2025年9月30日火曜日

『遠巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


前にも言いましたが、うちの本棚には、
購入してまだ読んでいない書籍を並べておく
積ん読空間があります。
てか、そのスペースを無理やり捻り出しています。

それとは別に、余裕ができたら再読するぞ作品を置く、
も一度コーナーも設けています。

ただそこにはなかなか手がつけられず、
もう何年もライナップが変わっていません。
(どの作品だったかもよく覚えておらず、
 本棚が目の前にない今、薄い記憶をたどって
 浮かんできたのは伊坂幸太郎さんの『ガソリン生活』)
そうはいっても、も一度コーナーをすっ飛ばして、
違う棚から持ってきて再読してるのもあるんですが。

常盤新平さんは『剣客商売』(池波正太郎)の巻末解説に、
この作品を何度も読み返すって書いていました。
でも、内容はあまり覚えてなくと。

ぼくも同じで、再読する本は、
たいてい初読から何年も間があいているので、
あまり覚えてないどころか、
まるで初めて開いた本のように、
頭の中はまっさらさらなのが普通です。

で、この『遠巷説百物語』。

シリーズ再読している小説の6巻目。
直前の5巻まではまさしく
記憶まっさら状態だったんですが、
なんとこれに関しては、話の筋が脳の隅っこに
かすみとかもやレベルで引っかかってました。
5巻以前は15年以上前、
この6巻は3、4年前の読了ってのが原因のようです。

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2025年9月25日木曜日

『グレイラットの殺人』(M・W・クレイヴン)読みました。


もうずいぶん前から、
平日は1日1ツイートという自分縛りを課して
140文字ぴったりのつぶやき文を
ネットに投稿しています。
文章修行しているつもりで、
多少は面白く読めるよう工夫したりする。

それやってて気づいたことがあるんです。
例えば次の140字。
《文章の行の先頭には、句読点とか終わりカッコとかが
こないようにするのが作文するときのルールなので、
無意識のうちにそうならないよう書いているけれども、
もし、マル(。)くん、テン(、)ちゃん、
とじカッコ氏(」)らが意思を持ち、自分たちも
行の先頭に置いてほしいと訴え出したらどうしませう。》

これ最初は、ウィンドウ表示に合わせて
1行の文字数が自動的に増減する画面だと、
句読点が先頭にきても仕方ないよね、でも変だよね的な
文章の流れにしようと考えていたんです。

ところが途中で「ちょい待て。それで面白いか?」と
立ち止まったら、それまで脳内のどこにもなかった
マルくんやテンちゃんって名前が浮かんできて、
それ使ったらこんなヘンテコな文章になったんです。
ぼく的にはこっちのほうが面白くて。
立ち止まりの大切さに気づいたような。

で、この『グレイラビットの殺人』。

たくさん立ち止まって
面白くしてくれてるんだろうなと勝手に感心。

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2025年9月19日金曜日

『依頼人は死んだ』(若竹七海)読みました。


前回の感想文もどきで
同じ本をダブりで買ってしまう話を書いたとき、
例をあげて、
「ダブってもいいやと入手したら、
 案の定って感じでしょうか」
とまとめました。

それと一緒に自分のケースも紹介して、
きちんと失敗したとは明記せず、
落ち込んだとか、まあいいか、
とかで結びました。
もう1つあげたケースでも、
「2つ目がこれでした」と書いただけ。

これでいいのかなって今更ながら思ったんです。
最初の例なら、「案の定」の後に、
その人の本棚には同じ書籍が並べてありました、とか、
自分の例だったら
『続々・深泥丘奇譚』が2冊になっちゃいました、とか、
結論まではっきり記さないと、
読んでいる人に対して不親切じゃないだろうか。
というか、伝えようとした内容がわかってもらえず、
意味不明の文章になっているんじゃないだろうか、
と考えたんです。

したらそこで唐突に、
昔友だちが言っていた(たぶん、言っていたと思う)、
「全部を表現しないのが芸術だ」
という意見を思い出しました。

映画なら観客に、小説なら読者に、
想像してもらう余地を残しておく。
もっというと自分の意見を押し付けた表現じゃなく、
「ここまでこういう話をしたけど、
 それについてどう思うか考えてみて」
みたいなのが本物の芸術作品なんだよって思想です。

で、この『依頼人は死んだ』。

短編集。
よく考えないと「えっ、だからどうなったの?」
になるお話がいくつかありました。
全部はいわない、と。

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2025年9月17日水曜日

『本と鍵の季節』(米澤穂信)読みました。


同じ本をダブって買ってしまうことが、
古本のコレクターにはよくあると聞きました。
書痴あるある、らしいです。

好きな作家や価値があるとされる全集物を揃えようとして、
何巻と何巻が抜けているのか忘れてしまい、
古本屋さんの棚に刺さっているのが
それに該当するかどうかわからず、
でもこの機会を逃せば
もう二度と巡り会えないかもしれないと不安になり、
ダブってもいいやと入手したら、案の定って感じでしょうか。

ぼくはまだまだ、その域には達していないので、
ダブリスクの経験はそれほどないのですが、
これまで2度ほどやらかしたことはあります。

1つ目は、綾辻行人さんの『深泥丘奇譚』シリーズ。
今Amazonで見てみたら全部で3巻しか出ていないのですが、
3冊とも読んでいるのに、新しいのが出たのだと勘違いして、
3作目を購入し、本棚のストックも確認せず、
そのまま読み進めて、3分の1ほど目を通してから、
「これ前と同じ話じゃないの、ひょっとして手抜き?」
なんて思ったら、という本人にしてみると
1週間は落ち込みメンタルな事態でした。
でもまあ、こうして書いてみると、
ちょいネタになったからいいか程度のものかな。

