2021年4月22日木曜日

『人新世の「資本論」』(斎藤幸平)読みました。


新聞のコラムに書いてあったこと。
作家の川上弘美さんの短い文章でした。
(小説作品は未読です。すみません)
朝刊だと天声人語とかのスペースにあたる
夕刊のコーナーだったと思います。

川上さんがどこかに連載していたエッセイを
まとめて本にするとき、
あらためて自分の文章を読み直して
手を入れていくと、

「実は」って言葉が多用されていて、
恥ずかしくなったというエピソードでした。

特に自分についての何かしらを
説明するとき使う「実は」が
見苦しいと感じられたようで。

人は自分のことを、
そう思っているかもしれないけど
「実は」違うんですよ、みたいな使い方。

だけど、そもそも人は
自分のことにそれほど関心をもっていないだろう。

「それじゃあ自意識過剰じゃないか」
とは書いてなかった気がしますが、
まあそんな意味でしょう。

それ読んで、
ぼくも気をつけようと思いました。

そんで、
実は、ぼくもなるべく多用しないように
気をつけている接続詞が、実は、あるんです。

「だからこそ」です。

使わないようにしようって理由は
自分でもようわからんのですが、
他の人の文章にこの言葉が出てくると、
なんかそわそわむずむずしてくるんです。
だからこそ、実は、ぼくはなるべく使わないでいたいなと。

で、この『人新世の「資本論」』。

そわそわむずむずの言葉がたくさん出てきました。




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