2026年1月29日木曜日

『ザ・エッセイ万博』(万城目学)読みました。


小学校6年生のとき、
卒業していく子供たちが
大人になった自分に宛てた手紙を書き、
タイムカプセルと称した箱に入れて
日時計モニュメントの台座に格納しました。

30歳になった頃、
誰かがそのカプセル箱を思い出し、
同窓会イベントで取り出すことなり、
台座の上のコンクリ製日時計を
ズリズリずらして中をのぞてみると、
中身は空っぽ。

集まったみんなは唖然としてしまった
という出来事は、いつだったか忘れたけど
ここで書きました。
(違う場所かも。でもま一度は書きました)

噂では、
一部の悪ガキ連中が卒業後すぐに
勝手にカプセルを取り出し、
河原へ捨てたとかと言われています。

自分はそこに何を書いたのか、
現物がないので想像するしかないんですが、
「ぼくは新聞記者になりたいです」
みたいなことをつづっていたような気がするんです。
今の自分に、かすってる感じ。

で、この『ザ・エッセイ万博』。

エッセイ集。中学生のときテレビで見ていた
憧れの人のエピソードが面白く、
自分のタイムカプセル騒動を思い出しました。

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2026年1月27日火曜日

『ワニの町へ来たスパイ』(ジャナ・デリオン)読みました。


「完」もしくは「了」、
もしくは、そんな締め用語など使わなくても
自分の中で「よし終わった」
と思い込むまでたどり着けたものは、
もちろんごくわずかで、
(正直に言えば完璧に納得して筆を置いたのはゼロで)
途中で放り出しハードディスクの奥の方に格納されたまま
何年も開きもしないでいるのは、
いくつあるかも不明であるような、
わが物語創作遍歴ではありますが、

真似事ででも、
そうやって小説らしきもののつくる過程を経験すると、
きちんと出版されている作品を読み進めるときに、
作者の意図がちらりと見えるような気分になるので、
読書の楽しみが少し増えるんじゃないかと思います。

脳みそを絞りに絞って書き進め、
なんとか中盤に差し掛かったくらいのところで、
「あっ、ここで脇役Aにカツ丼をドカ食いさせたら面白い」
とひらめいたとして、
でもその場面をいきなり描いても話の流れがぎくしゃくするから、
序盤辺りで脇役Aの好物がカツ丼であることを
さりげなく盛り込むようにしたりする。
前に戻って「さりげなく、さりげなく」と
自分に言い聞かせながらカツ丼くだりを挿入する。

よっしゃこれで伏線的な仕掛けができたぞと
ニタニタしつつ中盤に戻り、ドカ食いシーンをつくっていく。

そうしてまあ、最後までできたとしましょうか。
しましょうよ。そして最初から読み返す。
そんで、序盤にいきなり
「なんなの!この取って付けたようなカツ丼のくだり」
に出くわす。難しいんだな、お話をつくるのって。

で、この『ワニの町へ来たスパイ』。

読んでる途中、作者の苦労があちこち見え隠れした気がして、
本来の楽しみ方とは違うかもしれないけど、楽しめました。


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2026年1月22日木曜日

『空中ブランコ』(奥田英朗)読みました。


パソコン黎明期から本づくりの仕事をしてると、
文字の書体データいわゆるフォントファイルの扱いに
とても臆病になります。

目の前の画面上で紙面がつくれるようになる前は、
写真植字で出力してもらった印画紙なんかで
印刷用の版下にする。

その作業を請け負う写植屋さんは
1種類うん万円するフォントを何十個も揃えて商売してた。

それがパソコンのお陰で
個人でできるようになったはいいけど、
何十種類のフォントを用意するには結構な投資が必要で、
しかも牧歌的なマシン処理速度だった最初の頃は、
そのデータ量が負担なようで、やたらクラッシュする。

校正用のゲラを出すのにプリンターがいうこと聞かず、
何度徹夜したことか。

ということで今、
フォントメーカーが販売システムを変えるので、
インストールし直しなどしましょうとアナウンスされても、
怖くて手が出せなかったんです。
といいつつ、

今さら時代の流れには逆らえないので、
さっきやりました。

したらすぐ終わっちゃった。
その後もまったく不具合なし。
案ずるより産むが易しでしたわ。

で、この『空中ブランコ』。

昔は確か持っていたはずなのに今は薄れている
「いろんなこと考えずに、まずやっちゃおうよ、
 やっちゃえばなんとかなるでしょ」な勢いを、
思い出させてくれた作品でした。


