2025年12月25日木曜日

『万感のおもい』(万城目学)読みました。


梶井基次郎さんの『檸檬』は確か高校の
現国の教科書で読まされた気がするけど、違うかな。
いずれにせよ、若かりし頃のどっかの時点で
触れてる作品ではあるのです。

んで、
ごくたまに東京駅近くの本屋さん・丸善に行くときは、
あの短編小説に出てきたシーンを思い出し、
そうそうここにレモン置いたんだなどと
一人ニヤニヤしていたんです。

でも、梶井さんがレモンを置いたのは
東京の丸善じゃありません。
あの作品の舞台は京都なのであるな、これが。

たぶん若かりしあの頃の最初に読んだその当日くらいは、
自分の住んでる東京とは違う所の話と
認識したのかもしれませんが、

その次の日からは、あの話は東京で、
ストーリーは
「御茶ノ水駅の近くのくだもの屋で
 黄色のやつを1個だけ買って、
 そこから延々と東京駅の近くまで歩いて、
 本屋にイエロー果物爆弾を設置した」
に脳内改変されたんだと思います。

それ、さだまさしさんの『檸檬』を
あの頃毎日のように聴いていたせいなんですわ。
そしてこの本読むまで改変状態が継続していたんです。

で、この『万感のおもい』。

エッセイ集。梶井レモンの話が出てきて、
それ読んで「あっ京都なのか」とびっくり。
長年のすり替え記憶が矯正されました。

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2025年12月23日火曜日

『カザアナ』(森絵都)読みました。


前回の『デスチェアの殺人(下)』で、
自分でつけてる5つ星評価について書きました。
ちょい、その続き。

これまで上下巻に別れている本では、
上巻で「うわーこれスゴっ!」となる作品の場合、
いそいそと5つ星評価をつけたあと、
そのまま期待が膨らんで、即座に下巻に突入していました。

すると、
ワクワクとかドロドロとかワハハハとかの、
膨らんだ胸中濃度をより深めてくれるフィーバーを、
無意識のうちに求めてしまうようです。

ほんでもって実際、後半戦のページをめくり始めると、
濃くなっていくだろうという予想が大き過ぎるのでしょう、
内容がそれに追いつけなくなり、
濃度は薄まり、膨らみ具合もへこんできて、
「上巻の楽しさほどじゃなかったな」と星は1つ減ってまう。

そんなパターンがほとんどでした。

but、バット、くだんの作品では、
上巻はテンションがやや落ちな気がして4つ星にし、
それを引きづりながらも下巻を読み終えると、
いやはや評価は大逆転してました。
これまでなかったタイプの読書体験でありました。

で、この『カザアナ』。

上下巻ではありませんが、
通常パターンの上下巻のように前半5、後半4になり、
総合では後半評価が適用されました。ぼく的に。

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2025年12月18日木曜日

『デスチェアの殺人(下)』(M・W・クレイヴン)読みました。


読了日は11月3日。
すぐにやればいいものを例のごとく放っておいてしまい、
これを書いているのは11月20日。

2025年もあと1カ月ちょいになったその時点の
365日マイナス約40日間で読み終えた本は77冊でした。

ほんでもってそのうち星5つの
自分好み満点評価をつけた作品は
全体の18%に当たる14個。

ちなみに4つ星は61%の47作品、
3つ星=14、2つ星=2となっています。

「うわあ、読まなきゃよかった」
と思わず口に出してしまうイメージの1つ星はゼロです。
というか、これまで十年以上リストにつけてるけど、
記憶にある限り星1つにしたものはありません。

で、この『デスチェアの殺人(下)』。

14個目の5つ星。
なにしろ14のうち8個がクレイヴン作品なんですわ。
2025年に入って初めて読んだ作家さん。
これまで9冊こなし、5つ星じゃなかったのは1つだけ。
見つけられてよかった。

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2025年12月16日火曜日

『デスチェアの殺人(上)』(M・W・クレイヴン)読みました。


もしかしたら読んだかもしれないけど、
読んだとしても単行本のはずで、だってこの文庫は
1カ月前に発売になったばかりなんだから
現時点に至るまでの30日の間に、この新刊文庫を買って、
自宅の本棚に並ぶ積ん読ストックを差し置き、
先に読了しちゃうなんてことありえないのだから、
既読ならば数年前に発刊された単行本で間違いなし。

であるならば、
再読するほどではないんじゃない的な脳内懐疑派の意見も、
ちょっぴり懐柔できる。

だって文庫なら単行本には載ってないあとがきや解説とかあるし、
もしかしたら加筆訂正したついでに、
新しい話を追加しくれているかもしれないんだから、
つまりは初めて読む部分も含まれるってことだわね。

みたいなうちなる葛藤の末に、まあいいかと購入し、
会社のお昼の時間にうりうりとページをめくっているのが
文庫版の『万感のおもい』(万城目学)です。
やっぱ、読んでました。

読んでたけど、
覚えてる話と忘れているのがまだらにあって、なんか不思議。
エッセイ集のなので1つ1つの文章が短いからってのも、
覚えてる/忘れてる のまだらを形成するのに影響があるのかな。

んで、まあその随筆の中に、こんな話が出てました。
長い小説を書いているとき、その日の執筆を始めるには、
前の日にどこまで話を進めていたのか思い出さなきゃいけなくて、
それがなかなか覚えてない、とほほみたいな。

で、この『デスチェアの殺人(上)』。

いつものように紹介する本に関係ないうえに、
まとまりのない支離滅裂な文章でごめんなさい。
読んでから時間がたっているので内容はきちんと覚えてないけど、
「面白いことは覚えてる」ってオチにつなげようと思ったのですが、
どうにも企画倒れでした。

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2025年12月11日木曜日

『イン・ザ・プール』(奥田英朗)読みました。


少し前、ヒザの近くにある
足三里ってツボのことを話題にしました。
自分なりにその場所を推測して、
それが間違えていたりといろいろあった話です。

でも、場所が違っていたとはいえ、病は気からなのか、
お風呂につかりながら毎日そこを指圧するようになってから、
不思議とあちこちに発生していた脚の痛みがなくなってる。

それまでは、
ランニング通勤を日課にしてる限り負荷がかかるんだから、
苦痛が出るのは当たり前だと思ってました。
痛みのない日もあるんだけど、月のうち半分はヒザだったり、
ふくらはぎだったり、アキレス腱だったり、足裏だったり、
どっかしらが悲鳴をあげてました。

で、ここで言おうと思ったのは、ツボが効くってことではなく
(それはたぶん、さっきいった病は気から的なものだろうから)
痛みが出たときの対処法。

ずばり「痛くなったら走れば治る」です。
そんな経験則が十年以上続けるうちに
出来上がってきちゃったんです。

痛すぎて今日は無理と思っても、
なんとかゴールすると痛みは忘れてる。
ホントなんです。

で、この『イン・ザ・プール』。

そんな感じの治療をするお医者さんが登場します。おもろい。

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2025年12月9日火曜日

『栞と嘘の季節』(米澤穂信)読みました。


前の『マーブル館〜(下)』では
結局関係ない話として締めてしまいました。

車の話をずるずる引きずって収集つかない気がしたからで、
でも、あれを書く前に頭の中で描いていた文章の流れは、

昔の自動車の不具合に始まって、
→ 関連してテレビなんかも叩けば直ったもんだ
→ 今の機械はもっと複雑で繊細になっちゃったから、
  そんなド根性方式では故障には太刀打ちできない
→ さらに不具合の様相も進化
→ 例えばパソコン。ちょっと前までは、
  アプリケーションの挙動がおかしいときには、
  再起動したり、インストールしなおしたりと、
  あくまで目の前にあるマシンの操作で
  何らかの対処をして復旧させるのが基本だった
→ まあそれは変わってないのかもしれないけど、
  よりグローバルチックになっちゃって、
  この前はソフトのメーカー側のシステム障害だかなんかで
  なぜか、この目の前のパソコンにあるソフトが動かなくなった
→ それはまあ1日くらいで平常に戻ったけど、
  その1日の間も仕事しなきゃだから、緊急対処法として、
  一旦ネットの接続を切ってから起動するよういわれ、なんとかなった
→ ああ、世の技術ってのは変わってくんだな
→ 昔が懐かしいな。

という流れで展開して、締めは、作品のタイトルを書いたあとに、
この本はどっちかっていうと新しい志向というよりも
昔のミステリの良さ的なものを追っているような気がした、
ってまとめたかったんです。

で、この『栞と嘘の季節』。

そう、この作品もそんな感じがしました。

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2025年12月4日木曜日

『マーブル館殺人事件(下)』(アンソニー・ホロヴィッツ)読みました。


昔はよく車のエンジンがかからなくなったもんです。
そんなときは、少し力のありそうな人に手伝ってもらう。

ぼくは運転席に座り、ギアをローに入れたまま
一番左側のペダルを踏み込んだ状態で
「じゃあお願いします」とか言って合図する。

すると、助っ人さんは
後ろからえっさほっさ車体を押す。

はじめはゆるゆるだけど、
しばらくすると勢いがついてきて
子どもの三輪車くらいのスピードにはなる。

そのタイミングで、
左足をポンとあげてクラッチをつなぐと、
ゴボゴボっプスプスっと希望の音色があがり、
その瞬間に今度はアクセルをペコペコやってやると、
ブルンブルンブルンってあの内燃機関が回り出す。

でも今はほどんどがオートマになっちゃって、
そんなのはできないんだよね。
そもそも、エンジンかからないこと、そんなにないし。

で、この『マーブル館殺人事件(下)』。

すみません、また関係ない話でした。
どうにか話はつながると思ったんですが、
つながりませんでした。
でも本は面白かったです。

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2025年12月2日火曜日

『俺の文章修行』(町田康)読みました。


「貯めました」じゃないな。
「為ました」これも違う。
じゃあ「溜めました」。
うーん近い気もするけど、
やっぱ「タメました」くらいにしとくと、
なんだかダメっぽい感じがするから、それにしましょう。

ということで、1冊を読み終えたごとに、
この感想文もどきを書いていればいいものを、
作品の最後のページを閉じても、
読了リストにタイトルとか著者名とかのスペックだけ記して、
ほっぽらかしにしていると、
貯まるんですわ、あっ違う、タマるんですわ。
もどき文作成の未処理分が。

これを書いている時点でもう6冊、
1文字も進めていないのが残っています。

これから手をつけようと思うんですが、
もうすぐ、やらなきゃ生活にかかわるあれやこれやが、
8月31日まで開いてもいなかった夏休み算数ドリルのごとく
押し寄せてくるのはわかっているので、
当然そいつらの襲撃を受けると、
もどき処理にかける時間はなくなるわけで。
と、文体を似せようと意識しながら
ここまでペコペコ入力したけど。

で、この『俺の文章修行』。

文章の書き方が示されてる本なので、
ならって試したんですが、読み返しても、
ちっともその内容を習得したようには思えません。

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2025年11月25日火曜日

『マーブル館殺人事件(上)』(アンソニー・ホロヴィッツ)読みました。


ということで、
ミステリ物を読んでいるときの心のうちについて。

もうすぐ読み終わりそうな作品の中に
町田康さんの文章作法に関するものがあって、
そこに「極端にいえばミステリは2行で終わる」
みたいなことが書いてありました。

1行目は「ある日、色男が殺された」。
2行目は「犯人は妻だった」。
って感じです(正確な引用ではありません)。

まあ、そういえないこともないんですけれど、
その行と行の間にあるあれこれを追っていくうち、
犯人は誰だろうって考えていくのが
楽しいというか、面倒臭いというか。
だから読んでるんだっていうか。

でね。
それでもし、半分くらいまでページをめくって、
真犯人がわかったとしたら、
それは面白い作品といえるのでしょうか。

で、この『マーブル館殺人事件(上)』。

実はもう下巻の終盤まで読み終わってて、
1つの事件の犯人は判明したんですが、
絶対の自信があったぼくの推理はまったくのハズレ。
かすりもしませんでした。
なので、面白いです。

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2025年11月6日木曜日

『悪いうさぎ』(若竹七海)読みました。


つい昨日から読み始めた翻訳物ミステリは
上下巻ある長編で、まだ1冊目の100ページほど
こなしただけなのに、登場人物がすでに
10人以上になっているんです。

『マーブル館殺人事件』(アンソニー・ホロヴィッツ)。

同じシリーズの前2作が好みにぴったんこはまったので、
今回も楽しませてくれるだろうと
期待してかぶりついた推理物。

ストーリーは独立しているんだけど、
主人公の境遇なんかは前作からつながっていて、
当然、物覚えの悪いぼくは、そんな背景も忘れているから、
新たに出てくるキャストに加えて、
古株の役者たちも「これって誰だったけ」と
思い出しながら先に進まなきゃいけない。

