2014年5月26日月曜日

『私訳 歎異抄』(五木寛之)読みました。

高校時代のバドミントン部で、
年に一度OB会をやっています。
ぼくがバドミントンをするのは、
ここ10年以上この会ときの年に一回だけ。

そうなると、
バドの技術的なことなんか、すっかり忘れてます。
身体では覚えていて、ぎくしゃくしながらも
自分ではなんとなく動けるんですが、
それを人に説明するのは到底できない。

足の運びはどうすればいいか、
手首を効かすタイミングはいつか、
相手がこう動いたらどこに打ち返せばいいか
……なんてことは、昔はすらすら話せたような気がするのに、
今の頭の中にはチリほども残っていないんです。

それで困るのが、
OB会でお遊びのゲームをやったあと、現役の高校生から
「先輩、アドバイスお願いします」
と頭を下げられたとき。

「うん、そうだなーまぁ、そのぉーガンバレ」
なんて、ワケのわからないこと口走るしかないんです。

ところが、
同期でも定期的にバドミントンを続けているヤツは、
しっかりと助言できる。
内容をちゃんと聞たわけではありませんが、
ラケットのにぎり方とか振り方とか
フットワークのやり方なんかを自分で示しながら、
ときには10分以上説明している。

そんな姿をぼんやり見ながら、
「昔はぼくも、ああしろ、こうしろと、言ってたな」
なんて思ったりしました。

そしたら急に、
ひょっとして昔もアドバイスはしないほうが
よかったんじゃないかって思ったんです。
今と同じように「まぁ、そのぉーガンバレ」くらいが
ちょうどいいんじゃないかって。

そうすりゃ、後輩は自分で何とかする。
自分で何とかしたほうがいいのかもって。

で、この『私訳 歎異抄』。

脇目も振らずに念仏を唱えなさい、されば救われる。
それは、よくわかりました。
でもぼくは、自分で何とかしたほうが、いいかな。


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五木 寛之
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