2018年5月15日火曜日

『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー)読みました。


実は親子だったのだ!
とか、
ラストのラストになって
衝撃の事実が判明するような
物語ありますよね。

そんな物語をつくる側は、
最後に見せるべき衝撃の事実を、
ストーリーの中に隠して隠して、
それでも
(ばれないように)チラつかせながら、
ときには
(矛盾しないように)誤解させながら、
話を組み立てていくんだと思います。

ところが、
組み立ての手口がいかにもあざとくて、
最後の衝撃を受けるビックリ度よりも、
「そんな設定なんだったら、
 じらさないで早よー言ってよ」
って思っちゃうガックシ度のほうが
高い作品もある。
そういのって、
途中のじらし方が
スマートじゃないからだと思うんです。

で、この『吸血鬼ドラキュラ』

うーん、スマート。
普通の小説は、セリフ以外の地の文は
「作者が説明している」
という暗黙の了解があるけど、

「ここにある文章は、全部引用です」
ってことにすれば、
その暗黙の存在を考えさせないで済む。

ってことは
「誰かが組み立てたんだろう」
なんて邪推をしないで済む。
うまいですね。

全ページ、
ハラハラドキドキしながら読めました。





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2018年5月10日木曜日

『それまでの明日』(原りょう)読みました。


もう10年ほど前になりますが、
会社が水道橋にあった頃、
東京ドームシティにあるスポーツジムを
使っていました。

今はランニングですが、
そのときは自転車通勤。

板橋の自宅から約10キロなので、
汗だくになる。
なのでシャワーを浴びて出勤するため、
ジムを利用してました。

さて、そのジム。
来てる人たちが、
半端なくストイックなんです。

ぼくと同じように
十数キロの道のりを自転車で来て、
いったんジムのロッカーに荷物を置いたら、
そのまま外に出ていき、
ランニングで皇居を一周して帰ってくる。
(皇居まではたぶん2キロくらい。
 だからその往復と皇居一周5キロで
 合計9キロ!)
ジムに戻るとプールでちょいと泳いで、
サウナ風呂入って、
スーツに着替えて会社に行く。

そんな人がごろごろいるんです。

毎日そんなことやってて、
よくもまあ、
仕事ができるもんだと思いきや、

ある日、
新聞の「優良企業の社長インタビュー」
みたいな記事に、
その超ストイックさんの一人が
写真付きで取材に応えてた。

その人は、
ぼくのことなどまったく知らないだろうけど、
ぼくは一方的に、
ひぇ〜な彼の生き方を知り、
ただ、たじたじしてました。

で、この『それまでの明日』。

昔の知り合いが
テレビの街角インタビューみたいなのに、
たまたま出ていて消息を知るという話が、
本筋とはあまり関係ない場面で
出ていました。

主人公の沢崎さんが、
ぼくや、その街角インタビューでの
消息判明のように、ひょんなことで、
依頼人を見つけなければいいなと思いました。

と、
何のことだかわからない話をしましたが、
何はともあれ、この本いいです。
今年2冊目の五つ星つけました。





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2018年5月8日火曜日

『天才』(石原慎太郎)読みました。


この場でも何度かいいましたが、
ぼくは3冊を同時並行で読むという、
その書籍をつくった人に対して
なんとも失礼な、
本とのかかわり方をしています。

そうなると、
ここに感想文もどきを書いている今も、
読みかけの本が最低2冊はある。
(書くのを後回しにたときには3冊ある。
 もっとほっとくと10冊にもなる。
 そうなると、もうその本については書かなくなる)

現在読みかけの2冊を言っちゃうと、
(言わずに、あとの楽しみに
 とっておきたい気もするけど、言っちゃうと)

1コは、
スティーヴン・キングさんが絶賛していた
ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』。

もう1コは、
待ちに待った(前作から14年ぶりだって)
原りょう さんの『それまでの明日』。
(漢字が文字化けすることもある
 というので名前は平仮名にしました)

もちろん、どちらもまだ途中ですが、
双方ともに頭を掻きむしりたくなるほど
面白いんです。
読んでる最中、何度感嘆のため息をついたことか。
こんなとこに書いている暇あったら、
早く続き読みたい。

で、この『天才』。

解説とあとがきにあった執筆動機の話は
面白かったです。





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2018年5月2日水曜日

『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


ちょい前、何の番組かは忘れたけれど
テレビを見ていたら、
画面全体に大きなテロップで
「芸術は盗作であるか、
 革命であるか、いずれかだ」
って言葉が出てきました。
(記憶をもとにしてるので
 文言は正確じゃないかも)

画家のゴーギャンさんが
言ったか書いたかした名言だという
触れ込みでした。

ふむふむ、なるほどなるほど。

偉い芸術家っていわれる人だって、
盗作ってまではいかないだろうけど、
それ以前に世に出ていた何からの作品から
刺激を受けてつくっていくのが
ほとんどだろうし、
(ゴーギャンさんはたぶんそんなのも含めて
 「盗作」って呼んでいるんだと解釈)
もし、まったく何のお手本もないままに
仕上げた創作物だったら、
それはやっぱ「革命」ってことになるようで。

で、この『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』。

ゴーギャンさんのいう盗作か革命か、
どちからに当てはめるなら、
革命には入らないですね。
世の中にあるほとんどの作品と同じように。

だからそういう意味でいえば盗作。
でも、単に特定の何かを
そのまま模倣したんじゃないってことは
よくわかります。
勉強して、こねて、かためて、削って、磨いて
……よく出来てます。

面白かったです。





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