2026年5月19日火曜日

『悪党たちのシチュー』(ロス・トーマス)読みました。


本を入手する方法は、
ほぼひと月に1度の書店への買い出しです。
(何度も言ってる気がしますが……)

(それから以下も
 何度目になるかわからないほどですが……)
10冊程度の書名を書いたメモを持ち、
その指示通りに棚から抜いてレジに運ぶ。

そんなやり方をもう10年20年と続けているのですが、
直近の前回、ルーチンの書店棚取りの際、
ふと、違う方法も試して見るべきじゃないか
というプチ悟り的な脳内発光があったんです。

1度に使う予算は1万円までと決めています。
メモに書くときにはそれ以内に収まるように
値段も計算しています。

だから該当する本を棚から取るとき
「えっ、ローレンス・ブロック作品の新刊が出てるじゃん」
とメモにない書籍で、
読みたい読みたい今すぐ読みたいなものが
目に入ったとしても、自分縛りのルール上、
次回の買い出しメモに記して我慢し、
ほぼひと月後を待つ的なメソッドを
採用しなくてはなりません。

プチ悟り的な脳内発光は、それを打ち破るものでした。
メモなしで、その場の直感だけで
10冊ほどを選んだら楽しいかも、です。
それはまだ試していません。
でも、次回のメモには着々と書名が増えているから
どうしましょ。

で、この『悪党たちのシチュー』。

ルーチンの書店棚取りの際、
「えっ、ロス・トーマス作品の新刊が出てるじゃん」発見で、
メモ上の同じ値段の作品と差し替えて手に入れました。

土壇場で未購入になったやつはまだ読んでないけど、
たぶんそっちよりは面白いでしょう。

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2026年5月14日木曜日

『コメンテーター』(奥田英朗)読みました。


誰から聞いたのか、はたまた、どこで読んだのか、
そういうのは忘れちゃったんですけど、
誰かが言っていた「歳を取ると性格が悪くなる理由」。

昔はとってもいい人だったのに、
高齢者の仲間入りした頃から
穏やかさがどんどんなくなってきて、
今や強烈な意地悪じいさんっていわれてる。

みんながみんなそうなるわけではないけれど、
同じような例は結構あるようで、
自分の周りにも相当する人がいるんだなぁ、な気がします。

んで、そうなる理由。
それは優しいからだっていうんです。

歳をとって死期が近くなって、
自分が穏やかな善人のままこの世を去ってしまうと、
周囲の人はみんな悲しむ。

でも、嫌われ者になって
早く死ねばいいのになどと陰口叩かれるくらいになれば、
実際に逝ったときに悲しまれなくて済む、
からだとか。

で、この『コメンテーター』。

善人→悪人って変わり方じゃなく、
シリーズ通して変質者→常識人って方向で
主人公の性格が変遷してる気がしました。

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2026年5月12日火曜日

『世界の終わりの最後の殺人』(スチュアート・タートン)読みました。


新聞、雑誌、ネットで見かけて、読みたいと思った本は、
専用メモ紙に書名とか値段とかを記録しておき
1月分まとまったら、それを片手に買い出しに行きます。

最近、このメモ作業のとき
頭をよぎるようになったのが、サイズです。

小さな文庫本なのか、
大きな(つーか普通サイズの)単行本なのか。

前々からいっているように、
住宅事情とか住宅事情とか住宅事情により、
保管しておくスペース、つまり、
本棚の空きはもうほとんどなく、
できれば場所をとる単行本は避けたい。

文庫なら何とか奥に並べた色褪せ背表紙群の前に、
少し棚板から飛び出させて重ね置きできるから、
そっちを優先したい。といったよんどころなさのせいです。

しかしこの前、
何気にその書庫(いや、この用語は希望が漏れ出てた結果
キーボード上の指が勝手に叩いてしまったもので、
正しくはニトリで買った「本棚」です)を見ると、
前面重ねの文庫山に隠れるように
単行本数冊分の空きがあるじゃないですか。

で、この『世界の終わりと最後の殺人』。

面白かったです。
なのでブックオフ行きにはせず書庫(まただ)保存です。
よかった空きが見つかって。これ単行本だもん。

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2026年5月1日金曜日

『言語化するための小説思考』(小川哲)読みました。


確かブログを始めた頃は、
あらすじとか、聞きかじった作品の背景とかの、
その読了本に関する情報を、ある程度は紹介したうえで、
面白かったとか、つまらなかったとかの感想を
述べていたような気がします。

それがいつの間にやら、
なんの関連性もないおちゃらけで文字を埋め、
最後の最後にちょっとだけ
読んで感じた気持ちを付け加えるという
感想文もどきスタイルになってしまったのか。

その変化をもたらした明確なきっかけがあったなら、
いくら記憶力がへなちょこなぼくでも、
きっと頭に残っているはずです。

バックナンバーをたどっていけば判明するんでしょうが、
そんな作業をするまでもなく、
グラデーション効果をかけたがごとくなだらかに
この形になっていったのだと自覚しております。

今じゃあ自分ではこのやり方もありなんだろと
思っているんですが、1つ気になる部分もあります。

それは作品(もしくは著者さん)に対して
失礼なんじゃないかってこと。

今回だって、こんだけだらだら書いても
まだ一言も内容には触れてないですから。

と思っていたらですね。
作品に対する感想よりも、その本をどんな人が読んだのか
読者当人の性格とかプロフィール的な情報とか
人となりなんかがわかる文章(言ってみれば、このブログ)
のほうを好んで読み、参考しているという作家さんがいました。

で、この『言語化するための小説思考』。

言ってみれば、大きな視野で超拡大解釈して言ってみれば、
この感想文もどきチックな文章を参考にしている
的なことが書いてありました。
いやーそれほどでも。

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