2019年12月26日木曜日

『白銀の墟 玄の月(1)十二国記』(小野不由美)読みました。


一度試してみたい本の読み方があります。
作者名を隠して1冊を通読し、
その著者を当てること。

(書いてて思いついたんだけど、
 タイトル隠して読み終えたあと、
 自分で好きな題名をつける
 ってもの面白そう)

今まで読んだことのある作家の
未読作品限定にして、
頭の中にある
既読の文体と比べて推理する。

文章だけ物語だけ、
その中身だけを見て、
誰が書いたか当てるんです。

この目隠し読書ゲームへの挑戦、
ときどき思い出すんだけど、
なかなかやれません。

誰かに頼めば
作者名をマスキングした本を
用意してくれるかもしれないけど、
そんなこと人に頼むのはめんどいし、

自分でやろうと思っても、
著者名を見ないで
買う(or 借りる)方法もわからない。

もしゲームができたら、
全問正解できるのは
池波正太郎作品だと思います。

池波さんの本なら最後まで読まなくても、
任意に開いたそのページだけ見れば
判断できそう。

あとは誰かな……。
あ、ピンポイントの著者名じゃなく、
その作家の性別を当てるってもの面白いかも。

で、この『白銀の墟 玄の月(1)十二国記』。

この本で、目隠し読書ゲームをして
作者の性別を当てようとしたなら、
きっとぼくは「男性」って答えるでしょう。





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2019年12月24日火曜日

『ナポレオン(2)野望篇』(佐藤賢一)


とあるドラマを見ていて、
その番組を企画した制作者側と、
台本執筆を依頼された
シナリオライターの会話が
頭に浮かんできました。

なんの根拠もなく想像した
彼らのやりとりは以下の通り。

(制作者側:P、脚本家:W)
P「日本で最初にオリンピックに
  参加したマラソン選手の話だからね、
  よろしくね」
W「……はい。
  でもぉ……いろいろ膨らませて、
  その関係者なんかも無理矢理に
  引っ張り出して、なんとか見繕ったとしても、
  週1で1年分引っ張るのは、
  かなり厳しいな」
P「そりゃみんなわかってるんだけどね。
  企画が通っちゃったんだから
  しょーがないじゃん、Wちゃん」
W「いやいや、やっぱ半年分が限
  界じゃないですか」
P「そんなこといわないでさ。
  あ、そうだ、マラソン選手は半年分にして、
  残りの半年は別の人にしようか、
  2部構成ってことで」
W「それなら、資料調べている中で
  面白い人物いましたよ」
P「だれ?」
W「64年のオリンピックを東京に招致した
  組織委員会とかの人ですよ」
P「ほー、それでやってみよう」

で、この『ナポレオン(2)野望篇』。

ヨーロッパをひっくり返して
まとめ上げたりなんだりした人だから、
ネタはそれなりに豊富ですね。
これなら1人の人物だけで、
1年間は引っ張れるでしょう。
あと1巻残っているし。





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2019年12月19日木曜日

『環境再興史』(石弘之)読みました。


何年か前に
「人間は何も食べないでも生きていける」
って内容の本が話題になりました(たぶん)。

タイトルも忘れてるし、
もちろん読んでもいないので、
曖昧な印象でしかないのですが、

「それりゃ、どう考えても無理だろう」
と感じたのだけは覚えています。

心臓を動かすにはエネルギーがいるだろうし、
身体の中にある水分は蒸発していくだろうし、
細胞って分裂して新しいモノに
置き換わっていくと聞いたけど、
その材料なんかも外から仕入れないといけないし。

ということで、
生きていくには、自分以外のモノを食べて、
エネルギーやら身体の材料やらを
補給する作業が必要です。

それだけじゃなく、
眠って疲れをとらなきゃいけないし、
歯を磨いて虫歯を予防しないと駄目で、
お風呂に入って清潔にしとかないと
嫌われちゃう。

なんやかやと面倒を見てあげないと、
やっていけないモノなんですね。

で、この『環境再興史』。

人間だけじゃなく、
それを取り巻いている環境ってやつも、
なんやかんやと面倒見ないと
いけないものだと痛感しました。





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2019年12月17日火曜日

『地獄めぐり』(加須屋誠)読みました。


フェイスブックのタイムラインでは、
誰かの誕生日になると
「おめでとう」「ありがとう」
の投稿が並びます。

「ハッピーバースディ」って言葉も
たくさん出てくる。

そしてぼくはその文字を見ると、
なぜか、さだまさしさんの曲
「HAPPY BIRTHDAY」が
頭の中に流れます。

「昨日までの君は死にました〜」ってヤツ。

結構マイナーだと思うので
知らない人のほうが多いかもしれません。

なぜかあの定番の
「ハッピバ〜スデ〜ツ〜ユ〜♪」じゃなく、
さださんなんです。不思議です。

あと、もう一つ。
いつも行くスポーツジムのロッカーは、
そのつど4桁の暗証番号を
設定して使います。

「ピッ、ピッ、ピ、ピ」と数字を押し、
最後に「入力」ボタンを「ピッ」とする。

その音のつながりが
「パッパッパヤッパ」という
金井克子さん曲「他人の関係」
のリズムに聞こえてしまうんです。

そうすると、
ロッカーから2つ下の階の
プールに行くまでの間はずっと
「会うときにはいつでも〜」
という少しハスキーな声が頭の中に響き、
それに合わせて階段を
ぴょんぴょんしています。

ほかにも、
トンボを見かけると長渕剛さん、
卒業式って文字なら青春時代、
奮闘努力の四字熟語だと寅さんなどなど、
脳内BGMのスイッチを入れるものは
いっぱいあります。

で、この『地獄めぐり』。

この本のタイトルも、
頭の中にあるレコードに、
針を落とす起点になりました。

まったくベタですけど、
山本コータローさんの『岬めぐり』。

いずれにしても
選曲が全部古いのは仕方ないです。
それだけ地獄に近いお年頃だってことで。





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2019年12月12日木曜日

『営繕かるかや怪異譚 その弐』(小野不由美)読みました。


中学生、いや高校生くらいまでかな。
二段ベッドの上の階に寝ていました。
(下は弟が使っていた)

寝床から天井までは1メートルくらい。
上体を起こしたとき頭との間に
少しだけ余裕がある程度です。

そこで上を向いて寝ると、
見えるのは天井に張られた化粧板です。

白の平面にポツポツと凹んだ穴が
開いているような模様。

虫食い穴みたいで、
規則的に並んでいるんじゃなく、
ごま粒状のポチッとした丸が
点々とまだらにあって、

そのごま粒が連結して
イモ虫状になったモノや、
ペンキを塗ったとき
毛がついてしまい乾いてから
それを取ったときの跡みたいなモノ
なんかもまぶされているヤツです。

それ何ていうのか調べてみたら
「トラバーチン模様」
という名前だそうです。

なんでも大理石に似せてつくった
デザインだとか。
ぼくはどちらかというと、
コンクリート打ちっぱなしの
壁みたいな気がするけど。

まあ、とにかく仰向けに寝ると、
そのトラーバチン模様で
視界がいっぱいになるんです。

ほんでその模様、
雲だったり、シュウマイだったり、
人の顔だったり、
その日その日で、
違うモノに見えてくるんです。
あのロールシャッハテストみたいに。

で、この『営繕かるかや怪異譚 その弐』。

もう50歳も過ぎているのに、
そんな中坊時代の
少し異世界に触れたような日常を
思い出しました。





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2019年12月10日火曜日

『精神科は今日も、やりたい放題』(内海聡)読みました。


人の手でつくり出したモノは、
自然にできていった
既存のモノに対して、
何かしら悪さをするって宿命が
あるのかもしれません。

例えば、フロンは、
それまで冷蔵庫なんかで使っていた
冷媒のアンモニアに代わる物質として
つくられたらしいけど、それが、
地球の周りにあるオゾン層とやらを
壊しちゃうみたい。

毒性のあるアンモニアじゃなく、
無毒・無臭で燃えないフロンが
できたときは、みんなが
「こりゃいいぞ」と、
つくりまくり使いまくったらしいけど、

あにはからんや、
地球規模の問題を抱えていた。

例えばプラスチックは、
木材や金属なんかより扱いやすく
加工しやすくて、
人類最大の発明なんていう人もいる。

電子部品の基板から
コンビニのレジ袋まで
今や1日たりとも
プラスチックに触れない生活を
することはできない感じ。

でも、なんだか海に
そのゴミがうじゃうじゃあふれて
いるようで…。

例えば、特定の症状に効くからと、
成分を抽出してかためてつくった薬は、
その特定症状に効くけれど、
ほかの正常なあちこちにも効いてしまい、
つまりは副作用に悩まされる。

フロンにプラにクスリに
あれやこれ全部……。
宿命なんでしょうか。

で、この『精神科は今日も、やりたい放題』。

怒っているなこの本。
そこがチト怖いけど、
精神科ってのも人の手で
つくり出されたモノなんだろうな、
と思いました。





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2019年12月5日木曜日

『プラネタリウムの外側』(早瀬耕)読みました。


十年ほど前になるでしょうか。
仕事で挨拶に行った会社で、
いろんな部署を回りながら、
そこにいる人たちを紹介されたんです。

「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
みたいな簡単なやり取りを
しながら名刺交換をしました。

