2019年11月28日木曜日

『なめらかな世界と、その敵』(伴名練)読みました。


一年を締めくくるのは、まだ少し早いけど、2019年のこれまでに読んだ本は、

『熱帯』(森見登美彦)/『フーガはユーガ』(伊坂幸太郎)/『四人組がいた。』(高村薫)/『熊と踊れ(下)』(アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ)/『童の神』(今村翔吾)/『RANK』(真藤順丈)/『そして夜は甦る』(原尞)/『土 地球最後のナゾ』(藤井一至)/『ゲームの王国(上)』(小川哲)/『ミスター・メルセデス(上)』(スティーヴン・キング)/『ゲームの王国(下)』(小川哲)/『ナバロンの要塞』(アリステア・マクリーン)/『夏の戻り船 くらまし屋稼業』(今村翔吾)/『ミスター・メルセデス(下)』(スティーヴン・キング)/『公正的戦闘規範』(藤井太洋)/『ひゃっか』(今村翔吾)/『人体はこうしてつくられる』(ジェイミー・A・デイヴィス)/『この本は環境法の入門書のフリをしています』(西尾哲茂)/『伯爵夫人』(蓮実重彦)/『ザ・スタンド(Ⅰ)』(スティーヴン・キング)/『理科系の作文技術』(木下是雄)/『ザ・スタンド(Ⅱ)』(スティーヴン・キング)/『私が殺した少女』(原尞)/『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(ルイス・ダートネル)/『森見登美彦リクエスト! 美女と竹林のアンソロジー』(森見登美彦ほか)/『てらこや青義堂 師匠、走る』(今村翔吾)/『ザ・スタンド(Ⅲ)』(スティーヴン・キング)/『東京の子』(藤井太洋)/『小説「映画ドラえもん のび太の月面探査記」』(辻村深月)/『ロビンソン・クルーソー』(デフォー)/『交流のしくみ』(森本雅之)/『ザ・スタンド(Ⅳ)』(スティーヴン・キング)/『カッコーの歌』(フランシス・ハーディング)/『ウイルスの意味論』(山内一也)/『今昔百鬼拾遺 鬼』(京極夏彦)/『ダンジョンクライシス日本』(緋色優希)/『シーソーモンスター』(伊坂幸太郎)/『シンドローム』(佐藤哲也)/『クジラのおなかからプラスチック』(保阪直紀)/『ザ・スタンド(Ⅴ)』(スティーヴン・キング)/『心霊電流』(スティーヴン・キング)/『手のひらの京』(綿矢りさ)/『心霊電流(下)』(スティーヴン・キング)/『蜜蜂と遠雷(上)』(恩田陸)/『へろへろ』(鹿子裕文)/『善く死ぬための身体論』(内田樹/成瀬雅春)/『今昔百鬼拾遺 河童』(京極夏彦)/『ノースライト』(横山秀夫)/『同潤会代官山アパートメント』(三上延)/『日日是日本語』(今野真二)/『蜜蜂と遠雷(下)』(恩田陸)/『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美)/『今昔百鬼拾遺 天狗』(京極夏彦)/『夢見る帝国図書館』(中島京子)/『宇宙と宇宙をつなぐ数学』(加藤文元)/『未必のマクベス』(早瀬耕)/『たましいの場所』(早川義夫)/『風邪の効用』(野口晴哉)/『双風神 羽州ぼろ鳶組』(今村翔吾)/『ルポ 人は科学が苦手』(三井誠)/『雲霧仁左衛門 前編』(池波正太郎)/『あむんぜん』(平山夢明)/『最後の秘境 東京藝大』(二宮敦人)/『手塚マンガでエコロジー入門』(手塚治虫)/『談志狂時代』(立川談幸)/『生き物の死にざま』(稲垣栄洋)/『クジラアタマの王様』(伊坂幸太郎)/『神獣の都』(小林泰三)/『談志の忘れもの』(立川談幸)/『雲霧仁左衛門 後編』(池波正太郎)/『八本目の槍』(今村翔吾)/『グリフォンズ・ガーデン』(早瀬耕)/『ぱくりぱくられし』(木皿泉)/『お騒がせロボット営業部!』(辻堂ゆめ)/『冬晴れの花嫁 くらまし屋稼業』(今村翔吾)/『恋文の技術』(森見登美彦)/『ねじまき少女(上)』(パオロ・バチガルビ)/『マンハッタン・ビーチ』(ジェニファー・イーガン)/『深泥丘奇談・続々』(綾辻行人)/『今昔続百鬼 雲』(京極夏彦)/『ねじまき少女(下)』(パオロ・バチガルビ)/『ヒトラーの正体』(舛添要一)/『秋暮の五人 くらまし屋稼業』(今村翔吾)

