2017年2月28日火曜日

『珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を 』(岡崎琢磨)読みました。


それまでなんとなく避けていた
浅田次郎さんの作品。
でも『一路』を読んで、
「これいいじゃん!」と気づき、
の後『壬生義士伝』『天切り松 闇がたり』
と続けてみたら、

「なんで避けてたんだ、ぼく!
 もっと早く読んでりゃよかった」
と後悔しきりになった昨今。

それでも、読みたい本は、
浅田作品以外にも
次から次へと書評や広告で紹介され、
そっちの魅力に勝てず、
去年の末くらいから、
ご無沙汰になっていました。

でも、ふと思い出して
何気なく検索をかけてみたら、
どのページにも
代表作として『蒼穹の昴』ってのを
載せてるじゃないですか。
(『鉄道員(ぽっぽや)』もありますが)

んなら、もうそれ行くしかないと、
本屋さんへゴー。

全4巻あるらしいので、
とりあえず2巻まで
買うつもりだったんです。

でも、本屋さんには
1巻と3巻以降があって
2巻が売り切れ。

仕方ないので1巻だけ入手して、
余ったお金で違う本を買いました。

そうして買った本が
これ『珈琲店タレーランの〜』。

やっぱ、
当初購入しようと思った2巻が
入荷されるの待てばよかった。


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2017年2月24日金曜日

『夜のピクニック』(恩田陸)読みました。

小学6年生の2学期が始まった日に
渡さなきゃいけないのに、
恥ずかしがって言い出せず、
卒業の日までずるずると
引っ張っちゃった思い出があります。

渡すべきモノは借りたパンツでした。

なぜパンツ?
それは、夏休みに担任の先生が
希望者を募って川辺のハイキングに
行ったときのことでした。

保護者同伴のイベントだったんですが、
そこでぼくは川遊びの最中、
足を滑らせて転んじゃったんです。

ズボンはもちろん、
パンツもぐっちゃり。

もしものために母親は
替えのジャージを用意していたんですが、
パンツまではなかった。

ぼくは「ノーパンでいい」
と言ったんですが、母親は
「ダメよ。ちょっと待ってなさい」
と言って、何人かのママ友に声をかけ、
パンツ持参人を探し出し、
借りてきたんです。

それがなんと花柄の女の子仕様。

同級生の女子が
いつも使っていただろう逸品でした。

ぼくが拒否したのは
言うまでもありませんが、
母親だけでなく
提供者のママ友にも説得され、
花柄逸品をジャージの下に身につけて
帰ったのでした。

で、夏休み明け。
キレイに洗濯して紙袋に入れた
借り物パンツを
学校に持って行きました。
もちろん返却のためです。

でも、恥ずかしくって
その女の子に声かけられない。
紙袋は机の奥にしまったまま卒業式になり、
こりゃまずいと、
ようやく勇気を振り絞り、
小学校最後の日に借りを返せたんです。

で、この『夜のピクニック』。

いいですね。ホントいい本です。
パンツを返したいのに、
なぜか声をかけられない切なさが、
ぽこぽこと胸に蘇ってきました。


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2017年2月22日水曜日

『水木しげるの不思議旅行』(水木しげる)読みました。


今はとんとご無沙汰してしまっている
とある出版社の編集担当の方が
こんなことを言っていました。

「どんな本を読んでいても、
 誤植を一つ見つけただけで、
〈あ、これ面白くない〉って
 感じてしまうんです。
 こりゃもう、
 職業病みたいなモンですね」

編集担当さんは、
ぼくがつくる本の内容を、
厳しい目でチェックしてくれる人です。

何気ない雑談の中で
交わした言葉なんですが、

ぼくの耳には
〈お前のつくる本の中に
 一つでも誤植があったら、
 ただじゃおかないぞ〉
って聞こえてきました。

この前、『誤植読本』って本を読み、
どんなに文豪っていわれる人でも
誤植を見逃すこともあり、
それは一種の文化みたいなモノだと
語られていたので、
少しホッとして気持ちの緩んだときに、