その名刺の中の一枚に
見覚えのある名前があったんです。

昔好きで読んでいた小説家。

でも作家デビュー後
3冊ほど発表されたのち、
もう20年以上新しい作品を
出していない人。

「あのー……
 菊池規悦(仮名)さんって、
 ひょっとして『電卓エクセル(仮)』の、
 あの菊池(くどいようですが仮名)さんですか?」

彼は、少し困ったような顔をして
「はい。いやでも、もう…」と言いかけた。

と思ったら、
ちょうど机の前にあった電話が鳴り、
こちらを気づかう素振りを見せて
彼は受話器を取りました。

通話は長引きそうで、
そのまま待つのも悪いからと、
ぼくらは次の部署へ移動です。

そもそも挨拶に回ったのは
一応の顔見せ程度で、ぼくの仕事には
それほど関係のない部署ばかり。

その後は、
忙しくなって彼のことも忘れてしまい。
十年ほどになるでしょうか。

で、この『プラネタリウムの外側』。

ウィキペディアによると
作者の早瀬さんはデビュー後約20年
沈黙していたようです。
菊池(仮名)さんも、
そろそろ沈黙破ってほしいな。





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2019年12月3日火曜日

『ナポレオン(1)台頭篇』(佐藤賢一)読みました。


小説をつくるとき、
視点がぶれないようにするのが
大切とよく聞きます。

それまで描いていた人物の主観から、
ほかの人に切り替えるときには、
1行空けて、区切りをわかるようにする。

そうしてたくさんの視点から
物語をつくっていくと、
それぞれの登場人物から出てくる
ダシみたいなものが混ざり合って、
とっても美味しく深い作品に仕上がる
……みたいなことが、
どっかの小説作法のような本に
書いてあった気がします。

とはいえそれだと、
最初から最後まで
ずっと一人称で通している作品は、
視点複数の主観まぜこぜモノよりは、
濃厚な味わいがないことになる。

それでも、あえて一人称にして、
まぜモノに負けないくらいの
濃厚深奥でクールなお話しを
つくっちゃえる人がいる。
たしか、村上春樹さんなんかは、
ほとんど一人称だったような…。

で、この『ナポレオン 1 台頭篇』。

一人称ではありません。
でも、視点はほぼ主人公一人。
それでもここまで引っ張れるんだな。
続くあと2巻、引っ張られます。






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2019年11月28日木曜日

『なめらかな世界と、その敵』(伴名練)読みました。


一年を締めくくるのは、まだ少し早いけど、2019年のこれまでに読んだ本は、

『熱帯』(森見登美彦)/『フーガはユーガ』(伊坂幸太郎)/『四人組がいた。』(高村薫)/『熊と踊れ(下)』(アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ)/『童の神』(今村翔吾)/『RANK』(真藤順丈)/『そして夜は甦る』(原尞)/『土 地球最後のナゾ』(藤井一至)/『ゲームの王国(上)』(小川哲)/『ミスター・メルセデス(上)』(スティーヴン・キング)/『ゲームの王国(下)』(小川哲)/『ナバロンの要塞』(アリステア・マクリーン)/『夏の戻り船 くらまし屋稼業』(今村翔吾)/『ミスター・メルセデス(下)』(スティーヴン・キング)/『公正的戦闘規範』(藤井太洋)/『ひゃっか』(今村翔吾)/『人体はこうしてつくられる』(ジェイミー・A・デイヴィス)/『この本は環境法の入門書のフリをしています』(西尾哲茂)/『伯爵夫人』(蓮実重彦)/『ザ・スタンド(Ⅰ)』(スティーヴン・キング)/『理科系の作文技術』(木下是雄)/『ザ・スタンド(Ⅱ)』(スティーヴン・キング)/『私が殺した少女』(原尞)/『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(ルイス・ダートネル)/『森見登美彦リクエスト! 美女と竹林のアンソロジー』(森見登美彦ほか)/『てらこや青義堂 師匠、走る』(今村翔吾)/『ザ・スタンド(Ⅲ)』(スティーヴン・キング)/『東京の子』(藤井太洋)/『小説「映画ドラえもん のび太の月面探査記」』(辻村深月)/『ロビンソン・クルーソー』(デフォー)/『交流のしくみ』(森本雅之)/『ザ・スタンド(Ⅳ)』(スティーヴン・キング)/『カッコーの歌』(フランシス・ハーディング)/『ウイルスの意味論』(山内一也)/『今昔百鬼拾遺 鬼』(京極夏彦)/『ダンジョンクライシス日本』(緋色優希)/『シーソーモンスター』(伊坂幸太郎)/『シンドローム』(佐藤哲也)/『クジラのおなかからプラスチック』(保阪直紀)/『ザ・スタンド(Ⅴ)』(スティーヴン・キング)/『心霊電流』(スティーヴン・キング)/『手のひらの京』(綿矢りさ)/『心霊電流(下)』(スティーヴン・キング)/『蜜蜂と遠雷(上)』(恩田陸)/『へろへろ』(鹿子裕文)/『善く死ぬための身体論』(内田樹/成瀬雅春)/『今昔百鬼拾遺 河童』(京極夏彦)/『ノースライト』(横山秀夫)/『同潤会代官山アパートメント』(三上延)/『日日是日本語』(今野真二)/『蜜蜂と遠雷(下)』(恩田陸)/『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美)/『今昔百鬼拾遺 天狗』(京極夏彦)/『夢見る帝国図書館』(中島京子)/『宇宙と宇宙をつなぐ数学』(加藤文元)/『未必のマクベス』(早瀬耕)/『たましいの場所』(早川義夫)/『風邪の効用』(野口晴哉)/『双風神 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)/『ルポ 人は科学が苦手』(三井誠)/『雲霧仁左衛門 前編』(池波正太郎)/『あむんぜん』(平山夢明)/『最後の秘境 東京藝大』(二宮敦人)/『手塚マンガでエコロジー入門』(手塚治虫)/『談志狂時代』(立川談幸)/『生き物の死にざま』(稲垣栄洋)/『クジラアタマの王様』(伊坂幸太郎)/『神獣の都』(小林泰三)/『談志の忘れもの』(立川談幸)/『雲霧仁左衛門 後編』(池波正太郎)/『八本目の槍』(今村翔吾)/『グリフォンズ・ガーデン』(早瀬耕)/『ぱくりぱくられし』(木皿泉)/『お騒がせロボット営業部!』(辻堂ゆめ)/『冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業』(今村翔吾)/『恋文の技術』(森見登美彦)/『ねじまき少女(上)』(パオロ・バチガルビ)/『マンハッタン・ビーチ』(ジェニファー・イーガン)/『深泥丘奇談・続々』(綾辻行人)/『今昔続百鬼 雲』(京極夏彦)/『ねじまき少女(下)』(パオロ・バチガルビ)/『ヒトラーの正体』(舛添要一)/『秋暮の五人 くらまし屋稼業』(今村翔吾)

の83冊と、この『なめらかな世界と、その敵』(伴名練)。

その中で、1冊だけ選びなさいと言われたら、池波さんとか、早瀬さんとか、恩田さんなんかも捨てがたいんだけど、読み終えたばかりの今の熱さも手伝って、この84冊目になります。





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2019年11月26日火曜日

『秋暮の五人』(今村翔吾)読みました。


片道6キロのランニング通勤も、
常にヘロヘロ状態ながら9年目。

走り始めたのがちょうど
あの地震のちょっと前だったので、
テレビやらなんやらが、
節目の時をその度ごとに
数えてくれます。

とはいえ、
9年間走り続けても、
体力的に向上した実感は
まるでありません。

ランニング通勤開始後、
最初の2〜3週間は、
「もう死んじゃう」
と思えるほどキツかったけれど、

それを過ぎても、
「もう死んじゃう」
と思わなくなっただけで、
キツさは変わらず、
今もキツさは同じです。

そして、そのキツさが、
コースの途中で強くなったり
弱くなったりする波の形も
ほとんど変わりません。

パッと思い浮かぶのは、
残り1キロ地点で、
(5キロ走ったくらいのトコ)
一旦キツさが和らぐ時間があること。

ほんの2〜3分、
100メートルもない距離ですが、
「あ、ちょい楽になった」と、
魔がさす瞬間があるんです。

そう、あれは「魔」です。

ずっとキツければ、
きっと9年も続けていないのに、
あの魔があるから、
なぜかしら今日も走っちゃう。

もしかしたら今日は、
キツさはゼロで、
オール魔かも、
なんて期待して走っちゃうんです。

で、この『秋暮の五人 くらまし屋稼業』。

シリーズものなのに
この本を抜かして先を読んじゃいました。
それでも問題はないけど、
やっぱ順番は大切ですね。
魔は、それまでの5キロのキツさがないと
出て来ないものです。





