2018年10月30日火曜日

『春はまだか くらまし屋稼業』(今村翔吾)読みました。


モノをつくった人の思いと、
そのつくられたモノを
使うなり鑑賞するなりした人の気持ちは、
食い違うのが当然です。

原稿を書くとか紙面を構成するとかいう
ぼくらの仕事でいえば、
「素晴らしい原稿です」なんて感想を
多くもらうときに限って、
「ああ、やっつけで仕事しちゃったな」
などと思っていたりする。

もちろん、その逆もあって
「今回は少し、時間がなかったですかね。
 仕方ないですよね」なんて慰め混じりに
原稿の不出来を指摘されたりするときには、
往々にして
「何日も徹夜して、うんうん唸りながら、
 目一杯の力を出し切った」と
いつになく満足な仕上がりだったと
思っていたり。

つくる人と読む人は同じじゃないんだから、
食い違うのは当たり前。

どちらが正しいのか間違っているのか
という問題じゃないんだけれども、
どっちかといえば、
できたモノを受け取った側が
(書籍で言えば読者側)
正しいと思うんですよ、
読者様は神様だと思うんですよ、
ぼくなんかは。

で、この『春はまだか くらまし屋稼業』。

えいやー!とー!
みたいな掛け声を出しながら、
超速でつくり上げた作品なんじゃないかな
って感じました。
間違っているかもしれないけど、
ぼくは一応、今回は読者の側ですから。





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2018年10月25日木曜日

『ある世捨て人の物語』(マイケル・フィンケル)読みました。


「宇宙人に会ったら
 どんな質問をしますか」
だったか、
「神様に聞きたいことを
 3つあげてください」
だったか、もしくは
「数千万年後の未来人に
 聞きたいことは何?」
だったか、
はっきりとは覚えていないのですが、
そんな感じの問いかけに対し、

「あなたは孤独なんですか?」か
「孤独に耐えられる方法を教えてください」か
「孤独は排除できますか?」とかいう答えを
した人がいました。

有名人に「こんな質問をしました」みたいな
雑誌の企画だったのかなあ。

とにかくはっきりとは覚えていないので、
こんなにだらだらと書いちゃいました。

ま、言いたかったのは、
その答えが、
ぼくにはとても変に思えたってことです。

「なんで、そんなに孤独を嫌がるんだろう」
と思ったんです。

よくよく考えるとこれまでの人生で、
本当にたった1人だけになり、
長い間その状態が続いていたことはない。

だからなんでしょうか。
孤独って、憧れのようなものでこそあれ、
排除したいとか、耐えきれないとか、
そんな否定的なものじゃない気がしてて。

で、この『ある世捨て人の物語』。

面白かったです。
ぼくが思う孤独って、
まったく次元の低いものだったようです。





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2018年10月23日火曜日

『嫌いになれない害虫図鑑』(有吉立)読みました。


自宅のマンションは、
新築から住み始めてもう十数年たちます。

それでも、
今までGくんが出現したのは2回ほど。
とはいえつい最近の2回目は、
ベランダのサッシを開けたとき、
窓枠の隅にいたのを見つけたカミさんが
大声を出したら、
とっさに外に飛び出していったので、
室内の滞在時間はほんの数秒でした。

運がいいのか、
新築だったからかわかりませんが、
頻繁に出て来ないので、
とてもありがたく思っています。

それでも、1回目のときは、
どれくらいの期間、
同居していたのかはわかりません。

テレビの上の白い壁の端っこに、
すでにもう、いたんです。
娘2人とカミさん、ぼくの
4人家族が勢揃いしているときでした。

発見したのは娘。
「うわっ、うわっ、うわっ」と
おびえ声を上げたと思ったら、
もう一人の娘とカミさんは、
すぐ彼の存在に気づき、
3人同時にリビングから飛び出していきました。

廊下につながるドアを閉め、その向こうから、

「パパー!なんとかして」

と叫んでいるんです。
ぼくがドアを開けようとしても、
向こうから押さえている模様。

ぼくとGくんは2人きりになりました。

うわーこわいよー。
でもこういうのを処理するのは父親の役目。
恐る恐る新聞紙を十数枚重ねた即席の武器で
ぼくは勇敢に戦い、5センチほどの敵を倒しました。

で、この『嫌いになれない害虫図鑑』。

「嫌いになれない」という悟りを開けるかなあ
と思い読んでみました。
うーん、まだまだ。
そんな心境に至るには、
この本1冊では足りないようです。
面白かったですけどね。






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2018年10月18日木曜日

『活版印刷三日月堂 雲の日記帳』(ほしおさなえ)読みました。


不治の病にかかったうら若き乙女との
病床でのお別れの場面だとか、

愛し合う恋人同士が対立する親に
引き離されてしまうシーンだとか、

友を助けるために満身創痍になりながらも
約束の地に走って向かうメロス君だとか、

そういうお話だったら、
泣いてもいいと思います。

物語の作者は、
読者を泣かせようと考えて
ストーリーを組み立てているんだろうから。

だけど、
へそ曲がりのぼくは、
そういう予定調和のように組まれている
泣かせどころには、どうも反応が鈍いようです。

お話をつくった人の思い通りに、
泣いたり笑ったりしていけば、
小説なり映画なりは、もっと楽しめるだろうに、
やっぱりおへその曲がり方が普通じゃなくて、
変形カーブを通るときに、
曲がりきれずに泣きの感情が
どこかに飛んでいってしまうのでしょう。