で、この『本と鍵の季節』。

2つ目がこれでした。しかもシリーズはまだ2作だけ。

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2025年9月11日木曜日

『本所おけら長屋(十七)』(畠山健二)読みました。


30冊近くある鬼平犯科帳、
10冊くらいの仕掛人・梅安、
20冊ほどの剣客商売、
その3大シリーズがある池波正太郎さんのスペースは、
奥に村上春樹さんの単行本が並んでいるトコの
前空き部分です。

なぜこれを選んだのか
今ではとっても不思議なこの本棚は、結構な奥行きがあるので、
普通の大きさなら2冊を縦列駐車(車じゃなく本ですが)しても、
まだ前に数センチ余裕ができ、
そこにガチャポンでゲットした動物とか寿司ネタとかの
カプセルトイが置けたりします。

でも縦列しちゃうと奥にセットしたものは、
背表紙がまるきり隠れちゃって何があるかわからないので、
奥には文庫本よりは背の高い単行本を並べ、
その前は判型の小さい文庫ちゃんの場所にしているんです。

そうすれば後段であっても
タイトルの最初の1文字か2文字目くらいは
顔を出してくれるので、とりあえず識別はできる。

とはいっても、さっき言った池波3シリーズは
ざっくり合計して60冊あるから、そのまま並べたら、
村上シリーズの前段スペースには収まらない。

そこで、この大勢の時代物くんたちには
窮屈な姿勢をとらせて申し訳ないんですが、
後ろの1文字が見えるギリギリの高さまで平積みにして
がまんしてもらっている状況です。

で、この『本所おけら長屋(十七)』。

もう17冊になっちゃいまいした。
どこに置けばよいの。

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2025年9月9日火曜日

『キュレーターの殺人』(M・W・クレイヴン)読みました。


最近出た2、3作は除いて
ほとんど読ませてもらってる伊坂幸太郎さんの作品に
『クジラアタマの王様』というのがありました。

この本、小説ではあるんですが、
ところどころにマンガが差し込まれているんです。
(実物が手元になくて、もしかしたら間違って
 ほかの本のこと言っているかもしれません。
 と不安になり、ネットで確認してみたら
 Amazonでサンプルページがあったので見ると、
 やっぱマンガページ載ってました。よかった)

なぜ、そうしたつくりにしたのかを語る著者談が、
あとがきか、解説か、もしくは
どっかのインタビュー記事だかに載ってて、
(またまた、出典があやふやで、すみません)
いわく、
アクションを表現するのに文章だけではどうしても弱い、
ビジュアルにはとても叶わないので助けてもらった、
みたいな感じでした。

まあ、そうかもしれないな。
突如出現した怪物から逃げるシーンで
「石につまずき転んだ」と文字を読まさせるより、
絵を見せたほうが臨場感あるだろうし、
とそのときは思ってました。

で、この『キュレーターの殺人』。

ぼく的には、
絵よりも臨場感ある描写がありました。すごっ。

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2025年9月4日木曜日

『ケアと編集』(白石正明)読みました。


メモってある読み終えた日付は7月30日。
んで今、この感想文もどきの文章を、
キーボード叩いて打ち込んでいるのが8月25日。
なんとまあ、1カ月近くたっています。

この後続くだろう感想文もどきについても、
これを書いた後にとりかかるわけで、
わかっているだけでもあと5冊残っています。

幸いにしてどの作品も、
好みから大きく外れたやつはなかったので、
内容が頭からすっ飛んでしまい
カケラも残っていないというものはなく、
かろうじて、こじつけ作文はつくれそうです。

たしか吉本ばななさんの小説だったと思うんですが、
新学期の始まる直前まで夏休みの宿題をやらない友だちを、
うらやましく思うという小心者の登場人物がいました。

彼女はビビり屋さんなので、宿題は早くから手をつけていないと
終わらせられないかもというプレッシャーがあって、
1日でも早く片づけようと、ずっとびくびくしてる。

なのに、友だちは宿題のことなど気にもせず、
のびのびと遊び回っていられる。
自分はアリで、友だちはキリギリス。
キリギリスのような度胸を持ちたいと。

それ読んだとき、
同じく小心なぼくはいたく共感し、
そうそうキリギリスの肝っ玉を10分の1でいいかから
わけてほしいよねと思ったことがあったのに。
実際、宿題は早く終わらせてて、でも友だちには
「まだ終わってねーぜ、へへ」なんて言って
ワルなフリしてたのに。

今ではなぜに、いつまでもやらず
読了本の溜め込みしちゃうのでしょう。

で、この『ケアと編集』。

すいません。本とは無関係な話で
またここまで来ちゃいました。
とっても面白い本だったのに。

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2025年9月2日火曜日

『本所おけら長屋(十六)』(畠山健二)読みました。


テレビのCMなんかで言ってるように
最近の洗濯用の洗剤は、進化してるように思います。

何度も洗っていて、いい加減ゴワゴワになって、
もう雑巾にしたほうがいいかもと思っていたタオルが、
それほど劇的には変わらないけど、
ちょびっとずつフワフワ度が戻っていく。

これなら新しいタオルを
買わなきゃいけないローテーションが引き伸ばされ、
その分、資源を使わなくて済むようになるだろうから
環境問題界隈でもグッドジョブ的な位置づけになり、
いいことずくめじゃないかと思っていました。

でもまあ何事にも、不都合な面はあるようで、
フワフワ過ぎて水分を吸い込みづらい仕様の新品タオルが、
いくら洗ってもフワフワのままで
いつになったらちょうどいい使い心地になるのやら。

で、この『本所おけら長屋(十六)』。

フワフワ過ぎるってことはないようです。
みんな読み心地のいいキャラクターだと思います。

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