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2019年11月21日木曜日

『ヒトラーの正体』(舛添要一)読みました。


いつだったか、なんかの集まりで
ビンゴゲームをしました。

そのときぼくは、
ガラガラ回して落ちてきた球を拾い上げ、
そこに書かれている番号を読み上げる役。

「はーい出ました32番!
 リーチの人はいる?
 まだ誰もいないの?
 そんじゃ次いくよー!」

なんていいながら、
ガラガラの取っ手を
もったいぶって回していました。

ぼくが番号を読み上げていく姿を、
そこにいるみんなが
固唾を呑んで見ている。

大きな声で番号を告げると、
当たった人もハズレた人も、
普段は見せない熱狂ぶりで反応してくれる。

「あっ、リーチ! リーチ!」
「おしいー! それじゃねーよ、
 なんだよキクチィー!」

そんなのをしばらくやってると、

どうしたことでしょう。

ぼくの中に隠れていた多幸感カプセルが
ポンッとはじけたようで、
とっても気持ちよく
なってきちゃったんです。

それって多分、
ライブで観客を乗せまくって
一体感を感じているロッカーの人とかが
感じるものと同じなんだろうな。

で、この『ヒトラーの正体』。

ミステリー仕立てみたいになっていて
エンタメしている本だと勘違いして
読んじゃいました。
……ぜんぜん、そうじゃなかった。

とはいえ、あのドイツのヒゲの人も、
ビンゴゲームの読み上げ係的な高揚感を
味わっていたんだろうと
想像したりしたぞなもし。





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2019年11月12日火曜日

『マンハッタンビーチ』(ジェニファー・イーガン)読みました。


どっかの偉人さんの薫陶か、
仕事の参考文献で使った
自己啓発本の中にあった教示の言葉か、
どっから仕入れたかは
定かではないんですが、

物事を選択するとき、
その「どっかの誰かの教え」を
思い浮かべたりします。

教えはこうです。
「簡単にできるものではなく、
 より難しいほうを選びなさい」。

簡単なほうは、
今まで何かしら同じような経験を
していたからスムーズに
こなせるものなんでしょう。

そんで難しいほうは、
これまでとは違う慣れていないものに
挑戦する場面だと思います。

つまりは、
以前にやったのと似たような事柄じゃなく、
新しい経験を積んだほうが、
人生は面白く過ごせるよ
ってお導きなんでしょうね。

先日、この教えを忘れて、
ついつい楽なほうを
選んでしまうことがありました。

楽なほうを選ぶと、
すいすいと事が運び、
気持ちいいもんです。

でも、難しいほうを選ぶと
そうはいかない。
ふーふー息を切らしながら、
やっとできたと思っても、
1ミリほどしか進まない。

「どっかの誰かさん、
 人生を面白く過ごすには、
 楽なほうを選んだほうが、
 いいかもしれませんよ」
なんてつぶやいていました。

で、この『マンハッタン・ビーチ』。

あれ?
またまた本の内容にかすりもしない
関係ない話を書いてしまいました。

今回は関係ないこと書くほうが、
簡単にできる選択だったようです。





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2019年11月8日金曜日

『ねじまき少女(上)』(パオロ・バチガルビ)読みました。


書いたモノを準備していたのに、
そのことをすっかり忘れ、
上巻の前に、下巻の分を
アップしちゃいました。
順番違いですが、ごめんなさい。
ってことで、以下(↓)上巻の分。

***********

ちょっと前に読んだ木皿泉さんの
『ぱくりぱくられし』の中に、
SFについての分析が書かれていました。

これまでジュール・ヴェルヌ以来、
いや聖書や日本書紀以来、
もっといえば、
伝承される昔話や民話が
つくられるようになって以来、

SFのジャンルにくくられるお話は、
そのほとんどが、
力を持ちすぎた人間を嘆く筋立てに
なっているっていうんです。

(記憶で書いているので、
 木皿さんの意見そそままじゃないかもです。
 すみません。
 ちゃんと確認すればいいんですよね。
 でも、その本、家に置いてきちゃったので、
 手元にないんです。なので、ご勘弁)

力を持ちすぎたっていうのは
比喩的な言い方で、
具体的には技術が進歩して
何でもかんでも便利になっちゃうってこと。

ドラえもんのいる
あらゆる道具が揃っている
未来みたいなトコです。

〈どこでもドア〉があったら、
瞬間移動ができて便利だけど、
苦労してたどり着く喜びが
なくなっちゃうとか。

〈タイムマシーン〉で過去を変えたら、
時空に歪みができちゃうとか。

やっぱり、不便なままがいいのかも。
そんなに力を持たずに暮らす方が幸せかも。
っていうお話が、
SF分野の大半を占めているらしいです。

で、この『ねじまき少女(上)』。

SFです。
舞台はやはり、便利を追求した先の未来でした。





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2019年11月6日水曜日

『ねじまき少女(下)』(パオロ・バチガルビ)読みました。


ランニング通勤を始めてから
もうすぐ丸9年になります。

今、使っている靴はたぶん3代目。
(もしかしたら、忘れているのが
 あるのかもしれないので4か5かも。
 でも公称の数字は3にしときます)

最初の靴は、
ランニングを始める前から
ずーっと履いていて
(おそらく5年とか6年とか)
走らなかった頃は
まったく壊れなかったんだけど、
やっぱ負荷がかかるんでしょうね。

ラン通勤開始から、
1年もたたないで
底が剥がれてきちゃいました。

それで仕方ないので、
プロ仕様みたいな軽くて
(足の甲を覆う部分というか、
 底以外の全体がメッシュなんです。
 だから軽いんだけど、
 冬の走らないときに履いていると、
 風がビュービュー吹き抜けて、極寒です)
底が薄く、素足に地面の感じが
直接伝わってくるようなヤツに替えました。

それを数年履いて、
今度はメッシュが破れてきたので、
今のヤツ。

これは、選ぶのが面倒になったので、
ごく普通の運動靴です。

その3代目がそろそろ危なそうなんです。
小さく穴とか開いてきて。
次はどんなのにしようかな。

で、この『ねじまき少女(下)

ぎゃ、また関係無いことだけで埋めちゃった。
感想は別の機会に。





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2019年10月31日木曜日

『今昔続百鬼 雲』(京極夏彦)読みました。


通勤には
リュックサックを使っています。

本を入れる場所は、
上部のチャックがついた
フタみたいな場所。
小物を放り込んでおけるトコです。

このリュックを使い始めた頃は、
そこに本を入れておくと、
ランニング通勤していることもあり、
揺れが激しいのか、
すぐボロボロになっちゃいました。

なので、しばらく使ううち、
入れ方を変えてみたんです。

それまではチャックを開けたとき、
背表紙が見えるように、
開く方(小口)を下にしてた。
それを逆さまにした。

つまり背表紙を奥に突っ込む形です。

したら、あらまあ。
ボロボロ率が
驚くほど減ったじゃありませんか。

以降、ずっとその方法で携帯してます。

ただし、
読み終えるのに何日もかかるような
分厚い本はダメです。
何日も揺れの中で
過ごさせるものじゃないんですよね、
本って。

で、この『今昔続百鬼 雲』。

ぶ厚い本でした。たしか700ページ超。
でもなぜか、
ほかの本よりはボロボロ率は少なかった。
面白かったからでしょうか。





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2019年10月29日火曜日

『深泥丘奇談・続々』(綾辻行人)読みました。


世の中は、
なんとなくいいつくりというか、
穏やかな雰囲気というか、
そんな方向に、
ゆるやかだけど変化している、
と感じているのは、ぼくだけでしょうか。

たしか子どもの頃は、
休み時間に校庭とかで遊んでいると、
光化学スモッグ警報が出たので、
すぐに校舎へ入りなさい
なんていわれて、
空気を汚さないようにしてほしいな
と漠然と思っていた。

でも今は、
晴れた日なら東京北端の
6階の自宅から
富士山がきれいに見えて、

公害って言葉も、
とんと聞かなくなった。

少し大きくなって、
中学生か高校生くらいのときには、
新しくつくられる道路なんかを見て、
そんなゴツゴツの外観じゃなく、
もっとなごむような形にしてほしいな、
なんて思ってた。

その頃できる幅広道路の中央分離帯は
金網の柵があるだけの
のっぺりコンクリートだったけど、

今はきちんと植栽されて、
中には遊歩道みたいのもある。

ぼくは何もやってはいないのだけれど、
昔そうなったらいいなと思っていた形に
近づいていってくれている。

もちろん、
それはそれでいいことなんだと思います。

なんだけど、なんだけど…。

へそ曲がりのぼくは、
人間ってもっとドロドロが
似合うんじゃないのなんて
つぶやいたりすることも
あったり、なかったり。

昔、そんなのがいいなと
思っていた自分は
何だったんだ、と思いつつ。

で、この『深泥丘奇談・続々』。

シリーズ3巻目。1巻目からすると、
いいつくりというか、
穏やかな雰囲気というか、
そんな方向に、
ゆるやかだけど変化してる、
ように感じました。ぼくだけかな。





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2019年10月24日木曜日

『恋文の技術』(森見登美彦)読みました。


まず、確認しておきます。
本を読むことと勉強することは
重なる部分が結構あるかもしれないけれど、
決してイコールではありません。
とりあえず、それを頭に入れておいて、と。

勉強している姿を見れば、
その人に対し、少なからず
「偉いなぁ」という気持ちが
わいてきます。

そして勉強している姿の代表が
本に向かう様子でしょう。

だから、
電車の中でも
家族がうろちょろしている居間でも、
本を読んでれば、
きっと周囲の人は、
少なからず「偉いなぁ」と
思ってくれるはず。

これがスマホを眺めている姿だったら、
そうはいきません。

勉強アプリ(そんな分野あるのかな?)で、
目標をクリアして、
「やった!」とニヤニヤしていたとしても、

周りの人は、
「桃色動画を観て、いやらしいわ」
と勘違いしてしまう。

でも本は違う。
読んでいる本の中に、
下品な言葉がたくさん登場して、
それを面白がるためだけに
文字を追っているとしても
「偉いなぁ、勉強してはる」になるんです。

で、この『恋文の技術』。

再読、いや三読か、もしかしたら四読。
だって「おっぱい」って言葉が
たくさん出てきて、面白いんですもの。





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2019年10月16日水曜日

『冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業』(今村翔吾)読みました。


本は月に1度まとめて買います。
読んでいた本の中で
紹介されていた別の作品とか、
新聞に出ていた新刊の広告とか、
ネットの書評とか、
どこからか送られてくる
宣伝メールなんかで、
「あ、これは」と思ったモノを
メモしておき、
その紙切れを持ってひと月に一度、
本屋さんに行くんです。

