「物語の作者は、サディストにならないとダメ。
登場人物の身の上に、おそろしい出来事をふりかからせること」
って感じのことを、
カート・ヴォネガットさんが、以前読んだ本の中で言ってました。
わくわくどきどきを演出するには、
そうした心構えが必要だってことですね。
なんだけど、へたれなぼくが物語をつくろうと思うと、
作中の人たちがかわいそうになってしまい、
おそろしい出来事をふりかからせることが
できなくなっちゃいます。
それじゃあダメなんですね。
ぼくのつくる物語に点数をつけるなら「がんばろう」です。
そんな観点からすると、この『粘膜人間』は
「たいへんよくできました!」の花丸でした。
だってグログロの連続なんですもの。
へなへななぼくは、
読んでいるだけで、ほんとに腰が立たなくなっちゃうほど。
この本はお昼休みにお弁当を食べながら読んでいたんですが、
その飲食しながらのながら読みは、
とうていお薦めできません。
いつもなら美味しい愛妻弁当も、
脳内に生じた、ど緑色の液体や、ど黄色の液体に味付けされてしまい、
とっても不思議な味になってしまいます。
ご注意。