2011年12月19日月曜日

『仮面の告白』(三島由紀夫)読みました。

ふだん、身体のパーツってのは意識しないものです。

呼吸しているときには、重要パーツの肺が勝手に動いてくれて、
もっと重要な心臓なんて、
自分でドキドキの回数を制御しようと思ってもできやしない。

後ろで物音がすれば、
自然にクビが回って、物音のした方向を確認しようとするし、
歩くときや走るときには、
意識しなくても左右の足が交互に前に出ていきます。

でも。
この意識しないそれぞれのパーツを、意識するときがあります。
それは、パーツに何かの不具合があったとき。
つまり、病気とか怪我とかです。

かぜをひいたら、
今までそこにあることさえ
知らないでいたようなノドの奥のほうが痛くなって、
「自分にはそんなパーツがあったんだ」って気づく。

利き手じゃない左手の薬指にちょっとした怪我をして、
そんなに使わない指だからと高をくくっていたら、
とんでもなく不便になる。

ぼくはぜんそくの持病があるんだけど、
発作のときには気管支や肺の形がわかるくらい、
そのパーツに負荷が掛かっているのを感じます。

って考えると、
身体のことなんかどこも意識しないで、
のほほんと動いたり、
生活できたりする状態を「健康」って呼ぶのかな、
と思ったりします。

で、この『仮面の告白』。

ふつう本を読むと、
「あーつまらない」とか、
「うわっ、オモロイ!」とか、
「うぇーん、ひっく、ひく(泣いているってこと)」とか、
なんらかの感情が生じます。

つまらないなら、つまらないなりの
面白いなら面白いなりの、反応があるもんです。

でも、この本、
たぶんぼくだけだと思うんですが、
何の反応もなかったんです。

つまらなくもなく、
面白いとも思わず、
なんというかとってもニュートラル。

たとえは悪いけど、馬耳東風って感じです。
文字を目で追って、物語の流れの中にはいるんだけど、ただそれだけ。
自分が何も意識しないで、のほほんといるだけ。
この状態ってもしかしたら「健康」って呼ぶのかもしれません。

仮面の告白 (新潮文庫)
三島 由紀夫
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2011年12月15日木曜日

『ギヴァー 記憶を注ぐ者』(ロイス・ローリー)読みました。

小学生のとき、
ガキどもだけで校庭の隅に集まり、
「お前、誰が好きなんだよ」大会を
やった覚えがあります。

十数人で円陣を組んで、
一人ひとり自分が好きな女の子の名前を言っていき、
そのたびに「ひゅーひゅー」とか声を掛ける。
たしかジャンケンで負けた順に、
想いの人の名を告げて、
その順番に恥ずかしがって
ほほを赤くしていくって遊びです。

でもその遊び、やる前はどきどきで
すっごく面白そうに思えたんだけど、
実際やってみると、そんなに楽しくなかった。

だって、ほとんどのガキどもが、
みんな同じ女の子の名前しか言わないんです。
学級委員で、勉強が良くできて、色白で可愛い、憧れのあの子の名前。
んで、ぼく的にはその子よりも、
日焼けしたそばかす顔でいっつも走り回っている
おてんばさんが良かった。
だけど、その告白大会では、口に出しません。

小心者のぼくは、
小学生のときにはもっと小心者だったので、
みんなと同じことしか言えないんです。
長いものには積極的に身をゆだねて巻かれ、
いつも大樹の陰だけに身を寄せています。

だから、その場ではぼくも学級委員ちゃんを、
自分の好きな子の名として発表しました。
「ホントは違うよ」と心の中でアカンベーしながら。

で、この『ギヴァー 記憶を注ぐ者』。

ネットでとっても評判が高かったので、
それにつられて読んだ本です。
最初に見たのはツイッターで、
ほかも見てみよってアマゾンとかもチェックしたら、
どれもみんな好評価。
これはちょっと、押さえておかないといけないでしょ、
って買ったんですが……うーん。

この本は、面白かったです!
そしてぼくは、小心者です。


ギヴァー 記憶を注ぐ者
ロイス ローリー
新評論
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2011年12月12日月曜日

『ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔』(京極夏彦)読みました。

前にも言ったと思いますが、
ぼくはだいたいその月の初めの頃に
10冊足らずの本を買い、
約1カ月かけてそれらの本を読み進めます。

読書の場所は3カ所です。
昼休みの会社、帰宅途中のバスの中、就寝前の寝床。
読みかけの本はそれぞれ、
会社にある棚、通勤用のリュックサック、ベッドの上に
ストックされています。

さて、ここで問題になるのが、
どの本をどこに割り振るかです。

面白くてやめられなくなる本を会社に置くと、
仕事に支障をきたします。
ホラーなんかを寝床で読むと、怖くて眠れなくなっちゃう。
分厚くて重たい本をリュックサックに入れると、
ランニング通勤がとてもつらい。
そんないろんな要素を考慮しつつ、
楽しい選別作業をしていくのです。

で、この『ルー=ガルー2』。
読書の場所は帰宅途中のバスになりました。

なぜ、この場所になったのかを消去法的に説明しましょう。
まず、就寝前の寝床。
ここには、ほかの積ん読本がたくさんおいてあったので、
一刻も早く読みたい京極さんの本には向きませんでした。
次に会社。
ぼくは京極さんのファンで、前作も読んでいて、
この本も、とっても面白いだろうってことは予想がついていました。
だから、会社に置いておくのは、
仕事が滞るので危険なんです。
よって、会社はダメ。

そうして残ったのがバスの中でした。
でも、この本、分厚いんです。がさばるんです。
それに普通の文庫本なんかに比べると重たいんです。
それを約5キロのランニング通勤時に、
リュックに入れて持ち運ばなきゃいけない。
その覚悟ができていないと、読めないんです。
それでもし、とんでもない駄作だったら、
とんでもない徒労感が襲ってくる。

でもね。大丈夫でした。
苦労して会社と自宅の間を往復させても、
応えてくれるだけの面白さ、ありました。
やっぱ、面白い作品を堪能するには、
それなりの努力が必要ってこよなんですよ、きっと。



※読んだのは新書サイズのノベルスだったんですが、
なぜか、新書版はアマゾンの画像リンクが上手くできないので、
単行本版を載せておきます。
ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔
京極 夏彦
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2011年12月7日水曜日

『河内源氏』(元木 泰雄)読みました。

この本にたどり着くまでの経緯は、
高村薫『太陽を曳く馬』→『<マンガ>正法眼蔵入門』→
『現代文訳 正法眼蔵』→立松和平『道元禅師』でした。
ぜんぜん理解できなかった道元さんの
正法眼蔵にひっぱられて、なぜか源氏です。

道元さんの人生を描いた立松さんの小説で、
そもそも正法眼蔵が書かれたのが
鎌倉時代だってことを知り、
それじゃあ、いい国つくろう鎌倉幕府の源頼朝か、
んじゃあ源氏だって思っていたところに、
新聞の書評かなにかで、源氏のことを知りたいなら、
この『河内源氏』を読みなさい、
みたいなことが書かれてあって、
よしこれだと思ったのが、きっかけでした。

でもね。確かに源頼朝は、
河内源氏という一族みたいなんだけど、
この本は、頼朝が出てくるまでの、
その親とかお爺さんとか3代前とか、
そんな人たちの紹介がメインで、
本の最後のほうでやっと、
「周知のようにこの後、頼朝が鎌倉幕府をつくることになる」
みたいなとこでしめられてる。

だから、
道元さんの生きた時代のことを理解しようと思っても、
その部分は触れてなかったんです。

なんとまあ、道元さん。
道元さんはぼくにとって、
簡単にはたどり着いちゃいけない難物ってことなんでしょうね。

とはいえ、この本、勉強になります。
ほかの学者の説を、
けちょんけちょんに言っている部分がたまにあって、
それが、なんかイヤなんですけど、
それ以外は面白い。

時代物を書いている小説家の人たちは、
きっとこういう本を読んで、刺激を受けて、
「今度、この人をテーマにしよ!」とか思うんだろうな。


河内源氏 - 頼朝を生んだ武士本流 (中公新書)
元木 泰雄
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2011年12月5日月曜日

『伝わる! 文章力が身につく本』(小笠原信之)読みました。

パソコンの解説書をつくるとき、
ホントはそんなに力を入れなくてもよいはずなのに、
なぜか力んでつくちゃうのが作例です。

パソコン解説書というと、
操作しているトコの画面ショットに引出線を引き、
「ここをクリック」みたいな説明文で構成するのが大半です。
へたすると、十数ページつくり終わって、
入力したテキストを見直したとき、
書いた文字が「ここをクリック」だけだった
ってこともあります。

もちろん、どこをクリックするのか、
それをキチンと指示するのにとても神経を使うんですが、
それって、あまりクリエイティブな作業じゃない気がしてきて、
それならば、ってことで、
作例を載せる画面ショットのほうで
欲求不満を解消しようかな、
なんてアホなこと考えちゃうんです。

文章作成ソフトの解説書なら、
「ここをクリック」とかの引出線の後ろに隠れている文章を
泣かせる物語にしちゃったり、
画像編集ソフトの解説本では、
ライティングなんかを懲りに凝った芸術チックな写真を撮り、
それを作例にしちゃうとか。
表計算ソフトだと、
学校の成績表の集計を作例にして、
今まで勉強ができなかった子どもが
徐々に成績が上がっていくような裏ストーリーを加えたり。

これ、内輪ウケなのかもしれないけど、結構評判いいんです。

で、この『伝わる! 文章力が身につく本』。
うんうん、そうだよね。
正しい文章って、そんなふうに書くべきだよね
って教えてくれる本でした。
でも、そんなこと求めるほうが悪いんだけど、
作例が面白くありませんでした。
作成がつまらないほうが「伝わる!」のかもしれません。

伝わる!文章力が身につく本
小笠原 信之
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2011年12月1日木曜日

