2019年7月30日火曜日

『夢見る帝国図書館』(中島京子)読みました。


本はなるべくゆっくり読む方がいい。
できれば、作家が執筆にかけたのと
同じ時間を費やして目を通すようにすべきだ
……ってなことを誰かが言っていました。
(たぶん、作家の高橋源一郎さん。
 でも、ちがうかも)

といはえそれは、
スピードだけの問題じゃなく、
作者が悩み抜いた文体のリズムやら、
行間で感じて欲しいあえて省いた表現やら、
作品を取り巻くいろんな思い入れなんかも
理解しながら、
じっくり読み解くようにしましょう
ってことでしょう。

そうだとすると、
ぼくの場合には時間をかけすぎるのが、
逆効果になる恐れがある。

あんまり時間をかけ過ぎちゃうと、
それまで読んでいた内容を
忘れちゃうからです。

主人公が、自分の部屋を
彼女ができたという友だちのデート場所として貸し、
その後、部屋に置き忘れられた女性用コンパクトを
友だちに返したというくだりがあったとして、

その場面を忘れてしまい、

後に続くストーリーの中で、
部屋を貸した主人公が、
たまたま思いを寄せてしまった女性が、
同じコンパクトを使っていた
なんて書かれていても、

前の伏線を忘れてるから素通りしちゃう。

なので、ぼくは
ゆっくりすぎないスピードがよろしいようです。

で、この『夢見る帝国図書館』。

ほぼ1日で読みました。
その速度が最適でした。





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2019年7月25日木曜日

『今昔百鬼拾遺 天狗』(京極夏彦)読みました。


謎解きモノの作品を読んでも、
謎解きゲームには参加しない。

最近は、
そんな読み方になってきた気がします。

昔からじゃなく、
最近(といってもここ十数年)。

明智小五郎なんかを
面白がっていた小学生の頃とか、
金田一耕助と一緒に
逆立ちしていた中学生の頃とかは、

一生懸命考えて、
「ああだろ、こうだろう、うーん」
そうか、だから、
「よーし、わかった!」などと
等々力警部のように手を叩いて、
頭の中で犯人の目星をつける。

そうやって読み進め、結局、
警部と同じようにずっこけていたんです。

それがどうしてか、
犯人捜しとか、謎解きとか、
そういうことに頭を使わなくなり、

その場その場の描写とかセリフとか、
場面展開の仕方とかが
「わー、オモロイ」なんて
いうようになっていました。

もしかしたらそれ、
老化現象なのかもしれません。

面倒くさくて考えるのが
イヤになっちゃっう、
思考停止の状態のようで。

昔にかえって、
ストーリーそのものを楽しむべきですよね。

で、この『今昔百鬼拾遺 天狗』。

とはいえ、
最近でもたまーに謎解きしながら
読んじゃうことがあります。
最終章の手前で、
読書を中断しなくてはいけなくて、
再開までに時間が空くから、
結末が気になって、
自分で考えちゃうようなとき。

この本が、そうでした。
今回は等々力警部ではなく、
明智や金田一と同等の名推理でした!
えへん。





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2019年7月23日火曜日

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美)読みました。


ここでも何度か紹介している
『理科系の作文技術』(木下是雄)は、
自分の書くものが
なんとなくぎこちなく感じてくると
読み返す文章作成のノウハウ本です。

その中に、ページの白っぽさを
意識して書きましょう
ってくだりがあるんですが、

ぼくは今まで、
「そうはいっても、
 実例はそんなにないんじゃない」
と思ってました。

白っぽさとは、
文章の中の漢字の比率を
上げないようにするという意味です。

一般的に漢字は平仮名より画数が多く、
見た目が黒っぽい。
それをたくさん使っちゃうと、
紙面が黒々してくるので、
そうならぬよう、平仮名を多くして、
なるべく白さを残して、
ごちゃごちゃとしてた圧迫感を
持たせないようにするのがよいと。

とはいえ、
平仮名ばかりだと、
言葉の句切りがハッキリしなくなり、
逆に読みにくい文章に
なっちゃうような気がして、
だから、「これだ!」っていう、
白っぽさが目立つ実際の文章を
見てこなかったように思うんです。

で、この『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』。

実例ありました。
それでも読みやすいから不思議。





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2019年7月19日金曜日

『蜜蜂と遠雷(下)』(恩田陸)読みました。


言葉とおカネがなくなれば、
世の中はもっとよくなる。

ことある度に
そう考えていた時期がありました。

「ありました」と過去形にしたのは、
今ではまったく考えなくなったからではなく、
考える頻度が低くなったというか、
いろんなことに
敏感じゃなくなくなったというか、
まあそんなことを
すっかり忘れている時間が
長くなっているからです。

生活とか、生活とか、
生活とかばかりしてて。

……あへっ?
昔と今の考え方の違いを
書こうと思ったんだっけ?

