2019年2月28日木曜日

『ミスター・メルセデス(下)』(スティーヴン・キング)読みました。


「この小間使いの話はいつまで続くんやろ」
というメールが
万城目学さんから送られ来たと、
森見登美彦さんのブログに書いてありました。

人気作家同士が昔の名作を読んで
感想を述べ合う雑誌か何かの
対談企画があったようで、
題材になったのが
ブロンテの『嵐が丘』。

題材の古典を読んでいる途中で、
万城目さんがぼやき、メールを送った。

ぼくも『嵐が丘』は読んでいないのですが、
たぶん、その小間使いは、
ストーリーの本筋にはそれほど深くは
関係していなくて、それなのに、
その人の過去の人生とかの描写が
延々と続いていたんでしょう。

ありますよね、そういうの。
特に名作っていわれる古典に
多いような気がします。
昔の読者は、
そういう寄り道が好きだったんでしょうか。

で、この『ミスター・メルセデス(下)』。

あります、あります。あちこちに寄り道。
キングさんはほとんどの作品で、
本筋からそれた寄り道があるようで、
そのうろうろ加減がぼくは結構好きです。
少なくとも誰かに
「いつまで続くんやろ」と書いたメールは
送らないと思います。





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2019年2月26日火曜日

『夏の戻り船 くらまし屋稼業』(今村翔吾)読みました。


ぼくは昔、映画学校に通っていて
その1年のとき短編映画の
製作実習がありました。

進め方は、
→ 学生が一人ずつ脚本を書いてくる
→ その中から良い作品を選ぶ
→ 選ばれた作品をプロの監督のもとで撮る、
という流れでした。

脚本は指定された3本ほどの小説の中から
好きなモノを原作にして、
それぞれ仕上げるてくるようにとの指示でした。

ぼくは確か赤川次郎さんの小説を
ベースとして選んだように記憶しています。

でも、そのままやるのではつまらないから、
もう一つ別の作品とミックスしちゃえば、
いいんではないかと考えたんです。

そこに、ぱっと浮かんだのが、
映画『スティング』でした。

ロバート・レッドフォードと
ポール・ニューマンの
あの格好良い姿が忘れられなかった。

赤川さんのベースの物語は、
(実はよく覚えてないけど)
自殺するとか、殺されちゃうとかが、
クライマックスになっていた。

その盛り上がりはまま使って、
「あーあ、死んじゃった」ってあとに、
いやいや「実は生きてます」としたんです。
『スティング』のオチ通りに。

これ、自分では、なかなかの出来だと
思ったんですけど、みんなには不評でした。
「なんだよお前、パクリじゃん」って。

で、この『夏の戻り船 くらまし屋稼業』。

いろんな名作のいろんな名場面が
てんこ盛りされている感じでした。
そうだよな、
組み合わせるのは1つだけじゃなく、
もっとたくさんにすれば良かったんだ。




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2019年2月21日木曜日

『ナバロンの要塞』(アリステア・マクリーン)読みました。


本は読み終わりエクセルでつけている
読了本リストには、書名と作者名を
入力したけれど、このブログは
まだ書いていない。

そんな本が何冊かたまって、
「早くやっとかないと、
 ストーリーも忘れちゃう」
と焦っているときは、
仕事がドタバタしているとか、
それなりに理由があるもので、
頭の中もかなり
ぐちゃぐちゃ状態なのです。

だから、この文章を書き始めようと
ソフトを起動する前、
血迷った脳内では、
1つ前に仕上げた
『ゲームの王国(下)』についての
文章をまとめていたんです。
頭の中でね。

「よし、あの本を読むきっかけは、
 山本周五郎賞の受賞作だったからって
 出だしにしよう。
 そんでもって、周五郎賞は
 今までほとんどアタリで、
 森見登美彦さんも伊坂幸太郎さんも、
 船戸与一さんだって、この賞で知って
 ほかの作品も読むようになったんだ。
 
 でもでも、ハズレがないこともない。
 それは読んだときの体調とか、好みとか、
 いろいろ理由があるから仕方ない、

 って構成にしよう」と。

でも、ソフトを立ち上げてみると、
『ゲームの王国(下)』のところは、
もう文字が埋まっていたのでした。
自分で書いたのになぜ忘れる!