なのだけれども、筋を追い出したらなんのことはない、
運動して汗だくになり喉カラカラ状態でのビールのように、
ずんずんごくごく、頭の中に入っていくんです。

今は、そのスムーズペースに身を委ねているから、
余計なことは考えず、物語の中に没入しようと思ってるけど、
読み終えてしばらくしたら、
なぜそんなに読みやすいのか、検証したいな。

で、この『悪いうさぎ』。

面白かったけど、途中で誰が誰か、こんがらかりました。

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2025年11月4日火曜日

『赤ちゃんは世界をどう学んでいくのか』(奥村優子)読みました。


チャットGPTが出始めの頃、
一度試してみるかと、
仕事のネタ探しに使ってみました。

でも、
いくら質問を変えてもぴったりの面白話は出現せず、
それでも手を加えれば何とかなると思い、
その中の一番ましなヤツをこねくり回そうと、
その引用元を探し確認してみると、
事実と正反対などあちこちに間違いが見つかり、

動物が一度危険な目にあった場所には2度と近づかないように、
当分の間、生成AI界隈には寄らないようにしていました。

「いやいや、今はもうぜんぜんレベルが違うから。
 使えるから。楽になるから」
と友だちが熱烈に推奨するのを聞いたのは、つい先週。
そのとき思ったのが、
「そうだ、この感想文もどきを生成くんに
 つくってもらったらどうだろう」でした。

で、この『赤ちゃんは世界をどう学んでいくのか』。

そう思ったのに、全部自分で作文しちゃいました。
赤ちゃんを見習って世界を学ばなきゃダメだな。

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2025年10月30日木曜日

『本所おけら長屋(二十)』(畠山健二)読みました。


「何してんだよ、早いとこ、ちこっとでも
 黒いの載せてくれないと寒くて仕方ねーだろ」

と文字が並んでいくのを待ち構えているような
真っ白なパソコンの作業ウィンドウをにらみながら、
うんうんうなっていると、

「この前、守株って言葉を辞書で調べたの
 忘れちゃいねえだろ。習慣にとらわれて、
 何もできなくなっちまうのはバカだって
 言ってたじゃねえか。関係あるようなないような
 微妙なネタをひねり出すなんてえ、まどろっこしいこと
 してねえで、どこがつまらなかったとか、オモロかったとか、
 ズバッとそのまま感じた気分を書きゃ済むんじゃねえのかい」

って声が聞こえてきたような気がして、
でもそれは聞こえたんじゃなくて、
キーボードで言葉を入力し始めてから、
勝手に指が動き出して、
きっと正確にはそんな話し方はしないんだろうけど、
ここにある脳みその中ではそれが江戸っ子弁だと
信じられているような口調で
次々にセリフが表示されていったわけで。
なので今回はこれでいいことにします。

で、この『本所おけら長屋(二十)』。

影響を受けた江戸っ子弁がときどき漏れ出るようです。

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2025年10月28日火曜日

『悪人すぎて憎めない』(クイーム・マクドネル)読みました。


ということで「バランス」の話。

仕事でよく、電気についての原稿をつくります。
いろんなものを動かしてくれ、
今もこのパソコン画面を見せてくれていてる電気は、
つくるのと、使うのと、が同じ量になってないと
ダメらしいんです。

発電所から出てる送電線のその先につながってるのが
もしこのパソコン1台(使う電気は1)だけだったとして
それなのに原子力とかで100の電気を
流しちゃったらって感じかな。

1と100は極端だけど、
その違いがもっとわずかでも、目に見えない電気は、
つくる量 ≠ 使う量だとヘンテコな酩酊状態になり、
つながってる一帯が停電しちゃうんだとか。

だから、発電所の人たちは、
どんだけの人がエアコン使って掃除機かけて
ドライヤーで髪乾かして機械動かしてみたいのを
逐一予想して、瞬間瞬間で電気つくる量を調整し、
使う分とのバランスをとっている模様です。

で、この『悪人すぎて憎めない』。

面白い比喩をごってり盛って
ちょっとお腹いっぱいな表現が多いなと感じていたら、
後半からそうではなくなって
バランス的にはちょうどよくなっていきました。

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2025年10月23日木曜日

『ボタニストの殺人(下)』(M・W・クレイヴン)読みました。


ということで、
今も正確には理解していない「コク」の話。

「おいしい」はわかります。
まずくないもの。
もう十分老齢なのにいつまでもお子様の味覚なので、
ハンバーグ、スパゲティ、オムライスなどが
「おいしい」です。それはわかります。

でも「コク」ってのがわからない。
辞書には「濃厚なうまみ」って載っていたけど、
それは「すごくおいしい」と一緒じゃないのか。
一緒じゃないんだそうです。

前に友だちにそんな質問をしたとき、
2種類の日本酒を飲まされ、
1つはおいしいけれどコクがない、
もう1つは味は落ちるけどコクがあるだろ、
と教えられたんですが、
具体例出されてもわかりませんでした。

で、この『ボタニストの殺人(下)』。

どっかの書評で、スピード感のある展開で
めっぽう面白いんだけど、その分コクがないと言ってました。
そう言われると、なんとなくわかるような気がして不思議。
ほんでもって、めっぽう面白いのも本当。

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2025年10月21日火曜日

『ボタニストの殺人(上)』(M・W・クレイヴン)読みました。


これを書いているのは2025年9月22日で、
きのう21日の読了からさほど時間はたっていないので、
脳みその興奮はまだ冷めておらず、
出来上がりほかほかな状態ではあるんですが、

そういうときこそ、その興奮がこの本のどんなところから
どんなふうに生まれたのかといった解説などはせずに、
いつも通り脇道にそれるのが、
へそ曲がりな人間の王道なんじゃないかと、いうことで、

いや、ちょっと待って。
そもそもへそ曲がりっていうのは
王道を行かない人のこというのであって、
何行か前に出てきた「脇道」の通行が当たり前だから、
脇道こそ王道だろう、なんていっちゃうと語義矛盾はなはだしく、
だんだん何を言っているのかわらぬエントロピーになってるうちに、

これだけ文字を埋めてしまったのだから、
そのまま突っ走ればいいじゃんか。
と、左肩に乗っているミニデビル君はささやくのだけれど、
今まで意識から離れ、
勝手にキーボード上を踊っていた気がする我が10本指は、
(右と左の人差し指だけを使う高速2本打法は少し前に卒業し、
 今はなんとか全員参加型に移行できています)
年齢とともに有効活動時間が短くなっているマイジョニーのように、
へなへなしてきたようなので、このへんにしときます。

で、この『ボタニストの殺人(上)』。

まだ下巻もあるんですが、おもろくて、興奮しちゃって、
意味不明な感想文もどきになってしまいました。
すいみません。睡眠じゃありません。

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2025年10月16日木曜日

『本所おけら長屋(十九)』(畠山健二)読みました。


1日に3回ある読書時間のうちの1つ
お弁当を食べながらページをめくる昼休みには、
本を閉じた後にももう一つのお楽しみがあります。

シエスタ。そんな洒落ていうことないな昼寝です。

夜の寝床での読書と同じように、
この明るい時間でも、文字を長く追い続けていると、
まぶたが重くなってきちゃうんです。

そのまま気力で
無理やり目を開けておくことも可能だけれど、
でもそれだと、
午後の仕事がはかどらないってのは、十分経験済み。

なので、いつも15分だけ机の下に潜り込んで、
夢の世界に逃げ込むようにしています。

目を閉じる前には、
キッチンタイマーのスタートボタンを押し、
気がついたら夜になってたなんて事態にならないよう、
ピロピロ鳴る目覚ましを用意しときます。

それでも、もうちょい長く眠りたいなんてときもあり、
それほど変わりはないんだけれど、
眠り始める前に、目を閉じて100秒数えてから
タイマーを作動させるっていうちょっいズルをやったりします。
…あ、この話題こんな長く書くつもりじゃなかったのに。

で、この『本所おけら長屋(十九)』。

いつも通り、面白かったです。
いつも通り、本の内容とはまったく関係ない話ですみません。

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2025年10月9日木曜日

『了巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


紹介する書籍の内容とは関係がないような、
でもたまにはあるような、感想文ではないような、
でも本を読んだからというとっかかりがあって
書くのだから「面白かったです」や
「好みとは違ってました」程度の感想もどきを
付けるようには気をつけているいつもの体裁。

それを今回ばかりは違った形にしようと思い、
文章の始まりから、上に書いた作品の内容に触れて、
なんやかんやとつづっていこうと心に決めて
キーボードを打ち出したはずなのに、
もうずいぶんと初心から離れてるどうでもいい
言い訳的ぐだぐだで文字を埋めてしまい、

どうするよ、
このままだといつものパターンになっちゃうぜと、
今、目の前で「A」とか「H」とか
「スペース」とか「英数」とか「改行」とかの
ボタンが並んでいる薄っぺらの板の上で
動いている5本指に言い聞かせているんだけど、

すでにもうこんなに書いちゃったから、
今さら、普通の読書レビューに近づけようと
軌道修正しても、やはり変わらないじゃないかと、
思い至りました。
なので、毎度の「で、この『作品名』。」のあとを
少しだけ長して、ごまかそうかと。

で、この『了巷説百物語』。

エクセルの読了シートをたぐったみたら、
最初に読み終えたのは去年の9月でした。
これを書いているのは、そのちょうど1年後。
その間にシリーズ前6作を再読し、ここにたどりつきました。
この最終巻、前6作品の記憶が新しいうちにこなしてみると、
ずごさ倍増、いや5倍増くらいに感じられます。やってみて。

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2025年10月7日火曜日

『本所おけら長屋(十八)』(畠山健二)読みました。


自分で原稿をつくるのはいつもの仕事なんですが、
そのほかにも、ライターさんの書いた文章や
提供されたテキストをチェックするのも
日常的にやってます。

前に、仲間に頼んだ分があがってきて、
それに目を通したあと
「ちょっとあせって仕上げた感じだね」
と感想を言ったことがありました。

すると彼は
「えっ、やっぱ、ばれちゃったか」
と頭をかきました。

読みやすくそれなにりまとまりのある内容になっていても、
どこがどうってわけじゃないんですが、
自分でもはっきりとは示せない文字の並びの端々に、
もやもやした違和感みたいのが、
ぼんやりとまとわりついているように感じちゃったんです。

それをピンポイントで「ここだ」と
指摘できるようになりたいけれど、
なかなかなれません。

で、この『本所おけら長屋(十八)』。

読みやすくそれなりにまとまり、面白いけど、
今回は、読んでる途中もやもやした何かが
ちょぴり滲み出てたような気がします。

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2025年10月2日木曜日

『君のクイズ』(小川哲)読みました


どんでん返しされるのは、
びっくりさせてくれるから面白いんですが、
ときには諸手を挙げて歓迎するのにはちょっと
抵抗があるのもたまに目にします(主に後述の②)。

それとは逆にまったく抵抗なしの
両手あげっぱなしでスタンディングオベーション
できるものもある(主に後述の①)。
その拍手パチパチ物語の代表例は、
(あくまでぼくの貧弱な記憶内の作品中ですが)
昔の映画の『スティング』でしょうか。

どんでんというからには、
表と裏があって、それがひっくり返る状況。

表ってのは、よきこと。
満面の笑顔で暮らせていたり、楽しい仲間がたくさんいたり、
花畑をるんるんでスキップしていたり。
裏はその反対で、よくないこと。
死んじゃったり、大切なものを奪われちゃったり、
苦しい状況にはまり込んだり。

この表裏を使うどんでんには2つのパターンが考えらます。
①(裏→表)
物語の中で、いろんなことがあったけど、結局死んじゃいました。
どんでん。生きてました。
②(表→裏)
物語の中で、いろんなことがあったけど、結局幸せに暮らせました。
どんでん。幸せは勘違いで、すぐ死んじゃいました。

で、この『君のクイズ』。

面白かったけど、最後だけ少し抵抗ありました。

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2025年9月30日火曜日

『遠巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


前にも言いましたが、うちの本棚には、
購入してまだ読んでいない書籍を並べておく
積ん読空間があります。
てか、そのスペースを無理やり捻り出しています。

それとは別に、余裕ができたら再読するぞ作品を置く、
も一度コーナーも設けています。

ただそこにはなかなか手がつけられず、
もう何年もライナップが変わっていません。
(どの作品だったかもよく覚えておらず、
 本棚が目の前にない今、薄い記憶をたどって
 浮かんできたのは伊坂幸太郎さんの『ガソリン生活』)
そうはいっても、も一度コーナーをすっ飛ばして、
違う棚から持ってきて再読してるのもあるんですが。

常盤新平さんは『剣客商売』(池波正太郎)の巻末解説に、
この作品を何度も読み返すって書いていました。
でも、内容はあまり覚えてなくと。

ぼくも同じで、再読する本は、
たいてい初読から何年も間があいているので、
あまり覚えてないどころか、
まるで初めて開いた本のように、
頭の中はまっさらさらなのが普通です。