自分でも読めないような
ミミズのたくり文字を解読しながら、
いつも行くでっかい本屋さんの
書棚を探します。

メモには少ないときで5、6冊、
多いときで十数冊の作品名が
書かれています。

その中には、
最低でも1冊は、
お気に入りの作家さんの新刊があり、
その名前を見ると
「うん、今月も1冊は安パイだ」
なんてほくそ笑んだりしてます。

そんなニヤケ顔のおじさんが、
くしゃくしゃの汚いメモ用紙を
手にしながら、
池袋のジュンク堂をうろついていたら、
それがぼくです。

で、この『冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業』。

安パイでした。
でも、何を勘違いしたのか、
シリーズの4巻目を抜かしていた。
メモしたはずなのに……。





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2019年10月10日木曜日

『お騒がせロボット営業部!』(辻堂ゆめ)読みました。


伊坂幸太郎さんが、
(この前『クジラアタマの王様』読了)
インタビューだか対談だかで、
絶対やりたくないことを
語っていました(たぶん)。

そのダメな行為とは、
「自分が納得できない
 物語の流れであっても、
 締切に追われ、
 そのまま書き上げてしまうこと」
だそうです。
(たぶん。
 違う人だったらごめんなさい)

でもでも、
ぼくは今まで読んだ小説の中で、
伊坂さんの言うような
投げやりな作品に
出会ったことがないんです。

文章のヘンテコさだとか、
言葉の選び方や並べ方が
しっくりこないとか、
セリフの唐突さだとか、
そういった細かい部分には、
違和感を覚えることはあっても、

物語の流れを見て
「あ、これは、こねくり回して
 深みを出す時間がなかったんだな」
などと感じることはありませんでした。

もしかすると、
そこまで真剣に読み込まずに、
うわべだけさらっと流しているだけな
怠惰な読者ってことかもしれないけど。

なので、
伊坂さんの言う〈作者が納得不足〉の本に
触れてみたいなと思っていたところです。

で、この『お騒がせロボット営業部!』。

もしかして、
そんな本に出会っちゃったかな……
って思える部分が見えた気がしました。

いや、でも違いました。
ベタだけど涙流しながら読んだ箇所もあったし。





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2019年10月8日火曜日

『ぱくりぱくられし』(木皿泉)読みました。


何かの打ち合わせの帰り、
コピーライターをしている友だちと
駅まで歩いていました。

もう少しで最寄り駅に着くころ、
彼の携帯が鳴りました。

液晶に出てる発信者の名前を見て、
心なしか背筋を伸ばしながら、
ぼくと話すときとよりだいぶ高めの声で
「はい、どうもお世話になります」。

電話の相手は、
歩きながらの会話では対処できるような
人じゃないらしく、

彼は50メートルくらい先に
駅が見える歩道に立ち止まって、
スマホを耳に押し当てています。

なにかクレームなのかな。
しきりに恐縮しているふうです。

ちょっぴりいたたまれなくなって、
ぼくは少し離れて、
ここなら聞こえないよと
わかってもらえるような場所で待ちました。

時間はほんの2、3分。

飲み屋の看板の文字を
見るともなしに読んでいると、
彼が電話を終えて戻って来て

「フレキシブルってっさ、
 ほかの言葉に置き換えたら何になる?」
と投げかけてきました。

で、この『ぱくりぱくられし』。

彼の投げに「〈居てよしッ!〉はどう?」
とぼくは答えました。

それは、この『ぱくりぱくられし』からの
パクリ(13頁)なのでした。





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2019年10月3日木曜日

『グリフォンズ・ガーデン』(早瀬耕)読みました。


毎朝のランニング通勤で
ゴールにしているジムに到着したとき
「あれ? 昨日まで滝行直後の
 修行僧みたいに全身汗でびしょ濡れ
 だったのに、今日は顔しか汗かいてない」
と気づいたとき。
(夏から秋へ季節の変わり目を
 文学的に表現しようと思ったんです)

気の合う仲間たちとの飲み会で、
我を忘れてはしゃぎまくり、
馬鹿笑いしまくった次の朝、
たまたま家族はみんな出掛けていて
一人ベッドから起き上がり
寝ぼけた目をこすりながらトイレで用を足し、
水洗の水が流れ行くのを眺めているとき。
(喧噪の後にやってくる
 孤独感みたいなものを
 文学的に表現しようと思ったんです)

立体交差で環状7号線が上に被さり
アーケードみたいになっている
旧中山道のくぼみの所で、
高校に自転車で通うのに
いつも待合せしている友だちが、
その日はなぜか現れず、
「もうダメだ遅刻しちゃうから先に行こう」
とペダルに足をかけたとき。
(いつも元気な友だちに対する
 何かあったんじゃないかという心配と、
 あのヤローに、なんて文句を
 言ってやろうかという苛立ちを
 文学的に表現しようと思ったんです)

そんなこんなのとき、
胃がシクシクするような
物悲しい気分になります。

で、この『グリフォンズ・ガーデン』。

もういい大人になってしまったからなのか、
最近あまり感じなくなった
シクシクの物悲しさを思い出させてくれました。





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2019年10月1日火曜日

『八本目の槍』(今村翔吾)読みました。


仕事で雑誌や新聞などの原稿を
書いているせいなんでしょうか。

ひとまとまりの文章の中では、
まず結論を言って、そのあとで、
結論に至る背景とか、
そこから広がる影響とかに
つなげていくって感じの構成に
いつの間にかなっています。

(今書いている感想文もどきの文章は、
 その反動みたいなモンで、
 なんでもいいから普段とは違う
 書き方をしたいと、なるべく素の自分を
 出しておちゃらけてる。
 だから、結論が先に出てくるどころか、
 どこにも見当たらなくなります)

時間のない読者に向けて、
ススッと情報を伝えるためには、
そんな書き方がよいのであると、
誰かに教えられたような気がします。
誰だか忘れたけど。

いや、そもそも教えられたんじゃなく、
文章読本とか記事作成ノウハウとかの本に
載っていたことかもしれない。

ほんで、
そんなふうな書き方に慣れてしまうと、
〈続きは次週のお楽しみ〉みたいな
やり方をされると、
「うわーやだー、早くおせーて」
と頭を掻きむしりたくなっちゃうんです。

で、この『八本目の槍』。

確か去年『童の神』が直木賞候補になり
受賞には至らなかったけど、
これならいけるんじゃないと思いました。
何度も頭掻きむしりたくなったのが、
悔しいけど。





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2019年9月27日金曜日

『雲霧仁左衛門(後編)』(池波正太郎)読みました。


「サスペンス」を辞書で引いたら、
類語として「スリル」って言葉も載っていて、
そういやその2つってどう違うんだろうと、
辞書のその先を読んでみました。

特段面白いワケじゃないけど、
紙面も埋まるので引用します。

2つの言葉をくくっている説明文は
「楽しみとして味わえる、恐怖感や緊張感、不安感」。

そのあとに
「使い分け」ってのがあって、そこには

【1】いずれも、通常は不快なものとして認識される、
  恐怖感、緊張感、不安感などの感情を、
  娯楽や読書の際に楽しみとして意図的に味わうもの。
【2】「スリル」は、自分の安全が脅かされるような
  気がする場合に抱く恐怖感や不安感をいう。
【3】「サスペンス」は、特に、小説やドラマなどで、
  話の展開が読者や観客に与える不安感や緊張感をいう。

ほら、こんなに文字がたくさん埋まっちゃいました。

つまりは、
読書の文脈でいうなら、
どちらかというと「サスペンス」のほうが
適切みたいです。

ほんで、
多く作品で描かれるサスペンスは、
正義の味方側がとんでもない危機を
乗り越えるときのドキドキのようです。

そして中にはワル者が経験するハラハラを
楽しませてくれる作品もあります。

で、この『雲霧仁左衛門』。

この本、正義も悪漢も、
両側からのサスペンスを味合わせてくれます。
一粒で二度美味しというか、なんともお得。





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2019年9月25日水曜日

『神獣の都』(小林泰三)読みました。


ネコ(だけじゃなく動物は
みんなそうかもしれないけど)は、
一度危険を感じた場所には
二度と近づかないと聞きました。

人間は、もっと賢くて、
自分自身で危ない経験をしなくても、
そこが危険な場所であると想像したり、
そんな情報を仕入れただけで、
そばには行かなくなります。

君子危うきに近寄らずですね。

もっとも、
虎穴に入らずんば虎子を得ず
とか言いながら、
勇猛果敢にあえて物騒なところに
行っちゃう猛者もいますけど。

そしてぼくの場合、
行動だけを取り出せば、
その勇敢な挑戦者みたいに
見えるかもしれません。

でも、頭の中はたぶん全然違う。

ぼくは「あえて」近づくワケじゃないんです。

知らないで、というか、何も考えないで、
気がついたら近づいていたって感じ。

一度自分で危険を察知した場所であっても、
ネコならばそれを一生忘れないのに、
脳みその中を森羅万象の出来事が
右から左に何も残さず駆け抜けていくぼくは、
前に嫌な思いをしたことも
やはり駆け抜け(つまり忘れて)、
また同じことを繰り返し
「わっ、あぶねっ」なんて
言ったりするんです。

我ながら、
よく半世紀以上も
生きていられるもんだと感心します。

で、この『神獣の都』。

前にも同じ作家さんの作品を読んでました。
そんなん、すっかり忘れてました。





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2019年9月19日木曜日

『クジラアタマの王様』(伊坂幸太郎)読みました。


一般的に風邪は嫌なもので、
流行る時期には、
手洗いやうがいを入念にして、
マスクなんかで「来るな」と防御して、
びくびく過ごします。

ちょっと前までは、ぼくもそうでした。

それがいつぐらいからか、
「実は風邪って、
 そんなに大したモンじゃないのかも」
って思うようになり、

そんな時期に
『風邪の効用』ってな題名の本を見つけ、
読んでみると、
嫌なモノどころか、
健康にいいみたいなことも
書いてあったりして、

「いやいや、風邪をひくのは
 健康じゃないだろう」

と思ったりもするものの、

それでも、きゃーきゃー言うほど
忌み嫌うほどではないとの考えは
深まっていき、今に至っています。

だって、長くても1週間くらい、
ノドがヒリヒリしたり、
鼻がぐずぐずしたり、
コンコンうるさかったりするのを我慢すれば、
もとの調子に戻っていくんだから。
やたら騒ぎになるインフルエンザも
同じかなって。