なんですが。
たぶん作者もほかの読者も視聴者も、
「え?なんでソコ」ってときに、
ぼくの涙腺はゆるみます。

字数が多くなちゃったので、
ひとつだけ、今思いついた例を挙げると、

子どもたちが1日中くたくたになるまで
鬼ごっことかで遊び回り、
日が暮れかけてそれぞれの家に帰るとき
「またねー」と言う。
そのセリフに泣いたりします。

で、この『活版印刷三日月堂 雲の日記帳』。

こことか、あそことか、
あちこちの場面で泣いちゃいました。
たぶんみんなが泣かないとこ。





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2018年10月16日火曜日

『宝島』(真藤順丈)読みました。


同じ作家さんの作品を
他にも読もうかなと思って、
ネットで探したところ、
「この本は面白くない」的なことが
書かれているページを見つけました。
(この『宝島』のことじゃないですよ。
 他の本についてのレビューです)

その感想ページは、冒頭に、
「ボクロソなことを記していくので
 覚悟して読んでください」
みたいな宣言があって、
突っ込みどころをいくつもあげて、
その本がいかに面白くないかを
とうとうと語っているようです。

本にしろ他のどんなものにしろ、
否定的な内容の文章を読むと、
脳みその表面にじんましんが
出てくるような気がするぼくは、
きちんと目は通さず、
速めのスクロールで、
そのページの下部までグリグリと移動させ、
締めの文章だけ読んでおくことにしました。

そこにはやはり、けなし文句があり、
同じ著者の作品も2つほど読んだけど
どれも同じようにつまらなかったと
書かれていました。

だけども、その最後の最後に、
このつまらなさをぶっ飛ばしてくれるような、
新たな作品を期待すると、
フォローの一文も入っていたんです。

で、この『宝島』。

これ読んだらきっと、
あのネットレビュアーは
「やった! ぶっ飛ばしてくれた」
って、喜ぶんじゃないかな。





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2018年10月10日水曜日

『動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話』(ジュールズ・ハワード)読みました。


水の分子の一つひとつは、
てんでバラバラの方向に
動き回っているけどれど、
それがたくさん集まった例えば川なら、
個々はバラバラでも、
集団としては、
高い所から低い所へと動く。

バラバラなんだから、
高→低じゃなく、その逆に動く
パンクな分子もいるだろうし、
みんなを引っ張るように川下へ急速度で動く
オピニオンリーダー分子もい、
さらには横やら斜めやら、
上やら下やらのふうてん野郎もいる。

なんだけれど、
全体で見ると1つの動きになっている。

てなことを、
書名は忘れたけど、
何かの本で読んだ覚えがあります。
うーん、なんか意味深だなって思いました。

で、この『動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話』。

水分子と同じようなことが
アリの世界にもあると、この本で知りました。
1匹1匹の働きアリは、
てんでバラバラの動きをしているんだけど、
全体としては、エサを巣に運んでいるんだとか。

えっ?面白くない?
大丈夫、まだたくさん面白いこと載ってます。この本。





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2018年10月4日木曜日

『ツナグ』(辻村深月)読みました。


メインで使っているものの他に、
1カ月に1度だけ違うパソコンを
操作しなければいけない仕事があります。

本当なら1台だけで済ませたいのに、
そのマシンを使わないとダメな
事務作業があるんです。

マックとウィンドウズの違い
ってことなので、仕方ないんです。

何でもただの1個に統一されちゃうと、
多様性がなくなって世の中いろいろと
ぎくしゃくしてくるようなので、
我慢しなきゃと思います。

でもね。
1カ月に1度しか使わないから、
その度に「システムの更新があります」とか
「アプリの自動バージョンアップをします」とかで、
その事務作業が始まらないんです。

いつも同じパソコンを使っていれば、
ちょこちょこ更新するんだろうけど、
月1回だと、それがたまっちゃって、
目一杯時間がかかる。
同じことをもう3年ほどやってます。

でもでも、それでは精神衛生上
良くないことに前回から気づき、

事務作業をする1日前に、
まずは更新だけするために
電源を入れることにしたんです。

あ、やば、本に関係無いこと、
こんなに書いちゃった。

で、この『ツナグ』。

もう8時間近くなると思います。
更新のためにそのパソコン立ち上げてから。
今、81%まで終わったという表示が出ています。
いつまでかかるんだろう。

やばやば、
この本のこと何も書いてない。
いや、一行だけ書いているか。
「で、この」とタイトル。

ま、いいか。





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2018年10月2日火曜日

『鷲は舞い降りた』(ジャック・ヒギンズ)読みました。


寝転がって本を読むとき、
最初の1行に目を通す前に、
「今読んでも3ページで寝るな」とか
「お、なんか目も頭もさえている感じがする。
 残りはだいぶあるけど、
 最後まで読み終えちゃうかも」とかを、
考えることがあります。

いわば、読書前のコンディション確認。

とはいえ、
そんなにたびたびじゃないんですけどね。
たいていは何も考えずにページを開き、
ちょっとうとうとして、ハッと気づいて、
また読み進め、またうとうと……
を繰り返しながらのパターンが多いです実は。

そんでも、
最初にコンディション確認みたいなことを
したときには、その予想はほぼ当たるんです。

「3ページで寝るな」と思ったら2ページで寝るし、
「最後まで読み終えちゃうかも」と思ったら、
その本どころか次の本まで手を出しているとか。

そのときの自分の体調がどうなのかを
みているんだから、
当たり前といえば、当たり前ですが。

で、この『鷲は舞い降りた』。

「今日は3ページで寝るな」と
思ってこの本を開き、
100ページくらい読み進めていたことが数回。

そんな感じで、
ごくごく飲み干すように読み終えちゃいました。
あー面白かった。また読も。





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