2025年4月24日木曜日

『恐怖を失った男』(M・W・クレイヴン)読みました。


ストーリーの結末なんかを事前に知らせちゃう、
いわゆるネタバレは、せっかくこれから
ドキドキワクワクを楽しもうとしているのに、
興をそいじゃうからNGだってのはわかります。

それと同じように、
主人公がこれから起こそうとしている
思いもよらないびっくり仰天を、
事前に教えちゃうような話の流れは、
普通の作家さんなら、採用しないものでしょう。

例えばゴキちゃん1匹も近づけない
鉄壁のセキュリティに守られた宝石を、
華麗に盗み去るルパン一味の活躍(?)を
クライマックに描こうとしたとき、

その場面がくる前に、
ジゲンやゴエモンらと詳細な作戦会議して、
こうしてああしてこうなるんだぞ、
みたいな話し合いのシーンを書いちゃって、
実際にその通りにことが運ぶ、
なんてのはありえない。
内容の重複にもなるから読者に飽きられちゃうし。

もし、それをするんなら、
作戦にはなかったアクシデントに見舞われるなど、
思い通りにならない状況を持ってくるんでしょうね。

と、読んでる途中で作戦会議がでてきたら、
そういうひねくれた予想をしながらページを
めくるのがいつもの読書スタイルです。

で、この『恐怖を失った男』。

そのルパン作戦みたいな前振りが出てきたから、
ウッと身構えて待ってたら、
作戦までいく前に、まったく違うエピソードが
展開されたりして、楽しかったな。

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2025年4月22日火曜日

『楽園の楽園』(伊坂幸太郎)読みました。


成績が優秀な子は、
自分の部屋に閉じこもり
誰にも邪魔されない環境で勉強するより、

あれやこれやの雑念が入るリビングで
勉学に勤しむ傾向にある、

って感じのことをどこかで聞いた気がします。

頭のつくりが上等だと、
どんな環境でも集中できるのでしょうか。
もしそうだとしたら、
ぼくも最近ちょっとずつですが、
上のランクに近づいているような気がしてます。

というのも、
前までは周囲が少しでもうるさいと
本が読めなかったんです。
文字を目で追っているのは確かなのに、
内容がまったく入ってこない。

そんなとき脳みそで処理されるのは、
茶の間で誰かがつけっぱなしにしてるニュース番組の
「アメリカ大統領が真偽不明の発言です」
みたいなアナウンサーの声だったり、
蕎麦を茹でる美味しそうな香りだったり、
しかなかったんです。

それが最近、
物語をつかめる割合が増えてきて
「おや?進化」と思ったりしてます。

で、この『楽園の楽園』。

短いお話で100ページ程の本でした。
途中までは「おや?進化」的に読めたのに、
なぜかラストでトランプさんの声しか
入ってきませんでした。
英語理解できないのに。

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2025年4月17日木曜日

『続巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


だいぶ昔になりますが、
40個ぐらいあるシェイクスピア作品のストーリーを
4コマ漫画や図版なんかを使ってまとめ、
一冊の本にしたことがあります。

その戯曲あらすじ本をつくったとき、
なんとまあごちゃごちゃ複雑な人物関係で、

スエットの腰ひもは蝶結びにしてるから、
垂れ下がった1本の端を引っ張ればするっと
ほどけると思いきや、なぜか輪っかの中を
くぐってしまったようで、
ぐいぐい引くほどに硬くからまって、おいおい
トイレ目の前にしながら膀胱が破裂しちゃうぞ、みたいな

こんがらかったストーリーなんでしょうと感心しながら、
あらすじ文やマンガの下絵なんかをつくったのを覚えています。

シェイクスピアさんの頭の中身は、
いったいどうなってるんだ、と。

そんなに幾重もの話の筋を1つにまとめられるってのは、
並の脳みそじゃないわさ。
ま、だから何百年も読み継がれてるんでしょうけど。

で、この『続巷説百物語』。

昔単行本で読んだシリーズを文庫で
もう一度読み直しプロジェクトの第2弾。
やっぱ、いいっす。
複雑な人物絡み合い度では、
シェイクスピア作品にも引けを取らない重厚さでした。