で、この『クジラアタマの王様』。

とっても面白かったです。
でも一つだけ。
インフルエンザが大したことないと
思うようになる前に読んだら、
もっと面白かったと思います。





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2019年9月12日木曜日

『談志狂時代』(立川談幸)読みました。


出身高校の同窓会で、会報誌をつくったり、
ホームページを更新したりする仕事を
手伝っています。

(「広報委員」というそうです。
 ぼくとしては、手伝うというよりも
 邪魔しているような気もしてるんですが…)

その仕事の中の会報誌づくりで、
インタビュー記事の制作があるんです。

同じ高校を出た卒業生で、
いろんな分野で活躍している人に
インタビューして原稿を書く。

実際には、
ぼくより偉い広報委員長の友だちが
メインで質問をして、文章に起こしたり、
記事を組んだりしてるんですけどね。

ぼくは、その取材現場に
賑やかしのために同席して、
にわかカメラマンとして
パシャパシャ写真を撮りながら、
場が和やかに進むように、
おちゃらけ役をします。

メンインのインタビュアーじゃない
とはいえ、
取材に応じてくれた先輩のことを、
事前に何かしらリサーチして、
ぼんやりとでも
頭に入れておくほうが安心です。

そうでないと、
本当に邪魔しているだけになってしまい、
そのうちお役御免になってしまう。
(そのほうがいいような気もするけど…)

ということで、この『談志狂時代』。

わが都立北園高校の大先輩、立川談幸さんの本。
会報誌の取材でお会いした落語の師匠です。
とってもためになりました。





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2019年9月10日火曜日

『最後の秘境 東京藝大』(二宮敦人)読みました。


学生時代、黒澤明さんの『乱』の撮影に、
エキストラのアルバイトで行きました。

場所は御殿場。
仲代達矢さんが、燃えるお城の中から
出てくるシーンを撮っていました。

黒澤さんはその場面を、
どんより曇天の中で撮りたかったらしく、
何日も天気待ちして、
ぼくらも何度となく、
新宿のスバル前から御殿場まで
ロケバスに乗せられて通いました。

何日かたって、
業を煮やした黒澤さんが、周りのスタッフに
「スモッグで太陽を隠せ」と叫び、
助監督さんをはじめみんなが
発煙筒に火をつけて、ぐるぐる煙を回したり、
両手に抱えて走り回ったりする。
けど、セットで建てたお城以外
何もないような開けた場所の大空を
隠すことはできず……。

と、このあと
「スモッグで曇天ができるわけない。
 よく考えればわかるのに」
と解説を加えることも、

「ひたすら自分の求める絵を
 つくろうとする姿勢は見習うべき」
とレジェンド感を入れることもできる。

そしてぼくは、どちらも記さず、
「こういうことがありました」
だけで終わる文章が好きです。

で、この『最後の秘境 東京藝大』。

「こういう人がいます」だけの内容であれば、
すごく面白いです。





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2019年8月28日水曜日

『あむんぜん』(平山夢明)読みました。


このブログのデザイン、
確認したわけじゃないけど、
もう10年近く同じですね。

色使いとか配置はいじらずに、
書影のリンク先とテキストを
差し替えていくだけ。

いつかリニューアルしなきゃなぁ
などと時々思うけど、
まあ、当分の間ここまでしょう。

デザインもそうだけど、
下の署名欄的なトコもそのまま使うので、
前に書いたものを新規投稿画面に
コピペして、使っています。

ってことは、書き始めるときには、
適当に拾って貼り付けた前のテキストが
ここに残っている。

その上から新しい文字を
ペコペコ打ち込んで、書き換えた結果が
この文章です。

そんで今、消しつつあるのは、
前に書いた『宇宙と宇宙をつなぐ数学』でした。
足し算とかけ算の関係を
バラバラにしたいのだけれども、
一般的な数学の世界では、それは無理なので、
違う宇宙の数学を考えて、そこでバラバラにする。
……みたいな本でした。
凡庸なぼくには、わけわからん内容でした。

で、この『あむんぜん』。

コピペで拾った前の本の影響が
残っているのでしょうか。
凡庸なぼくには、
とても発想できない内容でした。
おもろいです。





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2019年8月22日木曜日

『雲霧仁左衛門 前編』(池波正太郎)読みました。


まったく同じ内容の文章でも、改行の有り無しに
よって読む速度が変わるのかどうか知りたいです。

いや、是が非でも答えを聞きたい
ワケではないですけどね。
その証拠に自分で検索すらしてないし…。

えーっと、例えば最初の一文を、

 まったく同じ内容の文章でも、
 改行の有り無しによって
 読む速度が変わるのかどうか
 知りたいです。

と、書くのと、
ずらずらと一行に続けるのと、
読んで理解する速度に違いがあるなら、
その微妙な差は
一体どれほどのものなのかってこと。

それ、音読では同じだと思います。
改行は声に出せないだろうから。

なので黙読の場合です。
そんなことを研究した人がいるとは思えず、
結果は出ていないと思いつつ、
ぼくの感覚では、
やはり改行があったほうが
速いんじゃないかと予想してます。

ずらずら書きだと、
目線は必ず移動しなくてはいけないけど、
細切れ書きなら、
1つの視点で全部の文字が目に入ることも
あるだろうからってのが理由。
ちゃうなか。

で、この『雲霧仁左衛門 前編』。

池波さんの相変わらずの細切れ書き。
大好きです。
紙の余白がもったいないように思えるけど、
その軽い後ろめたさからくる
微妙なムズムズ感も好きです。





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2019年8月20日火曜日

『ルポ 人は科学が苦手』(三井誠)読みました。


十年近く前に親父が亡くなって
墓をどうしようかと
家族で相談していたとき、

ぼくはその手の実用書を読んで
「代々末長く管理していくべきものである」
という記述にうなずき、
引き継いでいけない可能性があるなら、
「永代供養の合祀などを検討しましょう」
の文言を真に受けて、
そっち方面のやり方を調べ、
お袋とかにすすめました。

そうして
あれやこれやの話し合いの結果、
結局は永代供養ではなく、
個別の墓をつくるようになったんです。

ぼくの付け焼き刃的な知識は、
「自分たちだけの墓を立て見守っていきたい」
という、たぶんすごく当たり前の感情に、
あっさり却下されてしまいました。

そんで、ぼくもいまは、
こうしておいてよかったなあと、
墓参りで草むしりなどをするたび、
思ってます。

で、この『ルポ 人は科学が苦手』。

「賢い愚か者」っていう
考え方というか、学説というか、
を初めて知りました。
墓の例とは少し違うけど、
勉強するほど愚かになるみたいな…。

本を読むほどバカになる。
そんなフレーズを頭の片隅に置きながら、
これからも本を読んでいこうと思います。





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2019年8月16日金曜日

『双風神 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)読みました。


作家さんごとに小説をつくる手順は
違うんだろうけど、
少なくとも殺人事件の犯人を
突き止めるようなミステリー作品の場合は、
書き始めるとき作者の頭の中で
犯人はわかっていて、
そこにトリックなり謎解きなりを
盛り込んでいくんだろうと思います。

作家さんに聞いて統計をとったとか、
その手のノウハウ本を読んだとか、
そういう裏づけがあるわけじゃないから、
わらないですけどね、ホントのとこは。

でも、
作者の頭の中で犯人がわかっていないまま、
物語をつくっていったら、
とてもトンチンカンなストーリーに
なってしまうと考えられるので、
やっぱりそうなんでしょう。

ぼくがそんな話をつくるとしても、
やっぱ、最初に犯人を決めると思います。

それを決めた上で、
何も知らない名探偵とかが、
ちっちゃなヒントをほじほじしながら、
読者と一緒に事の真相に迫っていく。
ま、それが通常の作法でしょうね。

とはいえ、
もし書き始めのとき、
作者自身も犯人がわからないで
(というか決めないで)
事件が起きて、
作中のキャラと作者が一緒になって
事件解決を進めていくようなつくり方をして、

それがトンチンカンにならずに
破綻のない話になったとしたら、
それはそれで、
とっても面白いものができるんじゃないかな、
なんて思ったりもします。

で、この『双風神 羽州ぼろ鳶組』。

作家さんの頭の中には、
結末が最初からあるつくり方なんだろうな
と思いました。
途中途中でそれをチラッと見せるじらし方が、
もうほんとジリジリしちゃいました。





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2019年8月14日水曜日

『風邪の効用』(野口晴哉)読みました。


作品のタイトルと中身が違っているのは、
どの程度許されるのでしょうか。

作品じゃないけど、
選挙で選ばれたい人が、
できそうもない約束を掲げて当選し、
政治家になったあとで、
約束を果たせなくても、
まあ許されているじゃないですか。

「国民の誰もが働かないで、
 遊んで暮らせる国をつくりますので、
 よろしくお願いします」
と言ったとして、
そんなのはみんな本気にしないから、
言った時点でウソだとわかっても、
罪にはならない(なるのかな…)。