その編集担当さんの言葉が頭をよぎり、
〈そうだ、いかんぞ、自分!〉
と戒めたのでした。

で、この『水木しげるの不思議旅行』。

誤植、いくつか発見しました。
でも、この本、それが文化になってます。
もはや誤植ではなく、
そっちのほうが正しく思えちゃう。
これって、水木さんの人柄が
なせる技なんだろうな。

いいな、誤植があっても愛される人って。


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2017年2月20日月曜日

『ジャコバン派の独裁 小説フランス革命14』(佐藤賢一)読みました。


玉ちゃんという高校時代の
友だちとカラオケに行くと、
いつも二人で
サイモンとガーファンクルの
『スカボローフェア』をデュエットします。

英語はよく知らない二人なので、
歌詞はなんとなくの滅茶苦茶。
たぶんネイティブの人が聴いたら、
日本語の歌だと勘違いすると思います。

で、あるとき、
どうせなら歌詞の意味を
わかろうと思って、
よくよく英語の詩を読んでみたんです。

すると、あらあら。

1つの歌の中に
2つの物語(というか情景?)が
組み込まれているじゃありませんか。

ふーん、そうなんだ。

そんな文章のつくり方もあるんだな。
と、しきりに感心したのでした。

で、この『ジャコバン派の独裁 小説フランス革命14』。

情事の場面を描きつつ、
それと並記しながら、
革命の状況や社会のあり方を思い悩む
青年の気持ちが、列記されていくっていう
『スカボローフェア』ばりの
書き方をしてました。うん!面白い!




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2017年2月16日木曜日

『世界天才紀行』(エリック・ワイナー)読みました。


先日見た夢の中で、
これまでまったく知らなかった
道具のこと教わりました。

学校の授業らしき場面で、
ぼくは粘土細工を
つくらされているんです。

その粘土の表面に
模様をつけるんですが、
そのときに未知の道具を使う。

道具はプラスチックの
下敷きみたいなやつで、
表面にランダムな凹凸ができている。

それを粘土にぺたっと貼り付け、
ベリッとはがすと、模様がつく。

へー面白いなと思って先生に
「この道具は何て名前ですか?」と訊くと
「ルフートも知らないのかお前!」
と怒られちゃう。

知らないも何も、そんなもの、
初めて見たんだから。

で、現実に戻ってその夢を思い出し、
「ルフート」を検索したんです。

当たり前ですが、
そんな道具はどこにもない。

あの道具とその名前、
誰が考えたんだろう。

ぼくの頭の中に浮かんだぼくの夢だから、
考えたのもぼく?

で、この『世界天才紀行』。

天才の頭の中身は
どこから来るのって疑問が深まる本です。




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2017年2月13日月曜日

『森は考える』(エドゥアルド・コーン)読みました。


ぼくが自分でわかっている
悪いクセの一つに、
「途中でやめないこと」
があります。

「諦めないで頑張り続ける」と、
ほぼ同義です。

それって世間一般には
〈いい習慣〉といわれるようですが、
ぼくに限っていえば、やっぱ
しょうもない〈こだわり〉になる。

ちなみに、
「こだわり」って言葉も、
今はポジティブな意味
で多く使われますが、
ちょっと昔は、
くだらないことに
意地を張り通すような人を
指して使うもので、
どちらかというと
ネガティブなイメージだったとか。