で、この『遠巷説百物語』。

シリーズ再読している小説の6巻目。
直前の5巻まではまさしく
記憶まっさら状態だったんですが、
なんとこれに関しては、話の筋が脳の隅っこに
かすみとかもやレベルで引っかかってました。
5巻以前は15年以上前、
この6巻は3、4年前の読了ってのが原因のようです。

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2025年9月25日木曜日

『グレイラットの殺人』(M・W・クレイヴン)読みました。


もうずいぶん前から、
平日は1日1ツイートという自分縛りを課して
140文字ぴったりのつぶやき文を
ネットに投稿しています。
文章修行しているつもりで、
多少は面白く読めるよう工夫したりする。

それやってて気づいたことがあるんです。
例えば次の140字。
《文章の行の先頭には、句読点とか終わりカッコとかが
こないようにするのが作文するときのルールなので、
無意識のうちにそうならないよう書いているけれども、
もし、マル(。)くん、テン(、)ちゃん、
とじカッコ氏(」)らが意思を持ち、自分たちも
行の先頭に置いてほしいと訴え出したらどうしませう。》

これ最初は、ウィンドウ表示に合わせて
1行の文字数が自動的に増減する画面だと、
句読点が先頭にきても仕方ないよね、でも変だよね的な
文章の流れにしようと考えていたんです。

ところが途中で「ちょい待て。それで面白いか?」と
立ち止まったら、それまで脳内のどこにもなかった
マルくんやテンちゃんって名前が浮かんできて、
それ使ったらこんなヘンテコな文章になったんです。
ぼく的にはこっちのほうが面白くて。
立ち止まりの大切さに気づいたような。

で、この『グレイラビットの殺人』。

たくさん立ち止まって
面白くしてくれてるんだろうなと勝手に感心。

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2025年9月19日金曜日

『依頼人は死んだ』(若竹七海)読みました。


前回の感想文もどきで
同じ本をダブりで買ってしまう話を書いたとき、
例をあげて、
「ダブってもいいやと入手したら、
 案の定って感じでしょうか」
とまとめました。

それと一緒に自分のケースも紹介して、
きちんと失敗したとは明記せず、
落ち込んだとか、まあいいか、
とかで結びました。
もう1つあげたケースでも、
「2つ目がこれでした」と書いただけ。

これでいいのかなって今更ながら思ったんです。
最初の例なら、「案の定」の後に、
その人の本棚には同じ書籍が並べてありました、とか、
自分の例だったら
『続々・深泥丘奇譚』が2冊になっちゃいました、とか、
結論まではっきり記さないと、
読んでいる人に対して不親切じゃないだろうか。
というか、伝えようとした内容がわかってもらえず、
意味不明の文章になっているんじゃないだろうか、
と考えたんです。

したらそこで唐突に、
昔友だちが言っていた(たぶん、言っていたと思う)、
「全部を表現しないのが芸術だ」
という意見を思い出しました。

映画なら観客に、小説なら読者に、
想像してもらう余地を残しておく。
もっというと自分の意見を押し付けた表現じゃなく、
「ここまでこういう話をしたけど、
 それについてどう思うか考えてみて」
みたいなのが本物の芸術作品なんだよって思想です。

で、この『依頼人は死んだ』。

短編集。
よく考えないと「えっ、だからどうなったの?」
になるお話がいくつかありました。
全部はいわない、と。

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2025年9月17日水曜日

『本と鍵の季節』(米澤穂信)読みました。


同じ本をダブって買ってしまうことが、
古本のコレクターにはよくあると聞きました。
書痴あるある、らしいです。

好きな作家や価値があるとされる全集物を揃えようとして、
何巻と何巻が抜けているのか忘れてしまい、
古本屋さんの棚に刺さっているのが
それに該当するかどうかわからず、
でもこの機会を逃せば
もう二度と巡り会えないかもしれないと不安になり、
ダブってもいいやと入手したら、案の定って感じでしょうか。

ぼくはまだまだ、その域には達していないので、
ダブリスクの経験はそれほどないのですが、
これまで2度ほどやらかしたことはあります。

1つ目は、綾辻行人さんの『深泥丘奇譚』シリーズ。
今Amazonで見てみたら全部で3巻しか出ていないのですが、
3冊とも読んでいるのに、新しいのが出たのだと勘違いして、
3作目を購入し、本棚のストックも確認せず、
そのまま読み進めて、3分の1ほど目を通してから、
「これ前と同じ話じゃないの、ひょっとして手抜き?」
なんて思ったら、という本人にしてみると
1週間は落ち込みメンタルな事態でした。
でもまあ、こうして書いてみると、
ちょいネタになったからいいか程度のものかな。

で、この『本と鍵の季節』。

2つ目がこれでした。しかもシリーズはまだ2作だけ。

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2025年9月11日木曜日

『本所おけら長屋(十七)』(畠山健二)読みました。


30冊近くある鬼平犯科帳、
10冊くらいの仕掛人・梅安、
20冊ほどの剣客商売、
その3大シリーズがある池波正太郎さんのスペースは、
奥に村上春樹さんの単行本が並んでいるトコの
前空き部分です。

なぜこれを選んだのか
今ではとっても不思議なこの本棚は、結構な奥行きがあるので、
普通の大きさなら2冊を縦列駐車(車じゃなく本ですが)しても、
まだ前に数センチ余裕ができ、
そこにガチャポンでゲットした動物とか寿司ネタとかの
カプセルトイが置けたりします。

でも縦列しちゃうと奥にセットしたものは、
背表紙がまるきり隠れちゃって何があるかわからないので、
奥には文庫本よりは背の高い単行本を並べ、
その前は判型の小さい文庫ちゃんの場所にしているんです。

そうすれば後段であっても
タイトルの最初の1文字か2文字目くらいは
顔を出してくれるので、とりあえず識別はできる。

とはいっても、さっき言った池波3シリーズは
ざっくり合計して60冊あるから、そのまま並べたら、
村上シリーズの前段スペースには収まらない。

そこで、この大勢の時代物くんたちには
窮屈な姿勢をとらせて申し訳ないんですが、
後ろの1文字が見えるギリギリの高さまで平積みにして
がまんしてもらっている状況です。

で、この『本所おけら長屋(十七)』。

もう17冊になっちゃいまいした。
どこに置けばよいの。

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2025年9月9日火曜日

『キュレーターの殺人』(M・W・クレイヴン)読みました。


最近出た2、3作は除いて
ほとんど読ませてもらってる伊坂幸太郎さんの作品に
『クジラアタマの王様』というのがありました。

この本、小説ではあるんですが、
ところどころにマンガが差し込まれているんです。
(実物が手元になくて、もしかしたら間違って
 ほかの本のこと言っているかもしれません。
 と不安になり、ネットで確認してみたら
 Amazonでサンプルページがあったので見ると、
 やっぱマンガページ載ってました。よかった)

なぜ、そうしたつくりにしたのかを語る著者談が、
あとがきか、解説か、もしくは
どっかのインタビュー記事だかに載ってて、
(またまた、出典があやふやで、すみません)
いわく、
アクションを表現するのに文章だけではどうしても弱い、
ビジュアルにはとても叶わないので助けてもらった、
みたいな感じでした。

まあ、そうかもしれないな。
突如出現した怪物から逃げるシーンで
「石につまずき転んだ」と文字を読まさせるより、
絵を見せたほうが臨場感あるだろうし、
とそのときは思ってました。

で、この『キュレーターの殺人』。

ぼく的には、
絵よりも臨場感ある描写がありました。すごっ。

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2025年9月4日木曜日

『ケアと編集』(白石正明)読みました。


メモってある読み終えた日付は7月30日。
んで今、この感想文もどきの文章を、
キーボード叩いて打ち込んでいるのが8月25日。
なんとまあ、1カ月近くたっています。

この後続くだろう感想文もどきについても、
これを書いた後にとりかかるわけで、
わかっているだけでもあと5冊残っています。

幸いにしてどの作品も、
好みから大きく外れたやつはなかったので、
内容が頭からすっ飛んでしまい
カケラも残っていないというものはなく、
かろうじて、こじつけ作文はつくれそうです。

たしか吉本ばななさんの小説だったと思うんですが、
新学期の始まる直前まで夏休みの宿題をやらない友だちを、
うらやましく思うという小心者の登場人物がいました。

彼女はビビり屋さんなので、宿題は早くから手をつけていないと
終わらせられないかもというプレッシャーがあって、
1日でも早く片づけようと、ずっとびくびくしてる。

なのに、友だちは宿題のことなど気にもせず、
のびのびと遊び回っていられる。
自分はアリで、友だちはキリギリス。
キリギリスのような度胸を持ちたいと。

それ読んだとき、
同じく小心なぼくはいたく共感し、
そうそうキリギリスの肝っ玉を10分の1でいいかから
わけてほしいよねと思ったことがあったのに。
実際、宿題は早く終わらせてて、でも友だちには
「まだ終わってねーぜ、へへ」なんて言って
ワルなフリしてたのに。

今ではなぜに、いつまでもやらず
読了本の溜め込みしちゃうのでしょう。

で、この『ケアと編集』。

すいません。本とは無関係な話で
またここまで来ちゃいました。
とっても面白い本だったのに。

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2025年9月2日火曜日

『本所おけら長屋(十六)』(畠山健二)読みました。


テレビのCMなんかで言ってるように
最近の洗濯用の洗剤は、進化してるように思います。

何度も洗っていて、いい加減ゴワゴワになって、
もう雑巾にしたほうがいいかもと思っていたタオルが、
それほど劇的には変わらないけど、
ちょびっとずつフワフワ度が戻っていく。

これなら新しいタオルを
買わなきゃいけないローテーションが引き伸ばされ、
その分、資源を使わなくて済むようになるだろうから
環境問題界隈でもグッドジョブ的な位置づけになり、
いいことずくめじゃないかと思っていました。

でもまあ何事にも、不都合な面はあるようで、
フワフワ過ぎて水分を吸い込みづらい仕様の新品タオルが、
いくら洗ってもフワフワのままで
いつになったらちょうどいい使い心地になるのやら。

で、この『本所おけら長屋(十六)』。

フワフワ過ぎるってことはないようです。
みんな読み心地のいいキャラクターだと思います。

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2025年8月28日木曜日

『ブラックサマーの殺人』(M・W・クレイヴン)読みました。


今年に入ってから、京極夏彦さんの
妖怪時代小説シリーズを読み返しています。

最初の『巷説百物語』に続き、そのタイトルの前に
それぞれ「続」「後」「前」「西」「遠」「了」と
つく全7作品。

今は、この前ここに感想文もどきを書いた
「西」の次の「遠」を、3分の1ほど読み終えました。

どれも面白くて、これに懲りずに、またいつか
シリーズ再読シーズンに突入したいなと思ってます。

6冊目を駆け抜けている今、
これまでの5つを思い返して感じるは、
好みの濃度が違うこと。

いくら好きな作家さんがつくったものだといっても、
すべての作品が素晴らしいと思えるのは稀で、
中には退屈するのが混じったりする。

まあ、このシリーズは、さっきもいった通り、
どれも面白いから退屈とは無縁なんですが、
半端ない没入感があるものと、
テレビの音が聞こえてきたとき気を取られて
読み進められなくなったりするのがあって、
その違いてなんだろうなと考えました。

で、この『ブラックサマーの殺人』。

その違いは、たぶん笑える部分じゃないかな。
ユーモアというんですかね。
このブラックサマーにも、それがたくさんあって
きっとそのニヤニヤする感覚が決め手なんだと思いました。

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2025年8月26日火曜日

『プレゼント』(若竹七海)読みました。


誰のどの作品だか忘れてしまったのですが、
(本当は、おぼろげに誰のどの作品だかの
 見当はついていて、
  (↑ここ最初、「検討はついていて」と変換されてて、
   そのまま3行ほど書き進め、その直前にある「の」が
   「お」になっている誤植に気づいて修正しようとしたら
   「検討」まで消してしまい、も一度「けんとう」と打って
   スペースキーを叩いたらポップアップのリストの中に
   「見当」があって「わっ、こっちだ」と選び直したのでした。
   この同音異義語でも意味が通ってるような雰囲気があるので、
   ほかの原稿でも間違いをスルーしてる可能性大だな。気をつけよ。
   といってたらカッコ書きの重ね使いになってるわ)
 検索すれば、そのおぼろげ見当が正しいことも確認できると
 思うのですが、「誰」と「どの」を明記しちゃうと、
 このあと書く内容が、その作品のネタバレになってしまうので、
 忘れた仕様のままにしときます)
読者が誤解するような書き方を意図的にしている小説がありました。

第一章〈1月〉、第二章〈2月〉……第十二章〈12月〉みたいな
章の扉がついていて、1年の時間の流れに沿って話が進んでいる
と思いきや、物語の本当の時間軸は、
最終章の12月のあとに、第一章の1月が来る。
つまりは結末みたいのが最初にあって、
それは次の2章にうまくつながってて、
でもやっぱりよく考えると時間の流れは逆で、
その仕組みは最後まで読んで、やっとわかる。
ほー捻ってるね、と感心する構成でした。

