2022年7月12日火曜日

『祝祭と予感』(恩田陸)読みました。


前にも何度か言っていますが、
言葉ってやっぱりそこかしこに
欠陥がむき出しになってる道具だと思います。

人から人に
思っていることを伝えるものなんだけれど、
100%完璧に思いを伝えることはできない。

少し前に亡くなった立川談志さんは、
伝わっているのは「良い勘違い」か「悪い勘違い」の
どちらかしかないって言っていたし、

あの芥川龍之介さんも
「風呂に入るのは簡単なのに、
 風呂に入ったことを書くのはめちゃくちゃ難しい」
みたいに言って、言葉が一筋縄じゃ扱えないものだと
途方に暮れてた。
(とぼくは記憶してます。
 原典にあたったわけじゃないので
 間違っていたらごめんなさい)

自分の頭の中で何かものを考えるときには、
言葉に変換して、こうだから、ああで、そうなる、
みたいな道筋をつくっていき、そのときは
言葉があるからロジックを組み立てられると、
ありがたがったりするけれど、

実はそんなものなければ、
ずばり本質的でストレートな思考が
できるのかもしれません。

普段からそんなこと思いつつ、
だらだらとネットを見ているとき、
何かの曲の楽譜を載せているページに目が止まりました。

そんとき閃いたのが
「あ、言葉とかそれを表す文字とかは、へなちょこだけど、
 音符を記した楽譜って、頭の中身を
 100%伝えられる道具なのかもしれない」
でした。

で、この『祝祭と予感』。

楽譜も完璧じゃないってこと、この本で知りました。
頭の中に浮かぶものを、
そのまま伝える手段って、はたしてあるのかな。




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