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2026年1月20日火曜日

『嫌いなら呼ぶなよ』(綿矢りさ)読みました。


今回は、
登場するキャラクターが女なのか男なのか、
まずはそこをはっきりさせないと、読んでる人は
物語に深く入っていけないんじゃないかチックな
前振りから始めようと思ったところで、

いや待てよ、世の流れからいって、
もはやそんなのは朽ち果てちまった考え方
なんじゃないかと不安になり、

パソコン辞書で「ジェンダー」を引いてみたら、
前方一致リストの中に、その不安と関係ありそうな
2つの用語を見つけたから引用します。

1つ目
【ジェンダー‐フリー〖gender-free〗性による社会的・
文化的差別をなくすこと。ジェンダーにとらわれず、
それぞれの個性や資質に合った生き方を自分で決定
できるようにしようという考え方。】

2つ目
【ジェンダーレス〖genderless〗〘形動〙社会的・
文化的な男女の区別がないさま。】

とコピペしたら、
おやっと感じた文字というか記号があって、
本筋とはまったく関係ないけど、
どうせ大した本筋じゃないし、
そっちのほうがぼく的には「今でしょ!」だから
ここで触れとくんだな。

〖〗のこと。
【】は隅付きカッコと呼ぶらしく、
「かっこ」と入力すれば変換リストにすぐ出てくるんだけど、
この白抜きの隅付きカッコは出てこない。
ああもうこんなにいっぱい文字並べたので、ここら辺にしとこ。

で、この『嫌いなら呼ぶなよ』。

前振りで気にした通り、最初に思い込んでいたキャラの性別が
途中で間違っていたことに気づき、混乱したのはたぶんぼくだけ。

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2026年1月15日木曜日

『覘き小平次』(京極夏彦)読みました。


今さらですが、前回の感想文もどきを読み直し、
もうちょいちゃんと構成的なもの考えて書こうよ、
と自分に言い聞かせました。

(そう思ったならやり直せ、
 との意見があるのは承知してますが、
 聞こえないふりします)

文字を打ち込む前に頭に浮かんだ構成は、
「少し前まではタイムパラドックスを何とかしないと
 安直なストーリーにみられていたけど、
 今は過去を改変してもそっから無限に枝分かれする
 パラレルワールドがあるから大丈夫」
って流れでした。

そのために時間旅行ものの小説を持ちだそう、
ならばキング作品じゃん、
とひらめいたまではいいのですが、
その作品名が出るまでに約300文字。
全体で450文字ほどしか書いてないのにです。
中身は薄くほとんど前振り。
それってどうなのよ、という自戒です。

で、この『覘き小平次』。

何度目かの再読。
再読した今回は、物語の前振りが長過ぎるような気がして
好きさ度合いが少しトーンダウンしたけど、
まあ、懲りずに、また読みます。
きっと次は、その長さが気に入るだろうから。

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2026年1月13日火曜日

『百年文通』(伴名練)読みました。


年齢的なものもあるような気がしているのですが、
このところ、これまでに読んだ作品をもう一度読み直す
再読ブームが自分の中で進行していて、

ちょっと前にここでも話題にした
万城目学さんのエッセイだったり、
京極夏彦さんの巷説百物語シリーズだったり
(ちなみに次回の感想文もどきは、
 そのスピンオフ的な小説の『覘き小平次』に
 なる予定です。現時点で読了。しかも確か3度目)
と、古き良きものに興味が傾いている様子。

その流れにのって、今手を出そうとしているのが、
スティーヴン・キング作品です。

そして、
それだったらばどこから行こうかと考えたとき、
ふっと頭に浮かんだのが『11/22/63』でした。
アメリカのケネディ大統領暗殺の時代に
タイムスリップしちゃう話。
時間をさかのぼって過去を変えちゃう。