『9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方』(福島文二郎)読みました。

3つのタイトルを同時発売する
シリーズ本の中の1冊をつくったときのこと。
どれが一番売れるかな、なんて、
競馬の予想みたいなことをしました。

それぞれの中身をざっくり読んで、
「完成度からすると、一番はAかな、次はB……やっぱ、
Cはちょっと雑につくりすぎているから売れないだろう」。

んで、ぼくのつくったのはBです。
一番売れるなんて、おこがましいことは言いません。
でも本心は当然一番と思ってたんですけどね。

そして発売。
フタを空けてみると、Cが断トツの売れ行きでした。
図版の位置が間違っていたり、誤植があったり、
すんなり意味の通らない文章が
あったりした「C」だったんです。

なんでだろうって考えました。
行き着いた答えは、タイトルでした。
ターゲットにした読者層に一番響く本の題名が、
「C」だったんです。
(それぞれがどんなタイトルだったかは、
いろいろと支障があるので、内緒)

んで、
『9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方』。
とっても売れているみたいです。
この本のタイトルっていいです。うまい。
売れる本って、こういう本なんですね。

9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方
福島 文二郎
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2011年11月30日水曜日

『幽霊人命救助隊』(高野 和明)読みました。

処理に困っている産業廃棄物を有効利用して、
新たな製品をつくる会社に取材したことがあります。

ぼくは、その話を聞いて、
とても世の中の役に立つことだから、
みんな大賛成で、事業はスムーズに進むものだと思い、
取材中「へえーすごいですね!」
「みんな喜びますよ!」
みたいな反応を繰り返していたんです。

すると、その会社の人は、
ぼくのことをたしなめました。

「自分たちがいいと思っていることでも、
悪いと感じる人は必ずいます。
悪いとまではいわなくても、
ある人たちにとって都合が良くない場合はたくさんある。
みんなが諸手を挙げて、
“それいい!”と言ってくれることのほうが少ない。
というより、みんなが賛成するものなんて、
現実には、ないのかもしれません」

うん。この人すごいなって思いました。
普通、こんな取材のときは、
「自分のやっていることは間違いない。
ねっ、素晴らしいでしょう」って言い張るのに、
この人は違う。誠実なんだな、きっと。

一つの側面だけ見て、物事を判断すると、
間違っちゃうことがある。
でも、まったくモレのないように、
全部の側面を検討することもできない。
だから、自分が絶対とは言い切れないんだよと
教えてくれた気がしました。

とはいえ──。
文章書いたり、物語つくったりするときには、
決め打ちで進めなきゃいけない場面もあります。
取材してきた範囲の中で断定しなきゃいけないことも、
自分の中にある知識だけでキーボードを
ペコペコ打たなきゃいけないときもあります。
特定の側面だけを覗いて書いた文章ですね。
んで、そんな文章を、反対の側面の事情通が読むと、
とっても浅く感じちゃう。

まあ、浅く感じさせないように、
手を変え品を変え、見え方を工夫するのが、
ぼくの仕事なんでけどね。

で、この『幽霊人命救助隊』。

申し訳ないんですが、浅く感じてしまいました。
物語を裏付ける特定の側面の物事に対して、
ぼくがたまたま知っていた反対の側面の事情みたいなものが
見え隠れしてしまったんです。
ぼくはいい読者じゃあ、ありません。
だって物語は、決してつまらなくはないんですから。

幽霊人命救助隊 (文春文庫)
高野 和明
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2011年11月28日月曜日

『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(山田奨治)読みました。

話題になっているホームページの
紹介記事をつくっていたことがあります。
たしか雑誌に載せる記事でした。

紹介するホームページを閲覧して
文章で概要をまとめ、
写真スペースには画面ショットを
載せるって体裁です。

こういう記事をつくるときには、
そのホームページを公開している個人なり企業なりに、
事前に「雑誌に紹介記事を載せてもいいでしょうか」って
お伺いをたてます。いわゆる許諾ですね。
文章だけの紹介記事なら問題はないと思うんですが、
画面ショットを載せるとなると、
ホームページ制作者の作品を
そのまま載せることになるので、
やっぱ許可が必要になるんです。

その仕事をしているとき、
「おっ、やるな」と思ったホームページがありました。
どんなページだったか、内容はすっかり忘れちゃったんですが、
覚えているのは、
「許諾するな」みたいなことが書かれてあった点です。

人気のあるホームページで、
リンクをはりたいとか、紹介記事を書きたいとか、
そんな申し込みが、きっとたくさんあったんでしょう。
その申し込みにいちいち対応してるのが
面倒だったのかもしれません。

そのページに書かれてあったのは、
「リンクしようが、紹介しようが、
画面ショットを載せようが、まったくOK」って内容でした。

さらには、文章も画像も勝手にコピーしてもいいし、
作者の名前も出しても出さなくても何でも結構と。
もうひとつさらに、許諾のメールなんか送ってきたら、
そんなヤツには許諾しないので、
何も言わずに勝手に使うヤツだけに、使わせてやる、
ってなことまで書かれていました。

ぼくも基本的には、
このホームページ作者と同じような考えを持っています。
ぼくが個人的につくった文章やイラストなんかは、
誰がどう使おうがOKです……って、使いたい人はいないか。

んで、一回でいいから、
著作権の縛りがない世界にならないかなぁなんて思ってたんです。

で、この『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』。
ぼくみたいな考えは、あながち間違いじゃないかも、
って感じさせてくれました。

日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか
山田 奨治
人文書院
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2011年11月16日水曜日

『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ)読みました。

本をつくる仕事をしていると、
仕事とは関係なく普通に読書しているときにも、
ヘンなところで疑問を感じてしまうことがあります。

例えば、難しい漢字につける読み仮名のルビ。
同じ単語なのに今読んだところはルビが振ってあって、
その5行後にはついてない。
そんなときは「紙面がうるさくなるから、
初出の部分だけルビを振って、
そのあとは付けないようにしているんだな」なんて、
内容とは関係ないことを考えてしまいます。
と、自分勝手に判断して読み進めていると、
その30ページくらい後で、また同じ単語にルビがある。
そうなると
「あれ? またルビが振ってある。
初出だけに付けるルールじゃなかったの」
と、これまた本の内容とは関係ないトコに
疑問を感じてしまう。

そんな細かなことが気になり出すと、
本の内容理解がとてもおぼつかなくなってしまいます。
ちなみに、今いったルビの件は、
その後、ベテランの校正者さんに聞いたところ、
「30ページ間が空いたら再度ルビを振る」
ってルールもあるようで、
そのルールは出版社独自のものや、
著者または編集者の好みだけの問題もあり、
統一された決まり事はないってことでした。

で、この『華氏451度』。

ぼくが本をつくるときには、たいてい漢字を使う場面で、
ひらがなが使われていたり、
難しい漢字がルビもなく、そのまま使われていたり
──そんな内容とは関係ないトコが
やたら気になっちゃった本でした。

内容がぼく仕様で、ぐいぐい行ってくれる本だと、
そんなこんまいトコは気にならないんですけどね。
つまり物語とか語り口とかが、
ぼく仕様ではなかったようですね、この本。


華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)
レイ ブラッドベリ
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2011年11月14日月曜日

早見和真『ひゃくはち』読みました。

「もう、彼女に電話するのも
なんだか面倒になってきて、
このまま自然消滅でいいかなって思ってる」
と友だちのセリフを聞いたぼくが、
「なんだよ、それ!
別れるか付き合うか、はっきりさせろよ!」
と怒鳴ったのは高校時代です。

おじさんになった今では、
絶対そんなこと言いません。
今なら「それがいいかもね」なんて、
へなへなな答えしか返さないでしょう、きっと。
でもそれは、投げやりになっているワケじゃなく
ホントに「それがいいかも」って思うからです。

高校時代には、自分のことじゃないのに
許せなかったどっちつかずの態度が、
おじさんになるまでに覚えてきた
「宙ぶらりんもそれなりに味がある」という真実に
照らされることで、
許せない→それがいいかも、
に変化してしまったんです。

で、この『ひゃくはち』。

読んでいる最中、
ぼくの頭の中がすっかり入れ替わったような気がしました。
今は、ふにゃふにゃになっているおじさん頭が、
かつての、がちがち頭に戻っているって感じです。

今、冒頭のセリフを誰かに言われたら、
あと1週間くらいは、
「別れるか付き合うか、はっきりさせろよ!」
と怒鳴ります。1週間後にはまた戻りますけど。

ひゃくはち (集英社文庫)
早見 和真
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2011年11月9日水曜日

『サンクチュアリ』(フォークナー)読みました。

会社で一緒に働いている仲間のカンちゃんは、
とんでもなく映画好きです。
おそらく一年間で観る映画の本数は、
一年間の日数と同じくらになると思われます。

そのカンちゃんが、いつも言っているのは
「映画はエンターテインメントじゃないとダメ。
芸術とかいって、すました作品は、本当につまらない。
だって、ゴダールだって、フェリーニだって、
あれエンターテインメントでしょ」。

うん、そうです。映画って娯楽なんです。

んで、ぼくも、小説をカンちゃんと同じように考えています。
小説って、やっぱ楽しませてくれないとヤです。
それどころか小説だけじゃなくて、
本は全部エンターテインメントじゃないと
いけないんじゃないかなって思ってます。

おっと!
よく考えてみたら、
エンターテインメントがどうのこうのって、
この『サンクチュアリ』とは関係ない話でした。
でもここまで書いちゃったから、とりあえずこじつけます。

たぶん、この『サンクチュアリ』は、
カンちゃんがゴダールをエンターテインメントと呼ぶように、
読む人が読むときちんと娯楽になっているんだと思います。

でも……ぼくには、そう思えなかった。
たぶん修業が足りないんです。

サンクチュアリ (新潮文庫)
フォークナー
新潮社
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2011年11月7日月曜日