で、この『ナバロンの要塞』。

なので、何も考えてませんでした。
まあまあだったってことで。




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2019年2月19日火曜日

『ゲームの王国(下)』(小川哲)読みました。


辞書で「じらす」を引くと
〈相手がいらいらするようにさせる。
 いらだたせる。〉
とありました。

ということは、
スネ夫とのび太がいたとして、
スネ夫が意図的に
のび太へ意地悪するのと同じような
意味ですよね。

のび太に
「タケコプター返してよ」と言われて、
「うるせーな、ほらっ」と目の前に出し、
渡すと見せかけて、引っ込める。

それだけで、
のび太が泣きそうな顔すると
「あ、ごめんごめん」と、
も一度差し出し、
おずおずとのび太が受け取ろうとすると、
また引っ込める。

まさしく「じらす」です。

それなら、
スネ夫が意図的じゃない場合は
何て言うんでしょう。

ちゃんと渡そうとしたときに、
突風が吹いてきて落としちゃう、
のび太が受け取る寸前に
ジャイアンが来て奪い取っちゃう。

このときにのび太は「じれる」けど、
スネ夫は「じらす」わけじゃない。
そのスネ夫の行為を表す言葉って
ありますかね。

で、この『ゲームの王国(下)』。

たぶん著者さんは、
読者をじらす意図はないんだと思います。
でもぼくは、結構じれちゃいました。






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2019年2月15日金曜日

『ミスター・メルセデス(上)』(スティーヴン・キング)読みました。


自動車の助手席の前に
小物入れがあるでしょ。

クルマのマニュアルとか車検証とかを
よく入れておく場所です。

あの小物入れの名前って、
みんな知っているんでしょうか。

ぼくは自動車の板金屋さんの
家に生まれ、親父の仕事を
少し手伝っていたこともあるんですが、
それでもその名称を知りませんでした。

もったいぶるのも何なので、
いっちゃうと「グラブコンパートメント」
もしくは「グラブボックス」だそうです。

ネットによると
語源は「手袋入れ」だそうで、
グラブ(グローブ)を入れる箱って
感じでしょうか。

それが語源といわれても「なんでや」と
首をかしげたくなる気もしますが、
パソコンの画面に文句を言っても
何も答えてくれなかったので、
よしとしましょう。

で、この『ミスター・メルセデス(上)』。

出てきたんですグラブコンパートメント。
前回読んだときには(あ、再読なんです)
前後の文脈から、
ぼんやり自分を納得させちゃったんですが、
今回はちゃんと調べました。

ふーん、
知らない言葉ってたくさんあるんだな。
下巻でもそんな言葉見つけます。





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2019年2月13日水曜日

『ゲームの王国(上)』(小川哲)読みました。


高校時代の仲間が集まった会
(メンバーは五十代が大半)で、

当時の恩師(ぼくは直接教わったことは
ないのですが)も来てくれました。
その先生がこんなこと言ってたんです。

「生徒たちと接していると、
 日本語が変わっていくのを
 ライブで実感できるんだよ。
 例えば、きくち君たちの世代は、
 〈大丈夫です〉って言葉を
 〈不要です〉の意味で使わないでしょ。
 
 それが十数年くらい前からかな、
 普通に〈要らない〉を示す単語として
 使うようになった。
 ぐれたヤツとか、内気なヤツとか関係なく、
 みんな同じようにね。
 それが当たり前の日本語になってるんだ。
 面白なって思うよね」

ふむふむ。

確かに、ファミレスとかで
ウェイトレスさんが
コーヒーサーバーを持ちながら客席に来て
「お替わりいかがですか?」とか言ったとき、
少し前までは若者の答えに
違和感を覚えてたわ。

おいおい「大丈夫です」
って違うだろって。

でも、今はコンビニで
レジ袋が不要なおねーちゃんが
「袋、大丈夫でーす」とか言っても、
そのイケイケボディにニヤニヤはしても、
言葉に引っかかることはなくなったわ。

変わっていくんですね。ことば。

で、この『ゲームの王国(上)』。

ありました、ありました。
「大丈夫」。
ウィキペデアによると
著者さんは1986年生まれ。
三十代の前半ですね。
変わっていくんですね。ことば。





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2019年2月7日木曜日

『土 地球最後のナゾ』(藤井一至)読みました。


自分が過去につくった作品を
見返したとき「幼いなあ」と
感じて恥ずかしくなるのは
いいことだと思います。

昔つくったものが
稚拙とわかるほど成長した証拠なので。

ぼくも、過去作に対して、
そんなふうに感じることは
イヤになるほどあります。

でも、それより凹むのが、
変わっていない自分を
目の当たりにすること。

文章でも紙面のデザインでも、
出来上がったときに

「おっ、これはいいんじゃない。
 なんだか新しい境地に
 達した感じがするぞ。
 やるじゃん、ぼく」

なんて思って
鼻がピノキオになりそうなとき、

なぜか本棚にヒジをぶつけて、
転がり落ちた雑誌の
パラリと開いたページに、
昔つくった記事が載っていたりして、

そこに付けられたキャッチコピーや
飾り罫の使い方、写真のレイアウトなどが、
その「やるじゃん、ぼく」作品と
寸分違わず同じだったりする。

もちろん、中身の内容は違うのに…。
いつまでたっても、嗜好は同じで
変えられないってことなんでしょか。

で、この『土 地球最後のナゾ』。

内容も読まずアマゾンの紹介文だけで、
これはオモロイ本のハズだと、
人に推薦しようとした本。

と思ったら、以前、
同じ著者の違う本をすでに薦めてた。
成長のないぼくです。





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2019年2月5日火曜日

『そして夜は甦る』(原尞)読みました。


いつもいっているように、
家は生活する場所だけで手一杯なので、
読んだ本の大半はブックオフに
ドナドナしています。

さらにいつもいっているように、
ホントに気に入った本は、
やむなく本棚に残し、
もう一回読みたくなるときに
備えています。

その〈やむなく残し本〉についても、
気合いの入ったコレクターのように
大切に丁寧に扱うわけじゃなく、
ポンポンポンと放り込んでおくだけなんです。

(とはいえ、実は最近、
 カミさんや娘の本も収納するための
 家族全員兼用の本棚を購入したので、
 ちょっとばかり整理はしたんです
 …著者名ごとに揃えるとかね。
 でも、すぐバラバラすると思います)

ほんで、
自分でもよくわからないのが、
「もう一回読みたくなる」タイミングです。

最後のページをとじた直後に、
最初のページを
めくりたくなっちゃうこともあるし、

読み終えてから何年も忘れていたのに、
ふと思い出すこともある。

同じ著者の最新作が久々に出て、
「そういえば、あの感動をも一度」
とかいって手にすることもある。

で、この『そして夜は甦る』。

半年ほど前、
十何年ぶりの新作を読んだ原尞さんの作品。
新作読んで、「あの感動をもう一度」
ってなもんで、デビュー作を再読しようと
本棚を探ってみると、

……ないんです。

絶対に〈ドナドナ〉じゃなく
〈やむなく残し〉のはずなのに……。
仕方ないので、文庫本をも一度買いました。
もうドナドナはしません。





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