2018年10月18日木曜日

『活版印刷三日月堂 雲の日記帳』(ほしおさなえ)読みました。


不治の病にかかったうら若き乙女との
病床でのお別れの場面だとか、

愛し合う恋人同士が対立する親に
引き離されてしまうシーンだとか、

友を助けるために満身創痍になりながらも
約束の地に走って向かうメロス君だとか、

そういうお話だったら、
泣いてもいいと思います。

物語の作者は、
読者を泣かせようと考えて
ストーリーを組み立てているんだろうから。

だけど、
へそ曲がりのぼくは、
そういう予定調和のように組まれている
泣かせどころには、どうも反応が鈍いようです。

お話をつくった人の思い通りに、
泣いたり笑ったりしていけば、
小説なり映画なりは、もっと楽しめるだろうに、
やっぱりおへその曲がり方が普通じゃなくて、
変形カーブを通るときに、
曲がりきれずに泣きの感情が
どこかに飛んでいってしまうのでしょう。

なんですが。
たぶん作者もほかの読者も視聴者も、
「え?なんでソコ」ってときに、
ぼくの涙腺はゆるみます。

字数が多くなちゃったので、
ひとつだけ、今思いついた例を挙げると、

子どもたちが1日中くたくたになるまで
鬼ごっことかで遊び回り、
日が暮れかけてそれぞれの家に帰るとき
「またねー」と言う。
そのセリフに泣いたりします。

で、この『活版印刷三日月堂 雲の日記帳』。

こことか、あそことか、
あちこちの場面で泣いちゃいました。
たぶんみんなが泣かないとこ。





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