2011年12月19日月曜日

『仮面の告白』(三島由紀夫)読みました。

ふだん、身体のパーツってのは意識しないものです。

呼吸しているときには、重要パーツの肺が勝手に動いてくれて、
もっと重要な心臓なんて、
自分でドキドキの回数を制御しようと思ってもできやしない。

後ろで物音がすれば、
自然にクビが回って、物音のした方向を確認しようとするし、
歩くときや走るときには、
意識しなくても左右の足が交互に前に出ていきます。

でも。
この意識しないそれぞれのパーツを、意識するときがあります。
それは、パーツに何かの不具合があったとき。
つまり、病気とか怪我とかです。

かぜをひいたら、
今までそこにあることさえ
知らないでいたようなノドの奥のほうが痛くなって、
「自分にはそんなパーツがあったんだ」って気づく。

利き手じゃない左手の薬指にちょっとした怪我をして、
そんなに使わない指だからと高をくくっていたら、
とんでもなく不便になる。

ぼくはぜんそくの持病があるんだけど、
発作のときには気管支や肺の形がわかるくらい、
そのパーツに負荷が掛かっているのを感じます。

って考えると、
身体のことなんかどこも意識しないで、
のほほんと動いたり、
生活できたりする状態を「健康」って呼ぶのかな、
と思ったりします。

で、この『仮面の告白』。

ふつう本を読むと、
「あーつまらない」とか、
「うわっ、オモロイ!」とか、
「うぇーん、ひっく、ひく(泣いているってこと)」とか、
なんらかの感情が生じます。

つまらないなら、つまらないなりの
面白いなら面白いなりの、反応があるもんです。

でも、この本、
たぶんぼくだけだと思うんですが、
何の反応もなかったんです。

つまらなくもなく、
面白いとも思わず、
なんというかとってもニュートラル。

たとえは悪いけど、馬耳東風って感じです。
文字を目で追って、物語の流れの中にはいるんだけど、ただそれだけ。
自分が何も意識しないで、のほほんといるだけ。
この状態ってもしかしたら「健康」って呼ぶのかもしれません。

仮面の告白 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社
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