同じように、
犬の飼い方を書いた本に
『超わかる!パソコンの使い方』って
タイトルをつけて売ったとしたら、

チラッとでも中身を確認したり、
ネットで目次を見たりした人は、
きっと誰も買わないだろうから、
それも罪にならない気がする(なるのかな…)。

タイトルじゃないけど、
少し前、健康にいい食べ物なんかを
紹介するテレビ番組が、
効果がすごく出ているような
やらせの情報を放送していて、
それがばれて、
打ち切りになったことがあったけど、
あれも別に誰かが逮捕されたとかは
言ってなかったような気がするんで、
正確には犯罪にならないような
(なるのかな、なったのかな…)。

で、この『風邪の効用』。

すみません。
この本とは関係ないこと書いちゃいました。
ぼくのやっていることが、
題名と中身が違う行為でした。

ともあれ、この本は題名そのままの内容です。
さらに風邪の治し方まで教えてくれました。





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2019年8月8日木曜日

『たましいの場所』(早川義夫)読みました。


カズオ・イシグロさんの
『忘れられた巨人』に、
おじいさんの戦士が出てきて、
自分の老いを嘆くような場面が
ありました(たしか)。

自分はまだまだ衰えてはおらず、
女性をよろこばせることだって、
若い頃とそれほど変わらず頑張れる。

ちょっと前も、
元気具合を確かめようと思って、
自ら試練を加えてみたけれど、
それ相当のレベルまでは
たどり着くことができた。

そのときには、
たまたま最後までは到達しなかったが、
それはタイミングというか、雰囲気というか、
その場の環境が適合しないだけで、
要因は外部にあり、自身の問題ではない。

今のワシだって、十分いける。

……みたいな内容でした。

いわゆる下ネタになるんでしょうが、
そこにはクスッとさせる
ユーモアが入ってる。
それがいい。
そういうのが好きなんです。

どんなものにも、
笑いがあってほしい。

エロだけでも嫌いじゃないけれど、
顔の筋肉が緩んでくるようなものが
入ってないとちっと物足りなく感じます。

それがたとえ、
学術的な専門書でも、
ハウツーを教える実用書でも。

で、この『たましいの場所』。

下ネタ的なものも、ユーモアもありました。
なので、あえてわがままをいえば、
あと5割増しくらいの笑いがあったらなあ。





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2019年8月6日火曜日

『未必のマクベス』(早瀬耕)読みました。


食べ物の好みは人それぞれで、
とっても尊敬できる人が
「あの店は美味しい」
と言ったからといって、
自分も同じように感じるとは限らない。

(実は、どんなに話を盛ったとしても
 「舌が肥えている」とは
 自称できないんですけどね、ぼくは。
 だから、美味しいか、まずいかの判断は
 ホントのとこ、できないんだけれども…)

その好みが、どうしても合わない
友だちがいるんです。

実名挙げるのも何なので、
とりあえずここでは
粟津くんとしときましょうか。
アワズ君ね。

彼は、食べ物屋さんを回るのが好きで、
アソコがいい、ソコはダメと、
何かある度に教えてくれるんです。

気に入った店は、
何度も繰り返し薦めるもんだから、
こっちも根負けして行ってみる。

すると、ことごとく
ハズレちゃうんです(ぼく的に)。

だらからまあ、最初にいったように、
好みは人それぞれなんですわ。

で、この『未必のマクベス』。

期待していなかったんです。
だって、食べ物じゃないけど、
本の嗜好で、
どうしても合わない友だちが
薦めた本だったから。

だけど今回だけは違いました。
面白かった。
今度は、アワズ君のオススメ店にも
なるべく行くようにしよっと。





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2019年8月1日木曜日

『宇宙と宇宙をつなぐ数学』(加藤文元)読みました。


仕事上どうしても必要という理由で
読む本だとしても、
どこかしら自分なりの興味があって
ページをめくります。

だから、
何のしがらみもなく
「これ面白そう」と選んで読む本は、
どんな分野だとしても
「興味ゼロ」ではありません。

そんなことを考えていたら、
生来のへそ曲がり気質が
むずむずし出してきて、

「次は、これまでの人生で
 まったく興味ゼロだった分野の本を
 読みたい!」

なんて思っちゃいました。

さっそくアマゾンの
「和書ジャンル」の項目を
たどってみると、
どれもこれでも興味ゼロとは言いがたく、
それでもあえてあげるなら、

常識・マナー、資格・検定、
ゲーム攻略本、楽譜、
スポーツ入門書…くらいかな。

で、この『宇宙と宇宙をつなぐ数学』。

ホーキングさんの本とかは面白く
「宇宙」は興味あり、
『博士の愛した数式』以来「数学」もOK。
そんな理由で読んだ本。

でも、そんな安易な選択は、
見事に撃沈でした。





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2019年7月30日火曜日

『夢見る帝国図書館』(中島京子)読みました。


本はなるべくゆっくり読む方がいい。
できれば、作家が執筆にかけたのと
同じ時間を費やして目を通すようにすべきだ
……ってなことを誰かが言っていました。
(たぶん、作家の高橋源一郎さん。
 でも、ちがうかも)

といはえそれは、
スピードだけの問題じゃなく、
作者が悩み抜いた文体のリズムやら、
行間で感じて欲しいあえて省いた表現やら、
作品を取り巻くいろんな思い入れなんかも
理解しながら、
じっくり読み解くようにしましょう
ってことでしょう。

そうだとすると、
ぼくの場合には時間をかけすぎるのが、
逆効果になる恐れがある。

あんまり時間をかけ過ぎちゃうと、
それまで読んでいた内容を
忘れちゃうからです。

主人公が、自分の部屋を
彼女ができたという友だちのデート場所として貸し、
その後、部屋に置き忘れられた女性用コンパクトを
友だちに返したというくだりがあったとして、

その場面を忘れてしまい、

後に続くストーリーの中で、
部屋を貸した主人公が、
たまたま思いを寄せてしまった女性が、
同じコンパクトを使っていた
なんて書かれていても、

前の伏線を忘れてるから素通りしちゃう。

なので、ぼくは
ゆっくりすぎないスピードがよろしいようです。

で、この『夢見る帝国図書館』。

ほぼ1日で読みました。
その速度が最適でした。





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2019年7月25日木曜日

『今昔百鬼拾遺 天狗』(京極夏彦)読みました。


謎解きモノの作品を読んでも、
謎解きゲームには参加しない。

最近は、
そんな読み方になってきた気がします。

昔からじゃなく、
最近(といってもここ十数年)。

明智小五郎なんかを
面白がっていた小学生の頃とか、
金田一耕助と一緒に
逆立ちしていた中学生の頃とかは、

一生懸命考えて、
「ああだろ、こうだろう、うーん」
そうか、だから、
「よーし、わかった!」などと
等々力警部のように手を叩いて、
頭の中で犯人の目星をつける。

そうやって読み進め、結局、
警部と同じようにずっこけていたんです。

それがどうしてか、
犯人捜しとか、謎解きとか、
そういうことに頭を使わなくなり、

その場その場の描写とかセリフとか、
場面展開の仕方とかが
「わー、オモロイ」なんて
いうようになっていました。

もしかしたらそれ、
老化現象なのかもしれません。

面倒くさくて考えるのが
イヤになっちゃっう、
思考停止の状態のようで。

昔にかえって、
ストーリーそのものを楽しむべきですよね。

で、この『今昔百鬼拾遺 天狗』。

とはいえ、
最近でもたまーに謎解きしながら
読んじゃうことがあります。
最終章の手前で、
読書を中断しなくてはいけなくて、
再開までに時間が空くから、
結末が気になって、
自分で考えちゃうようなとき。

この本が、そうでした。
今回は等々力警部ではなく、
明智や金田一と同等の名推理でした!
えへん。





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2019年7月23日火曜日

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美)読みました。


ここでも何度か紹介している
『理科系の作文技術』(木下是雄)は、
自分の書くものが
なんとなくぎこちなく感じてくると
読み返す文章作成のノウハウ本です。

その中に、ページの白っぽさを
意識して書きましょう
ってくだりがあるんですが、

ぼくは今まで、
「そうはいっても、
 実例はそんなにないんじゃない」
と思ってました。

白っぽさとは、
文章の中の漢字の比率を
上げないようにするという意味です。

一般的に漢字は平仮名より画数が多く、
見た目が黒っぽい。
それをたくさん使っちゃうと、
紙面が黒々してくるので、
そうならぬよう、平仮名を多くして、
なるべく白さを残して、
ごちゃごちゃとしてた圧迫感を
持たせないようにするのがよいと。

とはいえ、
平仮名ばかりだと、
言葉の句切りがハッキリしなくなり、
逆に読みにくい文章に
なっちゃうような気がして、
だから、「これだ!」っていう、
白っぽさが目立つ実際の文章を
見てこなかったように思うんです。

で、この『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』。

実例ありました。
それでも読みやすいから不思議。





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2019年7月19日金曜日

『蜜蜂と遠雷(下)』(恩田陸)読みました。


言葉とおカネがなくなれば、
世の中はもっとよくなる。

ことある度に
そう考えていた時期がありました。

「ありました」と過去形にしたのは、
今ではまったく考えなくなったからではなく、
考える頻度が低くなったというか、
いろんなことに
敏感じゃなくなくなったというか、
まあそんなことを
すっかり忘れている時間が
長くなっているからです。

生活とか、生活とか、
生活とかばかりしてて。

……あへっ?
昔と今の考え方の違いを
書こうと思ったんだっけ?