『天使と宇宙船』(フレドリック・ブラウン)読みました。

中学生のとき、ホントにむさぼるように読んでいた
星新一さんのショートショート。
今考えると何が良かったのか、
よく思い出せないですけど、とにかく読んでました。

たぶん、読解力と記憶力が普通の人より少ないぼくなので、
あの短さがフィットしたんでしょうね。
わからなくなっても、ページをめくってすぐ読み返せるし、
短いからどこに書いてあったか探す必要もない。
最初から読み返しても、手間にはなりません。
ストーリーの途中経過を忘れちゃえるほどの長さはないので、
トリ頭でも大丈夫。
ぼく用にあつらえてくれたような小説ジャンルです。

その影響を受けて、
中学校の卒業文集にショートショートを書いて、
何を勘違いしたか、その作品が先生にほめられて、
いい気になって、将来は本をつくる仕事に就きたい
なんて思ったってことは、前にも書きました。

その星新一さんの本の中に、
ショートショートを書き始めたきっかけみたいなことが
書いてある文章があったんです。
どの本のどの場所かも定かではないんですが……
もしかしたらぼくの記憶の中だけにあるものかもしれません。

そこには、
「アメリカではショートショートが流行っていて、
文学としても認められている。
自分もそれに習って書いてみようとしたのが、
そもそもの始まりだった」
みたいなことが、記してありました。ような気がします。

で、この『天使と宇宙船』。

ネットで、好評価の感想を見かけただけで、
何の予備知識もなく買ってしまったのですが、
これぞまさしく、
今は亡き星新一さんが言っていた(とぼくが思っている)
アメリカで流行ったショートショート集でした。

そうか、星新一さんは、こういう本に影響されたんだ。
そんで、ぼくは、その星新一さんの影響を受けて、
今、本をつくる仕事をしているんだ。
時代はめぐるってことですね。


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2011年11月1日火曜日

「うぐっ」てくること。

『下町ロケット』(池井戸 潤)読みました。

何の前触れもなく、「うぐっ」って、
なんかが突き上げてきて、
これって涙だと気づき、
いかんいかん、こんなトコで、
いい年したおじさんが泣いてはいかん、
と身体が自然に反応して、
必至で涙腺を引き締めるってこと、
ぼくは週のうち何回かあります。

こう書いて、思い出したのが、
娘と一緒に彼女の高校入試の
合格発表を見に行ったときのこと。

本当は互いに緊張しているのに、
緊張なんかしてないよ、
普段通りなんだからって感じを装って、
2人で電車に乗って向かった高校。
駅から高校までの道のりも、
「こんなとこまで通ったら大変だなぁ」なんて、
もう合格は決まっているようなセリフを
わざと言ったりしながら校門をくぐって、
人だかりができている掲示板の前に。

受験番号を聞いていなかったぼくは、
その人だかりの後ろのほうにいて、
泣いちゃっている子やそれを慰める子、
「やったー!」とでかい声で
叫んでいるぼくよりきっと年上の
オヤジさんの姿なんかを、ぼんやり眺めながら、
ああ絵に描いたような合格発表の様子だな、
なんて考えていました。

そんなとぼけたこと考えているぼくに、
娘が駆け寄ってきて「あった!」と言ったんです。

まさに、この瞬間でした。
「うぐっ」って、なんかが突き上げてきたのは。
そんなものがくるとは、予想もしてなかったんですけどね。

で、この『下町ロケット』。

読書中、18回ほど「うぐっ」ってきました。
さわやかですよ、この本。



下町ロケット
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2011年10月25日火曜日

密度が濃い時、薄い時、まだらが常態。

『ふがいない僕は空を見た』(窪 美澄)読みました。

仕事で1冊の本をつくるとき、
長いものでは半年から1年、普通だと2〜3カ月、
特急仕上げで1カ月くらいの期間がかかっています。

そこから考えると、
新規の受注は3カ月に1回程度の割合でもらえると、
ちょうどよくクルクル回転させられる
ってことになるようです。

でも、なぜだか世の中はそう上手くできていません。
どこかで聞いたセリフなんですが
「うち仕事は、死ぬほどヒマか、
死ぬほど忙しいか、どちらかだ」。
なかなか均一ってのはむずかしく、
社会のデフォルトは「まだら」のようです。

少し前も、4冊同時に声が掛かったことがありました。
朝、メールをチェックしたら、2件の新規案件が入っていて、
「うわー今日はなんかスゴっ」て思っていたら、
お昼ごはんを食べる前に、
とってもご無沙汰している人から、
「こんな本つくらない?」って電話。
ひょっとして示し合わせているのかって
聞いちゃったほどです。

そんで、ふーっと一息ついて午後、
さあー続き続きと、ぺこぺこキーボードを打って
2時間くらいたってやっと調子に乗ってきたころ、
今度は初めて電話しましたという会社の人から、本づくりの依頼。
なんでこんなに重なるんでしょう。

で、この『ふがいない僕は空を見た』。

とっても良かったです。5つ星!
今年は後半になるまで、良い本に出会わないなと思っていたら、
つい先日の『ジェノサイド』といい
『虚言少年』といい『空色バトン』といい、
立て続けに5つ星の嬉しい出会い。

もっと均等にばらけてもいいと思うんですが、
時期って重なるモンなんですね。
社会のデフォルト「まだら」は、
ぼく個人にも適用されているようです。


ふがいない僕は空を見た
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2011年10月20日木曜日

もし弟子が天才だったら。

『根津権現裏』(藤澤清造)読みました。

まず、Wikipediaに載っていた
15世紀の画家についての解説を引用しちゃいます。

『アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio,
1435年頃フィレンツェ - 1488年ヴェネツィア)は、
イタリア・フィレンツェで工房を構えた
ルネサンス期の彫刻家・画家・建築家。
レオナルド・ダ・ヴィンチの師であったが、
年若い彼が描いた絵を見て、その見事さに驚愕し
その後絵を描かなくなったと伝えられている』

昔、レオナルド・ダ・ヴィンチのことを
記事に書いたことがあって、
そのときこの師匠のことを知りました。
才能を持った弟子が、
師匠をらくらく越えちゃうってことは、
世の中にはままあるんだなって感心して、
ぼんやり覚えていたんです。

で、この『根津権現裏』。

最近芥川賞をとった西村賢太さんって作家が、
昭和初期に亡くなり、
その後ほとんど世に知られることのなかった
藤澤清造さんて人を、もう一度見直して欲しいと、
出版社にかけあって、復刻された本だそうです。

西村賢太さんは、
藤澤清造さんの没後弟子を自称していて、
人生が変わるほどの相当な影響を受けたっていってます。

ぼくがこの『根津権現裏』を読んだのは、
この西村賢太さんの本が面白かったから。
芥川賞をとった『苦役列車』です。
こんなおもろい小説のバックボーンになっている、
いわばネタ元は、ぜひ押さえておきたいと手に取ったんです。

でも、でも。ううーん……ダメでした。
申し訳ないんですけど、途中で飽きてきちゃった。
没後弟子の西村さんの作品のほうが、
ぜんぜん上だなって思っちゃったんです。

そこで思い出したのが、
レオナルド・ダ・ヴィンチとその師匠の関係。
西村賢太さんが、藤澤清造さんのいる時代に
もし弟子入りしていたとしたら、どうだったろうかな、
なんてつまらぬ想像をしてしまいました、とさ。


根津権現裏 (新潮文庫)
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2011年10月17日月曜日

怒られちゃうかもしれないけど。

『ジェノサイド』(高野和明)読みました。

今はもう、年に数回ほどしか
足を運ばなくなってしまいましたが、
20年ほど前の若かりし頃は、
一年で300本ほど映画を観ていました。
もちろん映画館に通ってです。
新作ロードショーは高いので、
ほとんどが2番館でしたけどね。

それだけの数なんで、
当たり前といえば当たり前なんですが、
ほとんどが一人での鑑賞です。

誰かが一緒だと、映画を観終わった後、
感想を言い合ったりしなきゃいけなくて、
それがあまり好きじゃないってこともあります。
自分の頭の中だけで、
あそこがダメだったとか、ここが良かったとか、
ひたっていたい。

人と話をするのが
そんなに得意じゃないって理由もありますけどね。

そして、一人鑑賞を好んだのには、
もう一つ理由があります。

それは、観終わった後のタバコ。
これは一人がマストの条件でした。
一人じゃないとダメなんです。
他の人が側にいて、話しながらタバコを吸っていると、
話に気をとられて、味がわからなくなっちゃう。

今観た映画を思い出しながら、
一人でタバコを吸い、その味を確かめる。
すると、なぜか良かった映画の後は、
タバコが美味しく、つまらない映画だと、
めちゃくちゃまずく感じるンです。
たぶん精神的なもので、とんでもない勘違いなんでしょうが……。
それにタバコがとっても煙たがられている今の時代、
こんなこと書いているだけでも、怒られそうな気がします。

で、この『ジェノサイド』。

精神的なもので、とんでもない勘違いだとは思うんですが、
読み終わった後のタバコが、ちょー美味しかったんです。
こんなこと書いているだけでも、怒られそうな気がしますが。

ようするに、この本すごい! ってこと。

いやいや、面白いのなんの。
今年は、当たりの本がないかなって思ってたけど、
10月になってやっと満足できる本に出会えました。
読んでいる途中で、
「早く読み終わって、もう1回読み直したい!」と何度思ったことか。
これ、おすすめです。

ジェノサイド
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高野 和明
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2011年10月12日水曜日

ぼくはセリフがヘタくそです。

『1000ヘクトパスカルの主人公』(安藤祐介)読みました。

「今、何やってるんですか?」「評判の女子大生だよ」とか、
「君は一生懸命やれることを見つけなさい」とか、
「俺、がんばるよ。あの女子大生の人みたいに」などなど。

学生時代に撮っていた自主映画に出てくるセリフです。
脚本を書いたのはぼく。
あー恥ずかしい。
なんてこなれていないセリフなんでしょう。

脚本でも小説でも、
ぼくの書いたものを他の人に読んでもらって、
感想を聞くと、決まって言われるのが、
「セリフがへたくそ」。

自分では一生懸命リアルに書いているつもりなんですけどね。
セリフを書いているときは、
自分でも気がつかないうちに声に出して、
一人で掛け合いながら書いるんですけどね。
それでも、しばらく時間をおいて後から読み直してみると、
自分でも「へたくそ」と思っちゃう。