でもそうすると、
いわゆるタイムパラドックスの問題があり、
それとの折り合いをどうつけていくのかが
作家の腕の見せ所って感じがありました。

で、この『百年文通』。

今はパラレルワールドってものがあるので、
腕もなかなか見せられないようです。

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2026年1月8日木曜日

『嗤う伊右衛門』(京極夏彦)読みました。


3冊並行読書で今取り組んでいるのは、
『嫌いなら呼ぶなよ』(綿谷りさ)
『静かな炎天』(若竹七海)
『覘き小平次』(京極夏彦) です。

このうち京極作品はたしか3度目くらい読み直し。
少し前に7、8巻ある「巷説百物語」シリーズを
こなしたとき、ネットの解説を見てみたら、
連作に関連する話が3つほどあり、
そのうちの1つが小平次だったので、
どうせならそっちも手をつけようと。

この小平次、マイベスト10の中に入る1冊で、
最初に読み終えた頃は興奮がさめやらず、
友だちなどにやたらすすめていたんです。

でも、
同じように認めてくれる人はおらず、反応は超うす。
「今まで、映画なんかでは、目を逸らしてもう見れない
 という場面はいくつかあったけど、
 小説だったら、ひどいシーンでもグログロドロドロの内容でも
 へいちゃらで読んでた。でも小平次はダメだった」
なんて言って途中で投げ出す人もいました。

まあ、山本周五郎賞なんかもとってる作品だから、
ぼくだけ特別ってわけでもないと思うんだけど。

で、この『嗤う伊右衛門』。

関連3作品のうちの1つでした。
これも読み直し。
再読してマイベスト10に入っちゃいました。

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2026年1月6日火曜日

『さよならの手口』(若竹七海)読みました。


感想文的な体裁をとっているのに、
毎度のごとくその本とは関係ない話になってるので、
やっぱ少しは作品に引っ掛かりのある内容にしなければ、
と今回もキーボードを叩き始める前に頭をよぎったのですが、

どうも、前回のレモンの話に、
もう一つ言いたかったことを書いていないと思い出し、
ため込むのは身体によくないと、
ヨボヨボ到来のお年頃だから健康配慮すべしと、覚醒したので、
『万感のおもい』からの続きいっちゃいます。

その万感の本は、文庫版で読んだものです。
3年ほど前に単行本で出てたやつが文庫化されたもの。

ほんで、
実はその単行本のほうも昔読んでいて、
判型は違うけれども内容はほぼ一緒の、いわば再読だったんです。
調べたら2022年の7月にこの感想文もどきも書いてました。
(ひょっとして過去のぼくも、同じレモン談義をしているかと、
 恐る恐るその文章も読みました。けれどさすがに違うネタでした)

当然、初出の単行本にもレモンの話はありました。
ということは、3歳若い過去のぼくはきっと
「あっ京都なのか」とびっくりしているはずなんです。
(なぜびっくりなのかは前回分参照)

一度びっくりしたんだから、情報はインプットされ、
今回の再読では、もう驚くことはないだろうと考えられるものの、
その定理を覆すポンコツレベルの記憶力。
いや、頭の出来具合というより、
ぼくの中では、さださんの曲が常に、梶井さんの短編を
風呂敷包みするポジションにいて、本来の京都の話がチラ見えしても
聖橋から放る東京の話が、自動で閉まるカーテン的に
覆い隠しちゃうんじゃないかな。

で、この『さよならの手口』。

面白かったです。毎度すみません。

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2025年12月25日木曜日

『万感のおもい』(万城目学)読みました。


梶井基次郎さんの『檸檬』は確か高校の
現国の教科書で読まされた気がするけど、違うかな。
いずれにせよ、若かりし頃のどっかの時点で
触れてる作品ではあるのです。

んで、
ごくたまに東京駅近くの本屋さん・丸善に行くときは、
あの短編小説に出てきたシーンを思い出し、
そうそうここにレモン置いたんだなどと
一人ニヤニヤしていたんです。

でも、梶井さんがレモンを置いたのは
東京の丸善じゃありません。
あの作品の舞台は京都なのであるな、これが。

たぶん若かりしあの頃の最初に読んだその当日くらいは、
自分の住んでる東京とは違う所の話と
認識したのかもしれませんが、

その次の日からは、あの話は東京で、
ストーリーは
「御茶ノ水駅の近くのくだもの屋で
 黄色のやつを1個だけ買って、
 そこから延々と東京駅の近くまで歩いて、
 本屋にイエロー果物爆弾を設置した」
に脳内改変されたんだと思います。