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2025年4月15日火曜日

『ソーンダーズ先生の小説教室』(ジョージ・ソーンダーズ)読みました。


どっかで
「これはいい本だからオススメよ」
みたいな情報を仕入れ、鵜呑みにして読み、

うーん確かに良きものであると感じて、
したらばその1冊だけじゃもったいないので、
同じ著者のほかの作品にも手を出してみよう、
でもライナップはたくさんあるからと、
アマゾンのページなんかをぐるぐるして

代表作とかいわれているものの
読者レビューをあさっていくと
星をたくさんつけた好評価がいっぱいあって、
ほーいいかもしんないと心が傾きながら
コメント読んでいくと、

なんというかSFのジャンルでいうと
ディストピアを描くテーマで、
ずしんと感動する的な作品が多いので、

やっぱ最初の1冊だけにしておこうと
なったりすることあります。

で、この『ソーンダース先生の小説教室』。

なので、この1冊にしてこうと。
面白かったのに、すんません。

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2025年4月10日木曜日

『巷説百物語』(京極夏彦)読みました。


前回まで長いこと
『ソーンダーズ先生の小説教室』から
ネタを引っ張り続けてきたせいか、

そういうなんていうか、
人生って何だろうみたいな中2病的
もやもやがかかった頭で
どの本も読み進めるという
できれば避けたいマイブームが
意識の中で起きているみたいで、

それにつられて
唐突に思い出してしまったのが以下の昔のこと。

フランス語でカミュさんの『異邦人』冒頭を
そらで言えるコワモテの先生に対し、
ぼくがドヤ顔で
「あれってつまり、人は何のために生きるのか、
 その答えは絶対にわからないもので、
 でも、わからないとわかっていながら、
 その答えを探すのが人間なんだ」
と言いたいんですよね、

と、ほざいたら、

とっても冷たい視線を、超高速で返され
心臓に突き刺さり、もう30年以上もたつ今も、
こうやってうずいて、ブログに書いたりするんです。

で、この『巷説百物語』。

作中のセリフ引用します。
【この世はみんな嘘ッ八だ。その嘘を真実(まこと)と思い
込むからどこかで壊れるのよ。かといって、目ェ醒まして本
物の真実見ちまえば、辛くッて生きちゃいけねェ。人は弱い
ぜ。だからよ、嘘を嘘と承知で生きる、それしか道はねえん
だよ。煙(けむ)に巻いて霞(かすみ)に眩(くら)まして、
幻見せてよ、それで物事ァ丸く収まるンだ。そうじゃねェか】

これ読んで、ぼくがコワモテ先生に言ったことって、
当たってるかも、と思いました。

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2025年4月8日火曜日

『本所おけら長屋(八)』(畠山健二)読みました。


おっとっと、気がついたらこの感想文もどき、
結構前から『ソーンダーズ先生の小説教室』の
引用で通しちゃってます。
まあ、続きもまだ残っていることだし、
今回もそうしましょう。

ロシア文豪が目指した「疑問に答える」。
疑問項目の6番目からですね。

もう、もったいぶらずに最後までコピペします。
「一方がありとあらゆるものをもち、
 もう一方がなにももっていないという状況で、
 どうして平穏を得ることができるだろう?」

「互いに愛し合うように求められていそうなのに、
 最終的には酷く離れ離れになってしまう
 と決まっているこの世界で、どうしてよろこびを
 感じて生きていけるだろう?」。

これで全部なので、もうああだこうだいわず、

で、この『本所おけら長屋(八)』。

舞台は江戸。貧乏長屋に暮らすお馬鹿さんやら
堅物やら小心者やらおかみさんやらなんやらな
世話焼きの人たちがバタバタとストーリーを進めていきます。

明らかに「もう一方」側の「なにももっていない」人。
でも彼らの心の中は「平穏」みたい。
んで、みんないずれは
あの世にいくのをわかっているだろうけど、
日常の8割の時間で「よろこびを感じ」ているみたいです。

