2018年7月31日火曜日

『柳家小三治の落語(6)』(柳家小三治)読みました。


元気な出版社の幻冬舎をつくた見城徹さんが、
面白い本に欠かせない要素として
「極端さ」をあげていました。

もしかしたら、
単に面白い本の要素というのじゃなく、
ベストセラーにするための条件
だったかもしれません。

(ごめんなさい、曖昧な記憶で。
 たぶん検索すれば確認できると思うけど、
 ぼんやりした感じのまま書いたほうが、
 なんとなく性に合うのでそのまま続けます)

「ちょっと変わってるな」とか
「普通じゃない」くらいじゃダメで、
そのレベルを何段も突き抜けて、

「そりゃ、ありえない」
ってくらいの極端さがないと、
売れる本にはならない。

酒飲みを登場させるなら、
一升瓶を5本空にするくらいじゃなく、
タンクローリー1杯分とか、
東京ドーム大のジョッキを飲み干すとか
……そんな感じにするのよいと。

まあ、そうですね。
そんな極端が、キチンとした実在感をもって
表現されていれば、それは面白いし、
読者もたくさん引き寄せられると思います。

で、この『柳家小三治の落語(6)』。

逆なんです。
極端を普通にしてる感じなんです。
小三治さんの落語って。

それでも、いやそれだから、
「ああ、なんか知らんけど、いいなぁ」
って胸の中にほこほこした感じがわいてくる。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月26日木曜日

『半七捕物帳(1)』(岡本綺堂)読みました。


「ああ、おいしいな」
と、毎回毎回思うのなら
仕方ないかもしれません。

でも、大抵は
「そんなに旨いわけじゃないよな」
と感じながら、吸ってるんです、タバコ。

そもそも、
一番最初に吸ったときからそうでした。

「激マズーっ!
 こんなものよく常用できんな」

と、あの煙の出る先っぽを
しげしげと眺めたもんです。

たぶんはじめの10本目くらいは、
旨さなんてまったくわからず、
内心は「げー、やっぱ、マズーっ」
と思いながら格好つけて火をつけ、

数十本の経験を積んだ頃から、
「なるほど、こんな感じのことを
 旨いっていうのかな」
とわかり始めたような。

あ、そうそうビールも同じですかね。
子どものころ、
大人が「くいーっ」なんて言いながら
おいしそうに飲んでるのを
うらやましく思って、
ちょっとだけコップに口をつけたら、

「ぎゃーなんじゃこりゃー」
って思ったもんです。

それが今では、
何時間もあの泡立つ液体を飲んでいられる。

で、この『半七捕物帳(1)』。

著名な作家さんたちがあちらこちらで
オススメの本にしていたのは知ってて、
それにあやかり、
ぼくもようやく手を出してみました。

短編集なんですが、十数話を読み終えて、
頭に浮かんだのがタバコやビールのこと。

だんだん慣れてくるに従って、
深みにはまっていくような予感がしてます。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月24日火曜日

『これなら読める! くずし字・古文書入門』(小林正博)読みました。


会社でのお昼ご飯(たいていお弁当)は、
いつも本を読みながらの食事です。

でも、休みの日など家での昼食時には、
食卓の近くに本が置いていないこともあり、
読書メシではありません。
(会社では、仕事机の上での食事なので、
 すぐ横の書類棚に昼食時用の本が
 置いてあるんです)

それで、
家でのときにはどうなるかっていうと、
テレビランチです。

ラーメンとか、チャーハンとか、
スパゲティとか、
まさに昼メシって感じの料理を前にして、
箸と同時くらいにテレビのリモコンをとって、
電源を入れます。

目当ての番組が特にあるわけじゃないので、
番組表を見て何がいいかと考えるのですが、
そのときかなりの確率でチャネルを合わせるのが
「なんでも鑑定団」です。
再放送なんでしょうね。
休みの日の昼ぐらいにいつもやってる。

出演者が持ってきたお宝の真贋を、
専門家が鑑定して評価額をつけ、
そのとき鑑定士が
お宝にまつわるうんちくを述べる。
(あーやっと本題に近づいた…)

お宝には掛け軸がよく出品され、
そこにはミミズののたくったような
昔の文字が書かれている。
それを鑑定士がこともなげに読んじゃうんです。

で、この『これなら読める! くずし字・古文書入門』。

ぼくも鑑定士みたいに読んでみたいと
思って挑戦した本。
わかったのは、
あと50回くらい繰り返し読まないとダメってこと。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月18日水曜日

『ある日どこかで』(リチャード・マシスン)読みました。


だいぶ前に、
スティーブン・キングさんの
『11/22/63』を読んで
「こりゃあ相当おもろい」と感じ、

その解説だか、あとがきだかに
書いてあった参考図書
(というかオマージュ図書というか)
も読んでみようと挑戦したのが、
ジャック・フィニイの
『ふりだしに戻る』でした。

ところがしかし、
キングさんは『ふりだし〜』に刺激を受けて、
自分もそんな作品を書きたいなと思って、
(ぼく的には相当面白かった)『11/22/63』を
仕上げたはずなのに、そのネタ本(『ふりだし〜』)は、
それほどではなかった(あくまでぼく的に)。

そういうのって結構あるんですよね。
まあ、よくあることですわ。
今ではもう『ふりだし〜』は
あらすじさえも忘れちゃってるし。

で、この『ある日どこかで』。

また出てきたんです。
この本の訳者のあとがきで。
『ふりだしに戻る』が。

まあ同じタイムトラベルものですからね。
(ちなみに『11/22/63』もそう)

