
載せないでしょうからね。

で、この『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?』。

本には、興味深いことがたくさん書いてあります。
(↑もっと具体的に言え!という突っ込みはなしね)
でも、それを読んだときのぼくの印象は
「ふーん、だからどうなの?」でした。

んで、びっくりしたのは、解説を読んだとき。
この本にはこんなことが記されていると言ったあと
「で……それがどうした、ということになる」
って書いてあったんです。

文脈からすると、
ぼくの「だからどうなの?」とは
微妙に意味合いが違う気もするんですが、
それでも、その解説者(翻訳した人でした)に
拍手したい気持ちになりました。
パチパチパチ!


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2014年5月7日水曜日

『天平の甍』(井上靖)読みました。

映画学校を卒業し、
学校が紹介してくれた助監督の仕事をしていたら、
あまりにも不安定な仕事(時間も給料も)に
親が心配して、比較的まともな会社に入らされ、
そのおかげもあって結婚することができ、
結婚できたからもういいだろうってことで、
やっぱ昔からやりたかったモノを書く仕事を
やろうと編集の会社に転職して、
子どもが生まれたりなんだりで、
独立して仕事をしようと思い立ち、
フリーライターから始めて会社をつくって今に至る。

ってのが、
学校を出てからこれまでのぼくの半生まとめ編。

今まで、こういう書き方は、
小説じゃないと思っていました。

小説ってのは、瞬間を瞬間ごとに切り取って、
つなぎあわせてつくるもので、
上の例だったら、卒業式のエピソードを
不安と期待みたいな心理描写を交えつつ、
最低10ページくらいはたらたらと書き連ね、
次はまた別のエピソードで20ページ
って感じのもんだと。

そうじゃなく、要所要所の出来事だけを
短文で重ねていくのは、
小説じゃなく教科書じゃないのって。
それじゃ面白くないでしょって。

で、この『天平の甍』。

教科書みたいな書き方なのに面白い。
これも小説なんですね。


追記
昔読んで内容忘れちゃったので再読した本。
なんで再読したかというと、少し前に読んだ
『国銅』(帚木蓬生)と比べたかったから。
同じ時代が描かれているので、こっちはどうだっかなと。
『国銅』はぼくがこれまで思っていた小説の書き方でした。
でも、ぼく的には、
小説の書き方っぽくない『天平の甍』のほうが
魅力的に思えちゃいました。好みの問題ですけどね。



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2014年5月2日金曜日

『走ることについて語るときに僕の語ること』(村上春樹)読みました。

臆病者のぼくは、
争いごととかのトラブル、仕事上のミス、
ものの遺失といったやっかいごとに、
なるべく遭遇しないよう、
いつも密かに願っています。

でも、昔、萩本欽ちゃんが言ってたけど
「人生は往って来い」らしく、
良い事もあれば悪い事もあり、
結局は良いも悪いも同じくらいの分量だけ、
立ち向かわなくちゃいけないらしい。
帳尻はとんとんになるようです。

そういうことなら、
ふだん苦しいことを自分からあえてしていれば、
そのぶん楽しく嬉しいことがやってくるんじゃない。

苦しいことがイヤなのは間違いない。
だけど、何の前触れもなく突然襲いかかってくる
いざこざのイヤさは、いうなれば「悪質なイヤさ」で、
自分で「これから苦しいぞ」って自覚したつらさは、
きっと「良質のイヤさ」になる。

どっちもイヤに変わりないけど、
「往って来い」で、いずれ出会わなきゃいけないものなら、
いきなりの「悪質」よりも、自覚した「良質」のほうがいい。

よし!
それじゃ、毎朝5キロのランニング通勤は
苦しくてつらくてイヤだけど、続けちゃおうかな。
苦しいことは先に済ませちゃえ、
……というのがぼくが走り続けている理由のひとつなんです。
実は。

で、この『走ることについて語るときに僕が語ること』。

これも前に一度読んだことのある本の再読。
やっぱ、ノーベル賞級作家は、
走る理由もなんだかポジティブです。
ぼくのような打算的な言い訳は見つかりません。
今までマラソン大会など出たくないと思っていたんですが、
この本を再読したら、
一度くらいは出てもいいかなと思っちゃいました。


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