これ、ロシア文豪が目指した疑問の答え、のような。

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2025年4月3日木曜日

『本所おけら長屋(七)』(畠山健二)読みました。


さて、何回前からやっていたのか
もう忘れちゃったほどの
『ソーンダーズ先生の小説教室』からの引用。

ロシア文豪が目指した「疑問に答える」ことの、
その疑問項目、まだまだ残ってるんです。
前は2番目まで書いたんで、今回は3番目いきます。

「なにに価値を置くべきか?」。

うーん、1つずつってものケチくさいから、
もう1ついちゃいましょうか。

4番目は「とにかく真実とはなにか?」。

えーいもってけ泥棒!
5番目は「そしてどうしたらそれがわかるのか?」。

本当に価値のあるものや真実ってのは何で、
もしそれを誰かが示してくれても、
それが正しいか間違いなのかはわからないじゃん。
つーことでしょうか。

で、この『本所おけら長屋(七)』。

ロシア文豪が哲学チックな命題をテーマにして
書き上げていた作品も、このおけら長屋みたいに
江戸庶民のドタバタの中に泣き笑いを描いたコメディーも、
うん、小説教室の話に通じるんだよな。

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2025年4月1日火曜日

『虫・全史』(スティーブ・ニコルズ)読みました。


どうせだから前回からの続きにしちゃいます。

ジョージ・ソーンダーズ著
『ソーンダーズ先生の小説教室』からの引用です。

たぶんもう著作権なんかは切れていて
パブリックドメインになっている
昔のロシア文豪たちが、
何を目標に小説を書き上げてきたのか、

それをソーンダーズ先生は
「疑問に答えること」が目標だったんだとおっしゃり、
その疑問について具体的になんなのかを列挙し、

それを読んだぼくが、
おいおいそれって、昔のロシアだけに当てはまることじゃなく、
国は違っても、時代がだいぶ進んだ今になっても、
万国共通、時代無関係に通じる「疑問」じゃんと思い、

それだけじゃなく、
毎日のように新しく本屋さんに並ぶ、
あっちゃこっちゃの作品が、
著者が意識しているかどうかにかかわりなく、
「疑問に答える道」の上を行っているような気がして、

ならばこの感想文もどきにも
使えるんじゃないかと、使っちゃったんです。

ほんで、列挙された2番目の疑問は
「なにを為すためにここに配されたんだろう?」でした。

で、この『虫・全史』。

たぶん、ダーウィンの進化論とかも
「疑問に答える道」のどこかに通じていると思い、
だからなのか「生命の不思議」系の本なんかを
思い出したように読んでいるんですが、それ系の書物には
虫がどういう位置づけにあるのか記されていないことが多く、
知りたいなと思って目を通したのがこの本。
面白かった。
んでやっぱ、同じ道を感じました。

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2025年3月27日木曜日

『檜垣澤家の炎上』(永嶋恵美)読みました。


前回、『ソーンダーズ先生の小説教室』から
引用したい文章があるといっておきながら、
思わせぶりに出さないで
そのままにしちゃったので、ここに書きます。

「(トルストイとかの昔のロシアの)作者らが当時
 芸術の目標と暗に見なしていたものなのだ。
 つまり以下の大きな疑問を問うことだ。」

と前振りしたあと、文末に「?」がつく、
いうところの「問われる疑問」が何個も続きます。
ここでは、とりあえず最初の1個をば。

「ここでどうやってやり過ごせばいいのだろう?」

うんうん。わかります。
大袈裟にいえばぼくも、24時間365日、
常に疑問に思ってます。やり過ごせるのか?