いやいや、言葉とおカネのことでした。

そうそう、なので、まずおカネ。
できれば、その弱点をクリアした
別物に置き換わってほしい。

需要と供給の物差しで
モノの優劣が決まるだとか、
泥棒して手に入れた1万円と
1日働いてもらった1万円が同じ価値だとか、
そういう弱点。

次に言葉。
これも弱点ありますね。
ぼくが考える一番の弱点は、
ウソがつけちゃうこと。
100%のそのままを伝えているようでいて、
実はそうじゃない。
虚構の内容で
(もしくは中途半端または過剰な装飾で)
伝達しちゃうのなら、
いっそ伝えないほうが、
本質は伝わる気がするんです。

で、この『蜜蜂と遠雷(下)』。

言葉って素晴らしいなと思いました。
印刷された文字を目で追っていくだけで、
音楽が頭の中で鳴るんです。
もちろん、作者の頭の中にある音と、
ぼくの頭の中の音は、まったく違うはずで、
それがさっき言った弱点なんだけど、
その弱点に頬ずりしたくなっちゃう。
どうしたもんでしょうか。





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2019年7月17日水曜日

『日日是日本語』(今野真二)読みました。


ぼくの脳みそは、
パソコンにたとえれば
ハードディスクの容量が少ない
低スペックなつくりなので、

多様な面白ネタを記憶のディスクに
しまい込んでおくことができず、

結果として、
いつもいつも新鮮な話題を
涼しい顔して披露するような文章は
書けないのです。

だから、ある程度ネタは
使い回すことになります。

確信犯的にやることもあるし、

(「確信犯」は、辞書に
 「ある行為が問題を引き起こすことを
  あらかじめわかっていながら、
  そのようにする人」とありました。
 その意味で使っています。
 この文言の入力時に
 〈間違った使い方だよ〉的な
 チップが出たので一応ことわっておきます)

前に使ったことを
まったく忘れていることもある。

そんで今回は「確信犯」。

表現の間違いなどを指摘してくれる
校正者から聞いた話です(たぶん二度目)。

一つの文章の中で、
同じ言葉なのに違う書き方を
してはいけないといわれます。

「表記は統一しましょう」って。

ぼくはそのルールを
「なんで?」って校正の人に聞いたんです。

すると
「読んでいる人が混乱するからです。
 同じなのに表記が違えば、
 異なるモノを示していると
 思われてしまうからです」
と教えてくれました。
ああ、そうなんですね。
そうでしょうね。

で、この『日日是日本語』。

そんな表記の違いなんかを、
重箱の隅に穴を開けてしまうほど
突っ込んで考えている
学者さんの本でした。

この本の中で「読む」という言葉が、
漢字と平仮名の2種類の書き方で
表記されています。
きっと何か意味があるんだろうけど、
残念ながら、ぼくには読み解けませんでした。
低スペックです。





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2019年7月11日木曜日

『同潤会代官山アパートメント』(三上延)読みました。


気分があげあげのときじゃなくて、
心が穏やで気持ちのいいときって、
どんな場面があるか。
自分の今の生活の中で
ピックアップしてみたくなり、
あれこれと思い浮かべてみました。

そんな些細な場面は、
数え切れないほどたくさんあって、
この限られたスペースの中じゃ、
とても書ききれない。
……やってみる前は、
そんなふうに思っていたんです。

あにはからんや。
するするとは出て来ない。

やっと思いついたのが、

てんてこ舞いだった1日が終わって、
ようやく布団に入り眠りにつくとき。
布団を被ってふーっとかって
長い息を吐きながら、
いつ吐き終わったかわからない間に
もう眠りに落ちている。

そのごくわずかのまどろみのとき。
それはまあ、気持ちいいですわ。

美味しいものを食べたときも
気持ちいいの部類に入りそうだけど、
それは心穏やかとは違う気がするので、
のけといて。

とすると、
あとは何だろうなって
よくよく考えてみないと、思いつかない。

で、この『同潤会代官山アパートメント』。

ありました、ありました。
こういう本を読んでいるときです。
もちろんストーリーも
心地よさを連れてきてくれるんですが、
文体というか雰囲気というか、
まあ好みなんでしょうね、結局。





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2019年7月9日火曜日

『ノースライト』(横山秀夫)読みました。


この人の作品はどれも好きだ、
と思う作家さんは何人かいて、

逆に、ちょっと合わない
と思う人も何人かいて、

その区別は、結構はっきり
分かれている気がします。

前者の「好き作家」だと、
どんな変化球的な作品を
読まされたとしても、
「うん、それもあり。
 面白かった」となるし、
ど真ん中の直球であれば
なおさら、いい。

後者「合わざる作家」だと、
その作品がどんなに世間で
評判になっていても、
「この表現は使わないようにしよう」
みたいな反面教師的な
収穫しか得られない。

それでもたまに、
「好き」でもあり「合わざる」でもある
中間的作家さんが出てくるときがある。

今『蜜蜂と遠雷』を読んでる
恩田陸さんなんかが、そこに入ります。
(いうまでもなく、ぼくにとって)

『蜜蜂〜』もそうですが
『夜のピクニック』など
しゃぶりつきたくなるほど
好きな作品がある一方で、
それと正反対の作品もたくさんある。

なぜか振り幅が大きいんですね。
朝井リョウさんなんかも、そうかな。

で、この『ノースライト』。

新発見です。
同じ作家の別々の作品について、
上に書いた通り「振り幅」の存在は
判明していたのですが、
なんと1つの作品の中でも
「振り幅」がありました。
「好き」でもあり「合わざる」でもある。





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2019年7月4日木曜日

『今昔百鬼拾遺 河童』(京極夏彦)読みました。


多々良勝五郎というキャラクター名を
目にしたとき、
「前にも出てきた!
 ……けど、どの作品だか忘れた」
となりました。

そんなとき、
今のスマホ世代もしくは
IT化どっぷり世代の若者であれば、
「まず検索」でしょう。

ぼくも一応、
検索のケの字くらいは思いついたんです。
でも、しなかった。

自分の本棚には必ずあると思い込んでいたので、
めぼしいものを引っ張り出してはページをめくり
「これじゃない」とか言いながら、
片付けが面倒になるから、見たらしまい、
次のを引っこ抜いてパラパラ斜め読みして、
また、しまい……なんて格闘を
本棚の前にあぐらをかいて
1時間ほどしてました。

そんだけやりゃ、見つかります。

あったあった。
『今昔続百鬼 雲』でした。

そのあと、
検索したって同じように手間はかかるだろうと思い、
さわりだけやって「ほらね、やっぱり」と
ほくそ笑みたいがために、
多々良勝五郎の名を打ち込んだら、
0.32秒で見つかりました。
これからは、まず検索します。

で、この『今昔百鬼拾遺 河童』。

やっぱ、オモロイです。
多々良勝五郎先生、登場します。





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2019年7月2日火曜日

『善く死ぬための身体論』(内田樹/成瀬雅春)読みました。


ミュージシャンの佐野元春さんの
インタビュー記事を書いた友だちが、
こんなこと言っていました。

「佐野さんって、やっぱ普通とは違うよ。
 テープ起こししただけで
 そのまま原稿になっちゃうんだから」

当然のことながら、
話し言葉と書き言葉は違います。

テープ起こしの作業は、
話した言葉をそのままテキストにするだけ。

だから、通常は、
その作業をしただけでは、
雑誌などに載せる書き言葉としては使えない。

文章で読ませるための
体裁を整えなきゃいけないし、
なによりリズムというかテキストとしての
格好良さみたいなものを、
バリ取り加工のようにして
形づくっていくものです。

ぼくなどは、その加工をやり過ぎてしまい、
原文をそのまま訳すんじゃなく
突き抜けた意訳に走る
シドニー・シェルダン本の「超訳」みたいに、
取材した人の話した内容から
エッセンスだけ抜き出して、
意味は同じだけど、
一言もそうは言ってない文言で
文章をつくっちゃうこともある。

でも、それやるとき、悩むんです。
いいのかなって。

だから、佐野さんの話を聞いたときには、
その友だちのライターが
うらやましくなりました。

で、この『善く死ぬための身体論』。

対談した内容をまとめた本でした。
一読して感じたのは、
「こりゃ、テープ起こしのままじゃないだろうな」
いいのかな……いいんですよね。
うーん、いいんですよね。





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2019年6月27日木曜日

『へろへろ』(鹿子裕文)読みました。


半年ほど前、
筋トレをしていてこけてしまい、
右側のこめかみ部分をジムの床に
思い切りぶつけたことがありました。

それから2〜3時間すると
右目の周りが紫色に変色してきて、
まるで試合後のボクサーか、
マンガで描かれる喧嘩したあとの人
みたいになっていました。

そんな顔の有り様は滅多にないので、
すかさずスマホで自撮。
撮ったときは、
飲み会の席なんかでそれを見せ、
みんなを笑わせようと思ってました。

目論見通り、数週間後に
知った顔ばかりが集まる宴会があり、
「そんな感じで、あんなふうに、
 こうやってぶつかったんだぜぇ〜」と、
少し前のスギちゃんのように、
どやどやと自慢したんです。
(そのときはもうアザは消えてます)

そのあと、自撮りの証拠写真を見せました。
すると、みんな顔をしかめ、
「わー可哀想」
「痛かったでしょう」
「もう大丈夫なの?」
など一斉に、ぼくを慰め始めたんです。

ぼくは一人
「えっ、なんでみんな笑わないんだろう」
とキョトンとしてました。

で、この『へろへろ』。

前回の『蜜蜂と遠雷』同様、
文庫で買い直しの再読。
ここに登場する人たちなら、
ぼくの自撮り画像をきっと笑ってくれます。





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2019年6月25日火曜日

『蜜蜂と遠雷(上)』(恩田陸)読みました。


3つある日常の読書時間のうち、
真ん中に位置する帰宅時のバス車中は、
およそ25分間です。

(ちなみに、
 1日の最初に迎える昼休み読書は、
 お弁当を食べながらの約1時間、
 3番目の就寝前は
 結構幅があって10分から1時間。
 とはいえ、この就寝前は、
 本を開いて1ページ目の途中で
 眠りに落ちる1分未満のこともあり)