いやいや、言葉とおカネのことでした。

そうそう、なので、まずおカネ。
できれば、その弱点をクリアした
別物に置き換わってほしい。

需要と供給の物差しで
モノの優劣が決まるだとか、
泥棒して手に入れた1万円と
1日働いてもらった1万円が同じ価値だとか、
そういう弱点。

次に言葉。
これも弱点ありますね。
ぼくが考える一番の弱点は、
ウソがつけちゃうこと。
100%のそのままを伝えているようでいて、
実はそうじゃない。
虚構の内容で
(もしくは中途半端または過剰な装飾で)
伝達しちゃうのなら、
いっそ伝えないほうが、
本質は伝わる気がするんです。

で、この『蜜蜂と遠雷(下)』。

言葉って素晴らしいなと思いました。
印刷された文字を目で追っていくだけで、
音楽が頭の中で鳴るんです。
もちろん、作者の頭の中にある音と、
ぼくの頭の中の音は、まったく違うはずで、
それがさっき言った弱点なんだけど、
その弱点に頬ずりしたくなっちゃう。
どうしたもんでしょうか。





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2019年7月17日水曜日

『日日是日本語』(今野真二)読みました。


ぼくの脳みそは、
パソコンにたとえれば
ハードディスクの容量が少ない
低スペックなつくりなので、

多様な面白ネタを記憶のディスクに
しまい込んでおくことができず、

結果として、
いつもいつも新鮮な話題を
涼しい顔して披露するような文章は
書けないのです。

だから、ある程度ネタは
使い回すことになります。

確信犯的にやることもあるし、

(「確信犯」は、辞書に
 「ある行為が問題を引き起こすことを
  あらかじめわかっていながら、
  そのようにする人」とありました。
 その意味で使っています。
 この文言の入力時に
 〈間違った使い方だよ〉的な
 チップが出たので一応ことわっておきます)

前に使ったことを
まったく忘れていることもある。

そんで今回は「確信犯」。

表現の間違いなどを指摘してくれる
校正者から聞いた話です(たぶん二度目)。

一つの文章の中で、
同じ言葉なのに違う書き方を
してはいけないといわれます。

「表記は統一しましょう」って。

ぼくはそのルールを
「なんで?」って校正の人に聞いたんです。

すると
「読んでいる人が混乱するからです。
 同じなのに表記が違えば、
 異なるモノを示していると
 思われてしまうからです」
と教えてくれました。
ああ、そうなんですね。
そうでしょうね。

で、この『日日是日本語』。

そんな表記の違いなんかを、
重箱の隅に穴を開けてしまうほど
突っ込んで考えている
学者さんの本でした。

この本の中で「読む」という言葉が、
漢字と平仮名の2種類の書き方で
表記されています。
きっと何か意味があるんだろうけど、
残念ながら、ぼくには読み解けませんでした。
低スペックです。





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2019年7月11日木曜日

『同潤会代官山アパートメント』(三上延)読みました。


気分があげあげのときじゃなくて、
心が穏やで気持ちのいいときって、
どんな場面があるか。
自分の今の生活の中で
ピックアップしてみたくなり、
あれこれと思い浮かべてみました。

そんな些細な場面は、
数え切れないほどたくさんあって、
この限られたスペースの中じゃ、
とても書ききれない。
……やってみる前は、
そんなふうに思っていたんです。

あにはからんや。
するするとは出て来ない。

やっと思いついたのが、

てんてこ舞いだった1日が終わって、
ようやく布団に入り眠りにつくとき。
布団を被ってふーっとかって
長い息を吐きながら、
いつ吐き終わったかわからない間に
もう眠りに落ちている。

そのごくわずかのまどろみのとき。
それはまあ、気持ちいいですわ。

美味しいものを食べたときも
気持ちいいの部類に入りそうだけど、
それは心穏やかとは違う気がするので、
のけといて。

とすると、
あとは何だろうなって
よくよく考えてみないと、思いつかない。

で、この『同潤会代官山アパートメント』。

ありました、ありました。
こういう本を読んでいるときです。
もちろんストーリーも
心地よさを連れてきてくれるんですが、
文体というか雰囲気というか、
まあ好みなんでしょうね、結局。