で、この『檜垣澤家の炎上』。

「どうやってやり過ごせばいいのか」。
ロシアでも日本でも、昔も今も、
疑問は解消されないんだなと、この本読んで思いました。

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2025年3月25日火曜日

『本所おけら長屋(六)』(畠山健二)読みました。


新聞かネットか
どこだか忘れちゃったんだけれど、そこに
『ソーンダーズ先生の小説教室
 ロシア文学に学ぶ書くこと、読むこと、生きること』
って本がとってもいいよって書評があったので、

いわれるがままに
600ページ近い枕にするにはちょうどいいくらいの
分厚い単行本を買っちゃいました。

よしゃいいのに、それを今、読んでます。

半分くらいまで進んだところで、うーん確かに、
こりゃ拾い物だわとしきりに感心しています。

勉強不足のぼくは
著者のジョージ・ソーンダーズって人のことは知らなくて、
どうやらアメリカを代表する作家らしく、
その作家先生が、
大学で教えている授業を一冊にまとめた作品です。

副題にあるように、
チェーホフとかツルゲーネフとかトルストイなんかの
ロシア作家の作品について、その短編をまるごと掲載して、
そのまま続けて解説していくつくりになっています。

その本の中に、
今回ここで引用したい文章があったから、
その前に大まかな内容を説明しないといけないな思ったら、
あらら、こんなにたくさん書いちゃいました。
とりあえず、ここでやめときます。

で、この『本所おけら長屋(六)』。

引用したい文章が「なぜか?」みたいな疑問形になっていて、
その答えがこの「おけら6」にあるような気がしたんです。

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2025年3月18日火曜日

『本所おけら長屋(五)』(畠山健二)読みました。


自分でやったのは確かなんですが、
どこをどうしてそうなったのかよくわからないまま、
右目の3センチほど右下、化粧をするなら
頬紅をさす位置から血がしたたっていました。

朝、カミソリで髭を剃っていたときです。

使っているやつは、
ジョリジョリする部分に5枚くらいの刃が並んでいて、
やさしく深ぞりができるとかのタイプで、
それにプラスしてその上部に単品の刃がついてて、
これを使えばもみあげの細かいカットまで
できちゃうよという進化版の安全カミソリ。

左側のアゴの下、首筋になるのかな的な場所をジョリ終えて、
ちょっと持ち替えて逆サイドを右側こめかみあたりから
攻め込もうとしたときです。

本来なら、単品刃の上部なんか
肌に向けるはずない流れなのに、気がついたら、
アイタタって声を出してました。

たぶん、切ってしまった。
(ここで「斬った」の漢字を使おうと思ったんですが、
 大袈裟すぎる気がしてこれにしときました)

その直後に、凶器を持っている同じ手で傷をかばおうとして、
再度、斬ってしまったんじゃないかと。
(2度目なので少しオーバーでいいかと「切」→「斬」)

で、この『本所おけら長屋(五)』。

それだけの傷でも、
このおけら長屋の人たちが見ると
みんな大騒ぎで世話を焼いてくれるでしょう。

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2025年3月13日木曜日

『ここはすべての夜明けまえ』(間宮改衣)読みました。


ストーリーは覚えていないのに、
その作品のどこか一部分が
記憶に残っているってこと、よくあります。
小説とかなら、冒頭の文章なんかがありがち。

「吾輩は猫である。名はまだない」。
と、書きましたが、原典を見ながら写したわけではなく、
もちろんウィキペデアとかからコピペしたのでもなく、
頭の中にある文字列を、指先を通してキーボードに打ち込み、
変換しただけです。

書いてから確認してみたら、どこも間違っていませんでした。
どういう話だったか、細かなことは何も覚えてないのに。

まあ、これは、
印象的な文章だったから覚えられたというよりも、
いろんな媒体で誰も彼もが引用してて、
目にする機会がたくさんあるから、
否が応でも、脳内に保存されちゃってるんでしょう。

そうじゃないぼくだけの脳内刻印、いってみましょうか。
ぱっと浮かんだのは、
どっかの主人公がラスボス的な爺さんと
茶室で向かい合っている場面。
その爺さんがおもむろに取り出したハンカチに
カーッペッとタンを吐き、
自分の出した黄緑色のネバネバを
数分間じーと眺めているというシーン。