やっぱり、本当に声に出して発せられる言葉と、
目で字面を追って確認される(つまり文章)言葉とは
違うモンなんでしょうね。

だから、声に出して掛け合いながら書いても、
文字にするとヘンになる。
といっても、ぼくが学生時代に書いた脚本は、
役者(もちろんプロでもなんでもないただの友だち)が
声に出してしゃべってもヘンでしたが…。

書き言葉の中のセリフっていうのは、
無理に話し言葉のリアル感を出さないほうがいいんだろうな、きっと。
目で追って、頭の中だけで完結するから、
それ用の表現が必要なんだろうな……とか考えつつ──

で、この『1000ヘクトパスカルの主人公』。

読んでいる途中で、
昔ぼくが書いていたセリフを次から次へと思い出しちゃいました。
もしかしたら、知らないうちにこの作者も、
自分で声に出して一人芝居をしながら、書いているのかな、
なんて勝手な親近感を持ちながらの読了。


1000ヘクトパスカルの主人公
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2011年10月4日火曜日

あまのじゃくのお勉強

『阿房列車』(内田百けん)読みました。

ひゃっけん先生のけんの字、門構えに月ですが
入力すると機種依存文字のチップが表示されるので、
ひらがなにしました。文字化け対策です。

ほんで、いきなりですが、
ぼくは中学の3年間、
ちょうどこの本の表紙右下にあるカバンのような
ふくらみ具合の学生カバンをぶらさげて
学校に通っていました。

当時、学生カバンは校則で決められた必須アイテムです。

でも、みんなは、このふくらみをできるだけ抑えて、
薄っぺらに加工したものを使っていました。
その薄さと、不良度合いは正比例していて、
生意気でツッパリなほど、カバンはぺらぺら。

ツッパリじゃない普通の生徒も、
ふくらんでいたらカッコ悪いと、
両側面を糸でくくったりして、なるべく薄くしていたんです。

そんな中学生社会にいながら、
カバンの中に教科書を横置きしてまでも、
ぼくがふくらみを守った理由は、
「みんながやっているからやだ」でした。

我ながら相当ヘンなヤツだと今まで思っていました。
そんなことやってるヤツは他にいないだろうと。

ところが! いたんです!
同じことやってるヤツ。
ごく近くです。ぼくの後ろの席に座っている、
毎日顔を合わせてる会社の仲間。
わざと人に逆らう言動をとるヤツ、
つまり「あまのじゃく」仲間です。

で、この『阿房列車』。
あまのじゃく精神ばりばりの本でした。
後ろの席に座っている仲間や、ぼくなんて、まだまだ。
相当ひゃっけん先生から吸収しないといけないです。


阿房列車―内田百けん集成〈1〉   ちくま文庫
内田 百けん
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2011年9月29日木曜日

『虚言少年』(京極夏彦)読みました。

「誰かに書かされているみたい」ってことを
いってる作家さんは、結構いるようです。

作家のインタビュー記事とか、
エッセイとかを読んでいると、
年に2〜3回はそんな話を目にします。

小説を書いているのは、
確かにその作家さんなんだけれども、
書いているうちに、
自分のつくったキャラクターが勝手に動き出してしまう。

作家さんは勝手に動いてしまった登場人物の動向を、
忠実に描写していく。そんな感じでしょうか。
誰だか忘れたけど、登場人物に踊らされながら書かないと、
面白い作品にならないって言ってた人もいました。

そんで、恐れながら小説もどきを
したためたことのあるぼくも、
その「登場人物が勝手に動く」を体験してます。

ホントに自分が考えてもいなかったことを
やらかしてくれるんです。
そうなると、作者というより、読者です。

こいつら、次はどんな面白いことやるんだろうと、
わくわくしながら読み進め、じゃなかった、書き進められます。
自分でなんとなく考えていたストーリーは、
みごとに裏切られ、そいつらの独壇場。
キーボードを打つ指はぼくのものではなく、
ヤツらのものになってしまうんです。

で、この『虚言少年』。

ものすごく面白かったです。
きっと、作者の京極さんは、
登場人物のガキどもに操られていたに違いありません。

たとえどんなに大御所の人気作家だろうと、
簡単に手玉にとっちゃえるほどのパワーを、
この本の中にいるガキどもは持っていました。

ぎゃはははっ! って、笑えますから、この本。


虚言少年
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京極 夏彦
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2011年9月27日火曜日

隠さないほうがいいみたい。

『ぼくらのサイテーの夏』(笹生陽子)読みました。

自分に都合の悪いことを隠すのは、
人間のサガなんでしょうね。
いろんな報道を見聞きしていると、
毎日のようにそのネタが飛び交っています。

「隠すヤツはとんでもなく悪い」って意見に、
みんなが強くうなずいて、
隠した人とか組織とかをやり玉にあげています。

まあ、それはそうなんだけど、
ぼくもやっぱり都合の悪いことや恥ずかしいことって、
隠したいって思っちゃうこともある。

だから、ほとんどの人が持っている
隠そうって気持ちというか人間の習性みたいなものの
そのものを非難して、
何とかしようって考えるのが
いいのかもしれませんね。

罪を憎んで人を憎まずみたいなモンです。

んで、
大人が子どもに対して
隠そうすることもたくさんあります。

大人は大人なんだから、
子どものように間違ったことはしない。

間違った大人はいないんだ、みたいな感じです。

子どもにしてみれば、
間違った大人の存在なんて百も承知で、
間違っていない大人がめちゃ少ないことも知っている。

それでも大人は悪い大人を隠しちゃいたいんだよね、いつも。
特に児童文学とのか世界では……って、
ぼくは勝手に思っていました。

その固定観念を、
ガシャンと壊したのが、昔読んだ山中恒さん
(『おれがあいつであいつがおれで』とか)
の作品でした。

大人のいやらしさはもちろん、
子どものいやらしさも、
全部ひっくるめて作品に落とし込んでいる。

うわーっ、それってありなんだ!
とひとしきり感心した覚えがあります。

で、この『ぼくらのサイテーの夏』。

とっても正直だなって思いました。
何も隠してないって。

それにプラスして、文章がとっても心地よかった。
やっぱ『空色バトン』で、これだって思ったのは正解でした。



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2011年9月22日木曜日

きれいな本

『ラブオールプレー』(小瀬木麻美)読みました。


すっごい美人の女性とか美男子とか、
きれいすぎる人って、
どこか世間の人から敬遠されているように思えます。

(ぼくはその美形属に含まれてはいません。
それゆえのコンプレックスが多少ありますが……)

知り合いには、
結婚願望を抱いている美女美男が結構いるし、
最近はやりの大勢の人気グループに
すっごい美人っていない気がするし……。

──ということで、きれいすぎずに、
どっかしら汚さとか、ワルっぽさとか、人間臭ささとか、
もろさ、弱さなんかが適度にまじっていないと、
しっくりこないんですね。

これは、容姿だけの問題じゃありません。
だってこれ、本の感想を書いているトコですから。
きれいすぎちゃうとダメよってのは、
本の内容にも通じなきゃいけないんです。

なにせ本の感想を書いているトコですから。

で、この『ラブオールプレー』。きれいすぎです。

でも、中学高校と6年間、
バドミントンに青春を捧げてきたぼくは、
泣いちゃいました。

この本、きれいでした。


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2011年9月20日火曜日

気持ちよく文字を追える謎

『空色バトン』(笹生陽子)読みました。

なぜなのか、いずれはその原因を明かしたいと
考えていることがいくつかあります。

哲学的なこととか、
自然科学的なこととかをいっちゃうと、
いくら書いても足りない気がするので、
とりあえずは、ぼく自身にかかわる「なぜかのか」。

ここで3つほど紹介しちゃいます。
3つの謎です。

第1の謎は、原稿を書くスピード。
ある日は、10本近くの記事をだだーっと書いちゃいます。
そして別のある日は、
1本をやっとのことで仕上げられる程度。

もちろん内容の違いはあるけど、
そんなの問題にできないスピードの差。
それがランダムに生じるんです。
体調の善し悪しとか、締切が迫っているとか、
そんなのにも関係なくです。

なんで、
仕事の効率がとてつもなく上がる日と、
まったく進まない日があるんだろう
──これが1番目の謎です。

第2の謎は、最近始めたランニング通勤のこと。

ある日はとっても快調で、ゴールに着いても、
まだ走れるかな……なんてこと考えたりできます。
でも、別のある日は、
スタートの最初の1歩からゴールまで、
ずーっとへろへろ状態。
いつ倒れるか自分でも心配しながら、
つーか、なにも考えられずに足だけ動いている。

前日飲み過ぎたとか、寝不足だったとか、
そんなのも関係なく、
へろへろと快調のどっちかがやってくる。
(へろへろ状態が8割ですが…)

どうしたら、ずっと快調になるのか
──これが2番目の謎です。

さて、最後の第3の謎。
ある本は、取り立てて興味を引くような内容ではなくても、
とっても気持ちよく読める。
でも、別のある本は、
いくらぼくが好きなストーリー展開でも、
ぜんぜん気持ちよく読めない。

