2020年5月28日木曜日

『妖怪草紙 くずし字入門』(アダム・カバット)読みました。


昔は一度読んだ本を
再度読み返すなんて真似は、
まったくしませんでした。

なぜかもったいないと
思っていたんですね。

再読する暇があるなら、
まだ手をつけていないものを
さらったほうがいいじゃないかって。

今より若かったくせに、
「限られた時間は有効に使うべきだ」
なんて考えて。

それが、ここに本のことを
書き始めてしばらくたった頃から
ちらほらと、読み返す本が出てきて、
今では再読だけじゃなく再々読や
5、6回も繰り返しているのが
あったりします。

それでも反復読書をするときには、
一度読み終え、次に読み始めるまで
ある程度の時間が空くんです。

よくミステリー本の
キャッチコピーとかで
「あなたはすぐ読み返したくなる」
みたいな謳い文句を見かけるけど、
最後のページを閉じた直後に
表紙からめくり直すって具合にはならない。
(通常のぼくの場合)

で、この『妖怪草紙 くずし字入門』。

通常のぼくの場合をやめました。
最後のページを閉じた瞬間に、
表紙をめくった。

この本を読んでいたら、
だんだん昔のくずし字が
読めるようになってきて、
「これ、続けてもう一度読めば、
 完璧に読めるようになかも」
などと向学心が湧いてきちゃったんです。
頭のできを考えれば、
そんなにうまくはいかないと
わかっちゃいるけど…。




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2020年5月26日火曜日

『猫を棄てる 父親について語るとき』(村上春樹)読みました。


昔、西洋絵画の入門書みたいなのを
つくったことがあり、
ダビンチからピカソ、ポロックまで
網羅的に画家の生い立ちを、
短く個別にまとめていきました。

そんとき思ったのが、
「この人たちの生き様、
 ほんとオモロイな」です。

だからしょっちゅう小説や映画の
題材になってるし、
原田マハさんなんて、
そういうのうまくさばいて、
ため息出るくらいのエンタメに
仕上げてる。
(『楽園のカンヴァス』大好きです)

芸術作品の作者が、
どんな人間だったのか知るのが
(仕事ながら)とっても面白かった。

でもね、ぼくの場合、
絵画じゃなく本のときは違うんです。

小説とか物語とかをつくる
いわゆる作家さんが、
どんな生活をしてどんな人間性を持ち、
何を信条としているか、みたいなのは、
実はあまり興味ない。

というか、
それを知らないで作品だけを
楽しみたいと思っているところがある。
知ったら楽しめなくなっちゃうような
気がしてるんです。

で、この『猫を棄てる 父親について語るとき』。

知ったら楽しめなくなるかなと思いつつも、
読んじゃいましたが、
これくらいならば大丈夫でした。





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2020年5月21日木曜日

『ドミノ in 上海』(恩田陸)読みました。


スティーヴン・キングさんの
『小説作法』の中で、
(いや、もしかしたら同じような
 ホラー評論『死の舞踏』だったかな、
 いやいや他のインタビュー記事
 だったかもしれません)
小説を書いていくときには
最初からテーマなんて
考えるもんじゃないって
いっていたように記憶しています。

前にも紹介したけど、
始めにプロットなどは考えず、
思いつくまま筆を進めるのが
(キングさんのやり方では)
いいらしく、

物語をつくるには
「テーマ」と「プロット」を
用意しないのがコツみたいです。
(人それぞれやり方はあると思うけど)

ただ、テーマについては、
書き進めていくうちに、なんとなく
「あ、こういうことが
 言いたかったんじゃないかな」
っていうのは見えてくるようで、

書いている本人も、
その「テーマもどき」のぼんやり主題に
感銘を受けたり、人生のよすがになって
いったりするんじゃないかなと
想像しています。

とはいえ、
キングさんの作品に限らず、
読み終えた小説を振り返り
「この本のテーマってなんだろう」と
考えたときに何も思い浮かばず
「ひょっとして、そんなものは存在せず、
〈あー面白かった〉だけかな」
とつぶやけるヤツは大好きです。

で、この『ドミノ in 上海』。
 
あるのかもしれないけど、
テーマなんて考えたくない読後でした。
あー面白かった。





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2020年5月19日火曜日

『銀河の片隅で科学夜話』(全卓樹)読みました。


確か山田正紀さんの短編に
こんな話がありました。

(いつものことながら、
 記憶はあいまいで別の人の
 作品かもしれません。
 いや、ぼく自身が学校の創作課題とかで
 書いた話かもしれません
 ……あ、それはないか、
 こんなSFチックなものが出せるだけの
 想像力や創作力の持ち合わせはないので)

海の中から小さな何かが空に向かって
飛び出していく現象が発見されて、
みんなが何だ何だと騒ぎ出した。

ちょっと見には、
飛び出しているというよりも、
その一帯だけ雨が降っているように
海面から細かなしぶきが
たくさん上がっている。

研究者が調査してみると、
飛び出しているのは巻貝の一種で、
形も大きさもちょうど
お菓子のたけのこの里のよう。

その小さな三角ロケット型巻貝が、
本物のロケットみたいに
海底の発射台というか砂地から
空に打ち上がる。

そして行き着く先も、
どうやら本物のロケットみたいに
大気圏を突破して
宇宙にまで達している模様。

貝殻には宇宙に出ても平気な
耐性があることもわかった。

どうやら彼らは
地球から飛び出すように
進化していったのではなかろうか
と議論になって……みたいなお話。

で、この『銀河の片隅で科学夜話』。

世代をついで大陸を渡っていく
蝶の話が紹介されていました。
人間が宇宙に行ったときの
様子に重ね合わせて。

面白いです。





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2020年5月14日木曜日

『植物はなぜ毒があるのか』(田中修/丹治邦和)読みました。


おぼろげな記憶によると、
ぼくはこれまで
「辞書」に分類される本を
最初のページから最後まで
通しで読んだことがあります。

確か1冊だけ。

ストーリーがあるわけじゃないし、
ひとつのテーマに沿って
解説しているわけないじゃないから、
読むのはしんどかった。

でも、誰かと我慢比べをしたとか、
賭をしたとか、何かの遊びで負けて
罰ゲームさせられたとかで、
とにかく最後まで
目を通さなきゃいけない
おバカな理由があったんです。