で、この『プレゼント』。

捻っているね。考えているね。
なるほどね、ちょっとびっくりしたよ。
と思わせてくれました。

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2025年8月21日木曜日

『本所おけら長屋(十五)』(畠山健二)読みました。


ひどいときには、
ここに感想文もどきを書く段になって初めて、
本の題名と著者名がわかっていなかったことを知る、
みたいなお粗末ていたらくがあります。

覚えてないというか
読み始めたときには気にしないまま読み終えて
「あれ、なんてタイトルだったけ。誰が書いたんだっけ」
となる。

本を買うのは月に一度。
10冊ぐらいまとめて購入してきます。
そのときは、
スーパーで買い物中の人がよく手にしている
「牛乳、キャベツ、玉ねぎ、コメ、歌舞伎揚…」
などと書いた紙切れのように、
書名・著者名・出版社とかを並べたメモを見つつ、
書店の棚から抜いていきます。

仕入れて帰ったら積ん読用のスペースに置いておく。

そこに未読の本が残っていたら
手に取りやすいよう前のものは右側にずらして、
新入りは奥の左側にセットする。

店に並べる商品のように手前は古いもの、
奥は賞味期限がまだ先のもの、って感じです。

そうすると、
1冊とじて次に手にするやつの位置が決まっているので、
タイトルなんかを見ないでピックアップして、
そのまま読み進めちゃうことがあるんです。

ということで最初に戻って、
題名や著者名がわからず読了しちゃう場合がある
ってことの説明でした。

で、この『本所おけら長屋(十五)』。

それでもシリーズで読んでるやつは
題名を忘れたりはしません。

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2025年8月19日火曜日

『西巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


仕事場まで約10キロあったときは、
ジムにいた健康おじさんを見習って
自転車で通勤してました。

それが数年続いた頃、
事務所を引っ越すことになり、
Googleマップで距離を測ってみると、
それまでの半分の約5キロになると判明し、
そのままでは運動量が不足しちゃうんじゃないと、
見えないけれども肩に座っている天使だか悪魔だかの
ささやきが聞こえてきて、ならば、転がる車輪に頼らず
地に足裏つけて走ったれ、とジョギング通勤に切り替えました。

感覚的には、サイクルよりも5倍ほどきつかったんですが、
毎日ごまかしながらなんとか続けてます。

そこで不思議に思ったのが坂道のつらさ。
上り傾斜のしんどさを感じたのはチャリのみなんです。

500メートルほどだらだら続く上り坂があるんですが、
自転車だと太ももがパンパンになって何年やっても慣れなかった。
ジョグでもそれと同じ道を行くのですが、
ランニングだと平坦だろうが下り坂だろうが関係なくヘロヘロで、
それが上りになっても、負荷増量を感じる余裕はなく、
ゴールしてよくよく思い出してみてはじめて、
そういえばあそこ坂道だよなと気づく。不思議です。

で、この『西巷説百物語』。

お気に入りシリーズの再読。
それでも、大好き・好き・普通みみたいな
アップダウンはあるようです。
走りではないので気づきました。
読書はチャリに近いのかな。

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2025年8月7日木曜日

『10の法則で読む くずし字入門』(根本知)読みました。


「最後の1行を読み終えた瞬間、
 また最初から読み返したくなる」
みたいなミステリー小説なんかの宣伝文句を、
本屋さんに平積みされている書籍の帯や
新聞・雑誌の広告で、何回か見かけたことがあります。

作品を通して伏線が張り巡らされていて
「あれがこれなのか」「これはあれだったのか」的に
驚かされ、きっと確認したくなりますよ、
ということなんでしょうね。

でも、ほかの人はどうなのかわかりませんが、
ぼくはそんな惹句に踊らされて、
試してみようと思ったことがないんです。

最終ページを閉じたと同時に、
同じ本を読み直した覚えは
記憶にある限り1度もありません。

住宅事情により生活スペースを、
数百枚の紙を束ねた本という物体が押し狭めていき、
新種の外来種を増殖させるばかりだと
立ち行かなかくなると危機感を抱き、
在来種の繰り返し利用にも
目を向けるべきと気づいた十数年前にやっと、
再読って娯楽をスタートさせたばかりなので。

で、この『10の法則で読む くずし字入門』。

さっき読み終えて、
すぐこの感想文もどき書きました。
書いたらまた最初から読み返そうと思います。
そんな本もあるようです。ミステリーじゃないけど。

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2025年8月5日火曜日

『本所おけら長屋(十四)』(畠山健二)読みました。


一般にはサーキュレーターっていうんですか。
あの小さい丸型の扇風機。

去年、事務所でそれを使ってみたら
(ビックカメラのポイントで買えたので)
いと快適だったので、
勢いで自宅にも同じものを新調したら、
そっちも、いと快適で、
よかったよかったと思っていました。

事務所のほうはエアコンがついている場所の関係で、
ぼくの執務スポットにはあまり冷気が回らず、
しかも机が窓そばにあるから
外からの暖気がじんじん伝わって、
汗をふきふきパソコンキーボードを
ペコペコ叩いてたんです。

毎年そんな思いしながらやってたのに、
足元でちびまるサーキュを回したら、
涼しい風が来るじゃん来るじゃん。

去年はそうして夏を乗り越え、
霊験あらたかなちびまる君は、
秋が来ても、冬も春も、ありがたやと崇めるように、
そのままの位置に祀っておきました。

そして今年。
事務所では、夏がくる前に、
大家さんが新しいエアコンに替えてくれたんです。
設置の位置も微妙に変更してくれて、
冷気は全体に行き渡るようになり、
わが執務スポットでも、
びた一文も汗をかかなくなりました。

うん、満足だ。
と思っていたら、足元のちびまる君は、
とんと出番がなくなって、
その場に静かに鎮座していらっしゃいました。

で、この『本所おけら長屋(十四)』。

一時お話の中心に取り上げられ、
その後あまり出番がなかった登場人物でも、
長くやってれば脚光を浴びることもあるのです。

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2025年7月31日木曜日

『翻訳者の全技術』(山形浩生)読みました。


「自己啓発本」と入れて
グーグル検索で出てきた「AIによる概要」は

「自己成長や能力向上を目的とした書籍のことです。
 これらの本は、人生観、仕事術、思考法など、
 様々なテーマを扱い、読者に気づきや行動を促すことを
 目指しています」

とありました。
実は、これまでそういう本を自分の意思で
手に取り読んだ覚えがないんです。

それだから、成長とか向上とかいえるような
輝かしい何かをつかめないのかもしれません。

そんなピカピカな何かに触れることは、
ちっともやぶさかではないので、
読んでみようかと思うんですが、
ほかの面白そうな本ばかりに目がいちゃうもので。

で、この『翻訳者の全技術』。

これってもしかしたら自己啓発本なのかなと思ったり。

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2025年7月29日火曜日

『フェアリー・テイル(下)』(スティーヴン・キング)読みました。


これまで読んできた小説では、
登場人物の名前は、なんらかの前振りが
あってから明かされるものでした。

「吾輩は感想文吾である」
という書き出しの物語であっても、
それ自体が前振りというか説明になっているから、
読解力がポンコツなぼくでも
すんなり理解して次の文に目を移せる。

初登場の人が、しばらくは「妖しげな美女」とか
「彼女」とかと記されていても、誰かがセリフの中で
「牡丹野花子さん」と呼びかけたあとは、
もう名前はわかったでしょ、
じゃあ次からはそれでいくね、とばかりに
「牡丹野はレースのハンカチで口元を隠した」
みたいに進んでいく。

そういう暗黙のルールに従わないのって、
これまで読んだ本の中になかったような気がします。

浦島太郎の視点で、
悪ガキたちがカメに意地悪している描写があり、
「私はいたたまれなくなり、やめなさいと叫びながら、
 砂浜に駆け降りて行った。子供たちは一斉に逃げ去った。
 その様子を為次郎が木陰から見ていたかどうかはわからない。
 私はカメを抱き上げ、海に戻してあげた」
の中の為次郎がそれまでのストーリーの中に1度も出てなくて
「えっ、誰よ為次郎って」みたいな。

で、この『フェアリー・テイル(下)』。

あのとき出てきたキャラは、たぶん初登場でいきなり名前
だったような気がするんだけど、
自信がないので再読して確認したいんだけど、
ちと長いんだよな、この6割くらいがぼくには適量でした。

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2025年7月25日金曜日

『ストーンサークルの殺人』(M・W・クレイヴン)読みました。


この本を読みましたって体裁にしていながら、毎回、
あまりにもそのストーリーには関係のない話ばかりで
恐縮なので、今回はこの作品の中でニヤっと
ほほが緩んだ場面を書いときましょう。

ネタバレにはならなず、たぶん読者サービス的に
面白味を加えるための描写と思われる部分です。

ホテルのロビーから主人公が、
そこに泊まっている仲間の部屋に電話をかけて、
急いで下りてこいと呼び出すシーン。

朝の時間で、
当人は少ししか眠れていないのはわかっていたので、
寝ぼけ声の彼に、10分待つからシャワーを浴びて
目を覚ましてくるように言う。

何をそんなに慌てる必要があるのかと不平気味の彼に、
差し迫った事態を端的に伝えると、
そんなことなら10分も使っていられない
「5分で行く」と答えた。
そして実際に彼がロビーに現れたのは
15分後だった。じゃんじゃん。

あ、さっき面白味を加えるためなどといいましたが、
それを意識させるような表現ではありませんでした。
説明じゃなくセリフだけのやり取りみたいな構成なんです。
おしゃれな感じで。

で、この『ストーンサークルの殺人』。

上記ニヤつき部分も含め、極上品でした。
あ、よく考えたら、ニヤつき部も伏線になってるわ。

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2025年7月23日水曜日

『アイドリング脳』(井ノ口馨)読みました。


毎度つらつらと、本を読みましたぜ、
とここに報告しているけれど、
そのうちの何冊かは、全ページに目を通したとは
いえないものがあります。

(巻末の広告とか奥付けなんは、ほぼスルーしちゃってるので、
 それを入れればほとんどすべて未読になりますが、
 そういうのは除いて)

飛ばしちゃってるのは、注釈のところ。
本文に*印がついてて、その説明が
同じページの下段とか左端とかに入っているときは、
あちこち移動しなくてもよいので、
げんなり気分を抑えながらも何とかこなします。

(そういえば、少し前に読んだ『バベル』って小説は、
 その同ページ注釈がてんこ盛りだったな。
 斜め読みで対応したけど)

でも、それが章ごとの終わりにまとめて載ってたり、
後ろの方にどっさり詰め込まれているときには、
97%くらいは見なかったふりをして
その1冊を閉じちゃうんです。
「終わり、はい次」って感じで。

で、この『アイドリング脳』。

後ろまとめ方式でした。ところが、
この本に限って(総ページ数が少なく薄かったこともあり)
全部きちんと熟読しちゃいました。
したらなんと、本文より面白く感じちゃったんですわ。

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2025年7月17日木曜日

『まぐさ桶の犬』(若竹七海)読みました。


前回、内容とかにはまったく触れずに
スティーヴン・キング新刊の話題を出しちゃったので、
ここでちと書いときます。

とはいえ、まだ最初の章しか読み終えてないけど。
上下分冊で全部で何章あるか、現物が手元にないので
見当もつかず、済んだ1章分だって分量は
確か20ページ前後しかなかったな気がするけど。
だからストーリーの本筋にはまったく入っていないとは思うけど。

おっとっと、勢い余って進めちゃった。
あのですね。前の3つの文末に使った「けど」ってのは、
あとに続く文が逆説的な内容になる
接続詞の「しかし」みたいな言葉です。

後続に逆説文がないといけないのに、
同じ「けど文」を続けちゃってる。
まあ並列するやり方もないわけなじゃいけど、やっぱ読みにくい。

なので簡単にいいましょう。
「さわりしかかじってないのに、読了したような物言いですみません」

(ちなみにこの「さわり」の使い方は誤用らしく、
 それについてはまた別の機会に)

と、言い訳しといて、キング本がいいと感じたのは、セリフ。
ぼくだったら「恨んでるけど我慢してる」
くらいで済ませちゃうとこを
「恨まないようにしている。憎しみの気持ちは
 ほとんどの時間で、うまく手なずけられている。
 とはいえ夜中の2時に一人で目を覚ましたときには、
 うまくできているとは思えない」
とかにしている。いいっす。

で、この『まぐさ桶の犬』。

セリフの語尾に「けど」をつけるのが口癖のおばさんが出てきて、
そんなやり方もあるのね、と感心しました。


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2025年7月10日木曜日

『上弦の月を喰べる獅子(下)』(夢枕獏)読みました。


上下分冊になった作品を
連続でここに載せるは珍しいことだと、
少し前に言ったような気がします。気がするので、
それについてはこの4行だけにしといて、
別の話題にしましょう。