この気持ちよさと悪さの差は、
小説、評論、解説書、翻訳本とかの
ジャンルとはまったく関係なく生じます。

なんで、気持ちよく文字を追える本と、
違和感を感じながらしか読めない本があるんだろう、
っていうのが第3の謎。

この3つの何でだろうは、
なんとか生きているうちに答えを見つけたいと思ってます。

で、この『空色バトン』。
とっても気持ちがよかったです。
著者の笹生さんの本、もっと買って来よっと。


空色バトン
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2011年9月9日金曜日

誰かほめて……

『邪馬台国はどこですか?』(鯨 統一郎)読みました。

ベテランと新人の有名音楽家同士が対談するテレビ番組があって、
その中で新人さんが、ベテランさんに、

「私が音楽を始めたのは、先生(ベテランさん)に
“君、センスあるね”と言われたのがきっかけなんです」
と言いました。

新人さんがセンスあると言われたのは、
昔放映された別のテレビ番組でのこと。

ベテランさんが自分の母校に行って、
そこにいる生徒たちに授業をする番組。

それを聞いたとき、
ぼくは、「あっ、覚えている!あの番組だ」
と即座に思い浮かびました。

何回かの授業の締めくくりに、
生徒たちが一人ずつ自分でつくった曲を
ベテランさんに評価してもらう授業。

センスあるねと言われ、
顔を赤らめている子が、その新人さんだったんです。

覚えていたのは、
ぼくが予想していたことと同じだったからです。
「この子、きっと音楽の道に進むな」って。

やっぱ、人からほめられると、やる気が出ます。
それが超有名な人だったら余計に。
さらにほめられた時期が子供のときだったら余計に。

で、この『邪馬台国はどこですか?』。
この本は、何でも新人賞の応募作品で、
その選にもれてしまった短編に、
ほかの短編を書き足して1冊に仕上げたものだそうです。

受賞作ではないものの
選者の宮部みゆきさんが有望な作品だと認め、
それを励みに作者は短編を書き足していったといいます。

……いいな。ぼくのことも誰かほめてくれないかな。

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2011年9月5日月曜日

面白くないパターンの(1)



『占星術殺人事件』(島田荘司)読みました。


小学校のとき、
なぜか迷路をつくる遊びが流行ったことがあります。

宿題のプリントの裏なんかに、
スタートとゴール地点を描いて、
その間に、ぐにゃぐにゃした道を何本も描いて、
そのうち1本だけスタートとゴールがつながっている落書き。

それをみんなに解いてもらって
「わー難しい!」とか
「なんだ簡単じゃん!」なんて騒ぐ遊びです。

ぼくは、この迷路づくりが得意だったんです。

みんなを迷わせる行き止まりの道を
巧妙にしかけておくとか、
たくさんの分かれ道と2つだけの分かれ道を
バランスよく組み合わせるとか、
とにかくみんなをうならせることを考えて、
るんるんしながら道をつなげていきました。

で、つくるのは得意で面白かったんですが、
友だちのつくった迷路を解くのは、
そんなに面白くなかった。

面白くないパターンの(1)は、
難しくてゴールにたどり着けないもの。

パターン(2)は、
何も悩まずすんなり簡単に
ゴールにたどり着けちゃうもの。
特に(2)が面白くない。

とにかく自分がつくって、
みんなが一生懸命解いている姿を見るのがよかったんですね。

でで、この『占星術殺人事件』。

すごいです。
途中で「読者への挑戦」とかいう
直接読者に呼び掛ける文章が入っていて、
「犯人を当ててごらん」と作者が挑発しちゃったりします。

もちろん、へなちょこ頭のぼくには、
ぜんぜんわかりません。

そう、友だちがつくった迷路をやってるぼくのパターン(1)。
小説なんで、最後には答えがわかるからいいんですけど、
挑発文章を読む段階では、「きーっ」てなっちゃいます。

やっぱりぼくは、つくっているほうが面白いかな。
ぼくのつくったものを、
読む人が面白がってくれるかどうかは、別にして。


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2011年9月2日金曜日

もうちょっと、つくればいいのに。

『道元禅師(下)』(立松和平)読みました。

このネタは以前にもどっかで書いたような気がするんですが、
いつどこで書いたのか、まったく覚えていないので、
使い回ししちゃいます。

友だちの書いた小説のことです。
(ちなみに、どんな内容の小説で、
どの友だちが書いたかも忘れちゃってます。
……トリ頭をなんとかしないと)

その友だちに作品を読ませてもらったぼくは、
「うん、まあ面白いんじゃないの」的な感想を言いました。

確かに作品のできは、そこそこ良かったんです。

でも、1箇所だけ、つくり話っぽくて、
リアリティがない部分があって、それを指摘しました。

「ここだけ、ちょっと、面白くないね。
というか、いかにもつくりましたって感じ。
リアリティが欲しい」

すると、その友だちは、

「この話は、お前の指摘した1箇所以外、全部つくり話。
で、指摘した1箇所はホントにあったこと。
なんでホントにあったことにリアリティがないって言うの」

つくり話は本当ぽくって、本当の話はつくりっぽい。
なぜでしょうね。

それはたぶん、
ぼくの感じ方や友だちの力量じゃなく、
書き物の法則っていうか宿命っていうか、
そんな動かせない何かがあるんだと思います。

ましてやノンフィクションだとわかった上で、
読まされるモノじゃなかったわけで。

で、この『道元禅師』。

一生懸命調べて、
とことんホントのこと書いているんだと思います。

だからなんでしょうね。
ぼくには、ずずーんとくるものがなかった。

道元さんの思想を
そのまま紹介しているような部分が難しくて、
トリ頭のぼくには理解できないってこともあるんですが……。

率直な感想は、
「もうちょっと、つくちゃえばいいのに」でした。


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2011年8月24日水曜日

慣れさせたいときは「面白い」

『Xの悲劇』(エラリー・クイーン)読みました。

音楽を聴きながら、原稿を書く人って結構いますね。
でも、ぼくはそれができません。

レイアウトの作業とか、
イラスト・図版なんかを描いているときは、
どんなに音楽がかかっていても大丈夫なんですが、
文章をつくっているときはダメなんです。

例えば、エコ関係の記事を書いているとき、
『リンダリンダ』なんかが流れていると、
「地球の自然は、どぶねずみです」って書いちゃうんです。
それであわてて削除ボタン。
音楽に反応して指が勝手に動くんです。これでは、先に進めません。

んで、書いているときほどでもないんですが、
読書のときも同じように音が邪魔します。

目に入ってくる文章と、耳から入ってくる音が混じって、
頭の中がぐちゃぐちゃになり理解が進まない。

通勤のバスの中で、
「次は、ペンギン村です。止まります」とかの
アナウンスもそれなりに障害なんです。

でも、人間って不思議なもんで、
ダメだと思っている環境でも、
何度も繰り返しているうちに慣れてくる。

最近では、バス内のアナウンスなんかぜんぜん聞こえず、
読書に没頭できちゃう時間がだいぶ長くなってきました。

特にこの本『Xの悲劇』。
降りなきゃいけない停留所を
何度も乗り過ごしそうになりました。

環境に身体を慣れさせたいってときには
「面白い」という要素が、効くみたいですね。

今度、原稿を書く仕事で、
心の底から面白い!って思えるものが出てきたら、
音楽流してみようかな。

そうやって身体を慣れさせていけば、
どんな環境でも原稿が書ける、強靱な指がつくれるかもしれないし。

そのとき流すのは『ボヘミアン・ラプソディ』かな。
クイーンつながりってことで……おあとがよろしいようで。

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2011年8月15日月曜日

忘れたころに、繰り返し。

『宇宙は本当にひとつなのか』(村山 斉)読みました。

「あっ、それってやっていいんだ!」ってこと、
また一つ、教わっちゃいました。

何かっていうと、
同じ本の中で、同じ内容のことを何度も書くことです。

今まで、ぼくが本をつくるときは、
同じ内容を繰り返して書かないように気をつけていました。

どうしても書かないといけないときは、
「○○ページでも触れたように」とか、
触りだけ書いてあとは、「○○ページ参照」という印を
つけたりしていたんです。

誰かに「同じこと書いてはいけないよ」
って教わったわけでもなく、
そんなルールがあるわけでもないんですけどね。

なぜかそれをやると、
ページがもったいないとか、
手を抜いている感じがするとか、
気が引けてきちゃうんです。

でも、ぼくのつくっている本は、
ほとんどが教科書のようにガリガリとノートを
とりながら勉強する内容でもないし、

ささーと読んでもらって、
その中の主だった情報だけ、
読む人が受け取って残してくれればいいものだから、

サクっと理解を深めるには、繰り返すのって結構いい。

○○ページ参照とかいわれて、
前のページに戻るのも、面倒だし…

なのでこの本は勉強になりました。
繰り返しを乱用してるわけじゃなく、
ちょうど忘れたころにタイミング良く出てくるトコも
孫の手的(かゆいトコに手が届く)です。

で、もう一つ、この本を読んで思ったこと。
人間は「なぜ」に対する答えを
まったく見つけていないんだなってこと。

「こういう仕組みで存在している」とか
「こんな計算式に則って動いている」ってことは
どんどん解明されてるみたいだけど、

でも、
「なぜその仕組みなの?」「なぜその計算式なの?」
って質問には答えてない。

わかっちゃいけないモノなのかもしれませんね。


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2011年8月2日火曜日

ちょうどいいです。

『折れた竜骨』(米澤穂信)読みました。

ぼくは今、
自宅から会社までの約5キロの道のりを
ランニング通勤しています。

始めてからまだ5カ月ほどなので、
まだまだつらいです。

いつも途中でくじけそうになって、
「歩いちゃおうかな」とか
「バスに乗っちゃおうかな」なんて考えが
頭をよぎります。

でも、最近になってときどき
「あれ? 今日はそんなにきつくない、
いつもよりは楽ちんだ」
と思える日がちらっと出てくるようになりました。

走りのつらさに慣れてきて、
約5キロのランニングが体力的に
ちょうどいい長さになってきているんでしょう。

この「ちょうどいい長さ」って大切です。

本を読んでいて、
なんか内容がだれてきて
つまらなくなってきたなーと思い始めたトコで、
場面が転換されて「うおッ」って感じたり、
ウンいいよもっとこの会話続けてほしいって
思っている間だけ会話の場面が続いていたり、
ときには
「えッこのシーン、何でここで終わっちゃうの」と感じても、
後のほうで、
伏線なりなんなりのフォローをしてくれたり……。

その感じ方は人それぞれだと思うんだけど、
たまにぼくが感じる「ちょうどいい長さ」に、
ぴったりはまる作品に出会うことがあります。

それがこの『折れた竜骨』。よくできてました。

比較するのはとってもおこがましいんですが、
ぼくのようにその場で思いついたことを
何も意識せずペコペコと打っていく文章のつくり方とは、
きっと違うんだろうなって感じました。

きちんと作戦を立てて計算してつくってるんだろうな。拍手。


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2011年8月1日月曜日

予備知識は必要ですか?

