2019年11月8日金曜日

『ねじまき少女(上)』(パオロ・バチガルビ)読みました。


書いたモノを準備していたのに、
そのことをすっかり忘れ、
上巻の前に、下巻の分を
アップしちゃいました。
順番違いですが、ごめんなさい。
ってことで、以下(↓)上巻の分。

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ちょっと前に読んだ木皿泉さんの
『ぱくりぱくられし』の中に、
SFについての分析が書かれていました。

これまでジュール・ヴェルヌ以来、
いや聖書や日本書紀以来、
もっといえば、
伝承される昔話や民話が
つくられるようになって以来、

SFのジャンルにくくられるお話は、
そのほとんどが、
力を持ちすぎた人間を嘆く筋立てに
なっているっていうんです。

(記憶で書いているので、
 木皿さんの意見そそままじゃないかもです。
 すみません。
 ちゃんと確認すればいいんですよね。
 でも、その本、家に置いてきちゃったので、
 手元にないんです。なので、ご勘弁)

力を持ちすぎたっていうのは
比喩的な言い方で、
具体的には技術が進歩して
何でもかんでも便利になっちゃうってこと。

ドラえもんのいる
あらゆる道具が揃っている
未来みたいなトコです。

〈どこでもドア〉があったら、
瞬間移動ができて便利だけど、
苦労してたどり着く喜びが
なくなっちゃうとか。

〈タイムマシーン〉で過去を変えたら、
時空に歪みができちゃうとか。

やっぱり、不便なままがいいのかも。
そんなに力を持たずに暮らす方が幸せかも。
っていうお話が、
SF分野の大半を占めているらしいです。

で、この『ねじまき少女(上)』。

SFです。
舞台はやはり、便利を追求した先の未来でした。





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