上下分冊つながりで。
スティーヴン・キングさんの新刊について。

たしか1冊5千円近くして、
2冊買ったら日本一の最高額紙幣1枚出して、
小銭がちょろちょろ戻ってくるぐらいの、
購入時尻込み感97%で「いっちゃえ」の
胸奥の掛け声が必須の本でした。

ハードカバーで高級感あるつくり。
一般的な単行本より少しサイズが大きくて、
もしかして今流行りの大きな文字で印刷してくれてんのかな、
それなら老眼にやさしいので助かるな、
と思っていたらフォントの大きさは他の書籍なんかと変わらず、
しかも上下2段の、みっしり文字文字。

とはいえ、パラパラめくってみると、
いつものキング本のように、
章や節が短い間隔で分かれていて、
そこに白地があるから、それほどの圧迫感はありません。

で、この『上弦の月を喰べる獅子(下)』。

これ読み終えたので、やっとキング本に移れました。
なんていうんでしょ。高低差みたいなのをすごく感じてます。


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2025年7月8日火曜日

『上弦の月を喰べる獅子(上)』(夢枕獏)読みました。


強烈に面白かったという記憶が残っていて、
そろそろ再読したいなと思っているんだけど、

その同じ作品をなぞるんじゃなく、
同じ作者の別の作品を試したほうがいいんじゃないのと、
どこぞの中空から不明瞭な声が聞こえてきて、

ネットでおすすめを探し、
手をつけることが何度かありました。

ぱっと思い出すのは、船戸与一さんの『山猫の夏』。

確かこの感想文もどきを始める前だったように思うんですが、
その若かりし頃に船戸さんの『砂のクロニクル』を読んで、
こんなすごい話よく書けるな、すごい、すごい、すごい、

(「すごい」って言葉はとても安易な表現で、
 いろんな場面で便利に使えちゃうから、
 それを多用すると、手抜きになるからやめようよと、
 ぼくの中では使用禁止ワードの柵の中に放り込んでいるのですが、
 それでも、そこを飛び越えて逃げ出すヤツらがたくさんいて、
 とても困っています。ちなみに「とても」も柵に入れてる言葉です)

と感心しながら、すごいなと思いつつ幾星霜。
ほかの面白本や、それを読んでいるとなぜうんざりしてくるのか
その理由を探るためにこなした本などにまみれながらも頭の片隅にあって、
やっとこさ少し前に『山猫』に手をつけました。
ま、結局、『砂の〜』ほど衝撃はなかったという話。

で、この『上弦の月を喰べる獅子(上)』。

夢枕獏さんにも同じように、
ぼくの中での衝撃作『神々の山嶺』があり、
再読リストの中でうずうずしてるんですが、
例の不明瞭な声に従いこの本に手を出しました。
ま、まだ下巻があるし。

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2025年7月3日木曜日

『ユビキタス』(鈴木光司)読みました。


今調べてみたら
京極夏彦さんの『了巷説百物語』を
読み終えたのは去年(2024)の9月でした。

その本は、何年か間が空いて、やっと出た、
たぶんシリーズ最終話になる最新刊。

やっほーやっほーと小躍りしながら、
殺人事件の凶器にもなりそうな
重たくて分厚い書籍をがぶがぶと
こなしていきました。

これはやっぱオモロい、満腹、満腹と喜んでたら、
そうだ、これまで出てるシリーズも読み返そうと思い立ち、

でも本棚にあるのは、どれも凶器サイズだから
再びの手首の筋トレ状態は勘弁だし、
ならば小さな文庫版を新調して揃えよう、
そうすりゃ、またまた再読したくなったときにも楽だし、
文庫なら巻末に解説とかのおまけもついてるからお得だし。

ってことで今年(2025)に入って、
最初の刊から4冊目までを入手して
ごくごく飲み干しました。
残りは2作品あるので、お楽しみはまだ続きます。

再読して、物語の筋をまったく覚えてない
貧弱脳みその存在を再認識したのもさることながら、
作品世界に引っ張り込む力の強さなど、
いろんなこと勉強できたように思います。

で、この『ユビキタス』。

京極作品では楽しみたくて再読したけど、
この作品は別の意味で作者の過去作を
振り返りたくなりました。

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2025年7月1日火曜日

『本所おけら長屋(十三)』(畠山健二)読みました。


前回の感想文もどき、
なんか同じ話をしたような気がして、
ひっかかっていたので、
これを書く前に確認してみました。

やっぱあった。
3冊ほど前のごみ関連の本のときです。

もともと炭酸水の泡みたいに秒単位で
消え失せてしまう記憶力が売りのわが頭脳なので、
自分にとっては別段驚くことではないんですが、
もしきちんと読んでくれる人がいたら、
なんだまた同じネタ使って書いてんのかよ、
と呆れられてしまうから恐縮です。

少し前に、一回りほど年上の人と
物忘れについて世間話していて、彼が、

きのうなんかさ、よしそろそろ行くかなって家を出て、
戸締りして外を少し歩き出したら、
なんの用事でどこに向かってのか忘れちゃってるんよ、

と言うものだから、それはもう、あららなので、
ぼくまだそこまではと考えたけど、
よく思い出してみれば、
こたつから立ち上がって3歩進んだら、
なぜ立ち上がったのか忘れてることもあり、

だからネタが重複するくらいは、お許しくだされ。

で、この『本所おけら長屋(十三)』。

「おいらく」という話に似たようなエピソードがあり
自虐的に身に染みたのでした。
あと4話目の「ゆうぐれ」で泣きました。


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2025年6月26日木曜日

『遺伝子はなぜ不公平なのか?』(稲垣栄洋)読みました。


遠くのあちこちに行ってその情景を
『奥の細道』なんかで俳句にした松尾芭蕉が、
「足三里」ってツボで養生して健脚を保っていた。

みたいな話はなんとなく知っていて、でもそんなことは
頭に浮かんでくるはずのない読書中に、図解入りで、
そのツボのはここです、
ここが「足三里」です、
みたいなページがいきなり出てきて、

そこには、指で10秒押しを5回やると
脚が丈夫なると説明していたので、

ジョギング通勤でヒザがよくガクガクするから
やってみっかと何日か続けて試してみたら、
ガクガクはカクカクくらいになったような気がして、

これが足三里の効用か、
と芭蕉のように一句ひねりだす気分で喜んでいたけれど、
なんとなくの押している経穴の場所が
合っているのか疑問に感じてきて、とはいえ、
効いている雰囲気はあるのだから、
間違いスポットが指圧されていても、
それはそれでいいんじゃないか、
いや、やっぱきちんとした情報を入手して
正しい施術をしなければ、
逆に身体の不具合を招きかねんじゃないか、

誰か詳しい人いないかな、
接骨院とかに行けばお医者さんが教えてくれるかな、
なんも病気ないしな、とうつうつしていたら、

偶然に鍼灸師やっている人と知り合って、
正しい足三里の場所、教えてもらえました。
自己流ツボの位置とは違ってました。

で、この『遺伝子はなぜ不公平なのか?』。

ツボの位置も遺伝子に書き込まれているのでしょうね。

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2025年6月24日火曜日

『ミネルヴァ計画』(ジェイムズ・P・ホーガン)読みました。


今回も例によって何を書こうか、
うんうん状態になったので、
参考になるかもと、前の『本所おけら〜』の
感想文もどきを読み返したんです。

すると、
文字をペコペコ打ち込んでいるときの情景が
思い浮かんできて、
「あ、前回は特別悩むことなく
 指が勝手に動いて言葉がつながっていった」
ことに気づきました。

初めの1文字を入力したときには、
かけらもなかった「サムシング」だの
「タッチタイピング」だの「脳みそ大安吉日」だのが、
するする出てきて、
ぼくの意思とは関係なしに、
手をつないで踊り出したような。

それをきちんと整えないから、
稚拙な文章になっているのはさておき。
そんなのって、どっから来るんだろうか、不思議です。
 
で、この『ミネルヴァ計画』。

ほかの宇宙から来るのかな、って思いました。

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2025年6月19日木曜日

『本所おけら長屋(十二)』(畠山健二)読みました


最近よくあります。
ほんの数秒前に考えていたサムシングが、
すっぽり頭の中から消え去ってしまうこと。

今、この感想文もどきを書き始めようとして、
真っ白な画面を前に、キーボードへ両手を置いて、
いつかはミスなくタッチタイピングができますようにと
「F」と「J」のキートップについているポッチリに
2つの人差し指を乗っけてホームポジションの姿勢を
つくりながら、さてどんなネタにしたものかと、
うなること数分。

いつもなら数十分たってもネタの「ネ」の字どころか
「n」と「e」を打って変換するまでもいかない
「n」の字も出てこないときがザラなのに、

今日に限って、
すらっとネタになりそうなサムシングが浮かんできた。

ひょっとして脳みそが大安吉日か、と思った瞬間、
「ピピピ、ピピピ、ピピピ……」と電子音が鳴り出しました。

さっき机の下に潜り込んで昼寝してたとき、
15分後に起こしてくれるようセットしたキッチンタイマーだ。

目覚めのときにストップボタンを押すのだけれど、
ときどき寝ぼけてカチカチと2度押ししてしまうようで、
よくあるんです。30分後に再度ピピピること。

で、この『本所おけら長屋(十二)』。

ということで、
この本に関連するサムシングは
ピピピ音にかき消されてしまいました。
作品は面白かったです。続きも読みます。

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2025年6月17日火曜日

『ごみ収集の知られざる世界』(藤井誠一郎)読みました。


1年近く前に
『東洋医学はなぜ効くのか』って新書を読みました。
「ジャケ買い」ならぬ「タイトル書い」した本。

生き物の不思議、人体の仕組みの不思議が、
ちょっとわかるようになるかもと、
題名から邪推してページをめくり始めたんです。

それなりにはナショナルジオグラフィックとかでやるような、
人体システムの解説的なところもあったんですが、
そんな科学的内容よりも、
もっと実践的健康指南本の要素が強かった。

んで、そっちの健康ノウハウほうに
影響を受けちゃったんです。

すばり、ツボのこと。
経穴っていうんでしょうか。

本には、イラスト図解が載ってて、
10秒押しを5回やると、それまであった
慢性的な痛みがなくなったり、動きが楽になったり、
いろんな健康がわいてきますよ、みたいな。

やってみたのが、
「足三里」ってところのツボ押し。

その本で知ってから昨日まで
ずっと風呂に入るとき押し押ししてて、
それが効いているか、毎日のジョギング通勤が
とっても楽になった気がするんです。

でも、今日。
たまたま知り合った鍼灸師の人に聞いたら、
ぼくの押してた場所は「足三里」じゃないそうで。
楽になったのは、気のせいだったのでしょうか。

で、この『ごみ収集の知られざる世界』。

あ、このごみの本とは関係ない話でした。すみません。
でも、勉強にはなりました。

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2025年6月12日木曜日

『魂に秩序を』(マット・ラフ)読みました。


別作品3冊を並行読みする
シチュエーションの中の1つ、会社の昼休みでは、
(一応書いておくと残り2つはバス車中&自宅の寝床)
仕事に使っている机の上に本を置いて、
ページに視線を落としてます。

机に向かっている身体と本の間には、
ご飯とおかずがセパレートできる仕様の
お弁当箱が配置されていて、

レンチンでつくれる一口コロッケだとか、
前日に茹でたブロッコリーだとか、
当日炒めたウインナーなんか(すべてカミさん製)を
なめて(あ、懐かしい映画制作の業界用語だ)、
向こう側にずらずらと文字が並ぶ
紙を束ねた物体(つまりは本)を眺めています。

そんときに便利に使っているのが、
洗濯バサミに重しをつけたアイデアグッズ。

これを使えば、本から手を離していても
開いたページが閉じないようにしておけます。

なので、
フォークを使ってるから片手でも食べられるお弁当ですが、
反対の手できちんと容器を押さえても、
もぐもぐ中の読書が可能になるのです。

で、この『魂に秩序を』。

千ページを超える分厚い文庫本でした。
これだけ厚いと真ん中辺の
400〜700ページくらいのところでは
読書グッズを使わなくても
手放しで開いたままになるので、読みやすかったです。

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2025年6月10日火曜日

『前巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


エクセルにつけている読了本リストには、
通し番号(年ごとに1から振り直す)、
読了月、作品名、著者名、
読んだ場所(昼休み、バス車中、自宅)、
星評価(1〜5まで)、
それとこの感想文もどきを書いたかどうかチェックする欄
(書いたらチェックマークを入れます)をつくってあります。

ほんで、星評価のとこにはチト細工をほどこしていて、
☆☆☆☆☆(星5つ)が入力されると、
その行全体が薄い赤色になるようにしてるんです。
条件付き書式って設定ですね。