『ヴァンパイアハンター・リンカーン』
    (セス・グレアム=スミス)読みました。

予備知識はあったほうがいい場合と
ないほうがいい場合とがあります。

辞書で「予備知識」を調べると
「事をする前に知っておく必要がある知識」って
書いてあるので、言葉の意味からすれば、
なくちゃダメみたいなんですけどね。

もう20年くらい前になると思いますが、
編集の会社に勤めていた頃、
社員旅行で香港に行ったことがありました。

そのとき、
他の仲間はちゃんと予備知識を仕入れていたようなんですが、
ぼく一人、香港のホの字も知らず、
そこが日本からどれくらい離れているかも勉強しないで、
くっついて行ったんです。

その旅行には、
いろんな観光スポットをバスで巡る行程も含まれていました。

いつくか観光地を見たあと、
バスガイドさんが「はいクーロン城に着きました」と言いました。
なにやらクーロン城はもうすぐ取り壊される予定で、
周りに柵が張り巡らしてあるものの、
その姿はもう見られなくなるから、
記念に写真を撮っておくとよいとのこと。

少しバスを止めるので、写真を撮ってこいと言われ、
みんなバスを降りて、その場でハイ・チーズ。

何枚か写真を撮ると、すぐにバスに乗り込み、
次の場所へ向かいました。

「えっ、でもちょっと待って!」
ぼくはみんなに言いました。

「今写真撮った場所のドコにお城があったの?」
コンクリの固まりをごちゃぐちゃにくっつけただけの蟻塚みたいな、
鳥の巣みたいな、ガウディさんのつくった建物に
いくつもの大砲を撃ち込んだみないな建物群の周りに
工事中の囲いがしてあったけど、

お城らしきものは何もなかったじゃない!

「お前、何でそんなことも知らないの!?」
みんなは、そんなふうに言いました。

今更ならがらWikipediaで調べてみると、
ぼくらが社員旅行した頃は、
一般的にクーロン城といえば、
クーロン城砦跡地に建てられた巨大なスラム街のことを
指していたそうです。

香港を訪れる観光客なら、
一度はパンフレットやらチラシやらで目にしているはずだと、
みんなは軽蔑を通り越して驚愕って感じでした。

さて、この場合、予備知識はあったほうがよかったのか。

予備知識があれば、廃墟のスラム街を見たとき、
「ほーっこれがクーロン城かぁ」って感心できたかもしれません。

でもそうじゃなかった。

そうじゃなかったから、
みんなから軽蔑オーバーの驚愕の視線を向けられ、
それがいつまでも印象に残って、
こうやって20年ほどたった今でも思い出して文章にできる。

予備知識があった場合は一瞬の感心だけで、
そんなに思い出には残らなかったでしょう。

で、この『ヴァンパイアハンター・リンカーン』。
どこかの書評につられて読んだのですが、そこに、
巻末につけられている解説にはネタバレ部分があるので、
決して先に読まないように
という注意が書かれてありました。

ぼくはその注意を守り、
ふだんなら途中で読んでしまう巻末の解説を
一番最後に読むようにしたんです。

でも、そこに書いてあったのは
たいしたネタバレの内容じゃなかった。

つまりは、この書評にあった予備知識も
必要なかったってことです。

わっ、いけない! 
ぜんぜん本の内容に触れずにこんなにたくさん書いちゃった。

まあ、いいか。
これから読む人がいたら予備知識はないほうがいいですものね。


ヴァンパイアハンター・リンカーン
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2011年7月28日木曜日

次に読むのはどの本?

『努力しないで作家になる方法』(鯨統一郎)読みました。

後ろめたいワケではないのに、なぜか心の中で
「これも仕事のうちだから仕方ないんだ」とつぶやきながら、
ぼくは、だいたいその月の始まるころに
10冊くらいの本を買います。

本屋さんから戻って、
ずっしり重たくなったカバンを開けるときは、
ずーっとニヤニヤしっぱなし。

今月は面白いのに当たるかな……。

どんな本を買うかのネタ元は、
ネットの情報だったり、新聞とかの書評だったり、
友だちからの推薦だったりするんですが、
中でも多いのが、読んだ本の中に出てきた本です。

例えば立松和平さんの『道元禅師』。
今、寝床の上にある積ん読スペースに
上・中・下巻のうちの下巻が置いてあり、
ページが開かれるのを待っています。

これは、高村薫さんの『太陽を曳く馬』で、
道元さんの『正法眼蔵』が出てきて、
「よっしゃ、これ読も!」と思ったのが始まり。

ところが、この『正法眼蔵』、
軟弱なぼくの頭脳では理解不能だったんです
(簡単そうな現代語訳なんですけどね)。

それじゃ仕方ないんで、
小説形式になってるものなら、
何とかなるだろうと立松版・道元に挑んでる最中。

本が本を呼び、つながってる感じです。
『太陽を曳く馬』→『正法眼蔵』→『道元禅師』。

で、この『努力しないで作家になる方法』。
次の購入リストに載せる本をたくさん教えてくれました。
たくさん、たくさん書名が紹介されてます。

あっ、そうそう。勘違いするかもしれないので、
念のためいっておくと、
タイトルは『努力しないで作家になる方法』となっていますが、
この本は、小説作法とか文章入門とかのたぐいの
ハウツー本ではありません。
本のオビにも書かれているように「鯨統一郎、まさかの自伝的小説!?」です。
たぶん、努力しない人は、作家にはなれませんので。

んで、この本からぼくの欲しいものリストに転載されたのは、
『スラン』(ヴァン・ヴォクト)
『発狂した宇宙』(フレドリック・ブラウン)
『占星術殺人事件』(島田荘司)……などなどいっぱいありました。

読む本をたくさん教えてくれたからって
わけじゃないんですが、この『努力しないで〜』は、
ひさびさに5つ星をつけちゃった作品です。

よかったです! 面白かったです!

何がどう面白かったってことをいわずに、
次に読む本をいっぱい教えてくれたなんて、
どうでもいいことをつらつら書き連ねちゃったのは、
まあ、照れ隠しみたいなモンです。
だってホントに面白かったんですもの。



努力しないで作家になる方法
鯨統一郎
光文社
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2011年7月22日金曜日

意外な発見ができた本

『怒らないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ)読みました。

時々、ぼくって
喜怒哀楽の「怒」が欠けているんじゃないかと
思ったりします。

怒る人って、きっと自分に確固とした自信があって、
その揺るがない信念があるから、怒れる。
自分の信念と違うから
違う人のことを怒れる。

逆にいえば、固まった信念がないと、
判断基準がないんだから、人と違う部分さえわからない。
だから怒ることさえできない。

そうなんです、
ぼくは、自分に対してそれほどの自信がないんです。
人と違っている部分がわからないような、
誰も彼もみんな違っていると思っちゃっているような、
みんな違っていることが正常だから
何を怒っていいのかわからないような。

結局、自分でいうのもなんですが、
単純にアホなんでしょうね。

で、この『怒らないこと』。
最初のほうに、
「自分は怒らない人だと思っているなら、
この本は読まないでもいい」
みたいなことが書いてありました。

でも、あまのじゃくなアホのぼくは
読んじゃいました。

この本を読むと、どうやら世の中には
ホントにたくさんの怒っている人がいるみたいです。
そんな人たちに怒るのはやめましょうと呼び掛ける本。

読後、一番の発見と思ったのは、
そんなにたくさんの人が怒っているってことでした。
世の中の多くの人って、ぼくと同じように
みんなもっとアホだと思ってたんです。
そんな発見ができた本でしたとさ。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)
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2011年7月20日水曜日

読書にもペース配分

『豆腐小僧双六道中ふりだし』(京極夏彦)読みました。

ぼくは今、
自宅から会社までの約5キロを走って通勤しています。

往復はまだ体力的に厳しいので、
今のところは、朝の往路だけ。

そのうち、
慣れてきたら復路も走ろうかと思ってるんですが、
もうちょっと時間がかかりそうです。

だって、
朝だけの走りでも、かなりきついんですもの。

家を出て、ほんの10メートル走っただけで、
もう息が上がってしまい、そのあとは、
ずっと息上がり状態を継続しながら、ゴールまで。

終点では
シャワーを浴びた直後よりもびしゃびしゃの汗だくです。

んで、
自分なりに復路を走れるようになる目安を考えてます。

それは、ペース配分ができるようになること。

走り始めは、終盤を考えて少し軽めに
(今は最初から最後まで軽めなのにきついんです)、
中盤で少し流して、後半にダッシュ。

そんな調子で走れるようになったら、
往復のランニング通勤に挑戦しようかなって思ってます。

何年もかかっちゃうような気がするけど……。

で、この『豆腐小僧双六道中ふりだし』。
中盤まで、よかったです。
でも、後半になると、作品がというより、ぼくが息切れ。

なんだか、へーへー言いながら読んでました。
今までの京極さんの本ではそんなことなかったんだけどな…。
きっと体調とか気分の問題なんだと思います。


文庫版  豆腐小僧双六道中ふりだし (角川文庫)
京極 夏彦
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2011年7月19日火曜日

1年たっても成長なし

『旧約聖書を知っていますか』(阿刀田 高)読みました。

「大体の内容はこういうことです」と
概要を教えてくれる、いうなれば旧約聖書入門。

この本によると、
本家本元の旧約聖書って、実はとても難解で、
きちんと読みこなすには、
結構骨が折れるものなんだそうです(ぼくは未読)。

んで、そんな難しい本の大枠を、
いとも簡単に、しかも楽しく、理解させてくれました。

阿刀田高さんの本って初めて読んだんだけど、すごいです。
すすすって頭に入っちゃいます。

専門家じゃない人が
一つひとつ勉強しながら、書いているってのがいい。
まったくの素人が、どこら辺で
つまずくかのポイントがわかっている、
というか自分でつまずいたポイントを覚えていて、
そこをやさしい言葉にしてくれている。

ホントの専門家になっちゃうと、
素人時代につまずいたポイントなんて忘れちゃいますから。

やっぱり入門書みたいな本って、素人が書かないとダメだな…。
と、思ったところで、なんだか既視感。

「もしかしたら前にも同じこと書いたよな」って気がして、
過去のブログを探してみたら……
やっぱ、ありました。

しかも!

