2021年8月3日火曜日

『三体Ⅲ 死神永生(下)』(劉慈欣)読みました。


光瀬龍さんの『百億の昼と千億の夜』を
読んだのは中学生の時です。

いつも「ぐらい」「ほぼ」「確か」
「たぶん」「ころ」など、
「この記憶には自信がないです」
という意味を示す但し書き的な
形容詞や助詞をつけるのに、
今回はきっぱり「中学生の時」と
言い切りました。

たまには、
そんなのもあるんです。

なぜ覚えているかというと、
解説に書いてあった内容を
そのまま写して宿題を仕上げたから。

(今みたいに一瞬でコピペできる機械は
 影も形もなかったので、
 こりこりと鉛筆で書き写しました)

今から40年以上前のはな垂れ坊主時代で
著作権なんて言葉も知らなかったから
違法行為にびびっていたはずはないのですが、

それでも、何でも知っているだろう先生には
「そんな手抜きをしてはいけません」と
叱られると予想してたんです。

ところがどっこい、
返されてきた宿題には花丸がつけられ、
しかも引用した文章のキモの部分に
赤ペンで「この考察は素晴らしい」
みたいなコメントがついていた。

それを見てぼくは、
叱られずにほっとしたのではなく、
後ろめたさ倍増で
びびり累乗の気持ちになりました。

あの先生は『百億の昼と千億の夜』を
読んでなかったんでしょう。
読んだとしても解説までは
目を通さなかったんでしょう。

で、この『三体Ⅲ 死神永生(下)』。

解説(あとがき?)に
『百億の昼と千億の夜』が出てきました。




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