実物のノートの目立たせたい1行に
蛍光ペンでラインを引くようなもんです。

これやっとくと、その年に読んだ本の中で
何が気に入ったのか一目でわかる。

同じような設定はもう1つやってて
☆☆☆☆(星4つ)だと薄みどり色に
なるようにしてるんです。

すると星3つ以下の場合は
色はつかずに背景は白のまま。
そんな作品が続くとリスト表に色がなくて
寂しい感じになっちゃうんです。

で、この『前巷説百物語』。

4つ星以上が最近なかなか出ていなかったので、
表がしらじらしてたけど、
ここにきてやっと色がつきました。

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2025年6月6日金曜日

『バベル(下)』(R・F・クァン)読みました。


例によって誰の発言だったのかは
忘れちゃったんですが、

「どの作り手も、
 欠点が欠点になった理由ばかり
 口にするんだよね。
 
 時間がなくて狙った天気で撮れなかったとか、
 ちゃちな装飾しかできなかったのは
 予算がなかったからとか、
 しがらみであのヘタクソを使えって言われてさ、とか。
 
 聞きたいのはそんなんじゃなく、
 おすすめポイント的な、
 あそこが気に入ってるんだよね的な、
 その作品を撮ったことに関する
 ある意味、自慢話なんだけどな」

と確か映画監督の人が言ってました。
映画祭なんかで作品が上映された同業者たちと
話をしたときの印象だったかと。
ずっと言い訳を聞かされてたってことらしく。

で、この『バベル(下)』。

どういうわけか、読んでる最中も、読んだ後も、
誰だか忘れちゃった映画監督氏と
同じような気持ちになりました。

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2025年6月3日火曜日

『バベル(上)』(R・F・クァン)読みました。


あれは面白い本だったなと、いまだに頭をよぎるのが、
(最初に読んだときからもう10年以上たつのに)
映画『オデッセイ』の原作にもなった『火星の人』。

それだけ印象に残っているもんだから、
なぜその本を手に取ったのか
そのきっかけも覚えていて
(ほかにもっと大切なことを記憶していてほしいのに、
 なぜがこういうどうでもいいことばかりが
 脳内ハードディスクに保存されてます)
そのそもそもは、新聞の書籍紹介欄を読んだことでした。

細かな文言は忘れてるけど、とにかく、
「超おすすめ」とか「大傑作」とか
褒めちぎり言葉のオンパレードだった、
いや、実際はそうじゃなかったかもしれないけど、
少なくとも、今思い出すとそういうイメージなんですわ。

それで即座に入手して、読んで、のめり込んで、
あの紹介文を書いた書評家さんも信頼できると思い込んで、
同じ新聞でその人がとりあげる作品を
続けざまにかじっていきました。

ところがどっこい、
数冊続けても、あんまりしっくりこない。

『火星の人』よりオススメ度が高いと思える
文章で紹介されてる本も、やっぱり合わない。

それでも、あの栄光をもう一度とか思って、
ちょびちょびと付き合い続けてるんですが……。

で、この『バベル(上)』。

付き合い続けたうちの1冊。
そろそろ懲りたほうがいいかな。
いや、まだ下巻があるからね。

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2025年5月29日木曜日

『本所おけら長屋(十一)』(畠山健二)読みました。


何個前だか忘れましたがこの感想文もどきで、
違う本を3冊同時並行読みしていて、
それぞれにかける時間は違うのに、
なぜか読了タイミングが一緒になることが多い、
と書いた覚えがあります。
なんだか不思議と。

その一緒つながりで、
たぶんこれまでかなった同調ナイズが起きてて、
今すこしばかり、ひるんでいます。

3冊全部が分厚く揃っちゃった現象。

同じ数字が3つ揃う
スリーカードよりはきっと確率は低く、
ジョーカーがメンバーに入った
ファイブカードほどではないけれど、
フォーカードくらいは珍しいことだと思っています。

3つのうち2冊は1000ページほどもある大物で、
残り1冊も600ページくらいで
上下に分かれたうちの最初の巻。

本は月に一度まとめて仕入れるんですが、
別に厚い本を好んで買ってるわけじゃなく、
購入後に積ん読スペースに並んでいる姿を見ても、
薄厚薄薄薄厚くらいの配分になってます。

それがまあ、積ん読残りを順にひっぱり出していったら、
フォーカード状態になっていたんです。

で、この『本所おけら長屋(十一)』。

バス通勤時用で読んでいたのがこの本で、
読了したから代わりに読み出したのが大物で、
上記の通り揃っちゃいました。
こっちのほうが持つ手は疲れなくて、よかったな。

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2025年5月27日火曜日

『ハイブリッド・ヒューマンたち』(ハリー・パーカー)読みました。


前にもいったと思いますが、
ぼくが出版や編集といった
文章のいぢくり仕事をするようになったのは、

中学校時代に書いた作文を、
担任の先生が「面白いね」と言ってくれたのが、
一つのきっかけになっています。

周りのみんなのほとんどが、
入学式にドキドキしただの、
友だちと離れちゃうクラス替えが最初は悲しかったけど
思い返してみれば超ラッキーだっただの、
修学旅行で班単位の自由行動をしたとき
初めて女の子と話ができただの、といった、
いわゆる3年間の思い出をしたためる卒業文集で、

フィクションを書いちゃったんです。

その頃は、星新一さんのショートショートが
めちゃめちゃ好きで、がつがつと飽きずに
何度もむさぼり読んでいたので、真似してつくってみたら、
自分でもなかなか良くできたと感心して
それ提出しちゃったんだけど、
果たしてそんなのを学校が受け入れてくれるものかと
ビクビクしてたら、案ずるより産むが易し「面白いね」と。
タイトルは「ぼくはロボット」でした。

で、この『ハイブリッド・ヒューマンたち』。

最後のほうで「ぼくはロボット」というセリフが出てきて、
おっと、と上記を思い出しました。

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2025年5月22日木曜日

『後巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


念のため辞書を引いておきます。
「惹句」ってのはデジタル大辞泉によると
「人の心をひきつける短い文句。特に広告文などで、
 誇張してうたい上げた文句。キャッチフレーズ」
だそうです。

書籍では、カバーの上につく帯なんかに、
目をひく惹句が、たいてい書かれています。

「誇張してうたいあげた文句」とはよくいったもので、
まさに「誇張」を絵に描いたような言葉が並んでいて、
ぼくが1ページたりとも面白く感じられなかった作品にも、
超オススメ!だの、メガトン級の面白さ!だの、
あなたはこの感動に耐えられますか?だの、
の「うたいあげた文句」が所狭しと印刷されています。

それが「人の心をひきつける短い文句」
なのかどうかの判断は難しいところですが。
まあ、辞書に書かれた意味の中に誇張とあるんだから、
実際よりも大げさに表現するのが当たり前で、
中身が見えなくなるほど
盛りに盛ってなんぼの世界なんでしょう。

でも、そんなデカ盛り上等ビジネスの中でも、
本当にその価値がある作品にしか使っちゃいけない
暗黙の了解的な言葉があるように思うんです。

ぼくがその暗黙了解ワードの1つと
考えているのが「金字塔」です。

で、この『後巷説百物語』。

「妖怪時代小説の金字塔!」って惹句が使われています。
妖怪時代小説ってジャンルが
どれだけあるのかわからないけど、
金字塔って言葉、使ってOKの作品でした。

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2025年5月20日火曜日

『本所おけら長屋(十)』(畠山健二)読みました。


電車やバスの公共交通機関のサービス項目には
「ちょうどそのページで2章の終わりですね。
 じゃあ、今、到着させます」
などという読書の区切り配慮の運行はありません。

なので、車中読書をするときには、
読み進めるペースと、
どれくらいで目的駅に到着するかの時間とを、
ストーリーを追う脳みその片隅で計算しつつ、
先のページをちらちらめくって、
次の章の見出しがある場所や区切り番号
または1行空きになってる箇所をとらえ、

「ふーん、この辺かな」と推測して栞を挟み、
下車に備えます。

そして「物語はこのあとたぶん、
めでたしめでたしで終わるだろう」
などと予想して、
少しほほがニヤけてくるのを感じながらドアを出ます。

で、この『本所おけら長屋(十)』。

ニヤける口元が「えっ」に変わるような
予想の斜め上いく展開が各所にあって、
面白かったです。

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2025年5月15日木曜日

『痛み、人間のすべてにつながる』(モンティ・ライマン)読みました。


つくっている人に対して
失礼でバチ当たりとも感じているんですが、
ここでは毎度いっているように、
ぼくは3種類の本を並行して読んんでいます。

①会社の昼休み②帰宅時のバス車中③自宅就寝時。

それぞれに費やしている時間は、
①約40分②約20分③5〜20分
(③については30秒で寝落ちのときも)

ただし③で開いている書籍は、
土日祝などで休める日には、
寝る前だけじゃなく昼間もずっと
ごろごろしながら目を通しているので、
そうなると1日に約6時間になる。

そんな感じで、
かかっている時間が違うのだから、
3冊の進み具合はバラバラになってしかりです。

例えば分速1ページで進むとして、
月曜日によーいドンで一斉に最初のページを開き、
休みの土曜日寝落ち時までにこなせる
ページ数を計算すると、
①240(40╳5日)
②120(20╳5日)
③390(5╳6日+360)
になるんだから、

①は後半クライマックス突入くらいだし、
②はやっと物語の設定状況がつかめた程で、
③は1冊目が終わり2冊目に入っているかもしれない。

なんですが。どういうわけか、
同じタイミングで読了することが多いんです。

で、この『痛み、人間のすべてにつながる』。

前回書いた『愚かな薔薇(下)』と
同時期に読み終えた本。
非常に面白くって5つ星評価。
読了タイミングが同じでも同評価になるのはまれです。

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2025年5月13日火曜日

『愚かな薔薇(下)』(恩田陸)読みました。


まだいらないんだけど、
少し先で必要になることだから、
今のうちにやっておこう。

そんなふうに考えて
何かを仕掛けておくこと、割と好きです。

簡単なものだとファイリングするための台紙の用意。

裏紙使いのコピー用紙に2穴パンチを開けて、
ファイリンングホルダーに入れておく。
そこには、来月か再来月かわからんけど、
たまった領収書を糊づけすることになる。

糊づけしなきゃとなったときに、
それ用の台紙がないと、
パンチ作業から始めることになるので、
もしそれが経理の書類をすぐに出さなきゃいけない
タイミングだったりすると、
パンチなんて2秒で終わるのに、
とんでもない手間のように思えて、

しかもそんなときに限って、安いサンダルを履いてた〜♪
じゃなかった、あの穴開け道具が
見つからなかったりするから、
頭がウキーッとなっちゃうので、

ふと気づいた何でもないときにやっておくと、
よいのであるのです。

ただ、この台紙作成のように
何枚やっておいても無駄にならないものはいいんですが、
1度やっておけばそれで済むものを事前にやり、
本来やるべきタイミングでそれを出してきて
「お、やってある。ありがとね、ぼく」とならず、
やったこと自体を忘れてしまい、
またやってしまう場合も、ぼくの場合は結構ある。

で、この『愚かな薔薇(下)』。

読み終える前に
この感想文もどきを書いちゃおうかと思ったけれど、
前述の失敗例が、ぼくの場合は結構あるので、やめました。
なので、ちゃんと読了後に書いたものです。
本の内容は、ぼくの好みとはちょっと違ってました。

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2025年5月8日木曜日

『愚かな薔薇(上)』(恩田陸)読みました。


2つ前に書いた
『恐怖を失った男』(M・W・クレイヴン)
は、どんぴしゃぼく好みで、
今年2つ目の5つ星評価をつけちゃいました。

たしか帯か広告かに
「ページをめくる手が止まらない」的な
惹句が載ってた記憶があるんですが、
その宣伝通りのドキドキワクワクで、
結構分厚かったけど、
あっと言う間に読み終えちゃいました。

ストーリーに引き込まれ、読書中はほとんど
話の筋以外の雑念は頭になかったんですが、
場面転換なんかのとき、ふとよぎっていたのが
「これ、なんで面白いんだろう」とか
「どうやれば、このエッエッっな感じを出せるんだろう」
でした。

それも、くくってしまえば「この本、おもろい」になり、
つまりは文字を目で追っている時間は
ずっと小説の世界に没頭していたってことか。

だからなのか何なのか
「なんで面白い?」に対する具体的な答えは見つからず、
それを分析できないぼくには、
自分で創作する力はないんだろうな。

で、この『愚かな薔薇(上)』。

この作品の読書中、頭よぎったのは
「これ、なんでぼくには合わないんだろう」でした。
その具体的答えもまだ見つかりません。

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2025年5月1日木曜日

『本所おけら長屋(九)』(畠山健二)読みました。


これを書いているのは
2025年3月24日で、
読み終えた2日後になります。
読了日は22日(土)ってことですね。

ほんでその土曜日は年に1度の
出身高校バドミントン部のOBOG会でした。

それ、昼間の部だけじゃなく夜の飲み会もあるので、
開催場所の母校(夜の会の別の場所)までは、
電車もしくはバスで行くことになり、
そうなると絶対に忘れてはならないのが文庫本です。