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2019年7月9日火曜日

『ノースライト』(横山秀夫)読みました。


この人の作品はどれも好きだ、
と思う作家さんは何人かいて、

逆に、ちょっと合わない
と思う人も何人かいて、

その区別は、結構はっきり
分かれている気がします。

前者の「好き作家」だと、
どんな変化球的な作品を
読まされたとしても、
「うん、それもあり。
 面白かった」となるし、
ど真ん中の直球であれば
なおさら、いい。

後者「合わざる作家」だと、
その作品がどんなに世間で
評判になっていても、
「この表現は使わないようにしよう」
みたいな反面教師的な
収穫しか得られない。

それでもたまに、
「好き」でもあり「合わざる」でもある
中間的作家さんが出てくるときがある。

今『蜜蜂と遠雷』を読んでる
恩田陸さんなんかが、そこに入ります。
(いうまでもなく、ぼくにとって)

『蜜蜂〜』もそうですが
『夜のピクニック』など
しゃぶりつきたくなるほど
好きな作品がある一方で、
それと正反対の作品もたくさんある。

なぜか振り幅が大きいんですね。
朝井リョウさんなんかも、そうかな。

で、この『ノースライト』。

新発見です。
同じ作家の別々の作品について、
上に書いた通り「振り幅」の存在は
判明していたのですが、
なんと1つの作品の中でも
「振り幅」がありました。
「好き」でもあり「合わざる」でもある。





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2019年7月4日木曜日

『今昔百鬼拾遺 河童』(京極夏彦)読みました。


多々良勝五郎というキャラクター名を
目にしたとき、
「前にも出てきた!
 ……けど、どの作品だか忘れた」
となりました。

そんなとき、
今のスマホ世代もしくは
IT化どっぷり世代の若者であれば、
「まず検索」でしょう。

ぼくも一応、
検索のケの字くらいは思いついたんです。
でも、しなかった。

自分の本棚には必ずあると思い込んでいたので、
めぼしいものを引っ張り出してはページをめくり
「これじゃない」とか言いながら、
片付けが面倒になるから、見たらしまい、
次のを引っこ抜いてパラパラ斜め読みして、
また、しまい……なんて格闘を
本棚の前にあぐらをかいて
1時間ほどしてました。

そんだけやりゃ、見つかります。

あったあった。
『今昔続百鬼 雲』でした。

そのあと、
検索したって同じように手間はかかるだろうと思い、
さわりだけやって「ほらね、やっぱり」と
ほくそ笑みたいがために、
多々良勝五郎の名を打ち込んだら、
0.32秒で見つかりました。
これからは、まず検索します。

で、この『今昔百鬼拾遺 河童』。

やっぱ、オモロイです。
多々良勝五郎先生、登場します。





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2019年7月2日火曜日

『善く死ぬための身体論』(内田樹/成瀬雅春)読みました。


ミュージシャンの佐野元春さんの
インタビュー記事を書いた友だちが、
こんなこと言っていました。

「佐野さんって、やっぱ普通とは違うよ。
 テープ起こししただけで
 そのまま原稿になっちゃうんだから」

当然のことながら、
話し言葉と書き言葉は違います。

テープ起こしの作業は、
話した言葉をそのままテキストにするだけ。

だから、通常は、
その作業をしただけでは、
雑誌などに載せる書き言葉としては使えない。

文章で読ませるための
体裁を整えなきゃいけないし、
なによりリズムというかテキストとしての
格好良さみたいなものを、
バリ取り加工のようにして
形づくっていくものです。

ぼくなどは、その加工をやり過ぎてしまい、
原文をそのまま訳すんじゃなく
突き抜けた意訳に走る
シドニー・シェルダン本の「超訳」みたいに、
取材した人の話した内容から
エッセンスだけ抜き出して、
意味は同じだけど、
一言もそうは言ってない文言で
文章をつくっちゃうこともある。

でも、それやるとき、悩むんです。
いいのかなって。

だから、佐野さんの話を聞いたときには、
その友だちのライターが
うらやましくなりました。

で、この『善く死ぬための身体論』。

対談した内容をまとめた本でした。
一読して感じたのは、
「こりゃ、テープ起こしのままじゃないだろうな」
いいのかな……いいんですよね。
うーん、いいんですよね。





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