そしてこのバスの読書時間は
3つのうち一番変動が少なく、
普通なら10分間くらいしか前後しません。

ぼくの使っている路線バスは、
帰りの時間帯だと、
だいたい10分に1本あるので、

バス停についてすぐ乗車できる
ラッキータイミングであれば20分で、

そこにたどり着く数歩前にドアが閉じ
「あっ、行っちゃった」の
パターンだと30分になる。

(この「行っちゃった」パターンは、
 ぼくにとってアンラッキーではなく、
 どちらかというとラッキーに入ります。
 それだけたくさん読めるので)

今まで、たいていの本は、
この平均25分の間に、
20ページ前後読み進む感じでした。

でも、この前読んだ『ザ・スタンド』は、
さくさくめくれると感じたときでも
20ページには届きませんでした。
ほとんど10ページちょっとのスローペース。
だって、小さい文字で
びっちしつまっていたんですもの。

で、この『蜜蜂と遠雷(上)』。

文庫が出たので、買い直しての再読。
再読ってこともあるのでしょうが、
バス車中で読んで、
常に30ページは進んでました。
だけでなく!
50ページという異常記録も出現。
こういう本好きです。





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2019年6月20日木曜日

『心霊電流(下)』(スティーヴン・キング)読みました。


おおざっぱに言えば
「思いつくまま」書き進めていくのが、
スティーヴン・キングさんの
物語のつくり方だそうです。

少し前に文庫になった『小説作法』
(『書くことについて』だったかな。
 まあ、どっちかです)もしくは、
『死の舞踏』に書いてありました。

最初にプロットをかためて、
その設計図に従って話を展開していく
というやり方じゃない。

なんとなくの筋は頭にあるけど、
あとは登場人物が勝手に動き、
話の中の物事の流れが向かうまま、
文字に起こしていく。

向こう側の人を呼び出して憑依させ
語らせるイタコのような作法です。

で、そのイタコ書きでストーリーを
つくっていくと、始める前に
なんとなく考えていた結末にはならず、
「あ、そういうラストなんだ」
と本人が驚くような
締めくくりになったりする。

そうなると、
著者ではあるんだけど、
1文字ずつ出来上がっていく本の
一番最初の読者でもある。
それって楽しいだろうなって思います。

で、この『心霊電流(下)』。

上巻から下巻の途中までは登場人物たちが、
「うんうん、勝手に動いてる」と思いました。

ただ結末は、
キングさんが書き始めに想定していたものから
変わってないだろうな、と感じた次第。





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2019年6月18日火曜日

『手のひらの京』(綿矢りさ)読みました。


前回、エクセルでつけている
読了本リストの話をしたので、
今回もそれ関連でいきます。

その昔、
映画の学校に通っていたころは
映画ノートをつけている友だちが
何人かいました。

ぼくはつけていなかったけど、
聞くところによると、
ノートに記す項目は、鑑賞日、劇場、
タイトル、監督名、出演者、スタッフ
というのが多かった。

感想を書いておく人もいたようですが、
少数派だったような気がします。
それすると、
文章をつづるのが面倒になってきて、
続かなくなるからやめたり、
感想を載せると恥ずかしくて
人に見せられなくなるなるから
書かないってことだったような…。

んで、
今ぼくがつけている読了本リストの項目は、
通し番号、読んだ月(面倒なので日付は省略)、
タイトル、作者名、5段階評価の5つです。

その5項目に今、
追加を検討しているのが「どこで読んだか」。
映画ノート対応させるとすれば「劇場」でしょうか。

とはいえ選択肢は3つだけで
「昼休み」「バス車中」「就寝前」です。
読む環境によって
評価が変わるかどうか統計しようかなと、
考えたり考えなかったり。

で、この『手のひらの京』。

この本を読んだのは「昼休み」。
そして項目の追加は、
やっぱ必要ないなと思いました。
こういう本ばかりなら、
「バス車中」でも「就寝前」でも、
面白さは変わらずにのめり込めるだろうと感じたから。





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2019年6月13日木曜日

『心霊電流(上)』(スティーヴン・キング)読みました。


今つけているエクセルの読了本リストは、
1年ごとシートに分けてあり、
始まりは2010年になっていました。

もっと前から同じような読書ノートを
つくっていた気がするんですが、
どっかにいっちゃったようです。

今、何となくそのエクセルのシートを
めくっていたのですが、読了本の数が
100冊を超えるようになったのは
7年前の2012年からだと気づきました。

エクセルをつけはじめて2年目。
2010年が93冊で、2011年は74冊、
3年目だから頑張ろうと思ったんでしょうかね。

どころがどっこいしょ。
3年目から続いていた3桁の記録が、
去年途切れました。
89冊。あと11冊足りない…。

是が非でも達成したい人生の夢ではないし、
これだけは達成しないと
地球が温暖化してみんな茹だっちゃうという
二酸化炭素の削減目標でもないので、

しゃっちょこばって、どげんかせんといかんと
わめかなくてもいいんですが、
まあ、3桁に復活できたら、
なんとなくは気分がいいように思えます。

で、この『心霊電流(上)』。

前回も書いたけど、連チャンのキング本でも、
楽しめてスイスイ読めました(まだ上巻だけど)。

こんな作品ばかりだったら、
3桁は楽勝です。
6月に入った今、41冊目。





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2019年6月11日火曜日

『ザ・スタンド(5)』(スティーヴン・キング)読みました。


仕事が始まる前に「朝ドラ」観て、
同じNHKつながりの大河ドラマも
毎週なんとなく目を通し、
そして平日も何曜日かに連続ドラマ
(昔は金8が花形って
 いわれていたような気がするけど、
 今は月9なんでしょうか)
を1つ楽しみにしている人なら、
3つのお話を並行して
鑑賞してることになる。

その中でいうなら、ぼくは
家族に付き合っての大河ドラマだけで、
テレビはほかにニュースか
夕食時にたまたま流れている番組しか
観ないけど、

本なら3つの物語を
並行して読んでます。

ここで、もう何度も紹介しているように、
会社の昼休み、
帰宅時のバス車中、
就寝前の3カ所で、それぞれ違う本。

同じ1冊をずっと持ち歩き、
読了してから次って感じで
やっていたその昔、
読書途中の本を会社に置き忘れ、
バス車中でとても退屈な時間を
過ごさざるを得なくなり、
さらに就寝前の
眠気を誘うページめくり作業が
できなくなったとき、
「ああ、もうダメ。違うの読む」
がきっかけでした。

とはいえ、
その3冊はなるべく違うジャンルにしたい。
似た話だと、
脳内整理能力が未発達のぼくは、
この本とその本とあの本の
ストーリーが交差しまくって
三つ編みのようになってしまうからです。

で、この『スタンド(5)』。

同時に読み始めてしまったのが
同じスティーヴン・キングさんの作品
(次回、感想書きます)でした。

それでも
危惧していた三つ編み状態にはならず、
どちらもどっぷり楽しめました。





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2019年6月6日木曜日

『シーソーモンスター』(伊坂幸太郎)読みました。


この前ツイッターにも
ちらっと書いたんですが、
近くのモノがぼやけて、
焦点が合わない年ごろになっています。

まあ、
最近始まったことじゃなく、
もうずいぶん長いお付き合いになっていて、
「老眼」という無粋な呼び方を
するのもアレなので、

ぼくは彼のことを
「ソフトフォーカス君」
と呼んでいます。

愛称がつくと
付き合い方も工夫するようで、
前は、そのぼやけ具合を嫌って
本なんかを持つ手を
遠くにやったり近づけたりして、
なんとかピントを合わせようと
していたのですが、

改称したころから、
手の曲げ伸ばしはやめ、
ソフトなフォーカスのまま、
読んじゃうことにしたんです。

画数の多い漢字や
その横につくルビなどは、
黒いホコリのように見えて
正確な判読は無理なんですが、
そこは前後の文脈から想像しちゃう。

ときには、想像がたくましすぎて、
行を飛ばしても
自分なりに内容がくみ取れちゃう。
文字がぼやけたまま
自分の想像力で乗り切る読書も
なかなか味なもんです。

で、この『シーソーモンスター』。

ソフトフォーカス君と一緒に読んでいたら、
いつの間にか登場人物が
一人いなくなっていました。
飛ばした行の中にいたんだろうな。
息子のスパイはどうなったんだっけ?




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2019年6月4日火曜日

『ダンジョンクライシス日本』(緋色優希)読みました。


ウルトラマンで覚えているのは、
どっかの異星人に十字架にかけられて、
もう絶対勝てるわけがない、
どうしようってシーン
(セブンかも?)だったし、

デビルマンでは、
敵からの攻撃で負傷して、
その痛みがひどすぎ
身体が動かないって場面で、
自分で自分の身体を
傷つけちゃうシーンだったし、
(自傷すれば、
 それまでの痛みは忘れられる)

巨人の星なら、
消える魔球の仕掛けを
解き明かした花形だか左門だかが、
バッターボックスに立つ前に、
ホーベースのところにわざと転んで倒れ、
球で砂が巻き上がらないように地面を固めて、
それじゃもう消えないじゃん
ってシーンだったし、

……ということで、面白かったのは、
完璧な力を持ったスーパーヒーローが、
弱っちいヤツらを
バッタバッタとなぎ倒すのではなく、

次から次へと障害が現れて、
いやーもう、そんなことされたら
負けちゃうよってストーリーなのでした。

で、この『ダンジョンクライシス日本』。

主人公はスーパーヒーローのようです。
どんなものが出てきても負けるとは思えません。





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