いつから変わって
きちゃったんですかね。

ぼくのはもちろん、
昔のネガティブイメージです。
くだらないと途中でわかったとしても、
最初に「ここまで、やる」と思ったら、
やめりゃいいのに、やめない。

自分でも思うんです
「やめたほうが、絶対、得だ」って。
「やり続けるのは損!
 というか、むしろ害!」って。

もう5年ほど前になりますが、
昔の偉いお坊さんが書いた
『正法眼蔵』って
とっても長い本を読みました。
現代語訳ですけどね。

それね。
全体の9割が、
ぼくには理解不能だったんです。

ただ文字を目で追っているだけ。

頭の中では10のうち1しか
分解されない。

最初のページを
読んだときからそれなのに、
たしか5巻か6巻くらいあったのを、
最後まで〈目で追い〉続けちゃったんです。

そんなことしてるんだったら、
簡単そうな関連書籍から手をつけ、
少し知識をつけてから再挑戦するとか、
もっと効率的なやり方は
いくらでもあると思うんですよ。

でも、やめない。

我ながら「お前ダメ」って思うこと、
しばしばあります。

で、この『森は考える』。

分厚い本でした。
〈目で追い〉終えました。
いっても、
10のうち2は、
頭の中で分解していたようです。




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2017年2月10日金曜日

『サン・キュロットの暴走 小説フランス革命 13』(佐藤賢一)読みました。


今はすっかりやらなくなって
しまったんですが、

若かりし頃は
読んでいる本の中に
「これいい!」
思う文章が出てきたら、
専用のメモ帳に書き写し、
「人生の参考にしたい名言集」
みたいなノートをつくっていました。

あれ、どこに行っちゃったかな……。

で、ノートが行方不明になった今、
久々に「これは残しておきたい」
と思うものを見つけたので、
この場をメモ代わりに
引用しておこうと思います。

出典は、
京極夏彦さんの『虚実妖怪百物語 急』。
登場人物の一人、荒俣宏さんのセリフです。

〈正直言って、八兵衛が茶店で団子を
 喰うシーンは事件には関係ないですヨ。
 しかも印籠を出す前の立ち回りには
 八兵衛は不参加です。
 八兵衛、ストーリー上では要りません。
 でも八兵衛がいない水戸黄門は、
 実にぎすぎすしてますヨ。
 実際、役立たずで
 ドラマの進行に何の貢献もしない、
 色気だの喰い気だの眠気しかない
 駄目キャラこそが、
 この世界の潤滑油になっているんです!
 いいですか、これをして余裕というのです〉

で、この『サン・キュロットの暴走 小説フランス革命13』。

潤滑油、登場してました。
いや潤滑油というより主要キャラなんですが……。

いいなぁ、こういう人物を描けて。




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2017年2月8日水曜日

『共和政の樹立 小説フランス革命 12』(佐藤賢一)読みました。


読みやすい小説にするには
「視点を固定しなければいけない」
と誰かから聞き、

ぼくもそうだと、
色んな本を読んで実感しています。

「僕」とか「私」とかの一人称で
通して書かれているものなら、
ほかの人物の視点が
入り込む余地はないのですが、

「ジャイアンはそう思った」
「静香ちゃんが見入った」
なんて三人称でつづられるものは、
あっちこっちの情報が入り交じって、

とくに頭の回転がのろいぼくなどには、
ごちゃごちゃうぎゃーとなってしまう。

だから、
視点が変わるときには、
一行空きにしてもらったり、
小見出しで区切ったりしてもらわないと、
理解が追いつかなくなってしまいます。

感情移入するターゲットが
絞れなくなっちゃう。

とはいえ、
それがなかなか徹底できないことも、
自分でやってみるとよくわかります。

例えば、
世の中の大きな流れなんかには
まったく関係ない一個人の視点
(とりあえず、のび太としましょうか)
で書き進めているとき、

どうしても時代背景とか
社会情勢なんかを説明しなきゃならない
場面になったら、
どうすりゃいいのって。

のび太視点の
のび太が見る社会情勢なんて、
語らなきゃいけないことのうちの
爪のアカ程度しかないだろうし。

で、この『共和政の樹立 小説フランス革命12』。

視点、ぶれてないです。読みやすいです。
面白いです。

のび太視点の社会情勢の入れ方も、
「なるほど、そうすりゃいいんだ!」
と気づかされました。







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2017年2月6日月曜日

『華麗なる微狂いの世界』(平山夢明)読みました。


ぼくの好きな作家の京極夏彦さんは、
ゲゲゲの水木しげるさんから
とても影響を受けているそうで、

あちこちで
その愛すべき人柄や作品について
コメントしています。

ところが、
先だって見かけた何かの記事に、
(もしかしたらインタビュー集の
 ような書籍だったかもしれません)

