2018年5月15日火曜日

『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー)読みました。


実は親子だったのだ!
とか、
ラストのラストになって
衝撃の事実が判明するような
物語ありますよね。

そんな物語をつくる側は、
最後に見せるべき衝撃の事実を、
ストーリーの中に隠して隠して、
それでも
(ばれないように)チラつかせながら、
ときには
(矛盾しないように)誤解させながら、
話を組み立てていくんだと思います。

ところが、
組み立ての手口がいかにもあざとくて、
最後の衝撃を受けるビックリ度よりも、
「そんな設定なんだったら、
 じらさないで早よー言ってよ」
って思っちゃうガックシ度のほうが
高い作品もある。
そういのって、
途中のじらし方が
スマートじゃないからだと思うんです。

で、この『吸血鬼ドラキュラ』

うーん、スマート。
普通の小説は、セリフ以外の地の文は
「作者が説明している」
という暗黙の了解があるけど、

「ここにある文章は、全部引用です」
ってことにすれば、
その暗黙の存在を考えさせないで済む。

ってことは
「誰かが組み立てたんだろう」
なんて邪推をしないで済む。
うまいですね。

全ページ、
ハラハラドキドキしながら読めました。





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