(やむを得ない場合は、大きくてかさばるけど単行本も可。
 ただし、できるだけソフトカバーの軽め仕様のにして、
 ハードカバーの分厚いやつは避ける。ま、それも、
 「続き読みたくて辛抱ならんぜよ」ってときは可)

なので、会社からのバス帰宅途中で読んでいたのを、
ラケットがまるごと入っちゃうモスラ的形状の
バドミントンバッグに放り込んで、
いや、放り込もうとしたとき、

「あ! あと10ページくらいで終わっちゃうんだった。
 いいところで、降りるバス停に着きそうになったから、
 乗り越して読み続け、1つ先の停留所から歩いて帰ろうかな、
 どうしようかな、と、ぐずぐずしてたら
 隣の人が降りる仕草をしたんで、
 それにつられて本をカバンに入れて降りちゃってたんだ」

と思い出し、
そうであるなら残りわずかな本は、たぶん
次の便を待つ数分間プラス1駅分の移動時間しかもたないハズ。
それ以降は、読む本がなくなっちゃうじゃん。

そんな失態は避けなければならず、ならばということで、
出がけに急いで物語の締めくくり部分に目を通し、
新たな文庫本をモスラ的バッグに入れたのだとさ。
という経緯で、

この『本所おけら長屋(九)』を読み終えました。
面白かったです。

ちなみに、新たにバッグに放り込んだのは
シリーズ10巻目のおけら長屋でした。

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2025年4月24日木曜日

『恐怖を失った男』(M・W・クレイヴン)読みました。


ストーリーの結末なんかを事前に知らせちゃう、
いわゆるネタバレは、せっかくこれから
ドキドキワクワクを楽しもうとしているのに、
興をそいじゃうからNGだってのはわかります。

それと同じように、
主人公がこれから起こそうとしている
思いもよらないびっくり仰天を、
事前に教えちゃうような話の流れは、
普通の作家さんなら、採用しないものでしょう。

例えばゴキちゃん1匹も近づけない
鉄壁のセキュリティに守られた宝石を、
華麗に盗み去るルパン一味の活躍(?)を
クライマックに描こうとしたとき、

その場面がくる前に、
ジゲンやゴエモンらと詳細な作戦会議して、
こうしてああしてこうなるんだぞ、
みたいな話し合いのシーンを書いちゃって、
実際にその通りにことが運ぶ、
なんてのはありえない。
内容の重複にもなるから読者に飽きられちゃうし。

もし、それをするんなら、
作戦にはなかったアクシデントに見舞われるなど、
思い通りにならない状況を持ってくるんでしょうね。

と、読んでる途中で作戦会議がでてきたら、
そういうひねくれた予想をしながらページを
めくるのがいつもの読書スタイルです。

で、この『恐怖を失った男』。

そのルパン作戦みたいな前振りが出てきたから、
ウッと身構えて待ってたら、
作戦までいく前に、まったく違うエピソードが
展開されたりして、楽しかったな。

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2025年4月22日火曜日

『楽園の楽園』(伊坂幸太郎)読みました。


成績が優秀な子は、
自分の部屋に閉じこもり
誰にも邪魔されない環境で勉強するより、

あれやこれやの雑念が入るリビングで
勉学に勤しむ傾向にある、

って感じのことをどこかで聞いた気がします。

頭のつくりが上等だと、
どんな環境でも集中できるのでしょうか。
もしそうだとしたら、
ぼくも最近ちょっとずつですが、
上のランクに近づいているような気がしてます。

というのも、
前までは周囲が少しでもうるさいと
本が読めなかったんです。
文字を目で追っているのは確かなのに、
内容がまったく入ってこない。

そんなとき脳みそで処理されるのは、
茶の間で誰かがつけっぱなしにしてるニュース番組の
「アメリカ大統領が真偽不明の発言です」
みたいなアナウンサーの声だったり、
蕎麦を茹でる美味しそうな香りだったり、
しかなかったんです。

それが最近、
物語をつかめる割合が増えてきて
「おや?進化」と思ったりしてます。

で、この『楽園の楽園』。

短いお話で100ページ程の本でした。
途中までは「おや?進化」的に読めたのに、
なぜかラストでトランプさんの声しか
入ってきませんでした。
英語理解できないのに。

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2025年4月17日木曜日

『続巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


だいぶ昔になりますが、
40個ぐらいあるシェイクスピア作品のストーリーを
4コマ漫画や図版なんかを使ってまとめ、
一冊の本にしたことがあります。

その戯曲あらすじ本をつくったとき、
なんとまあごちゃごちゃ複雑な人物関係で、

スエットの腰ひもは蝶結びにしてるから、
垂れ下がった1本の端を引っ張ればするっと
ほどけると思いきや、なぜか輪っかの中を
くぐってしまったようで、
ぐいぐい引くほどに硬くからまって、おいおい
トイレ目の前にしながら膀胱が破裂しちゃうぞ、みたいな

こんがらかったストーリーなんでしょうと感心しながら、
あらすじ文やマンガの下絵なんかをつくったのを覚えています。

シェイクスピアさんの頭の中身は、
いったいどうなってるんだ、と。

そんなに幾重もの話の筋を1つにまとめられるってのは、
並の脳みそじゃないわさ。
ま、だから何百年も読み継がれてるんでしょうけど。

で、この『続巷説百物語』。

昔単行本で読んだシリーズを文庫で
もう一度読み直しプロジェクトの第2弾。
やっぱ、いいっす。
複雑な人物絡み合い度では、
シェイクスピア作品にも引けを取らない重厚さでした。

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2025年4月15日火曜日

『ソーンダーズ先生の小説教室』(ジョージ・ソーンダーズ)読みました。


どっかで
「これはいい本だからオススメよ」
みたいな情報を仕入れ、鵜呑みにして読み、

うーん確かに良きものであると感じて、
したらばその1冊だけじゃもったいないので、
同じ著者のほかの作品にも手を出してみよう、
でもライナップはたくさんあるからと、
アマゾンのページなんかをぐるぐるして

代表作とかいわれているものの
読者レビューをあさっていくと
星をたくさんつけた好評価がいっぱいあって、
ほーいいかもしんないと心が傾きながら
コメント読んでいくと、

なんというかSFのジャンルでいうと
ディストピアを描くテーマで、
ずしんと感動する的な作品が多いので、

やっぱ最初の1冊だけにしておこうと
なったりすることあります。

で、この『ソーンダース先生の小説教室』。

なので、この1冊にしてこうと。
面白かったのに、すんません。

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2025年4月10日木曜日

『巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


前回まで長いこと
『ソーンダーズ先生の小説教室』から
ネタを引っ張り続けてきたせいか、

そういうなんていうか、
人生って何だろうみたいな中2病的
もやもやがかかった頭で
どの本も読み進めるという
できれば避けたいマイブームが
意識の中で起きているみたいで、

それにつられて
唐突に思い出してしまったのが以下の昔のこと。

フランス語でカミュさんの『異邦人』冒頭を
そらで言えるコワモテの先生に対し、
ぼくがドヤ顔で
「あれってつまり、人は何のために生きるのか、
 その答えは絶対にわからないもので、
 でも、わからないとわかっていながら、
 その答えを探すのが人間なんだ」
と言いたいんですよね、

と、ほざいたら、

とっても冷たい視線を、超高速で返され
心臓に突き刺さり、もう30年以上もたつ今も、
こうやってうずいて、ブログに書いたりするんです。

で、この『巷説百物語』。

作中のセリフ引用します。
【この世はみんな嘘ッ八だ。その嘘を真実(まこと)と思い
込むからどこかで壊れるのよ。かといって、目ェ醒まして本
物の真実見ちまえば、辛くッて生きちゃいけねェ。人は弱い
ぜ。だからよ、嘘を嘘と承知で生きる、それしか道はねえん
だよ。煙(けむ)に巻いて霞(かすみ)に眩(くら)まして、
幻見せてよ、それで物事ァ丸く収まるンだ。そうじゃねェか】

これ読んで、ぼくがコワモテ先生に言ったことって、
当たってるかも、と思いました。

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2025年4月8日火曜日

『本所おけら長屋(八)』(畠山健二)読みました。


おっとっと、気がついたらこの感想文もどき、
結構前から『ソーンダーズ先生の小説教室』の
引用で通しちゃってます。
まあ、続きもまだ残っていることだし、
今回もそうしましょう。

ロシア文豪が目指した「疑問に答える」。
疑問項目の6番目からですね。

もう、もったいぶらずに最後までコピペします。
「一方がありとあらゆるものをもち、
 もう一方がなにももっていないという状況で、
 どうして平穏を得ることができるだろう?」

「互いに愛し合うように求められていそうなのに、
 最終的には酷く離れ離れになってしまう
 と決まっているこの世界で、どうしてよろこびを
 感じて生きていけるだろう?」。

これで全部なので、もうああだこうだいわず、

で、この『本所おけら長屋(八)』。

舞台は江戸。貧乏長屋に暮らすお馬鹿さんやら
堅物やら小心者やらおかみさんやらなんやらな
世話焼きの人たちがバタバタとストーリーを進めていきます。

明らかに「もう一方」側の「なにももっていない」人。
でも彼らの心の中は「平穏」みたい。
んで、みんないずれは
あの世にいくのをわかっているだろうけど、
日常の8割の時間で「よろこびを感じ」ているみたいです。

これ、ロシア文豪が目指した疑問の答え、のような。

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2025年4月3日木曜日

『本所おけら長屋(七)』(畠山健二)読みました。


さて、何回前からやっていたのか
もう忘れちゃったほどの
『ソーンダーズ先生の小説教室』からの引用。

ロシア文豪が目指した「疑問に答える」ことの、
その疑問項目、まだまだ残ってるんです。
前は2番目まで書いたんで、今回は3番目いきます。

「なにに価値を置くべきか?」。

うーん、1つずつってものケチくさいから、
もう1ついちゃいましょうか。

4番目は「とにかく真実とはなにか?」。

えーいもってけ泥棒!
5番目は「そしてどうしたらそれがわかるのか?」。

本当に価値のあるものや真実ってのは何で、
もしそれを誰かが示してくれても、
それが正しいか間違いなのかはわからないじゃん。
つーことでしょうか。

で、この『本所おけら長屋(七)』。

ロシア文豪が哲学チックな命題をテーマにして
書き上げていた作品も、このおけら長屋みたいに
江戸庶民のドタバタの中に泣き笑いを描いたコメディーも、
うん、小説教室の話に通じるんだよな。

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2025年4月1日火曜日

『虫・全史』(スティーブ・ニコルズ)読みました。


どうせだから前回からの続きにしちゃいます。

ジョージ・ソーンダーズ著
『ソーンダーズ先生の小説教室』からの引用です。

たぶんもう著作権なんかは切れていて
パブリックドメインになっている
昔のロシア文豪たちが、
何を目標に小説を書き上げてきたのか、

それをソーンダーズ先生は
「疑問に答えること」が目標だったんだとおっしゃり、
その疑問について具体的になんなのかを列挙し、

それを読んだぼくが、
おいおいそれって、昔のロシアだけに当てはまることじゃなく、
国は違っても、時代がだいぶ進んだ今になっても、
万国共通、時代無関係に通じる「疑問」じゃんと思い、

それだけじゃなく、
毎日のように新しく本屋さんに並ぶ、
あっちゃこっちゃの作品が、
著者が意識しているかどうかにかかわりなく、
「疑問に答える道」の上を行っているような気がして、

ならばこの感想文もどきにも
使えるんじゃないかと、使っちゃったんです。

ほんで、列挙された2番目の疑問は
「なにを為すためにここに配されたんだろう?」でした。

で、この『虫・全史』。

たぶん、ダーウィンの進化論とかも
「疑問に答える道」のどこかに通じていると思い、
だからなのか「生命の不思議」系の本なんかを
思い出したように読んでいるんですが、それ系の書物には
虫がどういう位置づけにあるのか記されていないことが多く、
知りたいなと思って目を通したのがこの本。
面白かった。
んでやっぱ、同じ道を感じました。

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2025年3月27日木曜日

『檜垣澤家の炎上』(永嶋恵美)読みました。


前回、『ソーンダーズ先生の小説教室』から
引用したい文章があるといっておきながら、
思わせぶりに出さないで
そのままにしちゃったので、ここに書きます。

「(トルストイとかの昔のロシアの)作者らが当時
 芸術の目標と暗に見なしていたものなのだ。
 つまり以下の大きな疑問を問うことだ。」

と前振りしたあと、文末に「?」がつく、
いうところの「問われる疑問」が何個も続きます。
ここでは、とりあえず最初の1個をば。

「ここでどうやってやり過ごせばいいのだろう?」

うんうん。わかります。
大袈裟にいえばぼくも、24時間365日、
常に疑問に思ってます。やり過ごせるのか?