京極さんは、水木さんだけでなく
赤塚不二夫さんも大好きで、
赤塚作品に関しても
かなり造詣が深いと書かれていたんです。

で、その記事の中に、
『天才バカボン』について
触れている箇所がありました。

主要キャラの
「バカボンのパパ」に関してです。

バカボンのパパは
桁外れに面白いキャラクターだけれど、
彼は決して
現実社会の人物ではありえない。
あの作品の世界があって初めて成立する
……と最近まで思っていた。

ところが、漫画の中ではなく、
実際の世の中に、
バカボンのパパと同じ人がいた。
それが平山夢明さんだと。

その平山さんこそ
『華麗なる微狂いの世界』の著者さんです。

なるほどね、さすが京極さん、
うまいこと言うなぁと、
読み進めるほどに感心しちゃいました。




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2017年2月3日金曜日

『砂漠』(伊坂幸太郎)読みました。


ぼくは記憶力が
普通の人よりも劣っているようで、
一冊の本を読んでいる途中でも、
それまで展開されてきた物語の内容や
細かい設定とかを忘れちゃう、
なんてことは珍しくありません。

1章で登場した人物が
2章でちょこっとしか出てこないで、
3章で結構重要な役回りで顔を出されたら、

「あれ、この小倉って誰だっけ?
 何してた人?」となる。

そんなときには仕方がないので
1章で登場していた部分を
パラパラと探し出して読み返す。

そんなことを何度となくやって、
ようやく一冊に目を通し終えます。

でも、それ、
非効率ではあるんですが、
悪い面ばかりとはいえないんです。

なぜかっていうと、
読み返したときに、
一度目では気づかなかった
伏線的なものを見つけたりできるからです。

今いった流れを
そのまま使ってたとえると、
3章で何の予想もしていなかったのに
ヒロシがキョウコに告白して
恋人同士になったとします。

そのあとで、小倉が出てくる。
そこで「誰だっけ?」で、1章に戻る。

すると、
ほとんど話の流れとは関係ない部分で、
ヒロシがキョウコに
思いを寄せたときのきっかけが、
さりげなく挟み込まれていたりする。

それを発見できちゃうんです。

「おーそうか!
 そうだったのか! ここか!」

で、この『砂漠』。

「おーそうか! ここか!」
とうなったのは1度や2度じゃありません。

今年に入ってから
まだ何日もたってないけれど、
今んとこ今年のベスト10に入れました。
まだ10冊読んでないけど。
いや、読んだかな。




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2017年2月1日水曜日

『書楼弔堂 炎昼』(京極夏彦)読みました。


若い頃は
「人間とは何か」
「人生はどう生きるべきか」
なんて議論を、
かんかんがくがくやり合って
いたもんです。

でも、そんな話題はどこ吹く風で、
いつもひょう然として、
ぼくたちのツバ飛ばし舌戦を
ニヤニヤしながら
眺めているヤツがいました。

とりあえず兵藤って名前にしときます。
そのさまにたまりかねた誰かが
「兵藤はどう考えてるんだ!」
とふっかけると
「人間はね、ホースと同じ。
 上から入れて下から出す。
 クダなんだから、それでいいじゃん」

仙人みたいだなと
ぼくは密かに尊敬してました。

ある日、
その兵藤に加え仲間数人で
カラオケに行ったんです。

みんな自分勝手に得意の歌を入れ、
他のヤツのことなどお構いなしに
マイクを回し合っていました。

もうそろそろ、
受付から時間を知らせる電話が
かかってくる頃かなと思ったとき、
兵藤の様子が変なのに気づいたんです。

じーっと固まって
動かないロウ人形みたい。

どうかしたのかと聞くと
「歌入れたんだけど」と言って、
またロウ人形。

そこに案の定、
タイムアップの電話がかかってきて
カラオケはお開きになりました。

あとで詳しく聞くと、
そのとき兵藤は一曲も歌ってなくて
(たぶん機械の操作ミス)
自分の番が来るのを
とんでもなく緊張して
待っていたのだそうです。

仙人も緊張する……んです。

で、この『書楼弔堂 炎昼』。

いやホント面白かったです。
面白すぎて何っていえばいいかわからず、
関係無い兵藤くんの話を書いちゃいました。




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