そんな事情はともかく、
数カ月単位の時間をかけて、
なんとか最後までたどり着いた。

だから、
「やったー!読み終えた」という
達成感みたいな開放感みたいな、
ぼくもやればできるじゃん的な
気持ちだけはよく覚えています。

そして、
その感情だけが強く残ってしまい、
何の辞書を読んだのか、
そこにどんな項目が書かれてあったのか、
なんていう本来ならば、
その後の人生を豊かにしてくれるだろう
満載の知識は、
まったく身につかなかったんです。

まあ、今読んでる小説だとか
評論だとか雑学本だとかだって、
3日ももたずに、記憶回路から
削除されているようですけど。

自動削除の機能は
作動させないようにと、
おでこ辺りをツンツン叩きながら、
言い聞かせてはいるんですけどね。

で、この『植物はなぜ毒があるのか』。

辞書ではないのに、
辞書みたいな書き方だと思いました。





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2020年5月12日火曜日

『約束の果て 黒と紫の国』(高丘哲次)読みました。


前回書いた森見登美彦さんの
『太陽の塔』は、
日本ファンタジーノベル大賞という
文芸賞の受賞作です。

『太陽の塔』は何回か読み直していると
言いましたが、今回初めて
気づいた点がありました。

果たしてこれは
ファンタジー分野に入るかのどうか。

面白すぎる大学生の
ぐだぐだ生活が活写されているんですが、

(ちなみにふと浮かんだ「活写」
 って熟語は、辞書によると
 「ありのままをいきいきと写すこと」
 らしく、まさしくドンピシャの
 言葉を選んだと、
 我ながら感心しています)

ファンタジックな要素がないかも…。

さっき使った辞書ソフトが
起動したままなので、
ついでに調べてみると
「ファンタジー」の3項目めに
「幻想的・夢幻的な文学作品」とありました。

ストーリーを思い出していくと、
「そうだ、夢の中の出来事が唐突に出てきた」
ような気がします。

ひょっとするとあの場面は、
この話は夢幻的だから、
ファンタジーノベルとして認めてねって
意味で加えられたのかも、
とうがった見方をしてみたり、
でもそれでもよしと思ったり。

で、この『約束の果て 黒と紫の国』。

同じく受賞作です。
これは隅から隅までファンタジーでした。





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2020年5月8日金曜日

『太陽の塔』(森見登美彦)読みました。


本に使う予算は月1万円にしています。
文庫と単行本を合わせて
6、7冊ほどは購入できます。

でもその冊数には月ごとに波があり、
安い本ばかりが揃ったときは10冊以上で、
逆の場合は2、3冊ってこともあります。

で、この冊数の多い少ないの傾向は、
なぜか偏るんです。

先月に10冊だと思ったら
今月は12冊、翌月は10冊と、
3カ月増量キャンペーンの期間が
あると思えば、

2冊、3冊、3冊なんていう
「少ない本棚スペースに
 配慮しましょうシーズン」
もある。

ほんで、
配慮シーズンの末期になると
困るのが未読本の欠品です。

増量中にあれほどあった積ん読本が
消え去っている。
ああ、どうしよう新しく読む本がないじゃん!

で、この『太陽の塔』。

未読本欠品の際、
救いの手を差し伸べてくれるのが、
再読を待ち本棚にストックしている
あの本この本。

特に森見さんの作品には
お世話になっています。
この『太陽の塔』は3回目だったかな。


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2020年5月1日金曜日

『黄金雛 羽州ぼろ鳶組 零』(今村翔吾)読みました。


仕事柄、致命的なことだとは
わかってるんですが、
おっちょこちょいな性格は
思うようには修正できず、
ピンボケな漢字の読み違いは、
あいも変わらず顔を出します。

困ったことに、
間違った読み方なのに気づかず、
昔から疑問にも感じずに
済ませているものもあり、

パソコンにかなを入力していって、
スムーズに変換できなくてはじめて、
自分の落ち度に顔を赤らめること数知れず。

酔っ払いすぎて意識が“低迷”していく
みたいな連想から「酩酊」を「ていめい」と
読んでいたり(約20年間)。

過去を振り返ることを回顧といいますが
その頭2音の読みがなぜか踏襲され
「述懐」を「かいじゅつ」と
覚えていたり(約25年間)。

この前など、
「出会いから四半世紀もたっている」
みないな文章を、
おいおい450年も昔のことかよ、
鶴や亀じゃあるまいし
人間はそんなに長く生きられないぞ、
なんてツッコミをしてみたり。

……すみません。
と誰に誤っているのかわかりませんが、
仕事柄、気をつけます。

で、この『黄金雛 羽州ぼろ鳶組 零』。

読み間違いはしていないと思います。
だって面白かったから。





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