今と同じ去年の7月に書いた
『寝ながら学べる構造主義』の感想。

丸1年たっても、まったく進歩してないんですね、ぼく。

やっぱ、手っ取り早い入門書じゃなく、
本家本元のほうで、
人生を勉強し直さなくちゃダメかな……。



旧約聖書を知っていますか (新潮文庫)
阿刀田 高
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2011年7月13日水曜日

ながら読みはご注意。

『粘膜人間』(飴村 行)読みました。

「物語の作者は、サディストにならないとダメ。
登場人物の身の上に、おそろしい出来事をふりかからせること」
って感じのことを、
カート・ヴォネガットさんが、以前読んだ本の中で言ってました。

わくわくどきどきを演出するには、
そうした心構えが必要だってことですね。

なんだけど、へたれなぼくが物語をつくろうと思うと、
作中の人たちがかわいそうになってしまい、
おそろしい出来事をふりかからせることが
できなくなっちゃいます。

それじゃあダメなんですね。
ぼくのつくる物語に点数をつけるなら「がんばろう」です。

そんな観点からすると、この『粘膜人間』は
「たいへんよくできました!」の花丸でした。

だってグログロの連続なんですもの。

へなへななぼくは、
読んでいるだけで、ほんとに腰が立たなくなっちゃうほど。

この本はお昼休みにお弁当を食べながら読んでいたんですが、
その飲食しながらのながら読みは、
とうていお薦めできません。

いつもなら美味しい愛妻弁当も、
脳内に生じた、ど緑色の液体や、ど黄色の液体に味付けされてしまい、
とっても不思議な味になってしまいます。
ご注意。


粘膜人間 (角川ホラー文庫)
飴村 行
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2011年7月11日月曜日

何事も懸命にやるのが素晴らしい。

『神の火(下)』(高村薫)読みました。

学生時代、下宿している友だちの部屋によく遊びに行きました。
実名は少し問題あるのかもしれないので、
ここでは仮に鼻村くんとしましょう。

鼻村くんは、映画のビデオをたくさん持っていて、
遊びにいくと大抵は、お薦めのビデオを見せてくれ、
鑑賞後はその作品についての討論です。

作品を選んでセットするのはいつも鼻村くん。

テレビやビデオデッキの近くには、
どんなに親しい友だちも近寄らせてくれません。

ぼくは、鼻村くんにとって、映像機器やビデオソフトが
とっても大切なものなんだろうなと思ってました。

確かに鼻村くんは、
そうした映像グッズを大事にしていました。

でも、
ぼくのように遊びに来た友だちから
本当に守りたかったのは、別にあったんです。

その日は、
鼻村くんがやっとの思いで手に入れたという
ヴェルナー・ヘルツォーク作品を
鑑賞することになっていました。

監督名を言われてもよく知らなかったぼく。
あまり乗り気はしないまま鼻村くんの下宿に行きました。
しょーがねーな付き合ってやるか程度の気持ちでした。

だからなんでしょうね。
映画じゃなくて、他のモノに気がいっちゃった。
テレビやデッキの裏です。

おやおや?
裏に、一辺1メートルぐらいの正方形のベニヤ板が立てかけてある。

それは以前からその場所にあったものです。
でも、そんときは、なぜかその板が気になって、
「その板、なに?」と聞いちゃたんです。

すると鼻村くんは、取り乱した様子で、
「何でもないよ」と否定。

そんな様子を見ちゃうと、
気になって仕方なくなるのは人間のさがですね。

そこで姑息なぼくは「何!なんだよー!」などと追求はせず、
「あっ、そ。ただ置いてあるだけね」などと無関心を装い、
鼻村くんがトイレに立つときを見計らって、
裏側の板をのぞいちゃったんです。

ぱっと見には、ただの板でした。

でも、よく見ると、ベニヤにしてはやけに厚みがある。
指でコツコツと叩いてみると、
なんだか空洞になっているようで、
あっそうか、平べったい箱なんだと気づきました。

さらに探りを入れると、
裏側には小さな取っ手が付いていて、開けられるようになっています。

でも、それを開けるには平べったい箱全体を
テレビなんかの裏から引っ張り出さなくてはいけません。

鼻村くんがトイレから帰ってるまでにそれができるか。

いやいや見つかっても、
そんなに大事にはならんだろとタカをくくったぼくは、
聞こえないほどの小さな声で「まあ、いいよねー」と
トイレに向かって言い、箱を引っ張り出し、開けてみたんです。

──と。
平べったい箱の中は細かく碁盤の目のように線が引かれていました。
方眼紙みたいです。
そのマス目の所々に番号が振ってあります。
でっかいオセロゲーム? なんじゃこりゃ。

「何してんだよ、さわんなよ!」
やっぱ戻って来ちゃいました、鼻村くん。

見られて観念したのか、
鼻村くんはその箱の正体を明かしました。

一つのマス目に10本、
抜いた鼻毛をくっつけ集めていたんだそうです。

そう言われてマス目をよく見ると確かに毛が生えています。
箱のほぼ半分ほどは芝生のように埋まっています。

恐るべし、鼻村くん。

おそらく何の意味もなく、
誰の役にも立たないことを、ちまちまと一生懸命にやる。
素晴らしい!

で、この『神の火(下)』。
自分でもなぜそんなことしてるのかわからないヤツらが
一生懸命に、誰の役にも立たないことやります。
きっと、それが人生ってモンなんです。


神の火〈下〉 (新潮文庫)
高村 薫
新潮社
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2011年7月4日月曜日

ゼロかける10万は?

『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?』(亀田潤一郎)読みました。


本の制作を請け負うとき、
発行部数に応じた印税での契約を結ぶことがあります。

発注する出版社からすると、
1冊売れるごとに定価の10%とかを支払うから、
売れる本をつくってねってことです。

10%の場合、
定価が1000円なら1冊売れて100円、
1000冊で10万円、1万冊で100万円。
10万部なら1000万円……これは、欲しいです。

そんな、
職業的な脳内への刷り込みがあって、ある日。

10万部以上も発行するという
フリーペーパーの仕事が来ました。
で、ギャラの交渉をするときに、思わず
「そんなに発行部数があるんなら、
印税にしてもえたら嬉しいですね」
なんて言ってみたんです。

すると、
「いいですよ!
でもフリーペーパーだから定価0円ですからね。
いくら発行部数が多くたって、ゼロを掛けたらゼロですから」


で、この『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか』。
この本の中に、
「年収200倍の法則」なる悩ましい記述が記されていました。
その法則によれば、
「概ねその人の年収というのは、
今使っている財布の購入価格の200倍」になるそうです。

1万円の財布を使っている人なら年収は200万円、
10万円なら2000万円ってこと。

えーっと……
実はぼく、サイフ自体を持っていません。

ポケットがたくさんついている腰巻き型ポシェットの
1つのポケットを専用のお金入れにしてるんです。
ずっとそれです。サイフじゃない。

つまりサイフの購入価格は0円です。
いくら200倍しても、
10万倍してもゼロになってしまう不思議な数の「ゼロ」。

……まっ、いいか。

ちなにみこの本を読んだのは、
友だちが本づくりにかかわっていて、結構売れているって聞いたから。

すすーっと読めて、なかなか、良くできるいい本ですよ。


稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?
亀田 潤一郎
サンマーク出版
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2011年6月30日木曜日

『警視庁草紙(下)』(山田風太郎)読みました。


テレビとか映画とかの助監督をやっていたころ、
先輩から聞かされた話です。
その先輩が過去に使っていた見習い生のこと。

見習いくんは、とにかくまっすぐな子で、
撮影スタッフの誰かに言われたことは、
何の疑問も口にせず従ったそうです。

あるとき、カメラマンがファインダをのぞきながら、
「あの山のてっぺんにある木、邪魔だなぁ」と言いました。

横で聞いていた見習いくんは、
「はい、わかりました」と走っていったそうです。

カメラマンは少し悩んで「まぁ仕方ない」と、
違う山を背景にして撮影を進めました。
まさか見習いくんが、自分の「木が邪魔」発言に対して反応したとは、
思っていなかったようです。

そして、その日の撮影分も終わり、みんな宿舎に戻りました。

撮影隊が宿舎に帰って、食事が始まり、
宴会の様相になりはじめたころ。

みんなに忘れらた見習いくんが帰ってきました。

そう、山のてっぺんにある木を切ってきたんです。
カメラマンは自分が「木が邪魔」と言ったことさえ
忘れていたとのことでした。

別の撮影では、先輩が見習いくんに
「あそこに駐めてある車がなければ、
もっといい絵が撮れるんだよな……お前、なんとかしてこい」
と命じたそうです。

もちろん先輩は、車の持ち主を捜して
移動のお願いをしてこいと命令したつもりでした。

ところが見習いくんは、
「はい、わかりました」と言って走り出し、
その車の屋根に飛び乗って、いつも腰にぶら下げている金づちで
車の屋根を叩き始めたんだそうです。

きっと、きっとぺちゃんこにしたかったんでしょう。
先輩はあわてて見習いくんを止めたそうです。

 見習いくん、はちゃめちゃです。

 で、この『警視庁草紙』も、はちゃめちゃでした。
 はちゃめちゃ、スキです。


警視庁草紙〈下〉―山田風太郎明治小説全集〈2〉 (ちくま文庫)
山田 風太郎
筑摩書房
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2011年6月28日火曜日

