2019年5月30日木曜日

『今昔百鬼拾遺 鬼』(京極夏彦)読みました。


だいぶ前ですが、
パソコンソフトのエクセルの解説本が
とても売れていると、
あっちこっちの出版社の人たちが言い、
「だからつくってよ」と
そっちこっちの編集の人に頼まれて、
どどーっと続けて
つくっていた時期がありました。

でも、その一番最初のときは、
実はぼく、
エクセルなんて触ったことがなく、
見よう見まねでマニュアルを読み、
ネットをぐるぐるして、
締切をにらみつつ嫌な汗をたらしながら、
なんとか1冊にまとめたもんです。

そうやって、
ぐーんとわりと深くまで
一つのことを掘り下げていくと、
次の本は、
すんなり切り口を変えてつくれちゃう。

とはいえ2冊目くらいでは、
まだまだネットぐるぐるなんかして、
とんでもなく時間をかけて
探っていましたけどね。

そう考えると、一旦何かのテーマを
わからないながらも、
コツコツほじほじして身につけた気になると、
最初の一つの仕事だけじゃなく、
もっとつくりたいって思うようになる。

つーか、もったいないから、
覚えたことを使い回したい
という貧乏性みたいなものか。

で、この『今昔百鬼拾遺 鬼』。

少し前に読んだ同じ京極さんの
『ヒトごろし』は、新選組の土方歳三の話で、
その土方エピソードが使い回されていました。
そうはいっても普通の作家には
とっても真似できないような、
華麗なやり方でしたけど。見習いたい。





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2019年5月21日火曜日

『ウイルスの意味論』(山内一也)読みました。


星新一さんのショートショートに
こんな話がありました。

(と、ぼくのしょぼい脳みそに
 インプットされているのですが、
 もしかしたら星新一さんの
 作品じゃなかったかもしれません。
 題名も覚えていないし、
 ひょっとしたら
 ショートショートでもなくて、
 長編の物語とか、
 テレビで観たマンガとか、
 そんな可能性もあります。
 間違っていたら、ごめんなさい。
 それにカッコ書きの中に
 こんなに長い文章を入れ込んで
 ごめんなさい)

世紀の大天才といわれる博士が、
人類のためにどうしても必要な機械を
つくると言い出しました。

どんな機械なのかは、
きっと誰も理解できないから、
内容は明かさない。

とはいえそれまでの功績から、
生活が一新するほど
役に立つ機械であると
みんな信じている。

つくるには、
とんでもなく膨大な費用が
かかるけど、その予算は、
なんと、国が用意してくれる
までになった。

……ほんで、人類が滅亡して数千年後。

今は砂漠になってしまった場所で、
地下からカプセルが出現してきた。

地上に出ると、
上部がパカッと割れて、
拡声器状の機械がにょきっと顔を出し、
悲しげなメロディを1曲流した。

大天才の博士がつくった機械は、
人類がいなくなったあと、
人類に贈る音楽を奏でるものだった。

で、この『ウイルスの意味論』。

ウイルスって、
大天才の博士がつくったのかもしれない。
なんて思っちゃいました。





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2019年5月16日木曜日

『カッコーの歌』(フランシス・ハーディング)読みました。


集中力がついていきたのか、
脳の機能がおとろえて
マルチな処理ができなくなり
1つのことだけしかできないように
なっているのか、

原因はよくわかりませんが、
ここ数年、周りで雑音がしていても、
読んでいる本の内容が
すすっと頭に入ってくるように
なった気がします。

昔は、喫茶店に入って
本を読もうと思っても、
そこにかかっているBGMが気になって、
目で追っている文章の内容が
すこんすこんと
耳穴から抜けていくようで、
ページをめくる手は
ほとんど停滞していました。

人が話しているラジオなんかが
流れていたら、もっとダメで、
本の文字は文字じゃなく
意味をなさい模様に
見えてきちゃいます。

隣の席で話している会話の声が
大きかったりしたら、読書は諦めます。

ところが最近は
そうしたジャマーたちの威力が
貧弱になっている気がして、
読書がスムーズに
できるようになっている。

あ、歳をとって耳が遠くなったとか。
いや、そういうわけでも
なさそうですけどね、
自己健康診断の結果からすると。

で、この『カッコーの歌』。

雑音減退で読書集中の流れの中、
それって単に勘違いなかって
思わせたのが、この本でした。
少しの雑音でも、内容が
まったく頭に入ってきませんでした。
なんでだろ。