それ、さだまさしさんの『檸檬』を
あの頃毎日のように聴いていたせいなんですわ。
そしてこの本読むまで改変状態が継続していたんです。

で、この『万感のおもい』。

エッセイ集。梶井レモンの話が出てきて、
それ読んで「あっ京都なのか」とびっくり。
長年のすり替え記憶が矯正されました。

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2025年12月23日火曜日

『カザアナ』(森絵都)読みました。


前回の『デスチェアの殺人(下)』で、
自分でつけてる5つ星評価について書きました。
ちょい、その続き。

これまで上下巻に別れている本では、
上巻で「うわーこれスゴっ!」となる作品の場合、
いそいそと5つ星評価をつけたあと、
そのまま期待が膨らんで、即座に下巻に突入していました。

すると、
ワクワクとかドロドロとかワハハハとかの、
膨らんだ胸中濃度をより深めてくれるフィーバーを、
無意識のうちに求めてしまうようです。

ほんでもって実際、後半戦のページをめくり始めると、
濃くなっていくだろうという予想が大き過ぎるのでしょう、
内容がそれに追いつけなくなり、
濃度は薄まり、膨らみ具合もへこんできて、
「上巻の楽しさほどじゃなかったな」と星は1つ減ってまう。

そんなパターンがほとんどでした。

but、バット、くだんの作品では、
上巻はテンションがやや落ちな気がして4つ星にし、
それを引きづりながらも下巻を読み終えると、
いやはや評価は大逆転してました。
これまでなかったタイプの読書体験でありました。

で、この『カザアナ』。

上下巻ではありませんが、
通常パターンの上下巻のように前半5、後半4になり、
総合では後半評価が適用されました。ぼく的に。

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2025年12月18日木曜日

『デスチェアの殺人(下)』(M・W・クレイヴン)読みました。


読了日は11月3日。
すぐにやればいいものを例のごとく放っておいてしまい、
これを書いているのは11月20日。

2025年もあと1カ月ちょいになったその時点の
365日マイナス約40日間で読み終えた本は77冊でした。

ほんでもってそのうち星5つの
自分好み満点評価をつけた作品は
全体の18%に当たる14個。

ちなみに4つ星は61%の47作品、
3つ星=14、2つ星=2となっています。

「うわあ、読まなきゃよかった」
と思わず口に出してしまうイメージの1つ星はゼロです。
というか、これまで十年以上リストにつけてるけど、
記憶にある限り星1つにしたものはありません。

で、この『デスチェアの殺人(下)』。

14個目の5つ星。
なにしろ14のうち8個がクレイヴン作品なんですわ。
2025年に入って初めて読んだ作家さん。
これまで9冊こなし、5つ星じゃなかったのは1つだけ。
見つけられてよかった。

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2025年12月16日火曜日

『デスチェアの殺人(上)』(M・W・クレイヴン)読みました。


もしかしたら読んだかもしれないけど、
読んだとしても単行本のはずで、だってこの文庫は
1カ月前に発売になったばかりなんだから
現時点に至るまでの30日の間に、この新刊文庫を買って、
自宅の本棚に並ぶ積ん読ストックを差し置き、
先に読了しちゃうなんてことありえないのだから、
既読ならば数年前に発刊された単行本で間違いなし。

であるならば、
再読するほどではないんじゃない的な脳内懐疑派の意見も、
ちょっぴり懐柔できる。

だって文庫なら単行本には載ってないあとがきや解説とかあるし、
もしかしたら加筆訂正したついでに、
新しい話を追加しくれているかもしれないんだから、
つまりは初めて読む部分も含まれるってことだわね。

みたいなうちなる葛藤の末に、まあいいかと購入し、
会社のお昼の時間にうりうりとページをめくっているのが
文庫版の『万感のおもい』(万城目学)です。
やっぱ、読んでました。

読んでたけど、
覚えてる話と忘れているのがまだらにあって、なんか不思議。
エッセイ集のなので1つ1つの文章が短いからってのも、
覚えてる/忘れてる のまだらを形成するのに影響があるのかな。

んで、まあその随筆の中に、こんな話が出てました。
長い小説を書いているとき、その日の執筆を始めるには、
前の日にどこまで話を進めていたのか思い出さなきゃいけなくて、
それがなかなか覚えてない、とほほみたいな。