ホコリかぶってます。

『抗がん剤は効かない』(近藤誠)読みました。

2〜3カ月前、同じ著者の
『あなたの癌は、がんもどき』って本を読みました。

この『抗がん剤は効かない』も、
前に読んだ『〜がんもどき』とほぼ同じ内容です。

で、前のがんもどきを読んだあと、
医療分野で検査技師を目指し、大学に行っている娘に
「この本、勉強の役に立つかもよ、読んでみるといいよ」
と一声掛け、本棚に置いておきました。

でも、その「がんもどき」は、
いまだに、ぼくが置いた本棚の位置から動かされた形跡はなく、
そのままホコリをかぶっています。

ほんで、
この本もほぼ同じ内容なので、
やっぱり娘には何らかの刺激を与えられると感じました。

なので、
もう一回「役に立つかもよ」と言ってみようかと思ってます。

お父さんの声って、届くことあるんでしょうか。


抗がん剤は効かない
抗がん剤は効かない
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近藤 誠
文藝春秋
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2011年6月27日月曜日

哲学くんも緊張するんだよ。

『神の火(上)』(髙村薫)読みました。

生きるとは何か、人生に意味があるのか
……そんなことは何にも気にならない、
自分の中ではとっくに解決している問題だよと、
仙人のような物言いをしている友だちがいました。

彼は、
人間って口からモノを入れて、尻から出すそんだけのものなので、
意味を考えること自体がおかしい、ヘンだ──と言うのです。

そんな何者にも動じないような
哲学者精神を持っている彼が参加した飲み会があり、
普通に盛り上がって、二次会のカラオケに流れました。

気心の知れた同士だったので、
みんな我先にと曲を入れ、手拍子足拍子のノリノリ宴会です。

でも、しばらく時間が経ってから、
ふと哲学くんの様子を見ると、
なんだか、ぎくしゃくしているというか、
落ち着かないというか、そわそわというか、
とにかくふだんの超然とした哲学くんではなく、
おどおどしたへなちょこな若者の態度だったんです。

どっか、調子悪いの? と聞いても、
「何でもない」と即答するトコはいつも通りなのですが、
やっぱへンです。

そんな哲学くん以外は、いつも通りはしゃいだカラオケも終了。
みんな帰路に向かうとき、ぼくはもう一度、彼に聞きました。

「やっぱ、なんかあったの?」
「いや、たいしたことじゃないんだけど、ちょっと緊張して」
「歌うから?」
「うん、でも、リモコンの使い方間違ったみたいで、
俺の入れた曲、流れなかった」

彼は人前で歌うことに緊張して、こちこちだったというのです。
しかも、リモコンの誤操作で、最後まで一曲も歌えなかった。

それでも、自分の番がいつくるかと、
どきどきして終始緊張を強いられていたんですと。

悟りの極地にいるような哲学くんでも、
カラオケの順番でかちこち状態になる。
……人ってとっても素敵だなって思いました。

あっ、そうそう、この『神の火(上)』も素敵でした。
早く下巻を買いに行かなくちゃ。



神の火〈上〉 (新潮文庫)
高村 薫

新潮社

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2011年6月20日月曜日

今に見ておれ。

『苦役列車』(西村賢太)読みました。

映画学校に通っていたとき、
短い脚本を書いてくる課題がありました。

その課題作品の中に、
「うわァー面白い!」
と、ぼくをうならせ、

それでも学校側からは何の評価も受けなかった作品を
提出したヤツがいました。

それが誰だったか名前も忘れちゃったんですが……実は。

うろ覚えですが、
たしかその作品は4つの場面からなっていました。

で、どの場面も、
主人公が最後に殴られたり蹴られたりして
倒れているトコで終わっていました。

最初の場面は、たしか学校。

高校生の主人公が、
友だちとつまらないことでケンカをして殴られ、
教室の隅にぶっ倒れ、鼻血を流しながら
「くそー、今に見ておれ……」
と相手には聞こえないようにつぶやきます。
最初の場面はそれで終わり。

次の場面は、夜の街。

サラリーマンになった主人公が、
「お前しかいないんだよ」と女性にしがみつくも、
「やめてよ、気持ち悪い!」と払いのけられ、
よろけて道ばたに倒れ、
その弾みでガードレールに顔をぶつけます。
鼻血を出しながら
「くそー、今に見ておれ……」と夜の街に叫びます。

第3の場面は、酒場。

酒場の出入口がドガシャと開き、
主人公が飛び出してきます。
中から「お客さん、お勘定!」と叫ぶ声が聞こえます。
その前をたまたま通りかかった自転車警官と
主人公が正面衝突。
顔からつんのめって転げた主人公は、
鼻血を流しながら「くそー、今に見ておれ……」と。

そして最後、第4の場面。

薄暗いトンネルになっている地下道みたいなトコです。
小学生の一団がガヤガヤ歩いています。
その途中、悪ガキが「ここお化けがでるんだって」と言いました。
すると皆が一斉に「うわー」と駆け出しました。
駆け出した小学生の1人が、
道に転がっていた空き缶を蹴飛ばしていきます。

その空き缶は、
段ボールを布団に寝ていたホームレスの顔に当たりました。
それが主人公。
主人公は鼻血を流しながら
「くそー、今に見ておれ……」とつぶやきました、とさ。

で、この『苦役列車』。

ぼくをうならせ、
学校側からは何の評価も受けず、
しかもぼくの記憶の中にも名前を残さなかった
誰かの作品のように、面白かったです。

苦役列車
苦役列車
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西村 賢太 新潮社 売り上げランキング: 1287

2011年6月17日金曜日

すすーっと読めちゃう戯曲もあるよ。

『豆腐小僧その他』(京極夏彦)読みました。

「あたし脚本とか戯曲って、
ちゃんと読めないんです。
文字を追っているつもりなんだけど、
まったく頭に入って来ない。
誰が誰だかわからなくなっちゃって、
いつも途中で投げ出しちゃう」

ぼくが、黒澤明の脚本ってすごいよって話をしたら、
黒澤どころか脚本という上階層のディレクトリから
否定されたことがありました。

まあ、脚本や戯曲って、
映画や舞台をつくるための設計図なので、
心理描写はほとんどなく、
ある程度気合いを入れて読まないと、
わからなくなっちゃうっていうのも、
わからなくもないです。

なんですが……。
そんなに気合いを入れなくても、
すすーっと読めちゃう、脚本や戯曲ってあるもんです。
なんでかわからないけど、
たぶん、お話が面白いからってことなんでしょうね。
単に好みに合っているってことかもしれません。

で、この『豆腐小僧その他』。

小説、戯曲(狂言のオリジナル台本)、
落語のオリジナル台本が入っている作品集でした。

この前読んだ
『豆腐小僧双六道中おやすみ本朝妖怪盛衰録』が
面白かったので、続くお話かと勘違いして購入。

開いてみると、戯曲なんかが入っていたんで、
あら間違ったと思いながらも、
すすーっと読めちゃいました。

気合い入れなくても大丈夫だったんです。

まあ、本の半分は小説で、
その残り半分で、戯曲とか落語の台本が
何本か掲載されてるんですけどね。
その短さもとっつきやすいポイントだったのかも。

いずれにしても京極さんのすごさを再発見できた本でした。

んで、今度は間違わずに、豆腐小僧シリーズを入手しよっと。


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2011年6月14日火曜日

いい本の匂い

『伝わる・揺さぶる! 文章を書く』(山田ズーニー)読みました。

「原稿を書くときには、
そこまでやらなくても、いいんじゃないのってくらいに
細かく事実関係を調べたり、
イラストつくるときには、画面で目一杯拡大して、
見た目には絶対わからない部分の色を変えたり
……そんなムダな作業に時間とられちゃうんですよ」

それだけ作品つくるのに情熱込めているんだから仕事頂戴ね、
という営業トークを、とある出版社の編集さんに
言ったときのことです。

編集さんは、
ぼくの打算的な発言の、打算的な部分は気にもとめず、
その言葉を真正面から受けとめ、熱くなって、

「そうなんです!そうじゃないとダメなんですよ!
つくる側が手を抜くと、読者はなぜかそれがわかるんです。
ココがおかしいって指摘してくる人はいませんが、確実に数字が落ちる。
なんていうか、匂いみたいなモンですね。
いい本の匂いとダメな本の匂いは、
知らず知らずに嗅ぎ分けられてるんですよ、きっと」

うん、そうなんでしょう、きっと。

編集さんの言葉に納得してしまったぼくは、
その後、多少誇張っぽく脚色した自らの営業トークに縛れて、
ひーひー言いながら、本をつくっています。

で、この『伝わる・揺さぶる! 文章を書く』。

本の後ろの奥付を見てみると、なんと29刷。
「多少売れ残ったとしても、だいたいこれくらいでしょ」
と予想して最初に印刷した分が1刷で、
その予想が上回って
「じゃあ追加でこんだけ刷ろう」と2刷になり、
「えーっ!もっと売れちゃった」と3刷して
……そんなことを29回も続けられたのがこの本でした。

面白かったです。いい本の匂いしてました。

本をつくる仕事をしていながら、
ときどき、文章作成の教科書みたいな本を読んで
カンニングしておかないと、怖くなっちゃうので、
手に取った本なんですが、
文章の勉強というより、話が面白かった。

たぶん、ぼくだけだと思うのですが、
冒頭部分はうるうるしながら読んでました。

よし、ぼくもいい匂いの本つくろっと。


伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)
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