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2019年5月14日火曜日

『ザ・スタンド(4)』(スティーヴン・キング)読みました。


カップ麺とか缶詰とか
何日かストックできる飲食品が
残っていたとき、
賞味期限の切れそうな古いモノから
食べていきますよね、普通。

まあ、ぼくもそうです。

賞味期限がない消耗品、
例えばティッシュとか
トイレットペーパーなんかも、
そんなに厳密じゃないけど、
最近のものはあと、
昔に仕入れたものを先って感じに、
買った順で使用しています。

それに習って、実は
本も同じようにしているんです。

未読本スペースを
勝手に想定して本棚の一角を決め、
新しく買ったものは一番左側に差し込み、
押し出されるようになる
右側の本から読んでいく。

でも、その順番が
時々イレギラーすることがあります。
それは同じ著者の作品を
続けたくないと思うから。

連続じゃなく1冊でもいいから
他の作品を挟んで、
なんとなく新鮮な気持ちで次にいきたい。

で、この『ザ・スタンド(4)』。

長編で分冊されているのは、
もちろん続けて読みます。
でも、ずっと前からストックしている
キングさんの新刊は、もうちょい後にしたい。
スタンド全5巻、やっと残り1冊になりました。





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2019年5月10日金曜日

『交流のしくみ』(森本雅之)読みました。


今はもうやらなくなったけど、
昔はよくやってました
ロールプレイングゲーム。

ゼルダの冒険とかマザーとか、
ファイナルファンタジーはやらなかったけど、
ミスト(RPGの分類なのかわからないけど)は
ハマりました。

このゲームっていうメディアは、
小説や映画を越えるエンタメだなんて思った。

けど、やっぱ時間がかかるから、
いつのまにか離れちゃいました。
生活に余裕ができたら、
いつか再開したいです。

RPGがすごいなって思ったのは、
そこに行ってもただ無駄なだけの
ルートがあったこと。

弱い怪獣とか倒しながら力をつけて、
武器や謎解きのアイテムなんかを
揃えなきゃたどり着けない場所があって、
その扉を開いてみると、まったく何もなし。
次の道にいくヒントさえない。

そんな意地悪コースがたくさんありました。

「うわっ、これって人生そのものじゃん」
なんて、目に涙を浮かべながら、
感心していたもんです。

で、この『交流のしくみ』。

電気には直流と交流があって、
交流ってのは便利だけど、
なんだか、神様がつくった
意地悪コースのように思えてきました。




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2019年5月8日水曜日

『ロビンソン・クルーソー』(デフォー)読みました。


何回か前に、
『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』
って本のところで、
なんだか人類滅亡がマイブームに
なっているような気がしますって書きました。

その本と並行して
スティーヴン・キングさんの
滅亡設定本(『ザ・スタンド』)を読んでいて
偶然にテーマが被っていたからです。
(ちなみに、キング本はまだ読み終えてません。
 5巻もある長編なので。今は4巻の中程)

そのとき時間とスペースの関係で
書けなかったことがあるんです。

それは、
この地球にただ一人生き残ったら、
ぼくならどうするか。

いやいや、
どうするもこうするもなくて、
人類の皆さんが残していってくれた
コンビニやらスーパーやらデパートやらで、
欲しいものを欲しいだけ消費して、

話し相手はいなけど、
のんべんだらりと暮らしていくだけです。

でもね。
そんな生活を思い浮かべたら、
一つだけ心配になったんです。

……お風呂のこと。

たぶん、そんときには
電気もガスも通じなくなってるだろうから、
ちゃぷちゃぷできない。

なので、
滅亡時には温泉の湧き出ている場所にいき、
やっぱりのんべんだりすることに決めました。

で、この『ロビンソン・クルーソー』。

なぜこの本を読もうと思ったのか
もう忘れたけど、やはり孤独に暮らすネタ。
滅亡ブームなのかな。滅亡はやだけど。





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