の83冊と、この『なめらかな世界と、その敵』(伴名練)。

その中で、1冊だけ選びなさいと言われたら、池波さんとか、早瀬さんとか、恩田さんなんかも捨てがたいんだけど、読み終えたばかりの今の熱さも手伝って、この84冊目になります。





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2019年11月26日火曜日

『秋暮の五人』(今村翔吾)読みました。


片道6キロのランニング通勤も、
常にヘロヘロ状態ながら9年目。

走り始めたのがちょうど
あの地震のちょっと前だったので、
テレビやらなんやらが、
節目の時をその度ごとに
数えてくれます。

とはいえ、
9年間走り続けても、
体力的に向上した実感は
まるでありません。

ランニング通勤開始後、
最初の2〜3週間は、
「もう死んじゃう」
と思えるほどキツかったけれど、

それを過ぎても、
「もう死んじゃう」
と思わなくなっただけで、
キツさは変わらず、
今もキツさは同じです。

そして、そのキツさが、
コースの途中で強くなったり
弱くなったりする波の形も
ほとんど変わりません。

パッと思い浮かぶのは、
残り1キロ地点で、
(5キロ走ったくらいのトコ)
一旦キツさが和らぐ時間があること。

ほんの2〜3分、
100メートルもない距離ですが、
「あ、ちょい楽になった」と、
魔がさす瞬間があるんです。

そう、あれは「魔」です。

ずっとキツければ、
きっと9年も続けていないのに、
あの魔があるから、
なぜかしら今日も走っちゃう。

もしかしたら今日は、
キツさはゼロで、
オール魔かも、
なんて期待して走っちゃうんです。

で、この『秋暮の五人 くらまし屋稼業』。

シリーズものなのに
この本を抜かして先を読んじゃいました。
それでも問題はないけど、
やっぱ順番は大切ですね。
魔は、それまでの5キロのキツさがないと
出て来ないものです。