そんなに言うんだったら、
もう1回『ふりだし〜』読んでみようかな。
あ、もうブックオフにドナドナしちゃったか。
家に帰ったら本棚確認してみよっと。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月12日木曜日

『フランケンシュタイン』(メアリ・シェリー)読みました。


昔『食人族』という映画がありました。
公開されたのは、
ぼくが映画学校に通っていた時期でした。

なんで覚えているかっていうと、
映画を観た感想を学校のみんなに言ったら、
とたんに大笑いされたので。
軽傷のトラウマとして残っているんでしょうね。

映画は正直いって面白くないと思い、
その理由を、
「だって感情移入できないんだもん」
と言ったんです。……それが失笑を買った。

恋愛物とかサスペンスだとかの
一般的な映画なら、
この理由は別に笑われないでしょう。

でも、人食い民族を描いた作品で、
〈感情移入〉ってボケが過ぎるだろ、
みたいな感じです。

でもね。
人を食べる種族にしても、
それをフィルムにおさめる側にしても、
映画に出てくる人の中に、
誰かしら共感できる拠り所が欲しかった。

この映画の中に、その拠り所が
一人もいないんですもの。
それが、狙いなんだろうけれど…。

で、この『フランケンシュタイン』。

『食人族』ほどではないけど、
ぼくの拠り所になってくれる
「これだ!」って人は登場しませんでした。
また、笑われるな。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月10日火曜日

『隣のずこずこ』(柿村将彦)読みました。


今、ウィキペディアを確認してみたら、
iPhoneが最初に発売されたのは
2007年になってました。

それからまだ10年ほどしか
たってないんですね。

猫も杓子もスマホ時代になるまで、
発売後5年くらいかかったとして2012年。
そのとき生まれた子は今6歳。

みんながあの薄っぺらい板の上を
指でスリスリする様子を見て
育ったことになりますね。

その2012年の頃、
小学校の高学年から中高学生くらいだった子
(歳でいうと10〜18歳くらい)は、
もう当たり前で生活の一部に溶け込んでる。

2012年から今は6年たってるわけだから、
その頃の子たちも20歳前後の
いい若者になっている計算です。

とすると、
そうした世代がもし小説なんかを書くと、
何らかの形で物語の中にスマホが
登場するのが当然じゃないかと、
使いこなせぬオヤジのぼくは思うのであります。

で、この『隣のずこずこ』。

ネットによると、著者さんは24歳。
でもでも、お話の中に
スマホは出てきませんでした(たぶん)。

だからなのかもしれませんが、
こういう話、かなり好きです。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月5日木曜日

『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


何年か前に
高田郁さんの「みをつくし料理帖」の
最初の巻を読んだとき、
(たぶん今は10巻以上シリーズで出ていて、
 そのときはまだ2、3巻しか
 刊行されていない時期でした)
涙が止まらなくなって、
しゃくりあげるほどになりながら
ページをめくっていたことがあります。

(……やっぱ、正確なタイトル調べますね。
 あ、そうそう『八朔の雪』でした。
 あれ? ウキペディアには全10巻って書いてある
 ……そうか、なら、もうちょいだったんだ)

そのあと、2巻、3巻も調子よく、
涙と鼻水をすすりながら読み進め、
6巻か7巻くらい来たところで、なぜか突然、
「もういいか」って思っちゃったんです。

なんででしょ。
面白くないわけじゃないんですよ。
泣けもするんですよ。
飽きちゃったということでしょうか。

自分でも意識してないのに、
飽きちゃうことあるんですかね。

でも今、ネットで調べて全10巻と知り、
それならもう少しで全話読破なんだから、
また手をつけてみようか
みたいな誘惑がわいてきました。

とはいえ最初の話はもう忘れてるので、
やるとしても1巻から再読しないとな。
そしたら、また途中で飽きちゃうかな。

で、この『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』。

シリーズ5巻目くらい……かな。
面白かったは面白かった。
でもなぜか次に向かう触手の動きが
鈍くなってきたようです。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************

2018年7月3日火曜日

『柳家小三治の落語(5)』(柳家小三治)読みました。


高校生のときに
テストをするから暗記しろと言われて、
部活のトレーニングで
ランニングしているときも、
掛け声代わりにみんなで声を揃えて
口にしていたのが平家物語の冒頭部分です。

試験が終われば
頭の中からすっかり消え失せると
思っていたら、
なぜかそのあとも、
白いシャツにつけちゃった
ケチャップのシミみたいに、
脳みそのひだにこびりついて取れない。

何も見ないでちょっと打ち込んでみますね。
(変換はパソコン任せ。
 漢字の表記までは覚えていないので…)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
奢れる者も久しからずただ春の夜の夢のごとし。

で、ネットで検索して
答え合わせしてみると……。

あら、なんとまあ
100点といってもいいほどドンピシャ。

WikiBooksというサイトに載っていた
テキストと比べたら、

「理をあらわす」が「理をあらはす」で、
あとは読み点が一つ足りないだけ。
(「久しからず」の後に「、」)

この冒頭文のあとは一切覚えてないけど、
正確さはすごいんでないの。
自分でもびっくりしてます。

で、この『柳家小三治の落語(5)』。

噺家さんは、
どんなに長い落語も最初から最後まで
全部覚えてなきゃ仕事にならないんですよね。
平家物語の最初の2、3行を
空で言えるくらいじゃダメか。





**********************
当ブログ執筆担当・きくちが書いた本はこちら
**********************