これなんかは、誰が書いたどの作品なのかも忘れちゃって、
その場面の前後にどういう話がつながっているのかも
忘却の彼方です。でも、そこだけ覚えてる。

で、この『ここはすべての夜明けまえ』。

この作品の一部が記憶に残るとしたら、
きっと文体だと思います。
あの『アルジャーノンに花束を』みたいに。

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2025年3月11日火曜日

『書楼弔堂 霜夜』(京極夏彦)読みました。


本や雑誌の紙面をつくる
レイアウトの仕事をしている
知り合いのデザイナーさんが
こんなこと言ってました。

「田舎に帰ったとき、
 毎度のように両親も含めた年寄りの親戚たちに、
 デザイナーの仕事ってのはどんなことをするのか
 説明するんだけど、もう何十年も同じこと言っているのに、
 まだまったく理解されてない」

いろいろ説明して、最後に誰かが
「そうか、つまりは印刷屋さんってことだな」
などと締めて、ほかの話題に移るそうです。

ご存じの通り(グラフックの)デザイナーさんってのは、
紙面の中に、ライターが書いた文章、カメラマンが撮った写真、
イラストレーターが描いた挿絵なんかを、
それぞれどれくらいの大きさにして、
どう並べるのかを考えて、配置していく人なんですが、
出版分野とかに関わったことがない人は、
イメージしにくいようです。

で、この『書楼弔堂 霜夜』。

そういうイメージしにくい職種を
ばっちり頭に浮かび上がらせくれました。
どうでもいいけど、
「しょろうとむらいどう」と打ち、変換すると
デフォルトが「初老と村移動」なので笑えます。

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2025年3月6日木曜日

『ことばの番人』(高橋秀実)読みました。


前回の感想文もどきで
ローレンス・ブロック作品が
思いの外たくさんあることがわかり、
なのでもう少し詳しく調べてみたんですが、
その結果を書くスペースがなくなっていたので、
今回に雪崩れ込ませちゃいます。

一番最初に読んだのは
2020年9月『殺し屋 最後の仕事』。
最初なのに「最後の仕事」ってのがお茶目な感じです。

確か伊坂幸太郎さんのエッセイを読んで、
そこに紹介されていたから手を出したんです。
したらその一冊でどハマりして、
その年の残り3カ月で3冊こなし、
続く2021年には31冊も読み倒しちゃいました。
ちなみにこの年の他の著者作品も含めた総冊数は99。
ほぼ3分の1がブロックさんってことになります。

んで翌2022年は9。
それで入手可能な作品はだいたい揃っちゃたので、
その翌年から今年まで
各年1冊の計3(前回『探偵人生』も含め)。
ということで全部で46になりました。

こうやって前回のからの雪崩れ込み報告の文章を
ペコペコ入力し続けていけば、何か今回の本とつながる
きっかけのネタが出てくるだろうと、ここまでやってみたけど、
予想外というか案の定というか、
やっぱり、出てくることはありませんでした。すみません。

で、この『ことばの番人』。

いやいや本当に面白かったんです。
物語じゃなく、帯に書いてあるジャンルをそのままいうと
「ノンフィクション」です。仕事でいつもお世話になっている
文章チェックの専門家・校正者のお話です。
普段から、その方たちの仕事ぶりには
感心することしきりなんですが、
これ読んであらためてその凄さが身に染みました。
ブロック作品とは関係ありませんが。

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2025年3月4日火曜日

『マット・スカダー わが探偵人生』(ローレンス・ブロック)読みました。


本棚にある実物をリアルに数えるのは、
ちょっと泥臭くてせせこましい気がしたので、
ウィキペディアに載っていたリストを見て、
記憶と照らし合わせながら、
自宅保管されているもののうち一番冊数があり、
つーことはスペース占有率の高い作家さんは
誰だか突き止めようとしました。

細かいのはさておいて、
明らかに大きな顔してるのは
村上春樹作品群、京極夏彦作品群の2巨頭なので、
つまりはそのどっちが多いかの確認なんですが。

集計したところ、村群は38、京群は62。
圧迫感からいって双方ともにその3倍はあるか
と思ったけど、そんなもんでした。

で、この『マット・スカダー わが探偵人生』。

同じようにようにしてブロック作品群を数えたら、
45ありました。あら、結構ある。
ほんでこの1作を足して46になりました。

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