2011年7月11日月曜日

何事も懸命にやるのが素晴らしい。

『神の火(下)』(高村薫)読みました。

学生時代、下宿している友だちの部屋によく遊びに行きました。
実名は少し問題あるのかもしれないので、
ここでは仮に鼻村くんとしましょう。

鼻村くんは、映画のビデオをたくさん持っていて、
遊びにいくと大抵は、お薦めのビデオを見せてくれ、
鑑賞後はその作品についての討論です。

作品を選んでセットするのはいつも鼻村くん。

テレビやビデオデッキの近くには、
どんなに親しい友だちも近寄らせてくれません。

ぼくは、鼻村くんにとって、映像機器やビデオソフトが
とっても大切なものなんだろうなと思ってました。

確かに鼻村くんは、
そうした映像グッズを大事にしていました。

でも、
ぼくのように遊びに来た友だちから
本当に守りたかったのは、別にあったんです。

その日は、
鼻村くんがやっとの思いで手に入れたという
ヴェルナー・ヘルツォーク作品を
鑑賞することになっていました。

監督名を言われてもよく知らなかったぼく。
あまり乗り気はしないまま鼻村くんの下宿に行きました。
しょーがねーな付き合ってやるか程度の気持ちでした。

だからなんでしょうね。
映画じゃなくて、他のモノに気がいっちゃった。
テレビやデッキの裏です。

おやおや?
裏に、一辺1メートルぐらいの正方形のベニヤ板が立てかけてある。

それは以前からその場所にあったものです。
でも、そんときは、なぜかその板が気になって、
「その板、なに?」と聞いちゃたんです。

すると鼻村くんは、取り乱した様子で、
「何でもないよ」と否定。

そんな様子を見ちゃうと、
気になって仕方なくなるのは人間のさがですね。

そこで姑息なぼくは「何!なんだよー!」などと追求はせず、
「あっ、そ。ただ置いてあるだけね」などと無関心を装い、
鼻村くんがトイレに立つときを見計らって、
裏側の板をのぞいちゃったんです。

ぱっと見には、ただの板でした。

でも、よく見ると、ベニヤにしてはやけに厚みがある。
指でコツコツと叩いてみると、
なんだか空洞になっているようで、
あっそうか、平べったい箱なんだと気づきました。

さらに探りを入れると、
裏側には小さな取っ手が付いていて、開けられるようになっています。

でも、それを開けるには平べったい箱全体を
テレビなんかの裏から引っ張り出さなくてはいけません。

鼻村くんがトイレから帰ってるまでにそれができるか。

いやいや見つかっても、
そんなに大事にはならんだろとタカをくくったぼくは、
聞こえないほどの小さな声で「まあ、いいよねー」と
トイレに向かって言い、箱を引っ張り出し、開けてみたんです。

──と。
平べったい箱の中は細かく碁盤の目のように線が引かれていました。
方眼紙みたいです。
そのマス目の所々に番号が振ってあります。
でっかいオセロゲーム? なんじゃこりゃ。

「何してんだよ、さわんなよ!」
やっぱ戻って来ちゃいました、鼻村くん。

見られて観念したのか、
鼻村くんはその箱の正体を明かしました。

一つのマス目に10本、
抜いた鼻毛をくっつけ集めていたんだそうです。

そう言われてマス目をよく見ると確かに毛が生えています。
箱のほぼ半分ほどは芝生のように埋まっています。

恐るべし、鼻村くん。

おそらく何の意味もなく、
誰の役にも立たないことを、ちまちまと一生懸命にやる。
素晴らしい!

で、この『神の火(下)』。
自分でもなぜそんなことしてるのかわからないヤツらが
一生懸命に、誰の役にも立たないことやります。
きっと、それが人生ってモンなんです。


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高村 薫
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