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2019年11月21日木曜日

『ヒトラーの正体』(舛添要一)読みました。


いつだったか、なんかの集まりで
ビンゴゲームをしました。

そのときぼくは、
ガラガラ回して落ちてきた球を拾い上げ、
そこに書かれている番号を読み上げる役。

「はーい出ました32番!
 リーチの人はいる?
 まだ誰もいないの?
 そんじゃ次いくよー!」

なんていいながら、
ガラガラの取っ手を
もったいぶって回していました。

ぼくが番号を読み上げていく姿を、
そこにいるみんなが
固唾を呑んで見ている。

大きな声で番号を告げると、
当たった人もハズレた人も、
普段は見せない熱狂ぶりで反応してくれる。

「あっ、リーチ! リーチ!」
「おしいー! それじゃねーよ、
 なんだよキクチィー!」

そんなのをしばらくやってると、

どうしたことでしょう。

ぼくの中に隠れていた多幸感カプセルが
ポンッとはじけたようで、
とっても気持ちよく
なってきちゃったんです。

それって多分、
ライブで観客を乗せまくって
一体感を感じているロッカーの人とかが
感じるものと同じなんだろうな。

で、この『ヒトラーの正体』。

ミステリー仕立てみたいになっていて
エンタメしている本だと勘違いして
読んじゃいました。
……ぜんぜん、そうじゃなかった。

とはいえ、あのドイツのヒゲの人も、
ビンゴゲームの読み上げ係的な高揚感を
味わっていたんだろうと
想像したりしたぞなもし。





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2019年11月12日火曜日

『マンハッタンビーチ』(ジェニファー・イーガン)読みました。


どっかの偉人さんの薫陶か、
仕事の参考文献で使った
自己啓発本の中にあった教示の言葉か、
どっから仕入れたかは
定かではないんですが、

物事を選択するとき、
その「どっかの誰かの教え」を
思い浮かべたりします。

教えはこうです。
「簡単にできるものではなく、
 より難しいほうを選びなさい」。

簡単なほうは、
今まで何かしら同じような経験を
していたからスムーズに
こなせるものなんでしょう。

そんで難しいほうは、
これまでとは違う慣れていないものに
挑戦する場面だと思います。

つまりは、
以前にやったのと似たような事柄じゃなく、
新しい経験を積んだほうが、
人生は面白く過ごせるよ
ってお導きなんでしょうね。

先日、この教えを忘れて、
ついつい楽なほうを
選んでしまうことがありました。

楽なほうを選ぶと、
すいすいと事が運び、
気持ちいいもんです。

でも、難しいほうを選ぶと
そうはいかない。
ふーふー息を切らしながら、
やっとできたと思っても、
1ミリほどしか進まない。

「どっかの誰かさん、
 人生を面白く過ごすには、
 楽なほうを選んだほうが、
 いいかもしれませんよ」
なんてつぶやいていました。

で、この『マンハッタン・ビーチ』。

あれ?
またまた本の内容にかすりもしない
関係ない話を書いてしまいました。

今回は関係ないこと書くほうが、
簡単にできる選択だったようです。





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2019年11月8日金曜日

『ねじまき少女(上)』(パオロ・バチガルビ)読みました。


書いたモノを準備していたのに、
そのことをすっかり忘れ、
上巻の前に、下巻の分を
アップしちゃいました。
順番違いですが、ごめんなさい。
ってことで、以下(↓)上巻の分。

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ちょっと前に読んだ木皿泉さんの
『ぱくりぱくられし』の中に、
SFについての分析が書かれていました。

これまでジュール・ヴェルヌ以来、
いや聖書や日本書紀以来、
もっといえば、
伝承される昔話や民話が
つくられるようになって以来、

SFのジャンルにくくられるお話は、
そのほとんどが、
力を持ちすぎた人間を嘆く筋立てに
なっているっていうんです。

(記憶で書いているので、
 木皿さんの意見そそままじゃないかもです。
 すみません。
 ちゃんと確認すればいいんですよね。
 でも、その本、家に置いてきちゃったので、
 手元にないんです。なので、ご勘弁)

力を持ちすぎたっていうのは
比喩的な言い方で、
具体的には技術が進歩して
何でもかんでも便利になっちゃうってこと。

ドラえもんのいる
あらゆる道具が揃っている
未来みたいなトコです。

〈どこでもドア〉があったら、
瞬間移動ができて便利だけど、
苦労してたどり着く喜びが
なくなっちゃうとか。

〈タイムマシーン〉で過去を変えたら、
時空に歪みができちゃうとか。

やっぱり、不便なままがいいのかも。
そんなに力を持たずに暮らす方が幸せかも。
っていうお話が、
SF分野の大半を占めているらしいです。

で、この『ねじまき少女(上)』。

SFです。
舞台はやはり、便利を追求した先の未来でした。





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2019年11月6日水曜日

『ねじまき少女(下)』(パオロ・バチガルビ)読みました。


ランニング通勤を始めてから
もうすぐ丸9年になります。

今、使っている靴はたぶん3代目。
(もしかしたら、忘れているのが
 あるのかもしれないので4か5かも。
 でも公称の数字は3にしときます)

最初の靴は、
ランニングを始める前から
ずーっと履いていて
(おそらく5年とか6年とか)
走らなかった頃は
まったく壊れなかったんだけど、
やっぱ負荷がかかるんでしょうね。

ラン通勤開始から、
1年もたたないで
底が剥がれてきちゃいました。

それで仕方ないので、
プロ仕様みたいな軽くて
(足の甲を覆う部分というか、
 底以外の全体がメッシュなんです。
 だから軽いんだけど、
 冬の走らないときに履いていると、
 風がビュービュー吹き抜けて、極寒です)
底が薄く、素足に地面の感じが
直接伝わってくるようなヤツに替えました。

それを数年履いて、
今度はメッシュが破れてきたので、
今のヤツ。

これは、選ぶのが面倒になったので、
ごく普通の運動靴です。

その3代目がそろそろ危なそうなんです。
小さく穴とか開いてきて。
次はどんなのにしようかな。

で、この『ねじまき少女(下)

ぎゃ、また関係無いことだけで埋めちゃった。
感想は別の機会に。





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