で、この『檜垣澤家の炎上』。

「どうやってやり過ごせばいいのか」。
ロシアでも日本でも、昔も今も、
疑問は解消されないんだなと、この本読んで思いました。

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2025年3月25日火曜日

『本所おけら長屋(六)』(畠山健二)読みました。


新聞かネットか
どこだか忘れちゃったんだけれど、そこに
『ソーンダーズ先生の小説教室
 ロシア文学に学ぶ書くこと、読むこと、生きること』
って本がとってもいいよって書評があったので、

いわれるがままに
600ページ近い枕にするにはちょうどいいくらいの
分厚い単行本を買っちゃいました。

よしゃいいのに、それを今、読んでます。

半分くらいまで進んだところで、うーん確かに、
こりゃ拾い物だわとしきりに感心しています。

勉強不足のぼくは
著者のジョージ・ソーンダーズって人のことは知らなくて、
どうやらアメリカを代表する作家らしく、
その作家先生が、
大学で教えている授業を一冊にまとめた作品です。

副題にあるように、
チェーホフとかツルゲーネフとかトルストイなんかの
ロシア作家の作品について、その短編をまるごと掲載して、
そのまま続けて解説していくつくりになっています。

その本の中に、
今回ここで引用したい文章があったから、
その前に大まかな内容を説明しないといけないな思ったら、
あらら、こんなにたくさん書いちゃいました。
とりあえず、ここでやめときます。

で、この『本所おけら長屋(六)』。

引用したい文章が「なぜか?」みたいな疑問形になっていて、
その答えがこの「おけら6」にあるような気がしたんです。

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2025年3月18日火曜日

『本所おけら長屋(五)』(畠山健二)読みました。


自分でやったのは確かなんですが、
どこをどうしてそうなったのかよくわからないまま、
右目の3センチほど右下、化粧をするなら
頬紅をさす位置から血がしたたっていました。

朝、カミソリで髭を剃っていたときです。

使っているやつは、
ジョリジョリする部分に5枚くらいの刃が並んでいて、
やさしく深ぞりができるとかのタイプで、
それにプラスしてその上部に単品の刃がついてて、
これを使えばもみあげの細かいカットまで
できちゃうよという進化版の安全カミソリ。

左側のアゴの下、首筋になるのかな的な場所をジョリ終えて、
ちょっと持ち替えて逆サイドを右側こめかみあたりから
攻め込もうとしたときです。

本来なら、単品刃の上部なんか
肌に向けるはずない流れなのに、気がついたら、
アイタタって声を出してました。

たぶん、切ってしまった。
(ここで「斬った」の漢字を使おうと思ったんですが、
 大袈裟すぎる気がしてこれにしときました)

その直後に、凶器を持っている同じ手で傷をかばおうとして、
再度、斬ってしまったんじゃないかと。
(2度目なので少しオーバーでいいかと「切」→「斬」)

で、この『本所おけら長屋(五)』。

それだけの傷でも、
このおけら長屋の人たちが見ると
みんな大騒ぎで世話を焼いてくれるでしょう。

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2025年3月13日木曜日

『ここはすべての夜明けまえ』(間宮改衣)読みました。


ストーリーは覚えていないのに、
その作品のどこか一部分が
記憶に残っているってこと、よくあります。
小説とかなら、冒頭の文章なんかがありがち。

「吾輩は猫である。名はまだない」。
と、書きましたが、原典を見ながら写したわけではなく、
もちろんウィキペデアとかからコピペしたのでもなく、
頭の中にある文字列を、指先を通してキーボードに打ち込み、
変換しただけです。

書いてから確認してみたら、どこも間違っていませんでした。
どういう話だったか、細かなことは何も覚えてないのに。

まあ、これは、
印象的な文章だったから覚えられたというよりも、
いろんな媒体で誰も彼もが引用してて、
目にする機会がたくさんあるから、
否が応でも、脳内に保存されちゃってるんでしょう。

そうじゃないぼくだけの脳内刻印、いってみましょうか。
ぱっと浮かんだのは、
どっかの主人公がラスボス的な爺さんと
茶室で向かい合っている場面。
その爺さんがおもむろに取り出したハンカチに
カーッペッとタンを吐き、
自分の出した黄緑色のネバネバを
数分間じーと眺めているというシーン。

これなんかは、誰が書いたどの作品なのかも忘れちゃって、
その場面の前後にどういう話がつながっているのかも
忘却の彼方です。でも、そこだけ覚えてる。

で、この『ここはすべての夜明けまえ』。

この作品の一部が記憶に残るとしたら、
きっと文体だと思います。
あの『アルジャーノンに花束を』みたいに。

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2025年3月11日火曜日

『書楼弔堂 霜夜』(京極夏彦)読みました。


本や雑誌の紙面をつくる
レイアウトの仕事をしている
知り合いのデザイナーさんが
こんなこと言ってました。

「田舎に帰ったとき、
 毎度のように両親も含めた年寄りの親戚たちに、
 デザイナーの仕事ってのはどんなことをするのか
 説明するんだけど、もう何十年も同じこと言っているのに、
 まだまったく理解されてない」

いろいろ説明して、最後に誰かが
「そうか、つまりは印刷屋さんってことだな」
などと締めて、ほかの話題に移るそうです。

ご存じの通り(グラフックの)デザイナーさんってのは、
紙面の中に、ライターが書いた文章、カメラマンが撮った写真、
イラストレーターが描いた挿絵なんかを、
それぞれどれくらいの大きさにして、
どう並べるのかを考えて、配置していく人なんですが、
出版分野とかに関わったことがない人は、
イメージしにくいようです。

で、この『書楼弔堂 霜夜』。

そういうイメージしにくい職種を
ばっちり頭に浮かび上がらせくれました。
どうでもいいけど、
「しょろうとむらいどう」と打ち、変換すると
デフォルトが「初老と村移動」なので笑えます。

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2025年3月6日木曜日

『ことばの番人』(高橋秀実)読みました。


前回の感想文もどきで
ローレンス・ブロック作品が
思いの外たくさんあることがわかり、
なのでもう少し詳しく調べてみたんですが、
その結果を書くスペースがなくなっていたので、
今回に雪崩れ込ませちゃいます。

一番最初に読んだのは
2020年9月『殺し屋 最後の仕事』。
最初なのに「最後の仕事」ってのがお茶目な感じです。

確か伊坂幸太郎さんのエッセイを読んで、
そこに紹介されていたから手を出したんです。
したらその一冊でどハマりして、
その年の残り3カ月で3冊こなし、
続く2021年には31冊も読み倒しちゃいました。
ちなみにこの年の他の著者作品も含めた総冊数は99。
ほぼ3分の1がブロックさんってことになります。

んで翌2022年は9。
それで入手可能な作品はだいたい揃っちゃたので、
その翌年から今年まで
各年1冊の計3(前回『探偵人生』も含め)。
ということで全部で46になりました。

こうやって前回のからの雪崩れ込み報告の文章を
ペコペコ入力し続けていけば、何か今回の本とつながる
きっかけのネタが出てくるだろうと、ここまでやってみたけど、
予想外というか案の定というか、
やっぱり、出てくることはありませんでした。すみません。

で、この『ことばの番人』。

いやいや本当に面白かったんです。
物語じゃなく、帯に書いてあるジャンルをそのままいうと
「ノンフィクション」です。仕事でいつもお世話になっている
文章チェックの専門家・校正者のお話です。
普段から、その方たちの仕事ぶりには
感心することしきりなんですが、
これ読んであらためてその凄さが身に染みました。
ブロック作品とは関係ありませんが。

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2025年3月4日火曜日

『マット・スカダー わが探偵人生』(ローレンス・ブロック)読みました。


本棚にある実物をリアルに数えるのは、
ちょっと泥臭くてせせこましい気がしたので、
ウィキペディアに載っていたリストを見て、
記憶と照らし合わせながら、
自宅保管されているもののうち一番冊数があり、
つーことはスペース占有率の高い作家さんは
誰だか突き止めようとしました。

細かいのはさておいて、
明らかに大きな顔してるのは
村上春樹作品群、京極夏彦作品群の2巨頭なので、
つまりはそのどっちが多いかの確認なんですが。

集計したところ、村群は38、京群は62。
圧迫感からいって双方ともにその3倍はあるか
と思ったけど、そんなもんでした。

で、この『マット・スカダー わが探偵人生』。

同じようにようにしてブロック作品群を数えたら、
45ありました。あら、結構ある。
ほんでこの1作を足して46になりました。

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2025年2月27日木曜日

『本所おけら長屋(四)』(畠山健二)読みました。


少し前、
といってももう何カ月もたつんですが、
京極夏彦さんの巷説百物語シリーズに
最新作が出たってんで、ほいほい手に入れて、

例によって1000ページくらいあった
分厚い紙束の海を、アップアップじゃないな、
ニヤニヤわくわくしながら渡り終え、

どっかに(たぶんココ)に、
過去作からの話のつながり方が、
なんだかとっても他と違うと書きました。

タイトルの付け方からして、
2作目は「巷説百物語」の5文字の頭に
「続」が付き、3作目以降はその「続」の部分が
「後」「前」「西」「遠」「了」になる。

数字を連番で続けるとか、その巻特有の題名つけて、
シリーズタイトルを副題的に添えるってのでもない。

そしてストーリーも、
同じ主人公が1巻ではこんな冒険をして、
2巻はちょっと違う冒険して、
3巻はまたちょっと違う冒険して、
というオーソドックスな流れじゃなく、
まったく違う登場人物が主人公になってたり、
「えっ、時代が違うんじゃない」ってことになってたりで、
そりゃもう毎回、なんだか嬉しい。

なので、それもう一度読み直そうと、
今度は文庫本で新規購入しようと目論んでいるんです。

で、この『本所おけら長屋(四)』。

シリーズもので間違っちゃいけないのが順番。
この4巻を買いたかったのに
5巻を先に入手しちゃいました。
本棚に置いたときそれに気づき、
しばらくお預け状態でした。

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2025年2月18日火曜日

『透明マントのつくり方』(グレゴリー・J・グバー)読みました。


法律のことはよく知らないのですが、
もし本のタイトルと中身が
著しく異なっていた場合、
それは何かの罪に問われ、
罰を受けることになるんでしょうか。

難しいっぽい言葉を当てはめて辞書を引けば、
答えが出てきそうな気がしたので、
たぶん近いと思われる「虚偽」の2文字を
パソコン辞書の検索窓に入れてみたら、
「虚偽鑑定等罪」とか「虚偽公文書作成等罪」
なんてのが出てきて、でも違ってそうだから、
もっとスクロールすると

「虚偽記載」というのが見つかって
「これか」ってクリックしたら、
財務諸表とか証券取引法とか政治資金収支報告書などの
漢字ばっか文字列でぐじゃーっとなってるから、
やっぱちがっているようで、

それでもめげずに画面を引っ張り上げたら、
出てきたよ「虚偽表示」。
よっしゃーって言いながらペコっと選択すると
書いてあった説明文が

「相手方と通謀して行う真意でない意思表示。
 事情を知らない第三者に対しては無効を主張できない」
だって。なんのこっちちゃか、余計わからなくなりました。

例えば、
『3日で10キロ痩せるダイエット方法』
って題名の本に書かれている内容が、
正しい金魚の飼育法だったとき、
それが法律的にどう判断されるのか知りたかった、
だけなんだものなのにな。

で、この『透明マントのつくり方』。

面白かったです。邪な企てに役立てようと
タイトルに惹かれて読み始めたけど、
そうじゃない部分(自然科学の研究の歴史とか)に、
めちゃワクワクしました。
題名が嘘をついていたわけではありあません。

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2025年2月14日金曜日

『コロラド・キッド 他二篇』(スティーヴン・キング)読みました。


もう新刊は出ないなと思っていた
ローレンス・ブロックさんの作品が
最近立て続けに2つ刊行されて、
小躍りしながら1冊は読み終え、
先月か、その前の月かに、
ここへ感想文もどきを書きました。

残りのもう1冊は、今読み進めている最中で、
半分くらいまで目を通したトコ。

それブロックさんの代表作シリーズの
主人公である探偵マット・スカダーが、
自らの半生を語る形式になってるんですわ。

その途中で、ブロックさん自身が出てきたりして、
そもそも探偵なので文章づくりのプロではないスカダーに、
書き方のアドバイスをしたりする。

その助言の1つに、こんな感じのがありました。
「前からのつながりとか、
 そのあとどうなっていくのかとか、
 そんなものは考えなくていいから、
 頭に浮かんだらそのまま書いていく。
 支離滅裂なんて言葉は忘れて、
 一度書いたら読み返さず、ひたすら先に進め」
(正確な引用じゃなく、
 そんな感じってことなので、あしからず)

で、この『コロラド・キッド 他二編』。

ひたすら先に進めているようにしか読めなくも、
最後にはきちんとまとめられるキングさんって、
毎度のことながら、さすがです。

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