で、この『デスチェアの殺人(上)』。

いつものように紹介する本に関係ないうえに、
まとまりのない支離滅裂な文章でごめんなさい。
読んでから時間がたっているので内容はきちんと覚えてないけど、
「面白いことは覚えてる」ってオチにつなげようと思ったのですが、
どうにも企画倒れでした。

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2025年12月11日木曜日

『イン・ザ・プール』(奥田英朗)読みました。


少し前、ヒザの近くにある
足三里ってツボのことを話題にしました。
自分なりにその場所を推測して、
それが間違えていたりといろいろあった話です。

でも、場所が違っていたとはいえ、病は気からなのか、
お風呂につかりながら毎日そこを指圧するようになってから、
不思議とあちこちに発生していた脚の痛みがなくなってる。

それまでは、
ランニング通勤を日課にしてる限り負荷がかかるんだから、
苦痛が出るのは当たり前だと思ってました。
痛みのない日もあるんだけど、月のうち半分はヒザだったり、
ふくらはぎだったり、アキレス腱だったり、足裏だったり、
どっかしらが悲鳴をあげてました。

で、ここで言おうと思ったのは、ツボが効くってことではなく
(それはたぶん、さっきいった病は気から的なものだろうから)
痛みが出たときの対処法。

ずばり「痛くなったら走れば治る」です。
そんな経験則が十年以上続けるうちに
出来上がってきちゃったんです。

痛すぎて今日は無理と思っても、
なんとかゴールすると痛みは忘れてる。
ホントなんです。

で、この『イン・ザ・プール』。

そんな感じの治療をするお医者さんが登場します。おもろい。

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2025年12月9日火曜日

『栞と嘘の季節』(米澤穂信)読みました。


前の『マーブル館〜(下)』では
結局関係ない話として締めてしまいました。

車の話をずるずる引きずって収集つかない気がしたからで、
でも、あれを書く前に頭の中で描いていた文章の流れは、

昔の自動車の不具合に始まって、
→ 関連してテレビなんかも叩けば直ったもんだ
→ 今の機械はもっと複雑で繊細になっちゃったから、
  そんなド根性方式では故障には太刀打ちできない
→ さらに不具合の様相も進化
→ 例えばパソコン。ちょっと前までは、
  アプリケーションの挙動がおかしいときには、
  再起動したり、インストールしなおしたりと、
  あくまで目の前にあるマシンの操作で
  何らかの対処をして復旧させるのが基本だった
→ まあそれは変わってないのかもしれないけど、
  よりグローバルチックになっちゃって、
  この前はソフトのメーカー側のシステム障害だかなんかで
  なぜか、この目の前のパソコンにあるソフトが動かなくなった
→ それはまあ1日くらいで平常に戻ったけど、
  その1日の間も仕事しなきゃだから、緊急対処法として、
  一旦ネットの接続を切ってから起動するよういわれ、なんとかなった
→ ああ、世の技術ってのは変わってくんだな
→ 昔が懐かしいな。

という流れで展開して、締めは、作品のタイトルを書いたあとに、
この本はどっちかっていうと新しい志向というよりも
昔のミステリの良さ的なものを追っているような気がした、
ってまとめたかったんです。

で、この『栞と嘘の季節』。

そう、この作品もそんな感じがしました。

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2025年12月4日木曜日

『マーブル館殺人事件(下)』(アンソニー・ホロヴィッツ)読みました。


昔はよく車のエンジンがかからなくなったもんです。
そんなときは、少し力のありそうな人に手伝ってもらう。

ぼくは運転席に座り、ギアをローに入れたまま
一番左側のペダルを踏み込んだ状態で
「じゃあお願いします」とか言って合図する。

すると、助っ人さんは
後ろからえっさほっさ車体を押す。

はじめはゆるゆるだけど、
しばらくすると勢いがついてきて
子どもの三輪車くらいのスピードにはなる。

そのタイミングで、
左足をポンとあげてクラッチをつなぐと、
ゴボゴボっプスプスっと希望の音色があがり、
その瞬間に今度はアクセルをペコペコやってやると、
ブルンブルンブルンってあの内燃機関が回り出す。

でも今はほどんどがオートマになっちゃって、
そんなのはできないんだよね。
そもそも、エンジンかからないこと、そんなにないし。

で、この『マーブル館殺人事件(下)』。

すみません、また関係ない話でした。
どうにか話はつながると思ったんですが、
つながりませんでした。
でも本は面白かったです。

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